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gentillesseとtristes ― 今福龍太『レヴィ=ストロース 夜と音楽』を読みながら [本]

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Claude Lévi-Strauss

今日、たれ流しのBGMが延々と聞こえてくる環境にいて疲れてしまった。聞こえてくるBGMというのは、曲目もよく覚えていないのだが、J-popの有名曲をピアノに編曲したインストゥルメンタルで、しかも4~5曲がループして繰り返し繰り返し流れてくるのである。ダイレクトにその場所で聞いていたのではなく隣の部屋から流れてくるのを洩れ聞いていただけなのだが、まるで呪術的な強制力で迫ってきて、私にとっては一種の音の拷問に他ならなかった。
でも、そういうBGMを欲している人は当然いるわけで、だからその場所でBGMとして使われていたのだろうけれど、サーヴィスとして音楽を流している善意の行為が必ずしも善意とはならないところにBGMのむずかしさがあると思われる。

私はそういうふうにして消費される音楽が好きでは無いし、飲食店ならともかく (といっても場にそぐわない音楽ほど心を萎えさせるものはないのだが)、たとえばBGMの流れている書店は敬遠してしまうほどで、つまり音楽が好きだからといって常時音楽が流れている環境が好きというわけではないのである。

夜の帰り道の途中に葬儀店があって、その前を通りかかると、宣伝のつもりなのか煌々と点いた葬儀プランの案内のショーウィンドゥから悲しく儚げな音楽が終始流れているのであるが、こんなふうなチープな音楽とともに生前の写真を飾られるような通夜だけは自分の場合にはなんとしても阻止したいと心底思うのである。もし音楽をかけるのならブルーハーツに限る、と遺言に書いておこう。

今福龍太の『レヴィ=ストロース 夜と音楽』(2011) はレヴィ=ストロースが亡くなった直後、彼へのレクイエムのようにして書かれた文章を集成したもので、彼がどんな音楽が好きだったとかいうような内容ではなく、音楽そのものを論じたものでもない。でもそれゆえに、レヴィ=ストロースの文章構造がそこはかとなく音楽的構造を備えていることを暗示している。ここで 「それゆえに」 という言葉の使いかたはおかしいのかもしれないが、それゆえにあえてそれを使うのである。なぜなら今夜はブルーハーツ的気分だからである。

クロード・レヴィ=ストロース (Claude Lévi-Strauss, 1908-2009) は、サティのバレエ音楽《パラード》(Parade) が1917年に初演されたとき、その会場に座っていたのだという。彼はまだ9歳であった。それだけでなく、1923年のストラヴィンスキー/バレエ・リュスによる《結婚》(Le Noces) の初演にも、1928年のラヴェルのバレエ音楽《ボレロ》(Boléro) 初演のときにも、彼はその場にいたのだという。といってレヴィ=ストロースが特別にバレエ音楽に興味を持っていたわけではなく、フランスのその時代における最も先進の音楽がバレエ音楽だったのだろう。

今福の紹介のなかにあるズニドール (zunidor) という呪術的玩具とか、リオ・デ・ジャネイロのあたりにかつて実在した南極フランス (France Antarctique) という名のフランスの植民地とか、まるで知らないことばかりでとても興味をひく。
しかし最も強く印象に残ったことのひとつは、なぜ『悲しき熱帯』(Tristes tropiques, 1955) から醸し出されるものが感傷的なのかということの答えであって、それは西欧人の 「民俗学という学問の根にある植民地主義と進歩への幻想」 だとする指摘である。

レヴィ=ストロースはブラジルの地でフィールドワークをしながらも、そうした行為が昔からそこに住む人たちにとって悪い影響を与えてしまうことを 「負い目」 として捉えていたのだという。そっとしておけばよいのに、その生活をかき乱してしまったことへの負い目である。
それはポルトガル語特有のメランコリックな形容、サウダージというキーワードを使った章のなかで語られている。レヴィ=ストロースの体験した熱帯がどうして tristes であったかということの解説にもなっているように思える。

 伝統文化の消滅に力を貸しながら、一方で知的ノスタルジーとともにそ
 れを戦利品として展示・消費する西欧文化=学問の近代的な 「しつけ
 [ディシプリン]」 にたいし、レヴィ=ストロースほど自責の念にかられ、
 またそれにたいして倫理的な潔癖さを貫いた人類学者も二〇世紀におい
 てはいなかった。(p.46)

レヴィ=ストロースの視点は植民地主義的な上から目線ではなく、かつてジャン・ド・レリーがトゥピ族の姿を記録したのと同じような公正な視点であった。彼の自責の念は、だからといってセンチメンタリズムに堕するのではなく、むしろ消費文化とは対極のオプチミスティックなものである。そして、かつてトゥピ族の女性たちが壺の中に描いた絵や模様を 「かわいいもの」 =ジャンティエス (gentillesse) と形容しているのだが、しかしgentillesseには全く裏側の揶揄した意味もあって、それを感じながらもレヴィ=ストロースは、あえてそう言ったのだろうか。そのあたりは謎である。

『悲しき熱帯』の献辞として息子に与えられたルクレティウスからの引用、「お前と同じように、これまでそうした世代は滅びてきたし、これからも滅びるだろう」 がジェネレーションの交代と生命の連鎖への希望だとするのならば、それは個としてではなくマスとしての人類が存続していくということであり、それは森達也が生物学者たちから聞き出した 「細胞の意志」 の考えかたに近く、さらにはドーキンス的概念をも思わず連想させてしまう (森達也の『私達はどこから来て、どこへ行くのか』を参照→2015年11月18日ブログ)。
そして冒頭で今福は、そうしたレヴィ=ストロース的思考はすでに孤絶してしまったというふうにもとれる書き方をしている。

 そしてそのことは、レヴィ=ストロースの思想の世代的継承にかかわる
 問題を、特異な地点へと誘導することになった。近代の思潮が、ひとつ
 の蓄積から次なる蓄積へ、あるいはひとつの流行から次なる流行へ漸進
 的進化の想像力に裏打ちされながら更新されてゆく流れのなかに、ある
 ときからレヴィ=ストロース的知性は場所を持たなくなったように見え
 るからだ。孤独に屹立し、近代思想の歴史から逸れてゆく、無時間の哲
 学。(p.23)

アーレントの記事にも書いたように、分かりやすさが21世紀のトレンドだとするのならばレヴィ=ストロースはすでに時代遅れである。仮想敵を作り、敵味方という二者択一で判断する単純な思考方法が蔓延する時代は、まさに tristes と形容すべき時代なのだろう。


今福龍太/レヴィ=ストロース 夜と音楽 (みすず書房)
レヴィ=ストロース 夜と音楽




クロード・レヴィ=ストロース/悲しき熱帯 I (中央公論新社)
悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)




クロード・レヴィ=ストロース/悲しき熱帯 II (中央公論新社)
悲しき熱帯〈2〉 (中公クラシックス)

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分かりやすさの罠 — ハンナ・アーレントについて [本]

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Hannah Arendt
(http://rozenbergquarterly.comより)

本の解説やあとがきを先に読んでしまうのは、問題集を解く前に解答を見てしまうのに似ていて、よくないことなのだとは思っているのだが、NHKのEテレに《100分de名著》という番組があって、このテキストがなかなかよく書かれているのに気づいた。放送はもう終わってしまっているのだが、ハンナ・アーレントの回のを買ってきた。解説をしているのは仲正昌樹である。
というのは、ついこの前、『全体主義の起原』が改訂再刊されたのだが、いきなり読むのより少しは参考になるだろうという魂胆である。解答を先にこっそり見てしまうような後ろめたさが全くないわけではない。

ハンナ・アーレント (Hannah Arendt, 1906−1975) はドイツ系ユダヤ人で、3つの大学で学び、22歳で博士号をとったが、ナチスが擡頭する頃から政治的意識に目ざめ、反体制活動をしたことで逮捕されたり、強制収容所に入れられたりする。アーレントはドイツから逃れフランスへ、そして最終的にアメリカへと亡命する。
第二次大戦後、ドイツのナチズムとソ連のスターリニズムを全体主義とし、そうした考え方がなぜ形成されたのかを冷静に分析したのがアーレントの『全体主義の起原』(1951) である。

なぜユダヤ人がナチスによって迫害されたのかを考えるとき、ユダヤ人とは何だったのかという解説のなかで、シェークスピアの 「ベニスの商人」 の例がわかりやすい。ユダヤ人が経済的才覚を持っているのは 「金貸し業」 を請け負っていたためであり、金貸し業というのは 「汚れ仕事」 であって、キリスト教徒が従事することはできなかったのだが、結果として彼らが金融を動かすことで裕福になってしまったことが妬ましいという論理なのである。

 『ベニスの商人』はユダヤ人を利用しながら、都合が悪くなると悪魔呼
 ばわりするヨーロッパ社会の身勝手さを表した作品だと指摘する人もい
 ます。(p.18)

次にナポレオン戦争 (1776−1815) あたりから、国家が絶対君主制から 「国民国家」 (nation state) へと移行してゆくに従って、人々の間に 「国民」 意識が広まっていった。nationは 「国民」 と訳されるが、日本語のニュアンスとしては 「民族」 に近く、つまり国家を同質的なものにしようとすると、血を同じくする同族意識で団結してかたまることになり、その血以外の異分子を排除するメカニズムを持つことになる。その異分子として認識されたのがユダヤ人だというのである。
アーレントからの引用はこうである。

 国民国家という政治体 [ボディ・ポリティック] が他のすべての政治体
 と異なるところはまさに、その国家の構成員になる資格として国民的出
 自が、また、その住民全体の在り方としての同質性が、決定的に重視さ
 れることにあったからである。(p.21)

古代ローマが異民族に対して寛容であったのに対して、近代の国民国家は、単一の同質的な 「国民」 をベースとする共同体でありさらにアフリカを植民地として統治することが、人種という選別意識を助長させ、差別を顕在化させる契機となった、とアーレントは考える。
その 「民族」 という概念が、血族という考えとなりナショナリズムの萌芽となった。自分たちは選ばれた民族であるという意識が、身内と他者という選民意識となり、ドイツの場合、その他者がユダヤ人であったのである。

またアーレントは、第一次大戦後に、国境が移動したことによる難民の発生を無国籍者の発生と規定し、難民には人権がない、それはいままで民主主義の根本にあった人権思想が幻想に過ぎなかったのだと指摘する。それが21世紀の昨今に、より顕在化していることは確かだ。

 法による支配を追求してきた国民国家の限界が、国家の 「外」 に現れた
 のが無国籍者の問題であり、それが国家の 「内」 側に現れて、統治形態
 を変質させていくのが全体主義化だということもできると思います。
 (p.58)

と仲正は書く。

全体主義がなぜ擡頭したのか、の理由として、ドイツでは第一次大戦の敗戦による領土の縮小、経済的逼迫、さらに世界恐慌などによって 「不安と極度の緊張に晒された大衆が求めたのは、厳しい現実を忘れさせ、安心してすがることのできる 「世界観」。それを与えてくれたのがナチスであり、ソ連ではボルシェヴィズムで」 あったという (p.67)」。
こうした社会情勢の雰囲気が全体主義に陥りやすいきっかけとなるのだ。

 しかし、平生は政治を他人任せにしている人も、景気が悪化し、社会に
 不穏な空気が広がると、にわかに政治を語るようになります。こうした
 状況になったとき、何も考えていない大衆の一人一人が、誰かに何とか
 してほしいという切迫した感情を抱くようになると危険です。深く考え
 ることをしない大衆が求めるのは、安直な安心材料や、わかりやすいイ
 デオロギーのようなものです。それが全体主義的な運動へとつながって
 いったとアーレントは考察しています。(p.65)

アーレント自身の表現は、もっと簡潔にしてストレートである。

 ファシスト運動であれ共産主義運動であれヨーロッパの全体主義の運動
 の台頭に特徴的なのは、これらの運動が政治には全く無関心と見えてい
 た大衆、他のすべての政党が、愚かあるいは無感動でどうしようもない
 と諦めてきた大衆からメンバーをかき集めたことである (p.65)。

アルゼンチンに逃亡していたナチスSSであるアイヒマンの裁判を傍聴した記録『エルサレムのアイヒマン』(1963) で、アーレントは批判を浴び、多くの友人を失ったという。しかし彼女が自分の主張を変えることは、もちろんなかった。
諸悪の根源であり、大悪人であると見られていたアイヒマンを、アーレントは 「どこにでもいそうな市民」 であると形容し、極悪非道ぶりを暴いてくれると思っていた読者を空振りさせてしまったからである。アイヒマンが 「どこにでもいそうな市民」 なのだとしたら、翻れば誰もが条件さえ整えば 「アイヒマンのような人間になる可能性がある」 ということだ (p.98)。
それは現代の日本における犯罪報道やスキャンダルな報道が、犯人がいかに自分たちと違うかということに執心しているのと変わらない、と仲正は説く。

『全体主義の起原』に続くアーレントの著作『人間の条件』(1958) について、松岡正剛の〈千夜千冊〉を読んでみた (0341夜)。
そこでアーレントが指摘している世界危機は次のようであり、いずれも20世紀の特質だという。

 (1) 戦争と革命による危機。それにともなう独裁とファシズムの危機。
 (2) 大衆社会という危機。すなわち他人に倣った言動をしてしまうとい
   う危機。
 (3) 消費することだけが文化になっていく危機。何もかも捨てようとす
   る 「保存の意志を失った人間生活」 の危機。
 (4) 世界とは何かということを深く理解しようとしない危機。いいかえ
   れば、世界そのものから疎外されているという世界疎外の危機。
 (5) 人間として何かを作り出し、何かを考え出す基本がわからなくなっ
   ているという危機。

これは21世紀の今にも共通して、より痛切に成り立つ危機である。たとえば(3)は、安易で放蕩的な消費と、不健全な 「断捨離」 なるものを指していることに他ならない。
アーレントが提唱するのは、最も素朴に言えば、自ら物をつくり出し、仕事し、思考する、ということであると思う。
松岡は、こうしたアーレントの説明を古っぽいという。でありながらも 「アーレントを読むと何かのラディカルなリズムが胸を衝いてくるのを禁じえない」 と書く。それは松岡の数日前の1652夜、ヤン=ヴェルナー・ミュラー『ポピュリズムとは何か』において展開されている昨今の情勢への辛辣な意見と通底しているように思える。

「ユルゲン・ハーバーマスは、「人民は複数でしか (in the plural) あらわれることができない」 と言い、そういう複数の人民を従えた政治家が単一人民の代表者であるかのような相貌をとるのは危険な徴候だと見なした」 とする部分における複数というワードは、アーレントの 「複数性」 という概念に通じるものがある。
そして本来、エリート主義との対比で用いられてきたポピュリズムが今では 「「大衆迎合主義」 「衆愚政治」 「人気取り政治」 の、ときには 「大衆操作マキャベリズム」 の代名詞にすらなってきた」 と松岡はいう。それは全世界的傾向なのだ。現在の日本の憂うべきポピュリズムへの指摘——ポピュリストは大騒ぎすることが好きとかレファレンダムが好きなどということは、直接〈千夜千冊〉をお読みいただきたい。
とりあえず私は、古っぽいかもしれないアーレントにまず立ち返ることが必要だと痛切に感じている。仲正はテキストの最後にこう書いている。

 アーレントのメッセージは、いかなる状況においても 「複数性」 に耐え、
 「分かりやすさ」 の罠にはまってはならない——ということであり、私た
 ちにできるのは、この 「分かりにくい」 メッセージを反芻しつづけるこ
 とだと思います。(p.109)


ハンナ・アーレント/全体主義の起原 1 (みすず書房)
全体主義の起原 1――反ユダヤ主義 【新版】




100分de名著 ハンナ・アーレント『全体主義の起原』2017年9月 (NHK出版)
ハンナ・アーレント『全体主義の起原』 2017年9月 (100分 de 名著)

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松山晋也『ピエール・バルーとサラヴァの時代』を読む・2 [本]

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Pierre Barouh (http://www.purepeople.comより)

松山晋也『ピエール・バルーとサラヴァの時代』を読む・1 (→2017年10月01日ブログ) のつづきである。

サラヴァの寛容で何をも受け入れる精神は、それだけでみれば理想的な形態であったが、経済的なアバウトさから生じるリスクも伴う。脆弱なシステムにつけ込む悪人は必ずいるもので、サラヴァは倒産の危機に直面する。
本の後半はそうしたサラヴァとバルーを救った日本人たちについての記述である。

松山晋也はキー・パーソンとして立川直樹と牧村憲一をあげているが、それまでのサラヴァからリリースされた音楽に魅せられた多くのミュージシャンがその救済にかかわったことはもちろんである。そしてバルーの3人目の妻となった潮田敦子によってサラヴァはその命運を長らえた。
そうした裏側の事情は私のような一般リスナーにはわかるべくもないが、例えばフォンテーヌの《フレンチ・コラソン》(French Corazon, 1988) が突然、日本のレーベルであるmidiからリリースされたりすれば、何となく台所事情は感じ取れるものである。

日本人ミュージシャンたちがサラヴァの再建に協力しようとしたのは、ひとえにそれまでのサラヴァの音楽的遺産へのリスペクトがあったからである。フォンテーヌ、アレスキ、イジュランといった人たちだけでなく、ジュリー・ダッサン、ダヴィッド・マクニール、ルイス・フューレイ、ジャン=ロジェ・コシモンといった人たちがどのようにサラヴァと関わってきたかを知ると、バルーの大きな包容力にあらためて驚かされる。
特にコシモンを世に出したことをバルーは誇りに思っているという。コシモンはレオ・フェレの共作者であったが、自分のアルバムを出そうとはせず、バルーに背中を押されて初めてのアルバムを作ったのは彼が52歳のときだった。コシモンは緊張して、なかなか録音がうまくいかなかったが、バルーが 「リズムもテンポも考えずに歌っていいよ」 とサジェスチョンした後、突然録音ははかどったのだという (p.138)。その後、コシモンは呪縛が解けたように6枚のアルバムを作ったのである。コシモンにはカトリーヌ・ソヴァージュへの提供曲もあるが、キャリアの長い、最も正統的なシャンソンの系譜に連なる人である。トータルな目で見ればこれはサラヴァとしては異質のようにも思えるが、異質であって異質ではない。

サラヴァの音楽に強く影響された高橋幸宏は、最初のソロ・アルバムのタイトルをサラヴァとすること、ジャケット写真はパリで撮ること、というのをあらかじめ決めていた。そして、できあがったのが《サラヴァ!》(1978) というアルバムだったのだという (p.168)。

興味をひくエピソードのひとつに、牧村憲一の指摘する資生堂のTVCMがある。1973年のCM 「アイエア・ビューティケイク」 の音楽として使用されている〈窓いっぱいの夏〉という曲は廣瀬量平の作品だが〈ラジオのように〉の雰囲気があるとのことなのである。YouTubeで聴いてみると、パーカッションや木管のからみの技法は、まさにその通りで、逆にいえば4年経つと最先端のものが大衆的レヴェルに下りてくる現象なのであり、それはファッションにおけるコピーの伝播の様子と相似形であるように思える (と書くと歯切れが悪いが、ズバリと言えば、最先端のオリジナルは時差を経て劣化コピーされるのだということである)。

バルーがかかわったテアトロ・アレフという演劇グループの、タイトルでもあり曲名でもある〈ラスト・チャンス・キャバレー〉、牧村が何度もサラヴァに呼ばれているように感じ、そして最後に重要な役割を果たすことになったのも一種のdestinyであり、まさにそれはラスト・チャンスだったのである。
そのあたりの細かい推移は本書の記述に譲るとして、テアトロ・アレフにおけるバルーの演じた役は、砂漠に不時着したフランス人パイロットだったこと (p.198/サン=テグジュペリを連想させる)、そして主宰者のひとり、アニタ・バレッホのバルー評として 「彼はスパイラル (螺旋)」 だという言葉が心に残る (p.200)。螺旋は終わりがなく、永遠に動いているから、というのである。

イヴ・モンタンとの話も印象深い。モンタンは〈ラスト・チャンス・キャバレー〉を録音したいと願っていたのに、その予定の3日前の亡くなってしまったこと、しかし半年後に実はモンタンは (無断なのだが) 録音をしていたのだとわかったこと、それを聴くバルーの心情を想像するだけで音楽のかけがえのなさを知る (p.204)。
それは他のアルバム紹介のなかで、カルロス・プエブラの〈アスタ・シエンプレ〉(Hasta Siempre) をバルーがカヴァーしているエピソードを読んだときも同じで (アスタ・シエンプレが何度も私の前を通り過ぎることで、この曲がどれほど重要な曲なのか私にもやっとわかってきたのだが)、歌い継がれる曲とは、どんなものにも屈しないという音楽の強さを持っていることをあらためて確認する。すぐれた曲は、かたちがなく抽象的かもしれないが、滅びることがない。

     *

もうシュンを過ぎてしまったかもしれない河野悦子より校正チェック。p.135のアルバム《Alibis》写真のキャプションはキャロル・ローレ、1978と表記されているが、本文中ではキャロル・ロール、リリースも1979年とある。どちらかに統一して欲しいものだ。


松山晋也/ピエール・バルーとサラヴァの時代 (青土社)
ピエール・バルーとサラヴァの時代




Brigitte Fontaine/comme à la radio (コアポート)
ラジオのように




Jean-Roger Caussimon/Nous Deux
https://www.youtube.com/watch?v=-ct87KEbdqg

Pierre Barouh/Au Kabaret de la dernière chance
https://www.youtube.com/watch?v=zdLTEbPlpME

Yves Montand/Le Cabaret de la dernière chance
https://www.youtube.com/watch?v=6mk-LhEgqwY

Yves Montand/Le Cabaret de la dernière chance (full)
https://www.youtube.com/watch?v=CBAC-kEPsZU

Brigitte Fontaine/Comme à la radio (1969)
https://www.youtube.com/watch?v=Tn_Nk_rAAaA

廣瀬量平/窓いっぱいの夏 (資生堂 「アクエア・ビューティーケイク」 CM曲 1973)
https://www.youtube.com/watch?v=O01_Gql9s-4
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松山晋也『ピエール・バルーとサラヴァの時代』を読む・1 [本]

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昨年末亡くなったピエール・バルーの作ったサラヴァ (SARAVAH) は、フランスのインディペンデント・レーベルとしてひとつの時代を築いてきた。そのバルーとサラヴァとその周辺の歴史を丹念に辿っているこの本はわかりやすく、資料としても大変優れていて、すごいスピードで読み切ってしまった。

若い頃からバルーの目と耳と心は常に外へ向いていた。本のはじめにそのことが、旅に憧れる強い気持ちとして描かれている。

 しかし何より強く彼の心をとらえていたのは、旅への憧れである。
 「理由はわからないが、私には少年時代からいつも川岸のむこう側の知
 らない世界に憧れる “むこう岸願望” ってやつがあったんだ。それを歌
 ったのが〈むこう岸 L’Autre Rive〉だ」 (p.8)

それはセファルディとしての彼の血から来るものもあるのだろうが、たとえばアズナブールの両親はアルメニア系であり、ゲンズブールの両親はユダヤ系ロシア人であるように、フランスへと逃れてきたディアスポラに共通した何かであるようにも思える。

バルーはスポーツが好きで、自転車、テニス、ラグビー、バレーボールといった競技に熱心になり、そしてフランスにおけるジャズにも惹かれ、そうしたものに対する興味が次々に新しい出会いを彼にもたらす。サンフォーナ弾きのシヴーカとの出会い、フランシス・レイとの出会い、クロード・ルルーシュとの出会い、などなど。
そして決定的なのは出演した映画、ルルーシュの監督作品『男と女』(Un homme et une femme, 1966) の大ヒットである。音楽を担当したのはフランシス・レイ、映画はカンヌのグランプリとなり、ピエール・バルーとニコル・クロワジーユによるデュエットは一度聴いたら忘れない超有名曲となった。

しかしバルーはハリウッドに行って映画俳優になることも、スクエアな歌手となって音楽界に君臨することも拒否し、世の中で一般的に言われる成功への道とは異なる道へと進んでいった。サラヴァというレーベルを立ち上げ、売れ線でない音楽を世に出そうと考えたのである。

サラヴァのイメージとして最も強い光を放っているのがブリジット・フォンテーヌである。フォンテーヌの《ラジオのように》(comme à la radio, 1969) がなかったらサラヴァのその後は変わっていたかもしれないのだが、しかしバルーは、フォンテーヌの天才性を認めながらも、彼女を冷静に分析している。

 「彼女は他のシンガーをまったく認めなかったし、ほとんど誰とも交友
 を持つことがなかった。彼女が唯一認めていたのがゲンズブールだ。
 『フランスに才能のある音楽家は二人しかいない。ゲンズブールと私
 だ』。よくそう言ってたよ。彼女はサラヴァとも私とも徐々に疎遠にな
 っていったけど、それは我々の間の友情が壊れたという意味ではない。
 私とフォンテーヌの間には元々友情はなかったからね。私はただただ彼
 女の特別な才能に魅せられていたんだ。昔も今も」 (p.119)

フォンテーヌは最初、ややエキセントリックながらも伝統的シャンソンから出発し、ジャック・カネッティの3枚のアルバムではユニークではあったけれど、まだ単なるシャンソン止まりだった。初期の作品ではジャン=クロード・ヴァニエ、オリヴィエ・ブロック=レネといった編曲家の名前も見られるが、決定的なのはアレスキとの出会いである。

だが、アレスキの個性がいくらあったとしても、フォンテーヌ+アレスキをアート・アンサンブル・オブ・シカゴ (AEOC) と組ませたというのはバルーのアイデア、というより直感であって、それがなければ《ラジオのように》の伝説的ともいえる評価は決して定まらなかったといえるだろう。
しかしアルバム《Higelin & Areski》(1969) のほうが《ラジオのように》より前であること、同年にAEOCのBYG盤は3枚も出されていること、そして〈ラジオのように〉でトランペットを吹いているのはほとんどがレオ・スミスだということだが、彼は同年のアンソニー・ブラクストンのBYG盤にも参加しているということなど、いままでよく知らなかったことが詳しく書かれていて、俄然興味を引く。
前記したヴァニエについても、ゲンズブールの《メロディ・ネルソンの物語》におけるヴァニエの功績が不当に無視され、ゲンズブールとけんか別れしたことなど、エピソードにはことかかない。

ナナ・ヴァスコンセロスもバルーにとって重要なひとりだという。
彼はトロピカリズモのギタリスト、ジャルズ・マカレーのレコードでデビューしたのだそうだが、それからガトー・バルビエリのグループに参加したりしていたが、パリでバルーをたよってやってきたヴァスコンセロスの演奏を聴いて、彼のアルバムを出すことをバルーは即決する。それが《Africadeus》(1973) である。
その後、ヴァスコンセロスはエグベルト・ジスモンチのECMデビューであるアルバム《Dança Das Cabeças》(1977) に参加する。

その当時すでにバルーの名前は知れ渡っており、バルーのところに行けば何とかなるかもしれない、という評判につられてヴァスコンセロスもバルーを訪ねたということなのだ。音楽を見分ける確かな目とおおらかな心が、バルーの終生変わらない特徴だったように思える。

(つづく→2017年10月05日ブログ)


松山晋也/ピエール・バルーとサラヴァの時代 (青土社)
ピエール・バルーとサラヴァの時代




クロード・ルルーシュ/男と女 (Happinet)
男と女 製作50周年記念 デジタル・リマスター版 [Blu-ray]




男と女 オリジナル・サウンドトラック (日本コロムビア)
男と女 オリジナル・サウンドトラック 2016リマスター・エディション




Nicole Croisille et Pierre Barouh/Plus fort que nous (live 1969)
https://www.youtube.com/watch?v=M9qPulvWkA4

Nicole Croisille et Pierre Barouh/Un homme et une femme (live 1966)
https://www.youtube.com/watch?v=M4yo58nTvhU

Brigitte Fontaine et Areski Belkacem/L'éternel retour
Les églantines sont peut-être formidables (1980)
https://www.youtube.com/watch?v=EbuRfNcp4aQ

Brigitte Fontaine et Areski Belkacem/L'été, l'été
comme à la radio (1970)
https://www.youtube.com/watch?v=QZla_ekGTRE

Brigitte Fontaine/Je suis décadente
Chansons décadentes et fantasmagoriques (1966)
https://www.youtube.com/watch?v=qRgr2gkGADE

Un homme et une femme (1966)
https://www.dailymotion.com/video/x24vcce
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薔薇色の脚と偽の夜空 ― 山尾悠子 「夢の棲む街」 を読む [本]

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中川多理人形展 Fille dans l’histoire より

話題があったのに触発されて山尾悠子の『夢の遠近法』を読んでみた。ちくま文庫では『増補 夢の遠近法』というタイトルになっている。日本の幻想文学においてカルト的人気を持つとのこと。

この本の冒頭に収録されている 「夢の棲む街」 は山尾悠子の最初の作品で、『SFマガジン』1976年7月号 (第212号) が初出である。第212号は手元にあるのだが読んだ記憶がない。というか読んだのだとしても、すでに忘却の彼方である。

作品構造は非常に明快で、描写は絵画的であり暴力的だが美しい。主人公あるいは狂言回しと思われるのは街の噂の運び屋〈夢喰い虫〉のバクである。〈夢喰い虫〉は街に噂を流さなければならないのだが、バクの所属していた劇場は閉鎖されていて、噂の出所が無い。それなら他の場所に移ればよさそうなものなのだが、バクはまだ劇場に固執しているようなのである。
劇場はフリークスの坩堝で、演出家が育て上げる〈薔薇色の脚〉とは脚へのフェティシズムが肥大化した脚だけが発達した畸形であり、それら脚たちの元は乞食や浮浪者や街娼であるという。このへんの設定は寺山修司の天井桟敷的である。

フリークスはそれだけにとどまらず、籠の中の侏儒や、娼館に棲息する白い翼の天使たち、しかも天使たちは不潔な環境の中でひしめきあっていて、増え過ぎてシャム双子のように接合していたりする。
街の夜空はプラネタリウムのようで、実際の夜空でなく、作られた夜空のようである。そして街の造型そのものが幾何学的で人工的である。その中心となるのが劇場なのである。星座は 「街を中心とした巨大な半球型の空の平面上に属するもの」 (p.33) なのだ。
さらに空から大量の羽が降ってきて窒息死したり、性的な暗喩を持った人魚の存在があきらかになったりする。
最後のシーンでは劇場に街の全ての人々が集められ、そこで壊滅的な騒動が生起し、そして沈黙が支配するときが来るのだが、提示されるイメージはクリアで、かつ何らかのカリカチュアとも解釈できる。でもそう考えないほうがよいのだろう。

劇場という空間は独特の幻想を醸し出す。それはたとえば高野史緒の『ムジカ・マキーナ』(1995) でもそうだったし、トマス・M・ディッシュの『歌の翼に』(On Wings of Song, 1978) でもそうだし、さらにやや外れてしまうかもしれないがエラリー・クイーンの『ローマ帽子の謎』(The Roman Hat Mystery, 1929) もそうである。しかし 「夢の棲む街」 では劇場もまた幾何学的舞台設定としてのアイテムのひとつであって、短編でもあるため、高野やディッシュ作品のような膨らみを持たない。持たないゆえに、より絵画的でありシュルレアリスティクである。(高野史緒に関しては→2016年05月29日ブログ、ディッシュに関しては→2014年02月01日ブログを参照)

フリークスのイマジネーションが最も効果的に描かれた小説として、ホセ・ドノソの『夜のみだらな鳥』(El obsceno pájaro de la noche, 1970) が挙げられるが、1976年時点でドノソは日本では翻訳されておらず知られてもいないので、山尾の幻想は独自の感性から醸し出されたものである。(ドノソに関してはONE PIECE展の記事の中に少し書いた→2012年06月12日ブログ)

こうした奇矯な幻想は、稲垣足穂の幻想がごく優しい雰囲気と思えてしまうほどに刺激的で強烈であるが、ただ、偽の夜空を出没させるような空間認識には足穂の影響もあるのかもしれない、と思わせる。また全てが幻想の中で、フラムスティードの星球図譜 (Atlas Coelestis, 1729) だけ具体的なのが面白い (足穂の全集を比較すると現代思潮社版1969-1970と筑摩書房版2000-2001では、筑摩版は柔和過ぎる装丁のような気もする。時代の変遷がそのような変化をもたらしたのかもしれないが)。
世界そのものが書き割りであるという幻想はSF作品にはよく見られるが、書き割りの中心が劇場というのは二重の意味での偽りを意味する。

バクという主人公は〈夢喰い虫〉だから、夢を食う〈獏〉というネーミングなのだろうが、別役実の1972年の戯曲に〈獏:もしくは断食芸人〉がある。末木利文演出で五月舎による公演が行われたという記録がある。断食芸人はカフカのそれであり、カフカの原作から触発されたと思われるこの戯曲自体を私はよく知らないのだが、カフカと獏というこの魅力的なタッグのタイトルを山尾が知っていた可能性はあるかもしれない。

山尾は1985年以降には一時作品の発表が途絶えたため、伝説的な作家となったとwikiの記述にあるが、同じ頃に出現し同じ頃に不在となった少女マンガ家に内田善美がいる。内田は1974年にデビューし、1986年に上梓完結した『星の時計のLiddell』でその活動がほぼ途絶えている。山尾と内田には何の関連性もないのだが、1975年~85年あたりに、傾向は違うけれどどちらもカルトな作品が出現していた暗合の不思議を思うのである。


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山尾悠子


山尾悠子/増補 夢の遠近法 (筑摩書房)
増補 夢の遠近法: 初期作品選 (ちくま文庫)




ホセ・ドノソ/夜のみだらな鳥 (集英社)
夜のみだらな鳥 (ラテンアメリカの文学 (11))
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トマス・M・ディッシュ/歌の翼に (国書刊行会)
歌の翼に(未来の文学)

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胡蝶の夢、孤独な夏の燕 ― アーシュラ・K・ル=グィン『天のろくろ』・2 [本]

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Ursula K. Le Guin’s Blog, 24 July 2017より

gray and tan fantasy ― アーシュラ・K・ル=グィン『天のろくろ』・1 (→2017年09月21日ブログ) のつづきである。

ヘイバーとオアの戦いは、限りなく肥大化する欲望をオアの夢により実現させようとするマッド・サイエンティストと、それを阻止しようとするオアの良心との戦いである。
ヘイバーは何とかして夢を有効なものにしようとコントロールを試みるが、たとえばヘイバーが 「戦争を無くして世界の平和を」 と暗示したことに対して、オアの夢は 「人類共通の敵 (=異星人/the Alien) を出現させる」 という反応になる。必ずしもヘイバーの意図した結果にならないことに対するオアの反応は、「あなたが使おうとしておいでなのはぼくの理性的な精神ではなくて、ぼくの無意識なんです」 と答える (p.146)

訳者の脇明子はオアをドストエフスキーのムイシュキンやアリョーシャ的な性格であるととらえている。底知れぬ受動性や強靱な無垢がオアであり、それはドストエフスキーへのリスペクトではないか、というのである (訳者あとがき/p.312)。
そして、由良君美はル=グィンの『所有せざる人々』(The Dispossessed) の原題はドストエフスキーの『悪霊』(The Possessed) のもじりではないか、とも言う。『悪霊』の英語タイトルには «The Devils» «Demons» などがあるが、最初に英訳されたときのタイトルが The Possessed だったのである。

小説のなかでヘイバーは、身の回りのことなどにはこだわらないような、いかにもマッドな博士として描かれている。対するオアは、ヘイバーのギラギラ感とは正反対であり、男性としては弱々しげで、受動的性格であることをあらわすためか、その外見は細身で色白として描かれている。
この2人は対照的ではあるが、ありがちな設定だ。しかしヘザー・ルラッシュはすごく特徴的で、ドストエフスキーには出て来ないような女性であり、「猛烈で優しく、強くてもろい」 と脇明子は書く (p.313)。
オアに付き添ってヘイバーの治療に立ち会ったヘザーは、いくつもの金属製の装身具を付け、身体中ががちゃがちゃかちかちと鳴り響いている。彼女は褐色の肌をしているが、それは両親が白人と黒人だったことによる。その肌の色をオアは美しいと感じる。
脇明子は、このヘザー・ルラッシュはル=グィンの理想の女性像ではないかと指摘している。

ヘザーは行方不明になったオアを探し出す。それは人里離れた山小屋で、オアは自分が眠ると悪い夢を見てしまうのではないかと恐れて、眠らない努力をしている。今ある現実は実は夢で、もうなくなってしまったと思われているものが真実だったのではないか、とオアは考える。これは胡蝶の夢なのだ、と。
ヘザーはオアを安らかに眠らせようとシロウトな知識で催眠術をかける。ヘイバー博士が良い人になるように。そして月にいる異星人が月からいなくなるように、と。
すると、「月からいなくなるように」 という暗示に対するオアの無意識の出した結果は、異星人が月からいなくなって地球へ攻めてきた、という発想で、地球は大混乱となる。

しかし異星人はコンタクトの方法がわからなかっただけで、好戦的な種族ではなかった。やがて異星人は地球で、人間にまぎれて暮らすようになる。だんだんと地球上でのポジションを獲得してゆく。亀の甲羅のような外見をしているが、おそらくそれは宇宙服のようなもので、その中に何が入っているのかはわからない。
ヘイバーの治療という名の欲望に引き戻されたオアは、人種差別撤廃の夢を見る。すると人間の身体の色は全て灰色になってしまい、皮膚の色の差別は存在しなくなっていた。食べものには味が無く、街をゆく人々は皆灰色だった。その灰色一色の世界にヘザーは存在していなかった。
街中で、悪性の癌に冒された者はそれを隠していただけで逮捕され粛清される。ヘイバーはこう言う。

 我々は健康を必要としている。不治の病を持っている者や、種を退化さ
 せるような遺伝子の損傷をかかえこんでいる者を置いておく余地は、ま
 ったくないんだ。(p.237)

これはナチスの選民意識であり、整然と美しく見える世界は空虚なディストピアなのだ。ヘイバーの欲望はどんどん膨らみ、自分の欲望を満たすためにオアに、さらなる夢を見させようとする。
オアは、街の場末にある異星人の店を訪れ、謎の言葉 「イアークル」 とは何かを訊ねる。イアークルとはオアの夢を形容する異星人の言葉である。異星人はそれには答えず、禅問答のような回答をする。

 「一羽ノ燕デハ夏ニハナラナイ」 とそれは言った。「手ガ多ケレバ仕事は
 軽イ」 (p.260)

 ‘One swallow does not make a summer.’ it said, ’Many hands
 make light work.’ (E: p.132)

そして異星人はオアにビートルズの古いレコードをくれる。それは『友だちがちょいと助けてくれりゃ』(With a Little Help from My Friends) だった。
オアは自宅に帰り、地下の部屋に住んでいる管理人から蓄音器を借りてビートルズを聴く。何度も聴いているうちに眠ってしまう。起きると部屋のなかにヘザーがいて、二人は7カ月前に結婚したことになっていた。

ヘイバーの夢への欲望は果てしが無い。ついにオアの夢を介してでは無く、オアの夢のパターンを機械によって模倣させ、自分自身で夢を見るための増幅機を完成させる。ヘイバーは、もうオアへの治療は必要なくなったと宣告する。
オアは妻のヘザーと一緒に、ヘイバーのもとから去り、食事をしに行く。その途中で世界に異変が起こる。ヘイバーの夢によって、世界が崩壊を始めたのだ。ヘイバーの欲望の果てに作り上げられた巨大なHURADタワーは虚無の中にあった。オアはヘイバーの機械を止めるためにその虚無の中へと侵入する。

 彼はさらに前進を続け、最後のドアにたどり着いた。彼はそれを押し開
 いた。ドアの向こうには無が広がっていた。
 虚無は彼を引き寄せ、吸い込もうとした。彼は 「助けて」 と叫んだ。たっ
 たひとりきりでこの無の中を通り抜けてむこうに行くのは不可能だった。
 (p.262)

 He went on and came to the last door. He pushed it open. On
 the other side of it there was nothing.
 ‘Help me,’ he said aloud, for the void drew him, pulled at him.
 He had not the strength all by himself to get through
 nothingness and out the otherside. (E: p.147)

オアは夢魔 [ナイトメア] の中で増幅機のボタンを押しOFFにする。すると巨大なHURADタワーは消失し、そこはすすけた診療室になっていた。
こうした虚無の恐怖を描くル=グィンの筆致はさすがである。この部分はアースシーの『さいはての島へ』のなかで、世界が壊れていくさまを連想させる。

最終章である第十一章の冒頭に荘子の引用がある。

 星光は無有に尋ねた。「師よ、あなたは存在するのか? それとも存在
 しないのか?」 だがその問いに答は得られず……
                    ――荘子 第二十二 (p.298)

 Starlight asked Non-Entiny, ‘Master, do you exist? or do you
 not exist?’ He got no answer to his question, however....
                 ― Chuang Tse XXII (E: p.151)

訳者は、荘子の英訳をさらに日本語に訳したのでこのようになっているが、元の荘子は次のようである。引用個所の続きを含んでいる。( [  ] 内は直前のルビ)

 光曜[こうよう]、無有[むゆう]に問いて曰わく 「夫子[ふうし]は有りや、
 其[そ]れ有ること無しや」 と。光曜、問うを得ずして、その状貌[じょう
 ぼう]を孰視[じゅくし]するに、窅然[ようぜん]空然たり。終日之[これ]
 を視[み]れども見えず、之を聴けども聞こえず、之を搏[う]てども得ざ
 るなり。光曜曰わく 「至れり。其れ孰[たれ]か能[よ]く此[ここ]に至らん
 や。予[われ]能[よ]く無を有すれども、而[しか]も未[いま]だ無を無しと
 すること能[あた]わざるなり。無を無しとするに及びてや、何に従[よ]
 りてか此[ここ]に至らんや」 (世界の名著 老子荘子 p.461/中央公論社)

光曜がstarlightとなっているので、それをさらに訳すと星光になってしまうのが面白い。

ヘイバーの効力のある悪夢により街は崩壊していた。オアは郊外の混沌の中で異星人に出会う。異星人はオアをアパートで寝かせてくれる。
オアはベッドの上で、「あなたはどこでお寝みになるんですか」 と異星人に尋ねる。異星人は 「ドコデモ、ナイデス」 と答えたが、「二つに区切られたその言葉はそれぞれに等しく深い意味を持って響いた」 (p.299) という。「ドコデモ、ナイデス」 の部分は 「No where」 である。時代的に見て、ル=グィンが意識しているのはビートルズの〈Nowhere Man〉だと思われる。

そしてオアは収容所にいるヘイバーに会いに行く。ヘイバーは 「失われていた」 (p.303)。つまりコミュニケーション能力を失い、廃人になっていた。

ポートランドはヘイバーの悪夢による崩壊から次第に復興し、オアは異星人のキッチン・シンクの店で台所用品のデザイナーとして働いている。そのショールームにヘザーがやって来る。しかしヘザーはオアのことを覚えていない。この時象では彼女はまた別の人なのだ。
やがてヘザーはオアのことをうっすらと思い出す。ヘザーは雇い主に勧められて、ヘザーを隣の喫茶店に誘う。

 彼はヘザーと連れだって夏の午後の暖かな雨の中に出て行った。異星人
 は水族館のガラス越しに外を見ている海の生きものさながらに、ガラス
 張りの店の中に立ち、二人が眼の前を通り過ぎ、霧の中に消えてゆくの
 を見つめていた。(p.310)

オアは無垢の者であったはずなのに、ラストシーンでは記憶の無いヘザーが無垢の者になってしまうというアイロニー。それは起動する毎に初期化されるCLAMPの『ちょびっツ』(2000-2002) の悲しみに似る。そしてあいかわらず雨は降り続く。

ル=グィンが老荘思想に影響を受けていることはよく知られていることであるが、胡蝶の夢もまた荘子である。
人が蝶の夢を見ているのか、それとも蝶が人の夢を見ているのか。もし蝶がこの世界を夢見ていただけなのだとすれば、この世界は何なのか。そうした認識論から見えてくるのは、この小説を単純に夢のエピソードとしてだけではなく、何らかのメタファーとして読み取るかどうかにかかってくる。
そしてまた、限りなき欲望が人間の思考そのものを歪めてしまう狂気は、人間の歴史の中に恒常的に存在するものなのだということを感じさせる。


参照書:
天のろくろ (サンリオSF文庫、1979)
The Lathe of Heaven (Panther Books, 1974)
ゲド戦記 I 影との戦い (岩波書店、1976) [参照は1992年第24刷]
A Wizard of Earthsea (Paffin Books, 1971) [参照は1977年第10刷]


アーシュラ・K・ル=グィン/天のろくろ (サンリオ)
https://www.amazon.co.jp/dp/B000J8G8V8/

アーシュラ・K・ル=グィン/天のろくろ (ブッキング)
https://www.amazon.co.jp/dp/4835442210/

アーシュラ・K・ル=グィン/ゲド戦記 (岩波書店)
少年文庫版「ゲド戦記」セット(全6巻) [ アーシュラ・K.ル=グウィン ]





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gray and tan fantasy ― アーシュラ・K・ル=グィン『天のろくろ』・1 [本]

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Ursula K. Le Guin (1980)

アーシュラ・K・ル=グィン (1929-) の『天のろくろ』(The Lathe of Heaven, 1971) は Amazing Stories に発表後、1971年のネビュラ賞、1972年のヒューゴー賞、1972年のローカス賞を受賞したル=グィンの最も活発な創作期の作品である。作品リストを見ると1969年『闇の左手』(The Left Hand of Darkness)、1971年がアースシー (ゲド戦記) の2作目『こわれた腕輪』(The Tombs of Atuan)、1972年が『さいはての島へ』(The Farthest Shore) である。そして1974年『所有せざる人々』(The Dispossessed) と続く。

だが、不思議なことにこの『天のろくろ』のみ、入手しにくい状況にある。1979年にサンリオSF文庫の1冊として刊行されたが、この文庫そのものが廃刊となってしまった。廃刊後、本書は復刊されていないので (オンデマンド出版はあるが、現実的な価格ではない)、古書にたよるしかない。『サンリオSF文庫総解説』(2014) という本があって、これを見ながら古書を探せということらしいが、それより全てを復刊して欲しいものである。但し、なかにはやや超訳みたいなのもあるのだというが、そうした翻訳にはまだ当たっていない (それをいうのなら、ハヤカワミステリの初期にもトンデモ訳は存在する)。

以下、ネタバレがあるので未読のかたはご注意ください。

ストーリーはとてもシンプルで、主要な登場人物は3人しかいない。
ジョージ・オアは自分の見た夢が現実となってしまう恐怖から逃げようとして薬中毒となり、自発治療処分 (VTT=Voluntary Therapeutic Treatment) とされ、治療を受けるためにウィリアム・ヘイバー博士の診療所を訪ねる。
オアは独白する。17歳のとき、まだ両親と暮らしていた。同居していた叔母が、執拗に性的な行動をとってオアを誘惑してくる。オアは夢を見る。夢の中で叔母はロサンゼルスで交通事故に遭って死に、電報が来る。目を覚ますと、それは現実であり、はじめから叔母などいたことがないことになっていた。(p.21)
ヘイバーは最初、オアを精神分裂病者 (と翻訳されている) では、と見立てるのだが、オアの夢が本当に現実を変えてしまうことを発見する。その変化度は歴史そのものを変えるほど強大で、オアのみが改変前と改変後の複数の記憶を持っているが、その他の人々は変わったことに気がつかない (ないしは、一種のパラレル・ワールドであるともいえる)。

ヘイバーは最初は好奇心から、次第に現実を自在に変化させられることに夢中になり、オアの夢の改変パワーをツールとして利用するようになる。そして自分自身の権力と地位を増加させてゆく。町医者はやがて巨大な建物を有する研究所長に昇格してゆく。ヘイバーはつまりマッド・サイエンティストのカリカチュアである。

オアは自分の夢がヘイバーの私欲に利用されていることを知り、それを阻止するため、弁護士であるヘザー・ルラッシュに相談する。ヘザーはヘイバー博士の治療に立ち会い、オアの夢が現実に変化することを目撃する。
オアが、毎日地下鉄が混み合っていてイヤだ、といっていることに対し、ヘイバーが 「混雑に悩まされない夢を見るんだ」 と暗示をすると、オアは世界の人口が激減した夢を見てしまう。巨大なビルが霧散してしまう窓外の風景を、同席したヘザーも見てしまうのだ。

 七十億に近い人口をかかえ、それがなおも等比級数的に増えつつある実
 在 (もうない) 世界の記憶と、総人口が十億にも満たず、今なお安定して
 いない実在 (現に) 世界の記憶だ。(p.109)

オアだけが複数の記憶を持ち、効力のある夢を見る毎に世界は変換してゆき、幾つもの記憶が重層する。
オアはヘイバーに対して抵抗しようと試み、「自分を道具として使うことは拒否しなければならない」 (p.125) と思いながらも、医療行為だから従わなければならないとするヘイバーの強制力の下に萎縮してしまう。

 ぼくにはどんな運命もない。あるのは夢だけだ。そして今他人がその夢
 を操っている。(p.125)

 I haven’t any destiny. All I have is dreams. And now other
 people run them. (E: p.67)

主人公のオア (Orr) というネーミングはゲド戦記 I『影との戦い』のエピグラフに出てくるエア (Éa) を連想させる。

 ことばは沈黙に
 光は闇に
 生は死の中にこそあるものなれ
 飛翔せるタカの
 虚空にこそ輝ける如くに
     ――『エアの創造』――

 Only in silence the word,
 only in dark the light,
 only in dying life:
 bright the hawk’s flight
 on the empty sky.
      ― The Creation of Éa

おそらくエアという名前はアースシー世界における創造主 (=神) として設定されているが、オアという名前がそれと似た語感であることは、その創造が空虚な創造ではあるにせよ、彼が 「クリエイター」 である暗示となり、また 「either or」 の or でもあることを感じる。
物語の終わりのほうで、ヘイバーはオアに皮肉めかして言う。

 「[君は] どちらでもあり、どちらでもなし。それとも、あるいは [イー
 ザー・オア] というわけだ」 (p.231)

 Both, neither, Either, or. (E: p.118)

そして二項対立的な言葉の群れは、ゲド戦記のテーマであると同時に『闇の左手』のテーマでもある。

冒頭でオアが診療所に行きヘイバーと出会ったとき、ヘイバーは自分のことを夢の専門家であると自己紹介し、夢屋 (An oneirologist) とも言い換える。
oneirology (夢学、夢判断) という言葉はある程度大きな辞書でないと載っていないのだが、oneiro- という語はギリシャ神話のオネイロス (Oneiros) が語源で、オネイロスは夜の女神ニュクスの子どもであり、兄弟たちとして、モロス (死の定業)、ケール (死の運命)、ヒュプノス (眠り)、タナトス (死)、モーモス (非難)、オイジュス (苦悩) といった不吉な名前が並ぶ。

この小説の舞台はオレゴン州ポートランドであり、それは作者ル=グィンが長年住み慣れている土地である。小説の中のオレゴンでは地球温暖化による推移の上昇により地球の気候が変化してきて、雨が降り続いている。それは映画《ブレードランナー》(1982) のイメージに近い。

 オレゴン州の西部では昔から雨が多かったが、今ではなまぬるい雨が、
 片時も止まずに絶えまなく降りそそいでいた。そこで暮らすのはまるで
 永遠に注がれ続ける暖かいスープの中で生きているようなものであった。
 (p.47)

 It had always rained in western Oregon, but now it rained
 ceaselessly, steadily, tepidly. It was like living in a downpour
 of warm soup, forever. (E: p.29)

1970年代には地球は寒冷化しつつあり、これから氷河期が来るかもしれないという説もあったのだという。そんな時期に今の温暖化する地球を予言するようなル=グィンの想像力は的確である。

(→2017年09月23日ブログへつづく)

参照書:
天のろくろ (サンリオSF文庫、1979)
The Lathe of Heaven (Panther Books, 1974)
ゲド戦記 I 影との戦い (岩波書店、1976) [参照は1992年第24刷]
A Wizard of Earthsea (Paffin Books, 1971) [参照は1977年第10刷]


アーシュラ・K・ル=グィン/天のろくろ (サンリオ)
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川上未映子×穂村弘『たましいのふたりごと』を読む [本]

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少し前に出たとき、買いそびれていたのだけれど気になっていた本、川上未映子×穂村弘『たましいのふたりごと』(2015) を書店で見つけたので買ってきた。
単純に対談するのでなく、こだわりのある言葉を幾つか決めて、それについて語るという趣向である。言語に対する感性の高い二人なので、ファンとしてはとても安心して読めるし、それでいてところどころ 「おいおい」 の部分もあるし、で面白い。

たとえば〈上京〉というお題に関して、川上未映子はこう言っている。

 川上:中原 (昌也) さんとか蓮實 (重彦) さんはもともと東京のひとで、
    やっぱりシネフィルにとって東京で育ったかどうかは大きな問題
    なのかも。どれだけ小さなときから映画を観てきたかというとき
    に、大きな格差がつくって言ってました。(p.103)

「言ってました」 というのは川上の夫である阿部和重が言ったという意味なのだが、私はシネフィルではないので、ああそうなのか、と思ってしまう。たしかにマイナーな作品だとどうしても東京偏重はあるのかもしれないけれど。あ、ジャームッシュの特集のユリイカ買ってくるの忘れた。
対する穂村弘は、北海道から東京に出て来て原宿を歩いたときふわふわしたと言っているが、その気持ちはちょっとわかるかもしれない。修学旅行生が竹下通りをハイな感じで歩いていたりするのを見たことがあるからだ。でも原宿って、昔はもっと落ち着いた街だったのになぁ。

〈晩年〉では穂村が塚本邦雄をさらっと引用する。

 穂村:塚本邦雄の 「紅鶴 [フラミンゴ] ながむるわれや晩年にちかづくな
    らずすでに晩年」 という歌にあるように、自分では晩年って自然
    には意識できない。(p.104)

晩年とは 「それまで何かを成し遂げたひとが最後に辿りついた境地」 だと思うので、という穂村に川上は 「春夏秋冬の冬のイメージですね」 と応じるが、穂村は、ここまで 「だらーっときてるから (笑)、たぶん晩年にもならない」 という。
晩年ってある意味、死語なのかもしれなくて、塚本の、一首のなかに2回同じ単語を使うのはすごくカッコイイと思うし、『晩年』というタイトルの本からスタートした作家もいたけれど、現代にはそうしたニュアンスの晩年と形容されるようなたそがれ感はすでに存在していない。

〈大島弓子〉で盛り上がってしまうのはやはり世代なのだろうか。

 川上:穂村さんが大島弓子についてどこかで書いていた、「もっとも弱
    い者が最弱になったときに最強になる」 というのがすごく好きな
    んです。

と言うと、

 穂村:大島弓子は透明な革命を作品化していると思うんだけど、作中で
    主人公たちが社会的に強くなっていく過程はけっして描かなかっ
    た。少女や子猫たちの真実をこの上なく描いたけど、それが大人
    になったときにどのようにあるべきかというヴィジョンは描いて
    いない。
 川上:お母さんと子どもの関係もよく出てきますけど、本当のお母さん
    というようりも弱い立場の子どもがお母さん的な役割を演じる話
    がすごく多い。『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンみたいに、
    自分も子どもなのに、子どもたちをキャッチするということをす
    ごく描いていますよね。(p.108)

大島弓子は、成熟する強さは描かなかったけれど、成熟によって失われてしまう何かの哀しさを描いたのではなかったかと川上はいう。確かにサリンジャーのテーマは弱々しげなファンタシィでありセンチメンタリズムなのかもしれないが、それが 「最弱になったとき最強になる」 という意味とも呼応しているようにも思える。
穂村はさらに言う。

 穂村:大人の主人公がほぼいないということは言えるよね。大島弓子だ
    けじゃなくて、萩尾望都や佐藤史生といった二四年組周辺の人々
    は、マイノリティであることの自覚が作家性を支えていて、女性
    であることや同性愛者であることといった問題を先取りしていた
    と思うけど、あの時代に少女マンガというエンターテインメント
    の枠組のなかで、ああいう作品を描いていたのは本当に画期的だ
    ったと思うなあ。SFとも隣接していたのは、たぶん思考実験とい
    うところで通底しているからで、すごくラディカルだったよね。
    (p.109)

SFといっても創生期のSFはパルプ・フィクションと呼ばれ、通俗なエンターテインメント性だけでなく、SFという虚構の世界を借りたセクシィなイメージの作品さえ多かった。萩尾などの世代が最初に出会った頃のSFも冒険活劇的なストーリーが主流として存在していたはずで、しかしそうした肯定的世界観が陰影を帯びるようになったのは、たとえばフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(1968) とかJ・G・バラードの『結晶世界』(1966) などの出現からで、この2冊の翻訳が出たのはどちらも1969年、世界に対する美学を変化させた視点を持っているという点で、エンターテインメントでありながらそうでない部分が併存している。
それが直接的に影響しているとは言えないが、そうした時代だったからこそエンターテインメントの枷のなかでのマイノリティへの視点という方向性も可能だったのだといえる。この前、ポール・ウィリアムズの『フィリップ・K・ディックの世界』が再刊されて、いま読んでいるのだが、ディックはたとえばグレン・グールドと同じように特異点だったのか、それとも時代の変調するサイクルのなかで捉えても構わないのか、微妙なところだ。

〈憧れ〉は最も笑った項目で、せっかく憧れの歌人という話から始まっているのに、憧れはそれ自体で完結しているという川上に対して穂村が、

 穂村:なかなか憧れだけで完結できなくて、つい 「甲本ヒロト 革ジャ
    ン」 とか検索しちゃう (笑)。(p.114)

という部分、穂村は、憧れの人と同じ服とかギターとか欲しいと思わない? と食い下がるのだが、川上は 「そのひととおなじ物を持っても、なんにもならないよ」 と突き放す。それに対して穂村が、

 穂村:みんな 「川上未映子 ウィッグ」 とかで検索してると思うよ
    (笑)。(p.114)

と切り返すのに笑いました。物欲ダメみたいに言っておきながら、ハイブランドのことになると2人の立場が逆転したりする (p.206)。

〈コンビニ〉や〈ファミレス〉では川上がそういう店でバイトをしていた頃のいやな思い出という意外な展開になるのだが、川上未映子にとってはそれは過去のことだけれど、そういういやな状況のなかに今も閉じ込められている私には、よりダイレクトな印象となって響く。

〈午後四時〉は、「曇天の午後四時はおそろしい」 (p.202) という意味での午後四時なので、その曖昧な時間を誰もが意識して共有しているのか、それとも無視しているのか、気づいてさえいないのか、という問題であって、たぶんそれは 「たそがれは逢魔の時間」 という言葉に似ている。もちろん大島弓子でもあるのだけれど、そもそも 「たそ-かれ」 という語源そのものが不確実な 「生」 というものの感触をあらわしていることにほかならない。

ランダムに出されている項目が、それなりにストーリー性をもたされているような、それともストーリー性を持つようにもっていけることができるのが2人の作家性なのかどうかはわからないが、でも対話というものは方向性が見えていないようでも確実に進んでゆくものであり、こうした対話が文章となって固定化されているのは心が和む。

最近思うのだけれど、話すことによって見えてくる会話とそうでない会話とがあって、見えてこない会話は、心をひどく疲れさせる。少し話がずれるが、たとえばファストフード店などにおける 「~で、よろしかったでしょうか」 というような言い回しは、責任回避の思想がマニュアル作成者の根本にあり、対話を拒否しようとする姿勢が見える。モノさえ売れればそれでいいという思想なのだからそれはそれでも仕方がないのだが、しかし同様な会話も日常のなかに多く見られる。それはきっと相手の存在をとらえないで壁に向かって話しているのと等しい会話だからである。


川上未映子×穂村弘/たましいのふたりごと (筑摩書房)
たましいのふたりごと (単行本)




ザ・クロマニヨンズ/ペテン師ロック
https://www.youtube.com/watch?v=7KOxEnvvhGo
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柴田南雄『音楽の理解』を読む・2 [本]

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柴田南雄 (1952)

柴田南雄『音楽の理解』を読む (→2017年08月27日ブログ) のつづきである。

柴田によれば1750年頃から1950年頃までは交響曲の時代であったとともに 「和声音楽の時代」 であって、それはいわゆる〈古典派・ロマン派〉の時代である。そして古典派とロマン派は地続きであるが (その境目は1810年頃であるとする)、古典派以前のバロック時代との間には海があり、ロマン派以降の現代との間にも広い海があって、交響曲とは〈古典派・ロマン派〉という島の特産だとするのだ (p.85)。

さらに交響曲を時代的に分けるのならば、初期の、主として3楽章形式の交響曲、ベートーヴェンを頂点とする4楽章の古典派交響曲、マーラーを頂点とするロマン派の交響曲、そして20世紀・第1次大戦以後の交響曲の4つであるとする。

シンフォニーという楽曲名称は、まず16世紀頃の無伴奏の合唱曲にあらわれ、シンフォニエーという名称を伴う楽曲がジョバンニ・ガブリエリ、ハインリヒ・シュッツなどに見ることができるそうだが、ごく一般的にはルカ・マレンツィオ、ジュリオ・カッチーニ、クラウディオ・モンテヴェルディなどのオラトリオやオペラにおける器楽の間奏曲をシンフォニアと呼んだことにより楽曲名として普遍化されたようである。
一方で、ソナタの第1楽章をシンフォニアと称呼したり、オペラの序曲をシンフォニアとする場合もあった。アレッサンドロ・スカルラッティの急・緩・急、あるいは緩・急・緩・急といった速度変化や、バルダッサーレ・ガルッピの主題とその展開の様相などにも見られるように、次第に形式は複雑になり近代化してゆく。
また、バロック末期のコンチェルト様式の中で、特定のソロ楽器が目立っていない様式のコンチェルトをシンフォニーの萌芽と見ることも可能だそうである (p.86)。

初期の交響曲とは3楽章形式で3声~4声の弦楽合奏であった。その例として、やや時代を下るが、モーツァルトのディヴェルティメントD-dur K136 (125a)、B-dur K137 (125b)、F-dur K138 (125c) をあげている。というより一般的にはジョヴァンニ・バッティスタ・サンマルティーニの77曲のシンフォニアがその初期形式の典型と考えたほうがよいだろう、ともいう。
やがてヴィーンやマンハイム楽派において、第3楽章にメヌエットを置くような単純なバロック期的配置から抜け出て、かつオーボエ、ホルンなどを弦楽合奏にプラスした声部の作品が出始める。それらを主導したのはヨハン・シュタミッツであり、バッハの息子たちであった。

古典派交響曲は最も典型的な交響曲としての体裁をもっているが、具体的にはハイドンの後期、そしてモーツァルトの第35番以降、そしてベートーヴェンであると規定する。
ここで柴田の非常に明確な古典派交響曲理解のための指摘がある。

 古典派の交響曲は自分でオーケストラに入って何か楽器を奏く、という
 体験以上にそれらをよりよく知る方法はないと、思われることだ。(p.94)

これはどういうことかというと、バロックを引き摺ったいわゆる初期の交響曲は3~8声くらいで、それは平面で鳴っている音に過ぎないが、古典派の2管編成になると、弦4、木管8、金管4の合計16声部となり音は立体的に呼応する。その場合、オーケストラの外から聴いているのと、その内部で自身が当事者 (演奏者) となって音を聴くのとでは全く異なるというのである。
それはベートーヴェン当時の大体30人くらいのオーケストラにおいてのみ可能であり、近代の大人数オーケストラになってしまうと、横の連携は稀薄で、指揮者とオーケストラという対立関係に変化してしまう。

 「交響曲」 の名のもとに奏者たちが真に有機的に連繋を保って生き生きと
 演奏できるのは、古典派の諸曲を今日のように拡大された編成によって
 指揮者が統率の妙技を披露するのでなく、三十人前後の人数で自発的に
 アンサンブルをする時にのみ実現可能だ。(p.95)

つまり最近の、ピリオド楽器による人数を抑えたオーケストラこそが、古典派交響曲の音そのものの論理構造が一番わかりやすいというのである。柴田がこれを書いた1974年頃は楽器数がインフレ化したビッグ・オーケストラが主流であり、現在のように、ピリオド楽器の使用や小編成に絞って楽曲生成の頃のオリジナル編成を尊重するという方法論に関しては看過されていた時代である。それを柴田が的確に思い描いているのは、先見の明というよりは、現場の経験値から発言されたことであるように思える。

ロマン派の交響曲に関しては、ベルリオーズの特異性を述べながらも、最も特徴的なのはマーラーの作品であるとする。マーラーの創作の原点が哲学的であり漠然としたテーマ設定であることはともかくとして、技法的に見ても、楽章が古典的4楽章では必ずしもないこと、そして各楽章間の調性の関連性の稀薄さなどがあげられるとする。
むしろ交響曲以外の自身の作品からの引用などによる、彼の全作品の相互的な関連性が強いことが特徴的だというのである。マーラーの前には、シベリウスもまた、伝統的な書法に過ぎないという逸話も述べられている。

ロマン派以後の20世紀の交響曲は、ショスタコーヴィチによる交響曲がその代表的なもので、しかも柴田に言わせれば 「まったく時代おくれになった 「交響曲」 の最後の最も有力な担い手であった」 (p.100) と形容するのは当然のなりゆきであり、仕方のないことである。
シェーンベルクもバルトークも交響曲を1曲も書かなかったし、メシアンの《トゥーランガリア交響曲》は交響曲の範疇にないとするのだ。

この章における柴田の趣旨を私なりに類推すると、交響曲の時代は、爬虫類の中で一時期だけに突出して恐竜の跋扈した時代のようであり、戦艦大和的な無用の長物的外構としてイメージしているように思える。古典派とロマン派を乱暴とも思えるほどに十把一絡げにしてしまっているのも、常識的あるいは保守的古典派音楽信奉者へのアンチテーゼとして読み取ることができる。
しかし、このように交響曲は死んだと言いながら、柴田南雄は1974年に《コンソート・オブ・オーケストラ》で尾高賞を受賞し、翌1975年には合唱交響曲という名称ではありながらも、一応、交響曲と名づけられた《ゆく河の流れは絶えずして》を作曲している。

その1975年は武満徹が《カトレーン》を発表した年でもあるが、《カトレーン》はメシアンへのオマージュでもあり、西欧伝統音楽への回帰であるとともに、アヴァンギャルドからトラディショナルへと武満が方向を定めた年でもある。同じ頃、ピエール・ブーレーズは《リチュエル》を書いているが、このあたりからの歴史は音楽が (特に現代音楽が、その 「現代」 を標榜するポジションから) 変質していく一端を表しているようにも思えて、歴史というものの面白さと残酷さを垣間見る。

レオナンやペロタン (レオニヌスやペロティヌス) のようなルネサンス期の音楽に逃避してしまうのはインテリの韜晦の一方法であって、それはリチャード・パワーズの小説にも描かれているし (→2015年10月09日ブログ)、メシアンへのシンパシィと一致することも同様である。すでに時代の要請は冒険から遠い位置に存在していたのだ。
そしてそれから40年以上過ぎた現代の状況はどうなのだろう。世界の藻海は腐敗しているのかもしれないし、たゆたう船ばかりで、操舵者は絶えたままである。

(引用ページ数は青土社・1978年版に拠る)


柴田南雄/音楽の理解 (青土社)
音楽の理解




柴田南雄著作集 第2巻 (国書刊行会)
柴田南雄著作集 第2巻




Mito Chamber Orchestra/Mozart: Devertimento K136
https://www.youtube.com/watch?v=Cx5L8gBi9Bs
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柴田南雄『音楽の理解』を読む [本]

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柴田南雄 (毎日新聞サイトより)

書棚の中から黴臭い古い本を見つけて、でもパラパラと読んでみたら面白い。それは柴田南雄の『音楽の理解』というエッセイ集なのだが、今から50年も前に書かれた本であるのに、今の時代を予感させる内容もあったりする。
すでにその頃に、作曲とは割に合わないし生産性の無い労働であるとして、今は演奏上位の状況がずっと続いていると書いてあるのだ。
ところどころに鉛筆で傍線等の書き込みがあり、ということは以前にこの本を読んだことがあるしるしなのだが、まるで私の記憶になくて、でもその頃は真面目に本を読んでいた時代だったのかもしれないと思ってしまう。

ルネサンス期のノートルダム楽派あたりの話から時代を追って収録されている音楽への視点に、鋭い個所が見られる。正式に音楽史を学んだわけではないと柴田は述懐し、だからそれを知るためには、専ら楽譜例によりその時代に親しんでいったという。
近年のグレゴリアン・チャントには 「精緻な演奏上の理論が編み出されてい」 て (p.26)、それがその生命を保っていると書くが、逆にいえば当時のグレゴリアン・チャントはもっと素朴でアバウトなものだったという解釈も成り立つ。

レオニヌスやペロティヌスにおける 「目茶苦茶に長い時価のカントス・フィルムス (定旋律) に対して、上声に揺れ動く短い時価の数十個の音符を配した独自のスタイル」 (p.27) は、オルゲルプンクト (持続低音) あるいはオスティナート (同音形反復) であり、その後絶えていたが、20世紀になって、マーラーの中に、全く異なるのだけれど似たアイディアとして現れてきた部分があるというのだ。

また、マニエーレンに関して、その演奏がマニエーレンであるといわれるフリードリヒ・グルダの弾くモーツァルトをTVで観たことの感想から発展させて 「楽譜に忠実に」 というアプローチとはどういうことなのか、に至る考察が面白い。
たとえばグレン・グールドの平均律クラヴィーアは、クラヴィコードの音色を模してああした弾き方をしているのではなく、バッハが楽譜に書いた 「符点は休符に、八分音符のアウフタクトはできるだけ短く」 弾かれたのだということがアーノルド・ドルメッチ (Arnold Dolmetsch, 1858-1940) の『十七・八世紀の演奏解釈』(The Interpretation of the Music of the Seventeenth and Eighteenth Century, 1915) に説明されているのだという (p.57. 柴田本文には1914年初版とあるが、fr.wikiとde.wikiには1915とあり)。
比較されている楽譜を見ると、符点4分音符は4分音符+8分休符であり、アウフタクトの8分音符は32分音符となっている。

つまり楽譜に忠実に、ということは、ベートーヴェンあたりから以降の、かなり記譜法が確立された作品に対していうことであって、「楽譜ではこう書くのだけれども、じっさいの演奏の習慣はこうなのだ」 (p.58) というのをマニエーレンというのだ。

さらにモーツァルトの奏法に関して、1789年のダニエル・ゴッドロープ・テュルク (Daniel Gottlob Türk, 1750-1813) の『クラヴィア奏法』(Klavierschule oder Anweisung zum Klavierspielen für Lehrer und Lernende mit kritischen Anmerkungen) からの詳しい解説があるが、モーツァルトはバロック期ほど楽譜と実際の演奏習慣が異なるほどではないが、しかしバロックを引き摺っている部分もあるし、それがすでにその時代に解説されていることに驚く。

しかしこの本の中で最も断定的でスリリングなのは 「オーケストラについて」 という項目の中の 「交響曲の時代」 の部分で、ごく簡単にいえば交響曲の死について述べられている。その比喩はあまりにもシニカルだ。

 バロック時代と現代との間にはさまれた〈古典派・ロマン派〉の時代、
 つまりほぼ一七五〇年頃から一九五〇年頃までの二世紀間が 「交響曲」
 の棲息した時期であり、とくにその前半の時期には数の上で大いに繁栄
 し後期には大型の個体が比較的少数闊歩していたことが、欧州各地から
 の化石――その蒐集はじつに完全である――によって明らかである。そ
 れらの化石はシンフォニー・コンサートという名の博物館で絶えず陳列
 替えが行なわれており、今日でもそれを鑑賞する人の列は絶えることが
 ない。(p.84)

音楽のサイズからいえばそれはまさに恐竜なのでこうした形容が成立するのだろうが、それはともかくとして、オーケストラに関する示唆 (その外見と内実) に富んでいることは疑いない。

(つづく→2017年08月30日ブログ)


柴田南雄/音楽の理解 (青土社)
音楽の理解




柴田南雄著作集 第1巻 (国書刊行会)
柴田南雄著作集 第1巻




グレン・グールド/平均律第2巻第9番フーガ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5025959

グレン・グールド/フーガの技法
https://www.youtube.com/watch?v=4uX-5HOx2Wc
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