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ジスモンチとヴァスコンセロス [音楽]

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Egberto Gismonti, Naná Vasconcelos
Teatro del Parque Araucano, 2014.06.08

この頃、エグベルト・ジスモンチの初期のECMへの録音を聴いている。
彼のECMからの第1作は《Dança das Cabeças》(1977) であり、リリースされたのは1977年だが収録は1976年11月の3日間、オスロと表記されている。そのとき、ジスモンチは29歳であった。演奏はナナ・ヴァスコンセロス (Naná Vasconcelos) のパーカッションとのデュオである。

ECMという外国のレーベルで、しかも当時ジャズ系の演奏が主体だったレーベルからリリースすることは、ジスモンチにとって冒険だったのかもしれなかったが、結果としてそれは成功し、以後、ECMから作品を続けて発表することになる。ECMにとっても、そのサウンドカラーを印象づける重要な演奏家のひとりを獲得できたことになったと思える。
独特の奏法によるジスモンチのギターとピアノはすでに完成形にあり、この40年前のECM盤とごく最近の演奏とを較べても、彼の世界はほとんど変わらずに創り出されていることがわかる。

ジスモンチはブラジルで生まれ、子どもの頃にはクラシックを学んでいたが、次第にポピュラー音楽に目覚め、1969年に22歳でフランスに行き、ナディア・ブーランジェから学ぶ。ブーランジェはジスモンチに故郷ブラジルの音楽を生かした曲づくりをするように教える。
ブーランジェは曲づくりに悩んでいた若きアストル・ピアソラにも、彼本来のルーツであるタンゴを生かせと教えたが、それと同様である。

ジスモンチはフランス滞在時 (1969~1970年頃) に、ブーランジェ等から学びながらも、すでにマリー・ラフォレの編曲等の仕事をしていたが、彼女がフランシス・レイ作曲の〈Je voudrais tant que tu comprennes〉を歌ったのが1966年、彼女の最も活躍していた時期の一翼を担っていたといえる (この曲は1989年にミレーヌ・ファルメールが最初のライヴ En concert (1989) でカヴァーしたことで知られる。ラフォレのオリジナルはアルバム《Manchester et Liverpool》(1967) に収録されている。尚、アルバム表題曲の〈Manchester et Liverpool〉はアンドレ・ポップ作曲で、ピンキー&フェラスもリリースしていた。ノスタルジックな、いかにも60年代風のポップチューンである)。

さて、そのECM最初のアルバム《Dança das Cabeças》だが、トラックリストを見るとPart I と Part II とに別れていて、それぞれが幾つかの表題を持った小曲の集成であるような形態になっている。全体の雰囲気はやや抽象的で禁欲的であり、それはジスモンチのもともとの個性だけでなく、やや気負いがあるのではないかとも感じられる。あくまでジスモンチの個性が勝っていて、ヴァスコンセロスのカラーは少し薄めな印象がある。
私が連想したのは、まるで見当違いかもしれないが、曲のなかでのパーカッションの印象的な扱いかたとか、ややルーズな構成の長めの曲 (それは幾つかの曲をつないだものではあるのだが) というフォームなどから、すでに数年前にベストセラーになっていたキース・ジャレットの《Death and the Flower》(1974) のことであった。
もちろん曲想は全然違うし、ジスモンチはキース・ジャレットのようにポップではなく、やや取りつきにくい曲ではあるのだけれど、静寂からやがて音数が増して昂揚してゆくような流れは、《Death and the Flower》がそのもっとも典型的な例ではあるが、そうした傾向 (曲の持って行きかた) が当時は流行していたのではないかとも想像してしまう。その当時、ジスモンチが欧米系の音楽シーンをあまり知らなかったとは言え、まるで無関心だったはずはなく、売れ線であったキース・ジャレットの動向は意識していたのではないだろうか。
もっともこれも、いつも私が書いているように、21世紀から見た客観的というよりは冷静過ぎる耳で聞いた感想に過ぎないのかもしれないが。

ジスモンチがヴァスコンセロスをデュオのパートナーとして選んだのは多くのメンバーで演奏をするのに支障があり、ECMにとっても最も負担の少ないデュオという形態をとらざるを得なかった窮余の一策という面がある。
同じブラジル人として意気投合した2人は、その後も共演を繰り返した。《Dança Das Cabeças》以後のジスモンチ名義のヴァスコンセロスとのアルバムには《Sol Do Meio Dia》(1978)、《Duas Vozes》(1984) がある。またヴァスコンセロス名義のジスモンチ+オーケストラのアルバムとして《Saudades》(1980) がある。

ヴァスコンセロスは、たとえば下記にリンクしたジャック・ディジョネットのユニットで見せているような色彩感豊かな演奏が素晴らしい。彼の音楽のなかにはヴィラ=ロボスと同じようにブラジルの美しい鳥や動物たちがいつもずっと棲んでいる。

今年 (2016年)、ジスモンチとヴァスコンセロスはデュオとして来日し公演が予定されていたが、その寸前にヴァスコンセロスは急死してしまった。彼は多くの人たちと共演したが、それは音楽のジャンルを超えて、ブラジルの自然の美しい鳥たちと同じように、いつも、いつまでも自由である。


Egberto Gismonti/Dança das Cabeças (ECM Records)
Danca Das Cabecas




Egberto Gismonti & Naná Vasconcelos/Dança das Cabeças
Kaiser Bock Winter Festival 30/06/1996
https://www.youtube.com/watch?v=K1EwZPvdmvw

Nana Vasconcelos, Jack Dejohnette/Preludio Pra Nana
Montreal Jazz Festival
https://www.youtube.com/watch?v=cgFSt2jK7BE
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擬装と錯綜のモード ― 鷲田清一『モードの迷宮』を読む (2) [ファッション]

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Alexander McQueen 2016AW (Sarah Burton)

擬装と錯綜のモード ― 鷲田清一『モードの迷宮』を読む (1) のつづきです。


《制服という記号》

すべての衣服は制服であることという視点も面白いし、特に今の時点では、この本の書かれた当時より卑近な話題として解釈できる。
「〈わたし〉の自己同一的な存在は」 「意味の共同的な制度に自らを同調させること」 であり、「〈わたし〉がある属性を手に入れること」 「〈わたし〉の生成にとって決定的な役割」 をするのが衣服であるという (p.122~123)。
それは 「可視性のコード化」 (p.125) であり、「生存を制度化する (制服としての) 衣服」 (p.126) なのだというのである。

制服が個性を消してしまって均一の記号として作用するという負の面に対して、むしろ制服という記号のなかに個性を隠すという方法論も存在する。それが高校生の制服であり、それを拡大解釈したアイドル・グループの衣裳であり、そしてコスプレである。このラインはひとつながりであり、デザイン性の多少による違いに過ぎない。
鷲田はこうした可視性のコード化によって 「個々人の差異を消すという口実」 は 「もっとのっぴきならない事態を隠しているのではないか?」 と指摘する (p.127)。ではそれは何か。

衣服が常に両義性を持つものとするのならば、制服という強制力がもっと負の作用を強く持つ場合もあるはずである。つまり、その人がどういう職種であるかを同定させるためだけの記号としての制服であり、それは企業が従業員を従属させるために着せる、その多くはファッション性を持たない劣悪なデザインと縫製の制服である。個性をわざと喪失させ、醜悪な記号として押し込めることによって、人を奴隷的に扱えるような意図のもとに、それは作用する。
制服の究極の形態は軍服であり、軍服というコードが何を示すのかは明快である。本来、自分の自由度を表出するはずのモードが全く反対のものとして (つまり一種の拘束として) 作用するというのも皮肉な両義性である。こうした強制力をあらかじめ持っている制服のしめつけは、拘束というより暴力に近い。負の面に対する視点があまり見られないのは、やはりこの論の書かれた時代性だろう。つまり当時は、現代より物事に対してずっと楽観的であったのに違いない。

 わたしたちは他者たちからひとつのタイプとして承認されるかぎりでし
 か〈わたし〉となりえず、その意味で共同性のなかにすっぽり包みこま
 れることになる。(p.135)

衣服は、それ自体が社会的な意味作用を持ち、可視的なイメージを提出しているのだとすれば、その統一的なイメージとかスタイルというものは社会のなかの共同性として認識されるということだが (p.135)、つまり逆に言えばそうした記号化というかたちでしか承認され得ないという負の部分もあると思われるし、そしてそれは日々増長しつつある。


《匿名化》

さて、制服という匿名性を持つ現象を考えたとき、最も極端な状態はマスク (仮面) である。それは隠蔽性の極端なかたちであり、〈わたし〉の存在を匿名化する (p.138)。顔を隠すということは〈わたし〉を匿名化することであり、といって、顔を隠すことによって自分が完全に隠せるというものでもないと思うのだが、ともかく識別力は落ちるわけである。
それはさらに例としてあげられている 「秘部を隠せば何でもできる」 という常識からの逸脱の言葉となり、そして逆説的には 「顔さえ隠せば何でもできる」 というマスクの効用にまで達するのだ (p.139)。

つまり秘部ということについて言えば、具体的な 「だれかの秘部」 だからエロティックなのであり、性器それ自体とか、顔の写っていないヌード写真はエロティックではない、と鷲田は述べるのである (p.140)。
さらに 「秘部さえ隠せば何でもできる」 と 「顔さえ隠せば何でもできる」 という特殊論を一般論に拡大解釈すれば、「何にでもなれるという過剰な可能性」 と 「何にもなれないという空虚な不可能性」 は表裏のようでありながら、簡単に転化するものだというのがその論理である (p.140)。

通常のファッションは、そこまで追いこむことはなく、もっと軽薄で、衣服をとりかえることによる可視性の転位によるささやかなエクスタシーに過ぎない、と鷲田はいうが、その根源には、ここで引用されているロラン・バルトの 「モードは、人間の意識にとってもっとも重大な主題 (《私は誰か?》) と 「遊んで」いるのだ」 というヘヴィな意味あいを持っているのだ (p.141) といわれるとそうかもしれないと思う。

「過剰なまじめさと過剰な軽薄さの共存がモードのレトリックの基盤」 (p.143) というバルトの言葉は気休めであって、そうした重い認識は一度報されてしまうと人の記憶からは容易に薄れないはずである。


《フェティシズム》

フェティシズムに関して鷲田は、脚や髪や生殖器は 「あやしい部位」 であり、それはどういうことかというと、「〈わたし〉が少なすぎる部位」 だと述べる (p.154)。しかしその前に鷲田は、マスクに関連する個所で、具体的な秘部でなければそれはエロティックではないと書いているので (p.140)、「〈わたし〉が少なすぎる部位」 とは、それと呼応するものではないかと考えられる。
つまり〈わたし〉という個別性が薄いからこそ、それは架空のものに近くなり、フェティシズム (=物体としての執着/信仰) が生まれるのだといってもよいのではないか。
ファッションにおける 「身体の一部分を覆い隠すという衣服の構成法」 (p.158) もフェティシズムを逆用した行為であるとするのである。


《モードの〈ずれ〉》

モードとは自然からの逸脱であり、一貫した転位であり、そして〈ずれ〉によって成り立っていると鷲田はいう (p.159)。そしてモードには衣服だけでなく化粧もその中に含まれ、つまりそれらが 「わたしたちの可視的な存在をデザインする」 のだという (p.160)。
〈ずれ〉とはつまり、人は自分という存在をありのままに認めようとしないで、自分を自分の理想とするかたちに変えようとする人為的操作があることを示し、服装やメイクによって、いわば仮面を装着する行為を言っているのだ。それは自分を装飾し、実際より良く見せようとする欲望であるが、それが過剰になれば自分は消失してゆく。それは 「危うい行為である」 と鷲田は言う (p.165)。

 衣服の取り替えによる可視性の変換を、そして、それのみをてこにして
 〈わたし〉の変換を企てるというのは、可視性のレヴェルで一定の共同
 的なコードにしたがって紡ぎだされる意味の蔽いでもって、〈わたし〉
 の存在を一度すっぽり包み込むことを意味する。そうすると、わたしは
 たしかに別なわたしになりうるにしても、そのような〈わたし〉の変換
 そのものは、〈わたし〉が他の〈わたし〉とともに象られている意味の
 共通の枠組を、いわばなぞるかたちにしか可能とならないであろう。
 (p.165)

共同的なコードとはすなわち定型的なパターンの中に自分をまぎれ込ませることを意味し、そうした記号的なモードにおいて自分は消失し、属性だけが残る、その例が、制服で身を包むことであるとするのだ (p.166)。
それは制服という限定された記号だけに限らず、あらゆる衣服は制服としての特徴を持つ、と鷲田は言う (p.166)。
つまり制服という記号の中に自分をまぎれ込ませようという消極的な行為と、個性的な外見への過剰なこだわりによる積極的なモードへの固執は結果として同質の問題を含んでいるとするのだ。

なぜ可視的な存在をデザインする (可視性を変換しようと企てる) のかは、つまり自らの可視的存在についての不安があるからであり、自分のフィジカルな 「見た目」 に対しては、「こんなはずではない」 とする否定的な思い込みとコンプレックスがあり、そしてその自分の 「見た目」 は、自分から見た場合 「鏡像」 (=虚像) に過ぎず、自分が見えないものに対する不安が、その 「可視性の変換」 という行為を起こさせるというように考えていいのだろう。
メルロ=ポンティの次の引用は鏡の功罪 (どちらかというと罪) について語っているように思える。

 私が〈見るもの - 見えるもの〉であるが故に、つまり、そこには〈感
 覚的なものの再帰性〉があるが故に、鏡が現れるのであり、鏡はその再
 帰性を翻訳し、それを倍加するのだ。この鏡によっていわば私の外面が
 完成されるわけであって、私がもっているどんなに密かなものも、すべ
 てこの〈面影〉、この〈平板で閉ざされた存在者〉のうちへ入りこんで
 しまうのである。(p.174)

鏡に映る像は実体のようでありながらそうではなく、メルロ=ポンティはそれを幻影とまで表現しているが、つまりその虚像を実体として思い込もうとする行為は、その行為自体を表すと同時に、人間の認識の方法が脆弱であることのメタファーであるのかもしれない。
鷲田は次のように書いている。

 わたしたちの可視的存在は根源的に脆弱なものなのであって、その脆弱
 さが〈わたし〉が内的密度を手に入れることを不可能にする。〈わたし〉
 のこのような空虚を補塡するために、わたしたちは衣服という別の可感
 的で物質的な存在を呼びもとめる。(p.175)

しかしモードとは不完全で可変的なもの (現象?) であるために、「衣服はたえず変換しなければならない」 という。その変換がつまりトレンドなのである。

さらに鷲田はパンク・ファッションの様相についてさらっと触れ、ファッションはその現象面としてナルシスティックであり、可視性の様式化であるという (p.183)。もし、様式化というのならば、最初のほうで提起された 「SMファッションのステロタイプさ加減」 も、様式化という形容の中で正当性を獲得することになるのかもしれない。
モードは 「ある意味を加味しながら別の意味を失効させるという仕方で、たえまなく転位してゆく。累積するのではなく循環する」 (p.188) ので、それがファッション・デザインのステロタイプ (=限界点) であるともいえる。ファッションはメリーゴーラウンドのように回帰するが、しかし乗客は毎回異なる。あるいはまた、最高回転数を超えないように使い続けなければならない繊細なエンジンでもあるのだ。
それでいて、トレンドには法則性はないので、今シーズンのものは来シーズンにはダサくなってしまう (p.202)、という。

「わたしが〈わたし〉を追いかけるナルシスティックな回路」 (p.209) とは、ありのままの自分となりたい自分のことであり、それは自分を納得させるためにつくられた幻想の回路なのかもしれない。
さらに 「〈わたし〉の生成と崩壊が繰りかえされるきわめてエロチックな場面」 (p.209) というが、「この両義性がもっともあからさまに出現するのが制服なのであって」 (p.209) と繰り返し書かれているのを読んだとき私が連想したのは、その後の 「なんちゃって制服」 を経て、AKB的な制服/コスプレに到達する伝播と発展である。

        *

あとがきに、モードは残酷なものであると同時に、思いやりのあるものでもある、と鷲田は書く。それは人間の〈もろさ〉につけ込んだり、あるいはヴェールで覆ったりという相反する対応をみせるからであり、これもまた両義性と言えるのかもしれない。
ただ、この本の書かれたのが、もう30年も前の、ましてバブル期という特殊な時代であったことから来る古風な印象は否めない。なるべく普遍的な視点で終始しようとしても、時代からの影響はあるものなので、そうした 「旬」 の気配が必ずつきまとうのもモードという現象の宿命である。
また雑誌への連載であったという経緯があるためか、論理構造に 「行ったり来たり」 とか 「堂々めぐり」 (まさに 「死と再生の循環運動」 (p.098) である) があるように思えたので、一度解体して再構築しようとしたが途中で放棄した。すごく簡単にいえば 「可視性」 と 「制服」 という単語に全てが集約されてしまうように思う。「可視性」 とは、自分から見ることと、他人から見られることの差異を明白にするための論理基準であり、「制服」 とは個性を主張するか、マジョリティに埋没するかの選択肢における触媒である。どちらにもある種の憂鬱と抑圧が存在する。

しかしファッションとは、本来もっと軽く楽しくなくてはならないはずだ。ファッションという言葉の持つ軽さ (むしろ軽薄さ) と、モードという言葉の持つ暗い重さとでもいうべきニュアンスの違いを、直感的に私は感じとる。
あるいはファッションとは、それらの現象を、単発的に点としてあらわしているのに対し、モードは思想を継続的な流れとしてとらえているようにも思える。といってもこれはあくまで私の印象に過ぎないので、本来の言葉の真実の意味は、もっと別のところにあるのかもしれない。

しかしこの『モードの迷宮』後、時代は変わった。日本は不況となり、そうした動きは世界に蔓延し、気がつくと日本は物づくりの基礎を失った。クリエイティヴであることより、安価であることが重要な価値観となった。
それまではトレンドをファッションメーカーが主導していたのに、必ずしもそうではないトレンド (ニュートラとか渋カジとか) が起こるようになり、やがてデザイン性の無いもの (否定的な意味でなく質実であるということだけを特徴としたユニクロのようなブランド)、あるいはごく微視的なデザインの差異によるファッション・ブランドの並立や、ファスト・ファッションとして括られる使い捨て的なブランドが隆盛になった。
ハイブランドのオートクチュールやプレタポルテのファッションショーと、リーズナブルな、たとえばTGCのショーとは同じように見えて同じではない。しかしレストランにも高級なのと大衆的なものが存在するように、常に勢いがあり需要があるのは大衆的で大量生産のブランドである。

鷲田の 「すべての衣服は制服である」 という規定と、制服というタームは、かたちが少し変わっているが、ある意味予言的な言葉である。鷲田は制服の正の部分しか指摘しなかったが、それはAKBなどのアイドルグループの衣裳やコスプレの衣裳として具現化している。〈制服〉的なものは典型的な表象であって、普通の衣服とそうした衣裳との間にはグラデーションがあり、そうしたテイストのアイデアは数限りない。技術的な進歩があるにせよ、ごく廉価なファスト・ファッションに多く採用されるようになったスパンコールやラメ、フリルやレースなどの素材の使用もその一端である。
しかし、すでに私が指摘したように、制服には負の部分があることを忘れてはならない。それはまさに、悪辣な拘束と隠蔽と変形であり、そうした一見、理解しにくい不当な統制によって人の精神を損壊する行為に加担するのである。
そうした現象は、鷲田がこの本を書いた時代よりずっと顕著に悪質さを増加させていると思われる。そうしたことと比較すると、この鷲田の制服論はずいぶん穏やかなのである。

もうひとつ、私が不満なのは、「可視性」 ということへのこだわりは、あくまでファッション/モードを消費する側からのこだわりであり、精神分析的な 「わたしたちのこころ」 の問題としての分析のように思えてしまうからである。
モードについて、たとえばクリエイターたちはどう考えているのか。そして彼らが考えていることに対して、消費者はどのように反応しているのか、それともそうしたシステムはすでに衰退の時代にあるのか、そうしたアプローチに乏しい。それはあくまでこの本が、ファッションに関する現象への論考であって、ファッションそのものの論ではないからである。
クリエイターの意図は必ずしも市場に正当に、想定していたように反映されるわけではない。その意外性もファッションのひとつの特徴であると言えよう。

ファッション・デザインを変化させるエレメントは数多く存在するが、その変数は一定の区間を往復するしかできないものであり、ファッションの歴史のアーカイヴから一部引用する (p.189) という手法が一般的であり、したがってそのラティチュードは思っていたよりも狭いのである。
しかしファッションとは強制的な消費を起こさせるための仕掛けであるから、今シーズンが昨シーズンより必ず斬新で優れているという説得性を創り出して、昨シーズンのデザインはダサいと消費者に思い込ませ、新たな購買意欲を喚起させなければならない。つまり 「さまざまな 「共感覚」 [シネステジー] を新たなかたちで蠢かせることによって」 (p.207) 次のトレンドが正しいと信じ込ませる必要がある。それは一種の幻想の創作である。簡単に、脈絡もなく、それまでの美学が反古にされてしまうという点でファッションは芸術とは異なるのである。そこに特権的な例外はない。それは引用されているボードリヤールの言うように 「あらゆる記号が相対的関係におかれるという地獄」 (p.202) なのである。

ではファッションとはそのすべてが消費の海の藻屑となり淘汰されてしまう消耗品なのだろうか。そうでないものは確実に存在し、目先が変わってもその基部は動かない。決してラビリンスではなく、整然としていてパースペクティヴを持っている。その原動力となるものはファッションに対する信念あるいは思想である。それが真のクリエイティヴなものであるのならば、消費されながらも厳然として残っていくものである。


鷲田清一/モードの迷宮 (筑摩書房)
モードの迷宮 (ちくま学芸文庫)

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エレニ・カラインドルー《The Weeping Meadow》 [音楽]

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Eleni Karaindrou

カラインドルーを聴きたくなるときがある。
エレニ・カラインドルー (Eleni Karaindrou) は、ギリシャ人の作曲家で、テオ・アンゲロプロスの映画音楽を作っていたことで知られている。だからDVDで映画を観れば一緒に音楽も聴けるからいいじゃない、という考え方もあるのかもしれないが、でもカラインドルーの音楽はそのように形容できる劇伴ではないので、それはECMの最初のアルバム《Music for Films》を聴いたときに気がついていたことであった。「映画を観たので、それを思い出すための音楽」 ではなくて、音楽の印象が先で、それから映画を辿る音楽があったっていいはずだ。カラインドルーの音楽はまさにそんな音楽である。

でも、まず彼女が多くの音楽を作ったアンゲロプロスの映画そのものが一般的には理解されにくい。難解で退屈で暗い、たぶんおおかたの評価はそんなものだ。
アンゲロプロスの作品において、もちろん映画の根幹である脚本や映像は重要であるが、カラインドルーの音楽が占める比率は非常に大きい。音楽は映像に寄り添っているが、それだけで独特の存在感を示す。だから単なるサウンドトラックとしての音楽ではなくて、映画から離れたとしても、独立した音楽作品として成り立っているのがカラインドルーの特徴である。
もっとも私が最初に《Music for Films》を聴いたとき、私のなかでカラインドルーとアンゲロプロスはまだ強固に関連づけされていなかったので、そのせいなのかもしれない。

《旅芸人の記録》にも音楽はあるのだが、音楽の豊穣さはない。それは貧しい旅芸人一座を際立たせるために音楽の領域をわざと限定させた手法ともいえるが、アンゲロプロスの心のなかに、その (映画の) 頃、音楽はなかったのではないかと私は思う。あったのは沈黙と翻弄と諦念であり、そうした言葉は音楽を嫌う。

カラインドルーは1939年に (1941年と表記されている記述もあり) ギリシャ中央部 (当時のルメリ地方) のティヒオという山村に生まれた。風の音や雨が軒を叩く音、流れる水音、雪の静けさなどの自然音が子どもの頃の記憶として残っているのだという (the silence of the snow: 無音の雪の気配こそが音なのだ)。
しかし家族はエレニが8歳のとき、アテネに引っ越し、そこで彼女は静謐な田舎とは正反対の都会を経験する。彼女の家のとなりには野外映画館 (だと思われる。an open cinemaとある) があり、寝室の窓からそれが見えた。それが彼女の映画というシステムとの出会いだったのかもしれない。
1939年から1974年にパリで学ぶが、ジャズやクラシックといった分野に目を配りながらもカラインドルーの心は常にエスニックな音楽にあったという (この経歴部分は musicolog を参照した)。

しかしアンゲロプロスと出会い、以後、その作品の音楽を担当するようになったのが彼女の運命を大きく左右したといってもよい。

《The Weeping Meadow》(エレニの旅) はトリロジーの第1作として2004年 (日本では2005年) に公開された作品である。様式美に過ぎるかもしれない。水 (流れる水も、水面も、雨も)、そして家 (建物) はアンゲロプロスの重要なファクターであり、むしろ背景でありながらアクターであり、そしてそれは現実のそれであると同時に、常にメタファーである。
《旅芸人の記録》や《アレクサンダー大王》の頃にはときとして粗野にも感じられた空間の造形と時の経過が、後期作品になればなるほど洗練され、それが様式的過ぎるという批判もあるかもしれない。

ECMのCD《The Weeping Meadow》のサントラには16曲が収録されているのだが、いろいろに変奏されているように見えて、そのルーツは禁欲的にひとつなのだ。その禁欲さが重くて深い印象を残す。
この映画の主人公の名前がカラインドルーのファースト・ネームと同じエレニであるところもアンゲロプロスとの強い結びつきを感じさせる。

トリロジーは2作目の《The Dust of Time》(エレニの帰郷・2008) を経て、3作目の《The Other Sea》で完結するはずだった。しかし2012年1月、その撮影中にアンゲロプロスはオートバイにはねられて亡くなってしまう。したがってトリロジーは永遠に未完のままとなっている。
(その直後の悲しみ [→2012年02月02日ブログ] は今も変わらない。)

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24 janvier 2013/Dans le cadre des 75 ans de Flagey: ICI より


Eleni Karaindrou/The Weeping Meadow (ECM Records)
Weeping Meadow




Theo Angelopoulos/The Weeping Meadow
https://www.youtube.com/watch?v=hRxc77-Cqxw
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擬装と錯綜のモード ― 鷲田清一『モードの迷宮』を読む (1) [ファッション]

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拘束と隠蔽と変形。大きく3つに分けられたそれぞれの章タイトルに入っているこれらの言葉から連想されるのは、SMとかフェティシスムに通じるイメージである。
鷲田清一の『モードの迷宮』が単行本として上梓されたのは1989年というバブル景気の時代で、その時代はそうしたスキャンダラスなテリトリーに属する言葉を 「ファッション」 のように用いるのが、一種のトレンドだったのかもしれない。だとすれば、その分、少し割り引いて考える必要があるが、SMのファッションに関して記述されている個所で、最もウケたのはSMプレイに関する次の部分である。

 一定の規範的秩序のなかで自らを編成してきた〈わたし〉は、野性的な
 ものの無規範性、つまり動物性との境界にふたたび連れ戻される。四つ
 ん這いにさせられ、「雌犬」、「ブタ」 とののしられる。(ここで侮蔑語と
 して人間と野獣の中間にいる動物、つまり家畜やペットの名が選ばれ、
 だれも 「北極グマ」 とか 「キリン」 とは呼ばない ―― E・リーチ 「言語
 の人類学的側面」 参照。) (p.075)

確かにそうだ。でももっとよく考えれば、それらはイヌとかブタなどのごくありふれた、人間の生活に密着した種類の動物に限られ、たとえば 「ドロボウネコ」 とか 「エロウサギ」 くらいまでなら使うのかもしれないが、ハムスターとかハリネズミになるとちょっと微妙である。

なぜSMの話題が出て来たのかというと、

 実際、魅惑的なモードというものはいつもどこかにSMファッションの
 統辞法を導入している。(p.076)

からなのだが、しかしSMのファッションというものは永遠のステロタイプであり、ファッションというタームが流行という意味を包含するものならば、そのパターンは固定されていて保守的であり、つまり一種のトラッドで流動性はない。
ファッションとは限られた範囲のなかから適宜取捨選択するものに過ぎないとはいうのだけれど、たぶんそれは一般的ファッションについての方法論に過ぎないのであって、SMファッション自体には、たとえばヘヴィメタルと同じように様式美だけが存在するように思う。ただこれは現代からの視点であって、1989年にはもっと異なるアクティヴな様相があったのかもしれない。


《コードを欠くモード、あるいは美徳の不幸》

SMというイメージから敷衍して拘束というキーワードの下に語られるのは、「お決まり」 な流れなのかもしれないが、まず19世紀ヴィクトリア朝におけるコルセットである。コルセットは貞淑、気品、礼節といった美徳を形成するための衣服 (というより器具、むしろガジェット) として流行し発達したはずだったのに、それは次第に別の効果を示すようになる。「肉感性を隠伏させてしまうはずのアイテムが、逆に肉感性を顕在化させてしまう」 (p.059) のだ。

それは纏足とかハイヒールでも同様であって、このような身体に対する物理的な変形とか毀損というかたちでの拘束が、身体の本来の動きを制限し、変容させることによって別の意味を持つようになるという。
そうなると歩行は単なる歩行でなく、妖艶であったり、コケティッシュで挑発的であったりするという視点でとらえるようになることを、鷲田は 「一個の個性的・感情的・性的な表現」 であるというメルロ=ポンティの言葉を引用して指摘する (p.051)。

シンデレラの靴は、靴が一定の目的のためにハイヒールという形態をとるに至るルーツであるが、グリム版のシンデレラでは、シンデレラの姉が無理矢理に小さい靴を履こうとして、母親に渡された包丁で自分の足指を切ってしまう描写があるのだという。しかし靴から血があふれて、イカサマをしたことが王子にバレてしまうのであるが (p.045)、これを鷲田は 「モデルを身体に合わせるのではなく、身体をモデルに合わせてゆくという、ファッションの原則」 (p.046) であるという。
それはこの 「拘束の逆説」 という章の最初で、すでに規定されている。

 わたしたちは衣服を身体に合わせるというより、むしろ自分の肉体をモ
 デルチェンジして、モードという鋳型に合わせようとしているのではな
 いだろうか。
 イニシアティヴをもっているのはモードである。そして、これが衣服と
 身体に規則を与える。(p.023)

昔の軍隊で、軍服や軍靴に身体を合わせろと言われたという理不尽さや、トレーニング・ジムのCMで、太った身体が一定のパターン化された〈鍛え上げられた身体〉に変わる使用前╱使用後の対比画像などは (エステティック・サロンの肥満╱痩身の対比でも同じことだが) 目標となる完成形が一定の規則を持つモードなのである。

 わたしたちはモデルに従って、自分の衣服、自分の身体を見る。モデル
 に則って衣服を取り換え、身体を変形する。モードの主導権。標準的な
 サイズ、規範的な状態が、わたしたちを金縛りにする。しかも、当の標
 準や規範は目まぐるしく変化する。そしてわたしたちは、そのつど見え
 ない規則を遵守し、ときにはそれから逸脱するほどに、装飾をこらし、
 衣服で身体を拘束し、ひいては自分自身の身体をも変形しつづける。そ
 してそれでもなお、わたしたちは自分の衣服に、自分の身体に、いつも
 不安を抱きつづけるしかないのだ。(p.025)

では、目まぐるしく変化するモードの標準や規範は誰が操作して決定しているのだろうか。その答えは無い。
ただ、そのようにして不安を抱き続けるということは 「ファッションに関心があるか、ないか、ということとは何の関係もな」 くて、むしろファッションに関心がない、無感覚であると言っている人ほど、その時点での流行服を身につけていることが多く、したがって 「様式にこだわるという語の本来の意味で、彼らこそもっともファッショナブル」 (p.025) なのだとする、一見逆説的な提示にヒントがあるように思える。

言語表現においてはひとつの言葉が多様な意味を持つ場合と、多様な言葉がひとつの意味しか持たない場合とがある (前者の例として 「雨降りだ」 と言ってもそれが 「傘を持ってきてよ」 「君の勘はよく当たるね」 「きょうの試合は中止だ」 「外出するのが億劫だ」 といった幾つもの意味を持っていたりすること。後者の例として 「寒い」 「あした会える?」 「旅に出たいの」 といった多様な言葉の真の意味はたったひとつである、と鷲田は解説する。(p.030))。衣服においてもそれは同様に成立するが、しかしファッションの構造 (アイテムの組み合わせ) は言語のようにシステマティックではない。

 衣服を構成する各アイテム間の配置関係には、言語に見られるような、
 一義的に規定された顕示的な意味と言外の意味との構造的分割が見うけ
 られないということだ。厳密なコードによってシステマティックに規定
 された意味を欠くがゆえに、衣服の意味はそれだけ多義的なものとなる。
 すべての意味が暗示 [ほのめかし] であると同時に、表面に露出している
 ことになる。(p.031)


《可視性の変換》

ここで鷲田の提示するのが可視的、可視化という概念である。これは全編にわたって使用されている重要な言葉である。

 身体は〈わたし〉という見えないものに浸透されてはじめて、〈わたし
 の身体〉として可視化する。ところが逆に、この〈わたし〉という見え
 ないものは、衣服や身体、さらにはそのヴァリアントとしての言語とい
 った、可感的な物質の布置のなかで、〈意味〉を通して紡ぎだされるも
 のでもある。要するに、衣服=身体は、意味を湧出させる装置でありな
 がら同時に意味を吹き込まれるもの、つまりは意味の生成そのものなの
 だ。(p.027)

単純に物理的な身体を覆うものとしての衣服という考え方だけでは人間の衣服に対する (特にモードとしての衣服に対する) 認識の思考は説明できないと鷲田は指摘する。
ファッションというものは他人に見せる、あるいは他人から見られるということを大前提としていて、しかしそのように視覚にたよることが重要であるのにもかかわらず、ひとつの矛盾が存在する。それは人は自分の姿 (実像) を見られないということなのだ。

 わたしたちは、自分の可視的な存在を想像のなかでしか手に入れられな
 い。身体の目に見えるわずかな部分を、鏡に映った像を、パッチワーク
 のように自分の想像力の糸で縫い合わすしかない。(p.088)

鏡像のなかの自分は虚像であり、実際の自分とは違う。写真や動画に撮られた自分も2次元の複製に過ぎず、真の自分の姿ではない。人が自分の姿を見ることはできないのだ。そしてたとえば写真に撮られた自分の像に満足するひとはいない (p.088) ことからも、人が自分で考えている自分の実像と実際の像には 「ずれ」 があるとするのである。

拘束という言葉と並列して語られる隠蔽については、まず、A・リュリーの刺激的な引用がある。

 衣服というのは、言葉でいえば 「私には秘密があります」 というせりふ
 にあたる。(p.093)

想像力は隠れているものを見たいというのよりは、隠されているものをこそ見たいというのが、そのめざすものだというのだ。それを可視性という言葉にからめて表現するのなら次のようになる。

 だから 「わたしには秘密があります」 ということが重要なのであって、
 「秘密」 そのものが重要なのではない。秘匿されているものではなくて、
 「何か」 が秘匿されているという事態が、可視性の表面にざわめきをひ
 き起こすのだ。(p.094)

モードのポイントはつねに環流し、循環するものであって、一定の幅の範囲内で、その丈、長さ、幅、大きさといったファクターを往復するが、それは死と再生の循環運動でもあるのだという (p.098)。
また、過去の差異の在庫目録から一部を引用するのがファッション・デザインの正統な手法であるとも言う (p.189)。

〈拘束〉という言葉は、一定の道徳的規準によって定められた規範への従属をうながし、規制するものであるのに対し、〈隠蔽〉とは規範から逸脱するものを秘匿し隔離することを表す。それらは 「肉的・野性的」 と表現されているが、つまりもっと具体的には性的で淫靡な状態、原初的で衝動的な状態になることを回避するために〈拘束〉や〈隠蔽〉の手法が用いられるということである (p.100)。
しかしヴィクトリア朝における、コルセットで拘束し、幾層にも重ねられた長いスカートと下着で隠蔽するという美徳への偏執的手法が、かえって性的なフェティシズムを増長させるもとになったことはいうまでもない。

なぜそのようにしてまで偏執的に隠蔽しなければならないのだろうか。身体には 「これ以上見せてはいけない」 部位と 「見せてもよい」 部位とが存在するというが、ではその境界線はどこなのだろうか、とする問いがある (p.099)。
〈わたし〉の可視性を変容させるものがモードの視点であり、そして〈わたし〉の可視性は演出可能であるとするのならば、隠蔽するという手法は身体を隠蔽という視点からでなく可視性の変換という視点から見られねばならない、とする (p.104)。
隠蔽と対立する概念である露出に対してもそれは言えて、つまりあるものを見せたり隠したりすることによって、別のあるものを見せたり隠したりしてしまう転位とか擬装という行為 (一種の 「めくらまし」 だろうか) が問題だというのだ (p.105)。

こうしたテクニックは鷲田が規定する性的な何かを対象とした隠蔽の手法に限らず、ファッションの手法としてよく行われることである。つまり、色彩や形状によって錯覚を誘い、撹乱して、弱点のある部位から目を逸らさせるための工夫である。

擬装と錯綜のモード ― 鷲田清一『モードの迷宮』を読む (2) へつづく。


鷲田清一/モードの迷宮 (筑摩書房)
モードの迷宮 (ちくま学芸文庫)

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音楽における言葉、その前に名前の読み方 ― ピーター・バラカン『ロックの英詞を読む ― 世界を変える歌』 [本]

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Peter Barakan

この前、巽孝之の本について書いたとき、ひっかかっていたのはアメリカン・パイのことだった (→2016年05月14日ブログ)。巽が書いているのは萩尾望都の漫画作品〈アメリカン・パイ〉(1976) についてなのだが、アメリカン・パイというタイトルは、もちろんドン・マクリーンの歌〈アメリカン・パイ〉(1971) のことであり、その関連性についても言及している。

私にとって〈アメリカン・パイ〉はまず萩尾の作品であったため、その曲の実体を知らず、作品から受ける無音のイメージがすべてであった。実際に初めて〈アメリカン・パイ〉という曲を聴いたとき、自分の想像していた曲と甚だしくズレていて、信じられなかったことを覚えている。
ただ、それだけではなくて、そもそも〈アメリカン・パイ〉という曲は何だかよくわからない歌詞なのであった。それは巽の解説によって随分わかりやすくなったが、つまり原曲の作られたのが1971年、そして萩尾の作品が1976年に描かれたということをあらためて考えなければならない。

ドン・マクリーンの歌詞のなかの 「音楽の死んだ日」 というのは1959年にバディ・ホリーなどのミュージシャンが飛行機事故で亡くなったその日のことを指す。しかし、では1959年という年は、1971年という時点で曲を作ったドン・マクリーンから見てどのように見えていたのかが理解できないと歌詞の意味はわからないし、1959年以後、アメリカは繁栄から没落への歴史を歩み始めたのだといわれてもあまり実感が湧かない。そもそも私はバディ・ホリーがどんな歌手なのかさえ知らなかった。
飛行機事故という言葉から思い出すのは1935年のカルロス・ガルデルの死のことだが、そうした死に対して思うのは、運命というような言葉で語られる神の仕業への不快さばかりだ。ガルデルと幼い頃のアストル・ピアソラのことはすでに書いた (→2014年10月18日ブログ)。

それで歌詞ということについて考えていたとき、書店にピーター・バラカンの新刊が山積みされていたので思わず買ってしまった。『ロックの英詞を読む ― 世界を変える歌』である。
翻訳については柴田元幸の『翻訳教室』などがあるが、読んでいて面白いのだけれど、内容的には散文の翻訳のことだし、こだわっているレヴェルが高過ぎて難しい。それよりピーター・バラカンのほうが歌詞だから、という安直な理由づけである。

この本のなかにミュージシャンの名前のカタカナ表記のことが書いてあって、これが大変参考になる。
「たとえば、語尾の s は、基本的にその前が有声音なら 「ズ」、無声音の場合は 「ス」 になります。これは鉄則です」 とのことだ。
例として

 Bill Evans ビル・エヴァンズ (× ビル・エヴァンス)
 Boz Scaggs ボズ・スキャッグズ (× ボズ・スキャッグス)
 Eagles イーグルズ (× イーグルス)

なのだという。確かにアガサ・クリスティの『なぜエヴァンズにたのまなかったのか?』はエヴァン 「ズ」 である。
でも

 MIles Davis マイルズ・デイヴィス (× マイルス・デイヴィス)

と、デイヴィスは例外的に 「ス」、だが MIles は 「マイルズ」 なのだそうだ。

必要のない 「ッ」 を入れない、というのもあって、

 Joni Mitchell ジョーニ・ミチェル (× ジョニ・ミッチェル)
 Paul McCartney ポール・マカートニー (× ポール・マッカートニー)

「o」 を 「ア」 と発音する場合の例として

 Sonny Rollins サニー・ロリンズ (× ソニー・ロリンズ)
 Thelonious Monk セローニアス・マンク (× セロニアス・モンク)

不自然、もしくは明らかに間違った表記として

 Oasis オエイシス (× オアシス)
 Pat Metheny パット・メスィーニ (× パット・メセニー)

などなど。あ、唯一 Pat Metheny は知ってました。
SF作家でも A. E. van Vogt という人がいて、昔からヴァン・ヴォクトと言っている。でも実際にはヴォートであって、wikipediaでは、中間をとったのかヴォークトなどと苦しい表記になっている。Isaac Asimov もアジモフなのだが、昔からのアシモフが定着したままだ。
特に固有名詞は、日本語としてすでに定着してしまっていることが多いから、これは難問である。しかし、歌詞の解釈とかいう以前に問題山積であることがよくわかった。


ピーター・バラカン/ロックの英詞を読む ― 世界を変える歌
(集英社インターナショナル)
ロックの英詞を読む──世界を変える歌

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イブラギモヴァのサン=サーンス [音楽]

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《重版出来!》いよいよ大詰めになってきましたね。私は先週の放送で骨のあるとこ見せた本屋さんの店員・河さん (濱田マリ) の漫画への思い入れと、紙の本を出すのはやめません、と言い放った久慈社長 (高田純次) が好きです。脇役が生きてるドラマっていいんですよ。

で、それとは関係なくサン=サーンスのこと。
サンサーンスには交響曲が5曲くらい。ヴァイオリン協奏曲が3曲、ピアノ協奏曲が5曲、チェロ協奏曲が1曲、その他各ジャンルあれこれ一杯あって、長命だったから作品数も多いけれど、でもこれっていう曲があまり無いように思える。そういう意味ではシュポーアなんかと同じだ。
wikiのサン=サーンスの項には 「その博識ゆえの嫌味な性格」 なんて形容がされているが、それだけがマイナスに作用しているとも思えない。才能はあったんだけれど、それがあまり進化/深化しなくて小器用にまとめていた面があるかもしれない。たとえばプーランクなんかにもそういう傾向があると思う。
古典的構造に拘泥するあまり、年齢を重ねるにつれ、だんだんと時代遅れになってしまった。つまりステロタイプなままに終わったのである。

3曲のヴァイオリン協奏曲のなかで、圧倒的に有名なのが第3番である。サン=サーンスの3番のことはチョン・キョンファの演奏について書いたと思っていたのだが、今読み返してみたら、繰り返し曲名は書くのだけれど、ちょっと触れただけでほとんどヴュータンのことしか書いていなかった (→2012年03月22日ブログ)。でも最初の頃、何度も聴いていたのはサン=サーンスで、名曲で名演であると感じる。
ラロのスペイン交響曲やヴィオッティの22番なんかと同じでポピュラー過ぎるけれど、でもちょっと違うのがサン=サーンスでもある。

シャルル・カミーユ・サン=サーンス (Charles Camille Saint-Saëns, 1835-1921) はたとえばメンデルスゾーン (1809-1847) よりも後の人であるにもかかわらず、この曲の楽譜を見ても明快でわかりやすいというか、もっと言えばスカスカな印象で、実際の年代よりも昔の人の作品なのではないかというふうに感じてしまう。もちろんスカスカだからダメで、真っ黒に複雑に書き込まれている楽譜のほうがいいのかというと、音楽というものはそうではないので、むしろこのスカスカ感とは裏腹に、的確に音符を選んでいて、きれいにまとまった名曲なのだと思う。
サン=サーンスとトビュッシーもソリが合わなかったらしいが、ドビュッシーからすればサン=サーンス的音作りは脳天気過ぎるように見えたのだろう。

第1楽章の冒頭だって、単なる弦のトレモロだけなのだ。その上に独奏ヴァイオリンが乗ってくる。だけれどあの印象的なメロディ。だから単なる弦のトレモロでよいのかもしれない。

YouTubeにこのところマイブームなアリーナ・イブラギモヴァのサン=サーンスがある。残念ながら緩徐楽章である第2楽章 Andantino quasi allegretto のみなのだが、しかも終わりに拍手があるので、おそらくアンコールとして第2楽章だけを弾いたのではないだろうか。
Royal Liverpool Philharmonic Orchestra, Ludovic Morlot (cond.) で 2010年6月5日のライヴと表示されている。

でもこの第2楽章は、さすがというか、やはりイブラギモヴァだ。そんなにこの曲の演奏を聴いたわけではないが、こういうふうに第2楽章を弾くひとはあまりいないのではないだろうか。
普通ならもっとずっと 「緩徐楽章」 なはずである。単純に速いとか遅いということではなくて、イブラギモヴァは音に動きがあって、悪くいえば不穏で、心が休まらないのだ。たぶん作曲者自身はそんなふうには意図していなかったような気がする。
あまり弛緩しないでずっと緊張が持続している。なぜか心がざわついて、ゆっくりとした音の流れなのにあまり落ち着かない。音の裏側にあるスピードを聴いてしまう。どんな速度表示のときにも抗しえない推進力のような強い意志がイブラギモヴァにはあって、それが暗くて緻密な感動を呼んでくる。
最後のほうで一瞬、ヴァイオリンだけになる個所があるが、そこをさらりと流し、一番最後の、molto tranquillo と指示されているクラリネットと一緒に弾かれるフラジオレットが強く印象に残る。

音楽が演奏されるとき、その曲はもはや演奏者のもので作曲家のものではない。この曲の初演のヴァイオリニストはサラサーテであったことにも留意すべきだ。サラサーテはどんなふうに弾いたのだろうか。
そんなことを考えていたら、鈴木清順の映画の一場面が記憶の片隅を不意に過ぎった。大楠道代の前髪の切り揃えが、わざとのように乱れていたシーンを思い出す。疲れているのかもしれない。


Alina Ibragimova, Cedric Tiberghien/
Beethoven: Violin Sonatas Vol.1〜3 (King International)
ベートーヴェン : ヴァイオリン・ソナタ全集 (Beethoven : Violin Sonatas Vol.1~3 / Alina Ibragimova , Cedric Tiberghien) [3CD Box] [輸入盤・日本語解説付]




Kyung-Wha Chung/Saint Saëns: Violin Concerto No.3
& Vieuxtemps: Violin Concerto No.5 (ユニバーサル・ミュージック)
サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番/第5番




Ibragimova/Saint-Saëns: Concerto pour violon no3-2
https://www.youtube.com/watch?v=PhQ-YgI5fC0
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ベルクの弦楽四重奏曲を聴きながら [音楽]

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Alban Berg (1885-1935)

BGMのつもりでなにげなくベルクのCDをかけてみたのに、その音に引き込まれてしまった。ベルクってこんなだったっけ? 昔、渋谷にヘンな盤ばかり扱っているクラシックCDショップがあって、たしかそこで買ったものだと思う。

アルバン・ベルク (Alban Maria Johannes Berg, 1885-1935) には弦楽四重奏曲が2曲ある。弦楽四重奏曲と名付けられた曲 (1909-1910) がひとつと、もうひとつは《抒情組曲》(Lyrische Suite für Streichquartett, 1925-1926) というタイトルを付けられた曲。

DGには《Alban Berg Collection》という廉価盤があって、代表曲はほとんど収録されているのでベルクはとりあえずこれで聴いていたはずで、もちろん弦楽四重奏曲も入っていた。演奏者はラサール・クァルテットで、でもあまり強い印象がなかった。
もっとも最初に私が聴いたのは前述した渋谷のショップで購入した Kich Schwann/ Musica Mundi というレーベルのCDで、シェーンベルク・クァルテットによる演奏である。弦楽四重奏団には作曲家名を冠にしたグループが多く存在していて、アルバン・ベルク・クァルテットというのもある (あった) が、といってその作曲家名のクァルテットがその作曲家の弦楽四重奏曲を、必ずしも最上に演奏するわけではない。
それにシェーンベルク弦楽四重奏団の演奏をネットで検索しても、シェーンベルクの弦楽四重奏曲が選択されてしまい不便である。作曲家名と同様に地名を冠したグループも多いけれど、そうした安直な名付けかたでなくて、もう少しひねったアイデアはないものなのだろうか。
ちなみに、繰り返し聴いていたバルトークの弦楽四重奏曲の最初に買ったCDはアルバン・バルク・クァルテットで、バルトーク・クァルテットというのもあるらしいけれど、アルバン・ベルクのほうが全然有名だ。

まぁそんなことはどうでもいいのだけれど、このシェーンベルク・クァルテットによるアルバン・ベルクも、ラサールと同様に私にはあまり強い印象がなくて暗い感じがしたのでそんなに聴かなかったようで、つまりその頃の私はまだ幼くて、耳が順応していなかっただけなのだろうと今では思える。

《抒情組曲》は面白い。俗っぽ過ぎるかもしれない。比較的後期の作品だから、こなれているといえばその通りなのだが、新ウィーン楽派とか12音技法とかで括られるものではなくて、ごく普通の曲に近い。もはや古典的な曲の範疇に入るといってもよい。しかし《弦楽四重奏曲》op.3 はベルクがまだシェーンベルクに師事して24~25歳の頃に書かれたもので、作品番号からもわかるようにごく初期の作品である。
この曲のほうが、まだ硬い感じはするがフレッシュでスリリングで、それでいてわかりやすいというベルクの特徴が出ていて、次々に 「そう来たか」 と展開していくので飽きることがない。

4つの音の絡み合いが対等で、その重なりかたがとても教科書的のように思えてしまう。つまり典型的な12音技法という意味なのだが、シェーンベルクのようにしかつめらしくない。これがベルクの特徴だともいえる。古典的な弦楽四重奏曲ではどうしても1stヴァイオリンが主導してしまう曲調がほとんどだが、ベルクでは4つの弦楽器がどれも同じ重要性を帯びていて、たとえば第1楽章 Langsam の冒頭だって、弾き始めの6連符 (1個目の音は休符なので音は5つ) は2ndヴァイオリンなのだ。ヴィオラが同じ音型を模倣した後、幽霊のように1stヴァイオリンが入って来る。
アッチェレランドして、だんだんと高まってゆき、それがpppに静まると、アム・シュテークでチェロが、そしてヴィオラが悪魔のささやきのようにきざむところがカッコイイ (41)。ピツィカート、トレモロが多用されるが、それも今となってはごく古典的だ。
第2楽章 Mäßige Viertel でも、sehr heftig と指示された1stヴァイオリンが刺激的な音で入ってきて、リズムも3/4から6/8、9/8と現代曲の教科書のようにくるくる変わってゆき、リタルダンド・エ・ディミヌエンドして、またもpppにしておいてからsffzのピツィカートでどっきりさせる (72)。こうした手口って同じだなぁと思いながらもうっとり。
ピツィカートとかフラジオレット、スル・ポンティチェロ (=アム・シュテーク) などの特殊奏法は奏者によって差が出てくるけれど、このシェーンベルク・クァルテットはそのバランスが心地よい。

ベルクというと《ヴォツェック》と《ルル》という2つのオペラがあるが、以前ネットで知り合った人で、ベルクのルルが好きでハンドルをルルにしていたことを今突然思い出した。あの人どうしたかなぁ。
まぁそんなことはどうでもいいとして、《ヴォツェック》はゲオルク・ビューヒナーの戯曲《ヴォイツェック》が元になっている。なぜ作品名が違うのかというと、Woyzeckという綴りが手書きだったので Wozzeckと読んでしまったため《ヴォツェック》になってしまったのだという。それで戯曲は《ヴォイツェック》、オペラは《ヴォツェック》のままなのだ。どちらかに統一すればいいのに。ま、いいか。

戯曲の《ヴォイツェック》を俳優座劇場で観た記憶がある。それは68/71の劇場公演で、たしかあまり評判がよくなかったような記憶があるが、それは劇場という安定した空間で演じることが日和ったことだなどという拙劣な偏見から生じたものだったようで、その頃はそうした時代だったのかもしれない。なぜか舞台全面を板張りにしてあって、異国風な雰囲気のある美しい舞台だった記憶があるが、そうした記録がネットにはどこにもないので妄想に過ぎないのかもしれない。
演劇の記録は最も簡単に失われる。失われやすいからこそ貴重なのだろう。
さきほどTVで《トットてれび》というのを偶然観ていて、観ているうちにだんだん満島ひかりが黒柳徹子に同化してくるような気がしたのだが、今日の放送では向田邦子のことが描かれていて、心がちょっと、しんとしてしまった。TVドラマもまた、失われやすいもののひとつなのだと思う。

失われやすいから貴重なのか、失われやすいんだからそのまま失われてしまったほうがよいのか、つまり失われたときは求めるべきなのか求めないほうがよいのか、それはきっと誰にもわからない。


Schönberg Quartett/Berg: Streichquartett No.3 & Lyrische Suite
(Kich Schwann/Musica Mundi)
http://www.amazon.com/Alban-Berg-String-Quartet-1909-10/dp/B00008FA35
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Alban Berg Collection (Deutsche Grammophon)
Alban Berg Collection / Varrious (Coll)




Alban Berg Quartett/Berg: Lyrische Suite & Streichquartett No.3
(EMI music Japan)
ベルク: 弦楽四重奏曲 弦楽四重奏のための「抒情組曲」




Linden Quartet/Berg: String-Quartet op.3
https://www.youtube.com/watch?v=xqAU4SKqjLU
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