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スコット・ロスのスカルラッティを聴く [音楽]

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Scott Ross

1685年に生まれた作曲家にはヨハン・セバスティアン・バッハ、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル、そしてドメニコ・スカルラッティがいる。歴史の中でこのように突出した人物が生まれる確率は万遍なくあることではなくて、ある時点に偏在して出現することが多いような気がする。1685年もそうした年なのかもしれない。

ドメニコ・スカルラッティ (Domenico scarlatti, 1685-1757) はアレッサンドロ・スカルラッティの息子であり、つまり作曲家二世である。あまり知られていないピエトロ・フィリポ・スカルラッティも作曲家でドメニコの兄である。
ドメニコの作品は《マリア・マグダレーナ・バルバラ王女のための555曲の練習曲》が有名である。内容的には単一楽章の数分で弾く練習曲の体裁なのだが、普通、ソナタという名称で呼ばれる。
長大な曲集であるため校訂者が複数にいて、人によって作品番号が違うが、最も使われているラルフ・カークパトリックの校訂版も一般的に手に入るのは選集に過ぎない。
カークパトリックは私が最初に買ったArchiv盤のバッハのレコードの演奏者で、でも最近までスカルラッティの研究者であることは知らなかった。彼の整理したスカルラッティの作品番号の記号はカークパトリック番号Kkであり、現在この番号で表示されることが多い (カークパトリック番号はKでもよいとされるが、通常、Kはモーツァルトのケッフェル番号なので、エラート盤ではKkの表示となっている)。

そのスカルラッティのソナタを全曲弾こうと企画し完成させたのがスコット・ロスである。
スコット・ロス (Scott Stonebreaker Ross, 1951-1989) はアメリカのチェンバロ奏者であるが、主にフランスとカナダで暮らした。スカルラッティのアルバムもRadio Franceで録音され、仏エラート盤でリリースされている。
スコット・ロスのチェンバロは、ひとことで言って明快な音であり、それは彼の資質によるものか、それともスカルラッティの作品がそもそもそうした音楽なのか、たぶんその両方なのだと思う。
スコット・ロスに対してチェンバロのグレン・グールドというような形容もあるようだが、グールドのような屈折した感情はないしトリッキーな印象もない。というよりスカルラッティはそれほどの複雑な感情を必要としていない曲なのである。たとえばバッハなどと較べると歯切れ良くストレート過ぎるのかもしれない。でもそれはもともと音楽の中心地として存在していたイタリアの栄華の音なのである。それは通俗であるとか音楽的に底が浅いとかいう意味ではなく、そうした曖昧な色味を必要としていなかったからなのだろう。長調の曲が主体であるが、ときどき混じる短調も、しんと澄み切った夕方の哀しみである。
調性的にも、バッハの平均律は例外として、スカルラッティの場合は 「普段使い」 のしやすい調性が選択されていることがほとんどである。それはこの時代のころ他の作曲家の場合も同様であり、調性はまだその調性固有の特徴を持っていた。

チェンバロという楽器の特性もあって、その鍵盤は現代のピアノのように反応速度が良くないから、たとえばアルゲリッチの弾く、まるでプレストのような速度のKk141のアレグロも、スコット・ロスの場合は、ごく普通に感じられる一曲に過ぎない。
音楽はスピードではないのである。速く指が回ればすごくてエライというものでもない (といって、アルゲリッチのスカルラッティが悪いということではないが)。もちろん指が速く動作することは必要だが、そもそも速度記号にしても、当時感じていたアレグロの標準的な速度と現代のアレグロはきっと違うはずだと思う。極端にいえば当時と現代では、1ランクくらい速度の感じ方に違いがあるのではないだろうか。

また、スコット・ロスを聴いていて思ったのはチェンバロという楽器は雑音を伴う音色であるということだ。先日話題にした武満徹の場合、彼は《ノヴェンバー・ステップス》をはじめとする日本の楽器を採用した曲についての解説で、日本の楽器はストレートな音色でなく、皆、制限されてわざと音の出しにくいように調整された楽器を用いている、と言っている。そして日本の楽器は欧米の楽器と較べるとノイズがあり、たった一音の中に機能的な音色ではない意味性があり、そしてそのノイズ (というよりそれは自然音に近似している) が独特の存在感を表すための役目を担っているというのだが、バロック時代の楽器の音も、武満が指摘しているのとはやや違う意味だが、十分にノイジーなのではないかと感じたのである。
チェンバロはピアノのようにハンマーの打鍵によって音を作るのではなく、ギターと同じように撥弦によって音を出している楽器である。弦がこすられるときに滑らかで無い音が発生する。それは今回、彼のそのかなり特徴的なアーティキュレーションも含めて聴いたからそういう感想を抱いてしまったのか、それともスコット・ロスが限定的にノイジーな演奏者であって、他の演奏者はそうではないのか、微妙なところである。特に左手で和音を作り出すときにその刺激的なざらっとした感触が、トリガー音としてリスナーの耳に達する。

スカルラッティのソナタのアプローチは多彩だ。バッハのように複雑で対位法的な様相を呈することはほとんどない。またバッハほど研究されていないために、奏者によってその演奏に 「揺れ」 が見られる。それはバロック期の装飾音がかなり自由であったということ以上の融通性を持っているように思える。そして、同じような構造のヴァリエーションの中で、しかも無機的な速度記号の表示だけで羅列されたソナタのひとつひとつが輝いているのはなぜなのだろう。


Scott Ross/Scarlatti: The Complete Keyboard Sonatas (Erato)
Scarlatti: The Complete Keyboard Sonatas




Scott Ross/Scarlatti: Sonata Kk209
https://www.youtube.com/watch?v=3vpG1PgFF34

une leçon particulière de musique avec Scott Ross
(Bach: Partita etc.)
https://www.youtube.com/watch?v=vkQp_QIzd7w

Martha Argerich/Scarlatti: Sonata Kk141
https://www.youtube.com/watch?v=wjghYFgt8Zk
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コメント 4

うっかりくま

前回のBlossom Dearie「Try Your Wings」、
曲もですが、くすんだ色合いの動画がとても
良いですね!lequiche さんの記事は動画付きで
楽しめるので今回も「へえ」と「ほー」を連発
しながら読ませて頂きました。
雑音を排除し続けてきた歴史の先に、揺り戻しの
ようにLPレコードや古楽器の雑音に魅力を感じる
のも興味深いです。
プレーヤーがなくて昔のフルトヴェングラーや
ケンプの分厚いLP盤を聞けないのが残念。。
と思って検索したら多機能プレーヤーが
いろいろ売られているのでびっくりしました。


by うっかりくま (2017-05-24 15:23) 

末尾ルコ(アルベール)

●また外見についてで恐縮ですが、スコット・ロスは非常に美しい容貌をしていますね。心の中に在る理想の修道僧と言いますか、魂の底から求道している真の探究者のように見えます。渋い色の服装もそんなイメージをより強化していますね。
もちろんリンクしてくださっている曲も視聴しました。スカルラッティはさほど多く聴いていませんが、チェンバロの音色がとても心地いいですね。この音色が明快であるかどうかは、わたしがチェンバロを聴いてきた程度の個人史では判断できませんが、このお記事を拝読したことで、チェンバロ演奏に対しても一つの指針ができた思いです。「イタリアの栄華」という切り口も新鮮です。イタリア系とドイツ系という、ある意味欧州でも対照的な地域から偉大な音楽の歴史が生まれたのも興味深いです。「1685年」という年には、他にどんなことが起こっていたのかも興味が湧いてきます。いい意味で「魔がさした」ような年とか年代とかありますよね。戦後のイタリア映画界なんて、その一例かもしれません。アルゲリッチの動画もリンクくださっいて、チェンバロとピアノの差異がとてもよく分かります。
とは言え、お記事の中には、わたしの知らないクラシック音楽の語彙が数々散りばめられていて、それらをざあっと読んでいるだけでも陶然となります。もちろん意味の分からない言葉も少なからずありますが(笑)、これ、とても強調したいのですけれど、「意味は分からずとも、その美しさは分かる」のだと。そんな文章の読み方も楽しいものです。もちろん時間のある折に、意味も調べてみます。

スザンヌ・ヴェガの「Wooden Horse (Caspar Hauser's song)」は、『Solitude Standing』に入っていたんですね。聴き込んだアルバムですが、この曲は忘れてました。非常に充実したアルバムでしたよね。  RUKO


by 末尾ルコ(アルベール) (2017-05-24 16:46) 

lequiche

>> うっかりくま様

Try Your Wingsの動画は、
たまたまYouTubeにあったのでリンクしたのですが、
RoraGimbさんという人のオリジナルだと思います。
スライドされるスチルの選択と、歌詞のフォントにセンスがありますね。
プロフィールを見たらR.E.M.のLosing My Rrligionも作っていますが、
その音源がカナダ・ライヴでした。わかってますね。(^^)
でもカナダ・ライヴは私の最も好きなヴァージョンですので、
オリジナル動画のほうが断然良いですが。
https://www.youtube.com/watch?v=SpaYdWQSKos

と話がそれてしまいましたが、
スウィングル・シンガーズはメンバーを入れ替えながらも、
いまだに続いています。何とアカペラのピアソラもあります。
でもこれ、う〜ん、ちょっとどうなんでしょ?
https://www.youtube.com/watch?v=-uiG5jJavTU

ノイズは必ずしも悪いことなのか、という命題があります。
アナログレコードを再生するとノイズが出ますが、
それもまた 「味」 なのでは、という考え方です。
なによりアナログは安定しています。
100年経ってもレコードは再生できるのですが、
初期に生産されたCDは音も悪いですし劣化すると聞きます。
具体的にはサビが発生する可能性があるとのことです。
(カビではなくて、記録面の表面の金属のサビですね)
デジタルというのは常にソフトを更新し、ハードを買い替え、
データをコピーして電気的に活性化しておかないと失われます。
そんな不安定なものに依存している現代人はバカなのでしょうか?
先日の《関ジャム》でもコプクロが、
アナログレコードの再生のほうが絶対上位であると言っていました。
私も最近、そう思います。

アナログ盤があるのでしたら、是非それを活用されたほうが良いです。
もっともレコードプレーヤーはある程度の品質でないと、
レコード自体が損傷します。
サーフェスノイズだって高価なプレーヤーのほうが出ないのです。
そういうふうに考えていくと、現在、信用できるプレーヤーで
お手頃なのは数種類っきりないような気がします。
最近、アナログ盤がブームとのことで廉価な機種もありますが、
あれは電蓄であってレコードプレーヤーとは異なる機器です。
もっとも人によって価値観は違いますし、
セラミックの電蓄でも音が支障なく出てしまうところが
アナログ機器のたくましさです。(^^)
by lequiche (2017-05-25 06:00) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

なるほど。確かにそういう風貌ですね。
やはりその人から滲み出てくるものが外見となるのであって、
かけ離れていることはないと思います。
スカルラッティはちょっと変わった曲に聞こえて印象的なので、
コンサートのアンコール曲としてよく利用されたりします。

チェンバロは録音方法によっても差異が出てきますが、
でもやはり良い音と悪い音は存在します。
たとえば私はピノックが良いと思ったことがないのですが、
それは演奏ではなく、音そのものがもやもやして聞こえるからです。
また、スカルラッティのソナタは
基本的に1段鍵盤用に書かれているようなので、
ピアノで弾くことが容易です。
2段鍵盤で両手が交差するような場合はピアノでは不可能ですから。

その昔、音楽の本場はイタリアで、ドイツはまだ辺境だったのです。
そこで 「なにくそ!」 とがんばってドイツ音楽が発達してきた
ということもあるのかもしれません。
ゼレンカなどはボヘミアなんて、もう 「ド辺境」 ですので。

ヘンゲルブロックの項で書きましたが、
ロッティの弟子のドメニコ・アルベルティも実は1685年生まれです。

Wooden Horseは比較的地味な曲ですが、
スザンヌ・ヴェガの最も重要なアルバムは
やはり《Solitude Standing》です。
一聴してすぐわかるその声が魅力のひとつだと思います。
YouTubeにはなぜか動画が多いですね。

Solitude Standing
https://www.youtube.com/watch?v=05AHPFPpHIM

The Queen And The Soldier
Live At Montreux 2004
https://www.youtube.com/watch?v=FyZI-VaVg2g

これはコンサート全部ですので、良いところだけピックアップで。
Suzanne Vega, Live Konzert 1990
Werner-Seelenbinder-Halle, Berlin
https://www.youtube.com/watch?v=06TXYWtmOzY

野田秀樹の《小指の思い出》が藤田貴大の演出によって
最近上演されたのだそうです。
野田の戯曲はカスパー・ハウザーとかトーマの心臓とか
常にそうした少年性を彷彿とさせるキーワードが存在しますが、
それもまたその時代特有のトレンドだったのではないかと思います。
by lequiche (2017-05-25 06:00) 

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