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1958年という分岐点 ― マイク・モラスキー『戦後日本のジャズ文化』その3 [本]

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石原裕次郎 (嵐を呼ぶ男)

前回の記事 (→2017年08月10日ブログ) の続きである。

日本のジャズの勃興期と映画の発展とは密接な関係性があるように思える。モラスキーによれば、大正中期、関東大震災後の関西の〈カフェ〉(ダンスホールのこと) におけるダンスの大流行があり、そこで 「ジャズと呼ばれる音楽」 が使用された、とある (p.4)。

しかし、とりあえずジャズという音楽ジャンルが一般的に認識されるようになったのは、昭和初期のメディアの発達 (つまりアナログレコード) であり、輸入盤も存在したが、やはり日本語で歌われた 「ジャズ」 が人気となった。
そのきっかけは、いくつかの先行曲があるが、決定的なのは日活の映画《東京行進曲》(監督・溝口健二、1929) の同名の主題歌であったという (p.5)。
歌詞の中に 「ジャズで踊って リキュルで更けて╱明けりゃダンサーの 涙雨」 (作詞・西条八十、作曲・中山晋平) と 「ジャズ」 という言葉が使われているが、曲調としてはジャズではなく 「小唄」 であるとモラスキーは書いている。つまり当時はジャズと呼びさえすればジャズだった時代なのであり、ジャズという概念が今より広く、かつ、ルーズだったのである。

ジャズ喫茶という名称自体にも変遷があり、戦前の音楽喫茶 (ジャズ喫茶) ではタンゴのレコードもかけていたのだという (p.210)。それはタンゴがダンスホールでかけられる音楽だったからで、つまり極端にいえば洋楽 (舶来の音楽) ないしは洋楽風な曲はすべてジャズと称されてもよいことになる。
かならずしもジャズと関連しない用法は、かなり時代が下るまで続いていたのではないだろうか。たとえばグループサウンズ全盛期の頃 (1960年代後半) のライヴハウスは 「ジャズ喫茶」 と呼ばれていたのである。

さて、モラスキーはジャズと映画の関係性を示すサンプルとして、黒澤明の《酔いどれ天使》(1948) と井上梅次《嵐を呼ぶ男》(1957) をあげている。
《酔いどれ天使》(主演・三船敏郎) の中で使われている音楽にはクラシックとジャズがあり、そのクラシック╱ジャズという対比がすべてに敷衍しているのだとモラスキーはいう。明と暗が対比され、クラシック音楽は正の象徴、ジャズは負の象徴であるのだという。黒澤はジャズを堕落、浅薄、狂気といったイメージに結びつけているとのことだ (p.55)。「とのこと」 と書くのは、私はこの映画を観たことがないからなのだが、その後の黒澤作品におけるクラシック音楽の使われ方をみても、センスが教条的であり、納得できる指摘である。
一方、《嵐を呼ぶ男》(主演・石原裕次郎) にもクラシック╱ジャズという対比があるが、主役の石原裕次郎はジャズ・ドラマー、そしてクラシックを学ぶ弟という配役である。しかし黒澤映画とは逆に、ジャズが正、クラシックが負というような2項対立ではない。むしろ、音楽のジャンルは違うが互いに認め合い応援しているという兄弟愛が描かれて、何よりこの映画は石原裕次郎という人気スター出現のきっかけとなった作品であり、それに《酔いどれ天使》から10年後の作品でもあるので、ジャズに対する認識をそのまま比較してしまうのは少し無理があると思われる (とは言っても、黒澤のクラシック音楽偏重が終生変わらなかったことは、立花隆の武満徹論からも感じ取れることである)。

《嵐を呼ぶ男》の公開は1957年12月28日であり、実質的には1958年正月用の映画であった。そしてこの1958年という年をモラスキーは分岐点と位置づけている (p.149)。
というのはルイ・マルの映画《死刑台のエレベーター》が公開されたのも同じ1958年なのだ。それはヌーヴェルヴァーグという、文字通り新しい波の日本への流入であり、音楽を担当したマイルス・デイヴィスは、ラッシュを観ながら即興で吹いたということで伝説的ともいえる作品である。
《嵐を呼ぶ男》は、まだスウィング・ジャズ、というより 「ロカビリーや日本の歌謡曲に近い歌を 「ジャズ」 として描写」 (p.152) していたが、《死刑台のエレベーター》は当時最先端のクール・ジャズである。つまり、日本ではまだそれだけのタイムラグが存在していたのだ。
一方で、「ジャズは軽薄な大衆音楽だと見なしていたインテリ観客」 (p.151) には《死刑台のエレベーター》の音楽は強い刺激を与えたようである。モラスキーはそのことについて触れている植草甚一を引用しながらも、植草が語っているよりももっと影響は強かったはずだという。
そしてまた、この2本の映画《嵐を呼ぶ男》と《死刑台のエレベーター》はあまりにも映画のテイストが違い過ぎるゆえに、当時、両方を観た観客はそんなにいなかったのではないか、ともいう (p.152)。

2本の映画はまるで異なるジャズ像を描いている。スウィングからモダンへ、というよりも、それぞれの作品の背景とする社会に包含されているジャズ像が異なるのである。《上海バンスキング》で、スウィングが時代遅れとなりビバップにとってかわられることへの嘆きが描かれたのと同じように、ジャズはモダン・ジャズへと動いていたこと、それがモラスキーのいう分岐点の意味である。それは音楽だけでなく、映画の製作手法の変化でもあることは確かだ。そして1958年とは、日本の映画観客動員数がピークになった年 (11億2千7百万人) なのであった (p.43)。ちなみに2016年は約1億8千19万人である。1958年は観客動員数における特異点といってもよい。
翌年の1959年にはロジェ・ヴァデムの映画《大運河》(1957) が日本で公開されたが、その音楽はMJQによるソフィスティケートされたジャズであった。そして1961年にはアート・ブレイキーが初来日して評判となる。いきなりタイムラグが短縮されてきた状態である。そして1959年にマイルスがリリースしたアルバムが《カインド・オブ・ブルー》である。

さらに時代を下った1966年、五木寛之の処女作『さらばモスクワ愚連隊』についてモラスキーは解説する。この小説でもクラシック╱ジャズという対比があり、主人公の日本人・元ジャズピアニストとソ連高官との会話の中で、クラシックは芸術でありジャズは娯楽であるとその高官は断ずるのだ (p.94)。それに対して主人公は実際にピアノを演奏して対抗するのだが、ここでも黒澤明と同じような価値観が語られていることが興味をひく。つまり、クラシック音楽至上主義は継続して存在し続けるのだ。

しかし果たしてクラシック音楽とはそんなに高尚なものなのだろうか、という疑問をモラスキーは提示する。渡辺裕『聴衆の誕生』によれば 「一九世紀初期まで、ドイツの演奏会は混沌とした 「社交の場」 であった」 (p.96) というのである。観客が音楽を聴きながら、あるいは聴きもしないで酒を飲んだりトランプをしたりするような演奏会もたくさんあったのだという。それはオペラや、さらには演劇においても同様であり、ローレンス・レヴィンも 「一九世紀半ばまで演劇やオペラやシンフォニーなどのパフォーマンスを見ながら喝采を送ったり、揶揄したり、感動の喚声を思わず発したりするのが一般の習慣だった」 (p.97) と言っているのだそうだ。
ところが次第にそうした行動は下品であるという認識が強まり、そうした下品なふるまいは、高尚な芸術に対しては行ってはいけないというのがマナーとなり、大衆芸能についてのみ、そうしたアクションが許されるというふうに変化していった。
たとえばシェイクスピアは高尚なグループにカテゴライズされてしまったため、それまでは庶民の楽しみだったのに、お勉強の対象となって、大衆の支持から乖離してしまったのだという。
これは日本の伝統芸能などにもいえる。歌舞伎や人形浄瑠璃や相撲などはもともとマス席で飲み食いをしながら見るものだったはずだ。それは前述のドイツの演奏会の混沌と大差ない。

そうした教条的な音楽の聴き方を、一時の閉鎖的なジャズ喫茶でクラシック音楽を聴くのと同様に強要したかたちとなったのは、ジャズを高尚なポジションに引き上げようとする気持ちもあったのではないかと思われる。

しかし本書最後のほうで、つまり2005年時点で最も多くジャズが流されているメディアは有線放送である、とモラスキーはいう。多くが飲食店などのBGMとして使用されているわけだが、その有線放送チャンネルのジャンルの区分の表示で思わず笑ってしまった。ジャズとクラシックは 「ジャズ╱クラシック」 というジャンルとして、まとめてカテゴライズされているのだ (p.355)。
つまり有線放送においては、「ロック╱ポップス」、「演歌╱歌謡曲」 というジャンル分けと同様にして 「ジャズ╱クラシック」 というジャンルの判断をしているのである。それはデルシュミットが1980年代のジャズはMuseumと分類したのに通じる。

その他にも面白い話題が数々あって、しかも読後、それがどこに書いてあったのかをすぐに見つけることができるのは、文章構造が整然として理論的であることの証左である。

レコードジャケットのタブーという話も面白い。それは黒人╱白人という構造のなかに見えてくるものなのだが、ジャケット写真の使い方として 「白人女性が黒人男性の欲望の対象とされるような写真はタブー」 であり、また 「白人奏者のジャケットを黒人女性が飾るのもタブー」 なのだという (p.237)。そして 「黒人男性のジャケットを黒人女性が飾ることは、まれ」 であったとのことである。そうした風潮のなかでマイルス・デイヴィスの《Someday My Prince Will Come》(1961) のジャケットは当時マイルスの妻であった女性の写真であり、それはマイルスがコロンビアに要求したものなのだそうだが、そのような事情からみれば画期的なジャケットだったのだという (p.238)。マイルスだったからできたことなのだろう。

また、ジャズに関する文学の例として、筒井康隆の 「懐かしの歌声」 と村上春樹の『国境の南、太陽の西』(1992) が取り上げられているが、村上春樹のこの作品では主人公たちがナット・キング・コールの歌う〈国境の南〉(South of the Border) を聴くという描写があり、一種の音楽的キーワードとして作用するのだが、ナット・キング・コールは〈国境の南〉を録音していないのだというのである。つまりそれは村上の作り上げた小説のなかの虚構であり、あ、ホワイトフィールドだ、と納得してしまった。さらにいえば小説とはそういうものなのである。

と、最後はぐずぐずになってしまったが、ともかく刺激的な本であった。たぶん今年読んだなかではベストである。

おまけとして、河野悦子こと私からの誤植チェックであるが、422ページの注・第6章 (4) の倉橋由美子『暗い旅』の出版社は 「都東書房」 ではなく 「東都書房」 である。かなり有名なかつての出版社なのであるが、ATOKで 「とうと」 と入力しても変換されないので、すでに東都という言葉は死語に近くなっているのかもしれないし、最近の若い編集者や校正者は気がつかないのかもしれない。


マイク・モラスキー/戦後日本のジャズ文化 (岩波書店)
戦後日本のジャズ文化――映画・文学・アングラ (岩波現代文庫)




Miles Davis/Ascenseur pour l’échafaoud (ユニバーサルミュージック)
死刑台のエレベーター(完全版)




Miles Davis/Someday My Prince Will Come (Sbme Special Mkts.)
Someday My Prince Will Come




嵐を呼ぶ男・石原裕次郎
https://www.youtube.com/watch?v=I8xI_QgRSAU
嵐を呼ぶ男・予告編
https://www.youtube.com/watch?v=PZcvQoqMVw0
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消え去る音と記録される音 ― マイク・モラスキー『戦後日本のジャズ文化』その2 [本]

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John and Alice Coltrane (December 1964)

前回の記事 (→2017年08月07日ブログ) の続きである。

マイク・モラスキーがジャズという音楽に対して持った強いこだわりとは、簡単なテーマのコード・プログレッションに沿ってそれをインプロヴァイズするのが通常見られるパターンであるが、その一期一会的な、二度と再現不可能な演奏が成立したときがジャズの醍醐味だというのだ。
音楽とはエリック・ドルフィーが言ったように、本来なら空中に消え去ってしまうものであり、それを録音によって繰り返し再生することは、それもジャズの記録として貴重なものであるにせよ、ジャズの精神本来のものではないとするのである。

そのため、有名なミュージシャンによって録音された演奏を繰り返し聴くよりも、たとえ無名のミュージシャンの演奏であっても、生の音を聴く、その場に立ち会うということが重要だというのである。

 ジャズは即興演奏と自発的グループプレイとミュージシャンひとりひと
 りの創造性を重視する音楽である以上、やはり世界各地での、⦅録音さ
 れなかった⦆無数のライブ演奏の存在がジャズを理解するのに不可欠だ
 と思う。また、同じライブ演奏のなかでも、コンサートホールや野外で
 行われる大きなジャズ祭よりも、ミュージシャンと聴衆が身近に接触で
 きる、こぢんまりしたクラブでの演奏のほうが〈ジャズ〉という音楽の
 最適の場である、というのが、私の長年のミュージシャンおよびファン
 としての結論である。(p.viii)[⦅二重カッコ内⦆は傍点あり。以下同]

こうした認識は即興を主とするジャズに限らない。厳密な楽譜の存在するクラシックにも、もちろんポピュラー音楽全般にも同様に言えることである。著名なオーケストラの演奏をどんな高級なオーディオ装置で聴くのよりも、それが地方のあまり有名でないオーケストラだとしても、生で聴く演奏のほうが音楽としての感興は大きいと私も思うのである。
そう言いながら、滅多にコンサートにも、ライヴハウスにも、映画館にも行かない私なのであるが、でもたぶん100枚のCDよりもたった1回のコンサートのほうが、心に刻まれる記憶は強いはずである。

しかし、ジャズは即興にあるといいながらも、全く無からのインプロヴァイズがあり得ないことはモラスキーも指摘している。何らかのオハコとするパターンがあり、決まったクリシェがあり、そうしたパーツの集積がアドリブ・ブレーズとなる。
キース・ジャレットが、そのソロ・コンサートでは何もないところから音が作られるというようなことを語っていたことがあるが、それは言葉のアヤであり、端的に言えばウソである。同様な分析法として、もしヒマな人が試みようとすれば、セシル・テイラーの手クセがどのかたちか、どのような頻度で、どういう状況で出現するのか、解析することは可能だろう。それはセシル・テイラーでもチャーリー・パーカーでも同じなのだ。ただ、その瞬発性とその時々に生起する他ミュージシャンのアクションに対する多様な対応がアドリブなのである。
ライヴではそうしたアドリブが、聴衆にインスパイアされて思いもよらない方向に行くことがあり、つまり演奏者対聴衆という関係性が大事であることをモラスキーはいう。

そうしたモラスキーのスタンスから、往事のジャズ喫茶と呼ばれるオーディオ再生に特化されたジャズの聴き方に辛辣な意見が出てきてしまうのは当然である。もちろんそうした店がある程度のエヴァンジェリスト的な役目を果たした功績は大きいかもしれないが、偏狭に堕した結果、それが衰退する根拠ともなり得たのだろう。

エクハート・デルシュミットという日本研究者の戦後ジャズ喫茶論の紹介があるのだが、その分類によると、1950年代:School、1960年代:Temple、1970年代:Supermarket、1980年代:Museumというのである。
1950年代はまだレコードも稀少であり知識も乏しく、ジャズ喫茶店主の選曲によって学ぶ時代であった。しかし60年代はそれが進み、ジャズ喫茶は神聖で沈黙が支配する宗教性を帯び、禁欲的、求道的な場所となる。ところが70年代になるとフュージョンによる軽さ (むしろ軽薄さ?) により傾向はがらっと変わり、そして80年代はもはや博物館的な古典に変貌していく、というストーリーなのだ。あまりにシニカル過ぎる形容だろうか。

日本における当時のジャズ喫茶は、音を黙して聴くということが大前提であり、会話することとか、他のことをしながら聴く 「ながら聴き」 などもってのほか、という雰囲気があったのだとモラスキーは言う。それを儀式とフェティッシュの場であるジャズ喫茶と彼は形容する。

 ジャズ喫茶は、〈レコード〉という無限に再生可能な〈物〉を中心とす
 る空間であり、同じ場所で定期的に同じ演奏を (リクエストすれば) 何
 度も聴けるという意味で、まさに〈儀式〉の論理を実現する場でもある
 といえよう。ここでいう〈儀式〉とは、すなわち、ある集団がある場で、
 共同体験の⦅反復⦆によって、時空的制限を超越し、〈過去〉(ジャズ史)
 や〈死者〉(死んだジャズ・ミュージシャン) や〈神〉(マイルスやコルト
 レーンなど、最も英雄視されているジャズメン) との連帯感を味わうこ
 とを意味するのである。(p.221)

レコードによる再生芸術か、それとも生演奏かという対立について、モラスキーは五木寛之の見方を評価している。モラスキーによれば、五木寛之はそんなにジャズの知識は豊富ではなかったという。しかし音楽の捉え方として直感的に生演奏の重要性を把握していた、とするのだ。

 五木は録音された音楽というのはジャズ本来の姿ではない、と見なして
 いるようである。レコードは、聴衆を一種の〈参加者〉から単なる〈傍
 観者〉に、強いて言えば一人の〈共演者〉から〈消費者〉に置き換える
 機能を果たす傾向があるのではないか。(p.119)

音楽とは原初的にコール&レスポンスなものであり、それはブルースの発祥とかゴスペルに通じるものなのであって、プレイヤーとリスナーとの垣根はずっと低いとするのだ。たとえば武満徹がガムランに興味を示したのもそうした感性に通じる。
しかし、当時のジャズ喫茶はそうした音楽の喜びとは対極的な対話を排する内閉的な傾向になっていった。そしてまた、彼らはクラシック音楽などのコンサートホールでの気取った振舞いの聴衆をスノッブであるとバカにするような傾向があったが、では自分たちはどうだったのか? そうした沈黙を強制させるような厳しい抑制は一種のファシズムなのではないか、とまでモラスキーは言うのである。

したがって、当時のフリージャズ全盛の頃の聴き方が果たしてどのような必然性で出て来たのかということを改めて考え直さなければならないのかもしれない、という論理も成り立つのである。フリージャズは当時の学生運動と連携して、一種のカリスマ性を獲得したが、それは時代の流れとともに色褪せる。その結果、出現したのが反動としてのフュージョンであったというふうに読み取れる。

 ジャズ界内外からもモダン・ジャズ、とくに六〇年代半ばから日本で注
 目を集めたフリージャズは、〈革新派の音楽〉として認識されるように
 なった。ところが、一九七〇年代初期を過ぎた頃から、学生運動の挫折
 と入れ替わる、軽いフュージョン系のジャズが流行りはじめるにつれて、
 このイメージが脱落する傾向も見られ、一九八〇年代では、ジャズの
 「政治性」 がほとんど話題にならなくなったといえる。(p.148)

モラスキーは、コルトレーンがフリーへと没入していったのは、政治状況への反応やイデオロギー的主張ではなく、また単なる音楽的な冒険でもなく、彼本来が持っていた宗教的意味合いが深いと分析する。それは曲のタイトルの宗教性にもあらわれており、たとえば〈Ascention〉も音楽的な上昇を目指し、次の次元にいくという意味よりは、もっと純粋に、キリストの昇天という意味のAscentionなのではないか、というのだ。(p.162)

とすれば、コルトレーンの死後に出された《Cosmic Music》(1968) というアルバムの中の〈Manifestation〉というバリバリにフリーな曲も、邦題は〈顕示〉とされていたがそうではなく、「霊の出現」 というような宗教的な意味であると考えるべきなのだろう。まして、最近流行のマニフェストという陳腐な言葉とは何の関連性もない。

とすれば、日本特有のジャズ喫茶という形態は時代状況にコミットしたかたちでのシステムであったとも言えるのだ。前述したデルシュミットの70年代に対する形容がTempleであったのが笑いを誘う。決してChurchではなくTempleなのは、それが日本的にローカライズされている現象であることを意味している。

(つづく→2017年08月12日ブログ)


John Coltrane/Ascention (Verve)
Ascension: Editions I & II (Reis) (Rstr)




John Coltrane/Cosmic Music (Impulse Records)
Cosmic Music




John Coltrane Quartet/Impressions
https://www.youtube.com/watch?v=03juO5oS2gg

John Coltrane/Manifestation
https://www.youtube.com/watch?v=xJXJmXf1f6M
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エボニー&アイボリー — マイク・モラスキー『戦後日本のジャズ文化』 [本]

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(L to R) Charlie Barnett, Tommy Dorsey, Benny Goodman,
Louis Armstrong, Lionel Hampton
(jazzinphoto.wordpress.comより)

久しぶりにスリリングな本を読んだ。
それはマイク・モラスキーの『戦後日本のジャズ文化』という本である。2005年に青土社から出されたが、今年、岩波現代文庫から復刊されたのを読んでの感想である。

モラスキーは1956年アメリカのセントルイス生まれで現在早稲田大学教授、この本は彼が日本語で書いた最初の本とのことである。タイトルにあるようにジャズの話が中心とはなっているが、音楽的に特化したものではなく、むしろ文化論であり、アメリカと日本のジャズとの対比ということから捉えるのならば比較文化的な面も見られる。
「日本の居酒屋の大ファンであり、赤提灯をテーマにしたエッセイも執筆している」 とのことだが、英語ネイティヴでありながら、かつ日本語もこんなに上手いなんて……。同著でモラスキーはサントリー学芸賞を受賞した。

まえがきにおけるアメリカと日本のジャズ評論の姿勢の違いということに、まずどっきりさせられる。アメリカにおけるそれは白と黒の二項対立であり、つまり白人対黒人という面からジャズは何かというふうに考えるのに対し、日本人は白でも黒でもないから、その二項対立に与し得ないということである。それは 「日本人ははたして「本物」 のジャズが演奏できるのか?」 という日本人ミュージシャンの悩みであり、モラスキーはE・テイラー・アトキンズという人の指摘を援用し、それをauthenticity (本質論主義) と形容する (p.397)。そのいわゆるコンプレックスが日本人ジャズの根本にある、とする論理なのである。

そしてもうひとつ、人種に対する問題意識は日本人自身は直接関与することではないけれど、そこそこに理解しているのとは対照的に、著しく欠如しているのがジェンダーだとする。なぜならジャズ・ミュージシャンを形容する言葉としての 「ジャズメン」 という言葉は、あきらかに男性優位の表現であり、実際にジャズ・ミュージシャンは圧倒的に男性が多いにせよ、一時期に隆盛を極めたジャズ喫茶にしても、全ては男性主体な接客法が常道であったのだという。にもかかわらず、では今までの日本人ジャズ・ミュージシャンのなかで最も世界的に影響力が大きかったのは誰かといえば、それは穐吉敏子 (秋吉敏子) であるとするのだ (p.vi)。
モラスキーはそう断言しているが、私も全くその通りだと思う。つまり穐吉は、アメリカ人でないという障壁と、男性でないという障壁を乗り越えて、自分の音楽をアメリカ人に納得させたおそろしくアグレッシヴなミュージシャンなのである (穐吉については以前、簡単に書いた→2012年02月17日ブログ)。

まず、アメリカにおける白人対黒人という対比において挙げられるのが、スウィングとビバップである。スウィング・ジャズはダンス・ミュージックがその母体であり、アメリカ民主主義の象徴であるが、対するビバップは踊ることを拒否する 「通」 向けのアンダーグラウンド音楽であるとする (p.2)。
モラスキーは日本におけるジャズの黄金期、全盛期は3回あったという。昭和初期のダンスホール時代、戦後すぐの大衆向けのダンス・ミュージックとして、そして1960年から70年代前半にかけての大学生中心のモダンジャズ全盛期の3回である (p.393)。

 「東京行進曲」 の出現と同年には、本郷赤門前の〈ブラックバード〉と新
 橋の〈デュエット〉という日本初と思われるジャズ喫茶が生まれ、一二
 月から川端康成の 「浅草紅団」 が東京朝日新聞の夕刊に掲載され始めた
 ことを考えると、日本で最初の〈ジャズブーム〉は一九二九年に始まっ
 たといってもよいだろう。(p.6)

スウィングは一世を風靡したがその音楽のスター楽器はクラリネットであった。時代を担ったひとりであるベニー・グッドマンは貧しいユダヤ系の生まれであり、幼くしてプロとなった。そのため、ああした音楽は下品だとするエリートからの冷たい目も当然あったのだと思う。
しかしグッドマンは偏見にもめげず、まだ人種差別が強い頃にもかかわらず、メンバーに黒人を採用した。1938年の有名なカーネギーホール・コンサートは、クラシック音楽の殿堂であるカーネギーホールで、しかも白人のミュージシャンと黒人のミュージシャンが混淆して演奏するという画期的なコンサートだったのだ。それはそれまで、あり得ないことだったのである。
バルトークの書いたクラリネット、ヴァイオリン、ピアノのトリオによる《コントラスツ》(1938) は、グッドマンとヨゼフ・シゲティに献呈された。3人の演奏による録音も残されている。

グッドマンが成功してから製作された《ベニイ・グッドマン物語》(1956) という伝記映画があって、「あんな甘っちょろい映画」 と酷評するのを読んだことがあるが、甘っちょろいのはこうした映画の常である。それよりもそこに至る道程がどれだけ困難だったかを考える必要がある。

戦前の、モラスキーが分類する日本におけるジャズの最初の黄金期には、上海におけるジャズシーンも含まれる。それは斎藤憐の《上海バンスキング》にも描かれたスウィングの時代であった (上海バンスキングについては→2017年02月06日ブログ)。

(つづく→2017年08月10日ブログ)


マイク・モラスキー/戦後日本のジャズ文化 (岩波書店)
戦後日本のジャズ文化――映画・文学・アングラ (岩波現代文庫)




マイク・モラスキーwebsite
http://www.molasky.jp

The Benny Goodman Quartet: I Got Rhythm (1959)
https://www.youtube.com/watch?v=NTKOgTk2gGE

Benny Goodman and His Orchestra: Sing Sing Sing (1957)
https://www.youtube.com/watch?v=YsVJuulCmAE

江弘毅×マイク・モラスキー 江弘毅の言いっ放し五都巡業
まさかの追加講演! 「東西呑み比べ文化論」
https://www.youtube.com/watch?v=MnyOqiQw3RA&t=31s
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