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革命前夜の不安 — エル=バシャ《プロコフィエフ/初期ピアノ作品集》 [音楽]

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プロコフィエフの初期のピアノ曲をMIRAREから出ているエル=バシャで聴く。
アブデル・ラーマン・エル=バシャ Abdel Rahman El Bacha はレバノン生まれの、現在私が最も好きな (信頼している) ピアニストの一人だが、すでにプロコフィエフのピアノ協奏曲の全曲盤もあり、プロコフィエフの演奏には定評があるようだ。最近の風貌はちょっと修行僧っぽい。

今回の盤はタイトルが《初期ピアノ作品集 Prokofiev œuvres pour piano》となっていて、op.11、op.12、op.14、op.17、op.22の全5曲が収録されているが、これは以前、仏Forlaneから出ていた《Prokofiev/premières œuvres》というop.1〜op.4までのディスクの続編であると思われる。もっともこのForlane盤はすでに廃盤になってしまっているようで、私は未聴である。(訂正:すみません。ちゃんとHMVで売っていましたので文末にリンクしておきます)
op.5からop.10まではピアノ曲ではなく、op.4の次のピアノ曲はop.11であるので、ゆくゆくはソロピアノ曲の全集にするつもりなのかもしれない。というのはエル=バシャにはショパンの全集盤もあるのだが、それは作曲された順番に収録されているセットで、今回のプロコフィエフもパターンがそれと同じだからである。

作曲されたのはop.12の〈10の小品 Dix pièces pour piano〉が最も早くて1906〜13年、そして最後のop.22が1915〜1917年という時期で、プロコフィエフがアメリカに亡命する前までの作品であり、かなりエキセントリックで尖鋭的な作品群といってよいだろう。
1曲目のop.11〈トッカータ〉は一定の急速なリズムでの打鍵によってそのほとんどが構成されているピアノのテクニックの試験みたいな曲で、作曲者の意図はたぶん可能な限りメカニカルに弾く、ということにあるのではないかと思われる。
〈10の小品〉op.12、〈サルカスム〉op.17、〈つかの間の幻影〉op.22はそれぞれが数曲からなる小曲集だが、プロコフィエフ独特の曲がりくねったような素直でないラインが特徴的で、こうした初期の曲は、さらにその曲がりくねり具合をわざと誇張したような、シニカルで屈折した表現が顕著であるように思われる。それでいてその中にふと出現する無防備に垣間見える叙情的な表情があり、その不思議なイメージが美しい。

〈10の小品〉は、それぞれに舞曲の名前が付いているのだが、Allemandeといいながらこのひねくれかたは、とてもアルマンドとは言えない。でもプロコフィエフがアルマンドというのだからアルマンドなのだろう。
リゴドン Rigaudon というのも知らなかったのだが、ブレとかジーグみたいな速めの舞曲を言うらしい。これも同様にバッハのジーグを連想すると裏切られる。

でもこのディスクのメインはソナタ第2番だ。1912年に書かれた4楽章の作品。
冒頭はいかにもスリリングな雰囲気なのだが、少し気負い過ぎというか、第2〜第4楽章に較べるとこの第1楽章は難解に聞こえる。しかしエル=バシャの演奏はどこにも淀みがない。複雑に見える関係性がどういうふうになっているかがよくわかるし、プロコフィエフがどいう意図でこうした構成をとったのかがきちんと伝わってくる。

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第1楽章は中間部にちょっと晦渋な部分があって、YouTubeにあるリヒテルの古い演奏などを聴くと、もちろん年代的に古いのだから仕方がないと思うのだが、ただもごもご弾いているだけのように聞こえてしまってそれらの音がなぜそこにあるのかという必然性が弱いような気がする。それと内声部に主旋律がある箇所では、それを聴かせようとする気持ちがあるのはわかるのだが、リヒテルの他声とのバランスの取り方に不満があって、メロディにからむ上声と下声の美しさが出てこない。その点、エル=バシャは秀逸である。何よりも異なるのはリズム感のコントロールだ。

第2楽章 Scherzo は印象的な主題なのだが、ほとんどこれ一発だけで成り立っているような楽章でもあって、印象的なのだけれどちょっと失敗すると下品になってしまう曲想でもある。

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第3楽章は Andante で静かに始まり、悲しい表情を見せる。ところがだんだんと声部が複雑になってゆき、リズムが細かく、8分の7拍子で16分音符が入り始めると全体が気だるく崩れてゆく。

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リズムが4分の4に戻り、とまどいのような素朴な貌を見せるが、そのリズムのままでだんだんと和音が拡張して込み入ってくるところはミニマリズムっぽい感触がする。リズムが8分の7になるのがひとつのきっかけであって、音は腐爛したように溶解してゆく。

終楽章は急速なリズムの前奏があって、主題が提示されるがこの主題は結構古典的であってわかりやすい。だが急に4分の2となって、つまり拍子の変わるのがきっかけとなって表情ががらっと変わる。

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一度8分の6に戻ってから、今度は4分の3になって不安げなModeratoとなる。でもそれは一瞬でまた急速なリズムに戻り、ここから最後までは今までのいろいろなものが回想されながら駆け抜けていく。基本的なリズムのキープ感が重要なのは〈トッカータ〉と同じだが、ソナタの場合はそれは自明のことであり、回想をよぎっていく音はより多彩だ。この美しさは、いや、これを美しいと感じるのはプロコフィエフ好きな私の贔屓めなのだろうか。過ぎてゆく時の流れの再現のように感じてしまうのは私の勝手な感覚に過ぎないのかもしれない。
これをプロコフィエフが書いたのは1912年、彼がまだ21歳の時。ちょうど100年前の作品である。


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Abdel Rahman El Bacha/Prokofiev œuvres pour piano (MIRARE)
http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=4957946

Prokofiev_PremieresOeuvres_FirstWorks.jpg
Abdel Rahman El Bacha/Prokofiev premières œuvres (Forlane)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/666156
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