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デュルニッツとその他のソナタ — イングリット・ヘブラー [音楽]

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Ingrid Haebler, 1969

昨日の新聞の夕刊にクルレンツィスとコパチンスカヤのケルンでの演奏会のことを書いた伊東信宏の記事があって、彼等の演奏は過激であるがそれを支持するリスナーが生まれつつある、と書いてあった。
だがそうした演奏が今後どのように変容していくのかについてはまだ懐疑的であるとするニュアンスが読み取れる。それは私がコパンチンスカヤに関して書いた意味合いと同じで、でもとりあえず注目しなければならない、いわば今のトレンドであることは否めないような気がする。

伊東の記事の最後は 「デビッド・ボウイもブーレーズもアーノンクールもいなくなった音楽の世界に、新たな変動が起こりつつある」 というフレーズで締めくくられているが、デヴィッド・ボウイという固有名詞を入れたところに、コパチンスカヤのこれから開拓していくフィールドが暗示されている。

だがそうした記事を読みながらも、今夜はデヴィッド・ボウイの後裔の音楽を聴くような気分でなく、ふとイングリット・ヘブラーを聴いてみる。今までの私のブログ記事の内容からすれば、へブラーなんて聴くわけがないと思っている人もいるのかもしれないが、いわゆるオーソドクスを抑えた上でのアヴァンギャルドである。

とは言ってもたとえばモーツァルトのソナタの私の基本は、ずっと長い間、ピリスの1回目の全集であって、そのピリスと較べるとへブラーは、すごくわかりやすい言葉で表現するのなら 「ちょっとトロい」 感じがしていた。
でも、ある日、なにかの食べ物で 「これ、妙に塩が強いなぁ」 と思ってしまってから、その後から塩味が気になって仕方が無くなってしまったのである。「こんなに塩を効かせなくても分かるって」 と思ってしまうと、もっと淡い塩味のほうが好みになってくる。これは別に味覚について書いている文章ではなくて単なる比喩なので、こんなところにツッコまれたりすると困るのだけれど、つまりそれと同じ感覚でいうと、今度はピリスの音がなんとなく 「エグい」 ふうにも思えてきてしまうのだ。

へブラーを貶めるのは簡単だ。あまりに味が無いのかもしれない。個性が希薄なのかもしれない。ピアノ学習者が参照するのに最適な、模範的とも言える演奏。でもそれこそがへブラーの個性なのだ。それが顕著なのがK310 (300d) のa-mollソナタである。ピリスとも違う、名演奏といわれるリパッティとも違う、この淡々とした弾き方は何なのだろう、感動がないじゃない、と少なくともかつての私は思っていた。
へブラーの音にはごまかしがない。それが繊細なレース刺繍のようだと形容されることもあるが、この音の粒の揃いかたとクリアな響きはただものではない。モーツァルト本人がへブラーの演奏を聴いたら 「オラの音楽はそんな上品じゃねえだ」 と言うかもしれないが (どこのモーツァルトだ)、K310にまつわる悲しみの伝説みたいなものは見事に打ち砕かれてしまって、もしかするとこういう演奏のほうが逆説的にアヴァンギャルドなのかもしれないと思うのだ。
へブラーのK310は、涙にくれることはなく、その瞳は見開かれたままで、くっきりとした音で構築されてゆく。特に左手の正確な美しさ。それとどの曲にも一瞬のタメが存在する。そのちょっとした 「間」 が 「トロい」 と感じた元凶なのかもしれないが、それはトロいのではなく、まさにモーツァルトの 「息づかい」 なのだということに気がついた。
YouTubeなどの動画で見ても指のアクションが全然違う。モーツァルトのこの時期のソナタが書かれた頃はフォルテピアノの創生期でもあって、チェンバロから現代ピアノへの過渡期にあったフォルテピアノのイメージが彼女の指使いには籠められているのではないか。これがへブラーのモーツァルトの音の秘密なのだ。

私の聴いているDENON盤はへブラーの2度目の録音だが、最初の6曲のソナタはデュルニッツ男爵に捧げられたものであって、以前はソナタ第6番 K284 (205b) のみが献呈されたと解釈されていたことから、6番のみにデュルニッツというタイトルが付けられているのだと解説にある。だが最近ではそのような表記はされていないようだ。

モーツァルトはこの6曲を1775年に書いた。第1番から第5番まではK6でいうと189d~189hであり、第6番だけがやや離れて205bとなっている。
この第6番 K284 (205b) はその第3楽章が延々と長くて飽きてしまうと以前は思っていたのだが、それがそうではなくなって、終わってしまうのが惜しいと思うように聞こえてくるのはなぜなのだろうか。その想いはK331 (300i) の第1楽章のように幾つもの変奏がある個所で、同様に感じられる。つまりへブラーは変奏の展開のニュアンスが優れているのだと思う。

ピアノソナタの第1番が19歳のときの作というのは、モーツァルトの歴史から考えると異常に遅いが、それは彼がピアノソナタをわざわざ楽譜に残すほどではないと考えていたからであり、つまりソナタは即興演奏によって弾かれていて、そのとき限りに失われたソナタがあったのではないかというのが普通の推理である。
売り物にする必要性があるために楽譜にしたのが最初の6曲のソナタだというふうに考えればわかりやすい。

K331のトルコ行進曲は、音楽が何であるか、そしてモーツァルトが誰であるかというような知識以前に、子どもの頃から聴き知っているメロディであるが、へブラーの弾き方はまさにそういう幼い頃に刷り込まれた規範的なトルコ行進曲という曲の音の具現化である。どんなに編曲され歪曲されてもトルコ行進曲はトルコ行進曲だが、その最もピュアな姿は意外に見かけないような気がする。喜びでも悲しみでもない音はそれゆえに、ときによって、人によって、どのようにも聞こえて聴く人のこころに作用する。
K331のこうであるべき音は、ピリスでも、ましてグールドでもなくて、このへブラーのような 「ちょっとダサい」 演奏のなかに、ずっと受け継がれて生き続けているように思う。


イングリット・ヘブラー/モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集
(日本コロムビア)
モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集




Ingrid Haebler/Mozart: Piano Concerto No.27 B-Dur K595
https://www.youtube.com/watch?v=iO8TMMCPHWM

暗い瞳のレベッカ [音楽]

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REBECCA@Ⅱによりアップロードされているレベッカの動画がYouTubeにあるのを見つけて、スーパーアリーナにおける2015年の復活ライヴの何曲かを観ていた。
レベッカというのは書くまでないだろうが1980年~90年頃に活躍した日本のバンドで、でも私には思い出がない。全然知らないわけではないから、あぁなつかしいね、と同調することもできるのだが、そう言ったらそれはリップサーヴィスで、そんなに、いや、ほとんどなつかしさはない。もし偽りでなつかしいねと言ってしまえば、それは存在しない過去の思い出を創ろうとするブレードランナーのレイチェルに似ていて、でも虚しくても偽りで、なつかしいねと言ってしまったほうが世の中は丸くおさまるのかもしれない。

私のレベッカ体験は、後のほうのアルバムをCDで1枚買って、それから、ソロになってからのNOKKOを、リサイクルショップの中古盤のセール品の中から何枚か見つけ出して聴いて、でもそこにはときめく何かを感じなかった。アナログのLPをやはり中古で1枚買ったが、買っただけで聴いていない。

それから随分経って、音楽が時の彼方に沈んでから、コンプリートボッックスというのがリリースされたのを買っておいた。とりあえず資料として買っておこうという、全集好きの悲しい性で、でも全集の利点は、音楽でも全集でも、主要な作品でない作品を参照できることで、そして興味というものはたいがい、主要でない作品に対して生じるものだからだ。

黄色く細長いボックス。それは一種の標本箱のようで、ヒット曲も売れなかった曲も、すべてが等価のようにして収納される。手頃で便利だけれど、その音楽としての時代性は見事に欠落している。昆虫の死骸をピンで留めるように、生の息吹きからは遠い。標本箱でなくコフィンなのかもしれない。
憧憬も共感もないままに、そうした音楽の、その時代への距離感を保つことによって、その距離という冷静さがかえって音楽そのものを際立たせリアルに感じることができるのかもしれない。それは後追いの利点である。

後追いというのなら、クラシック音楽は皆そうだ。この現代に、モーツァルトが作曲をし、演奏をしていた頃をリアルタイムで経験している人は誰もいない。すべてが後追いだ。
この前のニュースで、サリエリとモーツァルトが共作した曲がチェコの博物館で発見されたことが報じられていたが、2人がどういう関係にあったのかは後世の想像と伝聞推定に過ぎない。2人が犬猿の仲にあったというのは映画《アマデウス》の創作に過ぎないのだから。

2015年の復活ライヴ。レベッカの大ヒット曲〈フレンズ〉はNOKKOの 「用意はいいか? 用意はいいか?」 というコールから始まる。わざと are you ready? と言わないのがちょっといい。
ロックではなくポップスなのかもしれないが、バンドサウンドは手堅く安定していて、長年の経験に裏打ちされていて、深い。
NOKKOは、若い頃のほっそりとした体型は崩れてしまい、声のトーンも失われてしまったのかもしれないが、ずっとおだやかで充実した瞳をしている。

同様にupされている当時のレベッカのPVやライヴ映像を観ると、NOKKOはもっと刹那的で暗い眼をしている。あの喧噪のバブル期とはこんなに暗い表情をしなければならない時代だったのだろうか。それとも若さゆえの焦燥のあらわれに過ぎなかったのだろうか。
それはたとえば杉本彩の自信満々さとは厳然と異なる。ついこの前、彼女が当時のバブル期の衣装 (ボディコン?) を着て、その時代を説明しているTV番組があったが、その大きなボタンや肩パッドの入った服の外見は大仰で異形で、使い古されたギャグのようで、一種のコスプレのように見えた。
だがNOKKOの当時の衣裳は全く色褪せていない。いつの時代にも通じるそのvariableな適応性の高さに、NOKKOというキャラクターのスタンスを知る。つまりNOKKOのファッションはトレンドのように見せて、そうではなかったのだ。
1985年12月25日のライヴで、バンドメンバーの動きや衣裳が、今から見るとぎごちなく、バブリーで古びていて時代性を感じさせるニイチャンに過ぎないのに、NOKKOだけが古びていない。

そうしたNOKKOの永遠さの意味は、永遠のように見せかけながら、そのときだけに成立していたヴィジョンなので、だから逆に、今、バンドメンバーたちが練熟の味を出しているのに、NOKKOにだけはその連続性がないのだ。

ジュディ・アンド・マリーはレベッカのフォロアーといわれているが、こうした暗さとは別のところでジュディマリは成立していた。ヴォーカルを邪魔するようなメチャクチャな (だけれど計算された) ギターワークとそれに拮抗する強いヴォーカル。そのテンションがジュディマリのすべてで、だからレベッカは継承されておらず、レベッカはそれだけで孤立する。

シンプルなのに、せつなく最も核心を言い当てる歌詞。そのとき、どれだけ意識的だったかわからないで書いた歌詞に、今、NOKKOは追いついたのではないだろうか。だからその歌詞がセピア色に染まっているメロディーなのかどうかは聴く者が音楽とどのように対峙しているかによる。

NOKKOのプライヴェートなどどうでもいい。ダイナミックな波瀾万丈か、ミニマリズム的な微細な変化かにかかわらず、誰にでもそうした歴史はあるのだから。
大切なのは 「今」 と 「これから」 であることをNOKKOの今の歌から感じる。それがノスタルジックな過去をめぐるコンサートであるのは皮肉なことなのかもしれないのにもかかわらず。
失われた若さとひきかえに獲得したものもきっとあるはずだ。煙った蒼白な時間はすでにない。予言のような歌詞はすでに通り過ぎてしまった過去だ。

私は日本の有名バンドの楽曲をほとんど知らなくて、だからあるとき何かのきっかけで思い立って、遡ってその音楽を辿って行くことはとてもスリリングで発見に満ちている。その音楽が通俗だとか商業主義であるかなどというジャンルわけはあまり意味がない。その探究は珍しい蝶を追って行くのに似ている。わかっていることは、蝶を追う採集者も、追われる蝶も、どちらもが奇妙に孤独なことだ。

REBECCA@Ⅱサイトのなかでは、テレビ埼玉の1984年ライヴが素晴らしい。結接蘭 破接蘭~夢幻飛行~蒼ざめた時間~ヴァージニティーと続くライヴの劣悪な映像のなかにきらめくNOKKOがいる。

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赤いプレートは販促物でcomplete boxの付属品ではありません。

REBECCA/Complete Edition (ソニー・ミュージックレコーズ)
REBECCA/Complete Edition




REBECCA@Ⅱ
https://www.youtube.com/channel/UCjdRmRn6iCqFjfYZQzNmt5w

フレンズ 1985 live digital refine/1985.12.25 渋谷公会堂
https://www.youtube.com/watch?v=ngdr7xoSJ9U
フレンズ 2015 live
https://www.youtube.com/watch?v=n4At_l9RQOg
蒼ざめた時間 1984 live
https://www.youtube.com/watch?v=CdOogvytCWI

マイ・ファニー・ヴァレンタイン ― ビル・エヴァンス&ジム・ホール《Undercurrent》 [音楽]

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Richard Rodgers and Lorenz Hart (R to L)

1961年にスコット・ラファロを失った後のビル・エヴァンスは、恒常的ユニットを作ろうとする意志があったのだろうか、それともとりあえずの試行錯誤を続けていただけなのかわからないが、アルバムによって、何人ものサイドメンを入れ替えたり、ピアノトリオ以外の構成にしてみたりする流動的な状態が続いていた。そうした試みのなかで異彩を放っているのが、ジム・ホールとのデュオ・アルバム《Undercurrent》(1962) である。

ジム・ホールのギターとエヴァンスのピアノという、どちらもコードを鳴らすことのできる楽器のデュオによる演奏は暗く重いイメージを連想してしまう。それはオリジナルのジャケット・デザインから受ける印象にもその一因があるように思える。
水面下から見上げた風景は、光る水面とその下を漂い流れてゆく女の身体であり、その構図から連想されるのは死の暗いイメージに他ならない。

このジャケットデザインにはいろいろヴァリエーションがあり、あまりにも不吉だからとイラストにしたりしたデザインもあったし、また最近のヴァージョンでは全く異なったデザインに変えたものもあるが、やはりオリジナルのデザインが最も優れているように思う。
デザインだけでなく収録曲にも変遷があり、オリジナルのLPに収録されていたのは6曲、その後、別テイクが加わり、現在市販されているCDで最も多い収録曲数は14曲となっている。過渡期のブルーノート盤では、本テイクと別テイクが入り混じって全10曲というのもあったが、最近はこうした混在は評判が悪いためだろうか、前半にオリジナルテイク、その後に別テイクを追加するというかたちになってきたようだ。

私の今聴いているのは、その評判の悪いブルーノート盤で、1曲目が〈My Funny Valentine〉の別テイク、2曲目が同曲のオリジナルテイクという曲順になっている。オリジナル盤を聴き慣れた耳にとっては、1曲目にいきなり別テイクの〈My Funny Valentine〉が出てくるのは違和感があって気分を削がれること甚だしい。この時期のブルーノートがなぜこんな編集法をしたのか理解に苦しむ。

もっとも、本アルバムのムードを支配しているのはまさにこの冒頭曲の〈My Funny Valentine〉であり、他の曲が比較的遅いテンポの多いなかで〈My Funny Valentine〉のみ、速いテンポであるのにもかかわらず、Undercurrent というアルバム全体のイメージを提示する役割があるように思える。

別テイクがなぜ没にされたのかは、2曲を較べてみれば一目瞭然だが、2人のリズムに対する反応のタイミングが似通っていて、それがこのアルバムの緊密感を生み出していることが特にこの曲へのアプローチに感じられる。ソロをとっていない側の伴奏のニュアンスにやや散漫さがあり、またスウィング感が微妙に劣っているのが別テイクであるが、それは較べるからそう思えるのであり、内容的な密度が高いことには変わりない。
別テイクのトリッキーなピアノのイントロも面白いのだが、オリジナルテイクの暗さのなかにぐんぐん没入していくようなスピードと2人の絡み合いかたのほうが優れているのは確かである。
それよりもそもそもこのマイ・ファニー・ヴァレンタインという曲はこのようなテンポで演奏されるべき曲ではなかったはずだ。

リチャード・ロジャース (Richard Rodgers, 1902-1979) は、ロレンツ・ハート (Lorenz Hart, 1895-1943) の作詞により、ミュージカル《ベイブス・イン・アームス》(Babes in Arms, 1937) のためにこの曲を書いた。ロジャースはミュージカルの巨匠であり、その曲の数々がスタンダード・ナンバーとして今も演奏されている。
以前のブログに書いたジョニ・ジェイムスの《Little Girl Blue》のタイトル・チューンもミュージカル《ジャンボ》(Jumbo, 1935) のための曲である (ジョニ・ジェイムスについては→2014年12月26日ブログを参照)。

ハートの死後、ロジャースはオスカー・ハマースタイン2世 (Oscar Hammerstein II, 1895-1960) とのコンビで、《王様と私》(The King and I, 1951)、《サウンド・オブ・ミュージック》(The Sound of Music, 1959) などのミュージカルを作曲した。《サウンド・オブ・ミュージック》のなかの〈My Favorite Things〉は単なるスタンダードにとどまらず、ジャズのスタンダード・チューンとしても知られる。

でも《Undercurrent》は、そのマイ・ファニー・ヴァレンタインが終わった後の、ゆっくりとしたほの暗い曲のなかに真髄があるのかもしれない。たとえば〈Dream Gypsy〉の暗くて官能的なデュオは《Undercurrent》のもうひとつの面である。


Bill Evans & Jim Hall/Undercurrent (Universal Music)
アンダーカレント




Bill Evans & Jim Hall/My Funny Valentine
https://www.youtube.com/watch?v=kv_NqcezWos

Gare de Lyon ― バルバラを聴く [音楽]

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バルバラのCDは、私にとってなぜかいつもライヴ盤のなかのバルバラであり、そして声が出にくくなった後期のバルバラであった。
それなのに、最晩年に日本でのコンサートがあったはずなのだが、行く気になれば行けたかもしれないのにそれに行けなかったのが残念というか、まだそうした音楽をよく知らなかった頃とはいえ、自分の判断力の無さに後悔するばかりである。当時のコンサート評は、声がほとんど出ない彼女の状態に対して、かなり評判が悪かったように憶えているのだが、いったいそれが何だというのだ、と今から振り返ればはっきりとそう言えるのだ。永遠に飛び去ってしまったその黒い鷲を、だから私は一度もナマで見たことはない。

以前のブログでも書いたように私にとってのバルバラはずっと《Châtelet 87》(シャトレ87) のバルバラだった (→2012年04月07日ブログ)。それ以外にも《Pantin 1981》(パンタン1981)、《Gauguin (Théâtre Mogador 1990)》(ゴーギャン)、《Châtelet 93》など、ずっとライヴ盤ばかり聴いていて、でもある日、スタジオアルバムをほとんど聴いていなかったことにふと気づいた。

4年前のブログで私は、fr.wikiには Enregistrements en public の記述が無いなどと書いていたが、その後、wikiも充実し、Discographie de Barbara が別ページになって、より詳しい記述に変わってきている。そして最近になって《L’intégrale des albums studio 1964-1996》という廉価盤を発見し、やっと en studio を聴ける機会が巡ってきた。

1964年からというのは、いわゆるフィリップス・レーベルになってからの集成であって (現在のCDに表示されているレーベルはマーキュリー/ユニヴァーサル・フランス)、初期オデオン盤の《Barbara chante Brassens》(バルバラ・シャント・ブラッサンス/1960)、《Barbara chante Jacques Brel》(バルバラ・シャント・ジャック・ブレル/1961) などは当然収録されていない。
したがって1枚目の最も古いアルバムは《Barbara chante Barbara》(1964) ということになる。2枚目は、アルバムの表示では《Nº 2》なのだが、wikiには Le mal de vivre とあってちょっととまどう。Le mal de vivre は単に1曲目のタイトルなのだが、そのあたりの表示が曖昧である。他のリスト、たとえば mcgee.de (ここの記述はかなり詳しい) では単純に《Barbara》と表示されていて、ヌメロ・ドゥの表記はない。
でもその次の《Ma plus belle histoire d’amour》(マ・プリュ・ベル・イストワール・ダムール) も、アルバムのデザインとしてのタイトルロゴは《Barbara》なのだ。つまりアルバムに固有のタイトルを付けるという概念が当時のバルバラ (とそのスタッフ) には無かったのかもしれない。だから1曲目のタイトルを仮タイトルのようにして表記してあるのだろう。
そのようにややわかりにく部分はあるが、とりあえずフィリップスのスタジオ盤を俯瞰できるのは心強い。

今、1968年あたりまで聴いてきているのだが、どのアルバムもおそろしく音がよく、静謐のなかからごくシンプルな少数の楽器を伴って、澄んだバルバラの声が立ち上がる。こうした静けさのレヴェルは、ヤマハ銀座店の階段に施されている無響室のような空気感に似ていて、そうした無音の濃密な気配はやはり初期のジョニ・ミッチェルのアルバムにも感じられるが、音楽とはまさにこのようにして無のなかから立ち上がるべきなのである。

バルバラの歌唱の特徴は 「R」 音をしっかりと発音することにあり、それは口を開けることに怠惰な昨今の流儀と異なっていて、やや古風な伝統的シャンソンの香気が感じられる。
何も無い沈黙から突然のように立ち上がるバルバラの声の透明さが、ここちよい音の波となって打ち寄せてくる。ところどころにエキセントリックな部分はあるが、晩年のライヴのような悲惨さのなかに屹立しているような音楽の表情はまだない。
《Ma plus belle histoire d’amour》の3曲目、〈La dame brune〉はムスタキとのデュオであり、ホッとするやさしさをたたえている。

とはいってもバルバラの声は、たとえばリーヌ・ルノーのような典型的で大衆的なシャンソンの響きとは一貫して無縁であることは確かだ。そうした穏やかなセーヌの流れにごく近接して身を任せるような音に近づくことはあるのかもしれない。でもそれは幻でしかない。パリの喧噪のすべてに黒の幕が下りる。グランドピアノを覆う黒くて重いカヴァーのように。
そしてこの透明な声がどのようにして変容していったのかを、これからそのあとをたどりながら確かめなければならない。


barbara L’intégrale des albums studio 1964-1996
(Universal France)
Integrale Des Albums Studio




Barbara/Göttingen
https://www.youtube.com/watch?v=s9b6E4MnCWk
Barbara/Gare de Lyon
https://www.youtube.com/watch?v=240PZokiaTg

ショスタコーヴィチの協奏曲を聴く ―《The Art of MIDORI》 [音楽]

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五嶋みどりのソニー盤ボックスセット《The Art of MIDORI》が最近発売された。ランダムに聴いているのだが、その中にショスタコーヴィチの協奏曲第1番があった。
ボックスという形態はつまり廉価盤という意味なので、比較的初期の録音を集めた内容であるが、あまりまともに五嶋みどりを聴いていないので、とりあえずこれは便利なのでは、と思ったからである。ジャケットを見ると 「五嶋みどり」 ではなく 「MIDORI」 が現在の彼女の表記なのだということを知った。

1枚目はパガニーニの《24のカプリース》で、録音年は1988年と記されている。五嶋みどりは1971年生まれだから、当時17歳だ。《カプリース》は難曲であり、それをこれだけ弾けるのは才能なのだけれど、私はもともとパガニーニのこうしたテクニックだけの曲があまり好きではない。バッハやバルトークの無伴奏と較べるのはフェアではないかもしれないが、音楽的な内容に乏しいし、どうしてもテクニックを追って聴くことに興味がいってしまいがちだからである。
むしろ《チェントーネ・ディ・ソナタ》のような、もっと穏やかな表情を見せるパガニーニのほうに真の音楽性を感じる。

もうひとつ、五嶋みどりを聴き出したきっかけは、この前コパチンスカヤのチャイコフスキーの協奏曲を聴いていて、こういう奔放なスタイルはそれはそれで良いとしても、もっと正統的な演奏だとどういうふうに聞こえるのかという比較対象のサンプルになるのではないかと思ったからである。このセットの6枚目にチャイコフスキーが入っている。

ところが聴いてみたら、これは私の素朴な感想に過ぎないのだけれど、正直いってあまり感じる部分がなかった。もちろん、端正ですでに大家の片鱗を見せているし、どこにも破綻している個所はないのだが、面白くないのである。面白いという表現とその基準がどこにあるかというとはなはだ曖昧なのだが、そしてコパチンスカヤという超個性的な演奏と較べればどうしたって面白くないのかもしれないが、でもそういうニュアンスとはちょっと違って、抽象的な表現になってしまうのだが、あまりチャイコフスキーが見えて (というか聞こえて) 来ないのである。
ところが同じディスクに入っているもう1曲、ショスタコーヴィチの協奏曲第1番はとても素晴らしく、リピートして聴いてしまった。これは10枚目のメンデルスゾーンとブルッフの第1番にも言えて、ブルッフは素晴らしいのだけれど、メンデルスゾーンはイマイチなのである。
チャイコフスキーやメンデルスゾーンは有名曲だから無い物ねだりになってしまい、評価が厳しくなってしまうのだろうか。でもそれとも違うような気がする。これらはもう少し聴きこんでみないとわからないかもしれない。

さて、ショスタコーヴィチのこと。
ショスタコーヴィチは、バルトークやメシアンなどと並んで悲劇的な作曲家として見られるようになっているが、その社会的な地位や経済的な裕福さでは他の2人よりもずっと恵まれていたはずなのだけれど、それゆえに悲劇的なストレスと芸術に対する葛藤も大きかったのではないかと思われる。
ショスタコーヴィチの悲劇はジダーノフ批判 (1948年2月) によって語られることが多い。ジダーノフ批判とは当時のソヴィエト連邦政府による芸術批判であり、アヴァンギャルドであったり難解であったりする芸術は反社会主義的であるとする弾圧のことを指す。だがその趣旨は表向きであり、実際には政府にとって気に入らない芸術家、そのひとりとしてのショスタコーヴィチを糾弾し、できれば粛清しようとする暗い意思である。その元凶はスターリンであった。
ジダーノフはその弾圧運動を提唱した人物として歴史に名を残しており、ジダーノフ批判による抑圧状態は1953年のスターリンの死後には衰えながらも1958年まで一応続いたのだが、ジダーノフ自身は抑圧が始まってから6カ月後に急死している。こうした謎のような急死が恐怖政治下ではよくあることであるのもまた事実である。

ジダーノフ批判をかわすために、ショスタコーヴィチは 「私は難解ではありませんよ〜。わかりやすくて易しい。これホント」 みたいな態度表明をしなければならなくなり、そうした政府に迎合するため、《森の歌》などの、わかりやすくて時の政治家を賛美するような内容の作品を書いた。
そのため、亡命作家などの反ソ連の人々から 「御用作曲家」 と言って批判されたのである。

ショスタコーヴィチの協奏曲第1番は、ジダーノフ批判が出る直前、1947年から48年にかけて作曲された。しかしそれは当時のソ連 (の政治中枢の政治家たち) から、アヴァンギャルドで難解であるとする批判の矛先になるのが自明な作品であったので、ショスタコーヴィチはこれを封印する。それが発表されたのはスターリンの死後、2年を経た1955年であった。

曲は4つの楽章からできている。Nocturne, Scherzo, Passacaglia, Burlesque. 通常の協奏曲に用いられる表題ではない。緩-急-緩-急という構成となっている。使用楽器にはトランペットとトロンボーンが欠けている。バッハのカンタータ18番《天より雨くだり雪おちて》ではヴァイオリンが欠けているが、こうした主要楽器の欠落は曲の雰囲気に暗い影をもたらす。

ノクチュルヌの暗く立ち昇るような美しい旋律線が、晦渋で難解ととられるような音楽を正確に明快に描く。スケルツォになった途端、悪魔のうすら笑いのような有名な主題が通り過ぎる。そしてバッハ的に延々と繰り返しながら次第に変容するパッサカリア。再び、速くて刺激的な音の連鎖の続くブルレスク。
五嶋みどりはこの曲の道筋を冷静にトレースしてゆく。光があたるとぎらっと光ったり、急に溶暗のなかに沈み込んだりするような不定形な存在としての音。それはショスタコーヴィチの暗い情熱であり、政府への御愛想笑いを貼り付けた仮面の下にある悲哀である。
ショスタコーヴィチの闇の持続力は決して弱音を吐かない。その音に、たとえばこのヴァイオリン協奏曲第1番や、幾つもの弦楽四重奏曲の、フラクタルな緻密性という形容矛盾のような旋律と和声のなかに、そして五嶋みどりの音を通じてショスタコーヴィチの声を聞いたような気がする。


The Art of MIDORI (Sony Classical)
Various: the Art of Midori




MIDORI/Tchaikovsky&Shostakovich (SMJ)
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲、ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番/他




Midori/Tchaikovsky: Violin Concerto (3rd mov.)
Claus Peter Flor, NHK Symphony Orchestra,
NHK Hall 2002.06.24.
https://www.youtube.com/watch?v=o_XGOvOvvAc

すきとおった銀の髪の頃に ― 《漫勉》の萩尾望都 [コミック]

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萩尾望都 (NHK《漫勉》より)

NHK-2の浦沢直樹《漫勉》のシーズン2の1回目〈萩尾望都〉を観る。
仕事部屋に定点カメラを何台か設置し、4日間にわたってその製作過程を撮影し、そのビデオをもとに浦沢と語るという企画で、こうしたメディアへの露出がほとんどない萩尾が、どのようにして作品を作り上げているのか、また漫画に対してどのような視点を持っているかについて知ることができ、非常に深い印象を残した番組だった。こんなに真剣に観たTV番組は滅多にない。

猫が7匹いるという萩尾の自宅兼仕事部屋は、「ロココ風の部屋に住んでいるのかと思った」 と浦沢が揶揄して言ったのかもしれないような部屋ではなく、資料やその他のものに埋もれた仕事部屋であって、つまり全ての美は作品にのみ集中しているという事実を指し示す。

20歳でプロになってから、ずっと描き続けてきたその技法は、たぶんほとんど変わることはない。紙と鉛筆とペンと、そしてスクリーントーン。デッサンの教科書のように基本の線が引かれ、その上に鉛筆の下書き、そしてスミ入れをして作品ができ上がっていく過程は、精緻で、それでいて大胆な処理がされることもある。

撮影時に描いている漫画は現在連載中の『王妃マルゴ』であり、彼女にとって初めての歴史物だという。マルゴとはマルグリット・ドゥ・ヴァロワ (Marguerite de Valois, 1553-1615) のことであり、フランス王アンリ2世とカトリーヌ・ドゥ・メディシスの娘のことであり、ユグノー戦争 (1562-1598) やサン・バルテルミの虐殺 (1572) といったフランス史に残る時代の人である。
「今のアラブにおける宗教対立の様子は、ユグノー戦争の頃を連想する」 と橋本治が書いていたのをちょうど読んだばかりで、そうしたことが歴史の再帰性でありダイナミズムでもあると、ちょっと思う。

萩尾と浦沢の対話は、同業者でもあるし、浦沢の的確で抑制のある話題の持っていき方が快く、聞いていてわくわくするものであった。2人が共通して挙げる漫画のパイオニアは、まず手塚治虫である。この世代に手塚の影響が無い人はまずいないだろう。浦沢の場合、『PLUTO』を描いているのだから当然だが、その手塚の原作、鉄腕アトムの〈地上最大のロボット〉を幼い浦沢が読んだときのショックがこちらにも伝わってきた。
だが、浦沢に 「最も真似した人は」 と問われて萩尾が横山光輝と答えたのは意外で面白かった。また、ちばてつやの手の使い方 (アゴの下に手の甲を持っていくポーズ) について『紫電改のタカ』を例に、そのすごさを語っていた。浦沢が『あしたのジョー』にもありますよね、と言って表示された画像に、あぁなるほど、ととても納得。こうした仕草は単なる動作ではなくて、むしろその人物の心情を映し出すパターンとして作用するのだということがわかる。

浦沢は、萩尾の過去の原稿を見ながら、繊細なフリルの造形や、柄に白ヌキがあるとき、ホワイトで上から塗るのではなく、あらかじめその部分を抜いておき、柄部分を点描してあることをあげて感心していた。見た目は些細な違いかもしれないが、仕上がりは決定的に異なる。それもまた萩尾のこだわりのひとつだろう。
ペンの持ち方も浦沢と比較すると、浦沢は普通の持ち方、だが萩尾はペン軸でなく、指がペン先自体にかかっている。力点をすこしでもペン先に近づけたいという意図なのだろうか。

また、漫画は突然の画面転換とか、その展開の技法が、映画であるよりも演劇的である、という指摘をして、それを2人が確認し合っているのも刺激的だった。
10代の頃から漫画家をめざしていたにもかかわらず、親はそれを認めてくれず、なにか変なことをしているとしか認識していなくて、じゃ認めてくれたのはいつ頃? という質問に対して《ゲゲゲの女房》で、萩尾の母は初めて娘の漫画家という職業を認知したのだという。《ゲゲゲの女房》ってすぐ最近のドラマじゃないですか、と浦沢も呆れていた。

萩尾は 「問題のある人間を描きたい」 という。強い意志と、そしてストレスを抱えた人間こそが描くに耐えるキャラクターだということなのだろう。そうした志向は絵の描線が強く変わってきた頃、NHKのサイトの記事によれば『メッシュ』の頃からだということだ。浦沢はそれを 「ずいぶん絵がハードになりましたもんね」 と表現している。
『メッシュ』はともかく、『残酷な神が支配する』になると、あまりにもストーリーが暗くてしんどくなり、私は萩尾をあまり読まなくなってしまった。でもそれは彼女が本当に描きたい対象であったのであり、こちらの貧弱な読書能力がそのパワーに負けてしまったと今は思うしかない。
強い意志ということでいえば、少年誌に連載された光瀬龍・原作の『百億の昼と千億の夜』の阿修羅王にその典型を見ることができる。原作のイメージをこのようにコミック化した技倆と、阿修羅王のキャラ設定は 「11人いる!」 のフロル的両性具有の発展系であり、素晴らしいというしかない。当時の読者からあまり評価を得られなかったのは、内容があまりに難しすぎたからではないだろうか。それは光瀬の原作そのものがむずかしかったからである。

『ポーの一族』を最初に読んだのは新書判のコミックスでだったが、コミックスは各話の順序が年代順 (発表順) になっておらず、コンパイルされていた。この仕掛けの錯綜感がポーの魅力であったとも言えるが、最近のコミックスでは発表順に修正されているとのことだ。

番組の最後に 「自分が感動したものを伝えたい」 「(描くことを) やめろといわれてもやめられるものじゃない」 というような表明があったが、描くということが単純に好きであるという萩尾の仕事ぶりに至上の職人の技を感じる。


放送日:
NHK Eテレ 2016年03月3日 (木) 午後11時〜
再放送:
NHK Eテレ 2016年03月7日 (月) 午前01時10分〜【06日 (日) 深夜】

萩尾望都/王妃マルゴ・1 (集英社)
http://www.s-manga.net/book/978-4-08-782483-4.html

王妃マルゴ volume 1 (愛蔵版コミックス)




漫勉/萩尾望都
https://www.youtube.com/watch?v=6cdSmp4M04g

生のものとヴァーチャルなもの — ニコラ・ジェスキエールのルイ・ヴィトン [ファッション]

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『VOGUE JAPAN』が200号だったので買ってみた。
雑誌には定期的に買ってしまう雑誌と滅多に買わない雑誌があって、『VOGUE』はたまにしか買わないほうに入ってしまう。だってさ、内容が無いよう~、というようなギャグはさておいて、マジメに見ても見事なまでに何もない。何もないというのはもちろん皮肉な比喩で、とりあえず私の生活には関係ないという意味である。この関係なささ加減は『CG』(カーグラフィック) といい勝負である。
でも何もないけれどすごくゴージャスで、高級ブランドの、どれだけ金をかけているのかわからないような広告ページが並んでいて、つまり逆説的に言えば何もないように見える究極のものがもっとも至高のファッションなのだと思う。

表紙モデルはイーディ・キャンベル (Edie Campbell) で、中に彼女のショットを集めた特集ページもあって、そこには 「ロックな空気感」 とか、ありきたりな形容がされているけど、若い頃のパティ・スミスっぽい印象もある。

だが裏表紙のルイ・ヴィトンの広告に目がいって買ってしまったのかもしれない。Lightning SERIES 4と銘打たれている今シーズンのヴィジュアルは、FFXIIIのライトニングことエクレール・ファロン (Éclair Farron) をモデルに起用しているのだ。この異様な美しさをプロデュースしているのがヴィトンのデザイナー、ニコラ・ジェスキエールである。

ルイ・ヴィトンは1854年創業の有名なカバン・メーカーであるが、アパレルを始めたのは比較的近年であり、「ヴィトンって服も作ってるんだ」 というような見方が一般的であった。1997年から開始されたアパレルをデザインしたのはマーク・ジェイコブス (Marc Jacobs, 1963-) で、彼はすでに1986年から自身のブランドを立ち上げ、さらに96年からはbisブランドであるマーク・ジェイコブス・ルックを展開し始めていたなかで、さらにヴィトンのディレクターとなったのである。
ルイ・ヴィトン自体がLVMHとなりグローバル化するなかで、ジェイコブスも確実に地歩を固めていったが、2013年にジェイコブスはヴィトンを辞めることになり、その後任のデザイナーとなったのがジェスキエールなのである。

ニコラ・ジェスキエール (Nicolas Ghesquière, 1971-) は19歳でジャン=ポール・ゴルチエのニット (maille) デザインのアシスタントを得て、それを足掛かりにティエリー・ミュグレーなどを経て、1995年頃からバレンシアガのライセンス製品のデザインをするようになっていた。
バレンシアガは1918年からのスペインを出自とする老舗であり一時は隆盛を極めたが、1968年にクチュールから撤退し、そして1972年に創業者のクリストバル・バレンシアガが亡くなると、ブランド名を貸すことによって成り立っているだけの過去のメゾンのようになってしまっていた。
しかし1997年、ジェスキエールがディレクターに就任すると (その時、彼は26歳)、名門バレンシアガは再生した。それはジェスキエールのアヴァンギャルドで、かつ伝統的なデザインにも通暁する彼の才能によるものであった部分が大きい。
バレンシアガってすっごく昔のブランドだと思っていたのに、最近のアレは何なの? というような唐突な印象を当時受けたことを憶えている。

一番新しいファッションショーの動画がサイトにアップされているが、そのメカニックなステージ造形と、レザーを多用したファッションとが融合しているのか、それとも拮抗しているのかわからないままにジェスキエールの術中にはまっていくような気がする。
彼はそのインスピレーションをSFから、フィリップ・K・ディックやジョージ・ルーカスから受けたと言う。また1970年代のアメリカのTVドラマ L’Âge de cristal (Logan’s Run) のタイトルもあげられている。
幾つにも仕切られた矩形の客席の間のランウェイを無表情なモデルが歩き回る。そのウォークに合わせてディスプレイを光の流れが通り抜けて行く。こうした最近のショーはなぜこうも同じ種類の生っぽいデジタル音楽なのかという不満が残るにせよ。
ライトニングの着ていたレザージャケットはヴィトンのモノグラムと斜めによぎる縞を皮革の上に載せているようで、美しいフォルムとアヴァンギャルドなその遊びがコスプレのような異質な雰囲気を醸し出している。もちろんこのデザインのままで販売されることになっているようだ。

ヴィトンのモノグラムは、かつて日本の伝統的な紋様にインスパイアされて成立したデザインであったが、今、日本のコスプレ文化が逆輸入のようにしてファッションの牙城である一流ブランドのデザインにフィードバックしていくという不思議さが面白い。
イーディ・キャンベルの特集の最後のページで、彼女もライトニングと同じようにこのレザージャケットとバルーンスカートを着ているが、丹念につくられたヴァーチャルのイメージにはさすがにかなわない。

伝統のなかに破調なものを率先してとりいれる手法は以前のシャネルにも見られたが、ジェスキエールの場合は、そうしたテクニック的な改竄でなくもっと根本的な思想の変容のように感じられる。
こうしたカウンターカルチャーからの本歌取りがパリのメゾンの疲弊から来るものなのか、それとも新しいデザイン意識だと捉えるべきなのかはもう少し時間が経ってみないとわからない。でもショーの最後に出て来たジェスキエールは、その佇まいと動きがスポーティに軽やかで、ここに未来があるようにも思える。

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Nicolas Ghesquière


VOGUE JAPAN 2016年4月号 (コンデナスト・ジャパン)
http://7net.omni7.jp/detail/1202240948
[Kindle版]
VOGUE JAPAN (ヴォーグジャパン) 2016年 04月号 [雑誌]




ルイ・ヴィトン16SSショー
http://jp.louisvuitton.com/jpn-jp/stories/womens-spring-summer-16-show