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シモーネ・ヤングを聴く ― ブルックナー《Studiensinfonie》 [音楽]

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Simone Young conducts the BBC Symphony Orchestra
performing Bartók’s Concerto for Orchestra, 2017.03.11.
(theartsdesk.comより)

シモーネ・ヤングのブルックナーは初稿へのこだわりで有名だが、初めて聴いたのが第4番で、ほどなくして全集盤が出てしまった。しかし分売だとSACDで全集は普通のCDフォーマットになっている。こだわるのならSACDだが、価格なら圧倒的にCDなので、ともかく聴けるほうを選んでしまった。

第1番の前の、最も最初の交響曲 f-moll が収録されている。
習作交響曲 (Studiensinfonie)、あるいは第00番などとも呼ばれる。まさに習作としての作品なのだが、これを書いたとき、ブルックナーは39歳、なかなか交響曲にとりかからなかったのはブラームスに似ている。
ブルックナーが交響曲としての番号を冠することにした第1番を書いたのは42歳で、ブラームスが第1番を一応完成させたのは43歳であった。

習作といえばたしかに習作で、音のつくりかたがブルックナーのがっちりとした感じがしなくて、とてもナイーヴでロマン派である。
でも、初期の頃の作品というのは少し言葉足らずであったり、技巧的に未成熟なものがあったとしても私はとても好きだ。たとえばショパンのピアノソナタ第1番とか、バルトークのコシュート、ラフマニノフのピアノ協奏曲第1番など、それより以降の作品に較べれば完成度は低いのかもしれないが、その瑞々しさを聴くのもひとつの方法だと思う。

ブルックナーの交響曲は、弟子たちが後で改訂して、しかもそれは改訂というより改竄だったりしたことが多くて、それらをクリアするために、本来ブルックナーが書いた楽譜に戻すような作業が行われた。シモーネ・ヤングのブルックナーへの取り組みは、さらに遡ってなるべくブルックナーが最初に書いた音楽を再現して演奏しようとする試みである。なぜならブルックナーは書き換えれば書き換えるほど前より悪くなってしまうから、という定説があるほどだからだ。
ただ、このf-mollの交響曲の場合は、それ自体が習作であることにより、そうした改訂の嵐にはさらされないで来たはずである。

ざっと聴いてみると、すでに語り尽くされているように、主題が弱いとか、ブルックナー的構築性が無いとか、さらにはメンデルスゾーンのパクリだとか、そうした声に納得できる面もあるけれど、決してそんなに悪くない。
また、シモーネ・ヤングを悪く言う人は特に、ブルックナー的な構造の表現が弱いとか、ブルックナー的ゲネラル・パウゼが見られなくて音が流れてしまっている、みたいな評価をしているようだが、このf-mollには、そもそもそうしたブルックナー的特徴が顕著に見られないので、逆にいえば、すごく安心してロマン派的感傷に浸れる。さらにいうなら、流れてしまって何が悪いのだろうか。音楽は流れるものなのに。
といって、そんなに極端にセンチメンタルな様子は見られないし、弦も管もバランス良く鳴っているし、優等生的な音のつらなりであって、突然破綻するような部分は存在しない。だから習作なのであろうが、でもブルックナーは最終的にこの曲を破棄しなかった。だから若書き (ではないのだけれど) 的な意味で自分の歴史のなかに位置づけたのだろうと考えられる。

特に第2楽章、第3楽章のやわらかでコワモテでない表情が美しい。
第2楽章 Andante molto は中間部のほのかに悲しい繰り返しが胸を打つ。その後も、明るさが戻ったと思うと、でも雲はところどころに停滞していて去らなくて、木管と弦が競い合い、そして第3楽章へ。
第3楽章 Scherzo: Schnell はc-mollとなって、いかにも短調らしい比較的オーソドクスな構成が続く。後半は一転、愛らしい弦が姿を見せるがすぐに冒頭の再現となって、最後のあたりで金管がちょっとギラッと光るのもワザがある。

ということでこれから番号順に聴いていくことになるはずだ。


Simone Young/Bruckner: Sämtliche Sinfonien (OEHMS classics)
ブルックナー:交響曲全集




YouTubeにブルックナーがないのでマーラー
Simone Young & Philharmoniker Hamburg
Gustav Mahler: Symphony No. 2 „Resurrection“
https://www.youtube.com/watch?v=lz6EdSVaTv8
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夏至と冬至のあいだ — ラルフ・タウナー《Solstice》 [音楽]

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Ralph Towner

夏至を過ぎて、これから日は短くなるばかり。でも夏の暑さはこれから。
そんなときにラルフ・タウナーの《Solstice》を聴く。アルバム・タイトルはSolsticeだが、収録されている曲のひとつは〈Winter Solstice〉、つまり冬至だ。1974年の12月にオスロでレコーディングされ、1975年にリリースされたECM盤である。

私は1枚だけラルフ・タウナーのLPを持っていて、それがこの《Solstice》だったのだが、魔が差したのか (というのは言葉遣いが違うかもしれない)、再発盤のCDを買ってみた。通販サイトの表示には紙ジャケットという表示があるが、ごく薄い2つ折りのパッケージで、デジパックよりも薄く、でもデジパックのように縦より横幅のほうが長くて正方形ではないという中途半端なかたちだ。普通のプラケースのほうが扱いやすいので、このnew packageというのはちょっとがっかり。
《Solstice》は暗い地色のジャケットの中央の小さめのワクの中に水色と青で木が描かれているイラストがある印象的なデザインで、その周囲の地色は暗い紫であったはずなのに、このパッケージではどう見てもただの黒。こうした改変はたぶん廉価にするための方策だろうが、デザインにこだわっていたはずのECMらしくない。

ところで私は、ラルフ・タウナー (Ralph Towner, 1940−) をほとんど聴いていないのだ。LPの《Solstice》を聴いたときもあまりピンと来なくて、そのままになっていた。だからどんな傾向の音だったのかもほとんど忘れている。例のECMっぽい音、といえば全てが包含されてしまうのだけれど、そういう音だったという記憶だけがあった。

矛盾するかもしれないが、私はECMの創る音は好きなのだけれどフュージョンとかニューエイジ・ミュージックと呼ばれる音楽があまり好きではない。フュージョンはその音楽そのものに深みが感じられないので、そしてニューエイジ・ミュージックはそういうジャンルの区分けそのものが嫌いだ。というか、ワールド・ミュージックという称呼と同じで、またJポップをニューミュージックとしたのとも似ていて、業界の十把一絡げな方便に過ぎないからであり、ニューエイジ・ミュージックなどというものは存在しない。

さて、あらためて《Solstice》を聴いてみると、ほとんど過去の記憶の残滓通りだったことがわかる。ラルフ・タウナーはギタリストであるが、ピアノも弾く。聴いてみて一番印象に残ったのは〈Drifting Petals〉であって、しかしそれはギターでなくピアノ演奏の曲である。
一方で、たとえば〈Piscean Dance〉などは音数が妙に少ないのだけれど、いかにも当時のフュージョン系のリズムとノリであり、今聴くと時代性を感じさせてしまう (つまり古い)。

でも〈Drifting Petals〉や〈Nimbus〉の前半のソロ部分のような演奏を聴いてすぐに思い浮かべたのは、エグベルト・ジスモンチである。ジスモンチもタウナーと同様にギターとピアノを弾くし、その音の傾向も一聴したときは似ているように思えてしまう。

ラルフ・タウナーはECMでのソロ名義とは別に、オレゴンというグループでの演奏を継続していて、オレゴンは、まさにオレゴンをルーツとしたローカルなバンドで、マルチリード・プレイヤーのポール・マッキャンドレスとともに、40年以上の息の長い演奏活動歴がある。
このオレゴンの演奏とか、オーソドクスなジャズチューンの曲を聴いてみると、タウナーはやはりアメリカの基本的なジャズがそのベースにあることがよくわかる (たとえばNardisなど)。ジスモンチには、当然だがラテンのテイストがあるが、タウナーにはそれがなく、2人の傾向の違いがよくわかってくる。
《Solstice》はタウナーの音楽活動のなかで比較的初期の作品であるが、ECMの特徴的なリード・プレイヤーであるヤン・ガルバレクが加わっていることで、よりECM的になっているとは言えるだろう。

そういうふうに見てからもう一度、アルバム最初の曲〈Oceanus〉に戻ってみると、アルバム全体のイメージが、かなりガルバレクの個性に引っ張られていることがわかってくるが、同時に、ヨン・クリステンセンのドラミングの美しさがあらためて感じられる。ガルバレクの傑作《Witchi-Tai-To》(1974) における演奏と同様の、細かくクリアなリズムに陶然とする。


Ralph Towner/Solstice (ECM)
SOLSTICE




Ralph Towner: Nardis (solo)
https://www.youtube.com/watch?v=7b3ioveZK9k

Ralph Towner: Witchi-Tai-To (12弦solo)
https://www.youtube.com/watch?v=r_13j5GoNDU

Oregon/Witchi-Tai-To (piano) Viersen Festival 2009
https://www.youtube.com/watch?v=4k7R-kwGImU
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『あしながおじさん』を読む [本]

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Jean Webster (1876−1916)

新潮文庫のStar Classics名作新訳コレクションの6月新刊はジーン・ウェブスターの『あしながおじさん』。訳者は岩本正恵、カバーは作家自身のイラストをコラージュしたデザインで、カヴァー紙質も通常と違って洒落ている。
『あしながおじさん』(Jean Webster, Daddy-Long-Legs, 1912) は、ジャンル的に考えると微妙なポジションにいる。主人公の大学生活を描いているので児童文学 (少年少女向け) でもないし、一般小説とも少し違う。青春小説というのが適切な形容だろうか。これまで私は児童文学をジュヴナイルと言ってきたが、それはせいぜいローティーンまでを対象としていて、しかも最近ではジュヴナイルという言葉を使うことは一般的ではないのだそうだ。だったらこうした比較的若い読者向けの小説を何と呼ぶかというと、ヤング・アダルト・ノヴェルズとのこと。
しかし、日本ではアダルトという単語は特殊な意味を持ってしまっていて、たとえばレディース・コミックという言葉と同様で、使うのがためらわれる。こうした何でもない汎用的言葉を色づけしてしまったという点で、日本の出版業界の性向や品位がよくわかる。

まぁ、そんなDirty-Low-Levelsなことはさておいて、最近は古くからの名作の 「新訳」 が流行っているように見えるのだが、でも読み始めると、物語そのものの魅力によって、訳の違いなどどうでもよくなる。どうでもよいと感じられるのは良い翻訳ということだ。

物語の構造はとてもシンプルである。孤児院で暮らすジェルーシャ・アボットは、そこから出なければならない16歳という年齢を越えて、高校に通わせてもらっていたが、卒業間近となった頃——つまり孤児院にいることのできる期限が残り少なくなったとき、突然、彼女を大学に通わせてくれるという奇特な人があらわれる。その人はジョン・スミスという匿名しか名乗らず、ジェルーシャに姿も見せない。彼女に課せられた条件は、月に1回、ジョン・スミス氏宛に手紙を書くこと、そして作家になるべく努力をすることだというのだ。
それで物語はジェルーシャがジョン・スミス氏に綴る手紙文という形式になっている。

巻末の解説で畔柳和代は、

 受け身で弱い、古典的なヒロインに似た立場にいる彼女の言葉が、この
 物語を語っていく。(p.254)

と書く。シンデレラ・ストーリーであるのにもかかわらず、語り口が単純な1人称ではなく、手紙文というフィルターを通した叙述であることが、その視野に独特の陰影を与える。だからといってそれは、内省的で極私的な世界には下りて行かず、潑溂とした表現に終始し、ところどころで落ち込む憂鬱も一過性で閉鎖的ではない。ただそれは作者がジェルーシャに与えた性格であり、作者そのものの思考ではない。作者は重ねられたフィルターのさらに向こうにいる。

ジェルーシャは、ジョン・スミスといういかにもふざけた匿名らしい匿名を許さず、たぶんあの人かもしれないというかすかに見た足の長い人の影の連想から、彼を 「あしながおじさん」 と名づける。そして自分の名前ジェルーシャが大嫌いなので、ジュディと名乗ることにする。名前へのこだわりは『赤毛のアン』と同じだ。

 ジェルーシャはどこかのお墓に刻まれていた名前です。わたしはこの名
 前が昔から大嫌いでしたが、ジュディはかなり気にいっています。ちょ
 っとそそっかしい感じの名前ですよね。わたしとは違う女の子の名前で
 す。(p.30)

もっとも、ジェルーシャがアン・シャーリーと決定的に違うのは、ジェルーシャという名前も、アボットという苗字も、孤児院の院長がつけたもので、本当の名前は別にあったのかもしれないということである。しかし、あったのだとしても、親に捨てられたとき、その名前も同様に捨てられたのだと解釈するのなら、それは無いのと同じなのだ。だから、院長がつけたジェルーシャという名前を彼女が改変してジュディとすることは命名の手続きとして等価であり、そこに名前の持つ呪縛は存在しない。呪縛があるのだとすれば、それは孤児院という負の重荷からの呪縛である。ジェルーシャがジュディになることはメタモルフォーゼであり、ひとつの夢なのだ。

ジェルーシャは自分が孤児院で育ったことを誰にも言わずに大学での学業と寮生活を満喫する。だが彼女は、家庭での生活という過去を持たない。そして普通なら知っているはずの常識を持たない。
まず彼女は今まで知らなかった本を読んで、その空白を埋めようとする。マザー・グースや、デイビット・カッパーフィールドや、ロビンソン・クルーソーや、不思議の国のアリスや、シャーロック・ホームズを読む。
まごまごしていると、ラテン語や歴史や化学や生理学など、どんどんむずかしい大学の授業がのしかかってくるからだ。

それだけでなく、日々の生活のなかでの今まで知らなかったさまざまなこと、どのように遊ぶかとか、どのように服を選ぶかとか、そうした諸々のことに、そんなことは当然知っているという顔で対応していかなければならない。それは隠匿であり背伸びであるが、秘められた愉悦でもある。

孤児院という環境にずっと幽閉されていたジェルーシャが、町へ遊びに行くことの開放感と強烈な刺激を、そして誰にも言えないもどかしさを、彼女は手紙に書く。

 大学キャンパスの外に出るたびに、刑務所から逃げ出した囚人のような
 気分になります。この体験がわたしにとってどんなにすばらしいか、よ
 く考えずにだれかに話してしまいそうになります。猫がかばんから出そ
 うになって、あわててしっぽをつかんで引っぱり戻します。(p.48)

彼女は意欲的な努力によって、18年間の負債をどんどん返してゆく。そして、猫を隠したまま、屈託のない学生の日常に急速に溶け込んでゆく。ブロンテ姉妹を読み、その物語に夢中になりながらも、そうした閉鎖された環境へのシンパシィを持ちながらも、それを乗り越えてゆく。

ジェルーシャにとってうしなうものは何もなかった。だから過去に対する彼女の回想は直截で辛辣である。

 わたしの子ども時代は、不機嫌に延々と続く不快の連続でしたから、
 (p.126)

あるいはまた、

 大人になってどんなにたくさんの困難があったとしても、だれもが思い
 出に残るしあわせな子ども時代を過ごすべきだとわたしは思います。
 (p.132)

そして、日常の生活に慣れつつも彼女は初心を忘れない。それは決してくじけない強い精神である。

 とても大きなよろこびが、一番重要なのではありません。大切なのは、
 小さなよろこびを大いに重んじることです。おじさま、わたしはしあわ
 せの真の秘密を発見しました。それは、今を生きることです。いつまで
 も過去を後悔しつづけたり、未来に期待しつづけるのではなく、今のま
 さにこの瞬間を可能なかぎり活かすのです。(p.184)

さらに彼女は続けて、「たいていの人は、生きていません。競争しているだけです」 と書く。

ジェルーシャは、大学生活を続けていけるだけの援助を受けていることを負債だととらえ、それはいつか必ず返さなければならないのだと考える。経済的に自立することが恩義への返礼だととらえている。それは真摯で禁欲的であり、自分はあらかじめ何も与えられていなかったのだから、過剰に与えられるべき必然性はない、とする潔癖な結論に達する。決して現状に甘えてしまうことがない。
彼女は、友人たちと自分の立場の違いを、冷静に意識している。そして、「おじさま」 からの過大な援助や好意を断るのである。

 サリーとジュリアと一緒に暮らすのは、わたしのストイックな哲学には
 ひどく厳しいものがあります。ふたりとも、赤ちゃんのころからものを
 持っています。しあわせはあたりまえだと思って受け入れます。ふたり
 とも、欲しいものは世界が与えてくれて当然だと思っています。もしか
 したらほんとうにそうなのかもしれません——いずれにしても、世界は
 彼女たちに借りがあるのを知っていて、それを返しているように見えま
 す。けれども世界は、わたしには何の借りもないし、わたしは最初には
 っきりそう言われました。わたしは世界から後払いで借りることもでき
 ません。なぜなら、世界がわたしの申し入れを拒むときがいつか来るか
 らです。(p.198)

解説で畔柳が指摘するように 「ジェルーシャには戻りたい場所はなく、どこにも帰属していない」 (p.258) のだ。それはwanderer的な願望となって現れる。

 わたしには放浪に強くあこがれる心があります。地図を見ただけで、帽
 子をかぶり、傘を手に持って出発したくなります。テニソンの言うよう
 に 「死ぬ前に椰子の木と南の神殿を見ん」 です。 (p.146)

作者のジーン・ウェブスターは大学卒業後、フリーのライターをしながら何編かの小説を書いていた。大学生の頃から政治的・社会的な問題にも関心を持って行動していたが、当時のアメリカにはまだ婦人参政権はなかった。
『あしながおじさん』(1912) で有名になったが、続編の『続あしながおじさん』(Dear Enemy, 1915) の年に結婚し、しかしその翌年、産褥熱により39歳で亡くなる。そしてこの本の翻訳者である岩本正恵も、2014年に50歳で亡くなったとのことである。そのため、これは岩本の最後の訳書となった。
まだ先があったはずの死は悲しいことだが、すぐれた本はずっと読み継がれるに違いないことが唯一の救いである。

私はなぜ、この『あしながおじさん』という作品に過度な思い入れがあるのだろうか、ということを読みながらずっと考え続けていた。
それはきっと、シンデレラ・ストーリーの香りに酔いたいためでもなく、ノスタルジックな古いアメリカの描写に共感があるためでもない。それは前に引用したジェルーシャの言葉のなかにある。
「けれども世界は、わたしには何の借りもないし、わたしは最初にはっきりそう言われました」 という個所である。世界と自分との関係性のなかで、いかなる貸し借りもないこと、もし世界を神と言い換えるのならば、いかなる恩寵も存在しないこと、それが自らの現在に引き寄せて考えたとき、最も共感できる部分である。

世界と貸し借りが無いことというのは、何にも属していないということであり、それは組織にも縁故にも頼らず、孤独であることである。それは一種のアナーキーな状態である。
ジェルーシャ・アボットという名前が (家系とか伝統といった) 「現実のしがらみ」 的重さを持っていないのだとすれば、それは本来、無名であり記号に過ぎなかったのかもしれず、そうした構造も同様にアナーキーなのだ。

昨今の世界は虚偽や欺瞞ばかりだが、狡猾な甘い水の誘惑に慣れた堕落者たちは、誰もが自分たちと同じように甘い水を求めようとしていると錯覚するのである。そして狡猾さは持って生まれたもので、改心することはない。
ジェルーシャ・アボットの、元気で、くじけない、一見しなやかで無邪気かもしれない表情の影に、俗悪に屈しない、強い精神性を私は感じるのである。人は、必ずしも、朱に交わっても赤くなるわけではない。


ジーン・ウェブスター/あしながおじさん
岩本正恵・訳 (新潮社)
あしながおじさん (新潮文庫)

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モグラネグラはドグラマグラではない [雑記]

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《相棒》の 「花の里」 店内

今日 (といってももう昨日になってしまったが)、テレビ朝日で《相棒》の再放送を見ていた。シーズン11#8の〈棋風〉という作品で、将棋名人とコンピューターとが対戦するという話である。おりしも 「ひふみん」 こと加藤九段がついに現役から引退することになり、その生まれかわりのようにして出現してきた中学生の藤井四段がデビューから負けなしで今日は歴代タイの28連勝になるかどうかという日、テレ朝がタイムリーな将棋ネタのドラマを持ってきたのは当然だろう。

この〈棋風〉の回は見た覚えがないので、楽しく視聴していた。
将棋名人と対決する将棋ソフトの開発者が死んでしまう。単なる事故死だと思っていたのに杉下右京がやってくると簡単に殺人に切り替わってしまうのはいつものこと (右京さんとコナン君の行くところに事件は起こる)。人工知能を研究するためには開発費が必要で、その開発費が欲しいソフトの開発者と、絶対に名人に負けて欲しくない将棋連盟の会長の思惑が一致して裏取引になりそうなとき、それを断固として止めようとした研究員・彩子 (高野志穂) は、実は過去に新進の女性棋士であったのに将棋のプロになるのを諦めて、ソフト開発の研究員となっていた。そして名人である時田 (竹財輝之助) のことを恨んでいるらしい、というふうに話が進展してゆく。

推理ドラマとしては比較的単純なストーリーなのだが、最後に時田名人と将棋ソフトが対決する場面で、コンピューターを操作して次の手を指示していた彩子は、肝心な一手をコンピューターに頼らず自分の手で指して、名人に負けてしまう。
そして彩子の過去の怨念は読み違いであり、時田は彩子の指す手が好きだったのだという結末となる。愛情が、彼女という人でなく、その棋風にあったところがほろ苦い。

事件が終わり、杉下は 「花の里」 で 「将棋には棋風というものがあり、棋譜を見れば誰が指していたのかが分かる。時田名人は彩子がその手を指したとき、それはコンピューターでなく彩子が指した手であることがわかったのだ」 というようなことを甲斐に言う。

人間と機械、アナログとデジタルの対比になっていて今っぽい話題だったのだが、その花の里の最終シーンのとき、画面の上にテロップが出て、「藤井四段が28連勝を達成しました」 というニュースが流れた。
あまりに絶妙なタイミング! その後、16時50分からの 「スーパーJチャンネル」 で、トップニュースとしてその28連勝が報道された。調べてみると相手の澤田六段が投了したのが16時47分なので、テレ朝はわざとニュースを抑えていたようなインチキはしていない。まさに最後の右京の言葉の個所で投了され、テロップが出されたのである。そういう偶然ってあるんだなぁと思ってしまう。

《相棒》の、この 「花の里」 のシーンはとてもなごむ。ヨルタモリの 「WHITE RAINBOW」 も魅力的な店だったが、「花の里」 のほうがずっと年季が入っている。この世には存在しない店に対して憧れを持ってしまうのは一種の幻想譚への希求であるのかもしれない。
そして鈴木杏樹の演じる月本幸子は、実は単なる小料理店の女将ではなく、過去のある人なので、その不幸な過去の末にたどりついた花の里という店が、とても存在感を持って目に映る。

鈴木杏樹はミュージックフェアの司会を長く続けていたが、彼女のキャリアの初期の頃に出演していたテレビ東京の番組《モグラネグラ》のことをふと思い出した。テレ東はいまでもちょっとユルい放送局だけれど、以前はもっと東京ローカルで、もっとずっとユルくて、そのユルいのがたまらなかった。
《モグラネグラ》は夜の音楽寄りのバラエティ番組みたいなもので、いろいろな司会者がいたのだが、鈴木慶一と鈴木杏樹の木曜日のときだけ、よく見ていた。この鈴木慶一と鈴木杏樹というW鈴木の司会は、調べてみたら1993年の半年くらいしか続かなかったらしくて、だから数回見ただけなのかもしれないが、いまでも印象に残っている。

といっても私は鈴木慶一のことはよく知らなくて、でもその数年前に出た高橋幸宏とのユニット The Beatniksの2枚目のアルバム《EXITENTIALIST A GO GO》(1987) を偶然聴いていたので、鈴木慶一はビートニクスの鈴木慶一でしかなかった。その後あたりだったと思うが、ムーンライダースのコンサートに誘われて1回行ったことがあるばかりである (もちろん、まだかしぶち哲郎は健在だった。かしぶちの曲はいつもせつない)。《センチメンタル通り》を聴いたのはさらに後で、それは70年代の憂愁に満ちていた。
《EXITENTIALIST A GO GO》はノスタルジックな名盤で、何度も何度も繰り返し聴いていた記憶がある。1987年には鈴木さえ子の《STUDIO ROMANTIC》もリリースされているが、その前の《緑の法則》(1985) のほうが私は断然好きだった。最初の自転車のベルの音が、子どもの頃の夏休みの楽しさの記憶に共鳴する。

鈴木慶一の、これらの鈴木さえ子アルバムを経て原田知世の《GARDEN》(1992) に連なる流れは、もっとも冴えていた時期、というか私にとってまさに心の微細な揺れにフィットする音が聞けた時期であったような気がする。
テレ東では1991年から98年まで、呆れるほどホントにしょーもない《ギルガメッシュないと》というバラエティがあって (イジリー岡田さん、最高です)、あれはやっぱり世紀末への退廃的な怒濤の流れだったのだ。
というふうに最初と最後で話題が変わってしまうのは、森茉莉的話題のずらしかたの手法で、現在私はその影響下にある。

     *

追記
木曜モグラネグラの1本目のリンクが間違っていましたので訂正しました。尚、夢野久作ではドグラマグラが一番有名ですが、私が好きなのはあやかしの鼓です。


THE BEATNIKS/EXITENTIALIST A GO GO (ポニーキャニオン)
EXITENTIALIST A GO GO




鈴木さえ子/緑の法則 (ミディ)
緑の法則(紙ジャケット仕様)




原田知世/GARDEN (フォーライフ)
GARDEN




木曜モグラネグラ
https://www.youtube.com/watch?v=EEFb9WUp8Ps
https://www.youtube.com/watch?v=XJ799Zu5xpI

THE BEATNIKS/ちょっとツラインダ
https://www.youtube.com/watch?v=NbRyV6vmixw

原田知世/さよならを言いに with鈴木慶一&佐野史郎
https://www.youtube.com/watch?v=0ayBqVMW50c
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《横尾忠則 HANGA JUNGLE》展に行く [アート]

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横尾忠則《責場C》

町田市立国際版画美術館で開催されている《横尾忠則 HANGA JUNGLE》展に行った。町田にはたぶん今まで行った記憶がないので初めて訪れた町なのだと思うが、駅を降りると初夏の太陽が照りつけるどこにも逃げ場の無い白っぽい道が延々と続いていて、その照り返しにくらくらとしてしまい、ムルソーみたいな気持ちになる。いつか栃木県立美術館に行ったときも宇都宮の駅の前の道がこんなふうに白っぽかったという記憶がある。
でも町田駅前にはマルイも、ツインズという東急のビルも、そして109まであるのだけれど、109のビルの入口には生涯学習センター/中央公民館の看板も付けられていて、なんかちょっといい。

美術館サイトの地図をたよりになるべくわかりやすい道を選んで歩いて行ったら、とんでもない急坂の下りがあって、その途中になぜか警備員が立っていて、その坂が下りきり巻き終わったあたりに美術館があった。

版画っていうのは結局印刷物なのだから、画集などで見るのとそんなに違わないのでは、という〈反=期待〉は見事に裏切られた。この、肉厚に緻密に盛られたシルクスクリーンの質感は現物を見ないと絶対にわからない。有名なポスター群もすべてがシルクスクリーンであって、この時期の状況劇場や天井桟敷のポスターなど、とんでもなく贅沢な美術を用いていたのだということが納得できる。
比較の対象として適当ではないかもしれないが、それはロートレックのポスター以来の美術的な作品であり、横尾以後、比肩するものはあまりないのではないかと私は思う。

館内は入場者もまばらで、とてもゆっくり鑑賞することができた。おまけに写真撮影可とのこと。
最も見たかった作品はしかしポスターではなく、《責場A/B/C》(1969) という作品である (図録および出品リストでは1969年となっているが、『美術手帖』2013年11月号では1968年とある)。横尾が版画を制作するきっかけとなった作品であり、翌年の第6回パリ青年ビエンナーレでグランプリを受賞した。しかし今回の図録によれば、《責場A/B/C》は最初の作品ではなく、《生風景I~V》《写性I~III》(1968) がそれに先行する作品であるという。確かにこれらの作品には、どのようにすればどのような効果を得られるかということを試行している部分が見受けられる。

《写性》では画面の周囲に印刷トンボが存在し、それを含めての作品となっている。シルクスクリーンの各特色の分版のチャートもトンボと同様に存在するが、それは四角や丸のベタではなく、性格の悪そうなミッキーマウスの顔になっている。
この技法をさらに発展させたのが《責場A/B/C》である。これはA/B/Cという3つの画面に別れていて6種類の同様の絵のヴァリエーションなのだが、これらを一括して《責場A/B/C》という作品として提示しているのだ。
それぞれは版を刷り重ねていく途中の状態にあり、完成間近のようにみえるのがCの上部であるが、でも完成してはいない。横尾は、

 この作品ではプロセスがテーマになっているんです。ポスターの原稿は
 白黒で描いて、頭の中で色を想定して指示を書いていくんですが、その
 思考過程そのものを絵にしている作品です。ポスターの完成版はどこに
 もなく、4色の各版の層を重ねて見る人の脳の中にしかない。その意味
 ではこの作品も、「未完」 というテーマを持っていますね。(前出『美術
 手帖』p.23)

と述べている。
だから横に並べられている模様のような花札もカラーチャートのパロディなのだ。横尾はこの説明で4色プロセス的な表現をしているが、この作品はシルクスクリーンであるから、そんなに単純ではない。シルク原画の美しさと肌理の細かさ、グラデーションの美しさは4色プロセスの比ではなく、映画館で観る映画とブラウン管のTVで見る映画くらいの差があると私は思う。
それにシルクスクリーンでは、蛍光色やラメの入った色も使用するから、それが図録に4色プロセスで載ったとしても、まるで違った印象しか感じない。画面全体に水玉を敷き、その上に他の色を乗せていくと、色によって下の水玉が透けたり透けなかったり、微妙な陰翳を生む。
しかしオフセット印刷の写真は網点の集積でしかないから、版画の重さを表現することはできないのだ。

横尾は単なる4色プロセスのときにも指定を間違えてしまい、自分の意図したのと違った色が出てしまっても、それはそれで面白いんじゃない? と言っていたこともあったが、そうはいいながらもそれは韜晦であって、多色を重ねるときの効果に通暁していないとこのような作品は出て来ないはずである。

もちろんシルクスクリーンだけではなくて、木版やリトグラフ、エッチングなど、そしてオフセット印刷との併用などの作品があるが、どれもその特質をとらえていて、さらに技法的な意外性を追求していることもよくわかる。木版などの分版をわざとズレたようにしているのもあらかじめ考えて作っているのだと思われる。
ただ、やはり一番美しいと思われるのはシルクスクリーンによる作品であり、近寄って見ると、スクリーンの網目までわかり、まさに陶酔の極致であった。

横尾は、自分にとって絵を描くこととはまず模写をすることだったと言っているが、彼の子どもの頃の模写がすでに子どもの域を全く外れていたことはよく知られている。最初から描けてしまったという天才性は誰にでも備わっていることではない。

美術館の帰り道、あの急坂を上るのは嫌だと思って裏側からの道に行ったらわからず、一度行って戻って来た。美術館サイトのオシャレな地図のおかげである。


図録:横尾忠則全版画 (国書刊行会)
横尾忠則全版画 HANGA JUNGLE




横尾忠則 HANGA JUNGLE
町田市立国際版画美術館
2017年06月18日 (日) まで
http://hanga-museum.jp/exhibition/index/2017-333
最終日には横尾先生のサイン会があるそうです。
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Xperia CMの矢野沙織 [音楽]

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Saori Yano

XperiaのCMが矢野沙織になっていた (→A)。ソニーモバイルのサイトを見ると3人のパターンがあるようだが、Xperiaはこのところずっと、このカッコイイ系をメインにしているみたいだ。コスプレ・ヴァイオリニストAyasaもそうだったが、ハイレゾをイチオシにするために、今回のはちょっとメタリックな感じを狙ってみた意図が透けて見える。
クラシックだってジャズだってカッコも大切なのだ。カッコだけじゃダメだけど。

矢野沙織のことは以前に書いたが (→2014年07月21日ブログ)、《Sakura Stamp》の後のアルバム《Parker’s Mood》そして《Groovin’ High》は、よくできているんだけれど感覚的にちょっと……という印象があって、少し遠ざかってしまっていた。
でも、矢野沙織以降、急にジャズとかフュージョン系の女性サックス奏者が輩出してきたことは確かである。

小学校時代にブラスバンドでサックスをやることになったのが矢野の楽器との出会いだったというが、昔は、つまり私が子どもの頃は、伝統的な吹奏楽においてサックスはマイナーで、あまり人気の無い楽器だった。でも最近はブラバンといっても、単なるマーチングバンドではなくなってきているので変化があるのかもしれない。
ともかくジャズやフュージョンにおいてはサックスは花形楽器であるし、最近の音楽教室では管楽器を教えてくれるところも多くなり、そしてサックスの場合、特にクラシック系のサックスだと講師の先生がたは圧倒的に女性である。
ボディが金属製ではあるけれど、サックスはクラリネットなどと同じ木管楽器なので、親しみやすい楽器なのかもしれない。

ということで〈I Got Rhythm〉を聴いてみる。2005年、ニューヨーク、SMOKEでのライヴはリチャード・ワイアンズ、ジョン・ウェッバー、ジミー・コブのトリオをバックにしている (→B)。ジミー・コブは《Kind of Blue》の頃のマイルス・バンドにいた人で、いまやドラマーの重鎮である。矢野沙織はこのとき18歳。それが今は30歳になってしまったのだから、時の流れはあっという間である。

〈I Got Rhythm〉はジョージ・ガーシュウィン作曲のスタンダード・ナンバーであるが、試しに聴き較べてみると、まずチャーリー・パーカーのはYouTubeにはあまり良い演奏がなかった。なぜか鈍重な感じがする。それでこうしたビ・パップ系として最も比較しやすいのはソニー・スティットである。
スティットはパーカー直系のサックスであるが、この余裕となめらかさ、アーティキュレーションはすごい (→C)。スティットはほんのわずかだけ、マイルス・バンドにいたことがあるが、飲んだくれで解雇されてしまったという。そうなのか。ちょっと見た目と違うけど、まぁジャケット写真には見た目のよいのを使うのがお約束なので何とも言えない。

〈I Got Rhythm〉という曲を遡ってゆくと、たとえばベニー・グッドマンがある。昔のスウィングの時代は、どうしても曲芸的なテイストがジャズには求められていたが、単純に楽しく音楽の喜びに満ちているのがグッドマンの特質である。ライオネル・ハンプトンが素晴らしい (→D)。

さて、矢野がジャズにのめりこむきっかけとなったのがパーカーの〈Donna Lee〉である (実際にはマイルスの作曲であるともいわれる)。この曲は《Sakura Stamp》の冒頭に収められているが、パーカーを良くコピーしていて、しかもパーカーよりやや速い。サックスとトランペットの2管で、トランペットはニコラス・ペイトンである (→E)。元となるパーカーはこれである (→F)。
しかしパーカーはそんなに簡単に超えられる存在ではないので、たとえば油井正一と悠雅彦の対談番組でも同曲をかけているのがあるが (→G)、これはトランペットの無い、パーカーだけで吹いているテーマとインプロヴィゼーションである。

特に〈I Got Rhythm〉などを聴くと、ベニー・グッドマン、ソニー・スティット、矢野沙織と、時代によってその音楽性が変わってゆくのが如実にわかる。上手いとか下手とかではなく、好き嫌いでもなく、音楽とは歴史に寄り添うものなのだという感慨がある。つまりガーシュウィンは単なる素材であり、それをどのように変奏するのかがジャズなのだ。


矢野沙織 BEST ~ジャズ回帰~ (Columbia Music Entertainment)
矢野沙織 BEST~ジャズ回帰~(DVD付)




A: Xperia CM
http://www.sonymobile.co.jp/adgallery/

B: Saori Yano/I Got Rhythm
https://www.youtube.com/watch?v=k5JFtt9rf9I

C: Sonny Stitt/I Got Rhythm
https://www.youtube.com/watch?v=TFq-JQyoy54

D: Benny Goodman/I Got Rhythm
https://www.youtube.com/watch?v=NTKOgTk2gGE

E: Saori Yano/Donna Lee
https://www.youtube.com/watch?v=sDsDhh3evtc

F: Charlie Parker/Donna Lee
https://www.youtube.com/watch?v=02apSoxB7B4

G: Charlie Parker/Donna Lee (油井正一&悠雅彦)
https://www.youtube.com/watch?v=ErWbBWlWD3s

《奇想天外》を読む [本]

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Queen (pastdaily.comより)

古書店が何店舗か集まって出展している古書フェアみたいなところで、『奇想天外』という雑誌を見つけた。『奇想天外』は出版社を変えて3種類あり、第2期目の奇想天外社から発行されていた頃が発行期間も最も長くて有名であるが、今回見つけたのは最初の盛光社から出された雑誌である。1974年1月が創刊号で、月刊で10号出したところで休刊、つまり10カ月しかもたなかった。

私は初めて実物を見たので、それに安かったので思わず数冊買ってしまったが、後で調べたら比較的手に入りやすい古書らしい。『SFマガジン』などに較べるとあまり人気が無いのかもしれない。表紙、背文字にSF・MYSTERYとジャンルが示されているが、後になるとNONFICTIONという言葉が加わっている。『SFマガジン』などより、ややジャンルが広い感じがする。というより、その頃はSFだけで記事を満たすのは、競合誌としての『SFマガジン』も存在するし無理だったのだろう。

外見はかなり痛んでいて周囲が焼けているが、中身を読むのには支障はない。1974年という年がどういう年だったのだろうか、と思いながら雑誌を開く。
創刊号のトップはカート・ヴォネガット・ジュニアの短編。この頃は名前の最後にジュニアが付いていたのだということがわかる。雑誌の中の広告に映画《日本沈没》の小さな広告があり、’74年正月東宝系公開、とある。
第2号 (2月号) には読者投稿欄というのがあって、前号の感想などが書いてあるのだが、投稿者の名前だけでなく住所まで掲載されている。今のプライバシー重視の時代とくらべるとまさに隔世の感である。この雑誌ではないけれど、その頃の他の雑誌か書籍で見た記憶があるのだが、巻末に作家の住所までしっかり掲載されていたりするのが普通にあったのだからすごい。それを見て、作家の家まで押しかける人だっていたのだろう。

4月号には小野耕世のコラムがあって、ブルース・リーの映画のこととか、山本寛斎のスタジオのことなどが書いてあるが、それに続いてキャロルというグループの記述がある。カッコのなかにキャロルの説明があるのだが、

 〈キャロル〉というのは、いうまでもなく、ロックンロールのグループ
 のことである。

そして、そのリーダーは 「エーちゃん」 と書いてある。写真のキャプションも 「エーちゃん」 である。キャロルは74年に山本寛斎のパリでのショーに出演しているのでそれに関連させた記事になっているのだと思われる。

 彼のギンギラギンのけばけばしさは、ものすごく迫力があり、セクシー
 だ。この男は、なにを着ても下品になって、それがすごくいい。

と小野は書く。そして、「寛斎のショーにキャロルを連れて行く提案をしているT」 という部分があるが、このTというのは龍村仁のことと思われる。wikipediaなどを見るとNHKキャロル事件という項目があって、そこに詳しい経緯が書いてあるが、この雑誌の記事はその事件に至る前夜の話なのだ。
40年以上も前のことなので、ああそうなのか、というようなぼんやりとした感想しか湧かないのだが、以前のブログに書いたザップルの顛末と同様に、この時代の表情が垣間見える。その頃のNHKではキャロルなんてとんでもないと大顰蹙だったのだろう。

4月号には岡田英明 (鏡明) のコラムもあって 「フェアポートコンベンションのコンサート良かったよ。サンディ・デニーが出たんだ!」 なんて書いてある。
アメリカのコミックブックについては、多いのは百万部以上出ているし種類がやたら多いからすごい。ポスト・パルプマガジンで、ひとつのサブ・カルチャーを結成しているとも。そして、スパイダーマンのレコードを買ったと自慢しているが、その当時、国内盤でスパイダーマンを出す (しかもレコード) っていうのは相当にマニアックなはずだ。

その記事の最後にクイーンというバンドのことが書いてある。

 それよりもクイーンで*バンドを聴いてやってよ。やたらドライブがかか
 ってて凄いの。リードのブライアン・メイの全部自作のマホガニー製ギ
 ターがファンタスティックな音で迫るし、ボーカルはいい声してるし、
 ドラムスはまるで女の子みたいに可愛い顔してるし、見かけたら絶対買
 い。(* ママ)

1stアルバムの国内盤は74年3月に発売とあるから、岡田が原稿を書いていた時点ではまだ出ていなかったのだ。「日本じゃ出ないかもしれない。無名だもんね」 とも書いてあって、とってもタイムトリップした気にさせてくれる。

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奇想天外 1974年1月号 (創刊号)

Past Daily
Queen live at Golders Green 1973.10.20.
http://pastdaily.com/2016/06/11/queen-live-1973-backstage-weekend/

Queen live in London 1973
https://www.youtube.com/watch?v=RrynLWrYFJ8

キャロル/ファンキーモンキーベイビー live 1973.09.02.
https://www.youtube.com/watch?v=rV4fhbn-Bgg

キャロル/ファンキーモンキーベイビー PV
https://www.youtube.com/watch?v=0PBNQIJP0D0
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《19世紀パリ時間旅行》に行ったこと、その他 [アート]

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Henri Rousseau/Vue de la Tour Eiffel et Trocadéro

練馬区立美術館で《19世紀パリ時間旅行》という展覧会が開かれているのを知り、最終日に行ってみた。西武池袋線中村橋という、ちょっと行きにくいところにあり、電車で行ったら途中で眠くなって乗り過ごしてしまった。強い陽差しの6月、駅を降りてすぐ、ローカルで親近感のある美術館である。

美術館サイトには次のような説明がある。

 フランス文学者の鹿島茂氏 (明治大学教授、フランス文学者) による 「失
 われたパリの復元」 (『芸術新潮』連載) をもとに、19世紀パリの全体像
 に迫る展覧会を開催します。
 パリのはじまりは遡ること紀元前3世紀、以後少しずつ拡大し、ヨーロッ
 パを、世界を牽引する近代都市として形成されました。その長い歴史の
 中で、もっとも衝撃的な出来事が第二帝政期 (1852-70)に行われた
 「パリ大改造」 (1853-70) です。しばしば 「パリの外科手術」 とも呼ば
 れるこの大改造は、時の皇帝ナポレオン3世 (1808-73/在位:1852-
 70) の肝いりで、1853年にセーヌ県知事に就任したオスマン男爵 (1809
 -91) によって着手されました。都市としての基本部分こそ大きな変化
 なく引き継がれましたが、ナポレオン3世の治世当初とその終焉の年で
 はパリの景観は様変わりしました。この大改造によって、現代のパリに
 続く都市の骨格が形成されたのです。
 1870年代に入り、大手術を経たパリの景観は、印象派をはじめとした画
 家たちの格好の題材となりました。それは新しいパリが、同時代の芸術
 家にとって創作の源泉となったことを意味しており、言い換えれば、近
 代都市の成立は近代美術の形成とも連動していると指摘できるでしょう。

ナポレオン3世といえば独裁と失脚、そしてナポレオンという名前を継承しただけの徒花的な時代の人物という印象も強いが、都市開発やパリ万博と結びつけて語られることも多い。今のパリという都市の形成を担ったのが彼であり、同時にそれまでの古いパリを消失させたのも彼である。
パリがどのように変わっていったのかという視点から見るという展示の方法として、その当時の地図と、それに対応する景観がどのように変わり、あるいは変わらなかったのかという比較から思わず連想してしまったのは《ブラタモリ》だったりするので、つまり一種の都市論・文化論でもある。

それともうひとつ、私の興味を惹いたのは、最近何かというと目に付いてしまう鹿島茂という名前に引っ張られてしまったというのが大きい。たまたまマイブームとして興味を持った対象と、鹿島茂の業績とが単純にシンクロしただけなのかもしれないが、もしそうだとしても、そこに何かあるのかもしれないという期待だけでも十分なのではないかと思う。

場所と時間の経過、そこから展開している絵画の変遷という見せ方は、ともすると煩雑になる危険性があるが、それが整然としていて、とてもよく考えられた展示であることが理解できる。時代が下るにつれて、都市の景観に並列して展示されている絵画も見知っている作品が多くなり、地味なルノアールがあって 「へぇ、こんなのあるんだ」 と思ったり、可憐でも華奢でもないドガの踊り子とか、白くならない頃のユトリロがとてもよかったりする。

館内で会場が3個所に別れているのだが、その区切りもかえって心地よくて、でもやはりパリ万博とそれが都市や人々に与える影響は強かったのではと思わせられる。最も象徴的な建築物はエッフェル塔だが、アンリ・ルソーの描いた《エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望》はちょっと見るとエッフェル塔らしくなくて、でもその色彩感覚と穏やかな風景のかたちがまさにルソーである。
そしてベルエポックの、時代を象徴するような巨大なポスター群を経て、展示の最後に佐伯祐三が掛かっていた。近代美術館にある《ガス灯と広告》(Réverbère à gaz et affiches, 1927) である。有名な作品であるが、たぶん実物を見たのは初めてのような気がする。あぁ、これが最後かぁ。そうだよね……やるな練馬美術館! という感じ。
ナポレオン3世が造った (と言ってもいい) パリの街がこなれてきた頃に、その地に憧れ、訪れた東洋人がその街のぐちゃぐちゃした日常的風景を描いて、それがまた歴史のなかに確かにとどまっているという不思議。佐伯はその翌年 (1928年)、30歳で亡くなるが、彼の描いたパリは美しい歴史の眩暈である。

その後、時間があったので池袋に行き、この前買い損ねたナターシャ・プーリーの文庫本を買って、ついでに新潮文庫の新訳版『あしながおじさん』を買う。そしたら訳者の岩本正恵は2014年に亡くなったため、これが最後の翻訳書なのだと書かれていた。まだ50歳だったのに早過ぎる。
カート・ヴォネガットを読んだのが翻訳家になるきっかけだったと岩本は語っているが、その最後がウェブスターの翻訳だったっていうのは、ちょっと心があたたかくなる。

     *

この展覧会のことは、うっかりくまさんから教えていただきました。ありがとうございました。
それと佐伯祐三のことは以前、久生十蘭の話題に加えて、少しだけ書いたことがあります (→2012年05月03日ブログ)。


鹿島茂/19世紀パリ時間旅行 (青幻舎)
19世紀パリ時間旅行 失われた街を求めて




練馬区独立70周年記念展
19世紀パリ時間旅行 ―失われた街を求めて―
(展示は終了しています)
https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201702111486797027
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ヴィンテージとアヴァンギャルド —『装苑』など [ファッション]

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装苑 2017年7月号

書店で雑誌を見ていたら満島ひかりが表紙になっている『MOE』を発見。新しい雑誌かと思ってしまった。これってありなのかなぁ、中身は変わらないんだけど。なんでも先月号からモデルあり表紙になったらしい。先月号の表紙はのんとのこと。

それはいいとして、『装苑』7月号の特集は 「ヴィンテージからファッションを学ぶ」 だった。これがなかなか面白いんです。あくまで古着じゃなくてヴィンテージで、トップの記事は原宿のMARTEというショップの野村仁美、そして欅坂46の志田愛佳、けやき坂46の長濱ねるの会話で、内容自体は何ということないんだけれど、野村の50~70年代のワンピースへの溺愛というキャッチが今のファッションへのアンチテーゼともなっている。
最近のゆるめ&らくちん傾向なトレンドとも言えないようなトレンドと較べると、「ウエストを絞った体のラインが美しく見える服が好き」 という志田の言葉には説得力がある。古い服を古い服として着るのではなく、テイストの変わったマテリアルと考えることは一種のファンタシィでもあるのだが、特に日本ではトレンド以外のものは全くといっていいほど市場に出回らなくなってしまうのだから、そうしたなかでこういう選択肢もありなのだと思う。
といっても、ヴィンテージでなく、まさに古着でしかない古着屋も存在するので、話はややこしいのだが。特集末尾には東京ヴィンテージショップ+マーケットガイドもあり。

かつてヴィヴィアン・ウエストウッドはウエストが無い服は服ではないと断言していたが、その孤立性と独善性が本来のファッションのベーシックであり、それはかつて鷲田清一が形容していた拘束性に連なる。

アンティークとヴィンテージには基準があり、基本的には100年以上経っているものがアンティークであり、それより新しいものがヴィンテージ、これは家具などにも同様に言えるのだが、そのことをコスチューム・ジュエリーという記事で稲田梨沙が書いている。コスチューム・ジュエリーというのも、つまりハイジュエラーで作られるような高価な品でない、いわゆる貴石を使わないジュエリーを指すのだそうだが (p.51)、むしろそのアイデアとセンスが、ヴィンテージなワンピースを選ぶセンスと共通する。高価な品でないということから連想したのは、森茉莉が11歳のときに父親に買ってもらったという 「伯林の洋服屋に注文した時、ごく値段の安い玩具同様の」「偽もののモザイクの首飾り」 のことだった (『贅沢貧乏のお洒落帖』ちくま文庫・p.122)。
批評精神のないままにファスト・ファッションを選べばそれは単にチープにしか映らない。それを自分なりにどのようにアレンジするかということと、自分なりのトレンドを見つけていくということとは通底するのだ。古着は利用するのに失敗すればただの 「お古」 だから、トレンドのお仕着せよりずっとエネルギーを必要とする。

「100年前のヴィンテージから見えるもの」 という記事で目を引くのは、昭憲皇太后の大礼服の写真で、凝った刺繍は和服の伝統から較べればまだ全く未知数のなかで作られた過去を見せていて、もう100年以上経っているのだから、ヴィンテージというよりまさにアンティークな遺産である (p.59)。こうした努力とか開拓精神のようなものが今の日本にあるかと考えると甚だ心許ない。

そしてヴィヴィアン・ウエストウッドのコラム記事 Fashion Revolution には、Who made my clothes? という文字が大きく書かれていて、「服を買う時は、良いものを選んで、それを長もちさせなさい。私たちは数より質を大事にしていかなくてはなりません。ファッションを仕事にしている私には、人々が消費ばかりする危険な傾向に対する責任があると考えています」 というヴィヴィアンからの言葉が載っている。大デザイナーである彼女はずっと長くひとつの靴を履いていて、破れてもテープで補修して尚、持たせているというのだ。写真まである (p.96)。

さて、『VOGUE』7月号を読むと、真っ赤な地色のページに川久保玲の記事がある。メトロポリタン美術館の今年のファッション展はコム デ ギャルソンとのこと。
リン・イェーガーは、川久保のことを 「その並外れた想像力や驚異の大胆さ、そしてアーティストとしてのクレイジーなヴィジョンは、時として見る者を真に圧倒する」 と絶賛するのだが、パーティーの描写のなかで 「楽しんでいる人々を横目に、部屋の両隅におずおずと佇み、うつむいて床を見つめる人物が二人いた――川久保と私である」 というのには思わずホントかな、と笑ってしまった。川久保については納得できるけどイェーガーさんは、ね (p.086)。
表紙にも使われている2017-18AWの写真はモデルの髪の毛が縮れていてヒツジのようだが、以前のギャルソンに、ニットをフェルトのように異常に圧縮させたコレクションがあったことを思い出させる。縮れる、曲がる、撚れる、というような形容に照応する処理にときとして執着するなにかが川久保にあるように感じられる。それは穴あき、ほつれ、やぶれ、といったダメージを創始期から引き摺っている彼女のテーマでもある。

他に『VOGUE』今月号では 「これ誰?」 的な上戸彩のポートレイトも新鮮だが、最も美しいと思われるのは、巻末近くにあるスタイリスト/ジョヴァンナ・バッタグリアによるポップカラーな You’re My Favorite Pin-up というページで、パトリック・ドゥマルシュリエのカメラによるディースクエアード2、アルチュザラ、ミウミウなどにラテックスのサイハイソックスを履いたモデルのポーズは過剰に人工的であり、先進の美学はこのあたりなのだろうと思わせる (p.224)。

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top and skirt: DSQUARED2
style: Giovanna Battaglia Engelbert
photo: Patrick Demarchelier


装苑 2017年7月号 (文化出版局)
装苑 2017年 7月号 (雑誌)




VOGUE 2017年7月号 (コンデナスト・ジャパン)
VOGUE JAPAN(ヴォーグジャパン) 2017年 07月号




MOE 2017年7月号 (白泉社)
MOE (モエ) 2017年7月号【特集:大人からの絵本 おすすめの300冊】




Metropolitan Museum of Art
Rei Kawakubo/Comme des Garçons
Art of the In-Between/2017.05.04-09.04
http://www.metmuseum.org/exhibitions/listings/2017/rei-kawakubo
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通り過ぎる永訣の朝 ― 川上未映子『すべてはあの謎にむかって』 [本]

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Vernazza (Cinque Terre)

JAF Mateの表紙に岩合光昭のネコの写真が使われていると思ったら、先日はNHKで、ネコやその他の動物を撮影する彼のドキュメンタリーがあったりして、見入ってしまった。
イタリアやボスニア・ヘルツェゴヴィナの風景のなかを歩き回るネコたちは、でもやっぱり日本にいるネコと変わりなくネコなのだ。チンクエ・テッレの街並に溶け込むネコの姿に心がなごむ。

池澤春菜がコラムに書いていた新刊の文庫を買ってきた。シャンナ・スウェンドソンとハーラン・エリスンの短編集。でもナターシャ・プーリーはうろ覚えで行ったら書店で見つからず。最近記憶力が減退している。それで川上未映子を2冊買う。
へらへらと気軽に読むのには川上未映子のエッセイは好適だ。というよりも彼女の思考する回路が辿りやすいような気がして、それで新潮文庫の『すべてはあの謎にむかって』を読んでいた。2冊のエッセイ集からピックアップされたものだとのことだが、どこでも読めるし、どこからでも読める。
ウケる話にはことかかない。ポケモンのことをポケチンと書いてしまう子どもに、お母さんが 「モ」 と 「チ」 は曲がりかたが逆でしょ? と何度も子どもに言うのだがわからなくて、ついにキレてしまう話とか、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』というタイトルの 「礼讃」 は間違って 「れいさん」 と覚えてしまったんだけど 「らいさん」 が正しいんだよな、間違えないように間違えないようにと思っていながら、シンポジウムに参加してしゃべったら、やっぱり 「れいさん」 と言ってしまった、という失敗とか。

でもときどきドキッとする個所に出会う。
それは川上が子どもの頃、初めて見た雪の情景をマクラとしてはじまる宮澤賢治の最も有名な詩である 「永訣の朝」 に関することで、賢治の死んでゆく妹に対する想いと妹の言葉とが無常と無垢の掛け合わせみたいだと読み取りながら、でもそうした表現は宮澤賢治で最後だったのだと言い切ってしまうのだ。

  つまり、いまとなってはもうこのような形でこのような内容を書くこ
 とが全方位的にしんどいのではないだろうかということだ。それはベタ
 をそのままベタに書き切るということが望むと望まざるとにかかわらず
 別の効果を自動的に連れてきてしまうということで、仮におなじような
 体験と能力を持っていたとして、宮澤賢治以降の人間が賢治的な表現を
 (妹話だけじゃなくて) やってしまうとなると――誤解を恐れずに言えば、
 ある種の無防備な (笑われることを想定していない) お笑いになってし
 まうのではないかという危惧があるのだった。どれだけ洗練されていて
 も 「美化」 と 「泣き」 はつねに安易で、回避したいところではある。
  しかしそれだけが持ちうる強度というものもたしかにあって、その強
 度こそがこんな雪の日に 「ベタじゃないんだよ、こっちはいつだってマ
 ジなんだよ」 と私の額と胸の奥をがんがんに蹴り上げるのであった。
 (p.103)

川上はイヌ派とネコ派でいえばイヌ派で、巻末ではそのイヌの死について書いている。イヌの死は深い感謝とともにある種のうしろめたさがつきまとうという。冷静に振り返れば、成立していたのは人間の言葉を介在した想像力に過ぎないのであって、実際にイヌの気持ちを確認したことはないというのだ。
そして、でも人間の死の場合でも、人間との対話では言葉が介在しているし、それによってコミュニケーションが成り立っているのにもかかわらず、実はそうではないのではないか、という疑問を示す。

  人間にとって言葉は大きなものだけど、しかし人間だって死んだ後、
 思い出して苦しくなるのは手触りとか一緒に時間を過ごした感覚そのも
 のだったりして、ああ世界は言葉とそれ以外のもので今日も順調に満ち
 満ちているのだった。(p.300)

だとすれば人間の死に対する想いも同様にうしろめたいものであり、つまり言葉で語りながらその言葉自体が無力であることを言ってしまっていることに他ならない。悲しみには濃淡があり、その濃淡だって日々変わっていくのかもしれない、というのである。そして世界の初期設定と原理的ルールはすでにできあがっているので人智の及ぶところではないとするのだが、それは信仰の無い神に近いのかもしれない。
ピーナッツ (スヌーピー) のことも、チャーリー・ブラウンを中心とする子どもたちの表情からうかがい知るに、全体は悲しいストーリーであり、老人 (=シュルツ) の見た夢なのだろうか、と規定する。

最近、ウチの庭にやってくる黒ネコがいて、はじめは遠慮していたのにだんだんと大胆になってエサをねだるようになった。といいながらもステップの影に隠れていたりしてまだ警戒心があることは変わらない。でももう一匹違うネコもいて、それに鳥もいるから、まごまごしているとエサをとられてしまう。
ナナカマドの花とコデマリの花が同じ頃に咲いて (ナナカマドはル=グィンの『ゲド戦記』に出てくる木なのだ)、その花が茶色くなって枯れた頃に今度はヤマボウシの花が咲く。ヤマボウシの白い花のように見えるのは実際は花ではないのだが、でも今年は白い部分があまり目立たない。どれも雑木だから勝手に咲いていつのまにか散って勝手に成長する。勝手なのは徘徊するネコも同じで、夜になり人の気配がなくなるとそのへんで伸びている。

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JAF Mate 2017年5月号表紙


川上未映子/すべてはあの謎にむかって (新潮社)
すべてはあの謎にむかって (新潮文庫)




プロフェッショナル・仕事の流儀
猫を知れば、世界が変わる 動物写真家・岩合光昭
(6月1日深夜に再放送があります)
http://www.nhk.or.jp/professional/2017/0529/
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