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アリストクセノスの理論 ― ヤニス・クセナキス『音楽と建築』その2 [音楽]

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Iannis Xenakis

微分音とテトラコルド (→2017年11月28日ブログ) のつづきである。

古代音楽の構造について述べている個所は難解でよくわからない、というよりクセナキスのなかで既知であると考えられていることのレヴェルが高過ぎるため、わからないというのが実情なのだと思う。私もほとんど何だかわからないのだが、とりあえずそのままなぞってみることにする。

クセナキスの引用するアリストクセノスは古代ギリシャの哲学者でありアリストテレスの弟子である。音楽理論に詳しい人であったらしいがその著作はほとんど失われている。
クセナキスは、アリストクセノスの理論は階層構造であるとして、第1層~第4層というふうに分けて説明しているが、まずその層という概念が不明である。
第1層として、全音とその分割とあり、全音とは 「協和音程5度と4度の差」 であると定義する。この全音をセグメント (=コンマ) で12という単位とすれば、半音はその半分なのでセグメント6、さらに3分の1をクロマティック・ディエシス (セグメント4)、4分の1をエンハルモニック・ディエシス (セグメント3) とする。いわゆる微分音である。

そして第2層:テトラコルドとして、「テトラコルドは第1協和音程4度 (dia tessaron) で定められる」 としているが、テトラコルドは2全音+1半音なので、2×12+1×6=30で、セグメントは30ということになる。
さらにディエシスというのがよくわからない。ディエシス (diesis) は一般的にはシャープ (嬰記号) のことを指すが、クセナキスの場合、一種の構造単位のような使われ方をしている。しかしweblioでは、「ピタゴラスの理論で4度と2個の全音 (tonus) との間の差、現代の音響学では、短4度と3度の差の音程」 とある。

さて、そのテトラコルドの説明は次のようである。

 両端の音は協和音程4度の差があるが、他の2音はその内側で移動可能な
 ので、3種類のテトラコルドができる (これらは5度・オクターヴなど、
 他の協和音程とは関係がない)。(p.030)

3種類のテトラコルドとは、4つの音があるとして、その間隔は一般的なオクターヴの12音で考えるのならば、全-全-半、全-半-全、半-全-全があるので、そういう意味ではないかと思う。しかしそれをエンハルモニック、またはクロマティックを含めて考えるのである。
クセナキスの分類をやや整理して書きあらわすと次のようである。

 1. エンハルモニック:下から上へ2つのエンハルモニック・ディエシスを
   含む。
    3+3+22=30 (テトラコルドはセグメント30であるので)

 2a. 軟クローマ (malako chroma):2つのクロマティック・ディエシス
   を含む。
    4+4+22=30
 2b. 3/2 (hemiolon) クローマまたは1.5倍 (sesquialteron) クローマ:
   2個の1.5倍ディエシスを含む。
    4.5+4.5+21=30
 2c. 1全音 (toniaion) クローマ:半音2個と3/2音。
    6+6+18=30

 3a. 軟ディアトニック:半音1個と3エンハルモニック・ディエシスと
   5エンハルモニック・ディエシス。
    6+3×3+3×5=30
 3b. 硬ディアトニック (syntonon):半音・全音・全音。
    6+12+12=30

前述の 「3種類のテトラコルド」 という説明と6種類の各パターンとを考え合わせれば、たとえば 「1」 の場合、3+3+22だけでなく、3+22+3や22+3+3も成立するはずである。だがそのような説明はされていない。

第3層はシステム (system) として、全音+テトラコルドの連結によるconjunctと、全音を挟んだ分離としてのdisjunctがあるとしている。
第4層はトロポス (tropos) で、調、旋法であり、これらの階層は、移動のアルゴリズムによって、類←→類、システム←→システム、旋法←→旋法それぞれに交代するという。そして、このように古代構造の方法論は、中世以後の調性音楽の単純な転調や移調とはかけ離れているとも書いている。

アリストクセノスの理論に対する次のような説明がある。

 アリストクセノスは音楽的経験に忠実であろうとして、音楽経験だけが
 テトラコルド構造や、その組み合わせの結果であるハルモニア全体を規
 定すると主張する。(p.033)

あるいはまた、

 4度音程の (物理的) 絶対値は、ピュタゴラス派は弦の長さを3/4と定義
 していたのに対して、ここでは定義されていない。これこそ知恵のしる
 しだと思う。3/4という比は平均値に過ぎない。(p.033)

そして、

 [アリストクセノスは] 西欧で採用される2000年も前に、平均律の基礎
 を用意した。(p.034)

というのである。
この後に、ビザンチン音楽の構造としての説明があるが、「自然ディアトニック音階」 として、1、9/8、5/4、4/3、3/2、27/16、15/8、2というオクターヴの音を示している。これはつまり純正律的な音構造だと考えてよいのだろう。以後の説明はあまりにも煩雑となるし、検証もできないので転記しない。

ここで一番問題となるのは、平均律の基礎云々という個所である。エンハルモニックというのは半音のさらに半分となる微分音であり、まずこれだけの微妙な差異が聞き分けられるのかという疑問が生じる。それだけの精緻な耳が当時はあったと仮定してもよいが、そうした微妙な差異が聞き取れる耳が、同時に平均律的な音を許容するとするのは矛盾があるのではないか、と思う。

しかしクセナキスは付記として次のようにいう。

 ディアトニックは他の類とはちがって、節度があり、厳格で、高貴だと
 考えられてきた。クロマティックや、ましてエンハルモニック類は、ア
 リストクセノスをはじめとする理論家が指摘しているように、高度に発
 展した音楽文化を前提としていて、ローマ時代の大衆はまだそのような
 文化をもっていなかった。そこで、一方では組み合わせ論的考察、他方
 では実用面から、エンハルモニック独自の特徴は消滅してクロマティッ
 クと硬ディアトニックがそれに代わり、ビザンチン音楽ではさらにクロ
 マティックの1種類も消失した。ルネサンス期に古代の硬ディアトニッ
 クの名残である長音階が諸音階 (旋法) を吸収合併したことも、現象と
 してよく似ている。
 この単純化はふしぎで、状況や理由を研究する価値がある。(p.038)

という表現からは、エンハルモニックというのは音楽理論の理想ではあるが、現実には成立していない幻想だったという推理も成り立つ。平均律がそれまでの複雑な純正律を是正するアバウトだが合理的な方法論だというふうには捉えられていない。「平均律の基礎を用意した」 という言い方は肯定的なニュアンスがあるのにもかかわらず、ルネサンス期には音楽は単純化し衰退したとしているわけで、確かに単純化してしまったのかもしれないが、純正律的な澄んだ和声と、理論上の微分音の戦いというふうにもとれてしまう。
クセナキスはそれをずっと現代にまで持ちこんで、平均律といわゆる12音的な方法論を批判している。

 半音を2の12乗根にする粗雑な平均律の採用もまた別の衰弱だ。協和音
 は3度で豊かにされたが、ドビュッシーが出るまでは、この3度が伝統的
 な4度と (空虚) 5度を追放してしまった。最終的に19世紀の終わりと20
 世紀はじめに、理論とロマン派のなかから現れた無調性が、時間外構造
 の一切を事実上捨ててしまった。それを追認したのが平均律クロマティ
 ックの究極的 「全体秩序」 しか認めないウィーン楽派の抑圧的ドグマだ。
 (p.046)

元来、4度や5度は本来の人間の生理に基づくプリミティヴな響きであるのに対し、3度の響きは人工的な、いわゆる近代的響き (伝統的西欧音楽の基礎) であるとされる。ただ近現代における空虚5度は逆にその響きによる違和感とか唐突さによる人工的和声のなかの 「野生」 とでもいうべき方法論でしかなくて、それを古代やルネサンス期の和声法と並列して考えるのには無理がある。
たとえばアリストレテスの著作における科学的なことについての記述のなかには、今の科学から見るととんでもない認識があるが、それは実験をともなっていない科学だったからで、アリストクセノスの微分音的考え方が実証を伴っていなかった可能性もあるのではないだろうか。

実はこの本を読むことは、最近出版されたクセナキスの『形式化された音楽』への前哨戦という意味あいがあったのだが、もうすでにへとへとで、まだ麓なのにとても頂上まで辿り着けそうもない。というか、古代音楽の解釈で堂々めぐりしているのもなんだかおかしな感じである。


ヤニス・クセナキス/音楽と建築 (河出書房新社)
音楽と建築




Ensemble Linea/Xenakis: Eonta
https://www.youtube.com/watch?v=IzUPAMY2A8k

hr-sinfonieorchester/Xenakis: Terretektorh
https://www.youtube.com/watch?v=37ajOyhcl_c

Machaut: Messe de Notre Dame
https://www.youtube.com/watch?v=5GgkAM8crbU
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稲増龍夫『グループサウンズ文化論』を読む [本]

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前記事のタブレット純の続編として稲増龍夫の『グループサウンズ文化論』を読んでみた。もっとグループサウンズに特化した内容で、『中央公論』に連載された当時を知る人たちとの対談をまとめたものである。

稲増龍夫はグループサウンズにシンパシィを感じて、当時のグループサウンズのシングル盤を蒐集し、435枚のパーフェクト・コレクションを達成したのだそうである。435枚というはっきりと明快な数字がなんともすご過ぎる。それまで彼は1万枚のジャズレコードのコレクションを持っていて、その半分を売り払ってグループサウンズに入れ込んだとのことで、ジャズレコードもったいない、というような気もするが、嗜好は人それぞれなので仕方がないことである。

稲増の論理は明快であって、当時、爆発的な人気となったグループサウンズというものが、あっという間に凋落し、日本の音楽史における徒花のような扱いを受けているが、もう少し正当な評価があってしかるべき、ということである。
それに対する反応は対談者によってまちまちで、その視点の違いが非常に楽しめる。

近田春夫は、80年代にジューシィ・フルーツをプロディースし、いわゆるネオGSブームにもかかわったはずだが、B級GSについて、どこに魅力があるかときかれると 「笑えるから」 (p.48) だと答える。それがどういうコンセプトなのかわからないけれど、結果として出てくるものがシュールだったりするのが面白いというのだ。
なぜGSが衰退したのか、という稲増の問いに対して近田は 「やっぱり、職業作曲家を起用したことが原因だと思いますね」 (p.49) という。「だとすると、今の日本のJ-POPは基本的に自作自演が多いから安泰なんですか」 といわれると近田は、

 ところが彼らは、基本的に洋楽が下敷きにないんです。やっぱりポップ
 スとかロックというのは、洋楽的要素を学習したうえでないと面白味は
 引き出せない気がするんです。結局、日本語って英語と違い、高低アク
 セントでメロディーとの関係が少し強いから、ビートやリズムと言葉が
 うまく立体的に絡み合った時に初めて面白くなっていくので、その構造
 を、ある程度ロジカルに体得していないと、いい曲は書けないと思うん
 ですよ。(p.50)

と答えている。笑えるB級GSがいいなどと言っておきながら、そのルーツとなる考え方は意外に正統派だ。

タイガースの歌などを作曲したすぎやまこういちは〈シーサイド・バウンド〉は沖縄音階で作ったと語る (p.64)。沖縄音階というのはいわゆる琉球音階のことを指し、ドミファソシでできていて、基本的にレとラがない。日本の伝統的なヨナ抜き音階はドレミソラで、ファとシが無い、つまりペンタトニックであるので、そういう意味では沖縄の音は特異だ。しかし〈シーサイド・バウンド〉のメロディは海っぽい音ではあるが、沖縄を意識させられてしまうようなことはない。

コシノジュンコはタイガースの衣裳を作った経緯について語っている。王子様のような衣裳は、従来のロック、たとえばローリング・ストーンズのようなワイルドさでなく、しかし女性的でもなくゲイでもなく、中性的なイメージとして想定したものだったという (p.70)。それは沢田研二というタイガースのアイコンに特に顕在する特徴である。
これは四方田犬彦によって、より分析的に指摘されている。

 日本人が強い美学的な分野というのがあって、それはある種のアンドロ
 ギュヌス性というか、両性具有性みたいなもの、それも少年とか少女
 ――つまり大人になっていない、人間の性が分化されていない、そうい
 うもの――を強く出す時に日本の文化は非常に有利という感じがします
 ね。(p.125)

湯川れい子は高校2年生でジャズにはまり込み、『スイングジャーナル』に投稿などしているうちに、もっと書いてみないかと言われたのが文筆業となるきっかけだったらしい (p.93)。
湯川はGSについて、日本の歌謡曲だと思っていたし、日本独自の大衆音楽だったと述べる (p.97)。一方で当時は70年安保を控えて学生運動というものが盛り上がっていたが、そうした学生側からすれば、GSブームというのはミーハーな現象だという感覚があったともいう (p.97)。

佐藤良明はトマス・ピンチョンの『重力の虹』や『ヴァインランド』の翻訳者でもあるが、ビートルズ論『ラバーソウルの弾みかた』(1989) でも知られる。佐藤は、当時まだ旧制中学的な気質が残っていて、川端康成などが読まれているような状態だったが、彼は 「そうじゃないだろう!」 と思っていたのだという。それでアントニオーニの映画《欲望》を観たらロックバンドが演奏していた。佐藤は彼我の落差に目ざめ、そして後になってそれがヤードバーズであったことを知ったのだという。

 ある種のエリート主義というか、当時はまだ学生というものが社会的に
 ある意味を持って存在していたわけですよね。学生はインテリであり、
 労働者や農民の声を聞いて、世の中を革新していく存在なんだという自
 負とうぬぼれがあったわけです。(p.137)

そうした反骨的精神だったはずの欧米のロックがどこでだめになったかというと、それはバングラディシュ・コンサートやWe Are The Worldといった頃からで、ロックが道徳を攪乱する存在から道徳を守る存在に移ってしまったこと、それは社会的免罪符を獲得したことであるが、同時にロックが体制的イデオロギーの擁護者となってしまって現在に至っているのだ、と四方田犬彦は指摘する (p.122)。

きたやまおさむは、GSを擁護して 「あれだけの社会現象であったにもかかわらず、ほとんど評価もされないし、本も書かれない」 という稲増に対して、「やった人間が、語る言葉を持っていないからだよね。GS関係者自身が自分の言葉を持っていないんだよ」 と突き放している (p.162)。

逆に宮沢章夫は、GSが60年代文化のなかで評価されてこなかったのは左翼教条主義があるという稲増の言葉に対し、「あの時代は左翼的じゃないとかっこよくなかった」 し、「一方で反近代主義の時代でもあった」 と答えている (p.172)。
サブカルチャー的なものは売れてはいけないみたいな左翼教条主義から来る考え方は次第に四散し、80年代になるとサブカル寄りから出て来た劇団、夢の遊眠社や第三舞台が商業的に成功したが、野田秀樹や鴻上尚史の戯曲はそれまでの演劇と違っておしゃれで洗練されていて、それはYMO現象に似ていると稲増は言う (p.176)。
岸田戯曲賞で清水邦夫の『僕らが非常の大河をくだるとき』と同時に受賞したのが、つかこうへいの『熱海殺人事件』であって、この 「奇妙な交錯」 は時代の変わり目の象徴的事件であったというのだが、そしてそれが1972年の連合赤軍事件との関連で述べられているが、清水邦夫とつかこうへいの岸田戯曲賞の受賞は1974年であり、話に錯誤があるように思えた。

最も読ませるのは小西康陽との対談である。
小西は、最初に買ったGSのシングルがオックスの《スワンの涙》で、中学1年のとき、ピンク・フロイド、エルトン・ジョン、CSN&Yなどを聴いていたという。そうしたなかでタイガースのLP《ヒューマン・ルネッサンス》は音楽体験の原点であり良いアルバムだと評価している (p.183)。
そうした小西が書く曲について、小西はマイナーキーの曲調がきらいで、演歌やアジアン・テイストになじめなかったし、ヨナ抜き音階へのアレルギーがあったという。それが結果として渋谷系と呼ばれる彼の音楽の方向性を決めたのだという (p.185)。

また稲増が、80年代にヨーロッパでGSがジャパニーズ・ガレージロックとして評価されたということに対し小西は、コレクションを始めると興味は次第に辺境へ (つまり難易度の高いものへ) と移ってゆくが、欧米人にとって日本は辺境であり、世界的にみたらやはりGSはガレージロックの一部ではないかという見解を述べている (p.187)。
稲増はネオGSに関して、チェッカーズはネオGSとは自称していないけれどネオGSなのではないか、という問いに対し、小西は、ネオGSには 「批評」 があるが、チェッカーズにはそれがない、と否定している (p.189)。

GSの話題からは外れるが、2016年のリオのパラリンピック閉会式で〈東京は夜の7時〉が使われたことについての会話が面白い。

 稲増:東京を代表する曲に選ばれるって、すごいじゃないですか。もっ
 とも 「東京砂漠」 (内山田洋とクール・ファイブ) をやるわけにはいかな
 かったとは思うんですけどね。
 小西:「東京砂漠」 だったらアナーキーでしたね。(笑) (p.186)

全体的な印象としては稲増のGSへの入れ込みかたは強く、GS擁護派でありGSエヴァンジェリストとしての稲増に対し、共感したり反対したりするという構図が興味をひく。稲増はGSの興した波はその後も脈々と受け継がれ、それが日本独自の音楽ジャンルとなって、現在のきゃりーぱみゅぱみゅやPerfumeにまで達していると説く。
ただここで問題となるのは、ネオGSという言葉が出てくるのだが、ネオGS自体がどのようなムーヴメントであったかということまでは言及がされていない。ネオGSというジャンルのなかに田島貴男のオリジナル・ラブがあって、それが渋谷系のはじまりなのだとすると、GSと渋谷系という血脈もあるのだということになる。
そのあたりの知識が私には全くないので、そういうものなのか、とは思うが、はなはだ心許ない。本という媒体からは音が出て来ないので、歯がゆい感じがする。

ネオGSのもっとも代表的なバンドとしてザ・ファントムギフトがあるが、たしかに稲増がいうキッチュな部分、ガジェット的な音構造が見えることは確かだ。
動画を検索すると、ダイナマイツのカヴァー〈トンネル天国〉ではギタリストがヤマハのSG-3を使用し、また〈ベラトリーチェの調べ〉ではSG-7を使用しているが、このへんは実にマニアックである。〈トンネル天国〉の冒頭のギターの鳴らしかたはシューゲイザー的な印象を受けるが、マイブラの《Loveless》は1991年であり、それよりも早い。むしろコクトー・ツインズあたりの影響があるのかもしれない。コクトーズのデビュー盤《Garlands》が1982年だからである。

GSブームの頃には新興ギターメーカーが乱立し、今の目からするととんでもない形状のギターが生産されていて、それはビザールギターなどといわれて今でも雑誌などで特集されていたりする。GSは音だけでなく、楽器とかファッションにも影響を与えていたように思える。
この本でも紹介されているジャケット写真などを見ると、メンバー全員が同じ制服を着ているのが見られるが、それは現在のAKBなどに受け継がれてきているのではないだろうか。ただ、当時のGS制服は男性であり、現在のアイドルグループ制服はほとんど女性であるという違いは大きい。同じように同一の服装を採用することもあるジャニーズには、GS制服のテイストは引き継がれていないと私は感じる。つまりGS限りの特異点である。

カウンターカルチャーとしてのGSは、まだ音楽的にも成熟しておらず、結果として経済効果だけで考えられたことにより変質して消滅していったが、その精神性がそれまでの旧弊な日本の芸能に与えた影響は大きかったはずだと稲増はいうのである。
ただ、著作権の問題があるのでむずかしいと思うのだが、あまりにもその元となる音源が乏しい。現実の音を聴かなければわからないので、ブートでない音源が少しでも出されることを期待したい。


稲増龍夫/グループサウンズ文化論 (中央公論新社)
グループサウンズ文化論 - なぜビートルズになれなかったのか (単行本)




ザ・タイガース/僕のマリー
https://www.youtube.com/watch?v=LvMt-ucrOcE

ザ・ファントムギフト/トンネル天国
https://www.youtube.com/watch?v=9XPeDgN5pWo
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タブレット純『音楽の黄金時代 レコードガイド』を読む [本]

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書店でタブレット純の本があったので買ってみる。帯の推薦文が高見沢俊彦で、その本全体から醸し出される妖しげなキモチワルサに騙されてしまった。『タブレット純 音楽の黄金時代 レコードガイド [素晴らしき昭和歌謡]』というタイトルである。
タブレット純はAMラジオのラジオ日本でDJ番組を持っていて、その放送が元となった内容である。

最近、昭和歌謡ということがよく使われて、もうすぐ平成も終わろうとしている今、そのうち、かつての 「懐かしき明治時代」 と呼ばれたような文脈で昭和も語られるようになるのだろう。ひとくちに昭和歌謡といっても幅広く、いわゆる歌謡曲からグループ・サウンズ、フォークソング、そしてニュー・ミュージックまで。
タブレット純自身は、和田弘とマヒナスターズの最後の歌手・田渕純であり、マヒナスターズ的な歌を 「ムード歌謡」 と称しているが、つまり音楽のジャンル分けは、ニュー・ミュージックというジャンル用語に表されるように、ごく恣意的で曖昧である。

この本にひっかかったのは、ぼんぼちぼちぼちさんのブログでザ・タイガースの映画の記事があり、そこから触発されてグループ・サウンズの古い動画を検索していたらハマッてしまったのに影響されている。その前に、中村晃子/ジャガーズという映画からのクリップを観て、これ新鮮だよな、と思ったのだが、結局記事にするだけの知識がないのでそのまま没にしてしまった。
ヴェンチャーズをはじめとするギター・インストゥルメンタルを中心としたいわゆるエレキブームからグループ・サウンズの爆発的ヒットへの流れは、後年、ガレージ・パンクの一種として再評価的なこともされたが、実際のガレージ・パンクとは少し違うし、昭和史のなかでもう少し正当に語られるべき時期になっているのかもしれないと思う。この本もそうした一環なのではないだろうか。

この前、グループ・サウンズの動画を観たときの率直な感想は 「意外に上手い」 であった。たしかに年代も経っているし、今のJ-popのように洗練されてもいないしテクニックもイマイチだが、逆にいえばそんなに産業化されていなくて、ごく初歩的で稚拙なパブリッシングのように見えるのだけれど、そのエネルギーの使い方が新鮮なのである。今のJ-popは確かに高度にはなってきているけれど、経済効果優先であるし、なによりその結果として海外からの音楽が入りにくくなっていて、今の日本は音楽的鎖国状態にある。だが昭和歌謡の全盛期の頃にはまだ、音楽はもっと垣根がゆるくフリーであったように感じられる。

タブレット純は、GSブームがあった頃にリアルタイムで聴いていたわけではなくて、後追いなのだけれど、後追いのほうが冷静に見られるし、資料も充実しているので、かえって正確にそれを知ることができる、と言っているが、なるほどと納得できるし、後追いの多い私の音楽体験の免罪符にも思えて、ちょっとホッとする (それにクラシック音楽の場合はすべて後追いだから、音楽なんて後追いのほうがいいのかもしれない、とまで思ってしまう)。
だが、タブレット純の知識はすごくて、坂崎幸之助がフォークの知識についてオレは負けたと高見沢に言ったそうで、そして高見沢も、グループサウンズでやっぱり負けたのだそうである。最近だと半田健人なども昭和歌謡への造詣が深いが、タブレット純が半田とは少し違ったスタンスなのは、やはりマヒナスターズでの経験という部分があるからではないだろうか。

高見沢俊彦との対談のなかで、グループ・サウンズについて語られていることが興味深い。

 高見沢:逆にブルー・コメッツは上手いと思っていたけれど、髪型に拒
 否反応があったくらいで。あまりにもアイビー過ぎるというか……あれ
 って007のジェームズ・ボンドを意識していたらしいね。(p.026)

髪型云々はよくわかるが、それが007の影響というのは言われてみないとわからない。ツアーのとき、彼らはボンドふうにアタッシュケースなどを持って武装していたのだそうで、いまだと失笑モノだがそこが昭和の時代たる所以である。
ネットにある動画をあらためて観てみると、やはりブルー・コメッツは圧倒的にテクニックがあって今でも通用するように思えるが、「少し年齢は上だけど、今グループ・サウンズが流行っているからやってみました」 的な雰囲気があることは否めない。
それはマヒナスターズはもともとハワイアンであったのに、流行におもねり、結局そのルーツとなるハワイアン・バンドが衰退してしまったのだ、とタブレット純が指摘しているのと同様である。時節の流行に影響され過ぎるのは考えものである。

 純:歌謡曲やムード歌謡だと、感情を込めるところがわかるんですね。
 だけどGSの曲は、どこに感情を込めていいか、よくわからない。
 (p.028)

そのように新しいスタイルの曲が入ってくることが、今までの作曲家の先生vs生徒という旧弊な師弟関係の続いていた歌謡曲業界を変えていったプロセスのひとつであったのだという。

高見沢はTHE ALFEEがブレイクするまでの試行錯誤について語っているが、〈メリーアン〉が《我が青春のマリアンヌ》(1955) というドイツ映画のイメージをふくらませたものなのだということは初めて知ったし (といっても肝心の映画さえ知らないが)、またCSN&Yから出発したガロに対する2人のそれぞれの評価など、歌謡曲のテリトリーに次第に呑み込まれてしまった悲劇が感じられて読ませる。
グループ・サウンズの最盛期はほんの2年間くらいだとタブレット純は規定しているが、そうしてあっという間に終わってしまったけれど、日本の音楽業界には多大な功績を残したと高見沢は評価している。

タブレット純をDJ番組に抜擢したプロデューサーであるミウミウとの対談も面白い。どんどんマニアックにいこうとするタブレット純に対してミウミウは番組を成立させるための誘導をかける。

 ミウミウ:マニアックなファンの中には、筒美京平特集で郷ひろみの
 「よろしく哀愁」 はかけないでくれって人がいるわけです。でもやっぱり
 筒美京平だったら 「よろしく哀愁」 はかかるだろうって期待している人
 はいっぱいいるんですよ、その何倍も。そういうことなんだよね。メジ
 ャーな曲と知られざる曲、そのバランスが大切。(p.106)

ミウミウは、知らない曲を連続してかけ過ぎるのはよくない、ベタでもところどころに有名曲を入れると、知られざる曲がより引き立つのだと説くのである。

本の大半は、昭和歌謡を年代別、テーマ別、作家別にまとめてあり、ところどころ重複している情報もあるが、ごく簡単だけれど的確にその曲を解説していて、増田明美のマラソン解説に似て、とても納得できたりする。だが大半は知らない曲ばかりなので、それがちょっと歯がゆい。
それと昔の歌謡曲のEP盤のジャケットはスミ+色の2色刷だったりして、いかにも昔風な素朴さが目をひく。
森田公一とトップギャランのヒット曲〈青春時代〉の歌詞の冒頭 「卒業までの半年で」 という部分は当初、「酔いどれ坂の七曲がり」 だったのだそうで、ディレクターと音楽出版の人が作詞者の阿久悠と大げんかして、結果として今の歌詞になったのだとのこと。もともとは、いわゆるバンカラなイメージで作詞された曲らしいのである。タブレット純も 「フォーク」 として分類している。「酔いどれ坂の七曲がり」 じゃ、ちょっと……ねぇ。

タブレット純の、なるべくやらないことのひとつとして 「なるべく、ウィキペディアは使わないようにしたい」 というのがあって、何事も安易な手段・方法に流されないのが大切であることをあらためて思った。


タブレット純/音楽の黄金時代 レコードガイド (シンコーミュージック)
タブレット純 音楽の黄金時代 レコードガイド [素晴らしき昭和歌謡]




田渕純/花の首飾り
https://www.youtube.com/watch?v=_SMAbV1JlUU

そんな事よりタブレット純 第1回
https://www.youtube.com/watch?v=z9jrWn2tzAs
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とっても低い空 ― 荒井由実〈ベルベット・イースター〉のころ [音楽]

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もう記憶が曖昧となってしまった頃の過去に、ユーミンと車の好きな友人がいて、思いつきで観音崎までドライヴに行ったことがある。車は、白いセリカではなかったと思うが、なにかその手の車で (「その手の車」 って何だ?)、私はまだ免許を持っていなかったから、未知の道が目の前に開けてゆくのを助手席で眺めているのに興味があった。
観音崎に至る道は、妙に白っぽい、がらんとしてざらざらとした空虚さのような印象として残っているが、それは単にその日が風が強くて埃っぽい日だったせいかもしれなくて、観音崎に着いてから灯台まで登ってみたが、そこにも強い風が吹きつけていた。でも歌詞に出てくる肝心の歩道橋に立ってみたかどうかの記憶はない。きっとそこまで考えが働かなかったのかもしれない。

 砂埃りの舞うこんな日だから
 観音崎の歩道橋に立つ
 ドアのへこんだ白いセリカが
 下をくぐってゆかないか

ヴァージニア・ウルフの描く灯台に惹かれるのは、それがいつも地の果ての、海に近接した位置にあり、日常性と隔絶した象徴として映るからにほかならない。大げさに言うのならば、その醸し出す空間は世間からの遊離のメタファーであり、海は死である。灯台からの光は、夜の海の航行にたぶん役だってはいるのだろうが、その 「役立ち感」 は一般人の認識からは稀薄である。でも 「役立ち感」 で比較するならば、私自身の存在ランクはそれよりももっとずっと下だと自嘲するしかない。そして灯台が朽ちるより早く、人生は朽ちてゆく。

かなり幼い頃の断片的な記憶のなかに、城ヶ島に行ったときの微かな過去が残っていて、その日は利休鼠の雨で、うそ寒い感覚はあるのだが、何で行ったのかも誰と行ったのかも定かでない。城ヶ島にも灯台があるが、その近くの草のない地面の記憶だけがあって、そこがすでに磯だったのかそれともそこに至る道の途中だったのかもわからず、灯台に行ったのかどうかも不明だ。私の脳内のメモリーは、つまらない風景だけが記録される仕組みなのかもしれない。

もう一人、友人がいて、免許とりたての頃、やはりドライヴにつき合わされた。時間は必ず夜で、車はたしか古いスカGで、くたびれた車内には、たとえば 「私はこれから変わるんだから」 と言いながら結局変われない 「やさぐれ感」 が漂っていて、それはきっと白いセリカでも古いスカGでも同じなのだ。使い込んだその手の車から感じられる疲労感や寂寥感のようなもの。
横浜まで行く道の記憶はあるのだが、横浜に着いてからの記憶がない。季節は冬。途中で50~60年代風のアメリカン・グラフィティなインテリアにしたのだが、すでにすべてが色褪せて時間に埋没してしまっている店に入ったような覚えもあるのだが、でもそれは現実ではなくて、後から捏造された偽の記憶なのかもしれなかった。

それより後、やっと運転免許をとってから、練習と称して深夜に車を乗り回していた時期がある。そのときも私は闇雲に海を目指し、ここに書けないようなスピードで湘南の海の見えるところまで達してから戻ってくるのだったが、別に海が見たいわけでも引きつけられる何かがあったわけでもなくて、そこで道が終わりになっているので区切りが良いから、というのがきっとその理由なのだ。

ユーミンには〈中央フリーウェイ〉や〈カンナ8号線〉をはじめとして、車と道を描いた歌詞があるが、夜にフィットするのは〈埠頭を渡る風〉である。ただ、埠頭という言葉から私が連想するのは、まだあまり活用されていなかった頃の横浜の赤レンガ倉庫に吹きすさぶ冬の風であり、誰もいない午後の静止した情景だったりする。そしてそれはニューグランドの記憶とセットになり、過去の横浜として薄れてゆく。

だが、〈よそゆき顔で〉も〈DESTINY〉も、失敗したヤンキーに取材して書き上げた歌詞のように思えて、ユーミンにはそうした体験はおそらく無いから、彼女自身のストレートな心情が得られるのは、荒井由実時代のごく初期の作品に限られる。それは当時流行していた四畳半フォークと呼ばれていたものに近くストレートで、しかし彼女はそうした貧しさを知らないから、四畳半でなく、広い応接間の片隅のソファに座った孤独のような様相を帯びていて、そしてブルジョアの持つ不安やコンプレックスも現れていて、それはある意味、オノ・ヨーコに似たセンシティヴィティともいえる。曇り空だから外に出たくなかったアンニュイと、〈DESTINY〉の 「やっちまった感」 は通底しない。

初期の作品のひとつ、〈ベルベット・イースター〉は 「いちばん好きな季節」 と歌いながら、その本質は 「空がとってもひくい」 というところにある。〈ハルジョオン・ヒメジョオン〉のようなダウナーな感じが隠されている分だけ、騙されやすい。「昔ママが好きだったブーツ」 というママもブーツも、寓話としてのアイテムでしかなくて、それは 「空が低い」 ことを遮蔽するマスクなのだ。それに 「ママが好きだったブーツ」 は 「安いサンダル」 ほどのリアリティを持ちえないし、そもそも 「好きだったブーツ」 と、それがなぜ過去形なのかを考えれば 「昔」 の意味もわかってくる。
そしてベルベットは決してベロアやフリースではなくベルベットであり、イースターはいまだにハロウィーンほどの世俗性を獲得していない (獲得されても困るけれど)。それゆえに、ごく初期の作品でありながら風化しないのである。

 空がとってもひくい
 天使が降りてきそうなほど
 いちばん好きな季節
 いつもとちがう日曜日なの

〈ハルジョオン・ヒメジョオン〉は最も庶民的な昭和歌謡に近くて、「川向こうの町から 宵闇が来る」 のも 「土手と空のあいだを風が渡った」 のも、八王子あたりの無愛想で色の無い風景に近くて、単語の選び方があまりに無防備でユーミンらしさがない。その無防備さに惹かれる。しかしその無防備さは一瞬のことで、荒井由実が松任谷由実に変わってゆく境目の歌のような気がする。

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荒井由実/ひこうき雲 (EMI Records Japan)
ひこうき雲




ベルベット・イースター
https://www.youtube.com/watch?v=fkuOaugShsk

ベルベット・イースター (Diamond Dust Tour)
https://www.youtube.com/watch?v=3fAUA6HuMUY
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ブラームスはお好き? — 小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラ [音楽]

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Seiji Ozawa (1992)

ヨハネス・ブラームスの交響曲の成立過程やその構造などについて、最近、全音スコアの野本由紀夫の解説を読んでいるのだがとても面白い。
バッハ、ベートーヴェン、ブラームスがなぜ、3大Bなどといわれるのかという説明が、まず納得させられる。自分こそベートーヴェンの直系であるとする絶対音楽派のブラームス陣営と標題音楽派のリストやワーグナー陣営との、本家と元祖の突っ張り合いみたいななかで、ブラームス派のハンス・フォン・ビューローが、ブラームスは 「ドイツ3大B」 だと唱えたのがはじまりであるのだけれど、その火種は、ビューローとワーグナーの間での、リストの娘であるコージマの取り合いだったりするのが、意外に生臭くてとても人間的だ。

コージマという女性がそんなに魅力があったのかどうかはともかくとして、野本の解説によれば、音楽史家カール・ダールハウスは 「19世紀後半は交響曲の危機の時代だった」 と規定したのだという。
つまりベートーヴェンの交響曲をその規範とした場合、それだけの品格の交響曲がそれ以後、生まれてこなかったということであり、それになんとか適合したのがブラームスの第1番だったのだ。だがその第1番の成立は、ワーグナーの《ニーベルングの指輪》に対抗して作曲されたというのが動機なのだというのである。
ブラームスの第1番はベートーヴェンの第10番であるというような言い方は、それがベートーヴェンのエピゴーネン的な音楽だとするとらえかたではなく、ベートーヴェンの正嫡としての音楽であるということを示している。第1番がベートーヴェンの第5番と同じc-mollであることは偶然ではないのだ。(作品番号のop.68がベートーヴェン第5番のop.67の次であるというのはどうなのだろうか。これは私が勝手に思いついたことであるが)

ブラームスというのは、すごいということはわかるのだが、もう一つ、抽象的というのとはちょっと違う感じにわかりにくい。その音楽の正体がなかなか見えないような気がする。たとえば、とても味がよいのだが何が入っているのかよくわからない飲み物のようである。
でも、野本の解説では (私はまだ第1番と第4番の解説しか読んでいないし、その全部が理解できるほどの素養はないのだが) その特徴が明快に示されている。第1番第1楽章の解説には、

 ブラームスはメロディアスな単一の主題をもとに作曲していない。ある
 いは《運命交響曲》のように特徴的なリズムに依存しているのでもない。
 主要主題自体がさまざまな動機の多層な組み合わせによる 「主題構成体
 thematische Konstellation」 (ダールハウスの用語) であり、その素材
 を全曲に張り巡らせることで、第一楽章を完成させているのである。
 (第1番/p.9)

とある。つまりインスピレーションによる何か印象的なメロディをもとにして、それを変形させヴァリエーションを重ねて行くというような方法論ではなく、ブラームスはもっと用意周到な計画性で作曲をしているのだという。

 そもそも変奏部自体が呈示部の展開的凝縮であった上に、呈示部も展開
 的手法で書き進められているので、展開部は 「展開」 だけを存在意義と
 しない。すなわち、ブラームスが展開部で採った戦略は、調的拡張と、
 新素材による 「暗喩」 である。(第1番/p.11)

暗喩とは、たとえばバッハのコラールの引用ないしはそれに似た旋律を用いることが、当時のリスナーに暗喩としての効果を与えたという意味なのだという。

ブラームスの作曲の特徴の技巧的あるいは人工的な表情は、第4番第1楽章の動機の解説でより明らかになる。
冒頭のメロディがまるで 「ため息」 のようであると感じた当時の人々は、a動機の部分 (h - g / e - c / a - fis / dis - h) に 「Mir fallt / schon wie- / der gar / nichts ein」 (自分にはまたもや何もメロディが思い浮かばない) という替え歌をあてはめて、そのメロディを揶揄したのだという。
そのメロディに対する野本の解説は、

 一見、ただメロディが 「ため息」 のように下行 ([右斜め下]) 上行 ([右斜め上]) を繰り返し
 ているだけのような印象を与える。しかし表層的な音を抽象化してみる
 と前半は下行する3度音列、後半は上行する3度音列からなっていること
 がわかる。なんと、主要主題が確保されるまでの18小節間に、オクター
 ヴ内にある12音のうち、じつに11音までが使われているのである (cis
 音のみが欠如)。(第4番/p.5)

下行する3度とは前述した (h - g / e - c / a - fis / dis - h) であり、これは (e = e / g - h / d = d / f - a / c = c) と続く ( = はオクターヴ跳躍の個所を便宜的に表記した)。
18小節の間にcis以外の11音が使用されているという指摘にびっくりして、一音一音チェックしてしまった。たしかにその通りで11音が使われている。それをただちにシェーンベルクに結びつけることには無理があるが、古くさい伝統的な外見を装っていながら実はそうではないというところにブラームスの特徴がある。

さらにこの2音ずつの音列を、その直後の音を加えて3音のペアとし、順次隣同士を各1音ずつ重複させるようにした和音に注目する。
 (h - g / e - c / a - fis / dis - h)
        ↓
 (h - g - e / e - c - a / a - fis - dis - h)
という意味である (最後のセットは4音)。これはe-mollにおける〈I〉〈IV〉〈V7〉である。

 この3度音列は3音ずつ、順に I (主和音)、IV (下属和音)、V7 (属七和音)
 を形成し、典型的な古典派和声法に合致する。その先は、バス音のcも加
 えて考えれば、VI、III (平行和音)、VII、IV (下属和音) と続くが、驚くべ
 きことに、古典派やロマン派では頻出する II やドッペルドミナント (属和
 音に対する属和音) が全く登場しない。あとでも再三触れるが、全体とし
 てIVの性格が強いことが、この交響曲の大きな特徴であろう。(第4番/p.5)

サンプルとしてブラームスの動画を探していたら、小澤征爾に行き当たった。1992年のサイトウ・キネン・オーケストラの演奏だが、NHKの古い放送録画である。この当時のサイトウ・キネン・オーケストラはすごい。ヴァイオリンのトップは潮田益子と思われるが、オーボエも宮本文昭の全盛期で、なにより小澤がはつらつとしている。音楽の理想の形態の見本がここにある。


Saito Kinen Orchestra Seiji Ozawa 1992 (NHKエンタープライズ)
小澤征爾指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ 1992 [DVD]




Seiji Ozawa, Saito Kinen Orchestra/
Brahms: Symphony No.1 in C minor Op.68 
(live 1992.9.5/長野県松本文化会館)
https://www.youtube.com/watch?v=7M7Q7BXh_is

Carlos Kleiber/Brahms: Symphony No.4 (1st mov./first part)
https://www.youtube.com/watch?v=yCaaPaQx5zg
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キース・ジャレット ―《サンベア・コンサート》を聴く [音楽]

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Keith Jarrett, 1978 (rollingstone.comより)

キース・ジャレットの演奏にはソロ・ピアノというジャンルがあって、プロモーションをそのまま受け売りするのなら完全な即興演奏ということなのだが、最も有名なアルバムは《Solo Concerts: Bremen Lausanne》(1973)、そして《The Köln Concert》(1975) であろう。
延々と30分も40分も途切れなく弾き続けるというスタイルで、これらは非常に評判となった。前者はLPで3枚のセットであった。

その勢いのまま、1976年に日本でのソロ・ライヴを録音してリリースされたのが《サンベア・コンサート》である。これは初出のLPでは10枚組、それをCDにしたのが6枚組という構成になっている。10枚組という枚数は、その当時、キース・ジャレットがいかにソロピアノというスタイルで売れたかという証左である (特に日本で)。

私は最初のブレーメン/ローザンヌ、そしてケルンは聴いた覚えがあるが、サンベアも少しは聴いたのかもしれないけれど、その全部は聴いていないのではないかと思う。つまりその程度の記憶しかないわけで、それは量的に多いということがまずプレッシャーとしてあるし、しかもそういうフォーマットが流行っている頃のハイテンションで聴くのならともかく、この21世紀になってから 「かつて、こういうソロピアノという形態の演奏がありました」 という歴史的事実としてそれを聴くというのはちょっとどうかな、という気持ちになっていた。

まず、完全な即興演奏というのは存在しない、と私は思う。それはかつてチャーリー・パーカーのインプロヴァイズに関しても書いたことがあるはずだが、パーカーには多くのストック・フレーズがあり、そのストックを瞬時にその場に合わせてピックアップして再現させることが即興であって、そのストック・フレーズが多ければ多いほど即興で演奏しているように見えるが、でもそうではないこと。とはいっても、その瞬時の対応力というのは誰にでもできるものではないので、それがパーカーのパーカーたる所以なのである。
もちろん、後から考えて、なぜここでこんな神がかったフレーズが出て来たのだろう、ということはあるのかもしれない。しかしそれでもそのフレーズは今までの経験値から自分の意識下の感覚が選び取って出現させたものであるはずであり、そこに神は介在していないのである。

それはキース・ジャレットにも同様に言える。何もないところに、天から何かが下りてきて音楽を紡ぐ、みたいなことがよく言われるが、それは美しい詩であり宗教的でもあるけれど、真実ではない。
キースの場合はフレーズではなく、一種の循環的な手クセのパターンが数限りなくあって、そのヴァリエーションをその場の雰囲気により選び取ることによって、だんだんと音楽が推移してゆく、というふうにとらえてよいのだと思う。

キースのこの当時のソロピアノの上手いところは、ひとつの循環的パターンから次のパターンに移っていく経過の作り方にあるといってよい。自然に徐々に変わっていく場合もあるし、無調風な音を介在させながら変わってゆく場合もある。

《サンベア・コンサート》を今までそれほど聴きたいと思わなかったのは、やはり枚数が多くて、すでにソロは食傷気味であるし、悪い表現をするなら 「どれも皆同じ」 とも思えるからだ。今回、タワーレコードからSACD盤でリリースされたので、これを機会に聴いてみようかと考えた。ちなみにECMの限られた何枚かがすでにSACDとなっているが、私の個人的感想をいえば、ECMの場合、普通のCDフォーマットで十分なのではないかと思う。それがその時代の音なのだ。

まだ最初の1枚しか聴いていないのだが、disk 1: 京都1976年11月5日を聴いてみる。音が意外にアヴァンギャルドで、変わったアプローチで入って行く。その部分がなかなか良い。キース・ジャレットの場合、ここからどういうふうに音が変わっていって、こういうリズムになって、というような形容はあまり意味がないように思える。全体の流れで、それが自分の聴いている気持ちにフィットするかどうかが問題なのだ。
彼のソロピアノには毀誉褒貶あり、神がかりなのを押し売りし過ぎるプロモーションや、クラシック演奏会を上回るような禁忌に対しての不満もあるようだが、私はコンサート自体にはあまり行きたいと思わないので関係ない。それにたぶん、現在のキースとこの70年代のキースの音楽性は異なるだろう。
そういう視点でいうと、この京都はかなり良い。全然長いとは思えないから繰り返し聴きにも耐えられるし、構成も大体良いが、最後の終わりかたがやや尻切れトンボかな、という感じはする。

サンプルとしてYouTubeを探したが、サンベアの音はほとんどなくて、東京のアンコールばかりで、他の演奏は削除されているのばかりだった。
この東京のアンコールのトラックは私の好みでいうとあまり良くない。パターンにステロタイプなにおいがするし、少しセンチメンタル過ぎる。しかしその分を差し引いても、この1976年がどういう時代だったかというのはこの短めのトラックからも、なんとなくわかるような気がする。
その翌年の1977年は最初の《スター・ウォーズ》であるエピソード4が公開された年である。もう昨夜になってしまったが、TVでエピソード5《帝国の逆襲》が放映されていたので、そのことに気がついた。とりあえず日本も、今よりはまともで元気だった時代のはずである。


Keith Jarrett/Sun Bear Concerts (tower records/ECM)
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http://tower.jp/item/4602141/

Keith Jarrett/Sun Bear Concert, Tokyo 1976 encore
https://www.youtube.com/watch?v=0JqiPJeTWB4
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