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寺山修司と野田秀樹 [シアター]

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文藝別冊の『寺山修司』増補新版を読む。増補なのだからその前の版があるはずなのだが、それは2003年3月初版とあり、もちろん私は読んだことがないのでこれが初めてだ。
野田秀樹の短いエッセイに、若き野田と寺山修司との出会いが書かれている。

野田が初めて寺山の演劇を観たのは渋谷公会堂における《邪宗門》だったという。だがそれはあまりにもアングラ過ぎて、野田は 「俺はこれダメかもしれない」 と思ったのだという。ファースト・インプレッションがそうしたマイナスなイメージだったのにもかかわらず、その後、寺山の書く文章に、特にその短歌に魅せられ、そしてもしそれだけだったら寺山修司を神格化するままになっていったのかもしれないのだともいう。

ところがある日、野田がまだ東大生であった頃、東大駒場で彼の劇団の稽古をしていたとき、その出入口を行ったり来たりして、中でやっている稽古を見ているような見ていないような人が、もしかして寺山修司なんじゃない? と気がついた劇団員がいて、野田に伝えた。野田は 「そんなわけねえよ」 と否定したのだが、しかしそれは寺山修司本人だったのだという。寺山は野田の演劇を噂を聞いてこっそり覗きに来たのだ。

 どうやら後で知人から聞いたところでは、寺山さんは、その頃、東大の
 劇団で 「全共闘」 みたいな芝居をやっているところがある、と聞き及ん
 で、こっそり稽古場を覗きに来たらしいのだ。ほんとうに 「覗き」 に来
 るところが 「寺山修司」 の 「寺山修司」 たる所以である。

と野田は書く。
全共闘みたいな芝居というのがよくわからないが、つまりよくわからなくて過激に見えるものは皆、全共闘だと形容してしまったのかもしれない。ともあれ、それがきっかけで野田の《少年狩り》という演劇を寺山は観て、その劇評を東大新聞に書いてくれた。それが野田にとって初めての劇評だったのだという。
そして野田は、最初の劇評を寺山修司に書いてもらったということの至福より、寺山が稽古を覗きに来てくれたということを誇りに思うともいう。

その後、野田は寺山のパルコ劇場や晴海の倉庫街での演劇を観て、それらは渋谷公会堂の《邪宗門》とは異なり、唯美的、審美的、耽美的だったと言葉を重ねる。それは互いの作品をそれぞれ評価する戯作者・演出者として対等の姿勢のように思える (但し、その時代だと、パルコ劇場の名称はまだ西武劇場のはず)。

だが二人が言葉を交わしたことはほとんどなく、寺山の演劇《レミング》を観た後、暗幕をめくり上げたところで顔を見合わせたときがあって、「あ」 「おー」 とだけ声を交わしたのだとのことである。このエッセイの野田のそもそもの長い前フリの思わせぶりからすると、この話も眉唾だとも思えるのだが、それはそのまま承っておくことにする。そしてその後、寺山は亡くなってしまう。

それから時を経て2015年の事を野田は書く。

 二〇一五年、私のその芝居 「エッグ」 が、パリのシャイヨー国立劇場に
 招かれる形で上演された。その時、その劇場の芸術監督から思わぬ話を
 聞いた。「この『エッグ』の前に、日本の現代劇が、このシャイヨー劇
 場に来たのは、遡ること三十三年前、寺山修司の『奴婢訓』だったんだ
 よ」 それは思いもかけない奇縁であった。

「エッグ」 とは、

 「冒頭、寺山修司の未発表の戯曲が見つかり、それを上演していくとい
 う形で話が進んでいく。もちろん、そんな寺山修司の作品など存在しな
 い。

という作品なのである。それは偶然であり奇跡なのだろうか。そうかもしれないが、何かの必然性もきっとあるのだろう。それは異なった時代を繋ぐ宿命の糸である。
寺山の戯曲と野田の戯曲は根本的な違いがあると私は思う。野田の戯曲は唐十郎に似て、戯曲そのもので完成されているが、寺山の戯曲はあくまでそのイヴェントとしての演劇の設計図に過ぎない。それを読んでも寺山の演劇そのものは立ち上がらない。だが果たしてそのように割り切って区分けしてもよいのだろうか、と最近私は考えるようになった。
野田の初期の戯曲は、ともするとまるでルイス・キャロルのように語呂合わせと地口と駄洒落と、そうしたものが混然一体となっていてそれを翻訳することは困難かもしれなかった。だが寺山の戯曲は最初からヴォキャブラリーの厳密性や緻密さとは無縁である。トータルなイメージが先行していて、それは当初から存在するポリシーである。だがそうしたポリシーは、実は言葉ひとつひとつを繊細に動かして捏造する歌人としての寺山から湧出していたもののはずなのである。寺山の演劇はアクションでありフィクションであり、というよりむしろエフェクトである。その表面的イヴェントを指して陳腐だと否定した人もいた。が、それは深層を見ようとしないダイヴァーのようである。真相は戯曲の言葉の上にはなく、演じられた演劇そのものの時間の中にだけ存在していた。


文藝別冊 総特集 寺山修司 増補新版 (河出書房新社)
総特集 寺山修司 増補新版 (文藝別冊)




寺山修司・黒柳徹子
https://www.youtube.com/watch?v=AzuTY0Fl728&t=6s
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aikoのまとめ [音楽]

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近くに古本などを扱うリサイクルショップがあって、以前は何軒かあったんですが、皆つぶれちゃって最近利用しているのは1軒のみ。でもその店は歩いて行ける距離にあります。それでこの前、小西康陽の本を読んだことを書いたんですけど、DJに使うためにはシングル盤がいいんだというお話で、う~んそうかシングル盤か、シングル盤ならいいんですね、とCDシングルを買ってみたけれど嵩張るばかりで、音楽はすぐ終わってしまいますよね。もちろん小西先生が言っているのはアナログのドーナツ盤のことで、こういうCDシングルのことじゃないんです。わかってないなぁ。

いや、これはつまりわかってるんだけどわかってないフリしてるだけで、単なるシャレです。CDシングルっていうのは一種のプロモーション用というか宣材のような気もする。しかも昔のシングルCDっていうのは、すごく小さい直径 (8cm) で、長方形のパッケージに入っていたけど、さすがに最近見かけません。あ、でも先日タワレコで安斉かれんというポスト・ギャル系みたいなデビュー盤を無料で配っていましたがこれは小さなCDで懐かしさを感じました。懐かしいとは言っても新品の8cmCDを新品で買ったことはないんですけど。それなのにノスタルジアを気取りたいのか、いまさらって感じもするけど、こうしたムリムリはプロモの仕掛けとしては楽しいのかもしれない。タイアップしてるM・A・Cとしてはベージュ系のリップが売れてた頃のブーム再来を狙ってるのかもしれないけれど、う~ん。

ところでシングルCDの話ですけれど、これも初回限定盤とかあるみたいで、それだとDVDが付いていたりその他のオマケが付いたりしてなかなか面白い。そのリサイクルショップで、たぶんコレクターの人が手放したのだろうと思われるPerfumeのシングルがあったので10枚くらい買いました。写真集とかシールとかもそのまま入っていて、ほとんど新品というか、うち2枚は未開封でした。うわ、オトナ買いだとは思うんですが、でも1枚180円。ちょっと高いかな。昔は50円か100円だったのにぃ。

で、その中古CDの中に、これはシングルCDではないんだけれど、aikoの《まとめ》というのが棚に並んでいて、さすがに180円ではなかったのですが、これはどうもベスト盤らしい、ふたつあってひとつは赤い箱、もうひとつは青い箱で、これも面白いかもしれないと思って買ってみたのですがホントに面白かったのです。
その面白かったことというのはベスト盤の曲の入っているほうのCDじゃなくて――あ、もちろん曲もあのぐにゃぐにゃ屈折するaiko特有のメロディラインで楽しめるのですが――オマケに付いてるCDのことで、「aikoのオールナイトニッポン」 というタイトルが付いています。オールナイトニッポンという深夜の番組があって、aikoはそれを担当していた時期があったそうなんですが、それの再録ではなくて新たに、あたかも番組のようにして収録した録音がこのCDということらしい。
ただ私には弱点があって、というのは私は深夜放送というのを知らない。深夜のAMでそういう放送があったということは知識としては知っているんですが、実際に聴いたことはほとんど無いに等しいんです。深夜放送というのは受験勉強を夜にやっていて、それをやりながらラジオ聴いていたらラジオのほうが面白くて、結局勉強できなかったというような話をよく聞きましたが、そもそも私はオバカで勉強しなかったので。で、深夜放送を知らないということもそうだし、駄菓子屋を知らないというのもそうだし、あと何かなぁ、知らないことっていうのはとことん知らないのです。まぁよくあることといえばよくあること。ずっと日常的な家並みの道を歩いてきたのにカドを曲がったらそこはずっと向こうまで無機質な白い塀が続いているだけで風景が欠落してしまったような軽いショック、みたいな意外性というのか、そういうのが人間の経験とか記憶の中にもきっとあるんじゃないかと思うのです。
ですからこういうフェイクな深夜放送みたいなのを聴いてもこれが果たしてその当時の再現なのか、それともちょっと違うんじゃないの、と思うのかが私には判断できなくて、それを実際に知っている人とそうではない人とでは受け取りかたにきっと差があるんだろうと思います。

その内容としては、aikoの曲もちょっとはかかるしジングルみたいなのもあるんだけど、でもほとんどはひとりで喋ってる。そのときBGMがかかってるわけではなくて、ただ喋っているだけのその背後にシンとしたスタジオの空気感が存在しているのが伝わってきて、その音にあらわされない空気感がよくて、これは夜っぽいなとも思いますし、オンエアという言い方をしますけど、あぁ、エアなんだ、つまり言葉が電波に乗って空気中を伝わってラジオで受信されるという魔法のようなシステムが実感できます。っていう素朴な感想がまるでオコチャマ。
(TVっていうのはたとえニュース番組でも常に背後がざわついていて、ほかの番組だともっとそう、常に音楽やざわめきや何かがあって、つまりノイズの上に乗った言葉がある。でもラジオはそうではない。)
でも一日経つと、何が話されていたのか全然記憶に無くて、ただ面白い話だったなぁとか、大阪弁メチャいいなぁとかそういう印象だけが残っていて、だからそれがAMの味なのかもしれないとも思います。FMの音のほうがきれいだけど、FMの音には何かのキモチワルイ成分も少し入っていてAMにはそれがなくて庶民的です。
話されている内容は結局どうでもいいのかもしれない。たとえばお得なランチとか安い居酒屋での集まりとか、そこでの話はきっとほとんどがどうでもいいことで言葉はことごとく空気の中に消えてゆく。でも残るべきことというのはたぶんもとからそんなに無いんだ、と思うと、記憶なんてどうでもいいんだと思えます。来る日も来る日も前の日の繰り返しのようで、そのうちにどんどん時が経っていってこれは魔法というより騙されているだけなのかもしれないと思いながら時は経ってしまうものなのだから。


aikoの詩。(ポニーキャニオン)
aikoの詩。(初回限定仕様盤 4CD+DVD)




aiko/横顔
https://www.youtube.com/watch?v=Cd3xak-bpg8

2002.09.07 POP JAM
https://www.youtube.com/watch?v=_Jj06KKZCis

尚、現在販売されている《まとめ》の通常盤にはaikoのオールナイトニッポンは収録されていません。
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ルツェルンのユジャ・ワン [音楽]

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Yuja Wang

ユジャ・ワンの別の演奏を探していたとき、たまたまYouTubeで見つけたプロコフィエフがあったのでそのことについて書いてみたい (尚、前回書いた簡略な記事はこれである→2018年05月12日ブログ)。
ユジャ・ワン (Yuja Wang, 1987-) は中国人のピアニストであるが、かなり多くの録音がリリースされていてとても追い切れない。彼女はテクニックのことばかりが言われるが、問題はテクニックではなく、難曲の中からどのようにその作品のテーマを、あるいは情感を汲み取れるか否かにある。

プロコフィエフの〈トッカータ〉(toccata d-moll, op.11) は1912年、まだサンクトペテルブルク音楽院に在学中の21歳のときに書かれた小曲である。1912年にはピアノ・コンチェルト第1番 op.10、ピアノ・ソナタ第2番 op.14などが書かれているが、それらは若きプロコフィエフの才能が開花し始めた頃であるとともにロシア帝国の末期であり、それ以後の彼の一生を考えると、最も幸福な音楽環境の時代だったといえるのかもしれない。1917年にロシア革命が起こり、ロシアはソヴィエト連邦となるが、共産主義とは文化芸術を蹂躙するだけの政治体制であり、それは彼の死まで継続してその才能を阻害した。

プロコフィエフの〈トッカータ〉はシューマンの〈トッカータ〉に影響されて作られた曲だという。どちらも急速ないわゆる常動曲で、延々と積み重ねられてゆくリズムの動きと全体の佇まいが確かに似ている。だがもちろんプロコフィエフのほうが現代的であり、無調に近い。
どちらも短い曲でありインパクトがあるので、アンコール曲とするのには好適である。シューマンの場合、唯一、繰り返し出てくる明確なメロディのようなものがあるが、その弾き方でピアニストのスタンスがわかるような気がする。シフラはそのメロディを大切に叙情性をこめて扱うが、ポゴレリチだと他の部分とそんなに分け隔て無く、均等に弾いてしまう。リズムに対する感覚もシフラとポゴレリチは対照的で、シフラは全体的に流麗、ポゴレリチは棘がある。私の感じ方では、シフラには 「シューマンなんだからこのくらいの感じで」 とする予めの意図があり、ポゴレリチには 「シューマンでも現代曲でも同じじゃん!」 とする均質化の認識があるように思える (もっともポゴレリチは現代曲や現代曲に近い曲は弾きそうにない。なぜなら古典を弾いても現代曲風だからなのだが)。

さて、ユジャ・ワンのプロコフィエフの〈トッカータ〉だが、下にリンクしたのは2018年ルツェルン音楽祭におけるライヴで、プロコフィエフのピアノ・コンチェルト第3番の演奏後のアンコールの映像である。彼女は繰り返しプロコフィエフのコンチェルトを演奏しているので得意曲だと思われるが、同じプロコフィエフを得意としているピアニストにエル=バシャがいて、そのエル=バシャの同じ曲を較べてみると面白い。エル=バシャのほうが音の輪郭がかっちりとしていて厳格だが、しなやかさではユジャ・ワンのほうが聴きやすくて心地良さがある。
かつてエル=バシャの弾いたプロコフィエフのソナタ第2番を聴きながら、私は同曲のリヒテルの弾き方について不満があると書いたが (→2012年06月17日ブログ)、もっと言えばリヒテルってこの曲がわかってないんじゃないの? というくらいの疑いだったのだが、逆にいうとどんどん現代的に弾いてしまうと、このプロコフィエフに付随していた時代の色彩がふり落とされてしまうのかもしれない、とも今になると思う。だが同時にそんな時代の古びた色彩など消し去ってしまったほうがいいと考える自分も同時にいて、なぜならプロコフィエフの作品はそれだけで自立しているのだから歴史という泥臭い幻影など不要だとも思うのだ。

そしてユジャ・ワンのピアニズムには余裕があって、だからこの複雑でわかりにくい曲想から立ちのぼってくる香気が、若きプロコフィエフの言葉を紡ぎ出しているようにも聞こえる。プロコフィエフのほうがショスタコーヴィチよりわかりやすいのは、彼がショスタコーヴィチほど屈折していないからだろう。
バルトークの弦楽四重奏曲がベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲に対するオマージュであることは、全く関連性の無いような印象を持ってしまうかもしれないのにもかかわらず自明のことであるが、そこに存在するバルトークの屈折した心情とは異なり、このシューマンとプロコフィエフのトッカータの近似性はもっと具体的で、それは単純なテクニックの積み重ねによるメカニカルな表現が、作曲家の抽象性への美学に対する共有感覚として同一だからである。
そうしたアプローチは若きプロコフィエフがその後に経験することになる革命という名の愚劣で悲惨な状況の裏に潜むくだらなさとか、その後のジダーノフ批判というような痴呆的で愚鈍な腐敗をあらかじめ無意識的に予想し無化していたように私には感じられるのだ。音楽は政治性という醜悪な圧力には無力であるが、それゆえに醜悪になろうとする素地を持たない。

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Abbado, Wang/Lucerne Festival, Mahler, Prokofiev (Euroarts)
Lucerne Fest / Mahler Sym 1/ Prokofiev Piano Cto 3 [Blu-ray]




Yuja Wang/The Best & Rarities (Deutsche Grammophon)
Best & Rarities




Yuja Wang/Prokofiev: Toccata op.11
As broadcasted by ARTE TV. Lucerne Festival 2018
https://www.youtube.com/watch?v=AVpnr8dI_50

Abdel Rahman El Bacha/Prokofiev: Toccata op.11
https://www.youtube.com/watch?v=XYFpfFsbshk

《参考》
Ivo Pogorelić/Schumann: Toccata op.7
https://www.youtube.com/watch?v=EUHobIa3TL0

György Cziffra/Schumann: Toccata op.7
https://www.youtube.com/watch?v=NncHj0BKCps

《参考の参考》
Yuja Wang/The Best & Rarities (アンコールなどのベスト盤)
https://www.youtube.com/watch?v=yIAk61xEZ80&list=PLkLimRXN6NKxB7z1YvaIxkEWWjatj4Oi9
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フランソワ・クープラン《Les Nations》 [音楽]

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François Couperin

バッハの時代以前に遡ることへの私の興味は、リチャード・パワーズの『オルフェオ』がきっかけである。主人公エルズと彼の幼なじみだったクララは大人になってからイギリスで再会するが、もはや彼女は新しい音楽への興味を持った才気煥発な女の子ではなく、バロックとバロック以前の古風な音楽に絡め取られていて、エルズは彼女から神々しさが失われていると感じる。古風な音楽は一種の迷宮であり、そこに深入りし、奏でられる音楽をエルズは 「永遠に忘れ去られていたかも知れない不揃いな真珠」 と形容する。それは幻滅と訣別を意味し、エルズはクララを捨て去るのだが、クララの神々しさを失わせた音楽の迷宮とはなにかということに私はかえって惹かれたのだった。クララが輝きを失ったのは、その生命を古楽に吸い取られたからである。では彼女を形骸化してしまった魔の音楽とは何だろうかというのが私に与えられた命題のように思えた (パワーズ『オルフェオ』については→2015年10月23日ブログ参照)。

だがスウェーリンクもそうだしシャルパンティエもそうだが、そんなに簡単に答えは出ない。シャルパンティエからマラン・マレへと視野が広がっていくことによって闇はさらに曖昧になり、深い森はさらに深くなる (マラン・マレについては→2019年05月01日ブログ参照)。そのラインハルト・ゲーベルのアルヒーフ盤《Le Parnasse français》のセットの中にあるクープランを聴く。以下は初心者バロック・ファンのひとりごとなので、見当外れなことがあってもご容赦のほど。

フランソワ・クープラン (François Couperin, 1668-1733) はフランスのバロック期の作曲家で、J・S・バッハ (1685-1750) よりやや前の人である。でもクープランというと、クープランより《クープランの墓》のほうが有名なのかもしれないという危惧もある。
ラヴェルの《クープランの墓》の中には〈リゴドン〉という曲があって、あたかもセリーヌのようだが、ラヴェルの命名は昔の舞曲配列のイミテーションであり、そしてリゴドン (rigodon あるいは rigaudon) には鐘の意味もあるという。同じラヴェルの曲にある〈鐘の谷〉の cloche とはどう違うのだろうか。というようなことは単なる些末な連想に過ぎないのでどうでもいいことなのだが。

クープランでもっとも重要で有名なのはクラヴサン曲集であるが、ゲーベルのセットに収録されているのは《Les Nations》(1726) という室内楽であり、それは4つの組曲からなっている。ordreという序数を使い、1er ordreから4e ordreまであるが、それぞれが La Françoise, L’Espagnole, L’Impériale, La Piémontaise と名づけられているのがまさにレ・ナシオンであって、しかしこれらは以前に書かれたトリオ・ソナタが元になっているとのことである。1erがトリオ・ソナタ《少女》(La pucelle, ca,1692)、2eが《幻影》(La visionnaire, ca.1693)、4eが《アストレ》(L’Astrée, ca.1693) に対応する (1er ordreがwikiではLa Françaiseと表記されているが、アルヒーフのパンフレットでもIMSLPの楽譜タイトルでもLa FrançoiseとなっているのでLa Françoiseとする)。

構成はどの組曲もほぼ同様で、最初に比較的長めのソナタが置かれ、その後に舞曲が Allemande, Courante, Sarabande といった伝統的な順序で配列される。ただ、クーラントの後にはスゴンド・クーラントがあり、組曲終結部はGigueで終わったりMenuetだったり、定型的ではない。2eのL’Espagnoleの場合、終曲はPassacailleだ。しかし1erでは7曲目にChaconne en Passacailleがあり、その後、Gavotteがあり、Menuetで終わる。
それよりも認識を新たにしたのは、パッサカイユ (つまりパッサカリア) が、たとえばバッハの《パッサカリアとフーガ》を聴いて知っているようなパッサカリアかと思うと、全くそうしたパッサカリア的曲構造を備えてはいないことである。それは定型的な舞曲の曲名とその出現順である Allemande → Courante → Sarabande の流れを聴いても、バッハのようにそれぞれの舞曲がその舞曲特有の基本パターンを備えていて、それを展開させるという技法とはやや異なるのではないか、という印象を受けたのである。
話がわかりにくいかもしれないので、パッサカリアを例にとると、バッハの場合、パッサカリアは低音にテーマの繰り返しがあって (オスティナート)、その執拗なルフランの上に異なる幾つもの変奏が乗って行く構造であるというようなイメージがある。しかし、クープランのパッサカリアは、これパッサカリアなの? というように、どこがパッサカリアなのかがわからない。それはバッハのパッサカリアのような特徴的なクリシェが出現しないからなのである。
しかしそれは間違いであることがわかってきた。つまりバッハのパッサカリアはバッハの提示したパッサカリアであって、それは一般的に示されるパッサカリアではないのだ。パッサカリアはシャコンヌ (チャッコーナ) と対比して考えられる変奏曲の形式に過ぎず、パターンそのものの定義はもっと緩いものであるように思われる、というのがとりあえずの私の理解である。

ja.wikiのアルマンドには次のような解説がある。

 16世紀のフランスでは 「地面に足をつけた中庸の遅さ」 (トワノ・アル
 ボ 「オルケゾグラフィOrchésographie」 1589年) の2拍子のダンスで、
 組になった男女が列を作って進みながら踊るダンスであった。パヴァー
 ヌに似ているが、それよりは若干速いとされる。この時代のアルマンド
 のダンスは、アルマンド本体、retourと呼ばれる同じリズムの部分、そ
 れに続き拍が3分割されるクーラントと呼ばれる部分で構成されていた。
 イタリアに移入されたこのダンスも、同じようにアルマンド本体と3拍
 子のコレンテ、またはサルタレロなどが組になっていた。

コレンテはクーラントのイタリア語読みであり、この解説によるとアルマンドとクーラントはセットとして考えられていたように思われる。fr.wikiには 「Dans la suite de danses baroque, l'allemande occupe en général la première place avant la courante;」 とあり、en.wikiのアルマンドの項にも 「paired with a subsequent courante」 と記述がある。

少し前にヴィヴァルディを聴いていて、通俗的だと今まで思っていた音の中に何か異なる意味があるようなことに突然気がついた。イタリア・バロックもフランス・バロックも、延々と同じパターンの繰り返しのように聞こえて変化がない、と私は思っていたのだが、その微妙な変化しかないことこそがラテンのバロックなのだ。ドイツは、特にバッハは、その論理性で楽曲を明快に構成し変化させ築き上げる。だからアルマンドとクーラントも区別がつくように切り分けられている。だが、たとえばクープランはそうではないのだ。単純な符割りのように思えてそこに複雑なリズム感覚が存在している。アウフタクトのようにして始まりながらいつの間にかそれが解消され、どこからかまた変わってゆくような眩暈のリズム。でもそれは意図して作り上げた錯誤のリズムではない。拍動は必ずしも一定しないこと、つまり縦線の存在が弱いのだ。だからそれが2拍子であっても3拍子であっても、その差異を寄せ付けない何かがあるような気がする。緩いのだけれどだらしなく緩いのではなく、バッハ以降の厳密な感覚とは異なるゆるやかな縛りをそこに聞くのだ。


Reinhard Goebel/Musica Antiqua Köln
Le Parnasse français (Archiv)
Various: Le Parnasse Francais




Les Ombres/François Couperin: Les Nations (ambronay)
F.クープラン: 諸国の人びと - 3声の合奏のソナタと組曲(全曲) (Francois Couperin : Les Nations / Les Ombres - Margaux Blanchard, Sylvain Sartre) (2CD) [輸入盤]




Les Ombres/François Couperin: Les Nations,
premier ordre ”La françoise”
Chaconne en Passacaille
https://www.youtube.com/watch?v=ELMFYdZuvM8

Reinhard Goebel, Musica Antiqua Köln/
François Couperin: Les Nations (1er et 2e 全曲)
Chaconne en Passacaille は15’55”~
https://www.youtube.com/watch?v=seM902c432Y
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小西康陽『わたくしのビートルズ』を読みながら [音楽]

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さて、小西康陽の『わたくしのビートルズ 小西康陽のコラム1992-2019』を読んでいて、実は最後の日記の部分をまだ読み終わっていないのだけれど、簡単に感想を書いてみよう。

小西康陽は作詞・作曲・編曲家であり、ミュージシャンでありプロデューサーであり、こうした文筆家でもあり、そのバンド 「ピチカート・ファイヴ」 は有名なのか、それとも知る人ぞ知るなのか、つまりオーディナリーなのかカルトなのか、世間的な評価はどの程度なのだろう。
でも、あんなところにもこんなところにも名前のある才人である。たぶん一番有名なのは、本人も書いているが〈慎吾ママのおはロック〉だろう。この曲の作詞・作曲・プロデュースが小西康陽である。
ただ、この本を読んでいると、DJに対するマニアックでものすごく深い入れ込みように驚く。DJという作業そのものに私は無知なのだが、音楽をその場の空気に合わせて次々とつないてゆくのはテクニックというよりもインスピレーションとセンスで、単純に曲を垂れ流しでかけてゆくのとは違うのだということがわかる。

小西のもうひとつのこだわりは最近になって嗜好が復活し、再び見始めたという映画で、その2013年から始まる映画メモによれば、年間500本以上、最も多いのは2014年に726本を観ていて、そのほとんどが日本の古い映画であり、しかもいわゆる名画座のスクリーンでしか観ないのだそうである。自宅でDVD等を鑑賞するのではないのだ。
私は異常に映画を観ない人間なので、小西康陽のタイトルリストは暗号のようにしか読めないのだが、おそらくその沈潜度に対する世間的評価はカルトなのだろうと思われる。

いわゆる渋谷系といわれる音楽に対して私は最も遠い位置にいたし、ピチカートに対してもところどころのポイントでしか知らないし、CDもユーズドで何枚か聴いただけだ。これではいけないと思ったので最近再発された1stの《couples》はCDもLPも持っている (だけではダメなんだけれど。だんだんと遡って買いますのでお許しを)。たまたま《couples》だったのに過ぎない。だから以下は、不失者ならぬ不案内者による感想であることをあらかじめおことわりしておくのである。

DJにおける小西康陽のこだわりは7インチアナログ盤である。アナログ盤でしかかけない、というポリシーがあるようで、いわゆる45回転のドーナツ盤である。しかも、どうも国内盤がいいらしい。ドーナツ盤という言葉を久しぶりに聞いたような気がして、でもドーナツから連想してしまうのはオサムグッズだったりして、でもオサムグッズそのものが懐旧的過ぎるがそんなことはどうでもよくて、ドーナツ盤の利点はただひとつ、穴が大きいのでターンテーブルに載せやすいというのがある。
レコードの扱いにうるさい人は、LPの中心の穴をスピンドルにぐにゅぐにゅと探ってストンと落としたりするやり方を 「ヒゲ付けちゃダメ」 と嫌うが、ドーナツ盤ならその心配もない (言い訳だけど)。
ジュークボックスというレコード再生機に使われていたのもドーナツ盤で、といってもリアルにジュークボックスという機械を私は2、3度しか見たことがないが、あの機械的な構造の不思議さと美しさがポピュラー音楽の原点のひとつにあるのかもしれないとも思う。

私にとって小西康陽が身近になったのは、ほとんどの評論家とかファンがけなすローリング・ストーンズの《サタニック・マジェスティーズ》を褒めていたこととか、この本の中のビートルズのマイベストの中に〈悲しみをぶっとばせ〉と〈ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア〉が入っていることとか、そういう些細な点で、この人信頼できると思ってしまったりするものなのだ (もっとも私が最初に〈悲しみをぶっとばせ〉を聴いたのは《ビーチ・ボーイズ・パーティ》で、他にも〈バーバラ・アン〉とか、あのアルバムは名盤です。持ってないけど)。
「真夜中のターンテーブル」 というエッセイには、自分がかけようとするシングルのリストが延々と続いているのだが、ザ・ビートルズ 「ペイパーバック・ライター」 のあとにピチカート・ファイヴ 「夜をぶっとばせ」 が続いていて、このへんのオシャレさがいいなぁと思ってしまう (p.174)。(念のためですが 「夜をぶっとばせ」 というのはストーンズのLet’s Spend The Night Togetherの邦題です。その邦題だけを借りたピチカートの曲です)。

それと冒頭の文章に出てくる南青山の嶋田洋書のこと。私には新しくなった移転先の店しか知らなくて、旧店舗は行ったことがあるのかどうか覚えていないが、そして新しい店でもほとんど本は買わなかったけれどあの佇まいが好きな店だった。原宿から表参道をあちこち寄り道して、最後に辿り着くみたいな憧れの店だったのに、でも良い店は必ず無くなってしまう。

どこを読んでも面白くてためになる本なんだけれど、気がついたところだけ書き抜いてみる。

 子供の頃に住んでいた渋谷区恵比寿・豊沢町のすぐ隣り、港区白金三光
 町では月に三度、九の付く日ごとに縁日があって、たくさんの夜店が並
 んだ。(p.53)

 食事のときに料理の写真を撮るのは行儀のよくないことだと知っている
 が、一枚だけ撮らずにはいられなくなってシャッターを押した。(p.55)

月に3回も縁日があるなんて極楽のような日々なのでは、と思う。「行儀のよくないこと」 という表現は私の亡くなった祖母も言っていたが、久しぶりに聞いた言葉で、そうだよなぁと心に沁みる。
私が東京都知事になったら東京の住所・町名を旧名に戻したいという言葉にも、さらっとした毒がある。確か小林信彦も同じようなことを書いていたが、なぜ行政は地名を無味乾燥な東西南北一二三みたいな名称に変換してしまうのだろうか。知性の無さがなせるワザなのだ。

 霞町、蛎殻町に笄町、田村町に箪笥町、鳥居坂町、一ツ木町、人形町に
 小伝馬町。あーあ、東京の地名は美しい。(p.245)

モニカ・ゼタールンドとスティーヴ・キューンのこと、Nice Girls Don’t Stay for Breakfastのジュリー・ロンドン、そしてチェルシー・ガールのニコのこと。うんうんと頷きながら読んでしまう (p.91, p.100, p.103)。

北野武映画の音楽に関する提言。

 それなら誰か北野監督に進言してくれないだろうか。あなたの映画は、
 音楽家に海外の巨匠を起用してもよいのではないだろうか。もっと重厚
 なスコアを書く人。少なくとも、オーケストラをデジタル音源で代用し
 ない音楽家。素晴らしい映画には、それなりの格調が必要だ。ひとが命
 を奪い合う映画なら、なおさらのことだ。(p.133)

かまやつひろしがまだ元気な頃、雑誌のインタヴュー記事から。かまやつさんは車にこだわりがあって、それもイギリス車が好きだったという。

 「昔ね、トゥイギーが持っていたっていうミニクーパーに乗っていたこと
 があるんです」
 「……鮮やかなグリーンのミニクーパーでした。内側はシートも中も真っ
 白でね。木が貼ってあるんです」 (p.155)

でもロンドンで撮影があって、そのとき、「撮影用のギターは当然ヴォックスの赤いティアドロップ」 がいいと言ったら、ロンドンにはレプリカしかない。「世界中の良い楽器はすべてニッポンのオタクが買い占めてしまった」 のだそう (p.151)。きっと日本のバブルがイギリスにまで影響してしまったのだろう。

山本リンダの〈きりきり舞い〉という曲について。作詞は阿久悠だが、小西康陽は阿久悠が嫌いらしい。それでこんなことが書いてある。

 ああ、近田春夫はこの曲を下敷きに 「ジョニーはご機嫌ななめ」 を作っ
 たのか、と気づくなら、よりいとおしく思えてくる歌だが、たった一行
 「祭が近いだけでも」 というラインの、祭、という言葉のせいで、ぼくは
 この歌をカヴァーするのをためらうだろう。(p.212)

祭という一言で山本リンダが一瞬、北島三郎になってしまうのだ。何と鋭い。
一方でゲンズブールの〈Je t’ame moi non plus〉を「この曲をただのヒップホップ/R&Bと理解することができた」 とも言っている (p.236)。う~ん。
そうした辛辣さは日記の中にもあって、たとえば、

 ザ・バンド 「南十字星」 や大瀧詠一 「GO! GO! NIAGARA」 を聴いた時
 のガッカリ感は一生忘れられない。 (p.328)

と書いたりする。はっぴいえんどを高く評価しながら、だからといって全てを絶賛というような一面性は存在しないのだ。
もうひとつ。日記の中に、

 フランソワーズ・アルディ 「私の詩集」 を聴いている。いつかこういう
 アルバムを作りたい、と思った直後に、もうこんなアルバムを作れるチ
 ャンスは無いだろう、と考えてしまう。(p.327)

アルディのこのアルバムのことは、以前に私も書いたことがあるが (→2015年03月16日ブログ)、さりげないこうした記述に、小西康陽に感じるシンパシィというか、むしろ尊敬の念は深まるばかりなのだ。

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わたくしのビートルズ 小西康陽のコラム1992-2019 (朝日新聞出版)
わたくしのビートルズ 小西康陽のコラム1992-2019




Françoise Hardy/La question (Virgin France)
La Question (Fra)




ピチカート・ファイヴ/東京の夜は七時(live)
https://www.youtube.com/watch?v=-wUeLbJy0zw

The Beach Boys/You’ve Got To Hide Your Love Away
https://www.youtube.com/watch?v=enmX8ToQRYg

Françoise Hardy/La question
https://www.youtube.com/watch?v=suHf_o5RQ-Q
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虹の彼方に [音楽]

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Livingston Taylor

小西康陽の『わたくしのビートルズ』という本を読み始めたのだが、ハードカヴァーの堅牢な本で、読んでも読んでも終わらない。なぜなら幾つものレイアウトで組まれていて、一番小さなフォントのページは4段組だったりするからだ。この、読んでも読んでも終わらないというのは私にとっては悦楽で、なかなか読み切れない本というのに魅力を感じる。書籍でも雑誌でもスカスカの中身だと買いたくなかったりする。文字がびっちり入っているほうがお得感もあると思う。これって貧乏性? でも『大菩薩峠』は読んでいないし、『グイン・サーガ』も30巻か40巻くらいまでは読んだのだが、ちょっとここどうなの? というラフな感じを受けた個所があってそこでやめてしまった。読書なんてそんなものなんだと思う。

でも『わたくしのビートルズ』はいわばエッセイ集だから、どこから読んでもいいし、好きなところだけ読めばよいので気が楽。といいながら最初からページ順に読んでいて、合間合間に読んでいるのでなかなか消化できないのだが、なんとか半分は過ぎた。1日かければ読めるかと思っていたのだが全然無理だった。
小西康陽のことは以前、市川紗椰のCDの記事で書いたことがあるが (→2015年07月13日ブログ)、その後、ピチカートを熱心に聴いたとか、そんなことはない。そんなことはないなんて書いたらとても失礼だが、渋谷系って私にはとてもオシャレ過ぎて近寄りがたいイメージがある。

この本については、読み終わったらまたあらためて書こうと思っているのだが、リヴィングストン・テイラーのことが紹介されていて、でも今読み返そうとしたらどこに書いてあったのかわからなくなってしまったのだが、そしてそのあたりの音楽は私にとってはよくわからないジャンルなのだけれど、でもリヴィングストン・テイラーもケイト・テイラーもCDを買った覚えはある。リヴィングストンのアルバムはたまたま《Unsolicited Material》だったりする。

で、そのリヴィングストン・テイラーの若き頃でなく、もうかなり最近になってからの〈Over The Rainbow〉を歌う映像があって、これがシブいというか、とても美しい。晩年のレナード・コーエンなどと同じで、いや、コーエンはまだギラギラした何かの残滓を湛えていたがそういうのとは違う美学がリヴィングストン・テイラーにはあって、音楽の楽しさをしみじみと感じる。
〈Over The Rainbow〉は映画《オズの魔法使》(The Wizard of Oz, 1939) の挿入歌で、ハーバーグ/アーレンの作品。ほとんど誰でも知っているスタンダードである。1939年はタイプ41を設計したジャン・ブガッティが亡くなった年だということを脈絡もなく思い出したりする。

原作のライマン・フランク・ボーム (Lyman Frank Baum, 1856-1919) はハヤカワ文庫の佐藤高子訳で読んだが、それまでは 「オズの魔法使い」 の内容を全く知らなくて、怖い内容なのかもしれないと思っていた。訳文もすぐれているが、新井苑子のシンプルな線の挿絵も美しくて愛読していた。

〈Over The Rainbow〉は映画の《オズの魔法使》の中でジュディ・ガーランドの歌った曲だが、小西康陽の本の中にモニカ・ゼタールンドのことが書かれている個所があって、ジュディ・ガーランドもモニカ・ゼタールンドもその悲劇的な最期に関しては共通するものがあって、それを思うと心がしんとする。


わたくしのビートルズ 小西康陽のコラム1992-2019 (朝日新聞出版)
わたくしのビートルズ 小西康陽のコラム1992-2019




Livingston Taylor/Good Friends (Chesky Records)
Good Friends




Livingston Taylor/Over The Rainbow
https://www.youtube.com/watch?v=i5ZjWkUFnTg

Judy Garland/Over The Rainbow
https://www.youtube.com/watch?v=1HRa4X07jdE
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