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her little Chinese eyes — ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』その2 [本]

woolf&eliot1924_161229.jpg
Virginia Woolf & T.S. Eliot, June 1924
(http://www.npg.org.uk/より)

2016年12月03日ブログのつづきです。

この作品のトーナリティを決めている色彩は緑と灰色である。緑色は草の緑であったり海の波であったりするが、庭の描写には濃い緑などの強い色彩が用いられているにもかかわらず、全体として深い緑を感じさせず、どこか色褪せて痩せたヴェールに覆われたような印象の緑である。そして灰色は砂の色であり、夢魔の色であり、なにより灯台の壁の色である。
周到に準備されていたのかもしれない色調が繰り返しあちこちに出現し、小説全体のイメージを固定化する。

この緑と灰色の対比が出現する最初の印象的な個所は、しかし現実の色彩ではない。それは客人のひとりであるオーガスタス・カーマイケルの描写にある。

 カーマイケルさんは突き出したお腹 [なか] の上で両手を組んで、少し
 目を瞬かせただけだった。それはまるでそういう優しい言葉には (彼女
 は魅惑的だがちょっと神経質そうだ)、もっと愛想よくお答えしたいのだ
 が、あいにく今は灰色がかった緑色の眠りの世界にどっぷりと浸ってい
 るもので、とでも言いたげに見えた。(p.19)

「灰色がかった緑色の眠りの世界」 の個所の原文は次のようである。

 but could not, sunk as he was in grey-green somnolence which
 embraced them all, (E: p.014/Penguin Modern Classics, 以下同)

このとき、オーガスタス・カーマイケルは、阿片を常用している、まだ何者ともしれぬ人物である。しかし10年後、彼は有名な詩人となった。
あるいはまた、この別荘のある土地は風光明媚なため、3年前にポーンスフォルトという画家が来て絵を描いてから、皆が同じような色彩で絵を描くようになったということが語られる。その色彩が緑と灰色なのだ。

 三年前に画家のポーンスフォルトさんがここで絵を描かれてからは、と
 夫人は言った、みんなあんなふうに描くんです。緑やグレーをたっぷり
 使って、レモン色の帆船が浮かんでいたり、ピンク色の女たちが浜辺に
 いたり。(p.24)

風景描写の核となっているのは灯台である。ラムジー夫人はその美しさに声をあげた。

 巨大な水盤を満たしたような一面の青い海が眼前に横たわり、その中央
 に灰白色の灯台が、遠く、厳かにそびえ立っていた。右手の方には、風
 になびく野草の生えた緑色を帯びた砂丘が、霞 [かす] んだりくぼんだり
 しながら、なだらかな襞 [ひだ] を描きつつ果てしなく続いていて、見る
 たびにいつも、人の住まわぬ月の世界に通じる道を偲ばせるのだった。
 (p.23)

この個所における灯台の色は 「灰白色」 と訳されているが hoary という言葉が使われている (ペンギン版の注には hoary=white とあるが、白あるいは灰色を表す言葉である。hoary-headed で白髪頭の、となる)。
この緑と灰色は第3部では海と舟との対比となる。灯台に向かう舟のなかから見る海は緑である。

 確かに風が出てきた。舟は傾きながら勢いよく進み、鋭く切り裂かれた
 波は緑の滝となって泡立ち、さらに大滝となって流れ去った。(p.318)

その舟をリリーは遠くから眺めている。

 そう、あれがあの人たちの舟なんだわ、とリリーは芝生の端に立って眺
 めながら、そう決めた。それは灰褐色の帆をあげた小舟で、海の上を這
 うような姿勢になると、勢いよく入江を突っ切っていった。(p.329)

この 「灰褐色」 は greyish-brown である。いずれも単純な grey ではないけれど、しかし灰色であることに気がつく。
緑と灰色の対比はカーマイケルとラムジー夫人によってもあらわされる。

 一度ラムジー夫妻の話題になり、バンクスさんが最初に夫人に会った時
 の話になったことがある――あの人はグレーの帽子をかぶっていて、せ
 いぜい十九か二十歳 [はたち] くらいだったはずです。目を見張るほど
 美しい人でしたよ。(p.342)

 確かに夫人はそこに腰を下ろして、物思いにふけっていた (その日はグ
 レーの装いだったそうだ)。(p.343)

灰色のラムジー夫人に対し、カーマイケルは緑である。彼は前出の引用 (p.19) と同じように半覚醒のなかにいる。ラムジー夫人 (ラムジー氏も) が実利の人であるのに対し、カーマイケルは夢のなかの人である。

 彼女の思いは自らの意志とは裏腹に、いつの間にか表面に浮かび上がり、
 気がつくと絵の世界から半ば抜け出して、まるで現実ではないものでも
 見るように、少しまぶしそうな目でカーマイケル氏を見ていた。彼はお
 なかの上で両手を組んで、椅子に長々と寝そべり、読書するでもなく、
 眠るでもなく、ただ存在そのものを堪能した生き物のように日なたぼっ
 こをしていた。本は横の芝生の上に落ちたままだった。
 リリーはすぐにでも彼のところへ行って、「カーマイケルさん!」 と呼
 びかけてみたかった。そうすれば彼はいつものとおり、靄 [もや] がか
 かってぼやけたような緑色の目で、優しく見上げてくれたことだろう。
 (p.344)

ただ、だからといって緑と灰色がそれぞれを象徴しているわけではない。これは象徴主義の小説ではない。しかしそのように畳みかけることによって、ある種の、一定のムードを作り出している。
淡いパステルを思わせる色彩はポーンスフォルトの絵のように優しげな明るさを示しているのだろうか。どうもそうではない。明るい陽差しのなかにも、賑わう晩餐のなかにも何か冷たい表情が差し込まれる。それは冷静で、好意的でもなく否定的でもない。そのように繋留され定着されたような幾つものシーンのムードを主導するのが緑と灰色という色である。
もしも緑という色が担っている連想の根源に位置するものがあるとすれば、それはカーマイケルの瞳である。彼の瞳は、儚さというより幽明な何かを指し示す。それは繰り返し、彼の客観的外見となって形容される。

 そうすれば彼はいつものとおり、靄 [もや] がかかってぼやけたような
 緑色の目で、(p.344)

 Then he would look up benevolently as always, from his smoky
 vague green eyes. (E: p.193)

緑と灰色の、pale な、蒼白な色合いに対比していると思われるのは闇の黒である。それはどんな色よりも強い。第2部の、崩れゆく家の描写のなかでそれは支配的だ。

 こうしてランプが消され、月が沈むと、細かい雨が屋根を叩きだし、巨
 大な暗闇 [ダークネス] があたり一面にくまなく降り注ぎ始めた。この
 洪水、この闇の蔓延を免れるものがあるとは思えなかった。それは鍵穴
 や割れ目から忍び込み、窓のブラインドをくぐり抜け、寝室に入ってき
 ては、こちらで水差しや水盤、あちらで赤や黄色のダリアの花瓶、その
 向こうではまた大きな箪笥 [たんす] の鋭い角やどっしりとした姿をま
 るごと呑み込んでいた。(p.240)

闇の黒は鮮やかな赤や黄色までもすべて塗りつぶす。突然、出現する箪笥の鋭い角という描写がアンチロマンのようで不思議な感触を生み出す。
では暗闇は、失意であり虚無であり死をさしているのだろうか。暗闇はまた夜の長さと深さであり、それもまた死を想起させる。

 それにしても、一晩とは結局何なのか? わずかな空隙 [スペース] にす
 ぎない。とりわけ暗闇がすぐに薄れ、ほどなく鳥が歌い、雄鶏 [おんど
 り] が鳴きだし、ちょうど風にひるがえる木の葉のように、波のくぼみ
 の淡い緑色が、みるみる生気を帯び始めるような時には。しかし、やが
 て夜が夜に続くようになる。来たるべき冬は多数の夜を貯えているよう
 で、その疲れを知らぬ指先で、毎日平等にかつ均等に、それを配り続け
 ていく。夜は徐々に長くなり、徐々に暗さを増し始める。(p.243)

この部分の 「波のくぼみの淡い緑色」 は、明るい生のイメージであり、しかしそれも冬の、夜の闇に塗り込められてゆく。「しかし、やがて夜が夜に続くようになる」 (Night, however, succeeds to night) という表現が美しい。
そして夜の闇は、次の、ラムジー夫人の急な死と廊下をよろめき歩くラムジー氏の描写の伏線である。巨大な暗闇 (immense darkness) のなかでは、ラムジー夫人の死もまた卑小なものでしかない。

さて、では波の緑は明るい生のイメージかというと、そうとは限らない。正反対の描写が存在する。それは第3部で、灯台へ向かう舟に乗っているキャムが見る波から湧き起こる幻想である。

 船べりに垂らした彼女の手は波を切り、心の中で緑の渦や縞 [しま] をい
 ろいろな模様に織り上げているうち、次第に心は屍衣をまとったように
 麻痺して、想像の中で白い小枝に真珠が群がる海底の世界をさ迷い始め
 た。そこでは緑の薄明りの中で心の全体に変化が起こり、身体もまた緑
 の上っ張りにくるまれて半透明に輝く存在となっていた。(p.355)

hoary (p.23) という色の形容が白でも灰色でもあるとすれば、「緑の波」 と 「白い小枝」 という色の対比は、今までに出現してきた緑と灰色の対比と近似である印象がある。
そして海に入れた手の感覚が次第に麻痺して、そのことが幻想を生み出す様子は死のイメージに近い。つまり繰り返しあらわれてきた緑と灰色 (特に緑) という色が、ここに来て突然、意味を持つように感じられるのである。やはりそれは積み重ねられた象徴としての色彩なのだろうか。

ウルフの使う特徴的な言葉についてはどうだろうか。訳者の御輿哲也はあとがきで、注目すべき言葉として space や vision をあげている。前出引用 (p.243) にも 「一晩とは……わずかな空隙 [スペース] にすぎない」 という表現が見られるが、御輿訳はこのようにルビ付きにしてその言葉の印象を強く与えようとする方針に思える。

 たとえば “space” (「空間」 「空白」 など) や “vision” (「幻影」 「見方」 な
 ど) といった物語展開の要諦をなす言葉については、これをことさら多
 様な状況の中に導入することで、そのニュアンスの広がりや奥行の深さ
 に対して、あらためて読者の注意を喚起しようとする。(p.408 あとが
 き)

vision の大半を担っているのはリリー・ブリスコウであり、それはウルフ自身の視点でもある。小説の最終行はリリーの vision に対する認識で閉じられる。

 そう、わたしは自分の見方 [ヴィジョン] をつかんだわ。(p.406)

 I have had my vision. (E: p.226)

ラムジー夫人はリリーの絵画に対してその価値を認めていなかった。つまりリリーとラムジー夫人の絵画に対する判断基準としての vision は異なるのである。しかしリリーはラムジー夫人のそうした vision にひるむことはなかった。そしてラムジー夫人がこの世にいなくなった後、リリーは別荘でラムジー夫人の vision (幻影) を見るのである。

 「ラムジー夫人! ラムジー夫人!」 かつての恐怖――求めても求めて
 も得られないことの苦痛――が舞い戻った気がして、思わずリリーは叫
 んだ。あなたはまだわたしにこんな苦しみを与えるつもりなのですか?
 すると、まるで夫人が遠慮してくれたかのように、その苦痛自体がおだ
 やかに普通の体験の一部となり、椅子やテーブルと同じレベルのものに
 なった。ラムジー夫人は――これもリリーに対する優しさの一端なのだ
 ろう――いかにも事もなげに、以前のように客間の椅子にすわり、編針
 を左右に動かしながら赤茶色の靴下を編んでいて、踏み段には彼女の淡
 い影 [シャドー] が落ちていた。そう、確かにそこに夫人はすわってい
 た。(p.393)

実体はないのに気配が存在する、と感じたのがリリーの vision であり、オカルトでなく、そのとききっとラムジー夫人は存在していたのだ。
絵画というのは仮のジャンルに過ぎず、それを文学という言葉に置き換えれば、言うべきことはウルフの文学に対する矜恃であり、ウルフ自身の vision である。矜恃は同時に恐怖や苦痛をも伴う。

 いつだって (それが彼女の性格によるのか、女性一般に当てはまること
 なのかわからなかったが)、日常生活の流動性の世界から絵画という集
 中性の世界へと気持ちを切り換えようとする時、ほんの短い間ながら、
 自分が無防備にむき出しにされたような思いがした。まるで未だ生まれ
 ず、肉体を持たぬ魂にも似て、強風の吹きすさぶ断崖の上で、身を守る
 術 [すべ] もなくあらゆる疑問の嵐にさらされているような感じだ。だ
 としたらなぜ、そうまでして絵を描くのだろう? (p.306)

ウルフの文学観は絵画に仮託され、ナマの状態で出てくることがない。では文学的エピソードとして出現するのは何か? 小説というジャンルのかわりに、アナロジーとして出現するのが朗読という姿で見せる詩作品である。そのなかで最も印象的なものはチャールズ・エルトンの詩 「ルリアナ・ルリリー」 である。

 出ておいで、庭の小径 [こみち] をのぼって
  ルリアナ、ルリリー
 バラは盛りの花を咲かせ、黄蜂は辺りを忙しく舞う (p.208)

その詩は、晩餐会の喧噪のなかから映画のシークェンスのように立ち上がる。情景と何らかの関係性があるわけではない。それ自体が何らかの暗示であるわけでもない。まるで何かの呪文のように、いや、呪文というような重いものでなく、もっと何か軽やかな音楽のように、言葉は語られる。
ルリアナ・ルリリー (Luriana Lurilee) という L と R を多く使った固有名詞。ルリリーという音から連想するのはリリー・ブリスコウ (Lily Briscoe) のファースト・ネームであるリリーだ。また 「バラは盛りの花を咲かせ」 の部分は〈The China rose is all abloom〉(E: p.120) であり、China rose という言葉はリリーの目を形容する言葉 「小さな切れ上がった目 [チャイニーズ・アイ]」 (p.31)〈her little Chinese eyes〉(E: p.21) と呼応する。
そしてエルトンの詩であるのにもかかわらず、そこから醸し出されるのは、オーガスタス・カーマイケルの緑の瞳を透した世界であり (つまりカーマイケルの咀嚼したものであり)、映像的でありながら、具体的なイメージを結びにくい一種の謎である。
音楽的な抽象性に満ちていて、何ものをも具体的に指し示さない。

それはラムジー夫人のこだわる晩餐会の料理の出来とか、編み物とか、さらにはミンタの失くしたおばあさんのブローチとか、タンズリーがけなすジェイン・オースティンといった日常性の俗なものの集積と対立する概念でありながら、それらの具体性をかえって際立たせる言葉として作用する。


ヴァージニア・ウルフ/灯台へ (岩波書店)
灯台へ (岩波文庫)




Stephen David Daldry/The Hours (2002) trailer
邦題:めぐりあう時間たち
ヴァージニア・ウルフ役:ニコール・キッドマン
https://www.youtube.com/watch?v=gbc7jtmuOJM
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山岸凉子展に行く [コミック]

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山岸凉子/アラベスク

ときどき降る雨の中、根津の弥生美術館で開催されている山岸凉子展に行く。雨なのだけれど12月にしては異常に暑い日。今年の天候はどこかおかしい。

山岸凉子といえば、もっとも有名な作品は『日出処の天子』であって、ざっくりと書いてしまえば聖徳太子 (厩戸王子) が美少年の超能力者であって、しかもLGBTであるという24年組の基本形であるBL系のマンガである。と書いたら、ざっくり過ぎるゎ! と、きっとお叱りを受けるだろうけれど。
それともうひとつ、怖い系の短編があって、ハーピーとかメデュウサといったいわゆる魔物の話もあるのだが、そうしたなかで、やはり精神的な部分での怖さを描いた 「天人唐草」 が最も有名だろう (「天人唐草」 についてはすでに橋本治の記事で簡単に書いた→2016年09月10日ブログ)。

ポスターなどのパブリッシングにおいても厩戸イチオシであって、この黒バックの扉絵は完璧である (『LaLa』1980年5月号扉)。
だが、展示作品を見ていての私の感想としてあえて言ってしまえば、山岸にとって最も重要な作品は『アラベスク』だと思う。というより今まで『アラベスク』を過小評価していたというのが本音のところだ。

『アラベスク』はバレエ・マンガで、しかしそれを描いた当時、バレエ・マンガの流行があってそれがもう過ぎてしまっていた頃で、編集者からは 「何をいまさらバレエ?」 と言われたりしたのだという。しかし山岸は 「トゥシューズに画鋲を入れて意地悪をする」 ようなレヴェルのバレエ・マンガではないバレエ・マンガを描きたいという意欲を見せて連載を始めたのだとのことである。当初、短期連載だったはずが、読者からの人気によって長期の作品となった。
たとえば二ノ宮知子の『のだめカンタービレ』はある程度のクォリティを持った初めての音楽マンガと言ってよいと思う。しかし、のだめは21世紀になってからの作品であって、つまりそこに達するまでには長い時間がかかっているのである。
しかし『アラベスク』が連載を始めたのは1971年であって、1971年というときにこうした作品を描き始めたというのは今から振り返れば驚くべき先進性である。ちなみに24年組では、萩尾望都の1971年作品というと 「小夜の縫うゆかた」 であり、大島弓子はやっと1972年に 「雨の音がきこえる」 である。竹宮惠子の1971年は 「空がすき!」 であって、商業的には最も早く成功しているが、多分に既存のマンガの傾向を残しているように思える (でも個人的には、タグ・パリジャンが竹宮作品の中で一番好きなのだけれど)。

『アラベスク』を一種のスポコン・マンガと捉えることも可能ではあるけれど、でも『巨人の星』(1966-1971) とは全然違うし『おれは鉄兵』(1973-1980) とも違う。「芸事」 ということから分類すれば『ガラスの仮面』(1976-) があるが、『ガラスの仮面』のストーリー設定はやはり伝統的なスポコンであるし、時間が相対論的に延々と伸びていくところは水島新司の『ドカベン』(1972-1981) と同じである。
つまり『巨人の星』や『ガラスの仮面』は基本が根性論であるが、『アラベスク』はそうではない。また、ちばてつやにはたとえば『テレビ天使』(1968) があるが、『テレビ天使』も『おれは鉄兵』もその根底にあるのは根性論とは無縁なバガボンド的思想である。その最も典型的な作品が 「螢三七子」 (1972) である。

そうした比較のなかにおける視点においての『アラベスク』はほとんど孤高の作品であり、最近は判型の大きめなコミックスで出し直されていることでもあるし、山岸のバレエに対する造詣から来る冷たい集中力と熱気のようなものを改めて読んでみたいと思った。もちろん『舞姫 テレプシコーラ』もそれに付随するが、このところ読んでいなかった最近作にも俄然興味が湧いてきたところだ。
「アラベスク」『花とゆめ』1975年12号扉絵は私の最も気に入ったモノクロの作品で、山岸本人も言っているようにビアズリーの影響を感じる。それでいて髪の毛の描写はビアズリーを超える。ミュシャでなくビアズリーだった、とのことだがミュシャふうな輪郭線の作品もあった。
私が最初にまじめに読んだ山岸作品はたしか『妖精王』だったが、そのクイーン・マブの雑誌表紙絵 (『プチフラワー』78年7月号表紙) も展示されていた。大人っぽくて、完全に少女マンガという枠組からは逸脱している。

展覧会の解説によれば、山岸もごく初期の頃は丸っこい顔の少女を描いていて、それはその時代に仕方なく迎合していたのだが、この絵では私は描けないと思い、ごつごつととがった鼻や顎の絵に移行したがそれはものすごい不評の嵐だったとのことである。でも山岸は自分が良いとすることは曲げなかった、という点でアヴァンギャルドでありそれが現在までの彼女をかたちづくっているのだといえる。

色彩的にもごく渋い色合いの絵が多いが、それは映画でいうところのアグファカラーに通じる部分がある。また和風な色彩に対する感覚も巧みであり、原画は4色分解で割り切られてしまうきらきらした色よりももっと微妙な肌合いを持っている。
展示会の途中で、展示替えがあったそうだが、これらの作品は色褪せてしまうので、できるだけ展示しないのが望ましい。でもそれでは見たい者にとっては困るのだけれど。

弥生美術館は大きく立派な公営の美術館と較べればごく小さくて質素であるが、その美に対する姿勢にうたれる。そうした情熱こそが芸術の理解には常に必要とされるように思う。


弥生美術館/竹久夢二美術館
山岸凉子展 「光 -てらす-」
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/yayoi/exhibition/now.html

山岸凉子画集 光 (河出書房新社)
山岸凉子画集:光

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加藤和彦のこと [音楽]

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加藤和彦のことを私はあまりよく知らない。知らないのだけれど、何かいつも肝心なときにその名前に巡り会う。それは不思議だ。もっとも長い芸歴があるのだから当然なのかもしれない。

週末。せっかく飲み会があったのに疲労してしまって、行くのを断念した。それであてどもなくYouTubeで昔なつかしい曲を渡り歩いたりしていた。きりがないし、よけい疲労するだけなのに。そんなふうにして加藤和彦を聴く。

以前、加藤和彦のヨーロッパ三部作というのが書籍の流通として出ていて、でも買ったのに開封していなかったりする。初めて買ったアルバムはたしか《ヴェネツィア》だったと思うが、今、CDショップのリストを見ると廃盤になっていたりする。
愛聴するというほどの思い込みのあるディスクではなくて、ふと思い出したときに何度も聴いて、また記憶の砂のなかに埋もれてしまうような、でも決して忘れない、そういう印象がある。

何となく鼻持ちならないような、でもとても寂しい風景が通り過ぎたりするような (それが彼の心底にある心象風景なのかもしれないが)、それでいて音楽界のドンだったような、幾つもの顔が浮かんでくるがそれらは皆、加藤和彦なのだ。

たとえば、以前にも書いたが、大貫妙子の《romantique》の〈果てなき慕情〉は加藤でなければ出せなかった情緒であるし、あるいは同じ大貫の《Aventure》の〈ブリーカーストリートの青春〉とか、ちわきまゆみの《Gloria》の〈Be My Angel〉などは、加藤の解釈したブリティッシュなのだと思う。これらの曲のなつかしさのようなテイストは、いつになっても古びない。

でも、よく知らないのでもちろんサディスティック・ミカ・バンドのことは伝説の範囲でしか知らない。先進的でありながら遊びがあって、そのしなやかさとかフラクタルな部分が加藤和彦のバンドとしての魅力だったのかもしれない。
ミカ・バンドの最後はヴォーカルが木村カエラだったが、その最後のバンドからもうすぐ10年が経とうとしている。10年ひとむかしとか、10年目の毬絵とか、すぐに連想するボキャブラリーがあるけれど、あと10年経ったら 「あれから20年!」 になるわけで、その連想を働かせるのだけは避けたい。

YouTubeを見ていると加藤和彦抜きの1997年ミカ・バンドというのがあって、そのほうがリズムもタイトなのだが、少し好々爺然としてしまっている加藤和彦の率いるNHKホールのミカ・バンドはなにごとにも代えがたい。それにこの頃の木村カエラは一番いきいきとしているように感じられる。それもすでに10年ひとむかしなのだ、と言われればそれまでなのだが。
この日のNHKホールの異常なテンションの空気感を私はずっと忘れないだろう。たった一度のミカ・バンドのライヴが最後のミカ・バンドになってしまったのは残念だが、ひとの記憶にそのときが残る限り、それは永遠に生き続ける。


加藤和彦/ベル・エキセントリック (オーマガトキ)
ベル・エキセントリック(紙ジャケット仕様)




タイムマシンにおねがい (NHKホール 2007.3.8.)
https://www.youtube.com/watch?v=fssgiDe7saY
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ポゴレリチを聴く [音楽]

pogorelich_161214.jpg
Ivo Pogorelich

サントリーホールのイーヴォ・ポゴレリッチのピアノ・リサイタルに行く。今回の来日での東京公演はこのソロ1回と読響とのコンチェルトのみである。久しぶりのサントリーホールだったので行き方を忘れてしまった。12月らしい冷たい風が吹いている。
少し早く着き過ぎてしまったのでサブウェイでサンドイッチを食べてから、すでに人の多くなりはじめたホール正面で待っていた。やがて入場時間を報せる凝った仕掛けのオルゴールが鳴る (パイプ・オルゴールというのだそうだ。いつもギリギリに行くのでこんなのがあること知らなかった→下記に動画リンクあり)。

ホールに入ると、カジュアルな服装で帽子をかぶったサッカー選手みたいなヘンなニイチャンがホール中央のピアノをぐにゅぐにゅと弾いて練習していた。それがポゴレリッチ本人であった。そのことはすでに過去の情報で知っていたが、あ、ホントだ、と思ってちょっとびっくり。
演奏曲目は次の通りである。

 ショパン:バラード第2番ヘ長調 op.38
 ショパン:スケルツォ第3番嬰ハ短調 op.39
 シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化 op.26
  〈休憩〉
 モーツァルト:幻想曲ハ短調 K475
 ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調 op.36
  〈アンコール〉
 シベリウス:悲しきワルツ op.44

前日に一応、予習をしておこうと思ったのだが、ともかくポゴレリッチはCDを出していない。ここ20年間、まともなリリースが無いのだ。DGの《Complete Recordings》を持っているのだが、かろうじて最初のショパン集 (1981年) と最後のスケルツォ集 (1995年) におけるスケルツォくらいきりない。それで予習は断念。行き当たりばったりでいこう。
ポゴレリチといえば、あまりにも遅い演奏速度というのがいつも話題になる。招聘元のカジモトのサイトにおけるインタヴューでもそのことについて触れられていた。長いけれど引用してみよう。

 ──最後にひとつ、あなたの機嫌を損ねるかもしれない質問をしたいと
 思います。聴衆の中には、その作品の一般的な録音とあまりにも違う演
 奏速度を受け入れられない人もいます。とくに遅い速度は……。そのよ
 うな聴衆に、あなたの速度の道理をどのように説明したらいいのでしょ
 うか?

 音にはそれぞれ必要とする長さがあり、音楽にはそれぞれの性格があり
 ます。音は音楽の性格、コンサートホールの空間、演奏するピアノに
 よって変わります。音の問題は空間の問題であり、その空間に対応する
 音量の問題だと私は考えています。たとえば私は録音をするとき、空間
 に対する自身の態度を変えます。私が最も気を配るのは、マイクにどの
 ような音が取り込まれるかということだからです。ですから、録音する
 ときの演奏はステージでの演奏ほど自由ではなくなります。とくに速度
 ……、実は私はこの言葉が嫌いなんです。私にとってのそれは、単なる
 「速度」(speed)はではなく、「脈動」(pulse)という意味が含まれてい
 ます。生の演奏では、音の長さや空間の中での伝達を、より自由に、よ
 り多彩に、より個性的に、より生き生きと表現できます。録音スタジオ、
 コンサートホール、屋外のステージ、場所によって演奏は変わり、それ
 ぞれに理由があります。

グールドがコンサートホールを嫌ってスタジオに籠もったのと逆に、ポゴレリッチはスタジオに籠もるのが嫌いのようだ。だが相反するようでいて、この2人には何か共通したにおいが感じられる。

ステージに登場したポゴレリチは深々と頭を下げる。楽譜を持っていて譜めくりの女性が左横に座る。ショパンは表紙が灰青色なのでヘンレだと思われる。
バラード第2番。出だしのAndantinoの部分は、やや遅いかもしれないが、まぁこんなもん、という感じでそんなに違和感はない。この部分は単調で平穏な繰り返しのように思えて、ところどころに悪魔のひそむ構成。この不安感の醸しだしかたはショパン特有のものだ。
Andantino後半になって、繰り返しのリズムだけだった左手がいままでと異なる低音の旋律を弾き出す。その部分がぐぐっと強調される。おいおい、と思うのだが、なるほどこれがポゴレリチか、とも思う。
狂乱の嵐のプレストになってもめくるめく速さはなくて、でも確実に右手は速いパッセージ。そして左手から出てくる重量感がすごい。全体の重心が低くなっているのが感じられる。それはスケルツォ第3番でも同じであった。重く沈んで、低いほうに傾いていく音。
予習していったスケルツォは簡単に蹴散らされてしまう。CDに収録されているのは、優れたテクニックだけれど、ごく普通のスケルツォだが、このナマ演奏のスケルツォはまるで異なる。ともかく低音部の音が優勢で、私が聴いていた席は左のほうなので、高音は指向性があるので、こちらに届かないのかもしれない、と思ったほどである。

バラード第2番とスケルツォ第3番は1839年に連続して作られた曲で、だから作品番号も38、39と続いているが、そのバラード第2番はシューマンに献呈されている。ということで、2曲のショパンの後にシューマンというプログラム・ビルディングになっているのだろう。シューマンの《ウィーンの謝肉祭の道化》は1839年から1840年にかけて作曲されているので、歴史的時間におけるシューマンからショパンへの応答でもある。
全5曲から構成されているが、Allegro (変ロ長調)、Romanze (ト短調)、Scherzino (変ロ長調)、Intermezzo (変ホ短調)、Finale (変ロ長調) からなり、変ロ長調という調性が優勢である。
この曲をポゴレリチは重く強く、まるでベートーヴェンのように弾いた。シューマンはまだ過小評価されているとポゴレリチは述べているがそれは全くその通りだと思う。
シューマンの音はベートーヴェンより後発である分、より緻密であり、この曲でも十分に幻想的である。それにこの曲のサブタイトルは 「幻想的絵画」 である。

休憩後のモーツァルトも、暗鬱で不安で、ときとしてベートーヴェンのような激情を伴った曲。このハ短調の幻想曲K475は4曲ある幻想曲の最後、第4番である。ピアノ・ソナタ第14番ハ短調K457とのセットで演奏されることが多いというが、K475の後にパートナーのK457は来ず、かわりのようにラフマニノフのソナタが続くプログラムにしている。たぶん、わざとそのようにしたのだろう。そしてK457は、あのK310と並ぶ短調のソナタなのである。楽譜はウィーン原典版を用いていた。
モーツァルトの幻想曲は自由に展開してゆくといえば聞こえがいいが、ある意味奔放でエキセントリックであり、もっといえばメチャクチャだ。こういう曲構造はモーツァルトの当時許されたのだろうか。
こうしたモーツァルトのアヴァンギャルド性に影響を受けたのがベートーヴェンであり、そしてそのベートーヴェン的テイストだったのが、シューマンの《ウィーンの謝肉祭の道化》であり、というふうにポゴレリチは関連づけて考えているのだろうと想像する。
幻想曲K475は5つの部分に分かれているが、それは《ウィーンの謝肉祭の道化》の5曲と呼応する。もちろん、共に幻想的という意味でも。

だからといってポゴレリチの演奏は全てが暗く重いわけではない。シューマンやモーツァルトでは、ごくやわらかで明るく、どんな影も作りえないような瞬間が何度かあった。ショパンの2曲では低音のパルスが支配的で高音が聴き取りにくかった傾向があったが、シューマンやモーツァルトではバランスは改善され、しかも鍵盤を強打しても音が割れることはない。だからといってモーツァルトの明るさは天使のような無垢の明るさではなく、瞬間的にあらわれる陽光のように、なにかの錯覚なのかもしれないという漠然とした疑問を残して通り過ぎる。
圧倒的なのはフォルテシモとピアニシモのコントロールで、いきなりピアニシモになると、弱音器でも付けているか、それともヴォリュームを突然絞ったかのようにフッと音量が落ちる。もちろんアコースティク楽器なのだからそれはあり得ない。おそろしくダイナミックレンジが広い、そんな感じだ。

最後に置かれたラフマニノフのソナタ第2番は、第2番という番号も変ロ短調という調性もショパンと同じだ。おそらくショパンへのラフマニノフのリスペクトが反映されているように思える。
そしてプログラム的に見れば、前半のシューマンの変ロ長調に対する変ロ短調という対比でもある。
ラフマニノフに対するポゴレリチのピアニズムは、やや今までとは異なっていて、メカニックな表情があらわれるときがあった。ただそれはラフマニノフが最も近代曲であるための印象に過ぎないのかもしれない。低音部を強奏するのは同じであるが、ラフマニノフの場合はそれがより自然に聞こえる。
かつてのラフマニノフ流行の際のピアノ・コンチェルトは、不倫ドラマのBGMのような趣があったが、そうしたラフマニノフはやっと死に絶えたように思える。

アンコールの《悲しきワルツ》は最近、やや食傷気味のシベリウスであるが、ここでもポゴレリチは長い持続力を途切れさせないままで、その遅過ぎるといわれるスピード感を貫いていた。それにアンコールで《悲しきワルツ》という選択は尋常ではない。
比喩としておかしいかもしれないが、大型バイクでもっとも難しいのは、ごく低速で走行することである。ポゴレリチの遅いといわれる演奏速度にはそれと似通った意味合いがある。高速で弾き飛ばせばいいところを緻密に正確に弾くのには勇気がいる。

演奏会終了後のサイン会は長蛇の列だったが、ポゴレリチはまた変なサッカー選手みたいな恰好に戻っていて、サインを書き飛ばしていた。サイン会は重要ですよね。確実な収入源だし。

〈追加〉
昨夜の読響とのラフマニノフ、残念ながら行けなかったが、ツイッターを見てると意外にもそんなにボロボロではない。まぁ、音楽なんてそんなものかも。ダークサイドのラフマニノフというコメントには笑いました。


Ivo Pogorelich Complete Recordings (Deutsche Grammophon)
Various: Complete Recordings




Ivo Pogorelich/Chopin: Ballade No.2 (Chopin Competition 1980)
https://www.youtube.com/watch?v=wTpeMgEs0CU

サントリーホールのパイプオルゴール
https://www.youtube.com/watch?v=KXNBRPV_teI
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1981年のマイルス — 福岡サンパレス・ライヴ [音楽]

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MIles Davis (1981)

マイルス・デイヴィスにとって1981年という年は《Agharta》《Pangaea》という1975年の日本公演でのライヴ後、引退した状態だったのだが、そこから6年ぶりに復活した年である。
スタジオ・アルバムでいえば1981年は《The Man with the Horn》であるが、それに収録された曲を中心とした日本公演を行った時期でもあり、そしてその公演が非常に顰蹙をかったことでも有名である。

1981年の10月4日には、東京・新宿西口広場にてコンサートが行われたと記録されているが、これは東京都庁ができる前の場所、つまり空き地であった。しかしマイルスの体調は非常に悪く、これで復活なのか? まだ休んでいたほうがよかったのでは? というような状態で、またパーソネルも当時ほとんど無名のメンバーであって、急造の野外の会場ということと併せて、いまだに悪名高いライヴだったというのが一種の伝説として残っている。

先に書いたマイルスのHI Hat盤の一連のブートのなかに、この日本ツアーの様子が収録されている。それは福岡サンパレスでの録音で、前述の新宿西口のライヴが10月4日、その後、10月8日に名古屋でライヴを行い、この福岡は10月11日である。

音はモノラルであるが、そんなに悪くない。そして動画サイトなどで見ることのできる新宿に較べるとこの福岡のほうが多少良いように感じられる。マイルスの調子もそうだし、サックスのビル・エヴァンス、ギターのマイク・スターンという、マイルスのファンからはあまり良い評判を得られないサイドメンの演奏も比較的ストレートで聴かせる部分がある。

というより、ズバリ言ってしまうと、アガルタ&パンゲアを最高というファンが結構多いのだが、そうした世評ほどアガパンが良いのか? というのが素朴な私の疑問なのである。つまりアガパンは一般的に高評価されているほど良くはないし、逆に1981年は一般的に低評価されているほど悪くはない、と感じるのだ。
この1981年の復活バンドの評価がなぜ低いのは一聴してみてすぐにわかった。すごく簡単に言うのなら音がソフィスティケートされていて抽象的過ぎるのである。だからわかりにくい。フュージョンのような見掛けでありながらそうでもなく、指だけは回るのだが心が伴わないというような解釈がされているのだろう。
でも逆に私の感想としていうのならアガルタ&パンゲアはファンク過ぎるのである。マイルスがアガルタ&パンゲアで一度止まってしまったのは、自身の健康状態のこともその理由のひとつなのかもしれないが、ファンクの先の見通しが立たなかったからなのではないだろうか。行くところまで行ってみたら崖だったということだ。

そして比較的状態のよい福岡サンパレスの演奏を聴いてから、新宿西口の演奏に戻ってみると、これだってそんなに悪くはない、というのが素直な感覚である。新宿のライヴが悪くいわれるのは当日の警備上の悪さとか、臨時に設営された会場の不備とか、そういうロケーションとしてのマイナス要因が実際に行ったリスナーの記憶のなかに重なっているのではないかと思う。
ただ、福岡のライヴと較べると新宿のライヴは、ビル・エヴァンス、マイク・スターン共にそのソロのクォリティがいまひとつ冴えないようにも思う。

マイルスはこの1981年からほぼ10年間活動し1991年に亡くなるが、冷静に考えれば健康を損なった以後の演奏には全盛期の生彩はない。つまり《The Man with the Horn》以降、そしてワーナーに移籍してからのリリース作品はある程度割引して聴くしかないのである。それは帝王の残滓であると同時に、ジャズがフュージョンという形式を取り入れ、あるいは分化していった過程で、その中途半端さのなかに取り残されてしまったような印象も受けてしまう。
それらのワーナーにおける作品は昨年《Last Word》としてまとめられたが、そのタイトル通り、それは彼の最後の言葉であり歌であった。繰り返し聴くに耐えるようなクォリティの作品は無いが、だからそれが何だというのだ、とマイルスは言うのかもしれない。
So What ? と。

      *

柳瀬尚紀訳の『ユリシーズ』を買ってきた。1-12という表記が悲しい。柳瀬先生付きのジュスマイヤーはいないのか?


Miles Davis/Sun Palace, Fukuoka (Hi Hat)
Sun Palace, Fukuoka, Japan Oct




Live in 福岡 1981.10.11 part 1
https://www.youtube.com/watch?v=zK29ktmewVA
Live in 福岡 1981.10.11 part 2
https://www.youtube.com/watch?v=Tj0vzXoIdxo&t=18s
Live in 名古屋 1981.10.09. part 1
https://www.youtube.com/watch?v=nWRaGN5g17A
Live in 名古屋 1981.10.09. part 2
https://www.youtube.com/watch?v=l3OIrZ35T0Y
Live in 東京 (新宿西口広場) 1981.10.04 [動画]
https://www.youtube.com/watch?v=LRbdNI70IqA

ジェイムズ・ジョイス/ユリシーズ1−12 (河出書房新社)
ユリシーズ1-12

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immense darkness ― ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』 [本]

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Virginia Woolf (1927)

ともすると 「意識の流れ」 (Stream of consciousness) という表現には、連想が連想を生み、心のたゆたうままに、時としてルーズに、草書体風に続いてゆくような印象がある。でも、そうだとすれば『灯台へ』は、よく言われているような 「意識の流れ」 的手法で書かれてはいない。そのように見せかけて、決して厳格ではないけれど、周到に構成された骨格を備えている。これは極めて技巧的な作品に他ならない。
シュルレアリスムの 「自動記述」 が言葉のあやであるように (と私は思っている)、「意識の流れ」 も、意識を意識の流れにまかせているのではなく、意識して意識の流れを作っている手法なのだ。

ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』(To the Lighthouse, 1927) は、彼女の幼年期/少女期の回想を反映させた作品と言われている。登場人物のラムジー夫妻と8人の子どもたちは、ウルフの家族と同じ構成である。
家族は毎夏、コーンウォルのセント・アイヴス湾にあるタランド・ハウスという別荘を借りて過ごした。何人か客人もいた。そこからはゴドレヴィ島の灯台が見えた。そうした両親との夏の記憶が、場所こそ変えられているが、物語のなかに色濃く投影されている。

ウルフの実際の両親であるレズリー・スティーヴンとジュリア・ダックワースは共に再婚で、それぞれに連れ子があり、そして2人の間に新たに子どもができて、合計8人となった。ウルフは夫妻の間にできた3番目の子どもである。
文芸評論家で哲学者であった父親と、ヴィクトリア朝的良妻賢母であった母親がラムジー夫妻のモデルであり、つまり翻訳者・御輿哲也の書くようにこの作品はその両親へのレクイエムなのである。

第1部 「窓」 は幼い頃の別荘の一日の出来事 (舞台設定はスコットランドのヘブリディーズ諸島という場所になっている) で、幼いジェイムズは明日、灯台に行きたいと思っているのだが天候が悪く果たせない。そして夜、家族と別荘に来ている客人たちが晩餐会をする様子が描かれる (ジェイムズはヴァージニアの1歳年下の弟、エイドリアンをモデルにしているといわれる)。
第3部 「灯台」 はそれから10年経った一日、成長したジェイムズが父や姉とともについに灯台に行くことが描かれている。目立って起こる事件はそれだけだ。ほとんど何も起こらないといってもよい。

その間にはさまれた第2部 「時はゆく」 (Time Passes) は interlude であり、第1部と第3部の間の10年間が詩的な文体で記述される。主人公は人がいなくなり荒れ果ててゆく別荘=家 (the house) である。
ラムジー夫人は突然のように死に、娘のひとり、プルーも結婚した後、早々に死ぬ。しかし最も劇的な事件であるはずのそうした死の情景はほとんど語られない。なぜなら、時は人々の上を過ぎてゆくのではなく、家の上を過ぎてゆくのだから。あるいは、主人公は、家にダメージを与えてゆく自然そのものでもある。
第2部は第1部、第3部と較べて最も短い。最も短い文章のなかで最も長い時が語られ、しかも事件として語られるべきことは語られず、そうすることによって前後 (第1部と第3部) の各一日の出来事を際立たせる構造になっている。それはいわば 「永遠」 と 「一日」 の対比のようにも思えるし、時間とは相対的なものであることの証しでもあるし、ウルフのアヴァンギャルドな手法でもある。

ウルフの描くラムジー夫人は、時に専横で押しつけがましいところがあるにせよ、いつも気づかいし、他人のために尽くすという性格の、当時 (ヴィクトリア朝) の典型的母親像である。すべてを尽くしてしまうため、自分に何も残らないことを夫人は知っている。学問的知識はないかもしれないが、存在論的な 「カン」 を夫人は持っている。編み物をする夫人の座っているその位置こそが、夫人の存在を主張していて、それは夫人の死後も、夫人がそこに在るべき位置として残存しているのだ。
ウルフの実際の母ジュリアは、ウルフが13歳の時に急逝する。ラムジー夫人にはウルフの、母に対する冷徹な観察眼と、その愛を渇望していた思慕とかないまぜとなって現出している。母を亡くした衝撃がその後のウルフの精神的な不安定さの最初の引き金となった。

ラムジー氏もまた、ウルフの実際の父親であるレズリー・スティーヴンの面影を映しているのであろう。気難しく、時に独善的であったが、学問に深く沈潜してゆくタイプのレズリーは、しかし不器用にだが子どもたちを愛していたのだと思う。
ウルフは学校には通わず、父からの教育を受けたが、彼女が若い頃から父はその文才を見抜いていた。

しかしこの小説のなかでは、娘たちの中の誰にもウルフらしき面影は反映されていない。ウルフの心象を代弁しているのはリリー・ブリスコウである。彼女は別荘の客のひとりであり、切れ上がった目 (chinese eyes) をしたあまり目立つことのない画家で、熱心に絵を描こうとしているが、ラムジー夫人はリリーの画才を認めていない。
しかし彼女の視点がこの作品のほとんどの骨格を成している。絵を描くという行為のなかに、ウルフは小説を書く苦悩や喜悦をアナロジカルに籠めようとした。ヘルマン・ヘッセの『ロスハルデ』(湖畔のアトリエ) は自立した画家を描いた作品だが、リリーはもっとちっぽけで無名の、試行錯誤を繰り返している画家に過ぎない。
そのリリーの心の移ろいに、ウルフの心象は時に近づき、時に離れて、一人称的であったり三人称的であったりするような、陽の輝きと翳りのような変化を宿している。

(→2016年12月29日ブログにつづく)


ヴァージニア・ウルフ/灯台へ (岩波書店)
灯台へ (岩波文庫)

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