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ヘンゲルブロックのロッティを聴く [音楽]

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Thomas Hengelbrock

トーマス・ヘンゲルブロック (Thomas Hengelbrock, 1958-) に興味を持ったのは、実はマーラーなのだが、彼の立ち上げたバルタザール=ノイマンの独ハルモニア・ムンディ盤が2016年末にまとめられてリリースされたので、まずそれを聴いている。

バルタザール=ノイマン・コーラス&アンサンブルはヘンゲルブロックのいわば手兵で、主に古楽へのアプローチをするために創立されたもので、まずコーラスが1991年に、そしてアンサンブルは1995年に結成された。このハルモニア・ムンディ・エディションはその創立25周年と20周年記念のリリースとのことである。

バルタザール=ノイマンというネーミングが最初はわからなくて、ノイマンといって連想するのはマイクロフォンだからゲオルク・ノイマンGmbHのスポンサードなのだろうか、などとバカなことを連想していたのだが、その由来はバルタザール・ノイマンというバロックからロココの頃の建築家の名前なのだそうで、音楽なのになぜ建築? という疑問が残るのだが、詳しいことはよくわからない。
ヨハン・バルタザール・ノイマン (Johann Balthasar Neumann, 1687?-1753) は非常に多くの教会や城館などを作ったが、その最も有名な建築物はヴュルツブルクのレジデンツ (Würzburger Residenz) であるという。

バルタザール=ノイマン・アンサンブルができて、コーラスとアンサンブルの両方が揃ってからの第1弾の作品がロッティのレクイエムであった。
アントニオ・ロッティ (Antonio Lotti, 1667-1740) はヴェネツィアの作曲家で、ヨハン・セバスティアン・バッハ (1685-1750) より少し前の人である。ヴェネツィア出身ということから見れば、アントニオ・ヴィヴァルディ (1678-1741) と同じで、当時は音楽の中心地はまだイタリアであったから、まさにバロック最盛期の頃の作曲家のひとりである。
弟子にドメニコ・アルベルティ (Domenico Alberti) やヤン・ディスマス・ゼレンカ (Jan Dismas Zelenka) がいるが、アルベルティはアルベルティ・バスという音楽用語由来の人である (アルベルティ・バスとは、ピアノの初歩の練習曲によく出てくる、左手のドソミソドソミソみたいな奏法のこと)。またボヘミアのバッハと呼ばれるゼレンカのことはヴァーツラフ・ルクス/コレギウム1704の記事ですでに書いたが (→2012年12月23日2013年01月02日ブログ)、目立つ録音がカメラータ・ベルンしかなかった頃と較べると、最近はずいぶん知られるようになったと思う。

さて、このハルモニア・ムンディ・エディションに入っているロッティの作品は、レクイエム、ミゼレーレ、クレドの収録されている盤と、叡智のミサ (Missa Sapientiae) である。サピエンティアエはバッハのマニフィカト243aと一緒に入っている。
レクイエムというとどうしてもモーツァルトとかフォーレ、さらにはブラームスなどを連想してしまうが、ちょっと構えてしまうようなそうしたレクイエムとは趣が異なる。
たとえばゼレンカだったら、やや素朴というかローカルなシンプルさを感じてしまうが、ロッティの場合はシンプルではあるが、それはルネサンス期から受け渡されたような正統的なシンプルさであり、ヴェネチア的な明るさも持っている。レクイエムの場合は明るさという形容が不適当であるかもしれないので、透明感といったほうがよいのかもしれない。
バロックが歪んだ真珠だとするのならば、バッハなどによって歪まされる前のクリアな質感を持っている。曲の表情は単一であり、ときとして明るく、そして愁いに満ち、というように様変わりするバッハのような複雑性は無いし、曲が流れて行くなかでの変化も少ない。それゆえにそのピュアなラインが心に沁みる。

まだ全部を聴いていないし、雑な聴き方しかしていなかった報いなのだが、BGMのようにして聴いていたら、いつの間にかミサ・サピエンティアエが終わり、次のバッハのマニフィカトに入ってしまっていて、それを知らずに、なかなか陰翳が感じられていいなぁと思っていたらバッハだったというオチに気づいて、ひとりで笑ってしまった。
つまりバッハと比較するのは無理過ぎるが、でもヴィヴァルディと較べてみるのならば、随分表情が違っていて、その澄んだ和声が心地よい。ヴィヴァルディがオレンジ色とすれば、ロッティは褪めたブルー。でも寂寥の色ではなく、なにものをも示さないブルーだ。

ロッティはヴェネツィアにあるサン・マルコ寺院に一生を捧げた人である。それは1683年、当時のサン・マルコ寺院楽長ジョヴァンニ・レグレンツィに音楽を学んだことに始まる。ロッティはやがてサン・マルコのオルガニスト助手となり、だんだんと地位を上げて1704年、37歳で第1オルガニストとなった。しかしサン・マルコ寺院の終身楽長に就任したのは1736年、69歳のときであった。
ロッティは1740年に亡くなるが、その墓のあった教会は後年、ナポレオンによりとり壊されてしまい、墓は不明となってしまう。翌1741年に亡くなったヴィヴァルディも共同墓地に入れられたため墓がない。これらヴェネツィアの作曲家たちの音楽が今も確実に残っていることが、せめてもの救いである。


Balthasar-Neumann -Chor & -Ensemble
Thomas Hengelbrock
deutsche harmonia mundi edition (harmonia mundi)
EDITION




Thomas Hengelbrock, Balthasar-Neumann -Chor and -Ensemble/
Lotti: Requiem aeternam
https://www.youtube.com/watch?v=_7Vuv60YPgM
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コメント 6

末尾ルコ(アルベール)

視聴いたしました。レクイエム、あるいはキリスト教系音楽は、詳しく説明できるほど知っているわけではないですが(笑)、基本的に大好きです。

>なかなか陰翳が感じられていいなぁと思っていたらバッハだったというオチに気づいて

これ、YouTubeの視聴ではよくあるパターンですね(笑)。今回リンクくださっている動画の次には「Miserere Mei by Antonio Lotti」というのが出て来まして、これもよかったです。わたしはクリスチャンではありませんが、祖父母がプロテスタントでして、キリスト教に違和感のない家庭で育ちましたが、これはこれでとてもよかったと今では思っています。ただ、別にキリスト教系の音楽だけが好きというのではなくて、各地の宗教音楽はそれぞれ魅力があるものが多いですし、やはり精神の奥底にまで響いてきて心地いいものが多いですね。キリスト教は歴史的に教会や神学者などによってこねくり回された複雑怪奇なドグマがありますが、そうしたものとは関係ない場所にある素朴な信仰心に惹かれます。ロッティの曲などはそうした心性を喚起するような魅力があると感じました。

「お金を払うべきものには払う」というお考え、大賛成です。実はわたし、「ちょっとだけ興味がある」という本をいつも大量に図書館で借りてますが(笑)、「保有して読む(愉しむ)べきもの」は必ず購入するようにしています。やはり「創り手」に対する最低限の礼儀というのは誰しも持つべきですよね。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2017-04-16 12:05) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

西欧伝統音楽の基本はキリスト教音楽、つまり宗教曲なので、
私も宗教そのものについてはどの宗教もよく知りませんから、
その意味する深いところまでには達せないのかもしれません。
バロックからルネサンスへと時代を遡って行くと、
プリミティヴな発現形態は当然アカペラですし、
拍子も和声も昔になればなるほど曖昧で確立していません。
それゆえにかえって音楽の真実がわかりやすくなる、
ということなのかもしれないです。

バッハは平均律の創始であり機能和声のはじめですが、
逆にいうと音楽の情動を不当に律する制御装置であったとも言えます。
ジャズなどの現代の音楽で教会旋法が復活したのは、
不当に律されなかった頃のルーズな音楽構造に
素朴だけれどわかりやすい情動を見出したからではないでしょうか。
もっともモードというのは単音の管楽器が
ピアノなどの和音の出る楽器に対する優位性を確保しよう
と考えられたといったら穿ち過ぎかもしれませんが。(^^;)

いや、図書館で借りられるのならもちろん借りたほうがいいです。
その中で必要な本だけ購入するというのはクレバーな方法ですね。
でも私の欲しい本は図書館にあることが少ないですし、
借りたものを返すというのが面倒くさいというのが
私が図書館を利用しない理由のひとつでもあります。
by lequiche (2017-04-16 22:28) 

うっかりくま

ロッティのレクイエム、初めて聴きました。
バッハによって歪まされる前の・・で「バッハなんて
あの時代、刺身のつま」が口癖の音楽の先生を思い出し
ましたが、じゃあ誰がメインだったかというと、ヘンデル
以外覚えておらず。。
ヴェネツィアのサン・マルコ寺院は、広場にうっすら雪が
積もる2月に見学したことがありました。こういう曲をあの
場所で聴いたらどんなだろうと想像し楽しませて頂きました。
流行のものが演奏されなくなったり再評価されたり、という
のはクラシックの世界でもよくあることなのですね~。
いつもながら、メインでないものに関する知識も半端ない
lequiche さんの記事は刺激的で勉強になります(^^V)。




by うっかりくま (2017-04-21 22:38) 

lequiche

>> うっかりくま様

バロックという言葉の語源には諸説ありますが、
「歪んだ真珠」 というのが一番有力だと言われる表現ですね。
バッハが刺身のつまだったかどうかはわかりませんが、
ドイツはイタリアに較べれば辺境ですし
(便宜的にドイツ、イタリアと書いていますが
当時、まだそんな国は存在していませんけれど)
ロッティはバッハやヘンデルより以前の人ですので、
ある程度の影響があったと思われます。

たとえばシュポーアはベートーヴェンの友人でもあり、
当時はかなり有名だったはずなのですが、
現在ではほとんど黙殺されてしまってます。
(というようなことを過去に書きました)
http://lequiche.blog.so-net.ne.jp/2013-01-09
音楽とは浮き沈みの顕著な芸術だと思います。

サン・マルコ寺院に行かれたのですか!
それは素晴らしいです。(^o^)
大貫妙子の〈Cavalier Servénte〉という曲の歌詞にも
サン・マルコが出て来ます。
「霧煙るサン・マルコ/沈みゆく都よ〜♪」
このアルバム《Purissima》の3曲目です。
https://www.youtube.com/watch?v=n4tfjYHf538
by lequiche (2017-04-22 02:41) 

うっかりくま

その先生はバロック=バッハではないと言いた
かったのでしょうがちょっと棘がありますね。。
そして何故あんなに端正で整った感じの音楽が
「歪んだ真珠」なのかも長年の疑問ではあります。
過去記事も、古い物から少しずつ読ませて頂いて
いますが、1つ1つが美しい作品のようでゆっくりと
味わっています。聴かれなくなった曲を発掘するの
は有意義だし、何より楽しそうですね♫
教えて頂いた「東方綺譚」や「ユルスナールの靴」、
とても良かったので「ヴェネツィアの宿」も読もうと
思っています。フレンチの香りの大貫さんもサンマルコ
を歌っていらっしゃるのですね・・調子に乗ってアホな
コメントで御記事を汚さぬよう慎みます(m--m)。

by うっかりくま (2017-04-22 20:03) 

lequiche

>> うっかりくま様

いえいえ、アホとは対極のコメントありがとうございます。
私のブログは本文が建前、コメント欄が本音と言われてますので。(^^)

シルバー・アクセサリーのデザイナーから聞いたのですが、
バロックの対義語はゴシックだとのことです。
それは銀細工についてのことだと思うのですが、
音楽の場合、ゴシックはグレゴリアン・チャントとか
パレストリーナあたりまでのルネサンス音楽に対応します。
つまりそんなに複雑でない構造の曲で、宗教的なイメージです。
それは神の絶対性の象徴であり、建築だったら左右対称のデザインなど、
静的でかつ威圧的な宗教観に基づいていると私は思います。
対してバロックは、左右非対称でセオリーからずれるので、
それが 「歪んだ真珠」 という形容になったのではないでしょうか。

たとえばゴスロリ (ゴシック・ロリータ) は
ファッション的には静的で非トレンドでステロタイプであり、
そのジャンルのコンセプトが変化することはありません。
よってゴシック的であり、バロックではないのです。

バッハだけがバロックではない、というのは正しいですが、
でもバッハは平均律を編み出しただけで十分にバロックです。
音楽の調性は長年の間、その調特有のキャラクターがあり、
それはモーツァルトやベートーヴェンあたりまで有効でした。
ハ長調とト長調では性格が違うのです。
ところがバッハは、モーツァルトやベートーヴェンより
前の人でありながら12の調性は平等である、
というような理論を打ち立てました。
実際には楽器の完成度が低かったために、
必ずしもそうはいきませんでしたが、
でもバッハが平均律という概念を考えたことは、
12音技法よりももっとエキセントリックな転回点だったのでは、
というふうに思います。
(バッハが平均律を考え出したのではないとか
そもそもバッハの概念は平均律ではない、という議論もありますが
それはどうでもいいことです)

ロッティとかスカルラッティあたりが、
ルネッサンスからバロックへの移行期の頃で、
このあたりの微妙さに私は興味を持っているのです。
たとえばゼレンカだと音的にはバロックなのですが、
辺境であったがゆえに、まだプリミティヴなものが垣間見えます。

ユルスナールや須賀敦子は私が最も尊敬する人たちで、
極端にいえば他の作家はどうでもいいんです。
音楽でいうと、私の偏愛はメトネルとヴュータンに限られます。
by lequiche (2017-04-22 23:06) 

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