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森茉莉の文章について [本]

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森茉莉 (1903-1987)

昨年から今年 (2016年から17年) にかけて、森茉莉の文庫本が3冊、筑摩書房から出された。『紅茶と薔薇の日々』『贅沢貧乏のお洒落帖』『幸福はただ私の部屋の中だけに』というタイトルで、早川茉莉による編集である。
短いエッセイ (つまり小説以外の文章) を集めた内容なのだが、雑誌掲載のものは膨大にあり、全集に収録されていなかった作品が幾つか発見されたが、それだけで出すのには本としてあまりに力不足なので、それらしくジャンルを分け、それぞれ既出の作品で水増しして3冊にした、というのが実情だと思われる。

それらしく、というと語弊があるのかもしれないが、森茉莉の文章は何かのテーマで書き出しても、どんどん脱線していって最後になって辻褄を合わせていたり、もっとすごい場合は全然辻褄を合わせなかったりすることがあって、もうメチャクチャ、それが楽しいのである。未出の作品ははっきり言ってわざわざ読むほどの内容ではなかったし、やたらに重複した記述の内容が並んでいたりして、それもまたショーモナイのにもかかわらず、それでも読んでしまうのがファンの悲しいところである。

森茉莉 (1903-1987) は森鷗外の2人目の妻・志げとの間に生まれた長女で、鷗外が溺愛したことで有名である。以前のブログにも書いたが (→2014年11月15日ブログ)、私の恩師は森茉莉のことを簡潔に 「あれはバカです」 と言って切り捨てたのだが、そう言われても仕方がないと思うくらいの判断力は私にもあったのだけれど、でも私はその頃すでに森茉莉をひそかに読んでいたので、それを公言するのは憚られた。森鷗外と比較すればほとんどの人間はバカになってしまうのは自明で、それに森茉莉自身、若い頃はぼんやりした性格だったと自称していて、結婚してパリに住んでいた頃、鷗外が亡くなり、離婚してからはその父の遺した印税で暮らしていたが、それが無くなる頃、試みに書いてみた文章が売れて何とか食いつないだ、というような述懐は半分合っているし、残りの半分は韜晦である。

その小説作品は過去の自己の投影でもあったり、そうでもなかったりというところが曖昧な幻想的作風であり、彼女独自の世界を形成しているのだが、エッセイの場合はもっとも下世話な『ドッキリチャンネル』が突出していて、読めば確かに森茉莉なのだが最初に読んだときはびっくりだった。小説家として有名になってからなので、独断と偏見、差別用語満載のミーハーで世間知らずなバーサンの繰り言であり、言いたい放題、こんなの書いていいのか? ということまで書いてあって、でもそのなかに時々、キラリと光るものが混じっている。

最も独特な印象を持つのは、その語法である。まずカタカナの使い方だが、前述した私のブログ記事で私は、森茉莉が 「セーターを近くの川に捨てていた」 話を書いたが、正確な彼女の表記法にすればそれはセーターではなくスウェータアである (でもスウェーターと書くときもある)。
基本的にあまり長音を使うことがない。ヴィーナスでなくヴィナスだし、タバコの名前はゴールデンバットではなくゴオルデンバット、俳優のピーター・オトゥールはピータア・オトゥウルである。パリのオペラ座は定冠詞を含めてロペラと書いてしまう。
それでいてパリは巴里だしベルリンは伯林だし、時々、「嫩い」 (わかい) などという文字を使ったりもするので (若者を嫩者と書く)、そのへんはさすがな世代である。

大雑把というのか天衣無縫というのの特徴的なひとつとして、カギカッコの終わりが無いというのがあって、つまりカギカッコで始まった文章が長くなるうちに何だかわからなくなり、地の文章に溶け込んでしまうため、終わりのカギカッコが無いのだ。全集ではたしかそれがそのままになっている。なぜならどこがカギカッコの終わりか特定できない場合があるためである。
今回読んでいて、普通のカッコ (マルカッコ) の始まりがなくて終わりのカッコだけある個所があったが、これも原稿そのままなのか誤植なのか不明である。つまり森茉莉の場合、こうしたことは 「味」 であって細かいことはどうでもいいのだ。もう訂正することができないのは、中原中也の密柑に似ている。

それからもうひとつ、句読点において特徴的な用法がある。
「~のようであった」 という場合、よく 「~のようで、あった」 と書く。必ずしも毎回ではないが、 「で」 と 「あった」 の間に読点が入る。これが頻出する場合、最初にちょっと違和感がある。
私自身の句読法として、なるべく読点は少なめにというポリシーがあって、けれど読点が少ないと文章が読みにくかったり誤解が生じたりするのだが、それでもあえて読点を少なくしたいという願望があるので (それが美学だからなのだが)、どこに読点を打つかというので呻吟することがよくある (ちなみに美学ということでいえば、ルビはダサいと私は思っているのでなるべく使いたくない。但し、柳瀬尚紀の『フィネガンズ・ウェイク』の翻訳は仕方がないけど)。
でも森茉莉は読点が多い。「~のようで、あった」 と書くのは彼女のリズムであり、彼女の言葉の 「息」 がそうだからなのに違いない。読んでいるうちにそのリズムに慣れてくるので、たまに 「~のようであった」 と読点抜きで書いてあったりすると、かえって違和感に陥ったりする。人間とは勝手なものだ。

遠く若い頃の着物の色彩などに関する森茉莉の詳細な記憶には驚嘆するが (それに樺色などという色名は私の祖母が使っていた記憶があるので懐かしい)、ファッションのことを細かく子細にあげつらうくせに、彼女の普段着ファッションとしてカーディガンに草履というのがあって、その草履はつまり 「つっかけ」 なので、たぶん靴下を履いたままでつっかけているのだ。足袋とか、指の別れている靴下ではなさそうである。
セーターの上にカーディガンとダブルでニットを着込み、スカートにつっかけ草履、編みかごというのが森茉莉の有名なスタイルのひとつで、これが結構カッコイイ。でも誰にでも許されるスタイルではもちろんなく、森茉莉に限って許されるスタイルであることは間違いない。

森茉莉が山田珠樹と結婚して、最初に生まれた子どもが山田爵 (正確な文字は 「爵」 の字の上に乗っている 「ノとツ」 の部分が 「木」 なのだが、この文字を入れたらブログがバグッてしまった) である。そして山田爵の教え子のひとりが蓮實重彦であり、蓮實の『「ボヴァリー夫人」 論』はもちろん山田爵訳を底本にしているのだが、私はまだそれを読んでいないので『「ボヴァリー夫人」 論』も積ん読のままである。死ぬまでには読まないとというのもお決まりの言い訳に過ぎない。早く読むように! と自分を叱咤激励してみる。むなしいけど。


森茉莉/紅茶と薔薇の日々 (筑摩書房)
紅茶と薔薇の日々: 森茉莉コレクション1食のエッセイ (ちくま文庫)




森茉莉/贅沢貧乏のお洒落帖 (筑摩書房)
贅沢貧乏のお洒落帖 (ちくま文庫)




森茉莉/幸福はただ私の部屋の中だけに (筑摩書房)
幸福はただ私の部屋の中だけに (ちくま文庫)




伊藤文学/今週の文学さん:森茉莉について
https://www.youtube.com/watch?v=HWJQ5ZNICkY
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『あしながおじさん』を読む [本]

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Jean Webster (1876−1916)

新潮文庫のStar Classics名作新訳コレクションの6月新刊はジーン・ウェブスターの『あしながおじさん』。訳者は岩本正恵、カバーは作家自身のイラストをコラージュしたデザインで、カヴァー紙質も通常と違って洒落ている。
『あしながおじさん』(Jean Webster, Daddy-Long-Legs, 1912) は、ジャンル的に考えると微妙なポジションにいる。主人公の大学生活を描いているので児童文学 (少年少女向け) でもないし、一般小説とも少し違う。青春小説というのが適切な形容だろうか。これまで私は児童文学をジュヴナイルと言ってきたが、それはせいぜいローティーンまでを対象としていて、しかも最近ではジュヴナイルという言葉を使うことは一般的ではないのだそうだ。だったらこうした比較的若い読者向けの小説を何と呼ぶかというと、ヤング・アダルト・ノヴェルズとのこと。
しかし、日本ではアダルトという単語は特殊な意味を持ってしまっていて、たとえばレディース・コミックという言葉と同様で、使うのがためらわれる。こうした何でもない汎用的言葉を色づけしてしまったという点で、日本の出版業界の性向や品位がよくわかる。

まぁ、そんなDirty-Low-Levelsなことはさておいて、最近は古くからの名作の 「新訳」 が流行っているように見えるのだが、でも読み始めると、物語そのものの魅力によって、訳の違いなどどうでもよくなる。どうでもよいと感じられるのは良い翻訳ということだ。

物語の構造はとてもシンプルである。孤児院で暮らすジェルーシャ・アボットは、そこから出なければならない16歳という年齢を越えて、高校に通わせてもらっていたが、卒業間近となった頃——つまり孤児院にいることのできる期限が残り少なくなったとき、突然、彼女を大学に通わせてくれるという奇特な人があらわれる。その人はジョン・スミスという匿名しか名乗らず、ジェルーシャに姿も見せない。彼女に課せられた条件は、月に1回、ジョン・スミス氏宛に手紙を書くこと、そして作家になるべく努力をすることだというのだ。
それで物語はジェルーシャがジョン・スミス氏に綴る手紙文という形式になっている。

巻末の解説で畔柳和代は、

 受け身で弱い、古典的なヒロインに似た立場にいる彼女の言葉が、この
 物語を語っていく。(p.254)

と書く。シンデレラ・ストーリーであるのにもかかわらず、語り口が単純な1人称ではなく、手紙文というフィルターを通した叙述であることが、その視野に独特の陰影を与える。だからといってそれは、内省的で極私的な世界には下りて行かず、潑溂とした表現に終始し、ところどころで落ち込む憂鬱も一過性で閉鎖的ではない。ただそれは作者がジェルーシャに与えた性格であり、作者そのものの思考ではない。作者は重ねられたフィルターのさらに向こうにいる。

ジェルーシャは、ジョン・スミスといういかにもふざけた匿名らしい匿名を許さず、たぶんあの人かもしれないというかすかに見た足の長い人の影の連想から、彼を 「あしながおじさん」 と名づける。そして自分の名前ジェルーシャが大嫌いなので、ジュディと名乗ることにする。名前へのこだわりは『赤毛のアン』と同じだ。

 ジェルーシャはどこかのお墓に刻まれていた名前です。わたしはこの名
 前が昔から大嫌いでしたが、ジュディはかなり気にいっています。ちょ
 っとそそっかしい感じの名前ですよね。わたしとは違う女の子の名前で
 す。(p.30)

もっとも、ジェルーシャがアン・シャーリーと決定的に違うのは、ジェルーシャという名前も、アボットという苗字も、孤児院の院長がつけたもので、本当の名前は別にあったのかもしれないということである。しかし、あったのだとしても、親に捨てられたとき、その名前も同様に捨てられたのだと解釈するのなら、それは無いのと同じなのだ。だから、院長がつけたジェルーシャという名前を彼女が改変してジュディとすることは命名の手続きとして等価であり、そこに名前の持つ呪縛は存在しない。呪縛があるのだとすれば、それは孤児院という負の重荷からの呪縛である。ジェルーシャがジュディになることはメタモルフォーゼであり、ひとつの夢なのだ。

ジェルーシャは自分が孤児院で育ったことを誰にも言わずに大学での学業と寮生活を満喫する。だが彼女は、家庭での生活という過去を持たない。そして普通なら知っているはずの常識を持たない。
まず彼女は今まで知らなかった本を読んで、その空白を埋めようとする。マザー・グースや、デイビット・カッパーフィールドや、ロビンソン・クルーソーや、不思議の国のアリスや、シャーロック・ホームズを読む。
まごまごしていると、ラテン語や歴史や化学や生理学など、どんどんむずかしい大学の授業がのしかかってくるからだ。

それだけでなく、日々の生活のなかでの今まで知らなかったさまざまなこと、どのように遊ぶかとか、どのように服を選ぶかとか、そうした諸々のことに、そんなことは当然知っているという顔で対応していかなければならない。それは隠匿であり背伸びであるが、秘められた愉悦でもある。

孤児院という環境にずっと幽閉されていたジェルーシャが、町へ遊びに行くことの開放感と強烈な刺激を、そして誰にも言えないもどかしさを、彼女は手紙に書く。

 大学キャンパスの外に出るたびに、刑務所から逃げ出した囚人のような
 気分になります。この体験がわたしにとってどんなにすばらしいか、よ
 く考えずにだれかに話してしまいそうになります。猫がかばんから出そ
 うになって、あわててしっぽをつかんで引っぱり戻します。(p.48)

彼女は意欲的な努力によって、18年間の負債をどんどん返してゆく。そして、猫を隠したまま、屈託のない学生の日常に急速に溶け込んでゆく。ブロンテ姉妹を読み、その物語に夢中になりながらも、そうした閉鎖された環境へのシンパシィを持ちながらも、それを乗り越えてゆく。

ジェルーシャにとってうしなうものは何もなかった。だから過去に対する彼女の回想は直截で辛辣である。

 わたしの子ども時代は、不機嫌に延々と続く不快の連続でしたから、
 (p.126)

あるいはまた、

 大人になってどんなにたくさんの困難があったとしても、だれもが思い
 出に残るしあわせな子ども時代を過ごすべきだとわたしは思います。
 (p.132)

そして、日常の生活に慣れつつも彼女は初心を忘れない。それは決してくじけない強い精神である。

 とても大きなよろこびが、一番重要なのではありません。大切なのは、
 小さなよろこびを大いに重んじることです。おじさま、わたしはしあわ
 せの真の秘密を発見しました。それは、今を生きることです。いつまで
 も過去を後悔しつづけたり、未来に期待しつづけるのではなく、今のま
 さにこの瞬間を可能なかぎり活かすのです。(p.184)

さらに彼女は続けて、「たいていの人は、生きていません。競争しているだけです」 と書く。

ジェルーシャは、大学生活を続けていけるだけの援助を受けていることを負債だととらえ、それはいつか必ず返さなければならないのだと考える。経済的に自立することが恩義への返礼だととらえている。それは真摯で禁欲的であり、自分はあらかじめ何も与えられていなかったのだから、過剰に与えられるべき必然性はない、とする潔癖な結論に達する。決して現状に甘えてしまうことがない。
彼女は、友人たちと自分の立場の違いを、冷静に意識している。そして、「おじさま」 からの過大な援助や好意を断るのである。

 サリーとジュリアと一緒に暮らすのは、わたしのストイックな哲学には
 ひどく厳しいものがあります。ふたりとも、赤ちゃんのころからものを
 持っています。しあわせはあたりまえだと思って受け入れます。ふたり
 とも、欲しいものは世界が与えてくれて当然だと思っています。もしか
 したらほんとうにそうなのかもしれません——いずれにしても、世界は
 彼女たちに借りがあるのを知っていて、それを返しているように見えま
 す。けれども世界は、わたしには何の借りもないし、わたしは最初には
 っきりそう言われました。わたしは世界から後払いで借りることもでき
 ません。なぜなら、世界がわたしの申し入れを拒むときがいつか来るか
 らです。(p.198)

解説で畔柳が指摘するように 「ジェルーシャには戻りたい場所はなく、どこにも帰属していない」 (p.258) のだ。それはwanderer的な願望となって現れる。

 わたしには放浪に強くあこがれる心があります。地図を見ただけで、帽
 子をかぶり、傘を手に持って出発したくなります。テニソンの言うよう
 に 「死ぬ前に椰子の木と南の神殿を見ん」 です。 (p.146)

作者のジーン・ウェブスターは大学卒業後、フリーのライターをしながら何編かの小説を書いていた。大学生の頃から政治的・社会的な問題にも関心を持って行動していたが、当時のアメリカにはまだ婦人参政権はなかった。
『あしながおじさん』(1912) で有名になったが、続編の『続あしながおじさん』(Dear Enemy, 1915) の年に結婚し、しかしその翌年、産褥熱により39歳で亡くなる。そしてこの本の翻訳者である岩本正恵も、2014年に50歳で亡くなったとのことである。そのため、これは岩本の最後の訳書となった。
まだ先があったはずの死は悲しいことだが、すぐれた本はずっと読み継がれるに違いないことが唯一の救いである。

私はなぜ、この『あしながおじさん』という作品に過度な思い入れがあるのだろうか、ということを読みながらずっと考え続けていた。
それはきっと、シンデレラ・ストーリーの香りに酔いたいためでもなく、ノスタルジックな古いアメリカの描写に共感があるためでもない。それは前に引用したジェルーシャの言葉のなかにある。
「けれども世界は、わたしには何の借りもないし、わたしは最初にはっきりそう言われました」 という個所である。世界と自分との関係性のなかで、いかなる貸し借りもないこと、もし世界を神と言い換えるのならば、いかなる恩寵も存在しないこと、それが自らの現在に引き寄せて考えたとき、最も共感できる部分である。

世界と貸し借りが無いことというのは、何にも属していないということであり、それは組織にも縁故にも頼らず、孤独であることである。それは一種のアナーキーな状態である。
ジェルーシャ・アボットという名前が (家系とか伝統といった) 「現実のしがらみ」 的重さを持っていないのだとすれば、それは本来、無名であり記号に過ぎなかったのかもしれず、そうした構造も同様にアナーキーなのだ。

昨今の世界は虚偽や欺瞞ばかりだが、狡猾な甘い水の誘惑に慣れた堕落者たちは、誰もが自分たちと同じように甘い水を求めようとしていると錯覚するのである。そして狡猾さは持って生まれたもので、改心することはない。
ジェルーシャ・アボットの、元気で、くじけない、一見しなやかで無邪気かもしれない表情の影に、俗悪に屈しない、強い精神性を私は感じるのである。人は、必ずしも、朱に交わっても赤くなるわけではない。


ジーン・ウェブスター/あしながおじさん
岩本正恵・訳 (新潮社)
あしながおじさん (新潮文庫)

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《奇想天外》を読む [本]

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Queen (pastdaily.comより)

古書店が何店舗か集まって出展している古書フェアみたいなところで、『奇想天外』という雑誌を見つけた。『奇想天外』は出版社を変えて3種類あり、第2期目の奇想天外社から発行されていた頃が発行期間も最も長くて有名であるが、今回見つけたのは最初の盛光社から出された雑誌である。1974年1月が創刊号で、月刊で10号出したところで休刊、つまり10カ月しかもたなかった。

私は初めて実物を見たので、それに安かったので思わず数冊買ってしまったが、後で調べたら比較的手に入りやすい古書らしい。『SFマガジン』などに較べるとあまり人気が無いのかもしれない。表紙、背文字にSF・MYSTERYとジャンルが示されているが、後になるとNONFICTIONという言葉が加わっている。『SFマガジン』などより、ややジャンルが広い感じがする。というより、その頃はSFだけで記事を満たすのは、競合誌としての『SFマガジン』も存在するし無理だったのだろう。

外見はかなり痛んでいて周囲が焼けているが、中身を読むのには支障はない。1974年という年がどういう年だったのだろうか、と思いながら雑誌を開く。
創刊号のトップはカート・ヴォネガット・ジュニアの短編。この頃は名前の最後にジュニアが付いていたのだということがわかる。雑誌の中の広告に映画《日本沈没》の小さな広告があり、’74年正月東宝系公開、とある。
第2号 (2月号) には読者投稿欄というのがあって、前号の感想などが書いてあるのだが、投稿者の名前だけでなく住所まで掲載されている。今のプライバシー重視の時代とくらべるとまさに隔世の感である。この雑誌ではないけれど、その頃の他の雑誌か書籍で見た記憶があるのだが、巻末に作家の住所までしっかり掲載されていたりするのが普通にあったのだからすごい。それを見て、作家の家まで押しかける人だっていたのだろう。

4月号には小野耕世のコラムがあって、ブルース・リーの映画のこととか、山本寛斎のスタジオのことなどが書いてあるが、それに続いてキャロルというグループの記述がある。カッコのなかにキャロルの説明があるのだが、

 〈キャロル〉というのは、いうまでもなく、ロックンロールのグループ
 のことである。

そして、そのリーダーは 「エーちゃん」 と書いてある。写真のキャプションも 「エーちゃん」 である。キャロルは74年に山本寛斎のパリでのショーに出演しているのでそれに関連させた記事になっているのだと思われる。

 彼のギンギラギンのけばけばしさは、ものすごく迫力があり、セクシー
 だ。この男は、なにを着ても下品になって、それがすごくいい。

と小野は書く。そして、「寛斎のショーにキャロルを連れて行く提案をしているT」 という部分があるが、このTというのは龍村仁のことと思われる。wikipediaなどを見るとNHKキャロル事件という項目があって、そこに詳しい経緯が書いてあるが、この雑誌の記事はその事件に至る前夜の話なのだ。
40年以上も前のことなので、ああそうなのか、というようなぼんやりとした感想しか湧かないのだが、以前のブログに書いたザップルの顛末と同様に、この時代の表情が垣間見える。その頃のNHKではキャロルなんてとんでもないと大顰蹙だったのだろう。

4月号には岡田英明 (鏡明) のコラムもあって 「フェアポートコンベンションのコンサート良かったよ。サンディ・デニーが出たんだ!」 なんて書いてある。
アメリカのコミックブックについては、多いのは百万部以上出ているし種類がやたら多いからすごい。ポスト・パルプマガジンで、ひとつのサブ・カルチャーを結成しているとも。そして、スパイダーマンのレコードを買ったと自慢しているが、その当時、国内盤でスパイダーマンを出す (しかもレコード) っていうのは相当にマニアックなはずだ。

その記事の最後にクイーンというバンドのことが書いてある。

 それよりもクイーンで*バンドを聴いてやってよ。やたらドライブがかか
 ってて凄いの。リードのブライアン・メイの全部自作のマホガニー製ギ
 ターがファンタスティックな音で迫るし、ボーカルはいい声してるし、
 ドラムスはまるで女の子みたいに可愛い顔してるし、見かけたら絶対買
 い。(* ママ)

1stアルバムの国内盤は74年3月に発売とあるから、岡田が原稿を書いていた時点ではまだ出ていなかったのだ。「日本じゃ出ないかもしれない。無名だもんね」 とも書いてあって、とってもタイムトリップした気にさせてくれる。

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奇想天外 1974年1月号 (創刊号)

Past Daily
Queen live at Golders Green 1973.10.20.
http://pastdaily.com/2016/06/11/queen-live-1973-backstage-weekend/

Queen live in London 1973
https://www.youtube.com/watch?v=RrynLWrYFJ8

キャロル/ファンキーモンキーベイビー live 1973.09.02.
https://www.youtube.com/watch?v=rV4fhbn-Bgg

キャロル/ファンキーモンキーベイビー PV
https://www.youtube.com/watch?v=0PBNQIJP0D0
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通り過ぎる永訣の朝 ― 川上未映子『すべてはあの謎にむかって』 [本]

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Vernazza (Cinque Terre)

JAF Mateの表紙に岩合光昭のネコの写真が使われていると思ったら、先日はNHKで、ネコやその他の動物を撮影する彼のドキュメンタリーがあったりして、見入ってしまった。
イタリアやボスニア・ヘルツェゴヴィナの風景のなかを歩き回るネコたちは、でもやっぱり日本にいるネコと変わりなくネコなのだ。チンクエ・テッレの街並に溶け込むネコの姿に心がなごむ。

池澤春菜がコラムに書いていた新刊の文庫を買ってきた。シャンナ・スウェンドソンとハーラン・エリスンの短編集。でもナターシャ・プーリーはうろ覚えで行ったら書店で見つからず。最近記憶力が減退している。それで川上未映子を2冊買う。
へらへらと気軽に読むのには川上未映子のエッセイは好適だ。というよりも彼女の思考する回路が辿りやすいような気がして、それで新潮文庫の『すべてはあの謎にむかって』を読んでいた。2冊のエッセイ集からピックアップされたものだとのことだが、どこでも読めるし、どこからでも読める。
ウケる話にはことかかない。ポケモンのことをポケチンと書いてしまう子どもに、お母さんが 「モ」 と 「チ」 は曲がりかたが逆でしょ? と何度も子どもに言うのだがわからなくて、ついにキレてしまう話とか、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』というタイトルの 「礼讃」 は間違って 「れいさん」 と覚えてしまったんだけど 「らいさん」 が正しいんだよな、間違えないように間違えないようにと思っていながら、シンポジウムに参加してしゃべったら、やっぱり 「れいさん」 と言ってしまった、という失敗とか。

でもときどきドキッとする個所に出会う。
それは川上が子どもの頃、初めて見た雪の情景をマクラとしてはじまる宮澤賢治の最も有名な詩である 「永訣の朝」 に関することで、賢治の死んでゆく妹に対する想いと妹の言葉とが無常と無垢の掛け合わせみたいだと読み取りながら、でもそうした表現は宮澤賢治で最後だったのだと言い切ってしまうのだ。

  つまり、いまとなってはもうこのような形でこのような内容を書くこ
 とが全方位的にしんどいのではないだろうかということだ。それはベタ
 をそのままベタに書き切るということが望むと望まざるとにかかわらず
 別の効果を自動的に連れてきてしまうということで、仮におなじような
 体験と能力を持っていたとして、宮澤賢治以降の人間が賢治的な表現を
 (妹話だけじゃなくて) やってしまうとなると――誤解を恐れずに言えば、
 ある種の無防備な (笑われることを想定していない) お笑いになってし
 まうのではないかという危惧があるのだった。どれだけ洗練されていて
 も 「美化」 と 「泣き」 はつねに安易で、回避したいところではある。
  しかしそれだけが持ちうる強度というものもたしかにあって、その強
 度こそがこんな雪の日に 「ベタじゃないんだよ、こっちはいつだってマ
 ジなんだよ」 と私の額と胸の奥をがんがんに蹴り上げるのであった。
 (p.103)

川上はイヌ派とネコ派でいえばイヌ派で、巻末ではそのイヌの死について書いている。イヌの死は深い感謝とともにある種のうしろめたさがつきまとうという。冷静に振り返れば、成立していたのは人間の言葉を介在した想像力に過ぎないのであって、実際にイヌの気持ちを確認したことはないというのだ。
そして、でも人間の死の場合でも、人間との対話では言葉が介在しているし、それによってコミュニケーションが成り立っているのにもかかわらず、実はそうではないのではないか、という疑問を示す。

  人間にとって言葉は大きなものだけど、しかし人間だって死んだ後、
 思い出して苦しくなるのは手触りとか一緒に時間を過ごした感覚そのも
 のだったりして、ああ世界は言葉とそれ以外のもので今日も順調に満ち
 満ちているのだった。(p.300)

だとすれば人間の死に対する想いも同様にうしろめたいものであり、つまり言葉で語りながらその言葉自体が無力であることを言ってしまっていることに他ならない。悲しみには濃淡があり、その濃淡だって日々変わっていくのかもしれない、というのである。そして世界の初期設定と原理的ルールはすでにできあがっているので人智の及ぶところではないとするのだが、それは信仰の無い神に近いのかもしれない。
ピーナッツ (スヌーピー) のことも、チャーリー・ブラウンを中心とする子どもたちの表情からうかがい知るに、全体は悲しいストーリーであり、老人 (=シュルツ) の見た夢なのだろうか、と規定する。

最近、ウチの庭にやってくる黒ネコがいて、はじめは遠慮していたのにだんだんと大胆になってエサをねだるようになった。といいながらもステップの影に隠れていたりしてまだ警戒心があることは変わらない。でももう一匹違うネコもいて、それに鳥もいるから、まごまごしているとエサをとられてしまう。
ナナカマドの花とコデマリの花が同じ頃に咲いて (ナナカマドはル=グィンの『ゲド戦記』に出てくる木なのだ)、その花が茶色くなって枯れた頃に今度はヤマボウシの花が咲く。ヤマボウシの白い花のように見えるのは実際は花ではないのだが、でも今年は白い部分があまり目立たない。どれも雑木だから勝手に咲いていつのまにか散って勝手に成長する。勝手なのは徘徊するネコも同じで、夜になり人の気配がなくなるとそのへんで伸びている。

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JAF Mate 2017年5月号表紙


川上未映子/すべてはあの謎にむかって (新潮社)
すべてはあの謎にむかって (新潮文庫)




プロフェッショナル・仕事の流儀
猫を知れば、世界が変わる 動物写真家・岩合光昭
(6月1日深夜に再放送があります)
http://www.nhk.or.jp/professional/2017/0529/
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ビートニク詩人たちと雪 — バリー・マイルズ『ザップル・レコード興亡記』 [本]

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Charles Olson

バリー・マイルズ『ザップル・レコード興亡記』のことは幾つか前の記事に少し書いたが (→2017年05月11日ブログ)、アップルのなかで、そのアヴァンギャルドな部分を担当させようとしたレーベルのザップルにかかわり、しかしあえなく潰えてしまったそのムーヴメントについて彼は冷静に語っていて、最初は、素っ気なさのようなものを感じてしまい、その世界に入り込みにくかったのだが、次第にその意味するところがわかってきた。
当時はいわゆるサイケデリックな時代であり、いまから見るとメチャクチャで低次元なレヴェルだと思えることもある。だが、独特の熱っぽさのような情動は、さまざまにかたちを変えて伝わって来て、それは再現不能なかけがえのない時代だったのかもしれないと思わせる。

ヘルス・エンジェルスやヒッピー・コミューンなどの無軌道な行状の描写は、当時のヒッピーやサイケデリック文化の最も腐敗した部分であり、そうした無軌道さを容認したアップルがいかにビジネスとしてはシロウトで無計画でだらしがなかったということを知る。
マイルズがニューヨークに行き、人と会おうとしてもなかなか会えなかったり、資金がどういうふうに動いていて、そうすることがどういう必然性があるのかもよくわからないし、訪ねたオフィスの惨状や、無知で攻撃的で話の通じない女の描写など (p.118)、きっとその時代はそうした時代だったのだ。

興味深いのはマイルズがスポークンワードと書いているいわゆる詩の朗読のアルバムを出そうとする情熱に満ちていたことで、それは彼の嗜好を反映している部分であり、ザップルのプロジェクトのひとつとして確立しようとしていた気持ちがよくわかる。
マイルズはピーター・アッシャーとポール・マッカートニーに、テープ編集のテクニックとして 「片刃のカミソリと金属編集ブロックを使ったテープの継ぎ合わせ方」 を見せてもらったり (テープ・スプライシングのこと)、アビイ・ロードのコントロールルームでミキシング作業をするジョージ・マーティンを注意深く観察することでミキシングの実際を学ぼうとする (p.113)。意欲は感心するのだが、つまりその程度の学習でこれから自分のかかわろうとするスポークンワードのアルバムに応用してしまおうとするのだから、まだその時代が、いかに創生期であり、何のシステム化もされていなかったかということが理解できるのだ。

1969年1月29日、マイルズはニューヨークに行く。ニューヨークは雪。ファッグスというバンドのドラマー、ケン・ウィーヴァーのスポークンワード・アルバムを作りたいと思うマイルズ。
ファッグスはミュージシャンというよりも詩人が集まって音楽をやろうとしたバンドで、メンバーのひとり、トゥリ・カッファーバーグはすでに《No Deposit, No Return》(1966) という自身のスポークンワード・アルバムをリリースしていたのだという。印刷物の断片をつないで詩のかたちにする 「ファウンド・ポエム」 という技法なのだというが (p.116)。それは文字のコラージュであり、ジョン・ケージなどの方法論とも通じる。

アメリカで、マイルズが次々にビートニク詩人たちと会い、その朗読を録音する過程の回想は詩的で静謐であり、サイケデリックな世情とは遠い。マイルズはチャールズ・オルソン、アレン・ギンズバーグ、チャールズ・ブコウスキー、リチャード・ブローティガンといった詩人たちと次々に会い、アルバムを作るべく奔走する。

チャールズ・オルソンを録音するため、マイルズはナグラのテープレコーダーをレンタルする。やっと借りることができたのにもかかわらず、レンタル料は週200ドルもする。チャールズ・オルソンはいわゆるブラックマウンテン派と呼ばれる詩人で、マイルズはオルソンに会うためにグロスターに行く。そのときも雪。彼はフォート・スクエアの鉄道長屋というところに住んでいた。詩人たちは湯水のように金を浪費するアップルとは対極で、皆、貧しい。しかし貧しいが高潔である (p.123)。
オルソンは1970年に59歳で亡くなるが、その風貌は年齢よりもっとずっと老けている。オルソンには『マクシマス詩篇』という大部の詩集があるが、そのなかからも詩は読まれ録音された。

アレン・ギンズバーグはニューヨーク州オルバニーから80マイル西にあるチェリー・ヴァレー、イースト・ヒルに住んでいた。深い雪。そこは 「詩の農場」 としてアレンが手に入れた場所だったという。電気は通じていない。農場には幾人もの詩人たちが訪れる。ギンズバーグはジャック・ケルアックのアルコール中毒を矯正しようとして農場に誘うが、彼は母と一緒にいることを選び農場に来ようとはせず、その年に死ぬ。
マイルズによれば、ギンズバーグの部屋は 「時が止まったような古風な室内」 であり、古いハルモニウムがあり、アレンが作曲に使っているのだ、とマイルズは書く (p.144)。

チャールズ・ブコウスキーはハリウッドに住んでいた。西海岸に飛んだマイルズは、ニューヨークと較べてここは同じ国とは思えないという。しかしハリウッドといってもブコウスキーの住む地域は華やかさとはほど遠くて、古びた車、山になったゴミ、そうしたみすぼらしい雰囲気の街並みであった。
ブコウスキーは人から見られながら録音されることを嫌い、録音機器の操作を教わって、自分ひとりでやるという。マイルズはそれに納得し、機器を貸して引き上げる。しばらくしてから再び彼の家を訪れると録音は完成していた (p.157)。

サンフランシスコでは当時まだレコード産業が成熟していなかったため、グレイトフル・デッドやジェファーソン・エアプレインはロスアンジェルスにレコーディングに行っていた、とマイルズは書く。
しかし詩の朗読を録音するにはそんなに過剰な設備は必要ない。それでリチャード・プローティガンの録音はサンフランシスコで行うことになった。ブローティガンとその友人・知人たちによってスポークンワード・アルバムは作られていった。
しかしブローティガンとブローティガンの彼女ヴァレリー、そしてマイルズは三角関係に陥る。そのことをマイルズは他人事のように冷静に綴る。ブローティガンは彼の友人のカメラマンに自分のアルバムの写真を撮らせるが、高額な撮影料をマイルズに要求してきた。それは腹いせだ、とマイルズは言う。そしてそのカメラマンによって撮影された写真――ブローティガンとヴァレリーのそれぞれのポートレイトのことをマイルズは、あまり良い写真ではないと書くが、そんなことはないような気がする。なによりもビート・ジェネレーションの時代を彷彿とさせる表情や佇まいがその写真の命である。ブローティガンは古風な服を着ることが好きだったとのことだが、今見るとそれは二重のノスタルジアのなかに沈んでいる。

こうした詩人たちとの交流の記述は、淡々としていて、それでいて慈愛に満ちていて、でもなぜか音楽が聞こえてこない。特に東海岸の幾つもの雪のシーン、そして詩人たちの語る言葉の数々。それは言葉と、言葉の織りなすイマジネーションから成立していて、詩は詞ではないから、音楽とは少し違う。いくらギンズバーグがポール・マッカートニーと共演しても、ハルモニウムを弾いても、言葉そのものを語るとき、朗読するとき、それは音楽とは異なるものなのだ。そうしたものを含めて、それをもレコードとして残そうとしたザップル的なアヴァンギャルド指向は、しかし一瞬のひらめきでしかなかった。マイルズがアメリカにいる頃、腐敗は進行し、やがてアップルは崩壊する。
ブローティガンの録音など、かろうじてレコードとして発売された作品もあるが、マイルズの詩人たちへの思いはほとんどが無に帰した。


Listening to Richard Brautigan (Gonzo)
Listening to Richard Brautigan




アレン・ギンズバーグ/ビート・ジェネレーション (TV番組の抄録)
https://www.youtube.com/watch?v=XtTbYfCzpYE

Allen Ginsberg and Paul McCartney
playing〈A Ballad of American Skeletons〉
https://www.youtube.com/watch?v=Yr5Y4XQO7xQ

words:
https://genius.com/Allen-ginsberg-ballad-of-the-skeletons-annotated

Charles Bukowski: Friendly Advice to a Lot of Young Men
https://www.youtube.com/watch?v=oovDpLHCrSw
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ジェフティは五つ — ハーラン・エリスン [本]

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Jeffty is Five

年に1回出るSFマガジンの別冊『SFが読みたい!2017年版』のランキング海外篇第1位はハーラン・エリスンの『死の鳥』だった。エリスンの文庫本は昨年の8月に出版されているので、いまさらの話題ではあるが、さすがエリスンである。

エリスン (Harlan Ellison, 1934-) 名義の小説の邦訳本は今までに1冊しかなくて、それは『世界の中心で愛を叫んだけもの』(The Beast that Shouted Love at the Heart of the World, 1969) である。後年、似たタイトルの日本の小説が出されたことがあるらしいがよく知らない。
今回の『死の鳥』は The Death Bird and Other Stories, 2016 という英語タイトルが一応付けられているが、日本編集の短編集である。
ちなみに第4位はジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの『あまたの星、宝冠のごとく』であり、新作のなかでのこの2冊は独特の光彩を放っている。
エリスンはカルト的な人気がありながら、その作品の翻訳が無いことで有名だ。翻訳が無いことによってカリスマ性が余計に高まるという皮肉な結果となっていた。今回纏められたのは雑誌に掲載されたままだった作品がほとんどであり、「やっとのことで」 という感慨がある。書店で見たら、すでに3刷になっている。

エリスンはSF関連のアンソロジストとして高名であり、またTVドラマの脚本家としての仕事も多い。ja.wikiによれば日本でよく知られるドラマとして、《バークにまかせろ》《宇宙大作戦》《ルート66》《アウターリミッツ》《アンタッチャブル》《原子力潜水艦シービュー号》《0011ナポレオン・ソロ》《ヒッチコック劇場》が挙げられている。

『死の鳥』の収録作品のなかにはもちろん 「ジェフティは五つ」 も入っていた。
〈Jeffty is Five〉は1977年のF&SF誌のエリスン特集の際に書かれて掲載された短編であり、ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、英国幻想文学賞、ジュピター賞受賞作品である。翻訳がSFマガジン1979年10月号に掲載されたが、その後、本にはなっていなかった。

ぼくが五つの頃、ともだちのジェフティも五つ、ところがぼくは成長して大人になっていくのにジェフティはいつまでも5歳のままなのだ。(おまえはエドガー・ポーツネルか! とツッコミたくなる)。ジェフティの両親は彼が成長しないことに恐怖とあきらめの感情を抱いている。しかし、そのジェフティとぼくは子どもの頃と変わりなく遊んでいる。
ある日、ジェフティはぼくにキャプテン・ミッドナイトの秘密暗号解読バッチを見せてくれる。それは新品のようで、今、そんなものがあるわけがないので、ぼくはびっくりする。でもジェフティはそれを郵便で受け取ったばかりなのだ。ジェフティは5歳の頃、聴いていたラジオの番組を今でも聴いているのだ。
それは昔の番組の再放送なのではなく、ジェフティにとっては毎日耳に入って来る新しい番組なのである。ジェフティと一緒にいるときだけ、ぼくもその番組を聴くことができるのだ。

いつも攻撃的なエリスンにしては非常にナイーヴで、そして悲しい結末のファンタシィなのだが、2人の語る固有名詞の多さがマニアックでカルトなのである。
それはラジオドラマやパルプマガジンなどのタイトルや登場人物なのだが、〈スーパーマン〉とか〈グリーン・ホーネット〉ならかろうじてわかるけれど (といってもグリーン・ホーネットなんて名前しか知らない)、〈ザ・シャドウ〉〈ドク・サヴェジ〉とか〈ジャック・アームストロング、オール・アメリカン・ボーイ〉〈キャプテン・ミッドナイト〉〈テネシー・ジェッド〉などになるとタイトルさえ初めて聞くものばかりだ。

この作品で最も重要なドラマである〈キャプテン・ミッドナイト〉について調べてみると、wikipediaによれば1938年から1949年にラジオ放送されていたいわゆる冒険活劇である。〈テネシー・ジェッド〉はwikiにも項目が無く、1945年からABCで放送された西部劇らしいのだが、よくわからない。
つまりここに書かれているのは、作者のエリスンが子どもの頃、聴いたり読んだりしていたヒーローものの回想なのだ。だから1940~50年代頃にアメリカで幼少期を過ごした人にとっては非常に郷愁を誘うものなのだろう。ひとつひとつのタイトルが全く見知らぬものであるはずなのに、懐かしさまで湛えて迫ってくるのがまさにエリスンの筆力である。
日本のドラマと比較するのなら、上記アメリカのドラマよりは年代が新しくなるが、月光仮面とか赤胴鈴之助の類いの、創生期の作品といえる。

語り手であるぼくとジェフティの関係が崩壊するのは、ぼくが自分の商売にかまけてしまい、ついジェフティを置き去りにしてしまった行動をとったことなのだが、ぼくのその時の商売というのがソニーの新しいカラーテレビを売り込むという話なのだ。つまりこの作品は 「1977年から見た1940年代の懐かしさを語っているぼく」 というアプローチでもあるのだが、2017年の視点から見ると、1977年という時代もすでに懐かしいノスタルジアのなかにあるわけで、二重のノスタルジアが生じてしまう結果となる。
〈スーパーマン〉だって、エリスンが思い描いているのはリメイクされた最近の映画などではなくて、初期の頃のアメリカン・コミックでありテレビドラマなのだろうと思う (スーパーマンもコミックストリップの後、ラジオドラマがあったらしいのだがwikiにはそれ以上の詳しい記述が無い)。

今の映画のほうが、昔のラジオドラマや粗悪な紙質のパルプマガジンよりも数段上のビジュアルを再現できるし、CGの進歩がそうしたSF風な作品のリアリティをより高くする。でもそのかわりに人間は、古い真空管のラジオと一緒に、なにか大切なものを失ってしまったのではないだろうか。

     *

『SFが読みたい!2017年版』の施川ユウキのマンガ、笑いました。「口がないけど叫ぶチクタクマン」 とか。これって吾妻ひでおですよね? あ、リスの檻だ! 酉の市は、死の鳥→鳥の死→酉の市という流れで。


トップ画像:
Harlan Ellison Reads Jeffty is Five
(The Kilimanjaro Corporation, 1982)
Illustration: Jane Mackenzie
画像の向かって右、少年の背後にあるのが当時のラジオである (念のため)。

ハーラン・エリスン/死の鳥 (早川書房)
死の鳥 (ハヤカワ文庫SF)




ハーラン・エリスン/世界の中心で愛を叫んだけもの (早川書房)
世界の中心で愛を叫んだけもの (ハヤカワ文庫 SF エ 4-1)

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her little Chinese eyes — ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』その2 [本]

woolf&eliot1924_161229.jpg
Virginia Woolf & T.S. Eliot, June 1924
(http://www.npg.org.uk/より)

2016年12月03日ブログのつづきです。

この作品のトーナリティを決めている色彩は緑と灰色である。緑色は草の緑であったり海の波であったりするが、庭の描写には濃い緑などの強い色彩が用いられているにもかかわらず、全体として深い緑を感じさせず、どこか色褪せて痩せたヴェールに覆われたような印象の緑である。そして灰色は砂の色であり、夢魔の色であり、なにより灯台の壁の色である。
周到に準備されていたのかもしれない色調が繰り返しあちこちに出現し、小説全体のイメージを固定化する。

この緑と灰色の対比が出現する最初の印象的な個所は、しかし現実の色彩ではない。それは客人のひとりであるオーガスタス・カーマイケルの描写にある。

 カーマイケルさんは突き出したお腹 [なか] の上で両手を組んで、少し
 目を瞬かせただけだった。それはまるでそういう優しい言葉には (彼女
 は魅惑的だがちょっと神経質そうだ)、もっと愛想よくお答えしたいのだ
 が、あいにく今は灰色がかった緑色の眠りの世界にどっぷりと浸ってい
 るもので、とでも言いたげに見えた。(p.19)

「灰色がかった緑色の眠りの世界」 の個所の原文は次のようである。

 but could not, sunk as he was in grey-green somnolence which
 embraced them all, (E: p.014/Penguin Modern Classics, 以下同)

このとき、オーガスタス・カーマイケルは、阿片を常用している、まだ何者ともしれぬ人物である。しかし10年後、彼は有名な詩人となった。
あるいはまた、この別荘のある土地は風光明媚なため、3年前にポーンスフォルトという画家が来て絵を描いてから、皆が同じような色彩で絵を描くようになったということが語られる。その色彩が緑と灰色なのだ。

 三年前に画家のポーンスフォルトさんがここで絵を描かれてからは、と
 夫人は言った、みんなあんなふうに描くんです。緑やグレーをたっぷり
 使って、レモン色の帆船が浮かんでいたり、ピンク色の女たちが浜辺に
 いたり。(p.24)

風景描写の核となっているのは灯台である。ラムジー夫人はその美しさに声をあげた。

 巨大な水盤を満たしたような一面の青い海が眼前に横たわり、その中央
 に灰白色の灯台が、遠く、厳かにそびえ立っていた。右手の方には、風
 になびく野草の生えた緑色を帯びた砂丘が、霞 [かす] んだりくぼんだり
 しながら、なだらかな襞 [ひだ] を描きつつ果てしなく続いていて、見る
 たびにいつも、人の住まわぬ月の世界に通じる道を偲ばせるのだった。
 (p.23)

この個所における灯台の色は 「灰白色」 と訳されているが hoary という言葉が使われている (ペンギン版の注には hoary=white とあるが、白あるいは灰色を表す言葉である。hoary-headed で白髪頭の、となる)。
この緑と灰色は第3部では海と舟との対比となる。灯台に向かう舟のなかから見る海は緑である。

 確かに風が出てきた。舟は傾きながら勢いよく進み、鋭く切り裂かれた
 波は緑の滝となって泡立ち、さらに大滝となって流れ去った。(p.318)

その舟をリリーは遠くから眺めている。

 そう、あれがあの人たちの舟なんだわ、とリリーは芝生の端に立って眺
 めながら、そう決めた。それは灰褐色の帆をあげた小舟で、海の上を這
 うような姿勢になると、勢いよく入江を突っ切っていった。(p.329)

この 「灰褐色」 は greyish-brown である。いずれも単純な grey ではないけれど、しかし灰色であることに気がつく。
緑と灰色の対比はカーマイケルとラムジー夫人によってもあらわされる。

 一度ラムジー夫妻の話題になり、バンクスさんが最初に夫人に会った時
 の話になったことがある――あの人はグレーの帽子をかぶっていて、せ
 いぜい十九か二十歳 [はたち] くらいだったはずです。目を見張るほど
 美しい人でしたよ。(p.342)

 確かに夫人はそこに腰を下ろして、物思いにふけっていた (その日はグ
 レーの装いだったそうだ)。(p.343)

灰色のラムジー夫人に対し、カーマイケルは緑である。彼は前出の引用 (p.19) と同じように半覚醒のなかにいる。ラムジー夫人 (ラムジー氏も) が実利の人であるのに対し、カーマイケルは夢のなかの人である。

 彼女の思いは自らの意志とは裏腹に、いつの間にか表面に浮かび上がり、
 気がつくと絵の世界から半ば抜け出して、まるで現実ではないものでも
 見るように、少しまぶしそうな目でカーマイケル氏を見ていた。彼はお
 なかの上で両手を組んで、椅子に長々と寝そべり、読書するでもなく、
 眠るでもなく、ただ存在そのものを堪能した生き物のように日なたぼっ
 こをしていた。本は横の芝生の上に落ちたままだった。
 リリーはすぐにでも彼のところへ行って、「カーマイケルさん!」 と呼
 びかけてみたかった。そうすれば彼はいつものとおり、靄 [もや] がか
 かってぼやけたような緑色の目で、優しく見上げてくれたことだろう。
 (p.344)

ただ、だからといって緑と灰色がそれぞれを象徴しているわけではない。これは象徴主義の小説ではない。しかしそのように畳みかけることによって、ある種の、一定のムードを作り出している。
淡いパステルを思わせる色彩はポーンスフォルトの絵のように優しげな明るさを示しているのだろうか。どうもそうではない。明るい陽差しのなかにも、賑わう晩餐のなかにも何か冷たい表情が差し込まれる。それは冷静で、好意的でもなく否定的でもない。そのように繋留され定着されたような幾つものシーンのムードを主導するのが緑と灰色という色である。
もしも緑という色が担っている連想の根源に位置するものがあるとすれば、それはカーマイケルの瞳である。彼の瞳は、儚さというより幽明な何かを指し示す。それは繰り返し、彼の客観的外見となって形容される。

 そうすれば彼はいつものとおり、靄 [もや] がかかってぼやけたような
 緑色の目で、(p.344)

 Then he would look up benevolently as always, from his smoky
 vague green eyes. (E: p.193)

緑と灰色の、pale な、蒼白な色合いに対比していると思われるのは闇の黒である。それはどんな色よりも強い。第2部の、崩れゆく家の描写のなかでそれは支配的だ。

 こうしてランプが消され、月が沈むと、細かい雨が屋根を叩きだし、巨
 大な暗闇 [ダークネス] があたり一面にくまなく降り注ぎ始めた。この
 洪水、この闇の蔓延を免れるものがあるとは思えなかった。それは鍵穴
 や割れ目から忍び込み、窓のブラインドをくぐり抜け、寝室に入ってき
 ては、こちらで水差しや水盤、あちらで赤や黄色のダリアの花瓶、その
 向こうではまた大きな箪笥 [たんす] の鋭い角やどっしりとした姿をま
 るごと呑み込んでいた。(p.240)

闇の黒は鮮やかな赤や黄色までもすべて塗りつぶす。突然、出現する箪笥の鋭い角という描写がアンチロマンのようで不思議な感触を生み出す。
では暗闇は、失意であり虚無であり死をさしているのだろうか。暗闇はまた夜の長さと深さであり、それもまた死を想起させる。

 それにしても、一晩とは結局何なのか? わずかな空隙 [スペース] にす
 ぎない。とりわけ暗闇がすぐに薄れ、ほどなく鳥が歌い、雄鶏 [おんど
 り] が鳴きだし、ちょうど風にひるがえる木の葉のように、波のくぼみ
 の淡い緑色が、みるみる生気を帯び始めるような時には。しかし、やが
 て夜が夜に続くようになる。来たるべき冬は多数の夜を貯えているよう
 で、その疲れを知らぬ指先で、毎日平等にかつ均等に、それを配り続け
 ていく。夜は徐々に長くなり、徐々に暗さを増し始める。(p.243)

この部分の 「波のくぼみの淡い緑色」 は、明るい生のイメージであり、しかしそれも冬の、夜の闇に塗り込められてゆく。「しかし、やがて夜が夜に続くようになる」 (Night, however, succeeds to night) という表現が美しい。
そして夜の闇は、次の、ラムジー夫人の急な死と廊下をよろめき歩くラムジー氏の描写の伏線である。巨大な暗闇 (immense darkness) のなかでは、ラムジー夫人の死もまた卑小なものでしかない。

さて、では波の緑は明るい生のイメージかというと、そうとは限らない。正反対の描写が存在する。それは第3部で、灯台へ向かう舟に乗っているキャムが見る波から湧き起こる幻想である。

 船べりに垂らした彼女の手は波を切り、心の中で緑の渦や縞 [しま] をい
 ろいろな模様に織り上げているうち、次第に心は屍衣をまとったように
 麻痺して、想像の中で白い小枝に真珠が群がる海底の世界をさ迷い始め
 た。そこでは緑の薄明りの中で心の全体に変化が起こり、身体もまた緑
 の上っ張りにくるまれて半透明に輝く存在となっていた。(p.355)

hoary (p.23) という色の形容が白でも灰色でもあるとすれば、「緑の波」 と 「白い小枝」 という色の対比は、今までに出現してきた緑と灰色の対比と近似である印象がある。
そして海に入れた手の感覚が次第に麻痺して、そのことが幻想を生み出す様子は死のイメージに近い。つまり繰り返しあらわれてきた緑と灰色 (特に緑) という色が、ここに来て突然、意味を持つように感じられるのである。やはりそれは積み重ねられた象徴としての色彩なのだろうか。

ウルフの使う特徴的な言葉についてはどうだろうか。訳者の御輿哲也はあとがきで、注目すべき言葉として space や vision をあげている。前出引用 (p.243) にも 「一晩とは……わずかな空隙 [スペース] にすぎない」 という表現が見られるが、御輿訳はこのようにルビ付きにしてその言葉の印象を強く与えようとする方針に思える。

 たとえば “space” (「空間」 「空白」 など) や “vision” (「幻影」 「見方」 な
 ど) といった物語展開の要諦をなす言葉については、これをことさら多
 様な状況の中に導入することで、そのニュアンスの広がりや奥行の深さ
 に対して、あらためて読者の注意を喚起しようとする。(p.408 あとが
 き)

vision の大半を担っているのはリリー・ブリスコウであり、それはウルフ自身の視点でもある。小説の最終行はリリーの vision に対する認識で閉じられる。

 そう、わたしは自分の見方 [ヴィジョン] をつかんだわ。(p.406)

 I have had my vision. (E: p.226)

ラムジー夫人はリリーの絵画に対してその価値を認めていなかった。つまりリリーとラムジー夫人の絵画に対する判断基準としての vision は異なるのである。しかしリリーはラムジー夫人のそうした vision にひるむことはなかった。そしてラムジー夫人がこの世にいなくなった後、リリーは別荘でラムジー夫人の vision (幻影) を見るのである。

 「ラムジー夫人! ラムジー夫人!」 かつての恐怖――求めても求めて
 も得られないことの苦痛――が舞い戻った気がして、思わずリリーは叫
 んだ。あなたはまだわたしにこんな苦しみを与えるつもりなのですか?
 すると、まるで夫人が遠慮してくれたかのように、その苦痛自体がおだ
 やかに普通の体験の一部となり、椅子やテーブルと同じレベルのものに
 なった。ラムジー夫人は――これもリリーに対する優しさの一端なのだ
 ろう――いかにも事もなげに、以前のように客間の椅子にすわり、編針
 を左右に動かしながら赤茶色の靴下を編んでいて、踏み段には彼女の淡
 い影 [シャドー] が落ちていた。そう、確かにそこに夫人はすわってい
 た。(p.393)

実体はないのに気配が存在する、と感じたのがリリーの vision であり、オカルトでなく、そのとききっとラムジー夫人は存在していたのだ。
絵画というのは仮のジャンルに過ぎず、それを文学という言葉に置き換えれば、言うべきことはウルフの文学に対する矜恃であり、ウルフ自身の vision である。矜恃は同時に恐怖や苦痛をも伴う。

 いつだって (それが彼女の性格によるのか、女性一般に当てはまること
 なのかわからなかったが)、日常生活の流動性の世界から絵画という集
 中性の世界へと気持ちを切り換えようとする時、ほんの短い間ながら、
 自分が無防備にむき出しにされたような思いがした。まるで未だ生まれ
 ず、肉体を持たぬ魂にも似て、強風の吹きすさぶ断崖の上で、身を守る
 術 [すべ] もなくあらゆる疑問の嵐にさらされているような感じだ。だ
 としたらなぜ、そうまでして絵を描くのだろう? (p.306)

ウルフの文学観は絵画に仮託され、ナマの状態で出てくることがない。では文学的エピソードとして出現するのは何か? 小説というジャンルのかわりに、アナロジーとして出現するのが朗読という姿で見せる詩作品である。そのなかで最も印象的なものはチャールズ・エルトンの詩 「ルリアナ・ルリリー」 である。

 出ておいで、庭の小径 [こみち] をのぼって
  ルリアナ、ルリリー
 バラは盛りの花を咲かせ、黄蜂は辺りを忙しく舞う (p.208)

その詩は、晩餐会の喧噪のなかから映画のシークェンスのように立ち上がる。情景と何らかの関係性があるわけではない。それ自体が何らかの暗示であるわけでもない。まるで何かの呪文のように、いや、呪文というような重いものでなく、もっと何か軽やかな音楽のように、言葉は語られる。
ルリアナ・ルリリー (Luriana Lurilee) という L と R を多く使った固有名詞。ルリリーという音から連想するのはリリー・ブリスコウ (Lily Briscoe) のファースト・ネームであるリリーだ。また 「バラは盛りの花を咲かせ」 の部分は〈The China rose is all abloom〉(E: p.120) であり、China rose という言葉はリリーの目を形容する言葉 「小さな切れ上がった目 [チャイニーズ・アイ]」 (p.31)〈her little Chinese eyes〉(E: p.21) と呼応する。
そしてエルトンの詩であるのにもかかわらず、そこから醸し出されるのは、オーガスタス・カーマイケルの緑の瞳を透した世界であり (つまりカーマイケルの咀嚼したものであり)、映像的でありながら、具体的なイメージを結びにくい一種の謎である。
音楽的な抽象性に満ちていて、何ものをも具体的に指し示さない。

それはラムジー夫人のこだわる晩餐会の料理の出来とか、編み物とか、さらにはミンタの失くしたおばあさんのブローチとか、タンズリーがけなすジェイン・オースティンといった日常性の俗なものの集積と対立する概念でありながら、それらの具体性をかえって際立たせる言葉として作用する。


ヴァージニア・ウルフ/灯台へ (岩波書店)
灯台へ (岩波文庫)




Stephen David Daldry/The Hours (2002) trailer
邦題:めぐりあう時間たち
ヴァージニア・ウルフ役:ニコール・キッドマン
https://www.youtube.com/watch?v=gbc7jtmuOJM
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immense darkness ― ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』 [本]

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Virginia Woolf (1927)

ともすると 「意識の流れ」 (Stream of consciousness) という表現には、連想が連想を生み、心のたゆたうままに、時としてルーズに、草書体風に続いてゆくような印象がある。でも、そうだとすれば『灯台へ』は、よく言われているような 「意識の流れ」 的手法で書かれてはいない。そのように見せかけて、決して厳格ではないけれど、周到に構成された骨格を備えている。これは極めて技巧的な作品に他ならない。
シュルレアリスムの 「自動記述」 が言葉のあやであるように (と私は思っている)、「意識の流れ」 も、意識を意識の流れにまかせているのではなく、意識して意識の流れを作っている手法なのだ。

ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』(To the Lighthouse, 1927) は、彼女の幼年期/少女期の回想を反映させた作品と言われている。登場人物のラムジー夫妻と8人の子どもたちは、ウルフの家族と同じ構成である。
家族は毎夏、コーンウォルのセント・アイヴス湾にあるタランド・ハウスという別荘を借りて過ごした。何人か客人もいた。そこからはゴドレヴィ島の灯台が見えた。そうした両親との夏の記憶が、場所こそ変えられているが、物語のなかに色濃く投影されている。

ウルフの実際の両親であるレズリー・スティーヴンとジュリア・ダックワースは共に再婚で、それぞれに連れ子があり、そして2人の間に新たに子どもができて、合計8人となった。ウルフは夫妻の間にできた3番目の子どもである。
文芸評論家で哲学者であった父親と、ヴィクトリア朝的良妻賢母であった母親がラムジー夫妻のモデルであり、つまり翻訳者・御輿哲也の書くようにこの作品はその両親へのレクイエムなのである。

第1部 「窓」 は幼い頃の別荘の一日の出来事 (舞台設定はスコットランドのヘブリディーズ諸島という場所になっている) で、幼いジェイムズは明日、灯台に行きたいと思っているのだが天候が悪く果たせない。そして夜、家族と別荘に来ている客人たちが晩餐会をする様子が描かれる (ジェイムズはヴァージニアの1歳年下の弟、エイドリアンをモデルにしているといわれる)。
第3部 「灯台」 はそれから10年経った一日、成長したジェイムズが父や姉とともについに灯台に行くことが描かれている。目立って起こる事件はそれだけだ。ほとんど何も起こらないといってもよい。

その間にはさまれた第2部 「時はゆく」 (Time Passes) は interlude であり、第1部と第3部の間の10年間が詩的な文体で記述される。主人公は人がいなくなり荒れ果ててゆく別荘=家 (the house) である。
ラムジー夫人は突然のように死に、娘のひとり、プルーも結婚した後、早々に死ぬ。しかし最も劇的な事件であるはずのそうした死の情景はほとんど語られない。なぜなら、時は人々の上を過ぎてゆくのではなく、家の上を過ぎてゆくのだから。あるいは、主人公は、家にダメージを与えてゆく自然そのものでもある。
第2部は第1部、第3部と較べて最も短い。最も短い文章のなかで最も長い時が語られ、しかも事件として語られるべきことは語られず、そうすることによって前後 (第1部と第3部) の各一日の出来事を際立たせる構造になっている。それはいわば 「永遠」 と 「一日」 の対比のようにも思えるし、時間とは相対的なものであることの証しでもあるし、ウルフのアヴァンギャルドな手法でもある。

ウルフの描くラムジー夫人は、時に専横で押しつけがましいところがあるにせよ、いつも気づかいし、他人のために尽くすという性格の、当時 (ヴィクトリア朝) の典型的母親像である。すべてを尽くしてしまうため、自分に何も残らないことを夫人は知っている。学問的知識はないかもしれないが、存在論的な 「カン」 を夫人は持っている。編み物をする夫人の座っているその位置こそが、夫人の存在を主張していて、それは夫人の死後も、夫人がそこに在るべき位置として残存しているのだ。
ウルフの実際の母ジュリアは、ウルフが13歳の時に急逝する。ラムジー夫人にはウルフの、母に対する冷徹な観察眼と、その愛を渇望していた思慕とかないまぜとなって現出している。母を亡くした衝撃がその後のウルフの精神的な不安定さの最初の引き金となった。

ラムジー氏もまた、ウルフの実際の父親であるレズリー・スティーヴンの面影を映しているのであろう。気難しく、時に独善的であったが、学問に深く沈潜してゆくタイプのレズリーは、しかし不器用にだが子どもたちを愛していたのだと思う。
ウルフは学校には通わず、父からの教育を受けたが、彼女が若い頃から父はその文才を見抜いていた。

しかしこの小説のなかでは、娘たちの中の誰にもウルフらしき面影は反映されていない。ウルフの心象を代弁しているのはリリー・ブリスコウである。彼女は別荘の客のひとりであり、切れ上がった目 (chinese eyes) をしたあまり目立つことのない画家で、熱心に絵を描こうとしているが、ラムジー夫人はリリーの画才を認めていない。
しかし彼女の視点がこの作品のほとんどの骨格を成している。絵を描くという行為のなかに、ウルフは小説を書く苦悩や喜悦をアナロジカルに籠めようとした。ヘルマン・ヘッセの『ロスハルデ』(湖畔のアトリエ) は自立した画家を描いた作品だが、リリーはもっとちっぽけで無名の、試行錯誤を繰り返している画家に過ぎない。
そのリリーの心の移ろいに、ウルフの心象は時に近づき、時に離れて、一人称的であったり三人称的であったりするような、陽の輝きと翳りのような変化を宿している。

(→2016年12月29日ブログにつづく)


ヴァージニア・ウルフ/灯台へ (岩波書店)
灯台へ (岩波文庫)

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瓶入りの手紙 — 大久保賢『黄昏の調べ』を読む [本]

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Claude Debussy (1862-1918)

書店で、音楽書の書棚を見ていたら 「買って!」 と言っている本があったので買ってきた。大久保賢『黄昏の調べ』という本で、「現代音楽はなぜ嫌われる?」 という帯が付いている。
黄昏の調べというタイトルがすでに意味深である。最初に書いてしまうと、つまり20世紀に最も隆盛を極めた現代音楽はすでに黄昏れてしまったというのがその結論なのである。

前半は現代音楽に至るまでの音楽の歴史の過程が描かれていて、シンプルでわかりやすくて読みやすい。音楽史の教科書のようである。現代音楽というものの定義も明快で、それは 「調性」 があるかどうかによる、というのである (p.26)。調性がないのが現代音楽、調性のあるのはクラシック音楽という分類法なのだ。大久保によれば現代音楽という語が意味するのは20世紀以降に書かれた前衛音楽のことであり、前衛とはつまり非調性と言い換えることができるともいう。だからラヴェルとかブリテンは調性があるので、20世紀の音楽であっても現代音楽ではなくてクラシック音楽であるとのこと。

さらに調性とはメジャー&マイナースケールとその上に生成される三和音に基づく音組織の体系であって、

 とりわけ重要なのは 「ドミナント和音 (ソ・シ・レ) → 主和音 (ド・ミ・
 ソ)」 (そして、その中に含まれる 「導音 (シ) → 主音 (ド)」) という連結で
 あり、これが句読点となって調性音楽の文章は綴られている。(p.40)

とある。この個所の註にはサブドミナントの性格に関する言及もあって、これとは視点が異なるけれども、この前、プリンスについて書いたとき、大谷能生がドミナント→トニックが強過ぎると書いていたことを思い出した (→2016年07月25日ブログ)。それはすべてを解決するモーションで、つまりそれこそが伝統的ヨーロッパ音楽の典型的な手法のひとつなのだとも言える。マイルス・デイヴィスがモードに新たなルートを見出そうとしたのも、この導音解決の押しつけがましさからの離脱に他ならない。

さて、上記のように現代音楽を定義してしまったので、その水源はたとえばスクリャービンとかドビュッシーに始まることになっている。ドビュッシーの和声の曖昧さを、機能的和声が生まれる以前、つまり中世~ルネサンス期の施法への志向があったと言い、そうした施法を拡大解釈していくことにより和声の機能を無効化したのだと分析している (p.52)。そしてドビュッシーの音は、アンセルメの言葉も引用しながら、調性でなく音響であるというように表現している (p.129)。
シェーンベルクとドビュッシーの対比 (シェーンベルクは協和音を意図的に避けようとしたがドビュッシーは和声進行そのものを無効化したのだという)、バルトークとストラヴィンスキーの対比 (バルトークはドビュッシーの影響を受けながらもヨーロッパ伝統音楽とハンガリー民族音楽の語法を共に尊重したが、ストラヴィンスキーは素材の切り貼りこそが方法論だとしたこと) という比較論もなるほどと思わせる。

そして現代音楽は、特に伝統的ヨーロッパ音楽の末裔として、より複雑に難解に高踏的に変化していったため、それに対抗する方法として、パロディ的な意味あいも想起させる引用/コラージュといった方法が出現してきたのだという。
コラージュの度合いと引用の多さとしてベリオの《シンフォニア》について言及し、そしてライヒを始めとするアメリカ系の反復技法 (≒ミニマル・ミュージック) の出現、そしてビートルズのミュージック・コンクレート的アプローチやフランク・ザッパ、セシル・テイラーなどのポピュラー・ミュージックにそうしたムーヴメントが影響して発展していくというのは、ごく表層的な辿りかたではあるが、それゆえに理解が容易である。

モートン・フェルドマンについての見方も興味深い。大久保はフェルドマンはクセナキスと逆に極端に少ない音でありながら、その 「音のありようが多義的 (≒曖昧)」 という。さらに庄野進を引用し 「フェルドマンの音楽は、まったくの無秩序でもなければ、厳密に構成し尽くされた秩序でもない」 と規定する (p.140)。
また、フェルドマンと同じように静寂が支配する作品でありながら、ルイジ・ノーノの《断章――静寂、ディオティマへ》(1980) に対して、同じ静けさでもフェルドマンのような静けさではなくて、そこに時々露出する暴力的な表情がノーノだとする。そうした緊張感は息苦しくもあり、本来享楽的であるはずの音楽という場を拒んでいるようにも見えるという (p.168)。
ノーノについて私は、著者も言うように、かつてポリーニの弾いた曲くらいきり知らず、フェルドマンとの比較となる沈黙に近い音の作品があるというのは意外だった (尚、フェルドマンについて私はすでに過去のブログで繰り返し書いた。たとえば→2013年03月19日ブログ)。

大久保のユニークな点は、必ずしも音楽系の人でないところから言葉を探してきて、それを音楽論としてとりこんでいることだ。たとえば哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセットの音楽論から、今までの音楽は自分自身の中に引き起こす反響であったが、新しい音楽とは自己の外にある音楽であって、純然たる観照者となることだとか (p.128)、ジュリア・クリステヴァの記号論から 「どのようなテクストも引用のモザイクとしてできている。言い換えれば、どのようなテクストも別のテクストを取り入れ、変形したものだ」 という個所を引用し、そうした見方は音楽に敷衍できるとする (p.166)。

というようにわかりやすいけれど現代音楽史を、ある意味、淡々と解説しているようにも見えるこうした解説の果てに、巻末の結論的部分になるにしたがって、本書は俄然面白くなってくる。著者は現代音楽を愛しながらも、それが極端にわかりにくくなり、そしてその結果、孤絶した音楽となっていることに不満を表明しているのだ。そして現代音楽は能や歌舞伎のような一種の古典芸能だ、とまで言い切る。一定の枠組みや約束事や、そしてなにより世の中の動向から隔絶していることがまさにそうだと断言する。もはや現代音楽は contemporary ではなくtemporary (つかの間のもの) に過ぎないという。ああ、つまり一種の temporary file に成り下がっているということなのだろうか。

そして、ではどうすればいいか、という問いに対して、「芸術であることの程度を少しばかり下げること」 だと大久保はいう (p.208)。かつてモーツァルトの音楽は、ハイブロウな人にも一般大衆にも、同時に受け入れられていた。そのような処世術があるはずだというのである。そしてシェーンベルクは 「芸術は万人のためのものではない」 と言っていたが、しかし 「ものには限度がある」 と切り返すのだ。
即物的かもしれないが、わからな過ぎる特殊化し過ぎた音楽を少しはわかるように、と願う著者の考え方がストレートに書かれていて小気味よい。大久保は、現代音楽でなくて、現代の音楽を聴きたいというのである。
しかし一方で、リチャード・パワーズの《オルフェオ》のように、孤絶した環境だからこそ輝きを増す現代音楽というとらえかたもあるわけで、それは自閉的でもあるのだが、どちらに加担すべきか簡単に選択することは困難だ (オルフェオについてはすでに書いた通りである→2015年10月09日ブログ)。

それと、後書きにあるように、大久保は武満徹の《カトレーン》を聴いた衝撃から現代音楽というものに興味を持ち、そして深入りしていったという自らの過去を語るのにもかかわらず、日本の現代音楽家のことに全く触れていない。とりあえず重要な作曲家のひとりである武満に触れていないのはアンバランスであるように思う。
それは著者自身もよくわかっているし今後の課題なのだろうが、世界のなかにおける日本の現代音楽の立ち位置について、次の著作を期待したい。


大久保賢/黄昏の調べ (春秋社)
黄昏の調べ: 現代音楽の行方




Mitsuko Uchida/Debussy: Etudes
https://www.youtube.com/watch?v=nafCb9wId1c
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池澤春菜の3つのアイテム [本]

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池澤春菜の『SFのSは、ステキのS』を読む。
144ページという薄めな本なのだが、そのうち本文は105ページで、後注が38ページもあるってどぉよ?(しょーがないなぁ)

それと連載されているときはあまり気にしていなかったのだけれど、このタイトルの付け方は新古今和歌集かっ! ってことです (そもそもこんなタイトル付いていたっけ?)。つまりSF小説のパロディなんだけれど、よくわからなかったりするものもあります。
「勇ましいチビのSF者現る」 とか 「ボーカロイドは音楽の神の夢を見るか」 くらいならたぶん誰でもわかるけど (ちなみに元となるタイトルはトマス・M・ディッシュ 「いさましいちびのトースター」、フィリップ・K・ディック 「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」 です)、「あるいは萌えでいっぱいの世界」 だと難易度高いような気がする (元タイトルはエイヴラム・デイヴィッドスン 「あるいは牡蠣でいっぱいの海」。しかもこれ、その後邦題を改変してしまった本が存在します)。

まぁこれも池澤春菜のSF好きがモロ出ているということなんでしょうが、鉄オタとかアニメオタはかなり一般的になってきてるのに対して、SFを語る女性はまだまだ少ない。SFを書く作家はいっぱいいるのに。
池澤春菜はケロロ軍曹とかマリみてなど、声優がそのメインなんだと思うんだけど、川上未映子なんかと同じでマルチな方向性を感じます。声優とSFとMac (ハンバーガーではありませぬ) が3大アイテムなのかもしれない。レイヤーっぽい面もあるしCDも出していて、やりたい放題。エミリーテンプルキュートやジェーンマープルが好きとも書いてある。

池澤春菜はSFに限らず、子どもの頃から重度の読書マニアだったとのこと。母親が本を読み過ぎると小学校の先生に相談したというエピソードがあるが、そもそも読書なんていうのは悪徳のひとつであって、母親の気持ちはよくわかる。私も子どもの頃、読書という禁断の悪に染まっていたほうだから。
私の祖母は昔気質の人だったので、私が小学生の頃、知り合いのおばさんなどに私のことを 「本ばっかり読んで勉強しないんですよ~」 と、よく言って嘆いていた。祖母の頭のなかでは、読書と勉強とは全く正反対のことであって、本ばかり読んでるようなヤツはロクなもんじゃないという価値基準があったわけです。それはまさにその通りなんでしたが。
教科書も非教科書もどっちも同じ本じゃん、というのは詭弁であって、それを読んでいるとき楽しいか苦しいかによって厳然と区別できます。現代の状況に換言すれば、PCの画面見てれば仕事しているように見えると思いこんでいるかもしれないけど、仕事用の画面を見てるときとそうじゃない画面を仕事のふりして見ているときとでは表情が違うはずなんです。ふふふ。

読んでいて一番納得したのは本の量のこととか、他人の書棚が気になるとかいうところで、そもそも彼女はもともと家に大量の父親の蔵書があったわけで、そこがスタート地点になっているからかなりアドヴァンテージがあって、ズルイっていえばズルイ。でも幾ら蔵書があったって、その夜の大海のなかからチョイスする眼力がなければなんにもなりませんから、すべては本人のこころがけ次第とも言える。

引っ越し屋さんが書棚を見て暗澹たる表情になったという話も笑えます。本というのは少ない数だったら紙ですが、実は組成的にはもはや石なので、悪の根源の要素のひとつとして数えられる。それは大量になったときに初めて認識できることだから。
それと本の収納に関する話題で、「限られたスペースにいかに大量の本を美しく、取りやすく収めるか」 と書いていますが、これも大変納得。ウチの場合、取りやすくというのがおろそかになっているので反省することしきりです。池澤によれば、本は横にして積んではいけないとのこと。横にした途端、本は死にます、と書いてる。つまり出しにくくなってしまうから。これはとても納得できるけど、でも横積みにしたほうが大量に入るということもあるので悩むところです。私の場合、縦に並んだ本の上の空間がもったいないので、その部分に本を横にして何冊か積む。確かに、とりにくくはなるんだけれど、でも少しでも書棚のスペースをかせがないとね。
理想としては本がいくらでもおけるような広大な空間があればいいんだけど、実際にはそんなことは無理ですし (京極夏彦先生の書斎の写真見ましたけど、すごかったなぁ)。

一応wiki的説明を付け加えておくと池澤春菜の父親は池澤夏樹で (金原ひとみ―金原瑞人という関係性に似ている)、ですから彼女の祖父は福永武彦ということになります。3代目ということ。もっとも幸田露伴―幸田文―青木玉―青木奈緒という系譜もあります。そういうふうに連綿と継続できる家系っていうのも一種のパワーというか、血のなせる技なのかもしれない。
もっとも最近はどんなジャンルでも世襲って多いようにも思えます。


池澤春菜/SFのSは、ステキのS (早川書房)
SFのSは、ステキのS




池澤春菜/夜想サァカス
http://www.nicovideo.jp/watch/1274840058
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