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21世紀のbard ― 《ナカイの窓》2016.01.20. [音楽]

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Creepy Nuts

小栗康平のことを書いた前ブログはめちゃめちゃページビューがありました。ありがとうございます。

Eテレの《亀田音楽専門学校》を途中から観ていた。「J-POPの現在、そして未来」 というタイトルの通り、あまりJ-popを知らない私のような者にもよくわかる解説だったが、もう亀田誠治って一種の権威になってしまっているんだ、ということに歴史の流れを感じる。

サンプルとして提示されたSEKAI NO OWARIやゲスの極み乙女には、音の連なりと歌詞の連関性があって、歌詞が単純な言葉の連なりを感じさせるだけでなく、音そのものの聴覚的な気持ちよさがあることを、ゲストの星野源が語っていたことにとても納得した。
歌声にエフェクトをかけることは、人間の声もひとつの楽器であることを意味するし、あるときから歌の声のバランスが低く抑えられるようになったのも、そうした傾向のあらわれなのだという。
《SUN》のPVは軽くて洗練されていて美しい。こうした美学があることに、ちょっと安心する。

でも、そんな放送を見ながら私は先週 (1月20日) の《ナカイの窓》のことを思い出していた。その日の放送はラッパーの特集で、そこでR-指定というラッパーを知った。
ネットを探すと、「あんな番組の構成の仕方はR-指定の無駄遣いで、とんでもない」 というような論調の批判が書いてあったりしたが、それはバラエティ番組の限界であって、私のようなそうしたシーンを全然識らない一般人にとってはむしろ参考になるし、決してダメな企画ではないと思う。くだらないお笑いの部分は、しかたのないムダなのだ。
というより、その日の特集はR-指定という人を一般的にするための意図でしかなくて、それ以外のものは単なる彩りである。

R-指定はラッパーで、フリースタイルという即興的なラップで出て来た人であり、Creepy Nuts という2人のユニットでアルバム等をリリースしている。
《ナカイの窓》の放送の中での即興的なパフォーマンスは言葉をあやつるということにおける彼の直感的な言語の扱い方のスリルを感じさせる。かつて日本語には韻が存在しないと言われていたが、こうした音の連鎖の仕方は語呂合わせでなくて、まさに韻である。
畳みかけてくる言葉の連鎖にだまされそうになるが、これは bard つまり吟遊詩人的な感性に支えられている Improvisatore なのだろう。
そして、もしかすると星野源のファンとR-指定のファンは相容れないような気もするが、どちらも在っていいと私は思う。いろいろな異なるものが併存することがあっていいのだ。いやむしろ、あるほうがいいのだ。

でも、そういう improvise する技術ということでいえば中居正広のMCもまさにそれであって、それは何にも左右されず、自分の言いたいことを言ってしまう (ふうに見せる) ということにおいて唯一無二の個性である。
同じ《ナカイの窓》で、禁欲的に身体を鍛えているというタレントたちの前で、中居クンはおいしそうにチャーハンギョーザを食べてしまうというアクションをしたが、それはふざけているような外見を装った彼の批判精神でもあるのだ。
《ナカイの窓》が終わるようだったら帝国の崩壊も近い。


Creepy Nuts/たりないふたり (Trigger Records)
たりないふたり




星野源/Yellow Dancer (ビクターエンタテインメント)
YELLOW DANCER (通常盤 初回限定仕様)




ナカイの窓 2016.01.20. (7分あたりまではガマンして見てください)
https://www.youtube.com/watch?v=Y80Cvp4lOXI
Creepy Nuts/合法的トビ方ノススメ
https://www.youtube.com/watch?v=UVaZf3GliDs#t=288
星野源/SUN
https://www.youtube.com/watch?v=7gcCRAl58u4
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いつか船は行く — 小栗康平《泥の河》 [映画]

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本屋らしい本屋が無くなってしまってから久しい。書店でなく本屋である。
今の書店はきらびやかで明るくて、どこにも影が無くて、それは本を探すのには見やすいけれど、でも何かが失われている。
少し暗くて、もちろんBGMなど全く流れていなくて、外の雑踏の音がかすかに聞こえるのだけれどそれは遠い世界のことで、一番上の棚は絶対に手が届かないほど高くて、見上げると気が遠くなるような魔の気配があって、在庫の本がそこらじゅうに山積みされていたりして、その陰に入ると誰からも見られないような、世界から途絶している本屋があるといいと思うのだ。私の子どもの頃にはそうした本屋が存在していた。

でも、幻想のなかで無理矢理にそうした本屋を作り上げることは可能である。そうだと思い込めば、客の少ない書店なら、一瞬そうした過去の本屋の郷愁の影が通り過ぎることがある。

そうした雰囲気をまだ残しているのでときどき行く静かな書店の平積みに、ダンボールのごく簡素に見える装丁の《泥の河》を見つけた。しんとした書店にふさわしい静かな装丁。《泥の河》は小栗康平の1981年監督作品である。以前TVで観たことがあったが、昭和31年の大阪がモノクロームで撮られていて、こうした映画を観ると、映画はモノクロ、レコードはモノラルだと思うのである。

ただ、《泥の河》をTVで観た後、DVDを探したが手に入りにくくてそのまま忘れてしまっていた。
今回のDVDは小栗康平コレクションとして出されたうちのひとつであるが、それぞれ単品で発売されることになっているので買いやすい。中には茶色の小冊子が2冊入っていて、片方が布装の実際の冊子、もうひとつは紙装のDVDケースになっている。書店に置かれているので書籍扱いである。
最近の印象として、名画といわれるものはほぼ手に入りにくいと思って間違いない。ベルィマンもヴィスコンティも手に入りにくいし、ギオルギ・シェンゲラヤの《ピロスマニ》(1969) だって、かつて発売されていたDVDを私は持っているが、今回上映されたデジタル・リマスター盤が発売されることを祈っている。祈ったりすると出なかったりするんだけれど。

《泥の河》に描かれているこんな風景はもちろん今は無いし、もうこんな子どももいないのだろうけれど、きっと昭和30年代の頃の生活はこうだったのだろうと思わせるし、それはノスタルジアともちょっと違っていて、つまり映画という虚構のなかでいかにもホンモノらしく屹立している現実に過ぎなくて、だからそれは都合よくノスタルジアに浸るための幻想なのかもしれない。
その当時も、わざと古い映画っぽいテイストで作ったのだろうけれど、今はすでに時代が経って均質に古くなってしまっているのであまり関係がない。
《泥の河》は、なかなか出てこない加賀まりこがすごくて、でも《麻雀放浪記》のママだって加賀まりこで、そしてそのどちらもが加賀まりこなのだ。

でもその書店を出た後、もっと普通の大きな書店でスター・ウォーズ特集の雑誌やグレッグ・イーガンなど買ってしまい、檸檬的本屋の幻想は霧散してしまったのだけれど。


小栗康平コレクション1 泥の河 (駒草出版)
小栗康平コレクション1 泥の河 (小栗康平コレクション<全4巻>)




泥の河・オープニング
https://www.youtube.com/watch?v=LHOaWzkaMdE
ピロスマニ・予告
https://www.youtube.com/watch?v=tiWFob_yrbg
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ロバート・ヘリッジ・シアターのマイルス・デイヴィス [音楽]

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Barney Wilen (ts), Miles Davis (tp), René Urtreger (p, hidden),
Pierre Michelot (b), Kenny Clarke (ds),
during the concert in the Concertgebouw, Amsterdam, December 8, 1957

《Sketches of Spain》はギル・エヴァンスがオーケストレーションしたマイルス・デイヴィスの1960年リリースの作品であるが、冒頭のアランフェスに色濃くあらわされるように、全てがスパニッシュなテイストに彩られたコンセプト・アルバムである。

ただ、マイルスとギル・エヴァンスのオーケストラのコラボレーションは4枚あるが、なんとなくそれでひとまとまりのようなイメージを持ってしまっていた。実際には普通のコンボ・スタイルで録音されたアルバムの間にオーケストラ作品のアルバムが入っているわけで、順に見ていくと《Sketches of Spain》は《Kind of Blue》の次の作品なのだ。

《Kind of Blue》の録音日は1959年03月02日と04月22日、リリースが同年08月17日で、《Sketches of Spain》の録音日は1959年11月20日と1960年03月10日、リリースが同年07月18日となっている。この順序なのだとわかれば《Kind of Blue》の最後に〈Flamenco Sketches〉というタイトルがあるのも、実際には直接関係がないのかもしれないのにもかかわらず、何となく納得できてしまう。
ちなみに《Kind of Blue》の前のアルバムは《Porgy and Bess》であり、つまり《Kind of Blue》はギル・エヴァンスのオーケストレーション2枚に挟まれたポジションにあるのだ。

《Sketches of Spain》のメインは〈Concierto de Aranjuez〉ではなく終曲の〈Solea〉であると私は信じていて、そこに行き着くまでの過程がこのアルバムの醍醐味なのである。〈Solea〉の持続するスネアのリズムという手法はラヴェルライクではあるけれど、延々と繰り返されるリズムがこの曲の核なのだ。マイルスはオーケストラの音に囲まれながらも孤高で、それがもっとも高まるのが〈Solea〉である。
マイルスには1991年のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルにおけるクインシー・ジョーンズとのコラボレーションによるライヴ・アルバムがあるが、その最後にも〈Solea〉は演奏されている。しかし残念ながらこのオーケストラはリズムのタイトさに欠けていて、スネアの音も小さく、全体の輪郭はぐずぐずで、明晰なスケッチ・オブ・スペインは再現されていなかった。

その美しいほうの〈Solea〉(つまりオリジナルのスタジオ録音) がどんなだったか思い出そうとYouTubeを探していたら、〈So What〉の演奏を見つけた (そういうふうに当初の目的からどんどんずれていくのがネットの悪い面であるが)。〈The Robert Herridge Theater〉という番組で収録されたものらしい。ロバート・ヘリッジ (1914-1981) は当時のTVプロデューサー&ライターで、ジャズに詳しく、自分の名前を冠した番組にマイルスを招きホストを務めている (1959年から60~61年頃に放映されていた番組とのことである)。
録画されたのは1959年04月02日とあり、これは《Kind of Blue》の2回行われた録音日の中間あたりの1日ということになる。記録によれば《Kind of Blue》は03月02日にLPのA面、04月22日にB面が録音されたとのことだから、この録画のときには〈So What〉はすでに録音を終えていたはずだ。
なにより、LP録音時のピアノはビル・エヴァンスだから、このウィントン・ケリーの弾いた〈So What〉というのには興味がある。

動画はいきなり《Ascenseur pour l’échafaud》(死刑台のエレベーター) 風なマイルスのブロウから始まる。その後、へリッジの解説があってから〈So What〉となる。
カメラが引くとギル・エヴァンス・オーケストラのいるのが見える。マイルスのソロはオリジナルよりシャープで力があり、その後に続くコルトレーンのソロは、かなり自由に吹いていてその後のアヴァンギャルドに移行してゆくコルトレーンを予感させる。横からのショットが典型的な、まるでジャケット写真のようなコルトレーンのブロウスタイル (というか立ち姿) を見せていて感慨深い。そしてウィントン・ケリーもかなり健闘している。ただビル・エヴァンスもケリーも、この曲に対するソロはもうひとつ歯切れが悪い。

マイルスのモードの使用が《Kind of Blue》で確立されたのは確かだが、それは急に湧き出てきたわけではなく、このような演奏を聴くと《Ascenseur...》と《Kind of Blue》が地続きである (直系である) ことがわかる。つまり《Kind of Blue》がいきなりモードの端緒なのでなくて、元からマイルスの頭のなかにある音はモードだったのだ。
ルイ・マルのサントラとして《Ascenseur...》が録音されたのが1957年12月、そして現在のクロニクルなリストでは間に3枚のアルバムが挟まってはいるが (これらは伝統的なジャズ・イデオムである)、その後が《Porgy and Bess》となる。《Ascenseur...》から《Kind of Blue》までにかなりの期間あるように私は錯覚していたのだが、それはほんの1年数ヶ月の間に過ぎない。
つまりガーシュイン、ロドリゴと続く比較的クラシカルな意匠を持つギル・エヴァンスものと、〈死刑台…〉から〈So What〉へと続くモードの流れは、マイルスのなかで並行して存在していたのだ。
4枚のアルバムを整理してみれば次のようになる。

 Ascenseur pour l’échafaud (released 1958) recorded 1957.12.4&5
 Porgy and Bess (1959) 1958.07.22&09.18
 Kind of Blue (1959) 1959.03.02&04.22
 Sketches of Spain (1960) 1959.12.20&1960.03.10

記事冒頭の画像は〈死刑台…〉録音日の3日後、その収録メンバーによるコンセルトヘボウにおけるライヴの様子である。

ともすると、ジャズにおけるソロイストを擁したオーケストラ系のアルバムは (ウィズ・ストリングスなどの場合は特に)、ゴージャス感に堕してしまうことが多いなかで、ギル・エヴァンスとのマイルスとの作品がやや異質なのは、そうしたリッチなサウンドを最初から狙っていないところにある。
1991年のモントルーがなぜぐずぐずなのかといえば、オーケストラを通常のオーケストラらしく鳴らしてしまうことがギル・エヴァンスの意図していた音だと錯覚していることで、それは本来のギル・エヴァンス・サウンドとは乖離しているように思える。
豊穣なように聞こえているがそんなに中身が無くて、でもマイルスにとってはどんな音が後ろで鳴っていても、単なるカラオケだと割り切ればインプロヴィゼーションに違いはない。


Miles Davis/Sketches of Spain 50th Anniversary Legacy Edition
(Sony Legacy)
Sketches of Spain: 50th Anniversary Legacy Edition




Miles Davis/Ascenseur pour l’échafaud (Polygram Records)
Ascenseur Pour L'Echafaud (Lift To The Scaffold): Original Soundtrack




So What/The Robert Herridge Theather, NY, April 2, 1959
https://www.youtube.com/watch?v=diHFEapOr_E

Tears for Ziggy — デヴィッド・ボウイ [音楽]

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昨年7月に日本で、トニー・ヴィスコンティ/ウッディ・ウッドマンジーのコンサートがあった。それを知ったのはそのライヴが終わってからだったが、デヴィッド・ボウイの《The Man Who Sold The World》をそのまま再現するライヴだったという内容を読んだとき、なんだそりゃ? と思ったものである。だって、デヴィッド・ボウイは不在なのに。

でもよく思い出してみると、昔、21st Century Schizoid Bandというのがあって、これはキング・クリムゾンに以前在籍していたメンバーで構成されているのだが、肝心のロバート・フリップはいないというバンドなのだ。「器は多少違うけれど中身の味は似ている」 みたいな、老舗の名店に本家と元祖があるみたいなものだと思えば間違いない。
その厚生年金会館ホールのコンサートに行ったのを私は憶えているが、会場は異常に盛り上がっていて、しかも唯一クリムゾンを通過していないジャッコ・ジャクジグがフリップ・クローンで、こういうのもありなんだと納得した。ヴィスコンティもそんなノリでやりたかったんだろう、とその時は思っていた。

ただ、今思えば、ヴィスコンティがあえて《The Man Who Sold The World》を再現せずにいられなかったのは、もっとやむにやまれぬ思いがあったのかもしれない。

ニュースから知ったのだが、ヴィスコンティはfacebookに書いている。

 彼はいつだって自分のやりたいことをやってきた。彼は自分のやり方で
 やろうとしてきた。最高のやり方でやろうとしてきた。彼の死は、彼の
 生と何ら変わりなく──芸術作品そのものだった。彼は僕たちに『★』
 という置き土産を残してくれた。この1年ほど、こういう日がやってく
 るということを僕はわかっていたんだ。しかし、その覚悟まではできて
 いなかった。彼は愛と生命力に満ち溢れた、傑出した人物だった。彼は
 いつまでも僕たちと共にある。けれど、今は泣くのにふさわしい時だ。

 He always did what he wanted to do. And he wanted to do it his
 way and he wanted to do it the best way. His death was no
 different from his life - a work of Art. He made Blackstar for us,
 his parting gift. I knew for a year this was the way it would be.
 I wasn't, however, prepared for it. He was an extraordinary man,
 full of love and life. He will always be with us. For now, it is
 appropriate to cry.

1年前から彼はボウイがどうなるかわかっていた。でもそれを公言することはできなかった。ビルボード東京でのライヴはそうした思いの上に成立していたライヴだったのだ。そしてボウイとヴィスコンティが作りあげた最後のアルバム《Blackstar》がリリースされた2日後にボウイは永遠に不在となった。
ヴィスコンティは、かつてマーク・ボランを見送ったようにして、随分と長い時間を経て、今度はボウイを見送る。
Daily Mail Online の記事のタイトルは〈Tears for Ziggy〉という言葉で始まっていた。ジギーもボウイも、どちらも、もうこれからは伝説の名前なのだ。歴史のなかに縫い付けられた名前は、そこから動くことはない。

ブライアン・イーノもfacebookに 「Words cannot express」 と書いている。イーノもヴィスコンティと同様に、これまでに何回も、知っていた人が 「不在となること」 を経てきたのに違いない。

遅れてきたリスナーの私にとってのデヴィッド・ボウイは、まず最初に《Low》だった。あの少し退廃の入った重い音のなかに、かつての私は何を聴こうとしていたのだろうか。
ボウイを思い返すために、《Low》の中でのもっとも重要に思える曲、あえて歌の入っていない〈Warszawa〉を改めて聴いてみる。音楽は最も抽象的であると同時に、どうしてこんなにも具体的なのだろう。


David Bowie/Warszawa (live)
https://www.youtube.com/watch?v=j9rELaQztqk
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主をなくした槌 — ピエール・ブーレーズ [音楽]

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Pierre Boulez (1964)

数日前、深夜にネットを見ていたらブーレーズが亡くなったというニュースがあった。
ブーレーズのストラヴィンスキーについては先月に書いたばかりだし (→2015年12月23日ブログ)、ブーレーズのマーラーについても一度書いてはみたけれど (→2015年06月28日ブログ)、まだ書きたいことは山ほどある。
すでに90歳だったし、最近は動向が伝わって来なかったのでいつかは来ることだと思っていたが、それが現実のことになると気持ちが沈んで、全ての色彩が少しだけ色褪せたようになる。

それで以下のことはほとんど記憶だけで書くので、きっと曖昧なことや間違ったことがあるかもしれない。本当ならもっと緻密に書くべきだろうし、ブーレーズに叱られてしまうかもしれないが。いや、叱られたら本望できっと歯牙にもかけない内容でしかないに違いない。
ただブーレーズ・エヴァンジェリストとしての私には、拙い言葉であったとしてもそれで書くしか手段がないのである。

ブーレーズについて書かれてあったことで一番面白かったのはHMVの解説である。晩年は非常に落ち着いた好々爺を演じていたが、若きブーレーズは過激で突出した言動が多かったことが指摘されている。それは若い頃の著作 (たとえば前ブログで引用したストラヴィンスキーに関する批評) でも顕著なように毒舌と比喩の積み重ねの回りくどさの標本みたいで、簡単に抗うことができない。

 この頃のブーレーズは過激な言動でも知られていた時期で、「オペラ座を
 爆破せよ」 「シェーンベルクは死んだ」 「ジョリヴェは蕪」 「ベリオはチェ
 ルニー」 といった数々の暴言が、現在のブーレーズからは信じられない
 刺激的なイメージを伝えています。

「オペラ座を爆破せよ」 や 「シェーンベルクは死んだ」 はよく知られているが、「ジョリヴェは蕪」 「ベリオはチェルニー」 というのには笑った。もっともなぜ蕪なのかはよくわからないのだが。

ブーレーズの最初のプロとしてのまとまった仕事は、1946年、コメディ・フランセーズを出て旗揚げしたルノー=バロー劇団の音楽を担当したことである。wikiのジャン=ルイ・バローの項目に拠れば、当時の音楽担当としてブーレーズとモーリス・ジャールの名前がある。モーリス・ジャールは映画《アラビアのロレンス》や《ドクトル・ジバゴ》の音楽を担当した人で、ジャン・ミシェル・ジャールの父親である。
ブーレーズにとってルノー=バローは、その時代の突出したアヴァンギャルドであると同時に、ある程度の生活資金を得るためのルーティンワークでもあった。

そんななかでブーレーズは《Le marteau sans maître ル・マルトー・サン・メートル》を書く。それは1947年から行われたダルムシュタット夏期現代音楽講習会 (Darmstädter Ferienkurse) と連動していて、いわゆる理論と実践である。
ダルムシュタットで行われたこと、少なくともブーレーズ一派によって行われたことは、戦後すぐからのセリー・アンテグラルの布教活動に近くて、そうした最先端の理論によって、1945年に亡くなってしまったバルトークのような新古典主義的な音楽は時代遅れの音楽として抹殺されてしまった、というふうに私は理解していた。それが実際にそうだったのかどうかはわからないが。

しかしシェーンベルクに影響を受けたといわれていたブーレーズは次第にシェーンベルクから離れ、そして 「シェーンベルクは死んだ」 発言が出るのだが、もっと遠くから、つまり21世紀の今から見てセリーとは何だったのかを考えると、それが定着して、音楽としてのひとつのステージを形成したのかというとはなはだ心許ない。堅固に構築されていたはずのステップは崩れ、蛇行した川にとり残された三日月湖のように水たまりとなって残っているのではないかとも思えるのだ。そのときは斬新で輝いていたように見えたけれど、今になると妙に古臭い感じのするプラスチックなフュージョン音楽のかつての流行とそれは同じだ。
なぜならセリーを例にとるまでもなく、理論だけで押し進めてもそこには情動がない。音楽が心の起伏を映すものだとするのならば、100%のシステム構築では付け入る隙が無いのだ。

《ル・マルトー・サン・メートル》のネタは、ルネ・シャールによる同名の詩集である。José Corti から1934年に出されたそれは、シュルレアリスムの作品であるが、シュルレアリスムはそのムーヴメント自体が次第に変質して失速し、結局それはムーヴメントではあったが、それが何を残したかというと極端に言うのならばブルトンの作品が残っただけなのである。他の作品はいわばブルトンを生き残らすための捨て石に過ぎない。

アンドレ・ブルトン自身は音楽に対して積極的な意欲を示さなかった。したがってシュルレアリスムとしての音楽は無い。実際に無くはないのだけれどそれは末節的な扱いきり受けていないし、ブルトン自身が志向したシュルレアリスムは美術とか書かれた文字によるものであり、沈黙の思考なのである。

バルトーク・エピゴーネンでバルトーク・フォロアーであった私は、ブーレーズを目の敵のように思っていた時期があった。しかし、ブーレーズは齢を重ねるにつれて、作曲活動だけでなく指揮活動をするようになり、最初それは自作の曲をより正確に再現するためのものだったのかもしれないが、やがて普通に他の作曲家の作品を振るようになった。
私が最初に聴いたブーレーズのバルトークは《青髯公の城》である。それは例えばフンガロトンの全集に収録されている青髯とは全然違っていて、すごく簡単に言えば冷たい触感があるのだけれど、それは見せかけで、その裏にある熱いパワーが巧妙に隠されているような、そうした印象を持った。

つまりブーレーズが変質していったのか、それとも最初からあの攻撃的な姿勢は韜晦であったのかは定かでない。あまりにも新しい演出で非難囂々であったバイロイトでのスキャンダルなどを見ても、アヴァンギャルドな体質は変わらないのかもしれない。
だが、ブーレーズの振る古典的な作曲家の中で (古典的という場合の音楽の範囲が果たしてどこまでなのかを特定するのはむずかしいが、つまりブーレーズの音楽的領地内における古典と考えた場合)、私が一番感銘を受けたのはバルトークであった。
バルトークはアヴァンギャルドでありながら調性が存在し、妙に古典的で、それでいて整合性があるように見えて、あちこちに何かわからないものが立ち現れる。それはバルトークの仕掛けた罠で、たとえばレンドヴァイのようにそれに簡単に引っかかってしまうネズミもいるのである (ブーレーズ風な皮肉を真似してみました)。罠は見せかけで本質はパッションである。パッションが見えないと罠だけが見えてしまう。そうしたパッションが本来の音楽的情動であると思うし、そうした悲しみがピーター・エルズに幻聴を見せたのだと思いたい (ピーター・エルズとはリチャード・パワーズの小説に出てくる現代音楽の作曲家である→2015年10月09日ブログ。アメリカのうらぶれたホテルでの孤独な作曲家の悲しみはバルトークの悲しみをトレースする)。

バルトークが亡くなってから70年、その音楽は残った。おそらく100年経ってもまだ残っているだろう。ブーレーズの作品が100年後になったらどうなるのか、それがバルトークやマーラーのように発表当時は難解でわからないと言われたのにもかかわらず、やがてリスナーの耳が発達して永遠のシートを獲得できるのか、それとも年月のあまたの泡とともに消えてしまうのであろうか。
どっちにしろ100年後には私はもういないから、それはどうでもよい。ただ、ブーレーズの解釈したバルトークを私は信じる。ストラヴィンスキーへの解析でわかったように、好々爺に変質してしまったかに見えるブーレーズは実は全然変わっていないのである。世渡りと、自身のプレゼンテーションに長けただけだ。

シュルレアリスム宣言は方法論のように見えて実は方法論ではないことと、ブーレーズのセリーから始まる技法への執着は似ている。つまりブルトンもブーレーズも、内心ではそれを信じていないところが似ているのだ。でも信じていないのだが信じていた、ないしは信じているフリをしていた。なぜなら領袖がそうしないとバカな弟子たちは納得しないからである。
ポール・フレールの本を読んだからといって車の運転が向上するわけではない。だから 「溶ける魚」 も食品サンプルであって、本当の料理ではない。では《ル・マルトー・サン・メートル》も 「溶ける魚」 だったのかというと、それはちょっと違うかもしれないとぼんやり思うのである。
音楽の理解度がどんどん上がっていくのと、演奏家のテクニックが上達していくのとには関連性がある。ブーレーズがそのうちPefumeになる日があるのだろうか。少なくとも100年経たないとその回答は出てこない。

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Pierre Boulez (Donaueschingen, 2008)


Boulez conducts Boulez: Le marteau sans maître (Deutsche Grammophon)
Boulez: Le Marteau sans maitre, Derive 1 & 2




スリリングなノタシォン II (ベルリン・フィルのオフィシャル)
Boulez/Boulez: Notation II (2009.06.06.)
https://www.youtube.com/watch?v=dyXGfztLEMA#t

ル・モンドの訃報には東京での演奏がリンクされていた。
Répons (1995.05.23. 東京ベイNKホール)
https://www.youtube.com/watch?v=oTrrPtpCIPA

Maurizio Pollini/Boulez: Sonata No.2
(live in Roma 2008) 1st movement
https://www.youtube.com/watch?v=-4ypICW8LXw
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シェルブールの雨傘 [映画]

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Catherine Deneuve, Jacques Demy

フランシス・レイ (Francis Lai) とミシェル・ルグラン (Michel Legrand) は同じ1932年生まれだということに突然気がついた。何をいまさら、といわれたら困るけど。2人とも映画音楽を多く書いている。
ときとして映画音楽は耳当たりの良いイージー・リスニングなBGMとして使われるが、それは映画の印象的なシーンを思い出すための触媒でもある。かつて日本で制作されたアート・ファーマーのインティメイトなアルバムが、ミシェル・ルグランの映画音楽から始まるのもそうした効果を狙っていたのだろう (アート・ファーマーのEast Wind盤→2015年03月21日ブログ)。

ジャック・ドゥミの1964年度作品《シェルブールの雨傘》は、ミシェル・ルグランが音楽を担当した、全編が歌だけで進行する映画で、ある意味きわめてアヴァンギャルドな手法であるし、台詞が無いということに最初は躊躇するが、その映像と音楽の流れの美しさにすぐに同化してしまう。ミュージカル映画と形容されるけれど、そのへんの凡百のミュージカルと一緒にされたくないという気持ちになる。

タイトルの後、暗いイメージの港湾都市シェルブールの遠景が映り、すぐに下にパンして冒頭の有名な俯瞰での傘のタイトルロールにかぶさるメインテーマ。ストーリーが始まると、ガレージで働く主人公ギィ (ニーノ・カステルヌオーヴォ) に合わせて流れるジャズのリズムへの転換が快い。店を出てジュヌヴィエーヴ (カトリーヌ・ドヌーヴ) と出会うギィ。シェルブールの道は雨で濡れている。そしてジュヌヴィエーヴの傘店へ。ダンスホールのシーンはタンゴが流れる。壁の赤。
デジタル・リマスターにより甦った過剰なまでの色彩が鮮烈で、日本では考えられないインテリアの色だったりするが、それがポップさに傾くわけでもなく、ごく自然に映画の背景として成立している。

ギィが兵役で旅立つシーン。
駅の傍らのカフェで悲嘆に暮れるジュヌヴィエーヴ。窓の外にたなびく汽車の煙。2人がそこを出ると、すぐ外はホームになっている。雨が降ったのかホームは少し濡れている。ギィがトランクとコートをもって列車のステップに乗るとすぐに列車は走り出す。画面左を手前に走り去る列車と、画面中央で列車の進行に合わせ少し歩きかけるがやがてホームにとり残されるジュヌヴィエーヴ。列車が去った後には線路が見え、ホームの手前右側から駅員が奥に向けて歩いて行く。中央で小さくなったジュヌヴィエーヴの姿。コートの裾がひらりひらりと翻る。右手前に大きくシェルブールと描かれた駅名の看板。

あっけないけれど悲しみの充満した別れ。
この別れで2人の仲は破局してしまうのだが、それにしては映像はあまりに軽くて短い。普通だったらもっと長く引っ張ってお涙頂戴にするべきシーンだ。思うに、昔の映画ほどそれぞれのシーンの描き方はさらっとしていて淡泊だ。しかしそれは見かけ上のものであって、そのなかに幾つもの意味合いが籠められている。たとえばフェリーニの《道》も、ひとつひとつのシーンは決してしつこくない。それと同じだ。

ラストシーンはdécembre 1963のクリスマス。雪の中のEssoのガソリンスタンド。ギィの経営しているそのスタンドに、ギィの妻子がちょっと出かけるとの入れ違いに、偶然のようにジュヌヴィエーヴがガソリンを入れにやってくる。見つめ合う2人。イルフェフロア (寒いわね)。ジュヌヴィエーヴは車から降りてスタンドのショップの中に入る。ガラス窓を通して雪の降っているのが見える。シトロエンが出て行く。ジュヌヴィエーヴが車に乗っている娘 (フランソワーズ) を見るかと聞くが、ギィはいやいい、と答える。帰り際、ジュヌヴィエーヴの 「あなた、幸せ?」 に対して 「うん、とても」 と答えるギィ。出て行くジュヌヴィエーヴの車。再び会うことはもうないだろう。
あまりにも悲しくていながら淡々としていて、2人にはそれぞれ個別の幸福があるのに過ぎなくて、2人の幸福が交わることはもはや無くて、それは諦念であると同時に人生とはそういうものでしかないのだ、というふうにもとれる。

現在DVD等で観られるのは2009年のデジタル・リマスターだが、《ローマの休日》のリマスターと同様にとても美しい。でもリマスターされるのはごく限られた有名映画だけなのが残念である。まだまだリマスターして欲しい映画はたくさんある。

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Jacques Demy, MIchel Legrand


ジャック・ドゥミ/シェルブールの雨傘 (Happinet)
シェルブールの雨傘 デジタルリマスター版(2枚組) [DVD]




Les parapluies de Cherbourg
https://www.youtube.com/watch?v=kLXNBu6_JNA

全編
http://www.dailymotion.com/video/x14f1km_les-parapluies-de-cherbourg-1964-1-2_lifestyle
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