So-net無料ブログ作成

虹の彼方に [音楽]

LivingstonTaylor_190602.jpg
Livingston Taylor

小西康陽の『わたくしのビートルズ』という本を読み始めたのだが、ハードカヴァーの堅牢な本で、読んでも読んでも終わらない。なぜなら幾つものレイアウトで組まれていて、一番小さなフォントのページは4段組だったりするからだ。この、読んでも読んでも終わらないというのは私にとっては悦楽で、なかなか読み切れない本というのに魅力を感じる。書籍でも雑誌でもスカスカの中身だと買いたくなかったりする。文字がびっちり入っているほうがお得感もあると思う。これって貧乏性? でも『大菩薩峠』は読んでいないし、『グイン・サーガ』も30巻か40巻くらいまでは読んだのだが、ちょっとここどうなの? というラフな感じを受けた個所があってそこでやめてしまった。読書なんてそんなものなんだと思う。

でも『わたくしのビートルズ』はいわばエッセイ集だから、どこから読んでもいいし、好きなところだけ読めばよいので気が楽。といいながら最初からページ順に読んでいて、合間合間に読んでいるのでなかなか消化できないのだが、なんとか半分は過ぎた。1日かければ読めるかと思っていたのだが全然無理だった。
小西康陽のことは以前、市川紗椰のCDの記事で書いたことがあるが (→2015年07月13日ブログ)、その後、ピチカートを熱心に聴いたとか、そんなことはない。そんなことはないなんて書いたらとても失礼だが、渋谷系って私にはとてもオシャレ過ぎて近寄りがたいイメージがある。

この本については、読み終わったらまたあらためて書こうと思っているのだが、リヴィングストン・テイラーのことが紹介されていて、でも今読み返そうとしたらどこに書いてあったのかわからなくなってしまったのだが、そしてそのあたりの音楽は私にとってはよくわからないジャンルなのだけれど、でもリヴィングストン・テイラーもケイト・テイラーもCDを買った覚えはある。リヴィングストンのアルバムはたまたま《Unsolicited Material》だったりする。

で、そのリヴィングストン・テイラーの若き頃でなく、もうかなり最近になってからの〈Over The Rainbow〉を歌う映像があって、これがシブいというか、とても美しい。晩年のレナード・コーエンなどと同じで、いや、コーエンはまだギラギラした何かの残滓を湛えていたがそういうのとは違う美学がリヴィングストン・テイラーにはあって、音楽の楽しさをしみじみと感じる。
〈Over The Rainbow〉は映画《オズの魔法使》(The Wizard of Oz, 1939) の挿入歌で、ハーバーグ/アーレンの作品。ほとんど誰でも知っているスタンダードである。1939年はタイプ41を設計したジャン・ブガッティが亡くなった年だということを脈絡もなく思い出したりする。

原作のライマン・フランク・ボーム (Lyman Frank Baum, 1856-1919) はハヤカワ文庫の佐藤高子訳で読んだが、それまでは 「オズの魔法使い」 の内容を全く知らなくて、怖い内容なのかもしれないと思っていた。訳文もすぐれているが、新井苑子のシンプルな線の挿絵も美しくて愛読していた。

〈Over The Rainbow〉は映画の《オズの魔法使》の中でジュディ・ガーランドの歌った曲だが、小西康陽の本の中にモニカ・ゼタールンドのことが書かれている個所があって、ジュディ・ガーランドもモニカ・ゼタールンドもその悲劇的な最期に関しては共通するものがあって、それを思うと心がしんとする。


わたくしのビートルズ 小西康陽のコラム1992-2019 (朝日新聞出版)
わたくしのビートルズ 小西康陽のコラム1992-2019




Livingston Taylor/Good Friends (Chesky Records)
Good Friends




Livingston Taylor/Over The Rainbow
https://www.youtube.com/watch?v=i5ZjWkUFnTg

Judy Garland/Over The Rainbow
https://www.youtube.com/watch?v=1HRa4X07jdE
nice!(84)  コメント(2) 
共通テーマ:音楽

nice! 84

コメント 2

末尾ルコ(アルベール)

これは素晴らしくワクワクさせていただける読書論ですね。
わたしも『大菩薩峠』、家にあるけどまだ読んでないのです。
読み始めはしているんですけどね。
もともとは市川雷蔵主演の美しい『大菩薩峠』を観たのが先だったのですが、原作は文体が独特ですよね。
その文体に乗り切れず、今のところ中断したままになっております。
『レ・ミゼラブル』なんかもそんな感じ。
子どもの頃に子ども向け長短縮版なら読了しましたが(笑)。

>読んでも読んでも終わらないというのは私にとっては悦楽

これなんですよね~。
いや、本当にこのお言葉、わたしのこれからの読書ライフに大きなヒントを与えていただきました。
わたしのは、つい急いで読もうとする傾向がありまして、なかなか読み進めないと焦れてしまうことが多いのです。
しかしlequiche様、「読んでも読んでも終わらないというのは私にとっては悦楽」とお書きになっているではありませんか!
長年の大きな疑問が解消した気がいたします。
そして読了していなくても、本は「そこにあるだけで意味がある」。
ここが電子書籍の類いとはまったく異なるところですね。
いや、本当に、部屋の中で読了せずに積まれている多くの本がより愛しく見えてきました。

> エッセイ集だから

ふと読めるのがエッセイ集のよさですね。
わたしは常にジャンルの違う書籍を手元にいくつも置き、いつでも読めるようにしておりますが、エッセイ集も必ず中に入れるようにしております。

リヴィングストン・テイラーについてはほとんど知らないのですが、今後また注目させていただきます。
「Over The Rainbow」は素晴らしい曲でわたしも大好きなのですが、やはり映画中ジュディ・ガーランドが歌うシーンは別格なのではないかと。
背筋が凍り付くほど美しく夢幻的なシーンだと思います。
ジュディ・ガーランドの人生については比較的最近知りました。
(あのドロシーが!?)と衝撃を受けたものです。



・・・

>あまりTVは見ていなかったのだと思いますが。

下手にテレビをつけていると、無用なストレスを溜め込む羽目になってしまいます。
「サビの垂れ流し」状態は椎名林檎の「NIPPON」だけではなく、安室奈美恵の「HERO」もそうだったですし、NHKは朝から晩までのトータルで構成されているので、垂れ流しを始めると下手したら民放地上波よりも酷くなります。
ところが民放BSのCMがまた酷くって、怪しいサプリのテレフォンショッピングまがいのもの連発なんです。

宇多田ヒカルをヴァージニア・ウルフに譬えておられますが、ますます宇多田ヒカルを深く聴かねばとモチベーションが上がります。
宇多田ヒカルはデビュー時、非常にメディアティックに取り上げられていいたと記憶しておりますが、やはり当時からウルフ的才能をお感じになっておりましたでしょうか。

>彼の論理は、本は売れなければ本ではない

どの分野でもそのような人間が幅を利かせておりますね。
しかもそうした人間に限って、わざわざ炎上狙いのコメントを出しまくって世間の注目を引ことし、そしてまんまとそんな術中に嵌ってしまう人間が大量に存在するのですよね。

>「男と女のラブゲーム」 のヴァリエーションなのです。

なるほどです。
何にせよ、「別れたい」という時に発する言葉として、「あなたとはもう駄目だから、別れたいんです」というのがどんな別れでも基本だと思うのですが、そこへ加えて「わたしはあなたのことを忘れないけど、あなたにはわたしを忘れてほしいの」なんて、あまりに陳腐でそちらの方に呆気に取られてました。
件のマンチェスター出身の英国人女性のことなのですが(笑)。
「あなたのことを忘れないけど」なんて言ってる時点で、もう忘れてるじゃねえか!という感じで、この女性は文学好きで世俗を嫌うような体裁をしていたけれど、このセリフに関してはものの見事に世俗そのものだったというお粗末です。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2019-06-02 15:26) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

長い物語のひとつとして、
たとえばアラビアン・ナイトがありますが、
きちんと読んでもいいし、好きなところだけ読んでもいい、
そういう自由さがあるように思うのです。
そしてその長大なストーリーは
いろいろなヴァリエーションに満ちているように見えて
実はどこも同じというアイロニーに満ちています。
所詮はベッドタイム・ストーリーですから。
もちろん緻密に積み上げられていて、
順番にきちんと読んでいかなければならない
という本も存在しますが、
だからといって必ずしもそのように読まなくても
いいのではないかと思っています。
その本をどのように読むかというのは
読者に与えられた自由であり権利であり、
極端にいえば曲解して読んだっていいのです。
ひねくれた読みのほうが真実を言い当てることもありますし。

読書スピードも本によりけりですね。
私はノウハウ本みたいなのはほとんど読みませんが、
必要があって読む場合は急いで読んでも構わないような
その程度の内容のものが多いです。
でも、急いで読むと味わいが無くなってしまうとか、
肝心な部分を読み落としてしまいがちな本も存在します。

テイラー兄弟の中で一番有名なのはジェームス・テイラーですが、
リヴィングストン・テイラーやケイト・テイラーも
それぞれに佳曲があって、すごい兄弟だと思います。
日本語wikiにはジェームスの項目っきりありませんが。

Over The Rainbowをジュディ・ガーランドが歌うことは
その年齢からすると少し大人びすぎていないか
という危惧があったと聞きます。
でも結果としてそれは大ヒットになりましたし、
歌の内容も解釈も美しくて、
この時代の映画はとても成熟していたように感じます。
そして音楽にもこのような品格が必要です。
今の映画はCGなどの表現技術こそ発達しましたが
その内実は、そこに籠められているはずの主題は
果たして機能しているのでしょうか。

安室奈美恵のHEROというのも今、YouTubeを検索して
初めて見ました。こういうものに私は疎いようです。
たぶん、映像が流されている状態だとしても
見ていないんだと思います。(笑)
現代のTVはまさに華氏451の提示した予言通りであり、
idiotの製造機でしかないのですが、安易な娯楽機具として
快楽のみに特化すれば麻薬と変わらない常習性がありますね。
TVもPCも元来は単なるツールであり、どのように使うか、
だと思いますが、現実はブラッドベリを彷彿とさせるばかりです。

いえ、宇多田がヴァージニア・ウルフだというわけではないです。
椎名林檎のほうがエンターテインメントな傾向がみられて
でもそれは一種の韜晦でもあるとは思うのですが、
ただ歌詞に含まれている内容は宇多田のほうが文学的であり、
椎名はどちらかというと記号的で抽象的です。
たとえばPerfumeだとその歌詞はほとんど記号でしかないですが、
そこには歌詞というものに対する異なった主張を
読み取ることが可能なように思います。
つまり別の面から見ると、抽象的になればなるほど
ステージ・パフォーマンスはカッコイイですね。

ああ、炎上狙い! 目立ちたがり屋なんですね?(^^;)
マスメディアはまさにマスなのであって、最大公約数でしかなく、
インターネットもまた同様にマスになってしまいました。
当初の矜恃は死に絶えてしまいました。
大量な物量であることは腐敗の始まりを意味します。
本を売ることと食料品を売ることが同じなのならば
出版社を止めて食品会社でも立ち上げればよいのに、
と思います。
幻という文字は幻滅の幻でもあるのです。

世俗……う~ん、なかなか良い言葉ですね。(^^)
小西康陽のエッセイの中には、
バブルの残り香のような男女の駆け引きの描写があって、
どこまでがホントでどこからが創作なのかわかりませんが、
(いや、実は全部実話なのかなぁ)
そうした下世話な話って惹かれる部分もあります。
江戸の頃の近松の心中ものとかと共通する
なにかドロドロとしたものが大衆の求めるものであり、
だとしたら本も食料品も同じ消費物でしかないのかもしれない
というふうにも感じてしまいます。
幻という文字は幻滅ではなくて幻妖なのかもしれないです。
by lequiche (2019-06-04 07:15) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。