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通り過ぎる永訣の朝 ― 川上未映子『すべてはあの謎にむかって』 [本]

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Vernazza (Cinque Terre)

JAF Mateの表紙に岩合光昭のネコの写真が使われていると思ったら、先日はNHKで、ネコやその他の動物を撮影する彼のドキュメンタリーがあったりして、見入ってしまった。
イタリアやボスニア・ヘルツェゴヴィナの風景のなかを歩き回るネコたちは、でもやっぱり日本にいるネコと変わりなくネコなのだ。チンクエ・テッレの街並に溶け込むネコの姿に心がなごむ。

池澤春菜がコラムに書いていた新刊の文庫を買ってきた。シャンナ・スウェンドソンとハーラン・エリスンの短編集。でもナターシャ・プーリーはうろ覚えで行ったら書店で見つからず。最近記憶力が減退している。それで川上未映子を2冊買う。
へらへらと気軽に読むのには川上未映子のエッセイは好適だ。というよりも彼女の思考する回路が辿りやすいような気がして、それで新潮文庫の『すべてはあの謎にむかって』を読んでいた。2冊のエッセイ集からピックアップされたものだとのことだが、どこでも読めるし、どこからでも読める。
ウケる話にはことかかない。ポケモンのことをポケチンと書いてしまう子どもに、お母さんが 「モ」 と 「チ」 は曲がりかたが逆でしょ? と何度も子どもに言うのだがわからなくて、ついにキレてしまう話とか、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』というタイトルの 「礼讃」 は間違って 「れいさん」 と覚えてしまったんだけど 「らいさん」 が正しいんだよな、間違えないように間違えないようにと思っていながら、シンポジウムに参加してしゃべったら、やっぱり 「れいさん」 と言ってしまった、という失敗とか。

でもときどきドキッとする個所に出会う。
それは川上が子どもの頃、初めて見た雪の情景をマクラとしてはじまる宮澤賢治の最も有名な詩である 「永訣の朝」 に関することで、賢治の死んでゆく妹に対する想いと妹の言葉とが無常と無垢の掛け合わせみたいだと読み取りながら、でもそうした表現は宮澤賢治で最後だったのだと言い切ってしまうのだ。

  つまり、いまとなってはもうこのような形でこのような内容を書くこ
 とが全方位的にしんどいのではないだろうかということだ。それはベタ
 をそのままベタに書き切るということが望むと望まざるとにかかわらず
 別の効果を自動的に連れてきてしまうということで、仮におなじような
 体験と能力を持っていたとして、宮澤賢治以降の人間が賢治的な表現を
 (妹話だけじゃなくて) やってしまうとなると――誤解を恐れずに言えば、
 ある種の無防備な (笑われることを想定していない) お笑いになってし
 まうのではないかという危惧があるのだった。どれだけ洗練されていて
 も 「美化」 と 「泣き」 はつねに安易で、回避したいところではある。
  しかしそれだけが持ちうる強度というものもたしかにあって、その強
 度こそがこんな雪の日に 「ベタじゃないんだよ、こっちはいつだってマ
 ジなんだよ」 と私の額と胸の奥をがんがんに蹴り上げるのであった。
 (p.103)

川上はイヌ派とネコ派でいえばイヌ派で、巻末ではそのイヌの死について書いている。イヌの死は深い感謝とともにある種のうしろめたさがつきまとうという。冷静に振り返れば、成立していたのは人間の言葉を介在した想像力に過ぎないのであって、実際にイヌの気持ちを確認したことはないというのだ。
そして、でも人間の死の場合でも、人間との対話では言葉が介在しているし、それによってコミュニケーションが成り立っているのにもかかわらず、実はそうではないのではないか、という疑問を示す。

  人間にとって言葉は大きなものだけど、しかし人間だって死んだ後、
 思い出して苦しくなるのは手触りとか一緒に時間を過ごした感覚そのも
 のだったりして、ああ世界は言葉とそれ以外のもので今日も順調に満ち
 満ちているのだった。(p.300)

だとすれば人間の死に対する想いも同様にうしろめたいものであり、つまり言葉で語りながらその言葉自体が無力であることを言ってしまっていることに他ならない。悲しみには濃淡があり、その濃淡だって日々変わっていくのかもしれない、というのである。そして世界の初期設定と原理的ルールはすでにできあがっているので人智の及ぶところではないとするのだが、それは信仰の無い神に近いのかもしれない。
ピーナッツ (スヌーピー) のことも、チャーリー・ブラウンを中心とする子どもたちの表情からうかがい知るに、全体は悲しいストーリーであり、老人 (=シュルツ) の見た夢なのだろうか、と規定する。

最近、ウチの庭にやってくる黒ネコがいて、はじめは遠慮していたのにだんだんと大胆になってエサをねだるようになった。といいながらもステップの影に隠れていたりしてまだ警戒心があることは変わらない。でももう一匹違うネコもいて、それに鳥もいるから、まごまごしているとエサをとられてしまう。
ナナカマドの花とコデマリの花が同じ頃に咲いて (ナナカマドはル=グィンの『ゲド戦記』に出てくる木なのだ)、その花が茶色くなって枯れた頃に今度はヤマボウシの花が咲く。ヤマボウシの白い花のように見えるのは実際は花ではないのだが、でも今年は白い部分があまり目立たない。どれも雑木だから勝手に咲いていつのまにか散って勝手に成長する。勝手なのは徘徊するネコも同じで、夜になり人の気配がなくなるとそのへんで伸びている。

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JAF Mate 2017年5月号表紙


川上未映子/すべてはあの謎にむかって (新潮社)
すべてはあの謎にむかって (新潮文庫)




プロフェッショナル・仕事の流儀
猫を知れば、世界が変わる 動物写真家・岩合光昭
(6月1日深夜に再放送があります)
http://www.nhk.or.jp/professional/2017/0529/
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