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それはスポットライトではない ― カルメン・マキ [音楽]

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カルメン・マキ (dot.asahi.com/2019.4.24より)

〈それはスポットライトではない〉(It’s Not the Spotlight) は1973年にジェリー・ゴフィンとバリー・ゴールドバーグによって作られた曲である。本人たちの歌唱をはじめとして、何人もの歌手たちによってカヴァーされているが、日本では浅川マキが日本語詞にしてアルバム《灯ともし頃 MAKI VII》(1976) に収録された。〈それはスポットライトではない〉の英語詞部分を歌っているのはドラマーのつのだ☆ひろである。西荻窪アケタの店における録音であるがライヴではない。まだ売れる前の坂本龍一がオルガンで参加していることでも知られる (ジェリー・ゴフィンはキャロル・キングの最初の夫であり、初期作品のパートナーである)。

数日前、キアロスタミの《ライク・サムワン・イン・ラブ》の記事を書いてから、〈硝子坂〉という曲が気になってYouTubeなどを含め、いろいろと聴いていた。高田みづえといえば〈硝子坂〉と並んで思い出されるのが〈私はピアノ〉である。
そうやって聴いているうちに連想がメタモルフォーゼして、なぜか〈私は風〉に辿り着いてしまった。〈私は風〉はカルメン・マキの1978年の作品である。カルメン・マキはいわゆるフォーク系の歌手であったが、のちにロック系の曲へと志向が変わってゆく。そしてカルメン・マキも浅川マキも寺山修司と関係が深いのが共通している。
カルメン・マキを私はあまり知らないのだが、何かのきっかけで1978年のライヴ盤を聴いていたときがあって、〈空へ〉と〈私は風〉だけは 「重い曲だなあ」 と思いながらも、繰り返し聴いていたような気がする。

そのカルメン・マキの歌っている〈それはスポットライトではない〉に引き込まれてしまった。《CARMEN MAKI 45th Anniv. Live》というBlu-ray/DVDに収録されている映像だと思われるが、このパワーはすごい。歌詞は浅川マキ・ヴァージョンだが、モノクロームで収録されているのも郷愁を誘う。
歌手によってひとつの曲が異なった貌を見せてくれる例のひとつである。

〈私は風〉についても別のヴァージョンがあって、それは中森明菜の歌唱である。中森明菜の〈私は風〉はカルメン・マキのパワーとは全く異なったアプローチによる表現であるが、それゆえに中森明菜の 「私の風」 なのだ。

浅川マキはCDの音を嫌い、生前はアルバムをCDでリリースすることに消極的であったという。デジタルな音への拒否反応であり、自分の音はそうではないという確信があったのだろう。それは現在に至るまで、まだ受け継がれているように思える。彼女の遺志である。
最近、アナログレコードが復権していて、CDとレコードとが並列してリリースされたりするのは、ノスタルジアだけでなく、そうした 「強い音」 への期待である。つまり浅川マキの選択は間違っていなかったのだと言える。


CARMEN MAKI 45th Anniv. Live (ZICCA RECORDS)
CARMEN MAKI 45th Anniv. Live ~Rock Side & アングラSide~ [2Blu-ray Disc+CD]




カルメン・マキ/それはスポットライトではない
CARMEN MAKI 45th Anniv. Live
https://www.youtube.com/watch?v=A2hVtGnRKNA

カルメン・マキ/私は風
https://www.youtube.com/watch?v=s93kMH_5syM

浅川マキ/それはスポットライトではない
京大西部講堂 1977年Live
https://www.youtube.com/watch?v=9ub9AscfikA

中森明菜/私は風
1994 Parco Theater Live
https://www.youtube.com/watch?v=fi25Q-PtVdk
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綻びと喪われた色 ― アッバス・キアロスタミ《ライク・サムワン・イン・ラブ》 [映画]

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高梨臨

《24 Frames》の短い予告編がYouTubeにあって、その映像はあまりにも美しく唯美主義に偏向しているようで、この作家の到達点を見た思いがした。だがそれは大監督だけに許された余興であり、唯美主義だけでは映画は成立しないはずだ。

キアロスタミの《ライク・サムワン・イン・ラブ》は、すべて日本人俳優により日本で撮影された彼の2012年の作品である。
最初のシーンは 「デートクラブ」 の室内。男女の声が交錯する酒席の喧噪の情景だが、カメラは固定されていて全く動かない。画面に電話で話している女の声が重なる。相手の声は聞こえず、話していることは不毛な堂々巡りで、しかもその声の主はなかなかあらわれない。
1’24”から始まった映画が2’16”になって、やっと声と映像が一致する。電話で相手と話しているのは明子 (高梨臨)、電話の向こう側の相手はのりあき (加瀬亮)。のりあきは猜疑心が強く、明子を問い詰めるが、それは明子がウソをついているからで、のりあきは明子が何をして働いているのかをはっきりと知らない。
明子の前に座っているひろし (でんでん) は、しきりに明子を誘っている。どこかに明子を行かせたがっているのだが、明子はおばあちゃんと会わなければならないと言って、それを承諾しない。この明子のしゃべっているシーンだけで、明子の現在の状況だけでなく、その性格までもがくっきりと浮かび上がる。カメラが動かないのにテンションが持続し、クリアで、これからのストーリー展開に引き込まれる。

明子はしぶしぶ、ひろしの紹介する客の家にタクシーで行くことになる。デートクラブというが、つまりデリヘルだ。暗いタクシー。暗い表情の運転手。窓外に映る夜の街の光彩が、滲みぼやけて美しい背景となり流れ過ぎる。
留守電にはおばあちゃんからのメッセージが幾つも入っている。おばあちゃんは田舎から急に出てきて、明子に会いたがっている。しかし明子が今、何をしているのか、少し疑念を持っている。明子はタクシーを待ち合わせ場所の駅前に寄り道させておばあちゃんがいることを確認する。だが降りない。タクシーに乗ったまま、ロータリーを二度回ってから、涙を拭いて客の家へと向かう。

客は元・大学教授で84歳になるたかし (奥野匡) だった。インティメイトな空間。本がたくさんある隠れ家のような部屋。たかしは明子に亡妻の面影を見出し、ワインを飲み食事をしようとやさしく誘う。だが明子は疲れていて眠ってしまう。
翌日、たかしは明子を通学する大学まで送って行く。待ち伏せしているのりあき。明子が授業に行った後、のりあきはたかしの車に乗り込んで来る。たかしは明子の祖父のふりをする。たかしは、真面目に明子との結婚を考えているのだが彼女が真剣に応じてくれないと訴える。そして祖父の歓心を引こうとしたのか、車の不調を見つけ、自分が経営する自動車整備工場で修理する。

しかしそれから少し時が経ち、ある日、そのウソがバレて明子からたかしに電話がある。たかしは車で彼女をピックアップしに行く。殴られたらしくケガをしている明子を自分の家に連れて行き、キズ薬を買ってきてつけようとする。
だが偏執的なのりあきが逆上して、たかしの家にやってくる。

ともかく美しい映像の映画だ。そして喋る言葉がとても自然で、日本語のわからない監督が、いかにしてそのようにセリフを言うように指示できたのかが謎である。
最初のシーンにおける、ずっと声だけがあってなかなか顔を見せないという手法が、クリシェのように繰り返し出現する。おばあちゃんの留守電に入れられた声が延々と続き、やっとのことでおばあちゃんの姿をカメラが捉えるシーンとか、たかしの部屋でベッドに行ってしまった明子がずっとしゃべっているのだが、そのベッドをカメラはなかなか映さないのとか、最後の隣人の女のシーンなど、同様である。

キアロスタミはトータルな台本を渡してしまうことをせず、毎日、このようなセリフでこういう演技をしてくれと指示するのだという。つまり俳優は自分が最後にどうなるのか、誰も結末がわからないのだ。

タクシーに乗っている明子のシーンがとても美しい。暗い車内と外に流れる街の光。それは歓楽街の輝きであるが、実は空虚な街である。飲食店と風俗店の建ち並ぶ通りは、客を引き付けようとする派手な看板や装飾の色彩に溢れていて、その色があまりに派手な色ばかりであるゆえに、かえって無彩色であるかのような錯覚に陥る。色の飽和が色彩を喪う。

明子のようなふしだらさ、優柔不断さを持った女と、それに対する暴力的な男というのはよくある構図で、そうした男女はくっついたり離れたり、微妙な立ち位置で棲息しているが、そのバランスが崩れると事件となってしまう。でもそれは最近よく報じられる各種の暴力的な事件の一端に過ぎない。ともすると暴力ばかりが目立ってしまうが、性的な節操のなさも暴力の変形に過ぎない。ウソは綻ぶ。それを繕おうとすると別の部分が綻ぶ。

元・大学教授の居心地のよさそうな部屋から私が連想するのは、大学教授という肩書きでいうのならばヴィスコンティの《家族の肖像》(1974) である。静かな生活をしている教授の家にやってくる闖入者。へどもどしながらその闖入者に対応しようとするイメージも同じだ。ヘルムート・バーガーが演じたコンラッドの性格のなかに明子とのりあきの両方の性格が共存している。
闖入してくる者の不条理に関しては安部公房の《友達》(1967) があるが、《家族の肖像》と同じように、価値観の違いとか、家族という言葉が持つ意味とはなにかという根本的な疑問が浮かび上がる。
だがヴィスコンティや安部公房の場合は、闖入されてしまった悲劇なのに対し、キアロスタミの教授は自らが招いた災厄なのである。とはいっても結果は同じなのであるが。

映画の最後に近いシーンで、今まで声だけで、車を駐める位置を変えてくれとか言っていたたかしの隣家の女が初めてその姿を見せる。窓から顔を見せて延々としゃべるだけなのだが、このシーンに違和感があってとても気持ちが悪い。なぜこのシーンがあるのだろうか。しかもその長台詞は突然断ち切られる。
私が連想したのはベケットの《勝負の終わり》(1957) で、それと共通した気持ち悪さが、もうストーリーが終わることを予感させる。つまりベケットにおける世界の終わりは、たかしにとってのゲームの終わりなのだ。しかもそのチェスは差し手の応酬ではなく、盤をひっくり返すという暴力的な方法によって終焉する。

〈Like someone in love〉という曲の邦題は〈恋の気持ちで〉だが、これはあまりよい邦題とは思えない。そして最初の歌が終わってから入るギターのメロディがちょっと奇矯だ。これも気持ち悪さの流れのなかにある。それより23’51”頃に出てくるタクシーの中で流れる〈硝子坂〉が印象的だ。明子はその曲が流れているとき、これからたかしの家に行くために、口紅を塗り直す。

 いじわるなあなたは
 いつでも坂の上から
 手招きだけをくりかえす
 私の前には硝子坂
 きらきら光る硝子坂

この歌詞、考えようによってはかなり気持ちが悪い。


アッバス・キアロスタミ/ライク・サムワン・イン・ラブ
(トランスフォーマー)
ライク・サムワン・イン・ラブ [DVD]




アッバス・キアロスタミ/ライク・サムワン・イン・ラブ 予告編
https://www.youtube.com/watch?v=tGqnDo1IpuM

アッバス・キアロスタミ/24 Frames 予告編
https://www.youtube.com/watch?v=FNSlQ9mmJ4M
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ユリイカの魔夜峰央を読む [コミック]

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春の夜。『ユリイカ』臨時増刊号の魔夜峰央特集を読む。というか、まだ読みかけである。最近の『ユリイカ』にしては珍しく、内容濃すぎるので。あ、それと目次が読みにくい。

口絵のラシャーヌのキャプションに、「魔夜のベタは印刷より美しいと評判であり、ビアズリーとの親和性が述べられる」 とあるが、黒味に偏ったモノクロの美しさはマンガというよりイラストレーションである。
他の個所にも書かれているが、そのベタが漆黒であるのは二度塗りしているからとのことで、そんなにしっかり塗らなくても印刷にすればムラは消えてしまうのだが、そこにこだわるのがマンガ家の常である。
作者自身も言っているが、魔夜峰央のマンガには動きがない。常に静止画である。

冒頭のインタヴューには今まで知らなかったことがいろいろ書かれていて (ファンなら既知のことなのかもしれないが、私はそれほどには知らないので) 大変に面白い。インタヴューを受けているのは魔夜本人と奥様である山田芳実。魔夜が超・愛妻家であることが読み取れる内容である。

話は生い立ちから始まるが、故郷の新潟の風景など、砂山のような場所に家があってそこに住んでいたのだそうである。別の記事によれば、新潟市が主催する 「にいがたマンガ大賞」 というのがあり、最終審査員としてやはり新潟出身である水島新司が担当していたが、途中からそれに加わり、現在は魔夜が最終審査員として継続中とのことである。

魔夜の作品における黒みのバランスは恐怖マンガに通じるものがあって、わかりやすい例だと楳図かずおだが、でも怪奇マンガについては、

 美内 (すずえ) さんや山岸 (凉子) さんの恐怖マンガはすごく怖いですよ。
 ジワッとくる嫌な怖さ、日本のホラー映画のような陰湿な感じですね。
 私もああいう怖いマンガを描きたかったんですが、どうやってもできな
 い。私のは 「怖くない怪奇マンガ」 です。(p.24)

という。ギャグマンガへと路線が変わったきっかけは『ラシャーヌ!』で、ラシャーヌは復讐神ビシュヌをビシューヌ→ラシャーヌとしたもので、反響はなかったが次の年のマンガ家のパーティで褒められたとのこと。特に木原敏江から褒めてもらったことを覚えているそうである。

奥様の発言によれば、背景にはパターンがあって、アシスタントは 「魔夜峰央バック」 を覚えなければならないのだとのこと。バラの花は池田 (理代子) 先生のバラが一番美しいので、それをアシスタントに学ばせる、と魔夜は言う。そしてバラが必要な場合は、エンピツで 「バラ」 と書いておくと、アシがそこにバラを描き入れるというシステム。アシスタント、結構大変そうです。

クック=ロビン音頭は、アシスタントが観てきた素人劇団の《ポーの一族》の中で、例のエドガーのセリフを元にして踊っていたというのを聞いて、それがヒントになったのだという。クック=ロビン音頭に関しては後のページに細馬宏道の詳細な考察があるが、クック・ロビンといわれても、当時の読者だったら原典のマザー・グースを連想するのではなく〈小鳥の巣〉のはず、というところから検証が始まっているのだけれど、細馬によればその翻訳における音律は北原白秋の訳詞に遡る、とある。そしてギムナジウムで行われようとしているシェイクスピアの『お気に召すまま』へと至る言及は面白い。(p.107)
ただ、マザー・グースのコック・ロビンはS・S・ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』(1929) に使われたことで有名であり、魔夜峰央は当然知っているだろうが、萩尾望都もおそらく知っていただろうと思われる。
魔夜の奥様の山田芳実はバレエ・ダンサーであり、宝塚が好きでよく一緒に観に行くのだそうだが、《ポーの一族》を魔夜は観に行けなかったとのことで、でもエドガー役の明日海りおの写真をパンフレットで見て、この人ならエドガー役をやっても納得できると思ったとのことである (p.41)。宝塚といえば『翔んで埼玉』(1982-83) の麻美麗は当時の宝塚のトップスター、麻実れいからつけたとのこと。でも了解はとっていないのだそうである。
これは関係ないと思うのだが、パタリロのアニメが放映されたのが1982年、大瀧詠一の〈イエロー・サブマリン音頭〉も1982年なのだ。音頭の年だったのかもしれない (なわけないか)。というか、そもそもクック=ロビン音頭の元ネタは三波春夫であるはず。

魔夜峰央は、本は大体、SFとミステリしか読まない、さらに日本のものは全く読まない、と言っている。そうだろうなぁと納得する。(p.36, p.80)

日高利泰の24年組に対する厳密な考証は大変参考になった。小長井信昌の24年組がニューウェーブであるとする論考を否定し、

 「二四年組」 と 「ニューウェーブ」 を等価なものとする用法はあまり一般
 的ではない。一九七〇年代後半のマンガ界における新しい動向を指すと
 いう広い意味では重なる部分はあるものの、一般にマンガ用語としての
 「ニューウェーブ」 は大友克洋を中核的な指示対象として用いられる。
 (p.62)

というのだが、ニューウェーブなる名称そのものを知らなかったので勉強になる。
さらに日高は24年組作家たちの少年愛、いわゆるBLな作品について『JUNE』が耽美というコンセプトを打ち出したのだというが、耽美のもつ本来の意味としての作品、つまりビアズリー的な黒の美学でありながらBL的テーマを持たないものとして山田章博の『人魚變生』をあげている。(p.63)

少しとばしてしまうが、芳賀直子の日本におけるバレエの受容に関する考察も大変面白い。日本におけるバレエ受容の特徴として、西欧においてはバレエはヒエラルキーのトップにあり、それに対してアンチ・バレエとしてのモダン・ダンスという対比があるのだとする。しかし、バレエが日本に入ってきた初期の頃は、バレエもモダン・ダンスも等しく西欧文化だったとするのである。(p.101)
そして、なぜ日本ではマンガがくだらないものであるとされてきたか、について、まず貸本屋時代のマンガという存在があって、そうしたマンガの中でのバレエの描かれ方は 「バレエはお金持ちの少女の趣味」 であるか、あるいは 「才能はあるけれどお金はない少女にとっての、成功するための手段」 としてのものだったというのである。
しかし、当時の貸本マンガに対する評価は 「良家の子女が読むものではない」 とされていた存在で、これがマンガという媒体に対する蔑視としてあったのだという。そうした結果として、

 バレエはマンガによって西欧での受容層と違った文化圏の人達、そして
 方法で広がったということです。(p.102)

のだというのである。そもそも私は貸本というシステム自体を知らないので何ともいえない。だが、貸本とか紙芝居とか、まだメディアが発達していなかったころの文化の伝播の状態というのは現在とは異なり、かなり異質なものであったのだろうということは想像できる。

魔夜峰央は40歳を過ぎてから奥様に習ってバレエを始め、それもかなり本格的なのだという。インタヴューから感じられるのは、なによりもパタリロなどで描かれる世界とは全く異質な明るい家庭の雰囲気であり、その落差に驚いたのだけれど、でもアヴァンギャルドでアートな人って、作品はアヴァンギャルドだけれど実はとてもアヴァンギャルドじゃない人というのはよくあることです。

とこのへんまで読んだ、ということでとりあえずおしまい。


ユリイカ 2019年3月臨時増刊号 総特集◎魔夜峰央
(青土社)
ユリイカ 2019年3月臨時増刊号 総特集◎魔夜峰央 ―『ラシャーヌ! 』『パタリロ! 』『翔んで埼玉』…怪奇・耽美・ギャグ―

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さらばシベリア鉄道 ― 太田裕美を聴く [音楽]

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春は夕暮れ。歌のカヴァーというのは面白いなと思いながらいろいろと聴いていた。そのうちにカヴァーではなくて、曲を与えられた歌手の歌唱と作曲者本人の歌唱の違いというのに興味が移って行く。作曲者がシンガーソングライターであった場合、これはもっと微妙だ。その歌の歌手と作曲者と、どちらがいいかという比較はしたくないが、ああこういうふうになるのかと常に思う。ジェニファー・ウォーンズとレナード・コーエンが良い例だ。

今回、聴き較べてしまったのは太田裕美の〈さらばシベリア鉄道〉である。松本隆・作詞、大瀧詠一・作曲の1980年の作品。実は今月号のサンレコの細野晴臣の記事を読んでいるうちになぜか大瀧詠一に変化してしまったのだ。思いつきも甚だしい (尚、サンレコの表紙は細野晴臣になっているが、一番興味深い記事は 「ボヘミアン・ラプソディの舞台裏」 である)。
〈さらばシベリア鉄道〉は大瀧詠一が歌おうとして、なんとなく歌詞に違和感があると思ってしまい太田裕美に提供。でも結局、自分でも歌ってしまったという経歴を持つ。最初に聴いたとき、このサウンドってスプートニクスかも、と思ったのだが糸井重里もそのように書いているし、フィヨルド7の〈哀愁のさらばシベリア鉄道〉という傀儡バンドのシングルもあったらしい。まさに大瀧詠一のやりたい放題であるが、このジャケットを見るとあきらかにスプートニクス・サウンドのパクリだと言っているのがわかる (これも聴いたことはないし、入手困難だろう)。

そこで太田裕美40周年ライヴという映像をはじめて観たのだが、これがなかなかいい (→A)。伊勢正三、大野真澄らをバックに、あまり凝ったことをせずにシンプルなステージングなのだが、人柄が滲み出ている。さらにもっと最近の2018年の映像は普通にストリングスを中心とした歌謡曲セッティングなのだが、これも変わらずいい (→B)。すごく簡単にいえば曲がよくて歌手がよければ、その曲はいつまでも色褪せない。

ではその当時はどうだったのかと探してみた。おそらくこのへんがリアルタイムの歌唱なのだと思うが、バックのオーケストラがものすごくショボくて、それが時代を感じさせてしまうのだが、ヴォーカルそのものは不動である (→C)。そしてもう少し後になってからと思われる歌唱がこれである。太田裕美、岩崎宏美、本田美奈子の3人による〈さらばシベリア鉄道〉である (→D)。

先日、大瀧詠一の1983年のライヴというのがリリースされたとのことだが、まだ未聴である。大瀧は《A LONG VACATION》(1981) というとんでもない大ヒット作があって、この前と後とでは待遇に格段の変化があったのだと思う。もっともその前から勝手なことをやっていたのが大瀧詠一らしいのだが。
そして太田裕美も語っているように、結局その大瀧のアルバムにも収録されることになった〈さらばシベリア鉄道〉を、そのちょっと前に彼女が持歌として歌ってしまったということが、不思議な縁であるし、でもそれは偶然ではなく必然だったのかもしれないと思う。

大瀧詠一と太田裕美が一緒に歌っている (といってもそれぞれにキーを変えているが)〈さらばシベリア鉄道〉というのも、非常に音質が悪い音源だがYouTubeにあった (→E)。でも本当は、もっときれいな音源があるはずだし、さらには映像が存在しているはずである。私はその映像を観たことがあるが、いまだに発売されない。きっと大瀧のアーカイヴは膨大なのだろうが、その映像は最後の砦なのだろうか。出し惜しみしないで欲しいと思うのである。


大瀧詠一/NIAGARA CONCERT ‘83 (ソニーミュージック)
NIAGARA CONCERT '83(初回生産限定盤)(DVD付)(特典なし)




GOLDEN☆BEST 太田裕美 コンプリート・シングル・コレクション
(ソニーミュージック)
GOLDEN☆BEST/太田裕美 コンプリート・シングル・コレクション




A) 太田裕美/さらばシベリア鉄道
太田裕美40周年ライブ 「音楽と歩いた青春」 2014.09.10.
さらばシベリア鉄道は 24’53”~
https://www.youtube.com/watch?v=vI4WWPrh7iE

B) 太田裕美/さらばシベリア鉄道 (2018)
https://www.youtube.com/watch?v=Ohh_pkz87u8

C) 太田裕美/さらばシベリア鉄道
8時だよ、全員集合
https://www.youtube.com/watch?v=cb_l24a73VU

D) 太田裕美、岩崎宏美、本田美奈子/さらばシベリア鉄道
https://www.youtube.com/watch?v=ra1u_7q79Kw

E) 太田裕美、大瀧詠一/さらばシベリア鉄道
https://www.youtube.com/watch?v=Xb4x1J62FN0

〈参考〉
ジョン・レイトン/霧の中のジョニー
https://www.youtube.com/watch?v=Z-rH1rtNFt8

スプートニクス/霧のカレリア
https://www.youtube.com/watch?v=bOMWrjSsLYg
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Nardis ― ビル・エヴァンスの残したもの [音楽]

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記憶を確かめるためにビル・エヴァンスのコペンハーゲン・リハーサル (オスロ・リハーサル) をYouTubeで探していたとき、見慣れない動画に行き当たった。それはごく家庭的な場所で演奏しているエヴァンス・トリオで、曲は〈Nardis〉だった。早速これは何なのか調べてみる。
すると動画はイルッカ・クーシスト (Ilkka taneli Kuusisto, 1933-) という作曲家のヘルシンキにある自宅で行われたセッションだということがわかってきた。クーシストはフィンランドの作曲家だが、wikiなどにはごく簡単な紹介文しかない。NAXOSなどにもリストがあることからわかるように、クラシック系の作曲家である (のだがwikiにはcomposer of popular operaとあって、どのあたりからポピュラーと規定するのかがよくわからない)。
エヴァンスの動画は画面の隅に表示されているYLE (Yleisradio, フィンランド国営放送/フィンランド放送協会) により1969年か1970年に制作されたものであるとのこと。こんなこと、知っている人は知っていて何を今さらなのだろうが、知らなかったのだから仕方がない。音源も動画もすでに発売されているのだが、年月の離れた複数のライヴの抱き合わせだったりすることがあって (このYLEの場合もそうなのだが)、しかも入手しにくいだろうし、分かりにくいことこのうえない。

興味を覚えたのは、ひとえに〈Nardis〉についてである。そして〈Nardis〉という曲は誰が作曲したのかというのが昔からよく知られている設問である。作曲者はマイルス・デイヴィスで、演奏として最初に収録されたのがキャノンボール・アダレイのアルバム《Portrait of Canonball》(1958) であるが、実は作曲者はビル・エヴァンスであるというのが巷間に流れている説である。
エヴァンス自身はそうした疑問に対して 「そんなこと、どうだっていいじゃない」 というような返事をしていたような覚えがある。

wikiには Nardis (composition) という項目があって、そこにはまさにこのイルッカ・クーシスト宅でのライヴ時のインタヴューが引用されている。

 [We’re gonna] finish up featuring everyone in the trio
 with a Miles Davis number that’s come to be associated
 with our group, because no one else seemed to pick up
 on it after it was written for a Cannonball date I did with
 Cannonball in 1958―he asked Miles to write a tune for
 the date [the album Portrait of Cannonball], and Miles
 came up with this tune; and it was kind of a new type of
 sound to contend with. It was a very modal sound. And I
 picked up on it, but nobody else did... The tune is called
 “Nardis.”
 ― Interview at Ilkka Kuusisto’s home, ca.1970, Bill Evans

これに拠れば〈Nardis〉はあくまでマイルスが作曲したものであると読めてしまうし、その前にある生成の経緯でもマイルスが作曲したものだということは繰り返し言われている。だが何となくグレーな感じが漂っているように私には思える。
さらに続けて英文を引用すると 「読むの面倒くさい」 と非難されそうなので、wikiに書いてあることとその他のいままでの情報や記憶から総合すると次のようなことが見えてくる。

この時期のマイルスの最も重要な作品は《Kind of Blue》(1959) である。このアルバムにおけるコンセプトはモードを使用したことであって、そのことによりジャズ史に残るアルバムという形容がされるのだけれども、ではモードとは何かといわれてもそういうのは音楽理論書を読んでもらいたいというしかないのだが、すごく乱暴に言ってしまえばモードはコードでなくスケール優先の概念であり、なぜならマイルスの楽器であるトランペットは単音楽器だからである。

wikiのNardisの項における解説ではマイルスの1955年から58年のクインテット (his First Great Quintetと表現されている) はジョン・コルトレーン、レッド・ガーランド、ポール・チェンバース、フィリー・ジョー・ジョーンズというメンバーであったが、これにセクステットと称してキャノンボールを加えていることもあって、つまりマイルスはキャノンボールを気に入っていたのに違いないと思えるのである。
なぜなら、1958年の《Portrait of Canonball》(1958年07月01日録音) の前に《Somethin’ Else》(1958年03月09日録音) というブルーノートの超有名アルバムがあるのだが、これはキャノンボール・アダレイのリーダーアルバムということになっているけれど、誰が聴いてもマイルスのアルバムである。それはマイルスがキャノンボールのアルバムを乗っ取ったということではなくて、キャノンボールに花を持たせたと考えたほうがよい。もっとも契約上の制限があってブルーノートからマイルス名義でリリースできなかったという事情もあったのだそうだが。

だがその後のアルバム《Portrait of Canonball》にマイルスが提供した〈Nardis〉をマイルスはあまり良いとは思っていなくて、それを気に入って自分の曲のようにして繰り返し演奏したのがビル・エヴァンスだということになっている。でもNardisというのはSidranを逆さまに読んだ言葉で、なぜならベン・シドランにマイルスが贈った曲なのだというのだが、もしそうだとしたらキャノンボールとしては面白くなかったのかもしれない。オレにくれるならLlabnonacなはずだ、という意味である。一方、ビル・エヴァンスは 「こんなヘンな曲、誰も演奏なんかしねーよ」 みたいに思って (なんてwikiには書いていないけれど) 自分のものみたいにしてしまったという顛末なのである。
でも、これらの話は全てマイルスが〈Nardis〉を作曲したということが前提となっている。だが私が気になるのは〈Nardis〉のテーマの3~4小節目の、メロディが屈折しながら下がっていく部分であって、このイカレた屈折の仕方はエヴァンスがよく弾いていた自身のテーマの変なリズム感を想起させるのである。
前に述べたコペンハーゲン・リハーサルでもそのテーマ曲におけるリズムのとりかたをドラマーのアレックス・リールに説明している個所があるが、リールは現地の、いわゆる臨時雇いのドラマーであるから、エヴァンスがこの曲ってこうなんだよ、と説明したのだろうと思える。

さて、wikiのNardisの項の解説に戻ると、1958年にマイルスはレッド・ガーランドのかわりにビル・エヴァンスをピアニストにしたが、それは8カ月しか持たなかった。それは (wikiには書いてないけれど) 黒人グループの中における 「白人差別」 だったという。つまり 「白人なんかにオレたちのジャズなんか、わかりゃしねーよ」 という蔑視である。だがマイルスにはそうした差別意識が無かった。無かったというより、音楽を演奏するのに優秀か優秀でないか、それだけで判断したのである。すぐれたミュージシャンに白人も黒人も有色人も無い。マイルスはそう思っていた。それで肝心の《Kind of Blue》をつくるとき、エヴァンスを呼び戻すのである。マイルスのモードというコンセプトを一番理解していたのは、たぶんエヴァンスだったのに違いなくて、だから自分のコンセプトを補強するためにエヴァンスに頼ったのである。
《Kind of Blue》に収められた5曲の作曲者は3曲がマイルス・デイヴィスだが、〈Blue in Green〉と〈Flamenco Sketches〉はマイルスとビル・エヴァンスの連名になっていることからも、その理論的な重さがわかるのである。2曲目の〈Freddie Freeloader〉だけキャノンボール・アダレイが加わって、ピアニストもウィントン・ケリーなのだが、それはこの曲が〈So What〉が終わった後の 「箸休めの曲」 であることをあらわしている。

ということから考えると〈Nardis〉はマイルスとエヴァンスの共作というふうに考えるのが妥当なところかもしれない。
その〈Nardis〉のビル・エヴァンス・トリオにおける初出は《Explorations》(1961) だと思っていたのだが、現在あるディスクでいうのならばフレッシュサウンド盤の《The Legendary Bill Evans Trio》(1960) のライヴ録音が最初のようである。Jazzdisco.orgによれば1960年4月30日と5月7日、バードランド、NYCとある。
そして〈Nardis〉の最も印象的な演奏のひとつとして《at the Montreux Jazz Festival》(1968) があげられる。ドラムスはジャック・ディジョネットであり、鋭角的でしなやかなテーマの提示からドラム・ソロに繋がれるが、ディジョネットのソロはこの時期としては斬新であるし、ホールトーンの心地よさとともにその日の雰囲気が感じられる秀逸なライヴである。

そしてやっと辿り着いたのがYLEのクーシスト家における演奏だが、記録として残されているのは〈Emily〉〈Alfie〉〈Nardis〉の3曲である。パーソネルはエヴァンス、エディ・ゴメス、マーティ・モレル。録音日は1969年末から1970年のはじめ。1970年という記述のほうが多いが、YouTubeの〈Emily〉の動画にはHelsinki 1969とあり、注釈にも1970 (or 1969) と書かれている。この日の前後を前述のjazzdiscoでクロニクルに追ってみると、

Bill Evans Quartet With Michel Legrand Orchestra
Bill Evans, Fender Rhodes electric piano, Steinway piano; Sam Brown, guitar; Eddie Gomez, bass; Marty Morell, drums; unidentified brass, woodwinds and strings, Michel Legrand, arranger, conductor.
San Francisco, CA, October 14 & 21, November 13, 1969, March 26 & 28, April 23 & 29 & May 1 & 20, 1970

Bill Evans Trio
Bill Evans, piano; Eddie Gomez, bass; Marty Morell, drums.
“Jazzhus Montmartre”, Copenhagen, Denmark, November 24, 1969

Bill Evans Trio
same personnel.
Amsterdam, Netherlands, November 28, 1969

Bill Evans Solo
Bill Evans, piano.
television broadcast, unknown locations, 1969

Bill Evans Trio
Bill Evans, piano; Eddie Gomez, bass; Marty Morell, drums.
“Village Vanguard”, NYC, February 15, 1970

となっている。つまり1969年11月13日まではニューヨーク、11月24日にコペンハーゲン、11月28日アムステルダム、そしてソロのunknownは除外して (リストの作り方として、その年の最後に不明日のセッションを羅列している編集方針だからである)、その次が1970年2月15日のニューヨークだから、ヨーロッパに滞在していた11月末から翌年2月までの間の日ということになるのだが、そんなに長い間ヨーロッパにいたのだろうか、というふうに考えてみた場合、1969年の11月末からせいぜい12月頃までというのが妥当なのではないかと考えると、日付的には1969年なのではないかと思う。ただもちろん記録がないのでなんともいえない。

この日の〈Nardis〉は、それまでの演奏とは違って、いきなりテーマに入らずピアノの前奏がある。このように前奏をつけることはその後、常態化したように思える。テーマはモントリューよりも速く、手慣れていてややラフでぶっきらぼうのようにも思えるが、そうすることがかえってソフィスティケイトなスタイルなのだと言っているかのようでもある。それとモントリューの同曲と較べても、全体的に明らかにアプローチが異なっていてそれは言葉にしにくいのだが、一種の凄みが感じられる。凄みというか、特にこのクーシスト家での録音はエヴァンスが喋っている部分もあるので、その話しぶりのなかに感じられる音楽への自信と同時に、かすかに伴われ始めた退廃のにおいである。
もうひとつ、この演奏で感じられるのはドラムソロにおけるマーティ・モレルの素晴らしさである。ドラムソロの構築としては古いタイプに属するのかもしれないが、上半身がほとんど動かない姿勢のままで繰り出されるそのきめの細かいドラミングは全然衒いも思わせぶりもないのがよい。いままで私はモレルをそれほど良いドラマーだとは思っていなかったのだが、この日の押し切りかたは私のツボにどんどん迫ってくるのである。
ベーシストのエディ・ゴメスを含めてトリオとして出発しようとしたにもかかわらず、ドラマーの選択にはエヴァンスに少し逡巡があった。ソロ作品を録音したりして、ディジョネットからモレルへと変化したのが1968年の秋、セッションでいえば1968年10月23日のトップ・オブ・ザ・ゲイトである。そしてオフィシャルなアルバムで見れば、1970年1月から3月に録音されたジェレミー・スタイグを加えたクァルテットによる《What’s New》である。スタイグの音色的にややイレギュラーなフルートとの共演がエヴァンスになんらかの刺激を与えたように思える。

最晩年の1980年になると〈Nardis〉の前奏はさらに引き伸ばされ、これから何が始まるのかはずっとわからないまま持続される。Molde, Norway in 1980のライヴではテーマに入るのが4’25”であり、そのテーマの提示もさらっと通り過ぎていって情感が押さえられて (もしくは情感をわざと隠して) いるように感じてしまう。
ジョー・ラバーベラのドラムはやや大味のように聞こえるが、この時期になってしまうとそうした細かいことはどうでもよいのである。ビル・エヴァンスは初期の頃の端正で神経質そうなイメージから線の細い繊細さを感じてしまうが、それは表向きの顔であって、ずっとヤク中であり医者嫌い、歯医者嫌いで、その生活は破滅的であった。美しい和音の裏側に暗いパッションがあって、その手触りは意外にざらざらしている。


Bill Evans/At The Montreux Jazz Festival
(ユニバーサル ミュージック)
モントルー・ジャズ・フェスティヴァルのビル・エヴァンス+1




Bill Evans/The Paris Concert edition two
(ワーナーミュージック)
パリ・コンサート 2<SHM-CD>




Bill Evans Trio/Nardis
At Ilkka Kuusisto’s home, Lauttasaari, Helsinki, Finland
1970 (or 1969)
http://www.youtube.com/watch?v=ObN55DQmFZI

Bill Evans/Nardis
in a concert from Molde, Norway in 1980
https://www.youtube.com/watch?v=qF4dI9LvLDY

Bill Evans/Nardis
Recorded Live at Montreux Jazz Festival “Casino de Montreux”,
Switzerland Jun.15, 1968
https://www.youtube.com/watch?v=8Jyo8dq5tvA
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コペンハーゲン・リハーサル再び ― ビル・エヴァンス [音楽]

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Bill Evans and Monica Zetterlund

ひとりごとから始めてしまおう。といってもブログなんて所詮ひとりごとなのかもしれないのだけれど。

ビル・エヴァンスというジャズ・ピアニストはジャズ・ピアニストとしては最も有名ななかのひとりで、だから多くのアルバムがリリースされているのにもかかわらず、まだよくわからないことが多い。もっともジャズとかロックというものは、クラシックなどに較べるとそうしたセッショングラフィ的な追究はどうしても疎かにされがちである。
そもそもの疑問は、ビル・エヴァンスの〈Oslo Rehearsal Tape〉という1966年の動画をYouTubeで観て、そのことを以前のブログ記事に書いたことが元なのだが、他のことに関連して、今回それを観ようとしたらOslo Rehearsal Tapeという動画は無くて、Copenhagen Rehearsal Tapeに変わっていたのだ。URLが同じなのにタイトルのオスロがコペンハーゲンになっているということに気付くまでにかなり時間を要したのである。

一体これは何なの? と思ったのだが、そもそも1966年のオスロ・コンサートというのがあって、これは《Oslo Concerts》というタイトルのDVDでShanachieというレーベルからリリースされている映像であるらしいということがわかってきた。これはYouTubeの動画に付いているデータなどから読み取って、逆算してメディアを探したのである。
そもそも〈Oslo Rehearsal Tape〉とは、そのときのドラマー、アレックス・リールがプライヴェートで撮影していたリハーサル風景なので、それはオスロ・コンサートのためのリハーサルだったのである。

それでjazzdiscoのディスコグラフィを参照すると、1966年10月24日にエヴァンス、エディ・ゴメス、そしてリールのトリオによる演奏がコペンハーゲンで行われている。そしてその次は、10月28日のノルウェイである。〈Oslo Rehearsal Tape〉のdateは1966年10月25日となっている。

 Bill rehearsing for a concert with Monica Zetterlund swedish
 singer, and Alex Riel danish drummer in Copenhagen,
 Denmark.
 1966 Oct. 25

したがってこのリハーサルは、28日のオスロ・コンサートのためのリハーサルなのだととればオスロ・リハーサルであるし、リハーサルをしていた場所がコペンハーゲンだとしたら、コペンハーゲン・リハーサルであるという推論が成り立つ。10月24日にコペンハーゲンでライヴをして、その翌日、同じコペンハーゲンでリハーサルをしてからオスロに行ったということなのではないかと考えられる。
上記の英文のなかにあるようにモニカ・ゼタールンドとのリハーサルという記述もあるのだが、ゼタールンドとの動画も散見するし、それも一緒に、あるいは日時を変えて行われたのだと考えてよい。そのなかに日付までは記述されていないが、Recorded in Copenhagen Oct. 1966と表記があるからだ。
もちろん、オスロに前乗りしてリハーサルをしたということも有り得るのだが、以前のYouTubeのタイトルがコペンハーゲンだったので、たぶんコペンハーゲンなのではないかと思うのである。

ゼタールンドがタバコをふかしてエヴァンスのピアノを聴いていて、最初は軽く歌いながらだんだんと没入して行き、そしてアップテンポになっていきいきと変わっていくところ。それでもあくまでフルで歌っていないのだが、そのいかにもリハーサルだという雰囲気が伝わってきて心地よい。
コンサート自体の動画もあるが、リハーサルと本番の差というのが如実にあらわれていて、ゼタールンドのハレとケみたいな違いもわかって面白い。

コペンハーゲン・リハーサルの前後をjazzdiscoのリストからデータを拝借して時系列的に並べるとこのようになる。

1966.10.24.
radio broadcast, “Tivolis Koncertsal”, Copenhagen, Denmark
* Tempo Di Jazz (It) CDTJ 708 Bill Evans - Tempo Di Jazz

1966.10.25.
Copenhagen Rehearsal Tape

1966.10.28
television broadcast, Norway
* Vap (J) VPVR 60740 Autumn Leaves, Bill Evans Trio Live '66

実はこの記事は〈Nardis〉という曲について書き始めたのだが、それはヘルシンキの1969年あるいは1970年とされるフィンランドの作曲家、イルッカ・クーシストの自宅で行われた演奏の動画に端を発しているので、それなのに結果としてどんどん横道にそれてしまっている。そもそも、こんなメモ書きを出してしまってよいものなのだろうか。
ただここで気がついたことは、1966年と1970年という4年間にエヴァンスのアプローチは随分と変化していて、そのきっかけとなったのは1969年のジェレミー・スタイグとのセッションであると類推するのだが、まだ整理がついていないのであらためて続きを書きたいと思う。そして1961年のスタジオ・レコーディングによる《Explorations》に収録された〈Nardis〉が1980年にはどのように変化していったのか、ということも含めて。


Bill Evans/Explorations (Fantasy)
Explorations




Monica Zetterlund & Bill Evans/Waltz for Debby (ユニバーサル ミュージック)
ワルツ・フォー・デビー+6 [SHM-CD]




Bill Evans/Nardis
from《Explorations》(1961)
https://www.youtube.com/watch?v=yStCqteGiQU

Bill Evans Copenhagen Rehearsal Tape
https://www.youtube.com/watch?v=2mn0hZtVE04&t=1310s

Monica Zetterlund with Bill Evans Trio/Waltz for Debby
Recorded in Copenhagen Oct. 1966
https://www.youtube.com/watch?v=BoSpkQz4jXo

Monica Zetterlund with Bill Evans Trio/
Once Upon a Summertime
LIve 1966
https://www.youtube.com/watch?v=O2bXWWNBvFI
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ゴロウ・デラックス最終回 ― 沢木耕太郎 [本]

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毎週楽しみにしていたTBS深夜の《ゴロウ・デラックス》が3月28日で終わってしまった。毎回取り上げられる 「課題図書」 はヴァラエティに富んでいて、稲垣吾郎はきちんとその本を読んでいて、地味だけれどとても良質な番組だったのに残念である。本に対する興味だけでなく、たとえば吉本ばななの回を見て 「ポメラ、いい!」 と思ってしまったりするミーハーな私なのである (まだ買ってないけど)。

最終回は沢木耕太郎。課題図書の『銀河を渡る』は『深夜特急』後の25年分のエッセイを集めた内容とのこと。最終回らしい人選だが、こうした番組には今まで出たことがなかったという。
登場早々、出演した動機を聞かれて 「気まぐれ」 でというのに加えて 「分の悪い戦いをしてる人のところには加勢をしたくなる」 という。もちろん稲垣の立場に対する気持ちだが、続けて稲垣の主演映画《半世界》のことを褒めて相手の心を摑んでしまう。インタヴュアーとしてのテクニックは、さすがだ。稲垣と沢木、どちらがゲストなの? という感じに立場が逆転してみえてしまう。

外山惠理アナが朗読する。

 ノンフィクションを書くに際して、まずなにより大事なのは 「私」 とい
 う存在である。
 その 「私」 が 「現場」 に向かうことによってノンフィクションは成立す
 る。

そして、

 「好奇心」 が私を現場に赴かせる。

のだが、その好奇心には角度が必要なのだという。それはどういうことかというと、何か興味のあることがあってもそれは線が1本あることに過ぎなくて、何か別の興味が起こったときに2本目の線ができて、2本の線の交点ができる。そのように交点ができないと取材するとか書こうとする気にはならないのだという。
そのような動機を得て取材するとき、インタヴューのコツとして、相手を理解したい気持ちが大切なのだという。あなたのことを本当に理解したいのだというと、相手は一瞬ひるむが、ひるんだ後に心を開いてもらえれば、それは圧倒的に深い内容になるというのである。
SMAPにいたとき、どうだったの? と聞かれて、稲垣は 「独特な緊張感があった」 とも 「そのグループにいさせてもらっているという感覚」 「大企業に勤めているような感覚」 とも答えるのだが、すっかり稲垣が取材されてしまっている。

代表作である『深夜特急』に関する発言も興味深い。デリーからロンドンまで、バスで行くことができるか。しかも乗り合いバスで、と宣言したとき、それを支持してくれた人はほとんどいなかったという。そしてその旅が終わったら、そのことを書けるかと思っていたらなかなか書けなかった。メモではなく、手紙と金銭出納帳を資料として旅のことを書いたとき、その旅が身体のなかから消えていったという。それまではずっと身体のなかに重く残っていたのだそうである。
旅で一番重要なことは何か? それは 「人に聞くこと」 である。分かっていても聞く。尋ねて耳を澄ませて聞く。それによって人と人との出会いが生まれ、コミュニケーションが生まれるのだ。そう述べる沢木の主張は、インタヴューのコツのときに言った相手の心を開かせることと同じだ。

番組終盤、稲垣が最後の朗読として『銀河を渡る』に収録されている年長の作家との話を読む。

 「もし家に本があふれて困ってしまい処分せざるを得ないことになった
 としたら、すでに読んでしまった本と、いつか読もうと思って買ったま
 まになっている本と、どちらを残す?」
 「当然、まだ読んだことのない本だと思いますけど」
 すると、その作家は言った。
 「それはまだ君が若いからだと思う。僕くらいになってくると、読んだ
 ことのない本は必要なくなってくるんだ」
 齢をとるに従って、あの年長の作家の言っていたことがよくわかるよう
 になってきた。そうなのだ。大事なのは読んだことのない本ではなく、
 読んだ本なのだ、と。

そして話題はカポーティへと移って行く。

 先日も、書棚の前に立って、本の背表紙を眺めているうちに、なんとな
 く抜き出して手に取っていたのは、トルーマン・カポーティの 「犬は吠
 える」 だった。この 「犬は吠える」 において、私が一番気に入っている
 のは、中身より、そのタイトルかもしれない。
 犬は吠える、がキャラヴァンは進む――アラブの諺
 誰でも犬の吠え声は気になる。しかしキャラヴァンは進むのだ。いや、
 進まなくてはならないのだ。恐ろしいのは、犬の吠え声ばかり気にして
 いると、前に進めなくなってしまうことだ。
 犬は吠える、がキャラヴァンは進む……。

読んでいる内容だけでなく、稲垣吾郎の声はとても心地よい。この番組は終わってしまったが、また次の機会があることを期待しようと思う。

* カポーティはそのアラブの諺をアンドレ・ジッドから教えられた、とwikipediaにある。


沢木耕太郎/銀河を渡る (新潮社)
銀河を渡る 全エッセイ




ゴロウ・デラックス最終回 ― 沢木耕太郎
https://www.youtube.com/watch?v=BFEb8GupqoU&t=5s
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