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コパチンスカヤのチャイコフスキーを聴きながら思ったこと [音楽]

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Patoricia Kopatchinskaja

パトリツィア・コパチンスカヤの新譜、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を聴く。
チャイコフスキーは通俗である。通俗というとその語感から悪い意味にとられがちだが、わかりやすく親しみやすいということにおいて、通俗は重要である。チャイコフスキーとドヴォルザークは2大通俗作曲家で、その連綿として渺々たる、ときに甘ったる過ぎる即物的な感傷性に辟易することがあるが、理解しやすいダイレクトでストレートな表情がとても懐かしく、悲しみにどっぷりと浸かりたいと思えるときや、さめざめと泣きたいときにはチャイコやドヴォがぴったりなのだ (まぁ、そんなことは滅多にないんだけれど)。

通俗の自己歴史を振り返るのなら、中学生の頃、チャイコフスキーの3大バレエのハイライト盤という 「いいとこどり」 のピックアップを繰り返しきいていたし、ドヴォルザークの《アメリカ》は、よくBGMにかかっていたりするが、たぶん最もよく聴いた弦楽四重奏曲のひとつで、あのメロディから私はいつもアメリカの光に満ちたハイウェイを思い浮かべる、というようなことを以前のブログにすでに書いていたと思う。

さて、どうやらコパチンスカヤもチャイコフスキーに対して 「ふん、チャイコフスキーなんて」 と見くびって考えていたふしがあって、でもチャイコフスキーは、曲は通俗でやさしいのだけれど、テクニック的には結構難曲なのだ。それに有名曲だからごまかしがきかない。ミスすればすぐにわかってしまう。

オケはテオドール・クルレンツィス/ムジカエテルナで、だからコパチンスカヤもガット弦を張っているが、彼女の場合、弦がなんだろうとそんなに変わることはない。録音日は2014年4月27日から5月1日とあり、リリースまで2年近くかかっているのがやや謎である。

同曲のコパチンスカヤの演奏は、すでにウラジーミル・フェドセーエフ指揮/モスクワ放送交響楽団との2011年のヴィースバーデンにおけるライヴ映像があり、YouTubeには最初に少しだけ練習風景の入っている動画も上げられている。この練習場面でよくわかるのだが、コパンチンスカヤの楽器の持ち方には特徴があり、弾いていて、ときに楽器に覆い被さるような姿勢をとる瞬間があって (どのように形容すればよいのだろうか)、ユニークさの一端が見える。
むちゃくちゃでワイルドのように見せていて、ボーイングはそんなにブレない。つまり見た目の印象、ハダシの外見とか身体の激しい動きに幻惑されてしまうが、出てくる音はそんなに奇矯ではないのである。
ただリズムのとり方が変幻自在というかvariableであって、アインシュタイン的に伸び縮みして、ひとことでいうならヴァイオリン版 「のだめ」 である。そのため彼女に対する評価は絶賛とボロクソの両極端であって、結果として醸し出される印象は、チャイコフスキーというよりチャルダーシュのようだったりする。

以前、コパチンスカヤについて私は、線が細く聞こえてしまうときがあるというようなことを書いたかもしれないが、それは録音のせいだったかもしれなくて、このフェドセーエフ/モスクワ放送響に関してはそんな感じはない。
第1楽章の急速なパッセージが続くときでも、チャイコフスキーは 「どーだ、これ、むずかしいだろ?」 と思いながら書いたはずなのに、その最も急速なところでもコパチンスカヤには余裕がある。第1楽章が終わったところで聴衆が思わず拍手してしまうのもその現れだ。小学生相手の音楽教室の演奏ならともかく、こんな格式の高いオペラホール的な場所でのコンサートで、曲の途中で拍手があるのは異例だ。

そのようにして用意されたチャイコフスキーのコンチェルトなのだから、クルレンツィス/ムジカエテルナはどうだったのかというと、強奏の部分で尖鋭的過ぎて音が雑音っぽくなってしまう個所がある。結果として音が痩せてしまっているようにも聞こえるし、フェドセーエフとのときはそんなことがなかったのに惜しい。
すごく皮肉な見方をすれば、カップリングされているストラヴィンスキーの《Les Noces》(結婚) のほうが、ストラヴィンスキーの異なった面が現れていて、こちらがメインなのではないかとさえ思ってしまう。

それでしばらくYouTobeなどネットを周遊していたら、たとえばベートーヴェンのコンチェルトにおけるカデンツァを見つけた。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の第1楽章のカデンツァは著名なヴァイオリン奏者により作られたカデンツァを弾くことが通例であるが、もちろん腕に自信があるのなら自分で創作したって良いわけである。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲カデンツァに基づくカデンツァというのがあって、ティンパニが入って来るのが特徴的だが、コパチンスカヤはこれにさらに手を入れて演奏している。曲調としては相当異質であり、この部分だけぶっ飛んだ感じがするのだが面白い。

さらに見ていくうちにバルトークの無伴奏を弾くコパチンスカヤとイブラギモヴァとを比較して提示してあるブログがあった。
どちらも日本におけるライヴの映像だが、最近、バルトークの無伴奏は非常に多くとりあげられるようになってきていて、私がチケットを買いながら都合が悪くて行けなかったバイバ・スクリデの2010年のコンサートでも演奏されていた。すでにバルトークは難解な現代音楽の範疇にはなく、トーナリティの感じられる近代音楽であり、それはたとえばプロコフィエフと同様に楽曲に対する理解が飛躍的に高まっていることにあると思われる。
アリーナ・イブラギモヴァは1985年ロシア生まれで、私の偏愛するクリスティアン・テツラフの弟子でもあり、師弟の共演CDもある。

そしてその2つのバルトーク無伴奏であるが、コパチンスカヤは非常に荒々しく、民族色豊かな表現で弾いている。第2楽章などにおけるピチカート、特にバルトーク・ピチカートの峻烈さやフラジオレットの表情は多彩であり、ディナミーク的にも優れているのだが、曲を支配するリズムに対してのその伸縮性の自由さはアーティキュレーションの範囲を超えているように感じられる。
一方のイブラギモヴァは、暗くて地味な印象もあるが、リズムの厳格性において非常に優れているように思える。ハンガリー的な民族性の色合いは弱く、伝統的西欧音楽の系譜にある作品であると認識しているようだ。
バルトークの無伴奏は、作曲者本人も意識していたようにセバスチャン・バッハの無伴奏へのリスペクトであると同時に挑戦でもあり、そしてその基本となるのは、それがどんなに歪曲されて聞こえてくるのかもしれないのだとしても、和声と対位法である。つまり無伴奏は、自分の息で自由に演奏して良いように見えながら、バルトークの場合はそうではないように思える。それを逸脱するとバルトークではなくなってしまうのだ。
そしてもっと言えば、バルトークにとって民族性のある音楽と非民族性の西欧伝統音楽とは常に対立する関係にあったのではないだろうか。後年になるほど抽象的なタイトルが多くなるのも、民族性の排除というふうに考えられなくも無い。

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Alina Ibragimova

チャイコフスキーに戻るならば、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲も、当初は民族色が出過ぎていると評価されていたのだという。クルレンツィスがそのチャイコフスキーと、ストラヴィンスキーの《Les Noces》とを並べ、さらにジャケットデザインまでそのようにしつらえたのも、そうしたテイストを濃厚に感じさせようとする意図があったのかもしれない。それはピリオド楽器というものが醸し出すテイストと似ている。

     *

と、ここまで書いてきたのだが、今日はソネブロの人気ブロガー・ぼんぼちぼちぼちさんのオフ会があり、それに出席して楽しい時を過ごした後なので、かなり文章がテキトーである。ご容赦ください。


Patricia Kopatchinskaja/Tchaikovsky: Violin concerto (SMJ)
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲/ストラヴィンスキー:バレエ・カンタータ「結婚」




コパチンスカヤ+フェドセーエフ/チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
https://www.youtube.com/watch?v=kJuBtdRrVkc
ベートーヴェンのカデンツァ
https://www.youtube.com/watch?v=DFm2oZAwG6c
コパチンスカヤ/バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ
(トッパンホール 2013.11.13)
https://www.youtube.com/watch?v=Muqs-HyaCvE
https://www.youtube.com/watch?v=2TIOeir0cyY
https://www.youtube.com/watch?v=Eb6v7_MfUkQ
イブラギモヴァ/バルトーク:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ
(武蔵野市民文化会館 2005.10.21)
https://www.youtube.com/watch?v=urkVN7sJU-k#t=76
https://www.youtube.com/watch?v=4_VRcRPUH20
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影と雨と空 ― enya《Dark Sky Island》 [音楽]

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enya and Roma Ryan

リチャード・パワーズの『オルフェオ』を読んでいて、特にシンパシィを感じたのはクララ・レストンのことだった。少女時代のクララは主人公ピーター・エルズにマーラーを教え、先鋭的な音楽感覚を持ちながら、いつの間にか羊皮紙の香りのするようなミニマルな古い音楽の中に没入してゆく。ただ、最先端の音楽と古代の音楽とは、その方向性において紙一重のような気もする (→2015年10月09日ブログ参照)。
パワーズが 「愛のパンゲア」 という形容を使ったのは、随分と皮肉な言い方で、つまり古代大陸はコンドゥクトゥスやオルガヌムより飛躍的に古い。そしてまたマーラーの歌曲の予言的な不吉さは、クララのその不幸さをも先取りしていたという意味で、あらかじめ仕掛けられていた暗示だったことを知る。

エンヤに、なぜ私は近づかなかったのだろう。たぶん大ヒットした《watermark》(1988) を聴いたとき、これはきっと皆同じだ、と直感的に思ったからなのだ。そして実際にその後のエンヤの諸作は皆同じクローンだった。深いリヴァーブと一定に保持されたリズム。世界中の残響を集めた谺の谷。
でも、ふとしたはずみで今、私は《Dark Sky Island》(2015) を聴いている。エンヤは相変わらずエンヤで、エンヤでしかない。ワンパターンで、でもそのワンパターンが心地よい。BGMとしては最も秀逸なサウンドとパターンを備えている。敵意を持たない音に心が安まる。
もし誰もが個性というDNA的なものをその作品に塗り込めようとするのならば、ワンパターンでない音楽などあるはずがない。そしてエンヤはアンビエントではない。アンビエントの無名性の叢林に潜むには個性が強過ぎる。

《watermark》が発表された頃、まだCDはイギリスプレスが無くて、だから私の持っているのはドイツプレス盤だ。時代には4ADの残滓があって、私は後追いでコクトー・ツインズの《Treasure》(1984) などを聴いていた。でもそれは孤独な誰にもつながらない音楽環境で、1988年にリアルタイムで追いついたコクトーズの《Blue Bell Knoll》(1988) はすでにグループとしての音楽の最盛期を過ぎていて、緻密さが崩壊し始めた音だった。
同じ年にデッド・カン・ダンスの《The Serpent’s Egg》(1988) がリリースされる。たぶんその当時、売れたアルバムだったのだろうが、私にとってこれは4ADのコンドゥクトゥスだった。見限る時だったのかもしれない。

たとえばペロタンと、エリック・サティと、そしてデッド・カン・ダンスは、横にどんどん増殖して流れていくことに共通点がある。デッド・カン・ダンスよりほぼ100年前に作られたサティの《1ère Gnossienne》(1890) には小節線が無い。彼は知らないふりをして、規範から逸脱しようとする。したがって何拍子かの表示もない。調性記号はある。なんとなく塊としてのリズム群でありながらも決してそれに束縛されさせまいとするサティのスタンス。かつての記譜法だったら、ひとつひとつの小節にそれぞれ何拍子かの数字を付与されながら変わっていくはずの変則なリズムは、単なる垂れ流しとなって記述される。
そのリズムの統率を拒否しただらしなさは、一種の麻薬だ。クララがノートルダム楽派にはまったことと、デッド・カン・ダンスに耽溺してしまうのはだから似ている。ただ、それは腐敗したプチ・ブルジョアジーにも似ていて、そうした理論的な限界ゆえにではなく、単に行き止まりのような閉塞感から離れたほうがいいと思う本能があった。

それに対して、エンヤは横には増殖しない。常に縦割りの一定したリズムを持ち、音は縦方向に増殖する。いつでも確固としたパルスが見える。愛のパンゲアのポジションとは無縁だ。だからわかりやすくて通俗的で感傷的で、でも退廃的でも悲観的でもなくて、だからかつての《watermark》と、最新の《Dark Sky Island》はきっと同じだ。もちろんテクニック的にはメカニックな進歩もあり、かつてよりずっと優れているのかもしれない。でもコンセプトは変わらず保守的でそして確信的だ。
冒頭の〈The Humming〉は、深く響くピアノとパッカーシヴな縦の線が幾つも幾つも重なって、昏睡するほど深いリズムの脅迫となって私の耳を打つ。聴いていてとても気持ちがよくて、何度でも聴いてしまいそうになる。こんな音にいつまでも関わり合ってはいられない、と思うのに。

 and all the light will be, will be
 and all the future prophecy
 and all the waves; the sea, the sea
 and on the road are you and me

 and all the winds are like a kiss,
 and all the years are nemesis,
 and all the moments fall in mist,
 and all is dust, remember this. (*)

ダーク・スカイ・アイランドとはフランスのコタンタン半島に近いチャネル諸島のなかのひとつ、サーク島のことを指す。英語でSark、フランス語でSercqと書き、イギリス王室属領という特殊な政治形態下にあるとのことで、小さいながら独立国的なニュアンスを持つ。島内では自動車が禁止されているため、空気が澄んでいて美しい星が見える環境を保っている。
モーリス・ルブランのリュパン・シリーズの、最も油の乗っていた時期に書かれた『三十棺桶島』(L'île aux trente cercueils, 1919) の舞台、サレク島のモデルでもあるということである。

《Dark Sky Island》のPVは自然の流れ、星や水や空気の変化の様相を表現した内容になっている。〈Echoes in Rain〉〈I Could Never Say Goodbye〉を経てアルバムタイトル曲〈Dark Sky Island〉に至るまでの求心性とそのぶ厚い音の緻密さはエンヤだけがなし得る造形だ。それは官能的というような不純な形容とは隔絶したポジションにある。
スタンダード盤の終曲である〈Diamonds on the Water〉は水の中のナイフよりも鋭利に、硬質に輝いている。


enya/Dark Sky Island (Warner Bros/Wea)
Dark Sky Island




enya/The Hummiomg
https://www.youtube.com/watch?v=FOP_PPavoLA
enya/Echoes in Rain
https://www.youtube.com/watch?v=OWFc5mkABNo

* will be, will be とか the sea, the sea という同じ言葉のエコー。その行にサンドイッチされて 「シー」 が3つ並ぶエコーもある。will be と and me でも韻を踏む。次のパラグラフはすべて 「s」 で終わり、でも mist だけこっそり t が付いている。
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みんながしあわせになれるマンガ —《グーグーだって猫である》のこと [コミック]

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なんとなく犬童一心の《グーグーだって猫である》をDVDで見始めてしまった。映画は2008年の作品で、最初に観たときは何となくわからない印象があって、でも吉祥寺のそこここが出て来て、それだけが心に残っているような記憶だけがあった。
今、もう一度み返してみると、わからなかったことがなんだったのかがわからないほどよくわかる。それは年齢のせいなのかもしれないし、それに映画に映し出されている吉祥寺の風景も随分変わったことに驚く。その頃あった伊勢丹はもうない。8年前なだけなのにこの懐かしさは何なのだろうか。ノスタルジアか、それともセンチメンタリズム?

主人公の小島麻子 (小泉今日子) はもちろん大島弓子がモデルである。たぶん、最初に観たとき、印象に違和感を憶えたのが小泉今日子だったのかもしれない。ん~、これでいいのかな? というような。
それが今回観てみたら見事に氷解した。あぁそういうこと! というほど強く、小泉今日子の演じる麻子にシンパシィを感じてしまう。麻子はあまりしゃべらない。でもマンガだったら麻子のモノローグが文字となって読めていたのかもしれない。そのしゃべらないのだけれど彼女の心のなかにある言葉が伝わってくる。だからそれはつまり、それだけ齢をとったということなんだって。

映画は麻子の飼い猫サバの死から始まる。サバが死んだことによる喪失感と、新しく見つけた猫のグーグー。麻子のアシスタントであるナオミ (上野樹里) と加奈子、美智子、咲江 (森三中) が皆、麻子を神のように尊敬していることが描かれてゆく。

サバはチビ猫から続く大島の、自分が人間だと思っている猫の継続であり、そのサバが死んだことはその手法の時代が終わったことを意味している。だからグーグーは普通の猫なのだ。

回想のなかでナオミは『月刊ASUKA』で〈四月怪談〉を読み感動してからマンガ家をめざし、麻子のアシスタントをすることに喜びを感じている (実際の掲載誌はASUKAではないのだけれど。だから撮影に使われているのはわざわざ作られた小島麻子名義になっている雑誌)。でも終盤、自分は麻子にはなれないと言ってニューヨークに旅立って行く。
そして麻子の幼い頃の回想には、学校前の文房具店でマンガを描くための文房具を購入し、店主から 「麻子ちゃんはどんなマンガを描きたいの?」 と聞かれて、少し逡巡したあとに 「みんながしあわせになるマンガ」 と答える、まだ少女の麻子がいる。

猫が人間よりもはやく齢をとっていくことのアナロジーとして、ウェルナー症候群を描いた〈八月に生まれる子供〉(1994) が劇中マンガとして登場する。八月という単語から連想するのはリンゼイ・アンダースンのリリアン・ギッシュ&ベティ・デイヴィスによる《八月の鯨》(1987) だ。もしかすると、つまり大島が最後のリリアン・ギッシュを知っていたのならば、老いという共通項から8月という言葉が選択されたのではないだろうか。

もうひとつ、わかりにくかったこととして、なぜところどころにポール (マーティ・フリードマン) の英語の語りのシーンがあるのかと思っていたのだが、メスの白猫を抱いていたポールが死神であり、その白猫を追いかけていたのがグーグーであるということとの関連性がよくわからなかった私の感覚が鈍かっただけなのに気がついた。つまりグーグーは沢村 (加瀬亮) の競争相手なのだ。だからタイトルが、グーグー 「だって」 猫である、なのだ。去勢手術を終えた後の、エリザベスをしたグーグーのふてくされた正面からのカットに思わず吹いてしまう。
それと夜の井の頭公園の昔からある食堂で麻子がサバ (大後寿々花) と出会うシーンも、前に観たのと違って納得できるシーンに感じられた。最も黄泉に近い状況にあるとき、その出会いがある。寒さのなかで、かすかにお湯の沸騰する音が聞こえて、石油ストーブの暖かさが伝わってくるような幻想シーンである。

吉祥寺の街中を駆け回るシーンも、《地下鉄のザジ》のパロディが一瞬入っていることがわかった (もっともザジのドタバタも、いわゆるスラプスティックの常套的パロディに過ぎないのだが)。物静かな小林亜星も 「犬童監督、やるもんだね」 と思わせる。
さくらの季節の井の頭公園やいせやの賑わいは、賑わいと同時に死の影を垣間見せ、麻子のアンニュイに見える表情はけっして憂鬱でなく、みんながしあわせになれるはずの強靱さを編み込もうとする気持ちを持続させようとする決意の静けさなのだ。
ゆるやかに流れる細野晴臣のテーマ曲に、同じようにやわらかな森高千里との《今年の夏はモア・ベター》を私は思い出す。それは夢のように見えて、夢ではないのだ。

大島弓子の作品には幾つかのターニングポイントがあって、といってもそれはあくまで私にとってのポイントなのだが、やはり最初はよくわからなかった作品がよくあって、けれどそれがいったんわかってしまうと、圧倒的な存在感となって記憶に残される。たとえば〈いちご物語〉の冒頭などは一種の言葉のリズムの魔術であって、おそろしく美しい。〈ジョカへ…〉〈さようなら女達〉も同様である。その思考のルーティンがわかれば理解はやさしい。
〈夏のおわりのト短調〉はチビ猫とそれ以後のネコシリーズが開始される前夜として、この作品が描かれていたということにおいて、いまでも強く印象となって残っている作品である。もし、しあわせというものがあるのなら、それはごく小さな淡いものでしかなくて、ごく脆くて移ろいやすい。麻子は自分のしあわせを作品のなかに描くことによって、自分のしあわせを消費させてしまっている。
みんなはしあわせだけれど、自分はそんなにしあわせじゃない、という真理は麻子のつぶやきにもあらわれている。そして人生とは少しのしあわせと大量の不幸にまみれているものだ。

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大島弓子/グーグーだって猫である (角川書店)
グーグーだって猫である コミック 全6巻完結セット




犬童一心/グーグーだって猫である・予告編
https://www.youtube.com/watch?v=iRlBIQrLtTc
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過ぎてしまう時間について — ブルース・スプリングスティーン [音楽]

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2月15日の朝日新聞に掲載されたブルース・スプリングスティーンのアメリカ・ツアーの記事を読んだ (中井大助記者による1月27日マジソンスクエアガーデンでのコンサート評)。The River Tour と銘打たれたコンサートは現在進行中とのことであるが、《The River》というアルバムが彼の歴史のなかでどういう意味を持っていたのか、あらためて識らされたということができるだろう。

記事のなかのスプリングスティーンの言葉をそのまま引用する。

 アウトサイダーとしてのアルバムを何枚か作り、初めて内側に
 入ろうとしたのが『ザ・リバー』だった。仕事、約束、家族と
 いった、人とその人生を結びつけるものに気づき、そういうこ
 とについて書ければ、自分の人生でも実現できると思った。

 人生のように感じる、楽しさ、踊り、笑い、冗談、友情、愛情、
 セックス、信頼、さびしい夜と涙がすべて入ったレコードを作
 りたかった。

それがアルバム《The River》なのだということだ。
《The River》から《Nebraska》を経て《Born in the U.S.A.》という川の流れを見るならば、彼の音楽的な核が、実はとても内省的なものを秘めていることは容易にわかるに違いない。しかし《Born in the U.S.A.》という曲の歌詞とそのパフォーマンスが、ごく表層的な部分で解釈され、特に日本では誤った理解のされ方をしたということはすでに以前のブログに書いた (→2014年11月24日ブログ)。

スプリングスティーンの描く世界はいつも寂れていて、乾いていて、あるいはみじめに濡れていて、何もかもが満たされていなくて、だがそれでいながら自暴自棄にならず生きていこうとする意思によってその心を訴えかけてくる。
常にこの世界は自分の思うようには動いていかない。そこには強大で高い壁があり、支配するものとされるものとの関係性によって成り立っているに過ぎないということを、彼の歌を聴くよりもずっと前から、そうしたことは自明のことだとして私は感じ取っていた。でもそれが明確に認識できたことのひとつの契機として彼の歌がある。

スプリングスティーンはすでに大御所であるが、決してラグジュアリーにはならないし、高慢とも尊大とも無縁である。歌とは何であるかという原点が彼のいつも立ち戻ってくる場所なのだろうと思う。

今回の The River Tour でスプリングスティーンは、ピッツバーグではデヴィッド・ボウイへのトリビュートとして Rebel Rebel を歌い、シカゴではグレン・フライへのトリビュートとして Take It Easy を歌っている。
人がこの世からいなくなってしまうことは悲しいが、人の心にいつまでもそのいなくなった人の記憶としての歌が存在する限り、忘却はまだ機能しない。逆に考えれば、何もこの世に残すものがなく消えていく無数の人の心は、やがて風のなかの砂塵のようにすべてを無機物に還元し、何物をも残さないのではないかと思う。そうして消えていく人のひとりに私もカウントされるはずだ。

中井大助はスプリングスティーンのコンサートの終わりに語られた言葉について記述している。それは《The River》の外郭をなぞる言葉だ。

 ザ・リバーの伏線の一つは時間だった。過ぎてしまう時間。大
 人の世界に入ってしまうと時計が動き始め、限られた時間しか
 ないと気づく。仕事をするために、家族を育てるために、何か
 いいことをするために。

確かに、子どもの頃は、時はこれから先、無限にあるように思えた。大人になって時間が動き始めるということは、同時に死へのカウントダウンが開始されているということを意味している。スプリングスティーンが言っているのは、その限られた時間をどのように使っていくべきかということに他ならない。

2016年の〈The River〉と1980年に歌われた〈The River〉とを較べてみても、スプリングスティーンのスタンスには揺るぎがない。歌は歌われるべくして歌われ、そして言葉とは最も脆いものでありながら、したたかな強さも持ち合わせている。


Bruce Springsteen/
The River: The Ties That Bind: The River Collection (SMJ)
ザ・リバー~THE TIES THAT BIND: THE RIVER COLLECTION(DVD Version)(完全生産限定盤)(3DVD付)




Bruce Springsteen/Meet Me in the City, Pittsburgh, 2016.01.16.
https://www.youtube.com/watch?v=yuHGg-e6HDY

Bruce Springsteen/The River, Newark, 2016.01.31.
https://www.youtube.com/watch?v=1JYapnBru7E

Bruce Springsteen/The River, Tempe 1980
https://www.youtube.com/watch?v=lc6F47Z6PI4
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ジムノペディから聞こえるもの [音楽]

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Erik Satie, 1900

多くの曲を聴きこなすのなら廉価盤CDが便利なので、NAXOSはもちろんだけれど、DENONのcrest1000というシリーズを随分買った覚えがある。全部揃えようという計画をして買い始めるのだが、それはいつも挫折する。今日はそのなかから高橋悠治の弾いたサティを聴いていた。1970年代の高橋悠治の音は精悍で、それでいて繊細で美しい。

エリック・サティ (Erik Alfred Leslie Satie, 1866−1925) は、ともするとBGM的でアンビエントの元祖みたいな音楽として見られやすい。音楽におけるボリス・ヴィアンみたいなポジション。でも私にとってのサティは、まずルイ・マルの映画《鬼火》(Le feu follet, 1963) のイメージが大きい。
最初に観たのは確か、どこかの名画座でだった。サティの音楽は巧妙にルイ・マルの思うように操られ、その作品の彩りとなる。だからその底に流れる厭世的な虚無感のようなものは《鬼火》にうまくマッチングさせられたため、そう聞こえるので、サティの本質は、その中にはもちろんドリュ=ラ=ロシェル的なものもあるけれど、ちょっと違うような気がする。ちょうどオリノコ・フロウがエンヤ的な音として認知されてしまったのと似ている。

《鬼火》の映像から受ける印象は《死刑台のエレベーター》に近く、《地下鉄のザジ》からは遠い。というか、ルイ・マルの監督としての振れ幅の大きさに驚く。そんなふうにいろいろな表情を見せながらも、どれもがルイ・マルなのだということをあらためて思い知らされる。私はザジが一番好きなのだけれど。

サティが〈ジムノペディ〉を書いたのは22歳の頃。1888年という時はパリ万博の直前であること、そしてサティもまたバレエ・リュスの時代のひとりだったことにあらかじめ留意しなければならない。それはまた世紀末に向かう一種の退嬰と狂熱のなかでの生成だったことも。

サティは27歳のとき、シュザンヌ・ヴァラドンとの怒濤のような恋を通過する。それはほんの一瞬のような恋で、それもまた世紀末の一環なのかもしれない。怒濤はヴァラドンからうつされたものでサティの本質からはやはり遠い。
ヴァラドンは強い瞳を持った画家であり、その画風も同様に強い造形を見せている。ヴァラドンはモーリス・ユトリロの母で、だがふたりの画風は一致しない。以前、2人の作品を並べた展覧会があったが、なぜこの2人を並列させるのかがわからないでいた。親子であったのをそのときに知って、恥ずかしいことこのうえなかった。

サティの楽譜は調性が無かったり、小節の区切りが無かったりする。つまり12音的表情とペロタン的ルーズさを同時に備えているように私には思える。
〈(犬のための) だらだらした前奏曲〉とか〈(犬のための) 本当のだらだらした前奏曲〉というようなタイトルは、言葉でふざけているだけで曲は決してだらだらしていない。シンプルだけれど決して古びず、グバイドゥーリナより輝いている部分がある。《スポーツと気晴らし》の中の〈はてしないタンゴ〉(Le tango perpétuel) は本当なら永遠に続くはずだが、高橋悠治盤は1分ももたずに、すぐに終わる。そのいさぎよさはモートン・フェルドマンの退屈な官能と対極にある。
ラヴェルやドビュッシーにはここまで諧謔に堕ちることは不可能だった。サティは将来の歴史のなかで巨匠と呼ばれることを永遠に拒否しようとしていたように思われる。そういう意味でもサティとボリス・ヴィアンに共通したドロップアウト的な心情を感じる。

サティにはピアノ曲以外の曲ももちろんあるが、彼の真髄はピアノ曲にあると私は思う。もっともシンプルなひとつの楽器のなかで展開される音が、しかもそれはそんなに強烈なアタックや和音やスピード感では決して表現されない、ほとんどがミディアムな無色の舞台で繰り返し行われる祭祀のようで、いつも仮面は外されないままだ。


高橋悠治/サティ:ピアノ作品集1 (日本コロムビア)
サティ:ピアノ作品集1




高橋悠治/サティ:ピアノ作品集2 (日本コロムビア)
サティ:ピアノ作品集(2)




高橋悠治/サティ:ピアノ作品集3 (日本コロムビア)
サティ:ピアノ作品集(3)




高橋悠治/Satie: Gymnopedie No.1
https://www.youtube.com/watch?v=Zo1F2kEZ9uU
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セシル・テイラーの《At Newport》 [音楽]

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Cecil Taylor, Paris 1968

セシル・テイラーの《Seven Classic Albums》という廉価アルバムがあって、1956年から1960年までにリリースされた7枚のアルバムがCD4枚に収められている。レコーディング・データ等、ほとんど何の記載もないのが欠点だが、デジタル・リマスターと表示されているし、音を聴くだけなら便利なアルバムである。
セシル・テイラー (Cecil Taylor, 1929-) は今やレジェンダリーなフリー・インプロヴィゼーションのピアニストとして識られるが、その演奏を最初から辿ることによって、彼がなぜああいうふうな (wikiの表現を借りるのならトーン・クラスター的でポリリズムな) 奏法になっていったのかを知るためには、これらの初期の演奏に触れるのがそのヒントになるのではないかと思い、あらためて聴いてみたのである。

セットの1枚目は1956年のスタジオ録音である《Jazz Advance》と1958年にリリースされた《At Newport》が収められている。
《At Newport》は1957年のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルでのライヴであるが、オリジナルLPはジジ・グライス&ドナルド・バードの双頭コンボとの相乗りアルバムで、それぞれの演奏がLP片面ずつになっている。まだ新進のバンドであったセシル・テイラーにとっては仕方のないことなのだろう。収録されたのは1957年07月06日である。

ジジ・グライス (Gigi Gryce, 1925-1983) はアルトサックス、フルートなどのマルチリードプレイヤーであり、コンポーザー&アレンジャーであるが、その活動時期が1954年から1960年頃までと短かかったわりに名前をよく見かけるのは、その間が精力的な活動期間であったことを裏付ける。最も有名なのはおそらくクリフォード・ブラウンの《Memorial Album》への参加であろう。
演奏者から教育者としての活動に方向を転換し、それは終生続いた。ナディア・ブーランジェの門下生のひとりでもある。ブーランジェに関しては、最近、ジェローム・スピケによる彼女の伝記の翻訳が出されたので買ってはいるが、まだ未読である。

さてニューポートのセシル・テイラーであるが、イントロダクションでのアナウンスは 「スーシール・テイラー」 のように聞こえる。ジャズ・マニアの 「セシル・テイラーは、本当はスーシール・テイラーって発音するんだぜ」 というウンチクネタはこれが元なのではないかと思わせる。

セシル・テイラー・クァルテットの演奏は3曲。まずビリー・ストレイホーンのスタンダード〈Johnny Come Lately〉から始まる。セシル本来のオリジナルな楽曲でなくスタンダードから始まったのは、ジャズの歴史への畏敬かそれとも皮肉なのか、ともかくそれはちょっとしたフェイクであり、タイトルに絡ませた意味もあるのだろう (Johnny come lately には 「新参者」 という意味がある)。

ベースとドラムスのバッキングは典型的なフォービートであり、ちょっと投げやりのような (に聞こえる) まだ若いスティーヴ・レイシーがテーマの後、オーソドクス風な、それらしいソロをとる。セシルもそれらしく弾いているが、コードワークをわざと乱したり、リズムもバッキングらしくなく、つまりスウィング感を無視したりするので、すでにところどころに綻びがあって違和感ありまくりである。
ソロになると意外に普通な感じで始まるのだが、なんとなく音がおかしく、最後もピシッと終わらないでぐだぐだである。つまり、後年、フリーの代表的プレイヤーとなる2人の、まだ仮の姿のように感じられて思わず笑ってしまう部分もある。

2曲目の〈Nona’s Blues〉はセシル・テイラーのオリジナル曲であるが、レイシーも前曲より滑らかであり、だんだんとワクに縛られない音が見え始める。
もっともリズムは相変わらず4ビートであり4バースまであるので、あくまでジャズ・イディオムは揺るがないままだ。しかしライヴの行われた1957年という時を考えると、オーディエンスには、なんだか変な音だなぁという印象を持たれたような気がする。レニー・トリスターノだってもっと前から調性を崩すアヴァンギャルドな音を出していたのかもしれないが、セシルの音に内在するのはそれを越えていくもっと何か不穏な空気である。

ラストの〈Tune 2〉は比較的まとまっていて、一番出来のよい曲である。バップ的な衣装を纏っていて、やや音が外れていたりするが、こういう曲もありだと思わせてしまう範囲内にまとまっているように思える。
基本的に4ビートに縛られていることによって、古典的なジャズ・コンボの演奏という外見は保たれているのだ。だが、きちんとしたジャズですよ、という体面が保たれているかわりにその限界も存在する。この時点で、セシルやレイシーがどの程度までフリーへの指向を持っていたのかはわからない。この頃はまだこれがやろうとするべき音だったのか、それとももっとやっちゃおうと思ったのだけれど、そこまではできないよなぁ、だってニューポートだし、という状態だったのか。
1957年というのは、まだオーネット・コールマンが出現する以前である。絶賛と顰蹙を同時に受けたアトランティックからの《The Shape of Jazz to Come》がリリースされたのは1959年であり、メインストリームなシーンはいわゆるクールの時代であった。1960年までのこのセシル・テイラーの初期アルバム群はそうしたソフィスティケイトなシーンに対するノンの記録でもある。


Cecil Taylor/Seven Classic Albums (Real Gone Jazz)
Seven Classic Albums




Cecil Taylor Quartet/Johnny Come Lately (Newport Jazz Fes., 1957)
https://www.youtube.com/watch?v=osJtD2Wmn3Y
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