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シモーネ・ヤングを聴く ― ブルックナー《Studiensinfonie》 [音楽]

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Simone Young conducts the BBC Symphony Orchestra
performing Bartók’s Concerto for Orchestra, 2017.03.11.
(theartsdesk.comより)

シモーネ・ヤングのブルックナーは初稿へのこだわりで有名だが、初めて聴いたのが第4番で、ほどなくして全集盤が出てしまった。しかし分売だとSACDで全集は普通のCDフォーマットになっている。こだわるのならSACDだが、価格なら圧倒的にCDなので、ともかく聴けるほうを選んでしまった。

第1番の前の、最も最初の交響曲 f-moll が収録されている。
習作交響曲 (Studiensinfonie)、あるいは第00番などとも呼ばれる。まさに習作としての作品なのだが、これを書いたとき、ブルックナーは39歳、なかなか交響曲にとりかからなかったのはブラームスに似ている。
ブルックナーが交響曲としての番号を冠することにした第1番を書いたのは42歳で、ブラームスが第1番を一応完成させたのは43歳であった。

習作といえばたしかに習作で、音のつくりかたがブルックナーのがっちりとした感じがしなくて、とてもナイーヴでロマン派である。
でも、初期の頃の作品というのは少し言葉足らずであったり、技巧的に未成熟なものがあったとしても私はとても好きだ。たとえばショパンのピアノソナタ第1番とか、バルトークのコシュート、ラフマニノフのピアノ協奏曲第1番など、それより以降の作品に較べれば完成度は低いのかもしれないが、その瑞々しさを聴くのもひとつの方法だと思う。

ブルックナーの交響曲は、弟子たちが後で改訂して、しかもそれは改訂というより改竄だったりしたことが多くて、それらをクリアするために、本来ブルックナーが書いた楽譜に戻すような作業が行われた。シモーネ・ヤングのブルックナーへの取り組みは、さらに遡ってなるべくブルックナーが最初に書いた音楽を再現して演奏しようとする試みである。なぜならブルックナーは書き換えれば書き換えるほど前より悪くなってしまうから、という定説があるほどだからだ。
ただ、このf-mollの交響曲の場合は、それ自体が習作であることにより、そうした改訂の嵐にはさらされないで来たはずである。

ざっと聴いてみると、すでに語り尽くされているように、主題が弱いとか、ブルックナー的構築性が無いとか、さらにはメンデルスゾーンのパクリだとか、そうした声に納得できる面もあるけれど、決してそんなに悪くない。
また、シモーネ・ヤングを悪く言う人は特に、ブルックナー的な構造の表現が弱いとか、ブルックナー的ゲネラル・パウゼが見られなくて音が流れてしまっている、みたいな評価をしているようだが、このf-mollには、そもそもそうしたブルックナー的特徴が顕著に見られないので、逆にいえば、すごく安心してロマン派的感傷に浸れる。さらにいうなら、流れてしまって何が悪いのだろうか。音楽は流れるものなのに。
といって、そんなに極端にセンチメンタルな様子は見られないし、弦も管もバランス良く鳴っているし、優等生的な音のつらなりであって、突然破綻するような部分は存在しない。だから習作なのであろうが、でもブルックナーは最終的にこの曲を破棄しなかった。だから若書き (ではないのだけれど) 的な意味で自分の歴史のなかに位置づけたのだろうと考えられる。

特に第2楽章、第3楽章のやわらかでコワモテでない表情が美しい。
第2楽章 Andante molto は中間部のほのかに悲しい繰り返しが胸を打つ。その後も、明るさが戻ったと思うと、でも雲はところどころに停滞していて去らなくて、木管と弦が競い合い、そして第3楽章へ。
第3楽章 Scherzo: Schnell はc-mollとなって、いかにも短調らしい比較的オーソドクスな構成が続く。後半は一転、愛らしい弦が姿を見せるがすぐに冒頭の再現となって、最後のあたりで金管がちょっとギラッと光るのもワザがある。

ということでこれから番号順に聴いていくことになるはずだ。


Simone Young/Bruckner: Sämtliche Sinfonien (OEHMS classics)
ブルックナー:交響曲全集




YouTubeにブルックナーがないのでマーラー
Simone Young & Philharmoniker Hamburg
Gustav Mahler: Symphony No. 2 „Resurrection“
https://www.youtube.com/watch?v=lz6EdSVaTv8
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末尾ルコ(アルベール)

高名なクラシック作曲家の中では、ブルックナーについてはほとんど自覚的に聴いたことがなく、さっそくリンクしてくださっている動画を視聴して、(あれ、マーラーに感じが似てるなあ)と思ったら、マーラーだったんですね(笑)!
とは言え、

>それより以降の作品に較べれば完成度は低いのかもしれないが、その瑞々しさを聴くのもひとつの方法だと思う。

このご意見はとても共感できます。客観的に見て、完成度がもう一つと分かっていても、惚れ込んでしまうのはどんな芸術分野の作品にもありますね。そこがまたおもしろいところです。

というわけで、わたしが今、ブルックナーについて書けることはありませんが(とほほ)、前のお記事に関連してくださったコメントで、lequiche様がラリー・カールトン、リー・リトナー、そしてサンタナが苦手とお書きになっていて、これは奇遇か何かよくわかりませんが、わたしもこの3人がまるでダメで、しかし友人のフランス人がこの3人を大好きなんです。何なんでしょう、この人たちの技術は凄いのでしょうが、「面と向かってじっくり聴く」気はまったく起こらないのです。わたしが芸術に求めているものとはまったく違うと言うか・・・。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2017-07-01 02:42) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

私もブルックナーはよくわかりませんでした。
繰り返しが多くてつまらないじゃん! というのが第一印象でした。
ブルックナーはある意味、オーストリア・ローカルな作曲家だった、
という話も聞きます。
また、誰が言ったのか忘れましたが (フルトヴェングラーかも)、
「この野の花を見よ。これがマーラーだ。
あの遠き高峰を見よ。あれがブルックナーだ」
みたいな、事大主義的主観に毒されていた部分があります。
ブルックナーの音楽は抽象的で、故意に神格化されている
という傾向があります。
でも、そうだとしたら、弟子たちがぐちゃぐちゃにいじったり、
それを改訂するという目的のハース版、ノヴァーク版といった
校訂版があるというのは異常ではないでしょうか。
彼には迷いがあり、その自信のなさが人間的でもあるのです。

私にそれを気づかせてくれたのは、
ロベルト・パーテルノストロ/ヴュルテンベルク・フィルという
廉価盤のブルックナー全集です。
これはものすごい廉価盤ということで一時話題になったのですが、
2流の指揮者と2流のローカル・オケによるライヴという内容で、
ユルいといえばその通りなのですが、
何か音楽の喜びというものがとても伝わってくるのです。
敷居の高い高級店の料理ではなく、
庶民的で気軽に楽しめる身近な料理店なのです。
日本ではとかくブルックナーやワーグナーは
必要以上に崇め奉られる傾向がありますが、
それは確たる宗教をもたない民族性の特質かもしれず、
そういう偶像化が私はあまり好きではないのかもしれません。

シモーネ・ヤングはブルックナーを神格化しません。
しなやかで、しかもそれでいて一流の音楽になっています。
それは彼女が女性であることと無縁ではないのかもしれません。
アタマのかたいオヤヂ的感性とは異なる部分の感性です。
だから、ヤングのブルックナーは繰り返しが苦痛ではないのです。

一部のフュージョン系の音楽もこれと同質なのです。
すばらしいテクニックなのだけれど感動しない。
簡単にいってしまえばそういうことです。
なぜなら音楽にはテクニックが必要ですけれど、
テクニックがイコール音楽ではないからです。
音楽はテクニックのその向こうにあり、
もっとデリケートで、細部に宿る神なのです。
by lequiche (2017-07-02 06:44) 

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