So-net無料ブログ作成
検索選択

Emily — ベス・ニールセン・チャップマン [音楽]

BethNielsenChapman_151230.jpg
Beth Nielsen Chapman

人間の記憶というものはいつも曖昧で、あちこち欠落していたり、間違えた記憶が挿入されていたりする。
特に音楽の記憶というのはそれ自体が抽象的だから、それをいつ聴いたのか、なぜそれを聴いたのかが後になってみると全然わからなかったり、それを偶然耳にしたためなのだろう、時間の流れのなかで長い線とはならず、ポツンとした点のような記憶の小さな傷でしかなくて、でもその聴いたという記憶だけは、独立した意外に強い印象として存在していて、記憶のなかで暗く輝いたしこりのように残っていたりする。
それはたとえばバリー・マニロウとかエディ・マネーとか、ジェニファー・ウォーンズだったりもするし、ベス・ニールセン・チャップマンもそうである。

ベス・ニールセン・チャップマンの《Beth Nielsen Chapman》は1990年にリリースされたアルバムで、2ndアルバムではあるが、実質的には彼女の1stと言ってもよい。自分の名前をそのままストレートにタイトルにしたシンプルさが、このアルバムに賭ける意欲を感じさせる。
例によって曖昧な私の記憶によれば、何の予備知識もなく買ったのは覚えているのだが、そのきっかけは覚えていない。でも、禁欲的とも思えるピアノに向かっているベスの姿を写したモノクロームのジャケットに魅かれたわけではなく、何らかの音楽の断片を聴いたからに違いない。それは雑多なトラッシュの集合のような色彩のCD棚のなかで異彩を放っているように見えた。

彼女の声は澄んでいて美しいのだけれど、とりたてて特徴がない。あくの強さとか、ぎらっとした個性の輝きのようなものがなくて、無難ともいえる周波数の範囲内に収まっている優等生的な歌のようにも思える。
だが、ちょっとした音と音の狭間に、ほの暗い影が見え隠れする。それは彼女のその後の人生の前哨だったのかもしれないがそこまで穿ってしまうのは考え過ぎだろう。

1990年という時代は私にとって何も音楽の無かった時代だ。どんな音楽を聴いていたのかも、ほとんど記憶にない。単純に聴いていなかったのかもしれない。それとも他に何かかまけることがあったのだったかもしれない。
前記のジェニファー・ウォーンズがレナード・コーエンを歌った《Famous Blue Raincoat》が1987年、そして翌1988年にはエンヤの《Watermark》がリリースされている。このエンヤの大ヒット作品がこの時期のエポックであり時代性を表しているようにも思える。全く同じ日にコクトー・ツインズの《Blue Bell Knoll》もリリースされているが、このアルバムあたりからコクトーズの音楽は沈下し始まったように思えたし、その翌年、1989年のケイト・ブッシュの《The Sensual World》には明らかに《Watermark》の影響があった。
ブルガリア、ケルトといったプリミティヴな音に頼ろうとするのは、ジプシー・キングスでも証明されていたように、ワールドミュージック的なエキゾティク・テイストの甘い罠である。
1991年にセルジュ・ゲンズブールがボロボロになって亡くなる。フレンチポップスはすでに死に絶え、すべての夢はゴロワーズの煙とともに消えていった。

つまりあまり強固な音楽が存在しなかった時期のようでもあって、そうしたなかでのベス・ニールセン・チャップマンだったのだと私には思える。もちろんそれは私の惹かれる音楽ということにあくまで限定したうえでのことなのだが。
ときどき忘れた頃にこのCDを出して聴いてみる。いつでもベスは変わらずそこにいる。派手ではないけれど決して裏切らないその歌。

ベスのこのアルバムには、さりげなく始まる1曲目の〈Life Holds On〉から、どれも捨て曲が無い。5曲目の〈All I Have〉で少しピークがあるが、アルバム末尾の3曲、〈That’s the Easy Part〉〈Emily〉〈Years〉という連鎖がこのアルバムのすべてである。
ローズの音がやや時代を感じさせるが、でもそれはごく慎ましく、そんなに古びた印象を与えない。物憂さと悲しみとあきらめは、ごくささやかな薄く軽い言葉のなかにこそある。


Beth Nielsen Chapman/Beth Nielsen Chapman (reprise)
Beth Nielsen Chapman




Beth Nielsen Chapman/Emily
https://www.youtube.com/watch?v=-yCmXyompVc
nice!(63)  コメント(28)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

吉祥寺の江口寿史あるいは白いワニの思い出 [コミック]

eguchi_kichijoji_151226.jpg

ucカードのご利用明細書の裏側が江口寿史のイラストだったのでびっくりしてしまった。そしたら江口先生自身がツイッターで、

 クレジットカードの明細書ハガキにおれのイラストがあってビックリ!
 というリプライが全国からたくさん来てるが、そうか、この絵は吉祥寺
 限定だったから初めて見た人も多いんだね。2014年の夏に描いたもの
 ですよ。すでにもうなつかしい。

と解説していた。
イラストは白いシャツにデニムのショートパンツ、バスケットシューズで振り向いている黒髪の少女。グリーンのリュックを背負っている。立っている場所は、サンロード途中から西に折れた東急百貨店正面に向かって抜ける道 (元町通り) の途中、コピスの入り口よりやや東寄り。緑色の2本の柱がコピス吉祥寺の入り口 (コピスは昔、伊勢丹吉祥寺店だったビル)。すごくリアリティがあってちょっといい。
ucの明細書では下半身がトリミングされていて、周辺部もカットされているから、本来のイラストのほうが街の雰囲気はよく出ている。

ぱっと見ただけですぐに江口寿史とわかる特徴的な描線。画面中央からこちらに向かって突き出されている左手。吉祥寺限定なのかぁ。ちょっとズルい (なにが?)。舗道の模様は途中までで大胆に省略され、白地になっていて、人物を引き立たせると同時に夏の日差しを感じさせる。

江口寿史の絵は、いつも乾いていて、現実のにおいから隔絶していて、そしていつも少しエッチだ。イラストレーターになってしまってから、それが唯一のしかし強力な武器となってしまっている。昔みたいなコミックスを描くことはもうないんだろうなぁと思うとそれが残念だけれど、でもしかたがない。
昔の絵を懐かしんでも戻ることがないのは、萩尾望都の初期の絵を懐かしむのと同じことだ。.jpgと同じで不可逆性なのだ。

江口寿史も、そして桂正和も、吉祥寺あたりの風景がよく出てくるのは同じだ。桂正和にはもう失われた過去の武蔵境駅が出て来たりする。大島弓子の《グーグーだって猫である》も彼女の住んでいた吉祥寺での自伝的な話なのだが、映像化されたその風景が見知ったものであるのにもかかわらず、なんとなく現実感が薄かったのはなぜなのだろう。小泉今日子じゃイメージがきれいすぎるからなのかもしれない。宮沢りえのはまだ観ていないけれど。

今、江口寿史展が開催されているらしいが、今年は行けなかったので行くとしたら来年ですね。画集のキャッチには 「今まで出た画集は全部捨てちゃって」 と書いてあるけど、捨てるわけないじゃん!

eguchi_peugeot_151226.jpg
プジョー208GTiプロモーション

芸術新潮2016年1月号 (新潮社)
芸術新潮 2016年 01 月号 [雑誌]




江口寿史展 KING OF POP
http://www.kawasaki-museum.jp/exhibition/king-of-pop-2/
nice!(69)  コメント(9)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

スヌーピーのクリスマス [映画]

charlie-brown_151225.jpg

スヌーピーの古いアニメに《スヌーピーのメリークリスマス》という作品があります。
チャーリー・ブラウンたちはクリスマスに劇をすることになって、そしてチャーリーはクリスマスツリーを買いに行きます。ルーシーはピンクの派手な金属製のを買って来いというのですが (今、記憶だけで書いているので違っているかもしれませんが、大体そんなオーダーです。でも、そもそもそんなツリーってあるんでしょうか?)、チャーリーはごく素朴な、見ようによっては貧弱な普通のツリーを買ってきて、ルーシーを含めたみんなにバカにされます。
でもライナスは、そんなに悪いツリーじゃないよとチャーリーを慰めます。そして舞台に立って、ライトをくれ、と言い、スポットの中でクリスマスの物語を静かに語ります。みんなはライナスの言葉によって目覚め、そのツリーを飾り付けるとそれは立派なクリスマスツリーに変身します。

クリスマスが商業的に毒されていることに対して、クリスマスとは本当は何なのかということをライナスの言葉は示しています。単純にキリスト教的な conscience の発露という評価だけでは片付けられない何かがあります。
それはクリスマスだけでなく、たとえばハロウィーンの大騒ぎにも共通する、ただ騒ぎたいことに対する柔らかな警句でもあります。

スヌーピーはまだ昔のスタイルのスヌーピーで、この作品の中ではほとんど添え物的なキャラクターでしかありません。でもピーナッツの仲間たちが大勢出演していて、クリスマスのほのぼのとした雰囲気に満ちています。

ライナスの言葉に触発されて思い出したのはアルノルト・シェーンベルクの曲でした。前ブログに書きましたが、ブーレーズが次第に否定してしまった作曲家である新ヴィーン楽派の総帥シェーンベルクの《Friede auf Erden》のことを (シェーンベルクもアンドレ・ブルトンも、総帥と呼ばれる人たちは常に否定される立場にあります)。
地には平和を。それは宗教というくくりを離れた、もっと普遍的で素朴な願いなのだと思います。


ビル・メレンデス/スヌーピーのメリークリスマス (ワーナー・ホーム・ビデオ)
スヌーピーのメリークリスマス 特別版 [DVD]




スヌーピーのメリークリスマス
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1975002

ブーレーズによるストラヴィンスキーの読解 [音楽]

boulez2011_151223.jpg
Pierre Boulez, Salzburg 2011

ちくま学芸文庫『ブーレーズ作曲家論選』に対する感想の続きである (以前の記事は→2015年06月28日ブログ)。今回はストラヴィンスキーだが、DGにはブーレーズの各作曲家毎のボックスセットがバルトーク、マーラー、ストラヴィンスキー、ラヴェル/ドビュッシーと4種類あって、それぞれの演奏を補強するための作曲家論というふうに私は聴いてきた。もちろんDG以外の、エラート盤、ソニー盤もあるのでそれと聴き比べてみるのもいいのかもしれないが、エラート盤はまだ持っていないし、とりあえず聴く対象はDGをベースとしている。

ストラヴィンスキーに対するブーレーズの見解は明快で、それは次の個所に書かれている。

 いったい、『結婚』以後急速化したあの創造力の枯渇をどのように説明
 すれば良いのか? それは、あらゆる領域において一種の硬化症となっ
 て現れる。つまり、和声法や旋律法においては、結局偽装されたアカデ
 ミズムが、リズム法においてさえ、痛ましい萎縮症が見られる。(p.317)

もうボロボロにけなしているが、ここにはひとつの重要な陥穽がある。この『作曲家論選』は日本で編集された作曲家論の選集なのだが、訳者が書いているようにストラヴィンスキーの項は1951年に書かれた論考であり、その頃、ブーレーズはまだ26歳で指揮者としても作曲家としても無名に近く、まだ《春の祭典》を指揮したことももちろん無かった。
にもかかわらず、DGの録音はエラートやソニーに較べると、もっとも近年の演奏であるのだから、その間には作曲家に対するブーレーズの評価も変遷しているのかもしれない。でもあえて、論考は論考、演奏は演奏と考えてみたのである。
それと、幾ら適宜選択したとはいえ、この文庫本1冊の約360頁の中に選抜された作曲家は11人、14の項目に分かれているのに、ストラヴィンスキーの項目だけ約100ページというアンバランスな分量となっている。しかもそれは《春の祭典》を語るだけのために用いられている。欠点があるといいながらも、この詳細な分析は彼がストラヴィンスキーに対して強い興味というかシンパシィを、あるいは羨望か、あえていえば嫉妬を持っているかもしれないことへのあらわれである。

まずブーレーズは現代音楽の二大スキャンダルとして《春の祭典》とシェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》をあげていて、それらの運命は著しく類似していると説く (p.222)。だが年を経るにしたがい、次第にブーレーズの心はシェーンベルクから離れていった。
ブーレーズのこの若き時代の言に従うのなら、ストラヴィンスキーは初期の作品が重要であり、もっと極端に言うのなら《火の鳥》《ペトルーシュカ》《春の祭典》ということになる。

ブーレーズはストラヴィンスキーのリズムを、鋭敏なリズムと評価し、対するヴィーンを (ヴィーンとは新ヴィーン楽派のことだと思われるが) 「ヴィーンでは、ほぼ伝統的なリズム構成の内部で、書法の急進的な変換が生じつつあったが、複雑な音響は規則的な韻律という揺るがぬ原理に支えられていた」 (p.226) というふうに対立させている。
つまりストラヴィンスキーはそのリズム法こそ鋭敏で複雑であったが、原始的音階法と古典的和音構成を備えていて、それゆえに複雑なスケールや和声は用いておらず、そこが新ヴィーン楽派と全く異なる部分だと言うのである。

 作品の主要主題は全音階法、それもきわめて原始的な全音階法に基づき、
 さらにそれらの主題の幾つかは、五音からなる不完全旋法に基づいてい
 ることが確認される。(p.225)

とある。

ブーレーズの毒舌は1951年当時の勃興するジャズに対しても、そのリズムは貧弱なシンコペーションであり、それと不可分な (単調な) 4拍子の繰り返しに過ぎないのに、音楽にめざましいリズム上の革新をもたらしたと見なされ得た、とこきおろす。
それがストラヴィンスキーのリズムとの対比によってであることは間違いない。逆にいえばブーレーズはストラヴィンスキーの作曲全体において、リズム法に対してのみ〈ウィ〉と言っているのだともとれる。もちろんその他を否定しているのだととるのは、彼の逆説的な皮肉をそのまま受け取ってしまうことになりかねないので、それは単純過ぎるし浅薄過ぎるのであるが。
それ以降の《春の祭典》の各部分に関する詳細な分析についてはあまりに専門的なので私には歯が立たない。

リズムに対する詳細な分析は、ストラヴィンスキーの独創性がリズムの扱い方にあると信じているからに他ならない。それらのひとつひとつはあまりに細かい分析方法をとっているが、その基本にあるのはごく単純なパースペクティヴであり、それを証明するためにブーレーズは多くの言葉を費やしているのに過ぎない。

 ストラヴィンスキーにおける最も単純なリズム展開は、オーケストラ全
 体で繰り広げられる線的な手法を別にすれば、二つのリズム的な力の明
 白化による展開である。その拮抗作用によって、単純な二つのリズム、
 あるいは一つの単純なリズムと一つのリズム構造、あるいは二つのリズ
 ム構造が有効に機能し得るのだ。(p.257)

さて、その若き頃のストラヴィンスキー論に対する、年月を経てからのDGのブーレーズの演奏はどうなのかということになるが、《春の祭典》を幾つかのモザイクの組み合わせのようなものと捉えるのならば、各々の輪郭はくっきりとしていて、その構造性がはっきりと知覚できるのだけれど、あまりに冷静な分析過ぎてパッショネイトな成分が無いともとれる。
私にとっては、このストラヴィンスキーの作品がどのように組み上げられているかということが明確にわかって、こうした解釈があるのだと思えたのだったが、最近の演奏だとたとえばエサ=ペッカ・サロネンの指揮を聴いていると (その指揮姿のヴィジュアルは別にしても)、ウケてしまうのはこういう演奏だよね、と感じる。もちろんウケるのがダメだとは言っていないし、むしろウケるのが音楽の重要な要素であることでその昂揚感が一種の美学を形成するわけであり、そしてそうした幻想をリスナーはストラヴィンスキーに対して描いているに違いないことも事実である。
それを最も利用したのがセルゲイ・ディアギレフであったこともまた歴史に残る事実だといえよう。とはいっても、すでにバレエ・リュスの幻影を見たものは誰もいない。それゆえに幻影は肥大する。

ただ、いろいろと情報を読んでみると《春の祭典》はあの複雑なリズムをコントロールすることが至難の曲であって、ライヴの場合、フレーズが落ちてしまったり、さらには音楽の流れそのものが見失われそうになることさえあるのだという。YouTubeには失敗した演奏というのもあるのだが、私のようなシロートにはどこが悪いのかよくわからない。ともかくそれほど錯綜した、けれどリスナーにとって魅力的な作品であることは確かである。

LeSacreDuPrintemps_score91.jpg
ブーレーズの各論の最初にあるスコア91~の部分 (p.227)
小節毎に拍数の変わるメロディラインに対し、それを下支えする8分音符4個のリズム・ペダルは時に小節をまたいでいる。26歳のブーレーズはこの部分を最も単純なフレーズのひとつの例と形容している。

Boulez Conducts Stravinsky (Deutsche Grammophon)
Boulez Conducts Stravinsky




ブーレーズ作曲家論選 (筑摩書房)
ブーレーズ作曲家論選 (ちくま学芸文庫)




Pierre Boulez/Orchestra Filarmonica della Scala, Milan, 2006
https://www.youtube.com/watch?v=WtAzaQ_fd-A

Esa-Pekka Salonen
https://www.youtube.com/watch?v=Gi16suM21jQ
nice!(63)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

1982年のジャパン [音楽]

sylvian_sakamoto_yukihiro_151216.jpg
Ryuichi Sakamoto, David Sylvian, Yukihiro Takahashi (1982)

デヴィッド・シルヴィアンの在籍していたバンド〈JAPAN〉をサーチするのはむずかしい。ジャパンという単語が一般的過ぎるため、関係のない内容ばかりが上位に来てしまったりするし、それに〈X JAPAN〉という日本の有名バンドがあるため、余計に困難が伴う。

JAPAN は1974年~1982年に存在していたイギリスのバンドであるが、最初はグラム・ロック・フォロアー的なヴィジュアルから始めたにもかかわらず、3枚目のアルバム《Quiet Life》(1979/Hanza) から音楽性が変化してゆき、さらに次のアルバム《Gentlemen Take Polaroids》(1980/このアルバムからVirgin Recordsとなる) の後、ギタリストのロブ・ディーンが脱退してしまったため、よりギターレス的サウンドが主体になっていった。坂本龍一などとの関係性が深くなったこともその傾向を助長させたように思われる。最後期には土屋昌巳がギタリストとして参加している。アルバムでいえば《Oil on Canvas》(1983) である。
尚、《Oil on Canvas》の最後のトラックであるスタジオ・レコーディングによるリチャード・バルビエリ作の〈Temple of Dawn〉は三島由紀夫の『曉の寺』のことであり、三島へのリスペクトと思われる。

このアルバムは Recorded: November 1982 との表記があるが、最後のライヴはen.wikiによれば1982年12月16日・名古屋となっている。
この頃のパフォーマンスがどのようなものだったのかは、YouTubeなどを見てもあまり動画が存在しないし、あってもこの時期のものでなかったり出所が不明だったり画質が悪かったりで残念である。当時の雰囲気を一番よく映し出しているのはBBCのスタジオ・ライヴ風の動画 (a) であるが、曲目は〈Nightporter〉と〈Art of Parties〉で、前者は《Gentlemen Take Polaroids》に入っているジムノペディ風な雰囲気の静謐な曲。シルヴィアンの横にテープ・エコーが一瞬映るがまだ当時はこういう機材も使われていたのだろうか。後者は《Tin Drum》(1981) に収録されているリズムを前面に押し出したこのアルバムを象徴するような曲であり、土屋のギタープレイがよく分かる。この2曲は収録ヴィデオの最後の2曲で、その前にも演奏があったようにも見受けられるがフル・ヴァージョンがあるのかどうかもわからない。

音だけなら1982年12月08日と記されている武道館ライヴがYouTubeにあるが、坂本龍一、矢野顕子が加わった〈Bamboo Music〉(b) と高橋幸宏が加わった〈Taking Islands in Africa〉(c) などが存在している。

よくわからないのは、Chapter One というレーベルからリリースされている《The Final Show》というCDであり、NAGOYA, JAPAN, 6.12.82 と記されているので12月6日の名古屋のライヴということだが、JAPANのファイナル・ライヴは1982年の12月16日ということになっていて、このCDがファイナルの音なのか、それとも6日と16日と両日、名古屋でライヴがあったということなのかどうかもわからない (もし16日にしか公演がなかったのだとすれば、記載のミスという可能性もある)。
非常に画質の悪い Live in Nagoya という動画も存在するが (d)、これが16日の映像とするのならば、Chapter One のライヴは異なる音源のような気がするのである。最も Chapter One の音は全体的にくぐもっていて、ところどころ大雑把にカットしてつなぎ合わせていたりするので、ある曲をやったのかやらなかったのか、というような比較では突き止められない。
BBCなどの動画に較べると、このChapter One盤ライヴの土屋昌巳のギターワークはあまり良いとは思えないのである。客席も嬌声が聞こえるとはいえ、それほど人数が入っていないように感じる。

おそらく武道館ライヴを収録したと思われるアナログ3枚組のレコードがあったはずなのだが、今、レコード棚を探しても出てこないので、手がかりは失われたままである。このアナログの3枚組も Chapter One もおそらくブートなので、ネットを含めてデータとして出て来にくいのかもしれない。ただ記録としては貴重であると思う。
最近、《Quiet Life》の再発アナログ盤を手に入れたが、オリジナル盤より肉厚な重量盤でちょっと笑ってしまった。JAPANはリミックス等が多いので、完全でなくてもいいからJAPANのコンプリート盤を渇望するのだけれど (完全でないコンプリートというのは形容矛盾だが)、全アルバムの枚数が少ないし、1〜2枚目はシルヴィアンが黒歴史だと否定していることもあって、結果としてそこまでの需要はないのかもしれない。


(a) https://www.youtube.com/watch?v=uaSak_o9IEQ
(b) https://www.youtube.com/watch?v=Y8km4OTtqzY
(c) https://www.youtube.com/watch?v=3AQS3HFQ3_k
(d) https://www.youtube.com/watch?v=r4el3SPCSOs


JAPAN/Oil on Canvas (ユニバーサルミュージック)
オイル・オン・キャンヴァス(紙ジャケット仕様)

nice!(85)  コメント(10)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

ユルスナールとタブッキ — 須賀敦子 [本]

marguerite-yourcenar.jpg
Marguerite Yourcenar

最初に。
私にとってひとつだけ入れないブログというのがあるんですが、トップ画面までは表示できても、そこから先に進めないんです。以前は入れていたのですが、OSが変わってから全然無理になりました。これは私の使用しているMac OSとの相性が悪いのかもしれなくて、どうしてもダメなのでSo-netカスタマーサービスに問い合わせたところ、その回答が 「該当ブログ開設者さま独自のブログパーツの設置等、カスタマイズにより発生している現象」 なのだそうです。
つまりブログパーツの中にMacの特定のOSと相性の悪いものがあるんでしょうね~。Windowsの人は普通に入れてナイスもできてコメも書けてるのに、それができないことの歯痒さ。ただ、カスタマーサービスも全く同一のOSとかブラウザーのversionで検証してなくて近似のものなので、これだ!と言い切ってはいないんですが。ん~、とにかく残念です。

     *

まとめて本etc.を買い出しに行くときがあって、そういうときは空っぽのリュックを持って行きます。結果として入るだけ本を買ってきてしまって、う~ん重いぞ、って充実感と出費してしまった後悔との 「ない交ぜ」 になった気持ちになるんですが、基本的に私は図書館というのを使わないので (今のところ私は、図書館とスマホとパスタのスプーンは使わないということにしてます)、といって、手にとれないからamazonで本を買うのもイヤだし、そんなわけで定期的な買い出しになってしまうのです。

『つるとはな』という本があって、扱いとしては書籍なんですがそれは発売間隔が長いからで、外見としては雑誌で、広告で見たときにこれは欲しいと思っていました。でも、小さい書店には置いてないんです。それで、置いてそうな書店に行ってみたんですが、そこには第2号しかなくて、他の店を探してやっと創刊号を見つけました。帰って来てから 「つるとはな」 サイトを見たら、取扱店一覧があったので、これ見れば早かったのに、と思ったんですが、とりあえず買えたので問題なし。白地に写真と黒い文字の乗ってる、さっぱりした外見の雑誌風書籍です。
「人生の先輩に聴く」 っていうキャッチがちょっと見え透いててエグいですが、つまり若い人じゃなく、もっと年季の入った人からの話を聞くというスタンスで、創刊号は小澤征爾とか機織りの人の話とか、そういう内容なんですが、私が読みたかった (見たかった) のは創刊号と2号に 「須賀敦子からの手紙」 という記事があるからでした。

須賀敦子からひとりの友人に宛てた手紙をそのまま写真に撮って公開されているので、同様のものを昨年の《須賀敦子の世界展》で見たとはいえ、きちんとした画像にされたものをゆっくりと見たいという願望は、とりあえず須賀敦子ファンにはきっとあるのに違いなくて、それでとても堪能しました。(須賀敦子の世界展のことは→2014年11月21日ブログ参照)

でも亡くなってしまったから手紙を公開されても仕方が無いとは思うんですけど、自分が同じようにそれされたらイヤかもしれない、あ、でも私は無名の人だから、須賀さんのように公開されることは絶対にないから別にいいか、とか、でもその須賀さんの手紙は公開されても全然恥ずかしくないし、それでいて細やかな愛情の籠もった、見ていても美しい手紙で、ますます思ってしまうのは、だけれどこの人はすでにこの世にいないのだ、ということがとても悲しくて残念で、そのあまりに身近に感じられる須賀敦子の肉声みたいなものの貴重さにうたれて、こうやって公開してしまったんだろうなと思います。

それでミシェル・ウエルベックを買うつもりだったのに、アントニオ・タブッキを買ってきてしまいました (関連性はまるでないのだけれど)。もちろん須賀敦子訳のタブッキです。タブッキはイタリア人の作家ですが、ポルトガル語の翻訳をしていて、タブッキの作品の中にそうした〈多国語性〉とか〈メタ母国語性〉的な傾向があって、それが私を魅了する、と須賀さんは書いています。
そういう須賀さんも〈多国語性〉の人で、彼女はイタリア語の翻訳家でしたが、最初に学んだ言語はフランス語でした。須賀さんはフランス語を学びにフランスへ来たものの、フランスとかパリと自分は合わないと感じてフランス語からイタリア語に乗り換えたのですが、そのフランス語の学習はマルグリット・ユルスナールを核とした作品に生かされていたと思います。そしてハドリアヌス帝を介在したローマやイタリアの諸都市に対するエッセイにも。
ハドリアヌスから現代までの歴史と追憶が堆積して、それを書いた彼女自身の言葉もまた風化して歴史の一部となってしまうことの重層感を感じながら、ひそかに追尾して行くのが読者のひとりとしての楽しみでもあるわけです。

そのほか、岩波文庫で出ているエミリー・ブロンテ『嵐が丘』とヴァージニア・ウルフの『灯台へ』もついでに買ってみました。ウルフは、みずず書房の著作集とは違う訳者だとどうなるかを確かめたかったからで、ブロンテももちろん同じ理由です。

夜、テンシュテットのマーラーの5番を聴きながら、須賀敦子の 「ヴェネツィアの悲しみ」 というのを読んでいました。バカじゃねーの? というツッコミは聞きません。
でも本でもCDでも、そのうちブログの記事に書けるのは一握りで、指の間からこぼれ落ちる砂のほうがずっと多くて、でも芸術作品なんてそんなものなのだと思うし、そうしてこぼれ落ちてしまうことはきっと人生にも似ています。
須賀敦子は、自分の文章について、その翻訳やエッセイの言葉について、この表現で良いのだろうかと常に悩み書き改め、洗練させようとしていました。その謙虚さにうたれます。優れた言葉は読んでくれなどと言わなくても自ずから輝きを持っているものです。
その須賀さんの入れ込んだタブッキについてはまたあらためてその感想を書くつもりです。


つるとはな創刊号 (つるとはな)
つるとはな




つるとはな第2号 (つるとはな)
つるとはな第2号




須賀敦子全集 第2巻 (河出書房新社)
須賀敦子全集 第2巻 (河出文庫)

nice!(80)  コメント(12)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

《In A Silent Way》を聴く — マイルス・デイヴィス [音楽]

zawinul_151207.jpg
Joe Zawinul

マイルス・デイヴィスの《The Complete In A Silent Way Sessions》を聴く。
アルバム《In A Silent Way》はアナログ盤だと両面に各1曲が収録されているのだが、それらは編集の結果、《In A Silent Way》というアルバムのかたちになったので、ジャズを1回性の音楽と規定するのならばこれはジャズではない。
などといいながら、ポップミュージック (特にアイドル・ポップス) に見られるような極端な編集ほどではないにしても、今のジャズの録音もすでに編集の塊であるはずで、かつての1発録りの伝説的な幻影が失われてから久しい。

このコンプリート盤は、マイルスとそのグループの演奏としての《In A Silent Way》に至るまでの記録であり、マイルスの変貌の過程を識るために必要だった一種のミッシング・リングだとも言えるだろう。
3枚組の3枚目に、オリジナルの《In A Silent Way》が収録されているが、その完成形2曲に至るまでのセッションを録音日付順に聴いていくことができるようになっている。

3枚のCDの曲名リストは次の通りである。
CD1:
Mademoiselle Mabry
Frelon Brun
Two Faced
Dual Mr. Anthony Tillmon Williams Process
Splash
Splashdown

CD2:
Assent
Directions I
Directions II
Shhh/Peaceful
In A Silent Way (Reharsal)
In A Silent Way
It’s About That Time

CD3:
The Ghetto Walk
Early MInor
Shhh/Peaceful (LP version)
In A Silent Way/It’s About That Time (LP version)

CD1は〈Mademoiselle Mabry〉と〈Frelon Brun〉、これらはアルバム《Filles de Kilimanjaro》(released Dec.1968) からのテイクだ。キリマンジャロの録音日は1968年6月19~21日と9月24日、このコンプリート盤において、9月24日の録音からがサイレント・ウェイの始まりという設定であることが興味深い。
その後に〈Two Faced〉〈Dual Mr. Anthony Tillmon Williams Process〉〈Splash〉と続くが、これらは11月11日と12日に録音されたもの。アルバム《Water Babies》(released 1976) に収録されている。〈Splash〉はオリジナルの《Water Babies》には収録されていないが、2002年の再発の際に追加された曲である。そして11月25日の〈Splashdown〉のみがunissuedなテイクである。この曲からジョー・ザヴィヌルが参加しているというのが非常に重要だ。

CD2は1~3曲目までがアルバム《Directions》(released 1981) の収録曲で、1968年11月27日の録音。このセッションからドラムスがトニー・ウィリアムスではなく、ジャック・デジョネットに変わっている。そしてこの3曲の作曲はザヴィヌル。このCD2になるとCD1の最後の曲〈Splashdown〉で感じた、それまでと違った感じがより顕著になる。それはザヴィヌルの参加による影響であり、サウンドの主体がザヴィヌルの音であると言ってもよい。
CD2の後半、4~7曲目は1969年2月18日の《In A Silent Way》の当日のセッションのunissuedのテイクである。このセッションからジョン・マクラフリンが参加している。

CD3は1~2曲目が1969年2月20日、つまりサイレント・ウェイの録音日の2日後のセッションでありunissuedだった曲。ドラムスがジョー・チェンバースである点が他と異なる。
そして3~4曲目が2月18日のオリジナルなサイレント・ウェイのテイクである。

まず全体を通して聴いて言えることは、音が異常にくっきりとしていることだ。リマスターの効果が大きい。
CD1はキリマンジャロの娘でも、1968年6月と9月の録音が異なることを示している。キリマンジャロの娘というアルバム単位で捉えるのと、9月からがサイレント・ウェイへの道のりの始まりと捉えるのとではニュアンスが異なる。
だがCD1の冒頭〈Mademoiselle Mabry〉から最終曲の〈Splashdown〉へのなだらかな傾斜と考えることによって、それはまさにメインストリームから徐々に音が壊れてゆく、ないしは新しく生まれ変わっていくような様相を示していて、9月から11月までのマイルスの思考の変化が現されているような気がする。

CD2は冒頭から明らかに音が違う。この11月27日のディレクションズ・セッションから1969年2月18日のサイレント・ウェイ・セッションへと繋がる動きは非常にスムーズで、この3枚のCDの中で最も聴き応えのあるテイクである。
正直に言ってしまえば、CD3に収録されている最終形のサイレント・ウェイの2曲より、このCD2に収録されているunissuedだった各テイクのほうが優れているような気がする。

CD3の冒頭2曲は、サイレント・ウェイのセッションの2日後に録音された、いわば拾遺曲であって、このセットのクロニクルなポリシーからいえば最終形サイレント・ウェイの後に付け足した曲順でもよかったのではないかと思うが、本テイクを最後にということなのか、ここのみ順序が逆になっている。
意外に生々しい音がしてこれはこれで楽しめるし、ちょっと懐古的な味もあって個人的にはすごく好きな2曲である。

このサイレント・ウェイの録音から約6ヶ月後の1969年8月19日~21日に《Bitches Brew》が録音されることになるのだが、イン・ザ・スカイとキリマンジャロの娘でマイルスはエレクトリックに突入し、サイレント・ウェイを経て、ビッチェズ・ブリューに至るという世評を私は今まで信じていた。そしてサイレント・ウェイというアルバムのポジションが私にはもうひとつよくわかっていなかった。
このコンプリート盤を聴いて思ったのは、サイレント・ウェイはビッチェズ・ブリューの露払いではなくて、それまでのアコースティクも含めたメインストリーム的なマイルスのジャズの変容の末に辿り着いた地点ではないかということである。つまりサイレント・ウェイとビッチェズ・ブリューはつながっているようでつながっていない。
ビッチェズ・ブリューから後のマイルスのファンク・ロック的なアプローチは、たとえばジミ・ヘンドリックスとか、その他のブラック・ミュージックを混成した方向性であり、たまたまそれがそれなりに当たってしまったので、それを押し進めたというような印象を受ける。
だからノリ良く聴けるという利点はあるのだが、若いミュージシャンを次から次へと採用したにもかかわらず、傾向は固定して次第にステロタイプになったようにも思えるし、それはコマーシャル的には成功したのかもしれないが、音楽としての構築性と精度は落ちていったように見える。

逆にいえばイン・ザ・スカイとキリマンジャロでマイルスは少し迷ったのではなかったか、という感じもする。そのままその路線でいけば少し抽象的過ぎてリスナーの支持を保つことはむずかしかったのかもしれない。ブートレグ・シリーズの《Live in Europe 1969》はビッチェズ・ブリューの録音の前後にまたがっているが、そのライヴにおける新旧併せ持った曲目選択に少しずつ変化していこうとするマイルスの意思が感じられるし、それを適度に大衆化して、かつマイルスのプライドを維持するということにおいてザヴィヌルの力は大きかったのではないかと思う。

サイレント・ウェイに私がいままで感じていたイメージは、なんだかよくわからないけど暗くて、でも妙に明るく突き抜けた部分があって、というようなはなはだ心許ないものであって、あまり聴かなかったアルバムなのだが、このセットで改めて聴いてみると、緻密に作られている個所がそこここに見つけられて、マクラフリンも意外にいいなぁと思ったりしたのである。
それは年代を経て音が熟成したのかもしれないし、私の感性が変わったのかもしれない。

それと私はフュージョンというのがあまり好きではなくてウェザー・リポートもよく知らないのだが、このザヴィヌルのこの時期のマイルス・バンドへのかかわりかたはやはり傑出したものではなかったかと思う。チック・コリアもキース・ジャレットもザヴィヌルと較べれば単なるキーボーディストに過ぎない。

CD3のサイレント・ウェイの本テイクの〈Shhh/Peaceful〉には10’45”あたりにラフにつないだ跡があって、もう少しきれいにつなげればいいのに、とも思うのだが、たぶんきれいにつなぐという目的意識は無いのだ。
それにラフにつないであったりする曲があるほうが名盤だったりする。たとえば秋吉敏子の《孤軍》の1曲目〈Elegy〉に、つないだのがわかる個所があるが、あれがあるから《孤軍》は名盤なのだ (と言うのは強引過ぎるけれど)。

ただ私の見方は今の時代から見たマイルスであって、その1969年という時代がどのような音楽状況にあったのかを考慮していない。今とは違って、当時では出せなかった音楽傾向もあっただろうし、その時のトレンドというか時代の流れというのもきっとあったのだと思う。
そうした中でマイルスは流行におもねっているように思えて、意外に頑固だし孤高である。


Miles Davis/The Complete In A Silent Way Sessions (Sony)
Complete in a Silent Way Sessions




MIles Davis/Ascent
https://www.youtube.com/watch?v=rDLV9A7-ALM
nice!(78)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

type Rのこと [雑記]

civic_typeR_151202.jpg

最近の車のデザインはコワイ顔が多い。なんでそんなに威嚇しなくちゃいけないのか、というような鋭い鷹の目みたいな印象を受けてしまうのだ。そんななかでスズキのハスラーは走っているのを見るだけでホッとする。CMがアラレちゃんだし、鳥山明デザインと言ってもいいような雰囲気とカラーリングでやさしい顔をしていて、威嚇するより楽しいほうがいいよね、と思うのだ。最近の車のなかでずば抜けて良いデザインだと思う。

と前フリをしながら本題は全然違うのだけれど、シビックの話である。
シビックは日本ではすでに消滅している車だが、海外では現役で、噂の type R が限定販売となったが、750台の限定数に対して1万以上の応募があったらしい。結果として商談権利の抽選ということになったのだという。たぶん転売目的でプレミアが付くみたいなことになるんだろうなぁ。悲しいけど。

外見は、案の定やっぱりイマイチっぽくて (あくまで私の主観だけれど)、でもそのイマイチ感はNSXでもS2000でもホンダ車共通にあるデザインセンスといっていいのかもしれなくて、ただ2.0L VTECターボというのが微妙に心をくすぐる。ターボという語感がいい。なんといってもターボである。

228kW [310PS]/6,500rpm で最大トルク400N・m [40.8kgf・m]/2,500rpm-4,500rpm、6速マニュアルでタイヤは235/35ZR19 91Yとなっている。
メーターは真ん中にアナログのタコメーター、その上にディジタルのスピードメーターで、黒・赤・白という取り合わせが目にはちょっとキツいかも。でも赤はRのテーマカラーだから仕方がない。
イギリス生産の輸入車ということなので、日本車にある180kmのリミッターはない (はず)。それもウリのひとつなのだろう。

YouTubeにホンダのオフィシャルのニュルブルクリンクの映像と、中谷明彦のインプレッション映像があるので観てみた。映像では左ハンドルだが、日本に入ってくるのはもちろん右ハンドルである。Inside Laneの映像は外観がよくわかる撮影で好印象。これは右ハンドルである。

ただ限定車ですでに再生産がなしというのはあまりに残念だし、これほど性能がよくなくてもよいから廉価ヴァージョンを限定でなく出して欲しいものだ。
実車は青山に展示されているようなので、時間があったら行ってみたい。

今年のF1はかなり残念な結果に終わったが、あの頃のホンダが甦ることはむずかしいのだろうか。そうそう、その黄金期の頃に、青山にマンセルの車があって、希望すればコクピットに乗ることができたのだけれど、マンセルは身体が小さいためか、確か身長・体重制限があったことを覚えている。肩幅ギリギリで入るくらいに狭くて、こんな狭いところであの速度で走るというのは普通の人間じゃないよね、としみじみ思ったものだった。


中谷明彦インプレッション (続編にニュルブルクリンクもあり)
https://www.youtube.com/watch?v=UbtCS5--l4I

Hondaオフィシャル
https://www.youtube.com/watch?v=BlSc1ti_DD4

Inside Lane
https://www.youtube.com/watch?v=w_QjHDZ2yYQ

SUZUKI HUSTLER CM
http://www.suzuki.co.jp/car/hustler/cm/index.html
hustlerCM_151202.jpg
nice!(84)  コメント(14)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽