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ビートニク詩人たちと雪 — バリー・マイルズ『ザップル・レコード興亡記』 [本]

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Charles Olson

バリー・マイルズ『ザップル・レコード興亡記』のことは幾つか前の記事に少し書いたが (→2017年05月11日ブログ)、アップルのなかで、そのアヴァンギャルドな部分を担当させようとしたレーベルのザップルにかかわり、しかしあえなく潰えてしまったそのムーヴメントについて彼は冷静に語っていて、最初は、素っ気なさのようなものを感じてしまい、その世界に入り込みにくかったのだが、次第にその意味するところがわかってきた。
当時はいわゆるサイケデリックな時代であり、いまから見るとメチャクチャで低次元なレヴェルだと思えることもある。だが、独特の熱っぽさのような情動は、さまざまにかたちを変えて伝わって来て、それは再現不能なかけがえのない時代だったのかもしれないと思わせる。

ヘルス・エンジェルスやヒッピー・コミューンなどの無軌道な行状の描写は、当時のヒッピーやサイケデリック文化の最も腐敗した部分であり、そうした無軌道さを容認したアップルがいかにビジネスとしてはシロウトで無計画でだらしがなかったということを知る。
マイルズがニューヨークに行き、人と会おうとしてもなかなか会えなかったり、資金がどういうふうに動いていて、そうすることがどういう必然性があるのかもよくわからないし、訪ねたオフィスの惨状や、無知で攻撃的で話の通じない女の描写など (p.118)、きっとその時代はそうした時代だったのだ。

興味深いのはマイルズがスポークンワードと書いているいわゆる詩の朗読のアルバムを出そうとする情熱に満ちていたことで、それは彼の嗜好を反映している部分であり、ザップルのプロジェクトのひとつとして確立しようとしていた気持ちがよくわかる。
マイルズはピーター・アッシャーとポール・マッカートニーに、テープ編集のテクニックとして 「片刃のカミソリと金属編集ブロックを使ったテープの継ぎ合わせ方」 を見せてもらったり (テープ・スプライシングのこと)、アビイ・ロードのコントロールルームでミキシング作業をするジョージ・マーティンを注意深く観察することでミキシングの実際を学ぼうとする (p.113)。意欲は感心するのだが、つまりその程度の学習でこれから自分のかかわろうとするスポークンワードのアルバムに応用してしまおうとするのだから、まだその時代が、いかに創生期であり、何のシステム化もされていなかったかということが理解できるのだ。

1969年1月29日、マイルズはニューヨークに行く。ニューヨークは雪。ファッグスというバンドのドラマー、ケン・ウィーヴァーのスポークンワード・アルバムを作りたいと思うマイルズ。
ファッグスはミュージシャンというよりも詩人が集まって音楽をやろうとしたバンドで、メンバーのひとり、トゥリ・カッファーバーグはすでに《No Deposit, No Return》(1966) という自身のスポークンワード・アルバムをリリースしていたのだという。印刷物の断片をつないで詩のかたちにする 「ファウンド・ポエム」 という技法なのだというが (p.116)。それは文字のコラージュであり、ジョン・ケージなどの方法論とも通じる。

アメリカで、マイルズが次々にビートニク詩人たちと会い、その朗読を録音する過程の回想は詩的で静謐であり、サイケデリックな世情とは遠い。マイルズはチャールズ・オルソン、アレン・ギンズバーグ、チャールズ・ブコウスキー、リチャード・ブローティガンといった詩人たちと次々に会い、アルバムを作るべく奔走する。

チャールズ・オルソンを録音するため、マイルズはナグラのテープレコーダーをレンタルする。やっと借りることができたのにもかかわらず、レンタル料は週200ドルもする。チャールズ・オルソンはいわゆるブラックマウンテン派と呼ばれる詩人で、マイルズはオルソンに会うためにグロスターに行く。そのときも雪。彼はフォート・スクエアの鉄道長屋というところに住んでいた。詩人たちは湯水のように金を浪費するアップルとは対極で、皆、貧しい。しかし貧しいが高潔である (p.123)。
オルソンは1970年に59歳で亡くなるが、その風貌は年齢よりもっとずっと老けている。オルソンには『マクシマス詩篇』という大部の詩集があるが、そのなかからも詩は読まれ録音された。

アレン・ギンズバーグはニューヨーク州オルバニーから80マイル西にあるチェリー・ヴァレー、イースト・ヒルに住んでいた。深い雪。そこは 「詩の農場」 としてアレンが手に入れた場所だったという。電気は通じていない。農場には幾人もの詩人たちが訪れる。ギンズバーグはジャック・ケルアックのアルコール中毒を矯正しようとして農場に誘うが、彼は母と一緒にいることを選び農場に来ようとはせず、その年に死ぬ。
マイルズによれば、ギンズバーグの部屋は 「時が止まったような古風な室内」 であり、古いハルモニウムがあり、アレンが作曲に使っているのだ、とマイルズは書く (p.144)。

チャールズ・ブコウスキーはハリウッドに住んでいた。西海岸に飛んだマイルズは、ニューヨークと較べてここは同じ国とは思えないという。しかしハリウッドといってもブコウスキーの住む地域は華やかさとはほど遠くて、古びた車、山になったゴミ、そうしたみすぼらしい雰囲気の街並みであった。
ブコウスキーは人から見られながら録音されることを嫌い、録音機器の操作を教わって、自分ひとりでやるという。マイルズはそれに納得し、機器を貸して引き上げる。しばらくしてから再び彼の家を訪れると録音は完成していた (p.157)。

サンフランシスコでは当時まだレコード産業が成熟していなかったため、グレイトフル・デッドやジェファーソン・エアプレインはロスアンジェルスにレコーディングに行っていた、とマイルズは書く。
しかし詩の朗読を録音するにはそんなに過剰な設備は必要ない。それでリチャード・プローティガンの録音はサンフランシスコで行うことになった。ブローティガンとその友人・知人たちによってスポークンワード・アルバムは作られていった。
しかしブローティガンとブローティガンの彼女ヴァレリー、そしてマイルズは三角関係に陥る。そのことをマイルズは他人事のように冷静に綴る。ブローティガンは彼の友人のカメラマンに自分のアルバムの写真を撮らせるが、高額な撮影料をマイルズに要求してきた。それは腹いせだ、とマイルズは言う。そしてそのカメラマンによって撮影された写真――ブローティガンとヴァレリーのそれぞれのポートレイトのことをマイルズは、あまり良い写真ではないと書くが、そんなことはないような気がする。なによりもビート・ジェネレーションの時代を彷彿とさせる表情や佇まいがその写真の命である。ブローティガンは古風な服を着ることが好きだったとのことだが、今見るとそれは二重のノスタルジアのなかに沈んでいる。

こうした詩人たちとの交流の記述は、淡々としていて、それでいて慈愛に満ちていて、でもなぜか音楽が聞こえてこない。特に東海岸の幾つもの雪のシーン、そして詩人たちの語る言葉の数々。それは言葉と、言葉の織りなすイマジネーションから成立していて、詩は詞ではないから、音楽とは少し違う。いくらギンズバーグがポール・マッカートニーと共演しても、ハルモニウムを弾いても、言葉そのものを語るとき、朗読するとき、それは音楽とは異なるものなのだ。そうしたものを含めて、それをもレコードとして残そうとしたザップル的なアヴァンギャルド指向は、しかし一瞬のひらめきでしかなかった。マイルズがアメリカにいる頃、腐敗は進行し、やがてアップルは崩壊する。
ブローティガンの録音など、かろうじてレコードとして発売された作品もあるが、マイルズの詩人たちへの思いはほとんどが無に帰した。


Listening to Richard Brautigan (Gonzo)
Listening to Richard Brautigan




アレン・ギンズバーグ/ビート・ジェネレーション (TV番組の抄録)
https://www.youtube.com/watch?v=XtTbYfCzpYE

Allen Ginsberg and Paul McCartney
playing〈A Ballad of American Skeletons〉
https://www.youtube.com/watch?v=Yr5Y4XQO7xQ

words:
https://genius.com/Allen-ginsberg-ballad-of-the-skeletons-annotated

Charles Bukowski: Friendly Advice to a Lot of Young Men
https://www.youtube.com/watch?v=oovDpLHCrSw
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コメント 8

Speakeasy

以前の記事でも思いましたが、『ザップル・レコード興亡記』ちょっと興味あります。でも、多分読まない(笑)

アレン・ギンズバーグとポール・マッカートニーのコラボした動画は面白かったです。

lequicheさんのコメント欄の画像認証の文字がジョージ・オーウェルの小説を思い出すので、ちょっと怖かったです(笑)
前からそうでしたっけ??

by Speakeasy (2017-05-28 19:25) 

うっかりくま

ザップルレコードの存在、ギンズバーグや
ケルアックの最後について知りませんでした。
ケルアックの「路上」はブルーハーツの真島さん
が影響を受けた本として30年前に読んだはずが、
今ではチェ・ゲバラの「モーターサイクルダイア
リーズ」と混同してしまいよく覚えていない。。
自由奔放な作品と作者のギャップ、商業的な見込
の甘さ、ムーブメントの終焉等に深く関わった
当事者ならではの具体的な話が、彼らへの熱い
想いや時代の熱気が感じられる貴重な記録にも
なっているのですね。冷静に語られる所に寂しさ
のようなものも感じてしまいそうです。

by うっかりくま (2017-05-28 23:47) 

lequiche

>> Speakeasy 様

読まなくていいです。(^^)
実は音楽的な話題に関してはわざとomitしました。
ジョンとヨーコの《未完成作品〜番》とか
ジョージの《電子音楽の世界》とかは、まぁいいかな、ということで。
同時期にリリースされた電子音楽として
ウォルター・カルロスの《スウィッチト・オン・バッハ》があります。
そういうのと較べるとクォリティがあまりにも (以下略 ^^;)。

ギンズバークとポールのコラボは、
私も初めて観ましたが、いいですね。
つまり逆にいうとバリー・マイルズという人は
文学畑の人で、音楽的センスは無いんじゃないかと思います。

すみません。認証文字はその通りでオーウェルです。
でも 「いくわよ!」 って意味でもあるんですが、
違うのに変えました。ご了承のほど。(^^)
by lequiche (2017-05-29 04:37) 

lequiche

>> うっかりくま様

急に売れてしまったことにより、
自分を見失ってしまうということはよくありますね。
そうじゃなくても、現実と虚構のはざまみたいな現象はあります。
ケルアックも作者=主人公みたいな誤解をされていました。
ブコウスキーも晩年、売れてしまってからずっと競馬場通いだった
と28日の朝日新聞で亀和田武が書いています。

ザップルも、突然成金のビートルズの気まぐれであって、
すぐに崩壊してしまうんですが、
そうした傍流でしかない虚しさやマイナー性に心を惹かれます。

ブルーハーツも、あんなに売れないで欲しかったんですが、
つまりそれだけこの国がたよるべきもののない哀しい国だ、
ということなのかもしれないです。
ブルーハーツのことは過去に書きました。
リンクしてあるライヴ映像、最高です。
http://lequiche.blog.so-net.ne.jp/2013-02-23
by lequiche (2017-05-29 04:43) 

末尾ルコ(アルベール)

チャールズ・ブコウスキー、リチャード・ブローティガンはよく読みました~。今でもこの2人はちょいちょい手に取ります。でもオルソンやギンズバーグはあまり読んでないので、今回のお記事、とても新鮮に読ませていただいております。またぜひ手に取ってみたいですね。
詩が力を持っていた時代って魅力的ですね。もちろん当時は他の楽しみがあまりなかったという事情はありますが、現代に次々と現れる「楽しみ」はあまりにイージーに人間の時間を奪うばかりのものが多く、「詩の時代」の復権は望むべくもないけれど、いくらかなりとも「詩を取り戻す」ことはできないかといつも思案しています。そう言えば今回のお記事も詩的なリズムと明暗があってとても美しいと感じます。

>詩は詞ではないから、音楽とは少し違う。

なるほど。「詩自体が音楽であらねばならない」という考えもありますが、それはあくまで「詩自体が独立して音楽である」ということであり、「歌詞ではない」詩を音楽とコラボさせようとすると大きな無理が生じるのかもしれませんね。ただ、音楽家にとっても詩人にとっても、そうした試みに魅力を感じていたのはよく理解できます。
詩に関して言えば、やはり「詩の時代」の朗読会のような空間で限られた人数を相手にする方法が最も相応しい気がします。以前「詩のボクシング」という企画があったけれど、(ちょっと違うなあ)と、あるいは時に大きなイベントでマイクを通してかなりの観客に対して詩を朗読するものを見かけもしますが、それも(ちょっと違うなあ)と感じます。
スザンヌ・ヴェガのリンク、有難うございました。やはりとても魅力的な歌い手ですね。歌詞もそうだし、おっしゃる通り、あの声はダイレクトに琴線に触れてきます。今、「声」にとても興味を持っています。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2017-05-29 16:43) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

さすが、よくご存知ですね。
オルソンは私も知りませんでしたが、
マイルズが最初に話題にしていたことからも
重要な詩人であるのがわかります。

1969年頃というと、
ビートルズはサージェント・ペパーズからアビイ・ロード、
そしてジミ・ヘンドリックスやジャニスが活動していた頃で、
69年の夏にはウッドストックが開催されます。
まさにサイケデリックやドラッグの華やかりし時代です。
そういう時代に、この詩人たちの朗読を採録するというのは
世の中の喧噪から背を向けた行為のようにも思えますし、
マイルズの、アンチテーゼの呈示だったのかもしれません。

ブログ本文にリンクしたロイヤル・アルバート・ホールの
ギンズバークとポール・マッカートニーのライヴでは、
ポールはギターを弾いていますが
ギンズバークの朗読は音楽を必要とする朗読ではありません。
あくまで詩は詩であり、ポールはそのへんがわかっています。
それゆえに、かえってこの2人のライヴの
それぞれが 「孤」 である精神性に感銘を受けます。

『ザップル・レコード興亡記』には、
ジョージ・ハリスンがmoog IIIを買う話なども出てきますが、
意欲はあったにせよ、たぶん宝の持ち腐れだったはずです。
シンセはサイケデリックの時代に立ち上がってきましたが、
ウォルター・カルロスのようにクラシックをベースとしたり、
そして70年代に入るとマイク・オールドフィールドが出てきて、
音楽の方向性は変化していきます。
その後の音楽を的確に把握できていたのはポールだけで、
つまりビートルズは、いいところで解散したのだと思います。

70年代に、音楽はコーマシャルなものが主体となり、
詩や文学もそれまでにあった屹立した精神を失います。

古代の吟遊詩人は、人びとの前で詩を語ったはずですが、
今、それと同じようなことを再現するのはむずかしいですね。

吉増剛造が沖至クァルテットをバックにした
古代天文台の朗読がありますが、う〜ん、微妙です。
微妙ですが面白い試みだとは思います。
沖至 (おき・いたる) は
アヴァンギャルド・ジャズのトランペッターで、
日野皓正を光とするなら、沖至は影です。
https://www.youtube.com/watch?v=CvB8XOcphmE
私は常に、光のあたる人より影の人にシンパシィを持ちます。

スザンヌ・ヴェガは詞も曲も魅力がありますが、
なによりその声質が良いですね。
人によって魅力を感じる声は異なるのかもしれませんが、
必ずしも美声が良い声とは限らなくて、
もっとダイレクトに感じるなにかがあります。
by lequiche (2017-05-30 01:59) 

すーさん

↑スザンヌ・・オシャレで好き^^♡。
(※嫁のCD勝手に聴いてます^^;)
by すーさん (2017-05-30 19:46) 

lequiche

>> すーさん様

奥様もセンスがいいかたなんですね〜。
スザンヌ・ヴェガの歌を聴くと、
いつも心がしんとなります。
The Queen and The Soldier
https://www.youtube.com/watch?v=3dPSlcs9V-o
by lequiche (2017-05-31 02:39) 

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