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Keepnews Collection について [音楽]

keepnews_180214.jpg
(L to R) Orrin Keepnews, Scott LaFaro, Bill Evans, Paul Motian,
at the Village Vanguard, 1961

リヴァーサイド盤の《Portrait in Jazz》はビル・エヴァンスとスコット・ラファロの最初の邂逅を記録したアルバムとして有名である。何度も再発されている人気アルバムであるが、最近リリースされているCDでは別テイクが増えているので、Keepnews Collectionというシリーズで出ている1枚を聴いてみた。
24bitリマスタリングとあり、〈Come Rain or Come Shine〉(降っても晴れても) は本テイクの5と別テイクの6、〈Autumn Leaves〉(枯葉) は本テイク (テイク数不明) とモノラルの別テイク9、そして〈Blue in Green〉は本テイク3と別テイク1と2が収録されている。別テイク4曲が後ろにまとめられているのは好感が持てる。

オリン・キープニュース (Orrin Keepnews, 1923-2015) はリヴァーサイド・レコードの共同創立者であり、当時のジャズ・レコーディングに貢献した敏腕プロデューサーであるが、このアルバムの録音は1959年12月28日、プロデューサーはキープニュース、Recorded by Jack HIggins at Reeves Sound Studios, New York Cityとある。そしてリイシューのプロデュースもキープニュースである。

最初の曲は〈Come Rain or Come Shine〉だが、音を聴いた瞬間に違いのあるのがわかる。それは24bitリマスターだからなのか、キープニュースがあらためてプロデュースしたリマスターだからなのか、それともそういう先入観があるので、これはきっと良い音に違いないと思い込まされてしまっている私のカンチガイなのかわからないが、私のプアなオーディオセットで何気なく聴いたのでさえも 「えっ?」 と思わず振り返ってしまうようなニュアンスがある。
音に奥行きがあるのだ。ただ左右に拡がっているだけのステレオ感ではなく、ピアノ、ベース、ドラムのあるスタジオの空間が見えるようで、私の感覚でいうと、それは弓形に拡がっていて、やや上から見下ろす位置に楽器が存在している。今から約60年前の12月も押し詰まった日のニューヨーク。その空気が伝わってくる。ピアノの鍵盤が見えるようだ。

このアルバムで最も有名なのは2曲目の〈Autumn Leaves〉だが、エヴァンスのタッチがキツ過ぎるように感じられるし、左手のコードの瞬間的なおさえ方のパワーが強いので、昔の安物のレコードプレーヤーだと音が割れてしまったりすることがあって、そういう演奏・録音なのだと思っていた。それで《Portrait in Jazz》は、どちらかといえばあまり聴かないアルバムだったのである。
でもそれは間違っていた。このKeepnews Collection盤では音はもちろん割れないし、エヴァンスの和音は太くてしかも柔らかくてそれでいて芯がある。テーマに入るまでの4小節がいままでエキセントリックな印象だったのに、それもない。

それでこのリマスタリングと表示されているシリーズはよいのかもしれないと思って、アート・ペッパーを聴いてみた。コンテンポラリー盤の《Art Pepper Meets the Rhythm Section》(1957)、当時のマイルスのリズム・セクションをバックにしたアート・ペッパーの中で最も有名なアルバムである。レーベルは違うけれど、プレスティッジやリヴァーサイドの、一連の黒地に白抜き文字の、OJCという品番の付いているジャケットである。
24bitリマスタリングで、マスタリングは《Portrait in Jazz》と同じジョー・タランティーノ。もしかして目の覚めるようなペッパーが聴けるかもしれない、と思ったのだが……。
少しクリアな感じはするし、アルトの音も澄んでいてとてもよいのだが、でも画期的といえるほどではない。まぁ普通。それにこのアルバムのオリジナルのプロデューサーは当然、コンテンポラリー・レコードのレスター・ケーニッヒである。

しかし冒頭の〈You’d Be So Nice to Come Home to〉はやはり名演である。ものすごく速いフレーズのところがパーカーとは (もちろんスティットとも) 全然違っていて、たとえば前奏8小節に続いてテーマ、テーマが0’54”頃に終わってアドリブの1コーラス目、1’21”あたりからの一瞬のめくるめくフレーズ、この空気感は何なのだ、と思わせる。
もっと急速調な〈Straight Life〉のフレージングも爽快感があり気持ちがよいが、音の連なりそのものはややありきたりだ。しかしこの頃、ペッパーは薬漬けだったはずなのだ。

では、オリジナルでキープニュースがプロディーサーだったアルバムの24bitリマスタリングだとどうなのか。それに適合するサンプルが、ビル・エヴァンスの1962年のアルバム《Moon Beams》である。ジャケット体裁はペッパーの《…Meets the Rhythm Section》と同じで、CDケースオモテ面左のワク部分が透明になっていて、オレンジ帯でOriginal Jazz Classics REMASTERSと表記されている。
1曲目の〈Re: Person I Knew〉は私がひそかに愛着を感じている佳曲で、ピアノの内省的なイントロからブラッシングのドラムとベースとが忍び入って来るところが暗い情熱を秘めているようで美しい。チャック・イスラエルはラファロと較べると人気が無いが、こうした翳りのある曲におけるピアノへの寄り添いかたは素晴らしい。このアルバム全体の淡い官能のような色合いがそのジャケットデザインに見事に反映されているともいえる。

でも録音に関しては、結論から言ってしまうと、このアルバムもクリアな感じはするけれど、まぁ普通。でもペッパー盤よりはやや奥行きがある。4曲目の〈Stairway to the Stars〉にはたぶんマスターテープに起因するピアノの音にふるえが来る箇所 (3’07”あたりから) があって惜しい。
リイシューのプロデューサーはニック・フィリップスである。

つまり、まだ結論を出すのには早過ぎるのだけれど、24bitが良いのではなくて、キープニュース・コレクションが良いのではないか、ということに思い至る。たぶん、オリジナルもリイシューも両方キープニュースが手がけているからキープニュース・コレクションなのだ。
キープニュース・コレクションはCDケースオモテ面左のワク部分が白地に黒字でKEEPNEWS COLLECTIONとなっていて、オレンジ帯の 「単なる24bit」 とは違うのではないか、と推理するわけであるが、でもまだ検証してみないと何ともいえない。
なぜなら《Portrait in Jazz》の音源だけが、ものすごく良い状態だったという理由だってあるのかもしれない。ということで、いつ続きが書けるのか未定という状態でこの追求は続くのである。

それで全然関係ない話に変わるのだが、アート・ペッパーのようにというのは無理としても、最近サックスなど管楽器を習おうとする人は多くて、音楽教室でもいままでのようにピアノやギターだけでなく、サックス教室を設けるところが多くなってきている。特にアルト・サックスは楽器が小さめだし、人気があるのだが、その教室の講師は圧倒的に女性なのだ (というような印象がある)。サックスにもクラシック系とジャズ系があって、それぞれに適合する楽器もやや異なるが (たとえばヤマハのサイトには82Zはジャズ向き、875EXはクラシック向きという解説がある)、特にクラシック系のサックスだと、まず先生は女性だと思ってよい。ヴァイオリンだってほとんど女性の講師ばかりだし、もちろん女性講師が悪いといっているのではないが、男性はいったいどうしてしまったのだろうか。やはり手取り足取りの初心者には女性の先生のほうが向いているという音楽教室の勝手な思い込みがあるのだろうか。その勝手な思い込みは結構あたっているような気もするが、それにしても謎である。


Bill Evans/Portrait in Jazz (Riverside/Keepnews Collection)
http://tower.jp/item/2377928/
billevans_portrait_180214.jpg

Bill Evans Trio/Re: Person I Knew
https://www.youtube.com/watch?v=xiRRfKoNl50
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末尾ルコ(アルベール)

寒さもそろそろ和らいできましたでしょうか。あまりに寒いとどうしても行動が制限されてしまいます。(このくらいの寒さ、ロシアはこんなもんじゃないぞ!)と自分に言い聞かせても、家の中でも身体の動きがこじんまりとしてしまう傾向がありますね。やはり適温が一番です。
リンクしてくださっているBill Evans Trio、視聴しました。ビル・エヴァンスは今までにかなり聴いているのですが、例によって、「どうこう」言えるわたしではありません。音楽の用語(笑)などについて少しずつ勉強はしておりますが、なかなか「身に付く」とまでは行かないものです。
それにしても冒頭のお写真のようにタイトなスーツに細いネクタイのジャズ・プレイヤーたちのスタイルはカッコいいですね。わたし、このスタイル好きなんです。男性の基本スタイルでありながら、高度な美意識と中身がなければ着こなせないと思います。
やはりジャズは気に入りのミュージシャンの別テイクなどをいろいろ聴いて愉しむのがファンの歓びだと思うのですが、わたしの場合(笑)、聴きはしても、さほど違いがよく分からないという哀しきボロでございます(←『北斗の拳』ザコ風に)。しかしこうしていつもlequiche様のお記事を拝読することで、錯覚含みにせよ、少しずつ近づいていけている気もいたしております。

>昔の安物のレコードプレーヤーだと音が割れてしまったりすることがあって

実はわたし、「凄く、いい音!」と満足できるようなプレイヤーを持ったためしがありませんで、ティーンの頃はレコードを聴いても「伸びやかな高音」であるべき部分が割れてしまってばっかりという悩みがありました。だから「せめて割れることはない」カセットテープのソフトを買うこともしばしばでした。その点ではYouTubeの音ってどうなのでしょうね。もちろん音源にもよりますが、わたしの持ってる再生装置よりはいい音のような気がします。
「音に奥行きがあるのだ」からの5行は素敵ですね。音楽が目に見えてくる感覚を体験させていただけます。
フランスとロシアの芸術的充実というのは、特にロシアの場合、フランス宮廷を模倣し、上流階級はフランス語を使っていた・・・などの歴史と関りがあるのでしょうか。もちろんロシア独自の大地から湧き上がってくるかの如き根源的力はフランスにはないものですが。
ダヌンツィオにはすごく興味が湧いてきましたし、実はセリーヌもまたじっくり読もうと考えていたところです。けっこう大雑把にしか読んでなかったのです。今はガルシア・マルケスも久々に読み返しております。マルケスものってきたら、愉しいですよね。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2018-02-14 23:15) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

ビル・エヴァンスやアート・ペッパーは人気があるので、
エヴァンスの《at the Village Vanguard》や
ペッパーの《Meets the Rhythm Section》は
何度も再発されていますが、
エヴァンスのヴィレッジ・ヴァンガードは
個別に出されているアルバムとコンプリート盤では音が違います。
またCD初期の頃の音と最近のとでは全然違いますし、
収録されているalternate takeの数も違っていたりします。
レコード会社の商魂に見事にだまされているわけですが、
リスナーとしてはだまされたフリをしていることもあり、
仕方がないといえば仕方がない部分もあります。

60年代頃まではミュージシャンというのは
スーツを着ているのが普通ですね。
クラシック音楽における燕尾服などと同じで一種の制服です。
日本の漫才だって昔はスーツでした。
つまり観客というお客様に対しての礼儀としてのスーツで、
そういう風習が崩れだしたのは70年前後だと思います。
服装だけでなく、昔のジャズ・ミュージシャンは
今のような激しいボディ・アクションなどはなくて、
管楽器奏者はほとんど直立不動で吹いていました。

レコードプレーヤーは音の入り口ですから、
音溝に追従しきれないとそれ以降に影響を及ぼしますので、
装置の優劣は重要といえば重要です。
優秀なレコードプレーヤーは音が良いだけでなく、
無用な雑音を拾わない面もあるように私には思えます。
CDプレーヤーでも同様なのでしょうが、
CDだとブラックボックスみたいなものですから、
そこでどのように音を拾っているのかはよくわかりません。
テープレコーダーのヘッドもクォリティがあるのでしょうが、
カセットテープというメディアは経年変化を受けやすいので
再生にあたってはそれが不安定要素となるようです。
結局、レコード、CD、テープのなかで
一番安定しているのはレコードだと思います。

YouTubeは一種のサンプラーでしかないですから、
音としてはBGMにするのがせいぜいだと思います。
ただ昨今の音事情 (イヤフォンで聴いているような環境)
を考えるとmpegでもOKなのでしょう。

音楽再生は入り口のレコードプレーヤーなども大切ですが、
最も音を左右するのは出口のスピーカーです。
このキャラクターが音を決めてしまいます。
しかし音の存在感を左右するのはアンプです。
特にプリアンプの品質 (というか品位) が重要なのですが、
そんなことを言えるような機器を私は持っていません。
ただ経験値でいうとソノリティを決めるのはアンプです。

音の奥行きというのは単なる私の感想で、
そんなものはないと言われたらそうなのかもしれません。
それはごく微妙な感覚で、
しかもファースト・インプレッションです。
聴けば聴くほど、音はよくわからなくなります。

帝政ロシアの頃はロシアではフランス語の使用が普通ですね。
ブーランジェの本には、ナディアの母ライサに宛てた
チャイコフスキーからの手紙の写真版がありますが、
フランス語で書かれています。
ブーランジェからストラヴィンスキー宛の手紙も
当然フランス語です。
また、ダンヌンツィオからブーランジェ宛の手紙も
フランス語ですが、ダンヌンツィオは
一時フランスに住んでいたこともありますし、
語学に堪能だったのだと思います。
ただ政治的な活動と芸術的な活動の二面性があるため、
彼の評価はまだ定まっていないように思えます。
というか日本ではまだほとんど無視されています。

セリーヌも国書刊行会の全集がありますが、
それが完結するまでいろいろあったようで、
揉め事の種が内在している運命だったのでしょうね。(笑)

ラテンアメリカ文学はイロモノ的に捉えられていた時期があり、
でも日本文学だって海外から見れば同じなのかもしれません。
欧米を世界の中心と考えている思考からすれば
どうしてもそういう視点になります。
それを打破するきっかけとなったのが国書刊行会の
ラテンアメリカ文学叢書であり、
国書刊行会ってなかなかすごい出版社です。
by lequiche (2018-02-15 03:28) 

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