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声もなく立ちすくむ深い森 ― マラン・マレ [音楽]

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Marin Marais

最初の動機はお得な廉価盤である。しばらく前からdeutsche harmonia mundiの廉価盤を少しずつ聴いていて、前に書いたイェルク・デムスのハンマーフリューゲルによるシューベルトも《ジャーマン・ロマンティシズム・エディション》の中に収録されていた中の1曲である。

それでバッハは確かに偉大なのだけれど、だんだんその前が聴きたくなってきて、それはイタリア、フランスなどのラテン系の音楽への希求を意味する。たとえばハルモニア・ムンディのスキップ・センペのエディションだと、最初にクープランがあり、パーセルがあってブクステフーデがあって最後にバッハという選曲がなされている。
そうした興味の一環として、ラインハルト・ゲーベルがあり《Le Parnasse français》というアルヒーフ盤に気づいた。これは以前からアルヒーフでリリースされていたものだが最近はデザインを変えた廉価盤が出されている。
マルカントワーヌ・シャルパンティエ (Marc-Antoine Charpentier, 1643-1704) が私にとってのターゲットのひとりであった。シャルパンティエといってもケーキ屋さんではない。シャルパンティエという姓は比較的多いようで (つまり英語読みにすればカーペンターなので)、作曲家も複数いる。
マルカントワーヌ・シャルパンティエはいわゆるフランス・バロックだが、作品数も多く、そのジャンルも広いのにもかかわらず、まだよく知られていない作曲家のようである。とりあえず作品に振られているヒチコック番号だけで500以上が存在する。

シャルパンティエをYouTubeで検索すると《Te Deum》のPréludeばかりが出て来てしまうが、どちらかというとシャルパンティエの本質からは少し外れた元気過ぎる曲で私は頭が痛くなってしまうのだけれど、スーザだと思えば気にならなくなる。
ゲーベルのシャルパンティエにはMusique sacréeというサブタイトルが付けられているのだが、tr2からの〈Messe pour les instruments au lieu des orgues〉H 513を聴くと、歌の重要性がわかってくる。第1曲のキリエの、器楽合奏があり歌、また器楽合奏というこの唐突さは何なのだろうか。そもそもこの4曲で全曲なのだろうか。

だがシャルパンティエよりもずっと心を引きつけられたのはCD1の冒頭にあるマラン・マレであった。
マラン・マレ (Marin Marais, 1656-1728) はシャルパンティエより少し後の生まれだが、ほぼ同時代人である。作曲家でありガンバ奏者であった。たぶんシャルパンティエよりもっと不明なことの多い人だと思うが、以前に読んだクセジュの『弦楽四重奏』という本の著者、シルヴェット・ミリヨがマレの研究者であったことを思い出した (『弦楽四重奏』は→2013年05月08日ブログを参照)。
マレの〈Sonnerie de Saint Genèvieve du Mont-de-Paris〉の延々と続く異様な旋律線。それはまるで樋口一葉のつづれ織りのようでもあり、ソーサラーの呪縛による酩酊のようでもある。幾つもの変奏でなりたっているのかもしれないが、こんなに表情を変えない変奏というものがあるのだろうか。それは延々と続くチェンバロの一定したリズムによって持続されている一種のアンビエントな麻痺である。でもこの頃のバロックを聴くと、なかなか終止形に辿り着かないように聞こえてしまうこうした書法がよくあることに気付く。
同じCD1にマレの〈Sonata à la Marésienne〉も収録されているが、こちらは小さな舞曲の集成であり、構成はやや自然だ。楽譜は通奏低音の数字の書いてある形式である。

YouTubeにはマレの〈Sonnerie de……〉のゲーベルの音源もあるが、音だけなので、動画になっている木村理恵ヴァージョンをリンクしておく。同時にブクステフーデの演奏もあるが、これも長い旋律線を持った曲である。
木村理恵はバロック・ヴァイオリニストで、エマヌエル・バッハのソナタをはじめ、何枚ものアルバムがある。バロックの森は深い。

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Marais: Sonata à la Marésienne

Reinhard Goebel/Musica Antiqua Köln
Le Parnasse français (Archiv)
Various: Le Parnasse Francais




Fantasticus XL/Conversed Monologue (Resonus Classics)
CONVERSED MONOLOGUE 18世紀の室内楽曲集




Fantasticus
(Rie Kimura, Robert Smith, Gulllermo Brachetta)/
Marin Marais: Sonnerie de Saint Genèvieve du Mont-de-Paris
https://www.youtube.com/watch?v=FAoxkVQ5NDA

Fantasticus/D. Buxtehude:
Sonate en la mineur pour violon, viole de gambe et basse continue
BuxWV 272
https://www.youtube.com/watch?v=70EFtk3vE7M

Rie Kimura, Pieter-Jan Belder/
C.P.E. Bach/Sonata in B minor, Wq 76
https://www.youtube.com/watch?v=_I58T0GaDDw
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末尾ルコ(アルベール)

クラシック音楽に明るくないわたくしですが、マラン・マレにはずっと前から慣れ親しんでいるのです。
その理由はただ一つ、『めぐり逢う朝』というアラン・コルノー監督の映画をかなり前に鑑賞し、いたく感銘を受けたからでありまして、その後も何度となく観ておりますゆえ、作品中に流れるヴィオラ・ダ・ガンバの音楽については耳の中でいつでも再生できる状態です。

『めぐり逢う朝』について少しお話させていただきますと、マラン・マレはジェラール・ドパルデューが演じておりまして、もちろん今ほど太ってはおりませんが(笑)、その師サント=コロンブとの人間関係、そして確執などを描いております。
この作品はもともとパスカル・キニャールの著作から生まれたということですが、ここまで書いて自分が映画鑑賞後、マラン・マレについてもサント=コロンブについてもまったく深めてないことに我ながら愕然といたしておりますが、それはさて置き、映画は実に美しいもので、まあ少々甘いところもあって、必ずしも「各方面から大絶賛」というわけではありませんけれど多くのセザール賞を受賞しており、わたしは大好きです。
作品中マラン・マレはサント=コロンブの娘と恋愛関係になるのですが、その娘を美しいアンヌ・ブロシェが演じており、この人は同時期にこれまたドパルデューと『シラノ・ド・ベルジュラック』で共演しておりまして、もちろんロクサーヌ役でございました。
映画の中でサント=コロンブはジャンセニストとしての生き方が強調されており、やはり欧州音楽と「キリスト教の本質」との関りは大きな興味です。
もちろんキリスト教にかかわる音楽はキリスト教以前のギリシャ、あるいはドルイドなどからの影響も受けているはずで、こんなワクワクすることはもっと能動的に調べたりすべきだとあらためて感じております。
そんなわけで今回のお記事も実に嬉しく拝読させていただきましたし、マラン・マレ、そしてその周辺の音楽ももっと積極的に聴いていこうと思いました。

・・・

カルメン・マキの歌唱、雰囲気、そのスケール感は、確かにアジア的ではないですよね。
と言っても、西アジアと東アジア、そして東南アジアはまったく違いますから、「東アジア的ではない」と言うべきかもしれませんが。
歌謡曲系からジャニスを聴き、ロック覚醒という流れが不思議に感じられるほど、実にナチュラルボーンなロックを感じてしまいます。

>高田みづえ、結構すごいな、

このような認識はわたしにとってほとんど「新たな世界」でして、少し前まで高田みづえとか、(昭和のショボいアイドル)くらいにしか捉えておりませんでした。
昭和のアイドルといっても、松田聖子ら、さらにずっと遡れば、林寛子などはファンでしたので、どうやら殊更高田みづえには「ショボい」イメージを持っていたようです。
(こうだ)と信じていたものが反転するのって、けっこうスリリングです。
高田みづえだけでなく、あらゆるものをできるだけ先入観抜きで見るというのも修業ですね、特にわたしにとっては(笑)。

>そのように仕向けられているだけなのが分かっていません。

これ、これ、これ、これ、これなのです!(笑)
わたしが常々感じている情けない消費者ぶり。
ほとんどの日本人が自分で選択してないのですよね。
それでいて、新たに市場に出たものを消費することで自分らが「先端にいる」という妄想を抱き、大事なものを大事にしている人たちを平気で貶めるのですよね。
特にある程度の影響力のある人たちでこうした状況を助長している人たちがいて、許し難いなと、リストアップしとこうかな(笑)、などと考えております。
もちろん暴力テロに走るつもりはありませんが(笑)。

>本はこの世から消去されます。

考えたらそうですよね~。
『華氏451』も引っ張り出して、またじっくり読んでみます。。

>かなり抒情的なのです。

『翔んで埼玉』含め、まだほんの少しか読んでない立場でいろいろ言うことはできませんが、この前も書かせていただきましたように、「黒」の現れ方やその際の画面構成が、いい意味での昭和ロマンティシズムを感じさせてくれて、とても心地いいです。 
                       RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2019-05-02 17:02) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

貴重な情報をありがとうございます。
《めぐり逢う朝》という映画は全く知りませんでした。
マレのような作曲家が映画の題材になるというのが驚きです。
しかも、調べましたら再発DVDが数日前に出たばかりです。

ジャン・ドゥ・サント=コロンブについても検索しましたが
IMSLPに手書きの楽譜があり、オリジナルかどうか不明ですが
記譜法に注目すべき点がありました。
バッハ以降の音楽とその資料を、きれいに整った図書館に例えれば、
それ以前の時代は雑然とした屋根裏部屋のようなものです。
でも屋根裏部屋は面白いです。

ゲーベルのCDの標題はパルナス・フランセですが、
ここにも意味があります。
パルナスはダイレクトにはパルナッソス山であり、
モンパルナスという地名の元なのですが、
いわゆる高踏派とも読めます。

日本の歌謡曲については私はほとんど何も知りませんので、
聴くことによって、ああそうなのか、と思うことばかりです。
ただ、まだ昭和の頃は混沌とした状態であり、
それでいながらレコードやCDは今より売れていましたから
かなり思い切ったことができてしまった部分はあるようです。
シングルが1曲ヒットすればアルバムが作れる時代で、
それは無理矢理に12曲をでっちあげてしまう作業です。
誰だったか忘れましたがイントロがキング・クリムゾンそっくりとか
そういうの、今だったら無理だと思うんですけれど、
その当時だとパスできてしまったんでしょうね。

日本人は平均して、新しいものが好き、お祭り騒ぎが好きです。
それをメディアがさらに煽動するのでそうしないといけない
みたいな強迫観念があるんじゃないかと疑ってしまいます。
私は新しいものにすぐに飛びつかないので、
経済的利益には貢献していません。
それに 「公共の」 とか 「誰もが利用できる」 ものが嫌いなので
扱いやすい国民にはなれそうもありません。(^^)

昭和ロマンティシズム、確かにそうですね。
外国名を多く用いながら実は昭和であるという面は
あると思います。
by lequiche (2019-05-03 01:38)