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市川紗椰の歌う《夜が明けたら》と浅川マキのこと [音楽]

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「タモリ倶楽部の衣装は毎回私服で、今回はお気に入りのステラ・マッカートニーのつばめワンピ」 という市川紗椰のブログの意味が一瞬わからなくて、あ、そうか、つばめ! と納得しました。さすがタモリ電車クラブ会員だけのことはあります。

その市川紗椰の歌う〈夜が明けたら〉を聴く。いきなり鉄道系のSEが入り、そして正面にデッドな市川紗椰の声が現れる。夜の静寂のようなこのクリアな空気感がいい。一瞬の、音がすっと立ち上るそのまさに一瞬をとらえている音楽ってそんなに無いはずだ。プロデュースは小西康陽。

 夜が明けたら一番早い汽車に乗るから

この歌詞はまさに列車に乗って旅立つ歌なのだ。でもまだ旅だってはいない。繰り返し繰り返し、夜が明けたら汽車に乗るとは言っているが、でもまだ乗ってないじゃん。やがてそれは、あくまで仮想なのだということがわかってくる。乗りたいのだけれど乗っていないというよりは、本当は乗りたくないのかもしれないのに乗るんだ乗るんだと言ってるんじゃないかという結論に辿り着く。いやそれより、もしかすると夜が明けないことだってある。
というようなことがこのCDを聴いているうちに、わかってきた。いつも歌詞をよく聴いていないから、そんな初歩的なことにいまさら気がついたりするのだと誰かから叱られそう。

でもこのCDがマニアックなのは、11トラックあるうちのM1が〈夜が明けたら〉で、残りの10トラックは市川紗椰がフィールドワークした鉄道音なのだ。すべてがアンビエント・ミュージックなのかもしれない。
彼女自身、そうした音をBGMとして聴いているということだし、電車の走行音でも、南の音と北の音、夏の音と冬の音は違うとも言っている。

〈夜が明けたら〉という意外な曲を持ってきたところが小西康陽らしい。原曲は浅川マキだが、その雰囲気を残しながらも全然新しいイメージになっている。浅川マキの〈夜が明けたら〉のシングル盤は1969年、そしてそれを収録したファースト・アルバム《浅川マキの世界》のリリースが1970年である。47年も前の歌なのだ。

ところが浅川マキの音源は手に入りにくい。それはマキ本人が、自分の音源をCD化することに懐疑的だったことにもよる。アナログディスクに較べるとCDの音は良くないという持論だったのである。
今、音源が見つからないのでこれからの記述は記憶だけで書くのだが、1曲目の〈夜が明けたら〉の後、SEがあって2曲目の〈ふしあわせという名の猫〉につながっていたと思う。市川紗椰のシングルはそのSEが延々と続くという感じだといってもよい。
〈ふしあわせという名の猫〉の作詞は寺山修司。作曲は当時宮間利之&ニューハードのギタリスト/アレンジャーであった山木幸三郎。このアルバムの多くの曲を作曲している。後半の数曲はライヴ録音になっていて、新宿・アンダークラウンド・シアター 「蠍座」 での収録となっている。この蠍座というのは、アートシアター新宿文化という映画館の地下にあって、atgの拠点となった場所である。
と書いたが、実際の蠍座を私は知らないので、それに言及する文章と写真から想像するしかないのだが。今年、当時のポスター展があったのだが見逃してしまった。

寺山修司は天井桟敷という演劇集団を主宰していたが、それは伝説の劇団で、その実態についても同様に想像するしかない。それは単純な劇団ではなく、市街劇をも含む、過激でアナーキーなものであったのだと伝えられている。
演劇は最も具体的なかたちとして残りにくいものだ。かろうじて残っているような動画にしても、その演劇空間を再現できているとはとても思えない。それは単なる参考に過ぎない。

そんなわけで、浅川マキのアルバムはCD時代になってから散発的に再発されるだけで、それもすぐに品切れになってしまったりするので、とびとびにしか聴いていないのだが (調べてみたら、今年になってまた再発があったようだが)、印象に残る2人のトランペッターがいる。

それは《裏窓》(1973) における南里文雄、そして《CAT NAP》(1982) の近藤等則である。
南里文雄 (1910−1975) は日本のジャズ創生期の人で、《裏窓》では〈セント・ジェームス病院〉で吹いているが、そのスクエアな音はすでに時代としては過去のものだったのかもしれなくて、でもそれゆえに今聴いても全く古びていない。この力強い輝きには独特の味がある。
《裏窓》のタイトル・ソング〈裏窓〉は寺山修司の作詞によるもので、間奏部における市原宏祐のバス・クラリネットがおそろしくダークである。
近藤等則 (1982-) は《CAT NAP》リリース時34歳で、全曲、近藤の作曲によるアヴァンギャルドなアルバムである。ジャケットは内容に合わせて野中ユリ。だが今聴くと、かえって時代性を感じさせてしまう部分があるが、それもまたアヴァンギャルドの宿命であって、その過ぎた時代感もまた音楽の積み重なった歴史の一端として感じられる。
全く異なったトランペットがどちらも歌に寄り添っているのに暖かな音楽の感触がある。それはいつもダークだけれどやさしい。


市川紗椰/夜が明けたら (TOWER RECORDS)
http://tower.jp/item/3829262/
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市川紗椰/夜が明けたら
https://www.youtube.com/watch?v=pf-5_JD_Ay8

浅川マキ/裏窓 (4:00〜)
https://www.youtube.com/watch?v=KYz-1mZjhRE
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ダニエル・ユメールの《Surrounded》を聴く [音楽]

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(L→R) Raymond Guiot, Daniel Humair, Guy Pedersen, George Gruntz
17 November 1967

ダニエル・ユメール (Daniel Humair) は1938年スイスのジュネーヴ生まれのジャズ・ドラマーでいまだに現役である。1960年から演奏活動をしているのでその長い経歴には数々のミュージシャンが登場する。

アルバム《Surrounded》の正確なタイトルは《Surrounded1964/1987》であり、1987年に、それまでの幾つものセッションのなかからセレクトして収録したいわば落ち穂拾い的内容であるが、冒頭の2曲がエリック・ドルフィをソリストにして録音されている。ドルフィ晩年の記録として興味を引く。
オリジナルは仏・Flat&Sharpのアナログディスク2枚組だが、私が聴いているのは Flat&Sharp, Mediartis/I.N.A.と表記のあるフランス盤CDである。その後、1994年にドイツ盤が出たことがあるらしいが、現在はすべて廃盤であるようだ。

録音日は1964年5月28日、R.T.F.となっていて、RTF (Radiodiffusion-Télévision Française) とはORTFの前身であるが、つまりフランス放送協会のことであって、現在はRTFもORTFもすでに無い。
1964年5月というのがドルフィにとってどういう年かというと、それはドルフィ最後の年であって、jazzdisco.orgのリストに拠れば、ブルーノートへの《Out to Lunch!》が2月25日、そしてチャールズ・ミンガス・セクステットのツアーが続く。以前のブログ (→2012年08月03日) にも書いたがもう一度整理してみよう。

03月18日 Cornell University, Ithaca, NY
04月04日 Town Hall, NYC
04月10日 Concertgebouw, Amsterdam, Netherlands
04月12日 University Aula, Oslo, Norway
04月13日 Konserthuset, Stockholm, Sweden
04月14日 Old Fellow Palaet’s Store Sal, Copenhagen, Denmark
04月16日 Bremen, West Germany
04月17日 Salle Wagram, Paris, France
04月18日 Théâtre des Champs-Élysées, Paris, France
04月19日 Palais Des Congrès, Liège, Belgium
04月24日 Bologna, Italy
04月26日 Wuppertal Townhall, Wuppertal, West Germany
04月28日 Mozart-Saal/Liederhalle, Stuttgart, West Germany

クラシックの牙城、アムステルダムのコンセルトヘボウでのグループの演奏に、ミンガスの狷介なプロフィールをあらためて感じさせる。以前のリストより4月26日のボローニャが増えているが、プライヴェート・テープとあり内容は不明である。
さらにミンガス・グループ以外に、

03月01日または02日 ドルフィ自身のクァルテット
 University Of Michigan, Ann Arbor, MI

そして

03月21日 アンドリュー・ヒル・セクステット
 Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ
04月06日 ギル・エヴァンス・オーケストラ
 NYC

にサイドメンとして参加している。
RTFにおける録音は、このミンガスの地獄のツアーの後、06月02日の《Last Date》の前という時期になる。そして06月29日にドルフィは亡くなっているから、死の1カ月前の演奏ということになる。
ミンガスはドルフィを手放したくなかったのだろうが、このヨーロッパツアーは、トランペットのジョニー・コールズは具合が悪くなるし、そしてドルフィはミンガスの懇願にもかかわらず、グループと別れ、ひとりの道を選んだ。結果としてこのツアーがドルフィの寿命を縮める要因になったようにも思えてしまう。

この《Surrounded》に収録されているのは〈Les〉と〈Serene〉という、どちらもドルフィ作曲のものだが、それぞれ4分ほどの短い曲で、ユメールは比較的スタンダードなドラマーであるから曲自体もスウィングしていて、ドルフィのメロディラインのみが奇妙な味わいという、少し以前のドルフィっぽい曲想となっている。
ただ、〈Les〉のような曲を聴くと、テーマにはまさにチャーリー・パーカーの影があって、そのパーカーのラインを如何に違うふうに装っていくか、というのがそのコンセプトのようにも思える。もっともアドリブに入ってしまえばいつものドルフィなのだが。
ピアノはケニー・ドリュー、ベースはガイ・ペデルセンである (ニールス=ヘニング・エルステッド・ペデルセンとは別人)。ユメールとペデルセンのコンビは当時のリズム隊として活躍していたらしく、スキャットでバッハを歌ったことで有名なスウィングル・シンガーズの196年後半のアルバムにも幾つか参加している。
マーシャル・ソラールの最初のピアノ・トリオ・アルバム《Martial Solal》(1960) のベースとドラムスもこの2人である。またユメールにはミシェル・ルグランやジャン=リュック・ポンティ等のフランス系の人たちとの共演も多い。

〈Les〉のアルトサックスに対して〈Serene〉はバス・クラリネットを使用したミディアム・テンポの曲だが、〈Les〉にも〈Serene〉にも共通していえるのは、非常にリラックスしたドルフィの表情が見られることだ。それはグループ全体がオーソドクスにスウィングしているということだけが理由のようには思えない。
たしかに 「鬼気迫る」 とか 「孤高の」 といった形容でドルフィのテンションの高いソロを語る風潮はあるようだし、ミンガスのヨーロッパツアーでは、常にそうした硬質な表情を要求されていたのかもしれないが、必ずしもそれだけがドルフィの音楽ではない。もう少しリラックスしたラインがあってもいいはずだ。ドルフィのファイヴ・スポットのトランペッターであったブッカー・リトルが参加したフランク・ストロジャーのアルバムについて、以前に触れたことがあるが (→2012年08月16日ブログ)、ストロジャーは2流だけれど色気があって、リトルもストロジャーの下ではのびのびと、ちょっとユルく吹いていて、そのリラックス感がここちよい。
《Surrounded》におけるドルフィの〈Serene〉のソロは、いつもと違ってあまりアヴァンギャルドに傾かない、それでいてドルフィの個性の出た柔らかさが美しい。

このユメールのアルバムの5曲目には1971年のフィル・ウッズの演奏が収められていて、パーカー・フォロアーであるウッズのソロのなめらかさに較べると〈Les〉のドルフィのソロから受ける印象は随分無骨だ。でもそのゴツゴツとした、本来行くべきではないはずのラインに音を無理矢理に誘導して連ねていくところにドルフィの真髄がある。
7曲目のテテ・モントリューのピアノ・トリオの演奏も、最もテテらしい音が出ていて、つまり翻って考えると、リーダーとしてのユメールの包容力が働いて、ドルフィの場合もリラックスした演奏になっているのではないかと思う。
だがそれは一瞬の安息であり、翌月、冥王星のような6月にドルフィはベルリンで亡くなる。ベルリンはデヴィッド・ボウイの《Low》の街であり、ドルフィの最後の地である。

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Daniel Humair, 2002


Daniel Humair/Surrounded (Flat&Sharp, Mediartis/I.N.A.)
Surrounded 1964 / 1987




Daniel Humair/Les (from “Surrounded”)
https://www.youtube.com/watch?v=zJb-wMdPwSQ
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ストレンジ・メロディ — ジェーン・バーキン《Rendez-vous》 [音楽]

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Jane Birkin, Étienne Daho

雨の夜、心が沈んでいるときはチープなジェーン・バーキンの音に浸るのもいい。
バーキンの《ランデヴー》は2004年リリースのアルバムで、いろいろな歌手とのデュエットが詰め込まれている。ゲンズブールの頃からバーキンの音は原則としてチープだが、それは2004年になってゲンズブールがいなくなっても変わることはない。つまりこれがフレンチ・ポップスの伝統なのだ。豪華でなくて、厚みもなくて、でもそのほうが音楽の真実が伝わる。
レーベルはキャピトルで、EMIミュージックフランスのリミテッド・エディション盤である。リミテッド・エディションと日本盤のみ2曲多い (でも当時リリースされた日本盤はCCCDとのこと)。

1曲目の〈Je m’appelle Jane〉(デュオの相手 [以下同じ]:ミッキー3D)、2曲目の〈T’as pas le droit d’avoir moins mal que moi〉(アラン・シャンフォー) という流れはとてもホッとする空気を含んでいる。それはフレンチの音が頑固に変わらないということの証明のように聞こえる。
2曲目のタイトルの付け方はまるでゲンズブールの〈Je suis venu te dire que je m’en vais〉を意識しているように思える。この長ったらしいタイトルに対する邦題は〈手切れ〉。とてもシンプルだ。対してその〈T’as pas le droit d’avoir moins mal que moi〉の邦題は〈許さない〉。この日本盤を作った人はよくわかってるなあと思う。両曲とも最初のフレーズをタイトルにしただけというのも同じだし。
でも1曲目の Je m’appelle Jane (ジュマペルジェーン/私の名前はジェーン) ってタイトルも 「知ってるよ」 とツッコミたくなる。

3曲目の〈In Every Dream Home a Heartache〉はおどろおどろしい音で、何これ? と思うのだが、ブライアン・フェリーとのデュオだ。フェリーの若い頃のアクの強い感じを彷彿とさせる。ゲンズブール/バーキンのロールスロイスが出てくる古いPVでこんなシンセ音を使っていたような気がするが、もしかしてそれを意識した音作りという可能性もある。
4曲目の〈Palais royal〉は一転して王道なアラン・スーションとのデュオ。
そして5曲目の〈La Grippe〉(エティエンヌ・ダオ) も、さらっとしている佳曲なのだが、ブリジット・フォンテーヌ/ジャック・イジュランの書いた曲である。

6曲目の〈Strange Melody〉はベス・ギボンズの曲。ベス・ギボンズはイギリスの歌手で、この曲ではコーラスを付けているのみだが、この暗い雰囲気がとてもいい。
7曲目の〈O Leaozinho〉はカエターノ・ヴェローゾとのデュオだが、ヴェローゾの声質は明るすぎて、このバーキンのアルバムのなかでは少し浮いているかもしれない。

8曲目から11曲目までの怒濤のつながりはこのアルバムのなかで最も高い山脈の部分。8曲目の〈Pour un flirt avec toi〉のミオセックは声が渋くてしびれる。avec toi という歌詞に思わずミレーヌ・ファルメールを連想してしまうが。
9曲目の〈The Simple Story〉(ファイスト) はシンプルに聞こえるオーケストレーションだが実は凝っているというのがミソで、ゴンザレス (Chilly Gonzales) のもの。fr.wikiのゴンザレスのページでは Production, arrangements の項の最初にこのアルバム名が載っている。つまり彼のキャリアの第一歩でもある。
10曲目の〈Te souviens-tu?〉はマヌ・チャオの曲で、デュオとギターも担当しているが、このチープなエレクトリック・ギターがこのアルバムの色を支配している。
11曲目の〈Smile〉(ブライアン・モルコ) は退廃。声質は違うのだがルー・リードを連想させるモルコの声が魅力的だ。

12曲目の〈Surannée〉はフランソワーズ・アルディとのデュエットだが、アルディの声もやっぱり若い頃とは変わっていることを実感。でも黄昏れているわけでなく声がクリアに耳に入って来る。
そして13曲目〈Canary Canary〉は井上陽水の曲だが、この13trackでは井上陽水の朗読が聴ける。16曲目にボーナストラックとして同じ曲が入っているのだが、技巧的なギター伴奏で始まるこちらのほうが私は好きだ。16曲目では井上陽水が一部を日本語詞で歌っている。
14曲目の〈Chiamami Adesso〉はパオロ・コンテとのデュオ。いかにもイタリアンな重鎮といった歌唱がいい。

このアルバムで特に気がついたのはバーキンの声の変化で、若い頃のコケティッシュをずっと引き摺っているのかと思っていたのだがそうではなく、色が無く、すごくオトナで凜としたたたずまいがありここちよい。
曲の長さが2分から3分台の曲が多く、一番長いのが〈カナリー・カナリー〉の別トラックで4分54秒。4分に満たない曲というのは、昔ながらのポップス風で、チープさと併せてそういう意味でもポリシーに揺るぎがない。
ジャケットデザインがちょっと謎なのだが (フォトグラファーは娘のケイト・バリー)、アルバムの内容そのものは豪華なデュオでありながら総花的ではなく筋が通っていて、バーキンのアルバムのなかでもかなり上のほうだと私は思う。


Jane Birkin/Rendez-vous (Capitol/EMI Music France)
Rendez-Vous




Jane Birkin/Canary Canary
https://www.youtube.com/watch?v=XFbHlLvEjqk
Jane Birkin/Smile
https://www.youtube.com/watch?v=5EB_ZC3tXAw
Jane Birkin/Strange Melody
https://www.youtube.com/watch?v=DZOJq8C0S1I
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夏の終わりの嬰ハ短調 ― 橋本治『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』を読む・2 [コミック]

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大島弓子/綿の国星

2016年09月10日ブログのつづきである。

これは仮定の話だが、大島弓子が『綿の国星』を描いた後、それだけで終わりにしてしまったのなら、かなりカッコよかったと思うのだが、続きを描き、さらに猫シリーズを延々と続けてしまったのは、やはりそれだけの需要があったからなのだろう。現実とはそんなものである。

それでともかく、本篇の『綿の国星』(1978) の話。
須和野時夫は、「今なら何をやっても少年Aで済む」 と思っている大学受験に失敗した少年である (もはや少年でもないか……)。時夫は子猫をひろうが、その猫 (チビ猫) は自分がいつか人間になることを信じているので、少女の姿として描かれる。つまりマンガの視点はネコの目から見たネコを主体とする世界なのだ。
しかし、チビ猫が明日を信じているということと、だからといって人間として描かれるということは、よく考えれば直接的な関連性はない。それを成立させているのが大島の魔法である。

まず、須和野時夫というネーミングは 「須臾 (しゅゆ) の時を」 の意味ではないかと私は思う。人間より寿命の短い猫と過ごす限られた時のことをそれは表している。それでこの須和野という姓に似た本須和という姓が使われているマンガにCLAMPの『ちょびっツ』(2000-2002) がある。『ちょびっツ』は人間と機械との恋というSFの永遠のテーマのひとつをなぞっている作品だが、その主人公に本須和秀樹という名前をつけたのは、CLAMPが大島弓子のこの作品を意識していたのではないかと思う。
こうした恋の形態はいわゆる〈人でなしの恋〉であって、〈人でなしの恋〉というのは人間と人間以外の恋を指す。語源は江戸川乱歩の同名の小説 「人でなしの恋」 (1926) であるが、この乱歩作品はつまりピグマリオン・コンプレックス (人形愛) である。たとえば《ブレードランナー》(1982) も人間とアンドロイド (レプリカント) の恋ということにおいて同様である。

少年Aと子猫 (つまりどちらもまだ子ども) という主人公の設定に対して、大人と子どもの関係性を明確にするためだろうか、橋本は次のように書く。

 大人は、子供を人間とは思っていません。子供は子供だと思っているの
 です。でも、子供は自分を人間だと思っています。そして自分を “子供”
 だとも思っているのです。(後p.223)

最後のフレーズ 「そして自分を “子供” だとも思っているのです」 という部分を除いて、この 「子供」 という個所を 「猫」 と置きかえれば、チビ猫の心情が浮かび上がる。つまり猫という言葉はメタファーであり、弱い者、子ども、女をあらわしている。
チビ猫として描かれている少女は (ではなくて、少女として描かれているチビ猫は) 少女期の大島であり、しかしそれは個としての少女でなく普遍的な少女となる。チビ猫に対して近づけない猫アレルギーの時夫の母は、同時にチビ猫の仮想母であり、それは普遍的な母として還元される。
そしてここで一般論的少女の性への目覚めと不安・恐怖について橋本は次のように分析する。

 子供の内部には一つのものがありました。得体の知れない、恐ろしく思
 える何かがありました。
 子供は知ります ―― そのことは、口にしてはならないものだと。それ
 はひきずり込むような何かです。身を滅ぼさせる予感のする何かです。
 そしてそれが “性” なのです。(後p.223)

自分の内部にあるものを知った少女は、少女でありながら 「おとな子ども」 になってしまったのであって、そうなってしまったら、知らなかった頃の子どもに戻ることはできない。そして 「性」 とはsexという言葉に包含される全ての意味あいとしての 「性」 である。

さてここで、いつか自分は人間になると思っているチビ猫に対して 「否」 を言う猫・ラフィエルが出現する。ラフィエルは 「猫は人間にはなれない」 と言い、「猫は猫たるすばらしさを おしえてやるよ」 とチビ猫を諭す。(後p.230)
ピノキオが人形から人間に変わったように、いつか猫から人間に変わると思っていたチビ猫にとって、ラフィエルの言葉は願望が不可能であることを認めざるをえない冷徹な最後通牒である。

 あまりにも
 ハンディがありすぎるじゃない
 なんでそんなこと おしえるのよ!!
 なんでそんなこと おしえるのよ!!

しかしそれに対してチビ猫は 「それでも生きてみよう」 と思ったのだ、と橋本は書く。それは 「生きてみよう」 とする意志であって、今まで自分の中にあったのは 「生きている」 ことを認識する意識だけだった。しかし 「生きてみよう」 と言ったことは、明日を見ようとする意志 (が芽生えたの) だ、というのである。それは自分自身を信じることにもつながり、そしてそれが『綿の国星』のテーマなのだという。(後p.231)

この 「人間に変わることを信じている猫」 という現象がメタファーなだけでなく、人間←→猫という対比そのものがメタファーであるという構造にもなっているのだと私は思う。
自分ががんばって獲得しようと思ってもかなわぬこと ―― だからといってそれを軽々しくあきらめてしまっていいのか、と言っているのがチビ猫の意志なのだ。それは見た目の弱々しさとは全く異なる強固な意志である。

     *

『バナナブレッドのプディング』は謎のような作品である。それは『綿の国星』に先行して描かれた。
橋本が指摘するように、主人公・三浦衣良 (みうら・いら) は読者の感情移入を拒否している状態で登場する。衣良は自分が食べられてしまうかもしれないという恐怖を持っていて、それを友人の御茶屋さえ子に言い、共感を得ようとする。

 衣良がこわがるのは、“10時すぎまでおきていると 美しいお面をかむっ
 た 男か女かわからないひとが 大きなカマスを用意して待っていて 
 子どもをつめて ひき肉機にそのままいれてたべてしまうという話” を、
 いまだに彼女が信じているからなのです。(後p.243)

そんな状態の衣良を彼女の両親は 「精神鑑定させよう」 とひそかに話し合い、しかしそれを衣良は聞いてしまう。そうした両親に対する不信をも、衣良はさえ子に言う。

衣良の怖がっている得体の知れないものは、衣良の内部にいるものなのだ。それは衣良に襲いかかり凌辱する男であり、そして衣良は男に襲いかかられるのを待っている女でもある。男が私を脅かすのではんく、男の心をそそり、煽り立てて狂わせるものが私という女なのかもしれない、と衣良は思う。だからそれは恐怖でありながら、同時に拒みきれない、甘美な何かなのかもしれない、とも衣良は思うのだ、と橋本は書く。(後p.243)

これはまさに少女期の、性的なものへの恐怖と願望のあらわれである。そうしたナイーヴなことを、大島はこうしたエキセントリックな衣良というキャラクターに仮託して叙述する。それは極端であるかもしれないがわかりやすい。
そして衣良が結婚相手として求めているのは、「世界にうしろめたさを感じている男色家の男性」 である。それはつまり性的なものへの恐怖と忌避である (男色家なら自分に手を出してくることはないという安心感)。そしてその理想の相手を、さえ子の兄、御茶屋峠 (おちゃや・とうげ) であると思い定める。だが峠は、衣良に合わせてそのフリをしていただけで実は男色家ではない。

世間にうしろめたさを感じているのは、実は男色家でなく衣良なのだが、衣良は自分の意識が虚ろであることを認めようとはしない (後p.246)。自分の存在が世間にとって必要だと思い込みたいために、衣良は 「うしろめたい男色家」 を助けてやろうとすることを自分の存在意義だとするのだ。それは性的行為から自分を遠ざけようとする正当な理由にもなると考えたのだろう。というよりもっと一般的な、恋愛感情によって自分が傷つけられることから逃げようとする意識といってもよい。
しかし、衣良の助けを必要とするような、そんな男色家は存在しないし、もっといえば衣良を必要としている人間はいない。そういう衣良は孤独であり、被害妄想であり自閉症的であると橋本は見る (後p.251)。

その他の登場人物の関係性は、よくあるTVドラマのようだ。御茶屋さえ子はサッカー部の少年、奥上大地 (おおかみ・だいち) に恋するが、奥上は 「世間にうしろめたさを感じていない男色家の少年」 である。そして御茶屋峠に恋している。さえ子は兄の峠に変装して、奥上の愛をかなえてやろうとするが、やがて奥上を追うことをあきらめる。
奥上は男色家の新潟教授の愛人であったが、教授は奥上が峠に恋していることを知り、奥上に対してサディスティックな行為に及ぶ。
衣良は御茶屋峠が男色家を装っていただけなのを知り、峠と別れて新潟教授に嫁ぐが、教授を誤って刺し、再び峠のもとに戻る。

衣良は王道的なTVドラマならばエキセントリックな端役のはずだ。その衣良がこの作品においてなぜ最も重要な主人公であるのか、というのがこの『バナナブレッドのプディング』の特殊で斬新な色合いに他ならない。
それは橋本が指摘するように、世界 (世間) が王道TVドラマの設定も含めて、男性主導の原理によって動かされていることへのアンチテーゼとして作用しているのだ。

 社会とは、男の都合に合わせてできているもので、女や女の子は、その
 都合に合わせれば都合よくやっていける仕組になっているものなのです。
 (後p.262)

と橋本は書く。つまり端的に言えば 「女は男と結婚すれば幸せになれる」 という原理であり、それが男の都合であり、世間的な正しさであり (もっと言えば正義であり)、それを体言化しているのがやさしい男としての御茶屋峠である。しかし衣良はその社会的都合に合致していない。

 衣良の不幸は、男の都合の枠の外にある問題です。御茶屋峠に理解はで
 きません。(後p.263)

夢の中の人喰い鬼に食べられてしまった衣良は自らが人喰い鬼となってしまい (吸血鬼に血を吸われた者が自ら吸血鬼になってしまうのと同じパターン)、そして理想の 「うしろめたい男色家」 とはほど遠い存在だった新潟教授を見限り、御茶屋峠のもとに戻るのだ。伊良は 「その社会の都合によって深く傷ついている」 (後p.265) のであり、それを癒やすのには峠を必要としたのだった。そんな衣良に峠は暖かいミルクを差し出して飲むようにいう。そして 「ぼくは きみが だい好きだ」 という。

 衣良は初めて自分に許します、「生きてみよう」 という意志を持つこと
 を。
 その意志を持った衣良は、人喰い鬼に食べられてしまった衣良です。衣
 良は言います ―― “でも わたしは鬼だから いつこの人をやいばにか
 けるか わからない それがこわいのです でも峠さんが それでもか
 まわぬというので ここにおります”。(後p.267)

そうした衣良のことを 「人喰い鬼に食べられてしまうことによって、初めて衣良は “普通の少女” になれました」 (後p.267) と橋本はいう。(「「生きてみよう」 という意志」 という言い方はチビ猫に対してのものと同じだ。)
「人喰い鬼に食べられてしまう」 という形容が、単に性的なものに対する克服であるということであるのと同時に、そもそも人喰い鬼とは何かというメタファー自体が何かということを考えさせる構造になっている。

さて、この『バナナブレッドのプディング』は、どのようにして『綿の国星』と関連しているのか。

 『綿の国星』のチビ猫は、生まれ変わった衣良なのです。だからチビ猫
 は、生まれながらにしてすべてを知っている無垢の少女なのです。(後
 p.268)

しかし、それでありながら同時にチビ猫はすべてを知らない。なぜなら、

 “知る” 迄に至ったすべての時間、“知る” 迄に感じたすべての苦しみすべ
 ての喜びを、すべて捨て去ってしまったのです。(後p.268)

と橋本はいう。
すべてを知っていながら、すべてを知らない存在であることがチビ猫としてリセットされた衣良なのかもしれない。そしてその無垢の心が『綿の国星』の冒頭に続くのだ。

 春は長雨
 どうして こんなにふるのか さっぱりわからない
 どうして急に だれも いなくなったのか さっぱり分からない
 (後p.218)

チビ猫は捨て猫で、須和野時夫に拾われ物語が始まる。
それを彷彿とさせるのが CLAMP『ちょびっツ』の冒頭である。その時代、パソコンは人間のかたち (多くが美少女) をしていて、ゴミ捨て場に捨てられていたパソコン 「ちぃ」 を本須和秀樹が拾ってくるのだ。
ちぃはすべての記憶を失っている。しかし秀樹は、ちぃに恋するようになる。次第にちぃの謎が明らかになってくるが、ちぃは起動する毎に初期化されてしまうのだ。だからそれまでの、秀樹のこととの記憶はすべてリセットされてしまう。しかし、ちぃが自分のことを忘れてしまっているのだとしても秀樹はちぃのことを愛する、というのが『ちょびっツ』のラストなのだが、すべてを知っていながら、すべてを知らない存在であるということにおいて、テーマは共通である。
ちぃの耳 (ヘッドフォン) はネコ耳の変形のようにも見える。

私は少し脱力感のある大島弓子が好きだ。たとえばそれは 「パスカルの群」 (1978) とか 「毎日が夏休み」 (1989) から感じ取れる。それはちょっとエキセントリックな恋愛観であったり家族観であったりするし、そのしなやかさややわらかさに騙されるけれど、芯にある強靱さを忘れてはならない。

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大島弓子/バナナブレッドのプディング


橋本治/花咲く乙女たちのキンピラゴボウ 前篇 (河出書房)
花咲く乙女たちのキンピラゴボウ 前篇 (河出文庫)




橋本治/花咲く乙女たちのキンピラゴボウ 後篇 (河出書房)
花咲く乙女たちのキンピラゴボウ 後篇 (河出文庫)




大島弓子/綿の国星 (白泉社)
綿の国星 漫画文庫 全4巻 完結セット (白泉社文庫)




大島弓子/バナナブレッドのプディング (白泉社)
バナナブレッドのプディング (白泉社文庫)

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Let It Rock — 雑誌や本のことなど [雑記]

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Sex Pistols

今日はとりとめのない雑記です。

雨降りだからSFでも勉強しようと思って、最近出た牧眞司の『JUST IN SF』をパラパラと読んでみました。帯にはSF書評2013-2015とあり、各見開き2ページの書評になっていて、簡単なあらすじがあり、どんな本かがわかるのでなかなか便利です。
独自のジャンル分け、著者紹介もあって、それと書評の末尾 (つまり見開きの左下) にある 「次に読む本」 というのが面白かったりします。2冊あるうちの1冊は、その著者の別の作品だったりするのですが、もう1冊の選択の仕方にうなづかされたりする。たとえばロラン・ジュヌフォールの『オマル』だとジャック・ヴァンス『大いなる惑星』とラリイ・ニーヴン『リングワールド』がチョイスされていて、これだけで 「ああ、それ系か」 とわかる仕組み。
このジュヌフォールはハヤカワの新☆ハヤカワSFシリーズ ―― いわゆる銀背なのですが、最新刊はグレッグ・イーガンの『エターナル・フレイム』でシリーズNo.は5028。ということはもう28冊も出てしまったということですが、ほとんどまだ読んでない。最初の頃、ちょっと読みにくいというか読む気のあまり起こらないのが幾つかあって、そのへんで挫折してしまいました。本は増えるけれど既読書は増えず。むべなるかな (言葉の使い方としてちょっと違うぞ)。

表紙の小泉里子がいつもとちょっと違った表情だったので、つい『CLASSY.』を買ってしまう。いつもの顔よりちょっとクリアで、キリッとしてます。こういうふうに撮れるところがプロ・カメラマンの腕なんだろうなぁ。なんとなく誌面がいまだにバブルの影のあるような内容なのはいいとして、でも想定している読者層より実際の読者層は高めのように感じます。
Gジャンとライダースという、とりあえず何でもいいや 「ハオリモノ」 特集! ということなんでしょうが、ライダースというのはもともとは男性用のゴッツイ服だったはず。でもトレンチコートでも迷彩柄でも、皆、取り込んで変質させてしまうのがファッションという大食漢のたくましき性格です。
ライダースも、だから厚手の牛革でなく、羊革になり、そして山羊革になり、と服のパターンだけ残してソフトに形骸化してゆく。次は鹿革かな?

でもレザーというのは使えそうで意外に使えない。だって寒くなったら今は廉価なダウンジャケットがあるし、それにレザーってそんなに防寒には向いてません。といって夏に使えるわけではもちろんないです。
パンクバンドのライヴに行くときは夏でも革ジャンですよ、とか美容室のロック好きなアシスタントが言ってましたけど、本来はそういうものだったんですよね。Schott とかそういうの。
ちなみに『CLASSY.』という雑誌名はクラッシー・ドットなので、モーニング娘・マルと同工異曲。だからどうした?といわれても、どうでもないです。

それで先週末、ぼんぼちぼちぼちさんのオフ会に参加させていただいたんですが、そのことはもっときちんとした記事を書かれているかたがいるので、おまかせすることにします。
その日、ちょっと早めに着いてしまったので、高円寺の街を探訪してみました。この前、ぼんぼちさんから高円寺は古着屋が多いよ、という話もうかがっていましたし。
古着屋多いですね~。しかも土曜日とはいえ、タイムサービスの呼び込みをしている古着屋まであってびっくり。ただ、その店がどういうジャンルなのかとか、そういうのがよくわかりません。私の知っている範囲の古着屋は、いわゆるリサイクルショップの一環で、しかもデッドストックみたいな、実は純粋には古着じゃないもの (新古品という) を扱っているような店がほとんどです。高円寺はそういうんじゃない、もっと骨っぽい古着屋さんがあるみたいに感じます。そういう意味で高円寺は探訪のしがいがあって、まだ伸びしろがある。
ずっと南のほうに向かう道を歩いて行ったら、古書店がありました。創業昭和6年と看板に掲げていて店のなかが不思議に白っぽいので入ってみました。そしたら本にすべてグラシンがかけてあるんです。本を大切に扱っているというマニフェストなんでしょうけど、全体的にやや高め。でもたとえば齋藤磯雄著作集とかあって、ふーん、とちょっと驚き。齋藤磯雄はヴィリエ・ド・リラダンの訳者として有名。他にも見たことのない興味をひく本がいろいろありました。でも買わなかったけど。今度、またゆっくりと時間のあるとき行ってみたいと思います。

ギターマガジンの先月号はビザールギターの特集で、表紙はナショナルの赤いギターというありがちな選択ですが、インパクトはとてもあります。
ビザール (bizarre) とは風変わりな、とか奇妙な、という意味で、ビザールギターというのは要するにヘンなかたちをしたギターのことなのですが、エレクトリックギターの場合、マイクで弦振動を拾って音を出しているのでボディシェイプにはあまり制約がないんです。それでヘンなボディ形状でもOKということになる。プリンスもヘンなかたちの特注ギターを使っていましたが、見ただけで 「ああ変態!」 とわかるようなデザインです。いかにもプリンスらしい。これが高見沢俊彦だと、彼の場合、ほとんどがESPというギター製作会社製ですが、もうあまりにもバカバカしいかたちで弾きにくさはmaxだろうし、ギターというよりは工芸品化していて、かたちとしても変態ではなくてウケ狙いですね。
でもいわゆるビザールギターの場合は、そういうんじゃなくて、もっとチープというか、昔、弱小のギター会社がデザインもあまり考えずに作ったような廉価ギターがその根源にあります。わざと作ったわけじゃなくて、つい作っちゃったんだけれど結果としてあまり普通じゃないデザインだったというのがその実態です。
ですから日本国内の昔のギター、テスコとかグヤトーンといったメーカーに人気があります。前回ブログにも書いたことと関連してますが、日本の1960年代の経済成長の頃の例のひとつ、というか 「あだ花」 なのかも。音はチープでも、極端にいえば弾きにくくてもいいので、つまりやっぱりウケ狙いとも言えます。
このビザールギター特集みたいなのはときどき忘れた頃に出現するので、つまり車雑誌だったら困ったときのポルシェというセオリーがありますが、それに似てます。
ですからたとえばギブソンのモダーンみたいなのは、今回の特集では扱われていません。つまり変形ギターではあるけれどビザールじゃない、ということになります。ましてやフライングVなんて、ごくフツーのシェイプということになってしまってます。

ナディア・ブーランジェ、ヴィヴィアン・ウエストウッド、デヴィッド・シルヴィアンといった人たちの伝記ものの本が出ていて、買ってはみたものの読んでいません。ヴィヴィアン・ウエストウッドはDU BOOKSという出版元ですがこれはディスクユニオンのことです。ヴィヴィアンといえばマルコム・マクラーレンで、つまりセックス・ピストルズという関係性があるので音楽系というふうに考えることもできるけれど、であってもちょっとトリッキー。ディスクユニオンは、つまりアナログなレコードとか紙製の本とか、そっちを大事にするというポリシーのようにも思えます。
と、こういうふうに書いてしまうととりあえず済んだとカンチガイして、もう読まなかったりして。(読めよ!)


牧眞司/JUST IN SF (本の雑誌社)
JUST IN SF




CLASSY. 2016年10月号 (光文社)
CLASSY.(クラッシィ) 2016年 10 月号 [雑誌]




Guitar Magazine 2016年9月号 (リットーミュージック)
Guitar magazine (ギター・マガジン) 2016年 9月号  [雑誌]

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夏の終わりの嬰ハ短調 ― 橋本治『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』を読む・1 [コミック]

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萩尾望都/小夜の縫うゆかた

橋本治の少女マンガ論『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』は畏敬すべき本だ。それは予言の書であり、1979年発行という随分昔に書かれたものであるのにもかかわらず色褪せていない。これは非常にマニアックな本であるが、あとがきにも書かれているように、当時 「オタク」 という言葉はまだ存在していなかったという。また精神分析学的な視点も、今よりもずっと未発達だった。そうした環境の中で書かれたのだとしたら、それは評論として稀有のものであり、隔絶した孤峰である。
橋本はもうこれで書き切ったと考え、この後、マンガについて書くことからは離れてしまったという。まるで詩作を捨てたランボーのように。

とりあげられているマンガ家とマンガ作品には、すでに過去の人や作品となってしまったものもあるが、そうした中で萩尾望都、山岸凉子、大島弓子はいまだ健在である。

もしかすると、このふざけたタイトル ―― 花咲く乙女たちの……というのが読者になろうとする者の印象を損ねているのかもしれない。その内容はプルーストとは何の関係もないし、そもそも私は花咲く乙女たちという言葉がどこから来ているのかを当初は知らなかった。
橋本の論述が最終的に収斂してゆくのは大島弓子の『綿の国星』である。それは当時、最も衝撃的な作品だったはずで、まさにそこに辿り着くためにこの評論は書かれたのだと言ってもよいかもしれない。そして橋本は 「バナナブレッドのプディング」 が 「綿の国星」 を生み出すための鍵であるという。
また私は、綿の国という連想から、マリオン・ブラウンの《November Cotton Flower》を思い出していた。もちろんそれは語感だけの、ごくファンタジックな印象に過ぎない。「綿の国星」 の基本は 「女である母」 と 「意識を持ってしまった、まだ女ではない少女」 の物語である。より正確に言えば、ピーターパンにおけるウェンディが、いつ、いかにして女としての意識を持ったのか、ということと相似形の物語であると思う。

     *

橋本の萩尾望都に対する分析はナイーヴで美しい。
時代と作家の関係性を彼は次のように規定する。

 かつて “世界” は存在していた。そして世界とは “家庭” である。
 (前篇p.81/以下、前篇は前、後篇は後と略)

これは橋本の立てた一種のテーゼであり、それを元にすべてが展開する。その是非はさておき、その 「世界とは家庭」 とする唐突さと意外性がユニークな視点であることは確かである。
かつて存在していた世界とは、第二次世界大戦後、日本が戦禍から闇雲に立ち上がって経済的な復興を成し遂げようとしていた1945年から1959年までを指しているのだという。
それは、今まで敵国であったアメリカの豊かな生活を夢見て、それに追いつこうとする願望であり、そしてマンガは鉄腕アトム、赤胴鈴之助、月光仮面といった少年マンガの興隆期であった。同時にその時期のアメリカにおいても、もっとも有名なSF小説の代表作 (クラーク、アジモフ、ハインラインetc.の) はほとんどこの頃に書かれてしまったのだともいう。

以前に私が聞いた説は、少年もの、というか少女マンガにおける少年愛もの (今の言葉でいえばBLもの) の少年たちの設定が (たとえばポーの一族のエドガーが) 14歳であるのは、少年が少年としての属性を失い、大人に変わりはじめてしまうギリギリの時期であるからということだったが、それは橋本の設定する1945年から1959年までの14年間という数字と見事に一致する。それこそが14という数字の真の意味なのだろうか。それは偶然でなく暗合であると示唆されているかのようだ (とはいえ、現代の子どもの性徴は早く、たとえば声変わりの時期が14歳というのにはすでに無理があるが)。

そしてマンガ (この場合のマンガとは子ども向けのマンガであり、そもそもその頃に大人向けのストーリーマンガは、ほとんど存在していなかった) は現実を直視する必要は全くなく、なぜなら (その頃の) 子どもは (大人のかたちづくった) 現実を信頼しているからであり、つまり現実を信頼しなくなったとき、彼/彼女はもう既に子どもではないのだ (前p.98) と橋本は指摘するのである。

日本の経済復興のお手本であり目標であったアメリカはやがて衰退をはじめるが、橋本はその始まりを1954年の映画《エデンの東》におけるジェームス・ディーンとし、そして《ウエストサイド物語》がその終焉を象徴するものだとする。なぜなら《ウエストサイド物語》はファンタジィが現実になってしまったものなので、ファンタジィを生きようとしても、もうハッピーエンドの道筋をたどることができない (前p.112) とするのだが、この《ウエストサイド物語》が終わりのしるしという意味が、私には今ひとつ具体的に把握できない。それはこの映画を単なる映画史上の作品のひとつとしてしかとらえられない体験上の限界のせいなのだろう。

初期の萩尾作品はミュージカル仕立てなのだと橋本は語る。月並みな筋立てとハッピーエンド、それはミュージカルの作劇の常套であり、夢としての枠組みであり、その華やぎの終わりが 「ポーの一族」 へとつながっていくのだという (前p.98)。
アメリカの夢が終焉となったように、ミュージカルも終演となったので、「ポーの一族」 の完結後、「この娘うります!」 を例外として、萩尾作品からミュージカル形式は消えてしまったのだということなのだ。そしてポーからトーマ、さらにSF的作品へと萩尾のテーマは変遷する (前p.111)。

14という数字にこだわるのならば、1948年生まれの萩尾が14歳のときは1962年、それは日本がオリンピックを開催できるまでに成長した1964年の少し前、今となっては気恥ずかしいかもしれないほどの、この国が最も高揚していた時期なのだ。まだ日本は貧しかったのかもしれないが希望と意欲だけは確実にあった頃である。そして素朴でさらりとした夏の日常性を描いた 「小夜の縫うゆかた」 の主人公小夜も、また14歳なのである。
それこそが橋本がテーゼとした、かつて存在していた世界を示しているのであろう。

しかしその幸福な夢は崩壊する。そして、まり、のえる、フロル、エドガー、阿修羅王といった、強い 「女性」 性の系譜が以後の萩尾作品の核となる。

[個人的な好みを書けば、初期の描線の少ない萩尾作品は何ものにもかえがたい。私の好きなベスト3は 「小夜の縫うゆかた」 「セーラ・ヒルの聖夜」、そして初期とはやや言えないけれど 「この娘うります!」 である。なかでも 「小夜の縫うゆかた」 の中には、喪われてしまったこの国の季節が今も生きている]

     *

山岸凉子を語るとき、性の問題を避けて通ることはできない。
ところが少年マンガには性がない、と橋本は指摘する。本来、男女間に性的な欲望が存在する場合、少女は被害者になる可能性が高く、少年は加害者になる可能性が高い。その加害者になる可能性を回避するため、少年マンガは性を黙殺することによって成立してきたのだという。
「性」 がないこと、もっと端的にいえば性的欲望が欠落していることが少年マンガの異常性であり、それは “いつか” という信仰で支えられている期待感なのだと橋本はいうのだ (前p.194)。
そして、そうした少年マンガの 「つくられた潔癖性」 あるいはカマトトブリッコな欺瞞に対してのアンチテーゼが山岸の突きつけた刃であって、それは性別の意識を持たざるをえない少女たちの痛烈な顕示でもあるのだ。

たとえば 「ハーピー (女面鳥獣)」 において、少女に異臭があることを設定したことは、それが性的な存在としての少女を描き出そうとした物語であり、その異臭に気づく少年もまた、性的な意識を持っているということになるのだと橋本は書く (前p.222)。
そして性的なものに対する抑圧と矛盾、男性中心的社会に対する一種の告発として、そして人間の精神の脆弱さを描き出した最も典型的な作品が 「天人唐草」 である。
一連の精神疾患的なこの時期の作品の中で一番有名であるが、その 「響子は発狂した」 という淡々とした結論は、たとえばルイ・マルの《鬼火》(1963) における主人公の自殺と現象面的には同じである。つまり外に攻撃的な様相をとるか、内に閉塞していくかの違いに過ぎない。
ただ、山岸の作るストーリーは 「アラベスク」 などにもすでに見られるようなフェミニズム的思考をとらえたマニフェストであり、それが冷静に、かつ明確に描かれているのが特徴である。

精神疾患的アプローチは萩尾望都にもあって、多重人格 (DID) を扱った 「アロイス」 からシャム双生児的 「半神」 に至るのは、精神のdoubleが肉体的doubleへと変化したととらえることもできる。
対して大島弓子の、たとえば 「パスカルの群」 は、表面的にはトランスヴェスタイトでありながら、多分にGID的であり、精神的深刻さを軽さに置きかえることに長けている。男装とか女装といった普通に考えたらバレるだろうという設定がバレないのは一種の様式美への信頼であり、名探偵コナン的クリシェ (つまりコナン君が毛利小五郎のかわりにしゃべっていることが誰にもバレないこと) でもあって、それはあらかじめ決められている演劇的な約束事にも近い。
それは幻想というより信仰なのかもしれない。江口寿史の 「ストップ!! ひばりくん!」 の中で、つばめがひばりの身代わりをするのも同様のパターンである。
そもそも単純な変装の幻想は、江戸川乱歩のジュヴナイルの常套手段でもあったのだ。それは橋本の指摘していた戦後の興隆期の中に括られる現象でもあるのだろう。
(→2016年09月16日ブログへつづく)


橋本治/花咲く乙女たちのキンピラゴボウ 前篇 (河出書房)
花咲く乙女たちのキンピラゴボウ 前篇 (河出文庫)




橋本治/花咲く乙女たちのキンピラゴボウ 後篇 (河出書房)
花咲く乙女たちのキンピラゴボウ 後篇 (河出文庫)




萩尾望都/半神 自選短編作品集 萩尾望都Perfect Selection 9
(フラワーコミックススペシャル) (小学館)
半神 自選短編作品集 萩尾望都Perfect Selection 9 (フラワーコミックススペシャル)




萩尾望都/ルルとミミ (小学館)
ルルとミミ (小学館文庫 はA 44)




山岸凉子/天人唐草 (山岸凉子スペシャルセレクション 5) (潮出版社)
天人唐草 (山岸凉子スペシャルセレクション 5)

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アコードのブーレーズを聴く ―《Le Marteau sans maître》 [音楽]

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Pierre Boulez et Jean-Louis Barrault
pendant les répétations de “Tête d’or” de Paul Claudel.
Théâtre de l’Odéon, Octobre 1959

ピエール・ブーレーズの録音をさらに遡っていくのならば、仏・Accord盤の《Le Domaine musical 1956 ... 1967》の vol.1 と vol.2 という2つのセットに辿り着くことを思い出した。

ル・ドメーヌ・ミュジカルとはブーレーズが主導した演奏グループで、アコード盤はその記録の集成として Universal Music France からリリースされた。その後、この2セットが合体して独・グラモフォンから再発されたが、その際に1956年の第3コンサートというディスクが1枚追加されている。
このようにして再発毎にオマケが増えていくのは悩ましくて、つい買い直してしまいそうになるが、でもアコード盤のvol.2はジャケットに小さく入っている絵がニコラ・ド・スタールで、DG盤よりもシャレている (ニコラ・ド・スタールについては→2013年08月03日ブログ参照)。

アコード盤のvol.1には本来の4枚のディスクとは別にボーナス・ディスクというのが別仕様で1枚付属していて、インタヴューと Le tout premier enregistrement du Marteau sans maître de Pierre Boulez, réalisé en 1956 [disques VEGA] と書かれている (DG盤では10枚目にあたる)。つまりこれが《ル・マルトー・サン・メートル》の最初のレコーディングであり、ヴェガというのはオリジナルのレーベル名だろう。
1枚目のディスクにも《ル・マルトー・サン・メートル》は収録されている。レコーディング・データが明記されていないのだが、deutschegrammophon.comのデータを見ると1964年とのことである。ja.wikiによれば原盤は Deutsche Harmonia Mundi である。これが2回目の《ル・マルトー・サン・メートル》の録音とのこと。1回目のvoiceは Marie-Thérèse Cahn (ja.wikiではKahnとなっているが、他のデータがCahnなのでCのほうを採る)、2回目のvoiceは Jeanne Deroubaix であり、指揮はもちろんどちらもブーレーズ本人である。
前回のブログの《プリ・スロン・プリ》でも思ったことだが、人の声 (しかも女声) へのこだわりが初期のブーレーズにはあるように感じられる。
(尚、仏・Adès盤もあるが、おそらく2回目の録音の再発と思われる。但しジャケット・デザインが複数あり実物も見ていないので、確信は持てない)

しかし《ル・マルトー・サン・メートル》は《プリ・スロン・プリ》のように延々と改訂し変容していくような経緯は辿らなかった。そのため、ブーレーズ初期の曲想を理解するのに好適である。
そしてなによりこの第1回目の録音は記念すべきディスクであるだけでなく、創生期のブーレーズの音楽がどういうものだったのかを報せてくれる。録音はモノラルである。だがこの音の生々しさが鋭く、そして心地よく耳に届く。
ビートルズやローリング・ストーンズのアルバムがモノラルでも再発されているのは、当時はまだモノラルが主流であり、ステレオの技術も未熟であったのでモノラルのほうが音が良い、というのが理由とされるが、まさにそれと同一の、モノラルの芯のある音である。

《ル・マルトー・サン・メートル》のタイトルと歌詞はルネ・シャールの同名の詩集 (1934) から採られているが、ルネ・シャールはシュルレアリスム運動に参加したひとりである。そしてダダやシュルレアリスムは、非西欧的でプリミティヴな美術に価値を見出したが、ここで展開されているブーレーズの音の志向はまさにそのシュルレアリスム的美学を音で再現しているように思われる。
アンドレ・ブルトンを語るとき、音楽についてはほとんど語られるべきことが無いが、少し持って回った方法でこうしたところにそのシュルレアリスム運動の影響があるのではないかとも考えられる。といってその音が自動記述的とかいうわけでは、もちろんない。
1956年という、すでにシュルレアリスムが衰退している時期であるし、ルネ・シャールという素材をどのような考えを持って用いたのかということにもよる。あくまでマテリアルでありシンパシィは無いのかもしれない。

ブーレーズはオリヴィエ・メシアンに教えを受けた後、その音楽的活動を開始した端緒となるのがジャン=ルイ・バローとマドレーヌ・ルノーの劇団〈ルノー=バロー劇団〉のいわゆる劇伴をしたことなのだが、ja.wikiにはそうした記述がない (というか、ごくお手軽な短い内容でしかない)。
(というようなことは先のブーレーズ逝去の際にすでに書いたことと重複するので、そちらを参照していただければ幸いである。→2016年01月09日ブログ)

《ル・マルトー・サン・メートル》の1回目の録音と2回目の録音を較べてみると、2回目はステレオであるし、音も洗練されていて音に輝きがある。現代音楽作品の演奏としてはまさに的確で、優れているものであると思う。
しかし1回目の、モノラルの、少し泥臭くて、すごくデッドで、まさにそこに楽器があるような無骨な演奏は、フランス音楽という語感から来る洒落たイメージとはかけ離れていて、ブーレーズの強い意思が感じられて、これから階段を上がろうとするその姿が想像できるのである。
ここにあるのはレヴィ=ストロース的な 「まだナマの」 火を通していない音である。それは未完成であるかもしれないが、最も情動的で初めての初々しさと荒々しさを持っている。

最近、坂本龍一のごく初期の演奏を集めた《Year Book 1971−1979》がリリースされたが、このアルバムについては別稿で書きたいと思っているのだけれど、そこにも同様に、まだ混沌とした領域にあるのかもしれない音楽の生成の様子が感じられるように思う。
クリエイターの姿はその処女作にあらわれる、というのが必ずしも全部真理ではないのだけれど、まだこれからという時期の作品にはそれまでに蓄積された (あるいは鬱積した) すべてのものが詰まっている。それはときとして、ちょっとウザかったり、押しつけがましかったりするものなのだ。ああなるほど、つまりなんでも最初はアクが強いくらいのほうがいいのかもしれないな、と少しだけ思ってみたりする。


Pierre Boulez/Le Domaine musical (Deutsche Grammophon)
Le Domaine Musical 1956




Pierre Boulez/Le Domaine musical vol.1 (Accord)
Vol. 1-Le Domaine Musical




Pierre Boulez/Le Domaine musical vol.2 (Accord)
Vol. 2-Le Domaine Musical




Icarus Ensemble/Le Marteau sans maître
https://www.youtube.com/watch?v=7JIAVneYYoM

Bruno Maderna/Le Marteau sans maître
Conducted by Bruno Maderna, Jan. 28, 1961.
https://www.youtube.com/watch?v=zvWBiox8Hd8

Le Tout Premier Enregistrement du "Marteau sans maître"
de Pierre Boulez (réalisé en 1956- Disques VEGA)
https://www.youtube.com/watch?v=3DjrZCrpRoI
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エラートのブーレーズを聴く ―《Pli selon pli》 [音楽]

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Pierre Boulez leads the CSO in rehearsal
for his Orchestra Hall debut concerts in 1969.

ピエール・ブーレーズの仏・エラート盤への録音は1980~1991年頃となっていて、ブーレーズは1925年生まれだから年齢的には55~66歳ということになる。60歳前後というとかなり後のように思えてしまうが、その後のグラモフォンへの録音から考えると、ブーレーズが亡くなったのは91歳だし、まだ若い頃 (といったら語弊があるかもしれないが) ということになる。

今まで私はブーレーズに関して、録音時期というのをそんなに意識していなかったのだが、「ブーレーズって齢をとったら丸くなっちゃって」 みたいなことを聞くと、じゃ、若い頃ってもっとトンガっていたのかなと興味が湧くのだが、でも、Sony Classics から以前に出ていた京都賞受賞記念エディションというCBS音源のはエラートよりもっと前のはずで、でもそんなにキツかったかなと思い出しても記憶がない。
しかも同一デザインのつまらないジャケットのソニー・クラシック盤をせっかく揃えたのに、その後、オリジナル・ジャケットのコンプリート盤として出し直されてしまっているし、う~ん、これってキリがないですよね。それがレコード会社の売り方といえばそうなんだけど。

でも、なにはともあれエラート盤を聴いてみる。
ストラヴィンスキーがdisc1から3、そして4と5がシェーンベルクで、disc12~14が自作曲という配列になっている。ところが中のパンフレットに Recording のリストがあって、一瞬、よくわからなかったのだが、時系列でのリストになっているのでこれは便利! 見ていくとメシアンのみが1966年の録音になっていて、それ以外が80年から91年に録られた演奏。そして《プリ・スロン・プリ》は1981年11月と表示されている。
ちなみに1966年はCBSでの録音の始まった年で、ベルクの《ヴォツェック》がそのCBSでのデビュー盤だったとある (ベルクのヴォツェックについては→2016年06月04日ブログを参照)。

シェーンベルクといえば 「シェーンベルクは死んだ」 という有名なブーレーズのフレーズがあって、『ブーレーズ作曲家論選』のなかにそのタイトルがある (→2015年06月28日ブログ参照)。そのためか ja.wiki には 「シェーンベルクの音楽に対しては次第に批判的になる」 などと書いてあるが、まるで皮相的な見方でしかない。もしそうだったら、こんなにシェーンベルクをとりあげて演奏するはずがない。ブーレーズの文章は常に持って回った言い方で情報量が多くて理解しにくいことが特徴であり、それが原因としてあるのかもしれない。

さて、《プリ・スロン・プリ》はブーレーズの作品のなかでかなり有名な1曲であるが、それは最初からそのかたちをしていたのではなくて、だんだんと増殖して最終形 (つまり pour voix de soprano et orchestre) になった経緯がある。
その根源となる曲は1957年の《écriture d'Improvisation I sur Mallarmé》だという。マラルメの詩を元にしているので、最初からソプラノの歌唱は固定されているが、それ以外に選択された楽器はハープ、ヴィブラフォン、鐘、打楽器とあり、まだ完全なオーケストラの形態ではない。ただ、鐘が選ばれているのは重要である。この曲の個性を示しているからだ。

一応のかたちとして5つのパートとなり、それを演奏したのが1960年のケルンということだが、完成形としては1960年版をさらにいじった1962年のドナウエッシンゲン・フェスティヴァルでの演奏あたりだと思っていいのだろう。
したがってCBS盤のブーレーズ指揮/BBC交響楽団とハリーナ・ルコムシュカのソプラノによる1969年録音がこの曲が固定されたその最初のディスクだということになる。

ソプラノの歌唱が重要であるということから連想されるのは、シェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》であり、さらにいえば《弦楽四重奏曲第2番》である。第2番は1907年から08年にかけて作曲された弦楽クァルテットではあるが、弦の音の上に乗るソプラノということで、《プリ・スロン・プリ》にそのイメージ (つまりシェーンベルクの影) を重ね合わせるのはそんなに見当外れなことではないと思う。
ただ、前述したように、《プリ・スロン・プリ》で重要な意味を持つのは鐘であり、打楽器群の鋭い反応と呼び交わしがスリリングである。クリアな音はエキセントリックではなく、といってもちろん鈍重ではなくて、ブーレーズの意図する音が十分に形成されているような印象を持つ。
DG盤と聴き較べてはいないのだが、一聴してエラート盤のほうがシャープネスな印象がある。

唐突な比較をすればたとえば武満徹の音とブーレーズの音は全然異なっていて、ブーレーズのこうした音の扱いかたを聴くと武満の音はとても日本的だ。それは良い悪いというのとは全然違っていて、リズムのタイミング、それぞれの楽器の固有のクリアさ、重なって鳴ったときの響きなど、つまり打楽器の音の扱いに民族性が出るのである。
もっとも、以前、私はブーレーズの《リチュエル》について、作曲者本人の指揮より弟子のデイヴィッド・ロバートソンのほうがソフィスティケートされているというようなことを書いたが (→2012年11月16日ブログ)、それは時代性というよりも本来のブーレーズが持っていたテーマへの偏執性の差であって、本来の《リチュエル》はエグくてアクの強いものであるのかもしれないということに思い当たった。
だが逆に、下記の動画リンクのように、作曲者本人の指揮でない演奏のほうが客観的であり作品に普遍性が出てくることは確かである。それにそのほうが作品としての命脈も長くなるように思われる。

プリ・スロン・プリというタイトルは、ステファヌ・マラルメのソネット (14行詩のこと)〈ベルギーの友の思い出〉(Remémoration d’amis belges) からとられている。

 Que se dévêt pli selon pli la pierre veuve

ネットを探して、山中哲夫氏のマラルメに関する非常に詳細な分析を拝読した。remémoration という古語をわざと使ったり、selon も本来なら pli à pli であることなど大変参考になった。もっともその全体像は私には高度過ぎる内容であったが。

今回聴いていて《プリ・スロン・プリ》以外のブーレーズの作品のなかで秀逸だと思ったのは《Dialogue de l’omble double》(二重の影の対話/1985) である (タイトルに内在するDの連鎖、Lの連鎖、そしてbleの重なりなど、タイトルそのものが美しい)。pour clarinette et dispositif électronique と楽器が指定されているが (dispositif は英語で device のこと。「クラリネットと電子装置のための」)、単純にクラリネットを用いているわけではなくて、この楽器が各音域によりどのような音が出すのか、というのを見極めながら精緻なライティングをしている。クラリネットでありながら、その深みのある音色から、私が連想したのはもっと低い音域のバス・クラリネットを使うエリック・ドルフィのインプロヴィゼーションで、しかしそれよりも記譜するという冷徹な行為がある分だけ音はより緻密だ。
同曲は後年、バソン (1995) とフルート (2014) に編曲されている。


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Pli selon pri ジャケット (CBS盤1969年録音)

Pierre Boulez/The Complete Erato Recordings (Erato)
Pierre Boulez: The Complete Erato Recordings




ブーレーズ作曲家論選 (笠羽映子・訳、筑摩書房)
ブーレーズ作曲家論選 (ちくま学芸文庫)




Matthias Pintscher, Marisol Montalvo,
Orchestre du Conservatoire de Paris
Ensemble intercontemporain/
Boulez: Pli selon pli (Don)
https://www.youtube.com/watch?v=W56pQqEVetA
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