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ジェフティは五つ — ハーラン・エリスン [本]

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Jeffty is Five

年に1回出るSFマガジンの別冊『SFが読みたい!2017年版』のランキング海外篇第1位はハーラン・エリスンの『死の鳥』だった。エリスンの文庫本は昨年の8月に出版されているので、いまさらの話題ではあるが、さすがエリスンである。

エリスン (Harlan Ellison, 1934-) 名義の小説の邦訳本は今までに1冊しかなくて、それは『世界の中心で愛を叫んだけもの』(The Beast that Shouted Love at the Heart of the World, 1969) である。後年、似たタイトルの日本の小説が出されたことがあるらしいがよく知らない。
今回の『死の鳥』は The Death Bird and Other Stories, 2016 という英語タイトルが一応付けられているが、日本編集の短編集である。
ちなみに第4位はジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの『あまたの星、宝冠のごとく』であり、新作のなかでのこの2冊は独特の光彩を放っている。
エリスンはカルト的な人気がありながら、その作品の翻訳が無いことで有名だ。翻訳が無いことによってカリスマ性が余計に高まるという皮肉な結果となっていた。今回纏められたのは雑誌に掲載されたままだった作品がほとんどであり、「やっとのことで」 という感慨がある。書店で見たら、すでに3刷になっている。

エリスンはSF関連のアンソロジストとして高名であり、またTVドラマの脚本家としての仕事も多い。ja.wikiによれば日本でよく知られるドラマとして、《バークにまかせろ》《宇宙大作戦》《ルート66》《アウターリミッツ》《アンタッチャブル》《原子力潜水艦シービュー号》《0011ナポレオン・ソロ》《ヒッチコック劇場》が挙げられている。

『死の鳥』の収録作品のなかにはもちろん 「ジェフティは五つ」 も入っていた。
〈Jeffty is Five〉は1977年のF&SF誌のエリスン特集の際に書かれて掲載された短編であり、ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、英国幻想文学賞、ジュピター賞受賞作品である。翻訳がSFマガジン1979年10月号に掲載されたが、その後、本にはなっていなかった。

ぼくが五つの頃、ともだちのジェフティも五つ、ところがぼくは成長して大人になっていくのにジェフティはいつまでも5歳のままなのだ。(おまえはエドガー・ポーツネルか! とツッコミたくなる)。ジェフティの両親は彼が成長しないことに恐怖とあきらめの感情を抱いている。しかし、そのジェフティとぼくは子どもの頃と変わりなく遊んでいる。
ある日、ジェフティはぼくにキャプテン・ミッドナイトの秘密暗号解読バッチを見せてくれる。それは新品のようで、今、そんなものがあるわけがないので、ぼくはびっくりする。でもジェフティはそれを郵便で受け取ったばかりなのだ。ジェフティは5歳の頃、聴いていたラジオの番組を今でも聴いているのだ。
それは昔の番組の再放送なのではなく、ジェフティにとっては毎日耳に入って来る新しい番組なのである。ジェフティと一緒にいるときだけ、ぼくもその番組を聴くことができるのだ。

いつも攻撃的なエリスンにしては非常にナイーヴで、そして悲しい結末のファンタシィなのだが、2人の語る固有名詞の多さがマニアックでカルトなのである。
それはラジオドラマやパルプマガジンなどのタイトルや登場人物なのだが、〈スーパーマン〉とか〈グリーン・ホーネット〉ならかろうじてわかるけれど (といってもグリーン・ホーネットなんて名前しか知らない)、〈ザ・シャドウ〉〈ドク・サヴェジ〉とか〈ジャック・アームストロング、オール・アメリカン・ボーイ〉〈キャプテン・ミッドナイト〉〈テネシー・ジェッド〉などになるとタイトルさえ初めて聞くものばかりだ。

この作品で最も重要なドラマである〈キャプテン・ミッドナイト〉について調べてみると、wikipediaによれば1938年から1949年にラジオ放送されていたいわゆる冒険活劇である。〈テネシー・ジェッド〉はwikiにも項目が無く、1945年からABCで放送された西部劇らしいのだが、よくわからない。
つまりここに書かれているのは、作者のエリスンが子どもの頃、聴いたり読んだりしていたヒーローものの回想なのだ。だから1940~50年代頃にアメリカで幼少期を過ごした人にとっては非常に郷愁を誘うものなのだろう。ひとつひとつのタイトルが全く見知らぬものであるはずなのに、懐かしさまで湛えて迫ってくるのがまさにエリスンの筆力である。
日本のドラマと比較するのなら、上記アメリカのドラマよりは年代が新しくなるが、月光仮面とか赤胴鈴之助の類いの、創生期の作品といえる。

語り手であるぼくとジェフティの関係が崩壊するのは、ぼくが自分の商売にかまけてしまい、ついジェフティを置き去りにしてしまった行動をとったことなのだが、ぼくのその時の商売というのがソニーの新しいカラーテレビを売り込むという話なのだ。つまりこの作品は 「1977年から見た1940年代の懐かしさを語っているぼく」 というアプローチでもあるのだが、2017年の視点から見ると、1977年という時代もすでに懐かしいノスタルジアのなかにあるわけで、二重のノスタルジアが生じてしまう結果となる。
〈スーパーマン〉だって、エリスンが思い描いているのはリメイクされた最近の映画などではなくて、初期の頃のアメリカン・コミックでありテレビドラマなのだろうと思う (スーパーマンもコミックストリップの後、ラジオドラマがあったらしいのだがwikiにはそれ以上の詳しい記述が無い)。

今の映画のほうが、昔のラジオドラマや粗悪な紙質のパルプマガジンよりも数段上のビジュアルを再現できるし、CGの進歩がそうしたSF風な作品のリアリティをより高くする。でもそのかわりに人間は、古い真空管のラジオと一緒に、なにか大切なものを失ってしまったのではないだろうか。

     *

『SFが読みたい!2017年版』の施川ユウキのマンガ、笑いました。「口がないけど叫ぶチクタクマン」 とか。これって吾妻ひでおですよね? あ、リスの檻だ! 酉の市は、死の鳥→鳥の死→酉の市という流れで。


トップ画像:
Harlan Ellison Reads Jeffty is Five
(The Kilimanjaro Corporation, 1982)
Illustration: Jane Mackenzie
画像の向かって右、少年の背後にあるのが当時のラジオである (念のため)。

ハーラン・エリスン/死の鳥 (早川書房)
死の鳥 (ハヤカワ文庫SF)




ハーラン・エリスン/世界の中心で愛を叫んだけもの (早川書房)
世界の中心で愛を叫んだけもの (ハヤカワ文庫 SF エ 4-1)

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