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The European Tour 1961 ― ジョン・コルトレーン《So Many Things》 [音楽]

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Eric Dolphy (1928-1964)

「コルトレーンの Village Vanguard 1961」 (→2016年11月06日ブログ) の続きである。

エリック・ドルフィーを加えたコルトレーン・クインテットはヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴの後、ヨーロッパに出かける。
リストを辿ると、ヴィレッジ・ヴァンガードのセッションが11月01日~03日と05日。その次は2週間ほど空いて、11月18日のパリとなっている。この11月18日から始まるヨーロッパ・ツアーを収録していて、現在一番入手しやすいのが《So Many Things》というアルバムである。収録日と場所はCD記載によれば次の通りである。メディアはCD-Rで音質は最悪である。

1) 1961.11.18. L’Olympia, Paris, France (1st House)
2) 1961.11.18. L’Olympia, Paris, France (2nd House)
3) 1961.11.20. Falkonercentret, Copenhagen, Denmark
4) 1961.11.22. Kultturitano, Helsinki, Finland (2nd House)
5) 1961.11.23. Konserthuset, Stockholm, Sweden (1st House)
6) 1961.11.23. Konserthuset, Stockholm, Sweden (2nd House)

このうち、ヘルシンキでの1stセットというのは収録されていないが、セッション・リストを見てもこの日、2つのセットがあったという記載はない。真偽は不明である。しかしこの《So Many Things》は4枚組のセットだが、コンプリート盤ではないので、1stの録音があるのかもしれない。
音源としてはコペンハーゲンがDenmark Radio、ヘルシンキがYles Radioという表記があるが、いずれもエアチェックか、何かからのコピーなのか、ともかく劣化した音なので、放送音源そのものではないだろう。

内容はほとんど同じ曲の繰り返しである。〈Blue Train〉〈I Want to Talk About You〉〈Naima〉そして〈Impressions〉と〈My Favorite Things〉。この時期は、極端に言えば、来る日も来る日もマイ・フェイヴァリット・シングスだといってもよい。つまりコルトレーンの 「おはこ」 である。マイ・フェイヴァリット・シングスはリチャード・ロジャース作曲の《サウンド・オブ・ミュージック》で使われた曲というよりはJR東海の京都のCM曲といったほうがわかりやすい。

私のアプローチはエリック・ドルフィーからの視点であるので、ドルフィーのセッション・リストを見るとコルトレーンと同じで、11月5日の次は11月18日である。さらに遡ると、ヴィレッジ・ヴァンガードの前は、9月25日のストックホルムにおける、いわゆるストックホルム・セッションであり、10月に演奏した記録はない。

この1961年、ドルフィーには7月16日のファイヴ・スポットのセッションがあるが、その双頭ソロイストであったブッカー・リトルは10月05日に急逝している。といって、リトルが亡くなったから喪に服していたわけでもなくて、たぶん単純に仕事が無かったのだ。
ダウンビートでの人気投票にランクインしたとき、ドルフィーは 「ランクに入ると仕事が増えるのでしょうか?」 と聞いたとのことだ。そこそこに名前は売れてきたが、生活にはずっと不安がつきまとっていたのである。

そして《So Many Things》に収録されているヨーロッパ・ツアーの音であるが、なぜわざわざこんな音質のひどい録音を聴くのかといえば、それは前のブログに書いたように、ヴィレッジ・ヴァンガードのライヴで、ドルフィーはなぜ生気が無いのか、という疑問からである。
まず〈My Favorite Things〉ではドルフィーはいつもフルートを吹いている。おそらくこの曲ではコルトレーンがサックス、ドルフィーがフルートということに決めてあったのだと思われるが、フルートというのはいかにも弱い。
それで次のターゲットというと〈Impressions〉であるが、この曲でドルフィーはアルトを吹いている。上のリストの1、3、4、5で合計4回の〈Impressions〉が収録されている。いずれも比較的よいソロを吹いていて、それはヴィレッジ・ヴァンガードでの演奏とは異なる印象なのだけれど、出だしはよいけれど後半のアイデアが持続しないという傾向が見られる。4や5ではドルフィー特有の跳躍進行によるメロディラインが聞こえるが、それでもやはり後半が枯渇しがちである。コルトレーンがそのソロを引き継ぐと、ずっと流麗でいかにもコルトレーンという音になるのはさすがである。
私の好みでは3が一番良いソロなのではないかと思う。

〈Naima〉や〈Delilah〉といった曲ではドルフィーはバスクラを吹いていて、もっと吹けばいいのにと思うのだが、いまひとつ遠慮があるような気がする。

ひとつの仮説として私は、ドルフィーがコルトレーンに対して影が薄いのは、コルトレーンがイジワルをしてドルフィーに 「オレより目立つなよ」 とでも言ったのかと思っていたのだが、シモスコ&テッパーマンなどを読み返してみたところ、元凶はプロデューサーであるボブ・シールにあるらしいことがわかってきた。つまりコルトレーンはそんなことは言わなかったが、かわりにボブ・シールがドルフィーの良い演奏の部分を、けずってしまったのである。理由としてはおそらくドルフィーがコルトレーンより目立たないように、というので正解なのだと思う。
シモスコ&テッパーマンの翻訳者である間章も、その解説でドルフィーがコルトレーンに対して影が薄いことを書いていたので、やっぱりなあと改めて思った次第である。

ただ、単純にそれだけではなくて、つまりドルフィーは生涯、その音楽を完全に認められることがなかったのだ。それで常に経済的な不安を抱え、安いギャラの仕事に奔走し、そしてまたドルフィーの才能をかってはいたが同時にストレスを与えていたチャーリー・ミンガスのような人とも合わず、結果としてその音楽性を完全に残すことなく孤独なままに死んでしまったのだと思う。
ドルフィーは読譜力も理論にも強かったが、それゆえに器用貧乏となってうまく使われてしまった部分がある。だから逆に、オリヴァー・ネルソンのようなガッチリとしたオーケストレーションのなかで吹くとドルフィーのソロは際立つのである。

ドルフィーはパーカー直系のサックスであり、そんな言い方は以前にはトリッキーな意見として黙殺されていたのかもしれないが、歴史が積み重なるにつれ、だんだんとその流れが理解されつつあるように思う。それはバルトークがバッハに対抗して無伴奏ヴァイオリンを書いたのと同じで、最初はまるで違うもののように邪慳にされていたが、次第にそれが理解されてきたのと似ている。
1961年当時、下にリンクした動画〈My Favorite Things〉のような演奏はアヴァンギャルド過ぎて非ジャズであると非難を浴びた。イギリスでコルトレーンは受け入れられなかった。かつてのストラヴィンスキーのように、芸術とは常に非難のなかから生まれる。


Eric Dolphy/So Many Things (acrobatmusic)
So Many Things: The European Tour 1961




Charles Mingus Septet/Take the A Train
ドルフィーの吹くバス・クラリネット・ソロ
https://www.youtube.com/watch?v=cimpUKVAbY8

John Coltrane Quintet/My Favorite Things
https://www.youtube.com/watch?v=zH3JpqhpkXg

ハンガリーの星の消失 — ゾルタン・コチシュ [音楽]

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Zoltán Kocsis

最初に聴いたコチシュはなんだったろう、と考えてみる。記憶の範囲内では、たぶんバルトークのピアノ・コンチェルトだったのではないかと思う。CDを探してみた。それは西独フィリップス盤の《The Works for Piano & Orchestra》で、3曲のコンチェルトとピアノと〈管弦楽のためのラプソディ〉〈ピアノと管弦楽のためのスケルツォ〉それに〈弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽〉が収録されている。コチシュとフィッシャー、そしてブダペスト・フェスティヴァル・オーケストラ (BFO) で1984~87年の録音である。
まずどれか1枚だけ買って、でもセットのほうが安いので買い直したような記憶があるが違っているかもしれない。ピアノ・コン系の有名曲が揃っているので、まだバルトークを聴き始めた頃の私には、バルトークのピアノはとりあえずこれで間に合っていた。何度も聴いたためなのか単に保管が悪かったのか、今開けてみたら、なぜか盤の表面が汚れたように劣化していた。でも音には支障がないようなのでホッとする。

フィリップス盤は、クリーム色の地で、上に茶色っぽい帯が通っているパッケージ・デザインに統一されていて、タイトル部分が押しつけがましいDG盤よりさりげなくて洒落ていて好きだった。ゾルタン・コチシュ (Zoltán Kocsis) は1984年のとき32歳で、ジャケット写真もロックスターみたいでまだ若い。その前年、イヴァン・フィッシャー (Iván Fischer) とBFOを立ち上げたので、これはその直後の録音である。
今聴いてみても、コチシュ/フィッシャーのコンチェルトはさらっとしていて、メカニックで、カッコイイ。バルトークへのしつこい思い入れみたいな粘着質なものはあまり感じられない。
特に弦チェレは、バルトークの作品のなかで最もポピュラーな曲のひとつであるし、わかりやすいし、キャッチーな音をしている。ちょっとだけオリエンタル、ちょっとだけコケシッシュ、印象的なチェレスタ、たたみかけるスピード、サウンドトラックのような色彩と音の重なり。高踏的に見えて時に通俗なバルトーク。
フィリップス盤のバルトークにはアンタール・ドラティ/コンセルトヘボウの《Concert for Orchestra》などもあり、スタンダードとしてずっと持続してきたように思える。

その後の私がだんだんとバルトークに取り憑かれることになったそのひとつの要因としてこのコチシュのディスクはあると思う。弦楽四重奏も、私が最初にハマッたのは比較的民族色とか感傷的な思い入れとは無縁に思えるパレナンであった。メカニックな音の流れとして聴いてもバルトークは聴けるし、民族性とか幾つものしがらみとか、その国の波乱の歴史を意識した流れで聴いてもバルトークは屹立している。

ハンガリーのフンガロトン盤の演奏は、少しスタイリッシュでなかったり素朴であり過ぎることもあったが、そうした香りも含めてのバルトークであったのだと私は思う。深緑色のボックスのバルトーク全集でその作品のほとんどを聴く。
やがてフンガロトンはBartók New Seriesという新しい録音をスタートさせ、その演奏のメインとなったのがコチシュであった。

しかもコチシュはレパートリーが広くて、ラフマニノフに関しても強いシンパシィを持っていた。彼にとってラフマニノフの複雑な混沌さはそんなに難度の高いものではなかったことが窺い知れる。今見ることのできる動画で確認できるのは、西ヨーロッパと異なる、無骨で時代遅れに見えるけれど、音楽の真実を言い当てているような内装を持ったホールでのハンガリーの音としての輝きである。コチシュのラフマニノフに対する音もバルトークと同じで、官能とか感傷とは無縁の音素材としてのシンプルな構築性を感じる。だがそこにメカニックなアプローチだけを見るのだとするのならば、それはあまりに浅い。

やがてコチシュは次第にピアニストとしてだけでなくコンダクターとしての道を歩み始める。フンガロトンのBartók New Seriesに収められている演奏もそうした成果のひとつであったはずだ。ピアノ・コンチェルトだけでなく、ヴァイオリン・コンチェルトまで手の内にしようとするコチシュの探究心は底知れない。
そしてまたコチシュはドホナーニに対してもシンパシィを持っていたとのことである。エルンスト・ドホナーニはバルトークと同時代のハンガリーの作曲家であり、その作品はまだ明確に評価されているとは言い難い。指揮者のクリストフ・フォン・ドホナーニはエルンストの孫である。
ハンガリーでバルトークの次に重要視される作曲家というとリゲッティだが、ドホナーニももっと評価されてよいはずだ。

まだやるべきことは限りなく残っていたはずなのに、コチシュがそれを完遂することはできなかった。そのことが大変に残念である。だがコチシュの残した音は彼が不在となってもおそらくずっと残り続けるだろう。


Zoltán Kocsis/Bartók: The Works for Piano & Orchestra (Polygram)
Bartok: The Works for Piano & Orchestra




Zoltán Kocsis/Bartók: Works for Solo Piano (1) (Hungaroton)
Works for Solo Piano (1)




Zoltán Kocsis/Rachmaninov: Piano Concerto No.3
https://www.youtube.com/watch?v=OVmgIIKBnWE

1973年のマイルスとブートのこと [音楽]

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この前TVで、タレントさんたちが自分のお薦め本を紹介しているとき、メイプル超合金のカズレーザーが、トマス・ピンチョンをあげていてびっくり。この人、赤い服の由来も含めて面白い!
ちなみに他の出演者はごく普通でした。
http://www.bookbang.jp/article/521192
http://fiblio.hatenablog.com/entry/dokusho-geinin

という前フリはさておいて、前回のブログに書いたマイルス・デイヴィスの1975年ライヴについて少し調べてみた。するとこの日の録音はもともと《Another Unity》というタイトルで流通していた非常に有名なブートで、《Agharta》《Pangaea》の10日前のライヴであること、日本公演初日であることなどから人気の高いものであることなどがわかった。

略してブートと言ってしまうが、ブートレグとはいわゆる海賊盤のことを指し、つまり著作権法を無視した方法で製造販売されているCD等のことである。アナログディスクの時代から存在し、もちろん違法なものであるが、逆にブートが出ることによってその音源の存在がわかり、結果として品質的にもよりよいオフィシャルな盤がリリースされるということもよくある。
現在継続して出されているマイルスのブートレグ・シリーズもそうした経緯の一環である。
Hi Hat盤などでもmade in UKなどと表示して輸入盤を装っているが、実はmade in Japanであることも多いようだ。

オンエアされたものの録音を音源とした粗悪なブートも存在するし、昔の音源だとそれでさえ貴重なものであるが、この1975年のマイルスの場合は、あきらかにオンエアする元となった放送音源のテープから直接起こしたものである。

さて、同様の録音としてマイルスの1973年6月19日の新宿厚生年金会館ライヴという盤が存在する。《Miles Davis Tokyo 1973》というタイトルでICONOGRAPHYという販売元になっているが、Hi Hat盤と同様に住所などは明記されていないし、パーソネルが箇条書きにされていないところなど仕様がHi Hat盤とまるで同じで、製造元は同じなのかもしれない。
これについても調べてみた。すると《Black Satin》とか《Unreachable Station》というタイトルで流通していたブートが最初らしい。これもたぶんFM東京が録音した音源だと思われる。
マイルスのディスコグラフィを見ると、6月19日の録音には他にもうひとつブートが存在し、さらに《730619 Tokyo》というHannnibal盤というのもある。これは6月19日のライヴだけでなく、翌20日の映像のDVDが付いているとのことだが未見である。NHK-TVで収録された映像が元との情報もあり、下記にYouYubeで見つけた動画をリンクしたがこれと同一なのかどうかはわからない。
単純に曲名のリストを比較すると、《Miles Davis Tokyo 1973》はこうした先行盤と比較すると曲数が少ない。途中がカットされているような気がするが、マイルスのこの頃の曲名とか、CDになった際のトラックの付け方は便宜的とも思えるので、比較できない今の状態ではなんともいえない。
セッショングラフィで見ると、4曲目〈Right Off〉の後に〈Funk [Prelude, part1]〉と〈Tune in 5〉という曲名が見られ、これらは《Miles Davis Tokyo 1973》には存在しないが、収録時間を見ると順に3’33”/8’35”/10’39”となっておりトータルで22’47”である。これはICONOGRAPHY盤の〈Right Off〉の表示時間20’25”より多少長いが微妙である。つまりこの3曲を一括して〈Right Off〉であると表示している可能性もある。
〈Ife〉から始まるsecond set (ICONOGRAPHY盤の4曲目以降) も少しずつ収録時間数が異なっているが、ライヴなのでこのくらいの誤差はよくあることだ。

マイルスがエレクトリック化し、いままでのメインストリーム的なジャズでなくファンク・ロックに傾倒していった過程での特徴としてピアノレスになっていったことがあげられる。
エレクトリック化最初の頃、マイルス・バンドは当時新進であったチック・コリア、キース・ジャレットといったキーボードを擁していた。ただ、これは私の私感であるが、彼らのプレイははっきり言って面白くない。今聴くとごく同一のパターンでのぐにゅぐにゅしたソロの繰り返しであるし、音色も当時はいまほど機材が発達していなかったという制約があるにせよ、あまりにもヴァリエーションが無い。
やがてチック、キースといった人たちがマイルスから独立していくことによってキーボードの存在はより希薄になる。それはギターを中心としたファンク寄りの音を追求していった結果ともいえるが、和声を出す楽器がマイルスの当時のコンセプトにとって邪魔になっていったのではないかとも思われる。
《Get Up with It》(1974) ではセットによりキーボードが入っていたり入っていなかったり、というピアノレスな現象がみられる。翌1975年の《Agharta》《Pangaea》では (マイルスのオルガンがあるにせよ) キーボードは排除されている。

そして《Get Up with It》より前のこの1973年の日本公演においても、すでにバンドはピアノレスである。ギターも和声を出せる楽器ではあるし、ジャズ創生期の頃は、ピアノあるいはギターといった選択肢があったのかもしれないが、このマイルスにおけるギターは、たとえコード・カッティングがあるにしても、ピアノ/キーボードが出す和音とはかなり異なる。つまりマイルスがこの時点で必要としていた音はそうした音だったということである。

1973年と1975年の日本ライヴでの大きな違いは、73年のサックスがデイヴ・リーブマン、75年はソニー・フォーチュンであることである。サックス・プレイヤーが異なるだけでなく、全体の印象が73年と75年ではかなり違いがある。ごく簡単に言ってしまえば、73年のほうがライトで聴きやすくて、つまりフィルモアを始めとするマイルスがエレクトリックに突入した頃の典型的な音のように感じられるが、対する75年はヘヴィだ。
リーブマンのほうが流れるような従来からのジャズ的なソロで、対するフォーチュンのソロは時にややイレギュラーな音で構成されているように聞こえる。それは2人のギタリストにもいえて、75年のほうが芯があるがディープである。確かにそれぞれのプレイヤーの個性もあるのかもしれないが、むしろマイルスの志向がそういう音づくりに向かっていたというふうに考えられる。
アガルタ/パンゲアに至る道はどんどんヘヴィなファンク色へ没入してしまう陥穽ともとれるのだ。

私は遅れてきたマイルスのエレクトリック・ファンになりつつあって、いまさらそれってどうなの? という思いもあるのだが、この時代を編年的に辿って行くといままでよくわからなかったものが見えてくるような気もする。
そして私はわざとメインとなるオフィシャル盤を避けているのだが (たとえば《Bitches Brew》とか《Agharta》《Pangaea》についてまだ書いていない)、そうしたマイルストーンに至るまでの道のりに興味があるのかもしれない、と漠然と考えてみたりする。残っているかたちあるものでなく、テンポラリーとして消えてしまったような幾つもの不完全な石礫のなかに、かすかな輝きを見るのだ。

というようなことを書いていたらYouTubeで1975年2月8日の厚生年金会館の音を見つけてしまった。《Unknown Tokyo NIght》というディスクであると思われるが、こんなことしてると心が騒いでしまいキリがない。夜はもっと Quiet Night でないと。


Miles Davis Tokyo 1973 (Iconography)
Tokyo 1973




Miles Davis Septet 1973.06.20. 新宿厚生年金会館ホール
https://www.youtube.com/watch?v=EVjeeZQnyPI

Miles Davis 1975.02.08 Shinjuku Kohseinenkin Hall, Tokyo
https://www.youtube.com/watch?v=US1rgy1sEL8

1975年のマイルス [音楽]

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Hi Hat という各国の放送録音をCDにしているレーベルがある。パッケージ裏面には Historic Radio Broadcasts と表示されていて、HMVのサイトによればUK製とのことだが、会社名、住所などは何も書かれていなくてちょっとあやしい雰囲気がする。
それにパーソネルも箇条書きにされていなくて、中のパンフレットの文中に書いてあるという不親切な形態なのだが、音的には遜色ない。ライン録りしてFM放送などに使われた音源をCD化している。かなりの枚数がリリースされているが、そのなかからマイルスをチョイスしてみた。

マイルス・デイヴィスの《Live in Tokyo 1975》は2枚組で録音日は1975年1月22日、収録場所は新宿厚生年金会館大ホールである。
この時期のマイルスといえば《Agharta》《Pangaea》というオフィシャルのライヴ・アルバムがあるが、俗にアガパンと呼ばれるこの2セットの録音は1975年2月1日、大阪フェスティバルホールであり、つまりこのHi Hat盤はアガパンの10日前のライヴということになる。日本ツアー初日とのことだ。したがってパーソネルはアガパンと同じである。
音源は、未確認だが、たぶんFM東京 (現・TOKYO FM) のサンスイ4chゴールデン・ステージという番組で1975年の2月2日と2月9日の2回に分けてオンエアされたものであると思われる。2月1日の大阪は土曜日なので《Agharta》が昼、《Pangaea》が夜の2セットだったが、1月22日は水曜日なので夜のみ1セットと考えられる。

《Agharta》《Pangaea》は、日本でのライヴということも加味されて非常に人気の高いアルバムであるが、実はあまり好きではなかった。マイルスがバンド・サウンドをエレクトリック化して、試行錯誤しながらもやがて一定のパターンを獲得するに至り、それなりの評価を得たのだが、新しいものというのはすぐに古くなるもので、この頃にはすでにステロタイプ化したパターンの繰り返しという感じもする。
この日本ツアーの後、マイルスのアルバム・リリースにはしばらく空白期間が生じるが、それは健康をそこねたという理由だけではないような気がする。
エレクトリック化を《Miles in the Sky》(1968) からと考えればそれから7年であり、逆にいえばこの日本ツアーは、ビッチェズ・ブリュー、フィルモアと続いてきたエレクトリック・マイルスの爛熟しきった音ととらえることもできる。

disk 1の1曲目の〈Prelude & Funk〉はその名の通り、ファンキーなリズムの上にトランペット、サックスが乗るという構造の曲で、まず強烈なオルガンの和音1発みたいなのが常套であり、マイルスのソロはロングトーンがほとんど無く間歇的であり、典型的なライヴ・パターンの音である。
ソニー・フォーチュンのサックスはやや過多なリヴァーブがかけられていて、それが時代を象徴しているとも言える。
切れ目無く2曲目の〈Maiysha〉に続くが、リズムはまずボサノバであり、3’32”あたりからファンクなリズムが湧き起こる。そして再びボサノバになり、マイルスのソロはワウを加えて、やがてどんどんピアニシモになり、クレシェンドしてまた強いビートとなり、という繰り返し。フォルテとピアノの使い分けが巧みでスリリングだ。
2曲目の終わりに拍手があるのだが、続く3曲目の〈Ife〉は終わりかたが唐突であり拍手等もないので、途中でカットされているような感じである。

私はピート・コージー、レジー・ルーカスという2人のギタリストの音が嫌いで、つまりフリーキーなギターとマイルスのオルガンの音の重なりかたに暴力的なものを感じて受け入れなかったのかもしれなくて、それでこの時期のマイルスをあまり聴こうとしなかったのだが、あらためて聴いてみるとギターは意外に細かいところまできちんと弾いているし、そんなに嫌悪するような要素は何もない。マイルスのオルガンは雑に弾いているように見せてそうではない。

disc 2は切れ目なく曲が続く。短めの〈Mtume〉に続いて〈Turnaround Phrase〉となり、細かなリズムを刻むドラムをバックに、ワウとディストーション気味なギターのしつこいリフレイン、さらにそれに重なるマイルスという錯綜感が、過去の私は好きではなかったらしいということを思い出しながら聴いていた。「あぁ、こういうのが嫌いだったんだよなぁ」。今聴くとテンションがあって素晴らしい。細かく出入りのあるパーカッションも効果的だ。

3曲目の〈Tune In 5〉では冒頭でフォーチュンがひとりだけのソロになる個所があるが、ややミステリアスな装いで、そこから各楽器が加わっていくのだけれど、このパターンの呪術的ともいえる繰り返しが快感に変わっていくのがわかる。やがてソロはマイルスに変わるが、ブレイクすると特有なベースパターンとともに4曲目の〈Untitled〉へ。このへんは曲名はどうでもよくて、曲想が変化したのでこういうふうに区分けしたと考えたほうがよいのだろう。
3連を基本としたエレクトリック・ベースの上にシンセのエフェクトが重なり、マイルスの音は時にミュートっぽかったりして美しい。サックスやギターへとソロは移るが、再びマイルスに戻り、やがて終わりのアクションがあったのか、会場から拍手が湧き起こる。

HMVの解説には 「異様なテンションをまとってフリーフォームで暴れ回るアガパン・バンド」 とあるがテンションはともかく、暴れ回るという形容はこのライヴにそぐわなくて、リズムとリズムの交錯のなかの静謐というのが的確な印象だと思う。


Miles Davis/Live in Tokyo 1975 (Hi Hat)
Live in Tokyo 1975




Miles Davis Septet/Prelude & Funk
Shinjuku Koseinenkin Hall, Tokyo, 1975.01.22
https://www.youtube.com/watch?v=e8QQaDufPus

Miles Davis Septet
Shinjuku Koseinenkin Hall, Tokyo, 1975.01.22 (Full)
https://www.youtube.com/watch?v=pwEF5GNCQko

コルトレーンの Village Vanguard 1961 [音楽]

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ここのところ、銀座に出かける用事が続けてあったのだが、気がついたら GINZA SIX のビルが忽然とできあがったような印象があって、あの巨大な威圧感はちょっとすごい。道路ぎりぎりまで巨体が屹立しているからだと思う。でもそんなことはあまり誰も気にしていないようにみえて、今日もまた街は中国人観光客でいっぱいだ。

そしてここのところ、少しだけジョン・コルトレーンを聴いている。《“Live” at the Village Vanguard》というアルバムがある。有名なミュージシャンの有名なアルバムというのを私はあまり持っていなくて、それはいつでも買えるし、過去に聴いた記憶があるからなのだが、たとえばコルトレーンとかマイルスとか、ビートルズとかストーンズなどはある程度知っているのでわざわざ買うほどでもない、とたかをくくって持っていなかったりするのである。
でも最近になって、それはちょっとどうかな? と思い始めて、少しずつ揃えて聴いてみたりしている。だがこのヴィレッジ・ヴァンガードはなぜか随分前に買っていて、あまり感動しなかったという記憶が残っている。

コルトレーンはジャズの巨人であり、確かにジャズというジャンルのなかで革新的なムーヴメントを主導した人なのであるが、すごく正直に言うと、私にとっては、ちょっとカッタルくて、なんとなくお決まりフレーズという印象があるのだ。つまりスピード感に乏しいのである。スピードというのは数値的な音数の多少ということではなくて、たとえ幾ら音を細かく連ねられたとしても、ややのんびりしているなぁ、というふうに感じとってしまうのだ。それは比較的オーソドクスな頃から、晩年のフリーの演奏まで含めてそう思うのである。逆にいえばそれがコルトレーンのおおらかさであり、包容感であるとも言える。

それならなぜヴィレッジ・ヴァンガードがあるのかというと、たぶんパーソネルのなかにエリック・ドルフィーがいたからだと思う。だがこのヴィレッジ・ヴァンガードにおけるドルフィーのソロはあまり印象が強くない。《“Live” at the Village Vanguard》がレコーディングされたのは1961年11月、そしてリリースされたのは1962年3月である。このアルバムがスタンダード色の強い《Ballads》(1962) や《Johnny Hartman》(1963) などよりも前の録音であることにもちょっと驚く。
この11月のヴィレッジ・ヴァンガードにおけるライヴは幾つかのアルバムに分散してリリースされているが、私が現在持っているのは《“Live” at the Village Vanguard》と《The Other Village Vanguard Tapes》だけだ。この2種のアルバムを続けて聴いてみてあらためて思ったのは、以前に感じていたことと同じで、何となくつまらない、それはドルフィーの演奏がそうだからなのであるということに思い至った。
コルトレーンはいつものコルトレーンなのであるが、ドルフィーもまた普通に吹いていて、ところどころ鋭い部分もあるしスリリングでもあるのにもかかわらず、どこかが足りないような印象を受ける。それはコルトレーンに迎合しているのか、もしくは手抜きなのか、それともちょっと違和感を持ちながら吹いているので結果としてそうなってしまったのか。リズムが伝統的4ビートであるせいなのだろうか。

こういうとき、販売元の宣伝のような 「奇跡のライヴ」 とか 「入魂のインプロヴィゼーション」 みたいな惹句はほとんど意味をなさない。なぜならそう思っていないからで、なんでも良いと思ってしまうのは単なるコルトレーン信奉の宗教に過ぎない。

調べてみると、このヴィレッジ・ヴァンガードにおけるドルフィーの違和感について指摘している意見が複数にあった。覇気が無いわけではないのだが浮いていて、つまり基本的にコルトレーンとドルフィーのコンセプトが異なるからなのではないか、というようなことである。ミンガス・グループにおけるドルフィーと較べてみるとその差は歴然としている。
そして最初のリリースから35年後、1997年に《Complete 1961 Village Vanguard Recordings》という完全盤にその解答があるとする指摘もあるが、私はこの完全盤を聴いていないのでまだ何とも言えない。

ひとつにはコルトレーンもドルフィーもともにリード奏者であるということがあって、トランペットとサックスというような組み合わせに較べるとコントラストが無いので、フレーズの異質さがかえって強調されてしまうのかもしれないが、でもこの論理は少し弱い。リード2本だって良いアルバムは良いのである。

いまさらコルトレーンという感じもするが、いまさらだからこそコルトレーンという言い方だってできる。もっとも私が最初に買ったコルトレーンのアルバムは《Cosmic Music》で、そもそも入りかたが良くなかったのだと言われたらその通りなのかもしれない。
ということで、この項はつづくかもしれません。
(→2016年11月28日ブログにつづく)


John Coltrane/“Live” at the Village Vanguard (Universal Music)
ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード




John Coltrane/The Other Village Vanguard Tapes [impulse]
The Other Village Vanguard




John Coltrane/Spiritual (live at the Village Vanguard)
https://www.youtube.com/watch?v=H7m5joZPP0U