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1958年という分岐点 ― マイク・モラスキー『戦後日本のジャズ文化』その3 [本]

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石原裕次郎 (嵐を呼ぶ男)

前回の記事 (→2017年08月10日ブログ) の続きである。

日本のジャズの勃興期と映画の発展とは密接な関係性があるように思える。モラスキーによれば、大正中期、関東大震災後の関西の〈カフェ〉(ダンスホールのこと) におけるダンスの大流行があり、そこで 「ジャズと呼ばれる音楽」 が使用された、とある (p.4)。

しかし、とりあえずジャズという音楽ジャンルが一般的に認識されるようになったのは、昭和初期のメディアの発達 (つまりアナログレコード) であり、輸入盤も存在したが、やはり日本語で歌われた 「ジャズ」 が人気となった。
そのきっかけは、いくつかの先行曲があるが、決定的なのは日活の映画《東京行進曲》(監督・溝口健二、1929) の同名の主題歌であったという (p.5)。
歌詞の中に 「ジャズで踊って リキュルで更けて╱明けりゃダンサーの 涙雨」 (作詞・西条八十、作曲・中山晋平) と 「ジャズ」 という言葉が使われているが、曲調としてはジャズではなく 「小唄」 であるとモラスキーは書いている。つまり当時はジャズと呼びさえすればジャズだった時代なのであり、ジャズという概念が今より広く、かつ、ルーズだったのである。

ジャズ喫茶という名称自体にも変遷があり、戦前の音楽喫茶 (ジャズ喫茶) ではタンゴのレコードもかけていたのだという (p.210)。それはタンゴがダンスホールでかけられる音楽だったからで、つまり極端にいえば洋楽 (舶来の音楽) ないしは洋楽風な曲はすべてジャズと称されてもよいことになる。
かならずしもジャズと関連しない用法は、かなり時代が下るまで続いていたのではないだろうか。たとえばグループサウンズ全盛期の頃 (1960年代後半) のライヴハウスは 「ジャズ喫茶」 と呼ばれていたのである。

さて、モラスキーはジャズと映画の関係性を示すサンプルとして、黒澤明の《酔いどれ天使》(1948) と井上梅次《嵐を呼ぶ男》(1957) をあげている。
《酔いどれ天使》(主演・三船敏郎) の中で使われている音楽にはクラシックとジャズがあり、そのクラシック╱ジャズという対比がすべてに敷衍しているのだとモラスキーはいう。明と暗が対比され、クラシック音楽は正の象徴、ジャズは負の象徴であるのだという。黒澤はジャズを堕落、浅薄、狂気といったイメージに結びつけているとのことだ (p.55)。「とのこと」 と書くのは、私はこの映画を観たことがないからなのだが、その後の黒澤作品におけるクラシック音楽の使われ方をみても、センスが教条的であり、納得できる指摘である。
一方、《嵐を呼ぶ男》(主演・石原裕次郎) にもクラシック╱ジャズという対比があるが、主役の石原裕次郎はジャズ・ドラマー、そしてクラシックを学ぶ弟という配役である。しかし黒澤映画とは逆に、ジャズが正、クラシックが負というような2項対立ではない。むしろ、音楽のジャンルは違うが互いに認め合い応援しているという兄弟愛が描かれて、何よりこの映画は石原裕次郎という人気スター出現のきっかけとなった作品であり、それに《酔いどれ天使》から10年後の作品でもあるので、ジャズに対する認識をそのまま比較してしまうのは少し無理があると思われる (とは言っても、黒澤のクラシック音楽偏重が終生変わらなかったことは、立花隆の武満徹論からも感じ取れることである)。

《嵐を呼ぶ男》の公開は1957年12月28日であり、実質的には1958年正月用の映画であった。そしてこの1958年という年をモラスキーは分岐点と位置づけている (p.149)。
というのはルイ・マルの映画《死刑台のエレベーター》が公開されたのも同じ1958年なのだ。それはヌーヴェルヴァーグという、文字通り新しい波の日本への流入であり、音楽を担当したマイルス・デイヴィスは、ラッシュを観ながら即興で吹いたということで伝説的ともいえる作品である。
《嵐を呼ぶ男》は、まだスウィング・ジャズ、というより 「ロカビリーや日本の歌謡曲に近い歌を 「ジャズ」 として描写」 (p.152) していたが、《死刑台のエレベーター》は当時最先端のクール・ジャズである。つまり、日本ではまだそれだけのタイムラグが存在していたのだ。
一方で、「ジャズは軽薄な大衆音楽だと見なしていたインテリ観客」 (p.151) には《死刑台のエレベーター》の音楽は強い刺激を与えたようである。モラスキーはそのことについて触れている植草甚一を引用しながらも、植草が語っているよりももっと影響は強かったはずだという。
そしてまた、この2本の映画《嵐を呼ぶ男》と《死刑台のエレベーター》はあまりにも映画のテイストが違い過ぎるゆえに、当時、両方を観た観客はそんなにいなかったのではないか、ともいう (p.152)。

2本の映画はまるで異なるジャズ像を描いている。スウィングからモダンへ、というよりも、それぞれの作品の背景とする社会に包含されているジャズ像が異なるのである。《上海バンスキング》で、スウィングが時代遅れとなりビバップにとってかわられることへの嘆きが描かれたのと同じように、ジャズはモダン・ジャズへと動いていたこと、それがモラスキーのいう分岐点の意味である。それは音楽だけでなく、映画の製作手法の変化でもあることは確かだ。そして1958年とは、日本の映画観客動員数がピークになった年 (11億2千7百万人) なのであった (p.43)。ちなみに2016年は約1億8千19万人である。1958年は観客動員数における特異点といってもよい。
翌年の1959年にはロジェ・ヴァデムの映画《大運河》(1957) が日本で公開されたが、その音楽はMJQによるソフィスティケートされたジャズであった。そして1961年にはアート・ブレイキーが初来日して評判となる。いきなりタイムラグが短縮されてきた状態である。そして1959年にマイルスがリリースしたアルバムが《カインド・オブ・ブルー》である。

さらに時代を下った1966年、五木寛之の処女作『さらばモスクワ愚連隊』についてモラスキーは解説する。この小説でもクラシック╱ジャズという対比があり、主人公の日本人・元ジャズピアニストとソ連高官との会話の中で、クラシックは芸術でありジャズは娯楽であるとその高官は断ずるのだ (p.94)。それに対して主人公は実際にピアノを演奏して対抗するのだが、ここでも黒澤明と同じような価値観が語られていることが興味をひく。つまり、クラシック音楽至上主義は継続して存在し続けるのだ。

しかし果たしてクラシック音楽とはそんなに高尚なものなのだろうか、という疑問をモラスキーは提示する。渡辺裕『聴衆の誕生』によれば 「一九世紀初期まで、ドイツの演奏会は混沌とした 「社交の場」 であった」 (p.96) というのである。観客が音楽を聴きながら、あるいは聴きもしないで酒を飲んだりトランプをしたりするような演奏会もたくさんあったのだという。それはオペラや、さらには演劇においても同様であり、ローレンス・レヴィンも 「一九世紀半ばまで演劇やオペラやシンフォニーなどのパフォーマンスを見ながら喝采を送ったり、揶揄したり、感動の喚声を思わず発したりするのが一般の習慣だった」 (p.97) と言っているのだそうだ。
ところが次第にそうした行動は下品であるという認識が強まり、そうした下品なふるまいは、高尚な芸術に対しては行ってはいけないというのがマナーとなり、大衆芸能についてのみ、そうしたアクションが許されるというふうに変化していった。
たとえばシェイクスピアは高尚なグループにカテゴライズされてしまったため、それまでは庶民の楽しみだったのに、お勉強の対象となって、大衆の支持から乖離してしまったのだという。
これは日本の伝統芸能などにもいえる。歌舞伎や人形浄瑠璃や相撲などはもともとマス席で飲み食いをしながら見るものだったはずだ。それは前述のドイツの演奏会の混沌と大差ない。

そうした教条的な音楽の聴き方を、一時の閉鎖的なジャズ喫茶でクラシック音楽を聴くのと同様に強要したかたちとなったのは、ジャズを高尚なポジションに引き上げようとする気持ちもあったのではないかと思われる。

しかし本書最後のほうで、つまり2005年時点で最も多くジャズが流されているメディアは有線放送である、とモラスキーはいう。多くが飲食店などのBGMとして使用されているわけだが、その有線放送チャンネルのジャンルの区分の表示で思わず笑ってしまった。ジャズとクラシックは 「ジャズ╱クラシック」 というジャンルとして、まとめてカテゴライズされているのだ (p.355)。
つまり有線放送においては、「ロック╱ポップス」、「演歌╱歌謡曲」 というジャンル分けと同様にして 「ジャズ╱クラシック」 というジャンルの判断をしているのである。それはデルシュミットが1980年代のジャズはMuseumと分類したのに通じる。

その他にも面白い話題が数々あって、しかも読後、それがどこに書いてあったのかをすぐに見つけることができるのは、文章構造が整然として理論的であることの証左である。

レコードジャケットのタブーという話も面白い。それは黒人╱白人という構造のなかに見えてくるものなのだが、ジャケット写真の使い方として 「白人女性が黒人男性の欲望の対象とされるような写真はタブー」 であり、また 「白人奏者のジャケットを黒人女性が飾るのもタブー」 なのだという (p.237)。そして 「黒人男性のジャケットを黒人女性が飾ることは、まれ」 であったとのことである。そうした風潮のなかでマイルス・デイヴィスの《Someday My Prince Will Come》(1961) のジャケットは当時マイルスの妻であった女性の写真であり、それはマイルスがコロンビアに要求したものなのだそうだが、そのような事情からみれば画期的なジャケットだったのだという (p.238)。マイルスだったからできたことなのだろう。

また、ジャズに関する文学の例として、筒井康隆の 「懐かしの歌声」 と村上春樹の『国境の南、太陽の西』(1992) が取り上げられているが、村上春樹のこの作品では主人公たちがナット・キング・コールの歌う〈国境の南〉(South of the Border) を聴くという描写があり、一種の音楽的キーワードとして作用するのだが、ナット・キング・コールは〈国境の南〉を録音していないのだというのである。つまりそれは村上の作り上げた小説のなかの虚構であり、あ、ホワイトフィールドだ、と納得してしまった。さらにいえば小説とはそういうものなのである。

と、最後はぐずぐずになってしまったが、ともかく刺激的な本であった。たぶん今年読んだなかではベストである。

おまけとして、河野悦子こと私からの誤植チェックであるが、422ページの注・第6章 (4) の倉橋由美子『暗い旅』の出版社は 「都東書房」 ではなく 「東都書房」 である。かなり有名なかつての出版社なのであるが、ATOKで 「とうと」 と入力しても変換されないので、すでに東都という言葉は死語に近くなっているのかもしれないし、最近の若い編集者や校正者は気がつかないのかもしれない。


マイク・モラスキー/戦後日本のジャズ文化 (岩波書店)
戦後日本のジャズ文化――映画・文学・アングラ (岩波現代文庫)




Miles Davis/Ascenseur pour l’échafaoud (ユニバーサルミュージック)
死刑台のエレベーター(完全版)




Miles Davis/Someday My Prince Will Come (Sbme Special Mkts.)
Someday My Prince Will Come




嵐を呼ぶ男・石原裕次郎
https://www.youtube.com/watch?v=I8xI_QgRSAU
嵐を呼ぶ男・予告編
https://www.youtube.com/watch?v=PZcvQoqMVw0
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