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これよりいいものといったら沈黙しかない — カエターノ・ヴェローゾ《Livro》 [音楽]

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子どもの頃、私の住んでいた町には何軒かの書店があって、そのうちの一軒は、古くからあるあまり客のいない店で、木製の書架が天井まで届いていて、書架に収まりきれない本が大量に脇に積み上げられ、その影に入ると私の身体はすっぽりと隠れてしまい、そこだけが本の谷の中にできた秘密めいた異空間のように感じられるときがあった。
夏でもその店の中は温度が低くて、外の雑踏の気配も何となく遠くに退いてしまい、それはいつまでも本を選んでいられるという至福の時だった。とはいっても子どもだから買える本は限られていたが、これから読まなければならない見知らぬ本がこの世界には無限に存在することを知ったのは、まさにその時にほかならない。本が無限にあることは幼い頃には驚きであり喜びであったのかもしれないが、いまだに読んでいない無限に堆積する本の量は変わらず、いやむしろ増加するばかりで、やがて私は無知なままに死んでゆくのだという諦念へと変わっている。

池袋のLIBROが閉店するのは経営という名の 「大人の理由」 に違いないのだろうが、最近のきらびやかで影のない書店ばかりがほとんどの中で、LIBROにはまだ、本の谷の異空間を感じることが、ときにあった。
ずっと以前の書店——たとえば改装する前の神田の東京堂書店とか、まだ木造だった頃の銀座のイエナには、そうした異空間が色濃く感じられたものだが、今の書店はどこもドラッグストアのように影がない。
きっとLIBROの後に入る書店も、明るい普通の書店へと変貌してしまうのだろう。LIBROの閉店は単なる一書店の閉店ではなく、西武セゾンがずっと継続してきた文化的アプローチの衰退をも暗示しているように思えてしまう。

セゾンのやってきたことは、たとえば西武劇場とか西武美術館も含めて、単なる商業主義だけではない面白さがあったと思う。西武の中には西武ブックセンター以外にも変わった書店があったし、こんな本、売れるわけない、と思うような本があっという間に無くなっていたりする時代だった。
なぜそんなに誰もがクリエイティヴだったのだろう。その頃と同じように今でもクリエイティヴなどという言葉を皮肉でなく語義のままに使うことは可能なのだろうか。
すべては時代の変遷というものなのだろう。私はそうした時代の変化に疎くて、たとえばCDショップのWAVEがいつまでもあると思っていて、20世紀の終わりに、ある日、六本木に行ったらWAVEが無くなっていて愕然とした思い出がある。ほとんど笑い話なのかもしれないが。

こうして書いてきて思うのは、音楽や美術に較べて演劇のような舞台芸術はその場限りであって、後に残りにくいものだという思いを新たにする。音楽ならCD、美術なら画集というように、記録するためのメディアは比較的確立されているが、演劇はムーヴィーによて記録することはできるが、それは映画と違って不完全であり舞台の完全な再現とはならない。しかもそうして残すことさえ、少数であるような気がする。

たとえば池袋西武での記憶のなかに、如月小春の何かを見たという曖昧なトピックが私の頭のなかにある。タイトルももちろん内容もすでに記憶からは欠落していて、でもそれは彼女がNOISEを作った後だったと思う。その日のパフォーマンスは、実験的なスタイルだったがあまり成功していたようには思えなくて、ちょっと不満が残った。
私は日記とかメモとか、何も記録を残してきたわけではないので、そして人間の記憶というのはほとんどが消えてしまうような気がして、ごく断片的な幾つかの記憶が、それはごく断片としてしか——たとえば工場物語とかリア王の青い城とか——残っていない。それに如月小春という名前自体がもはや忘れられた存在になってしまっている。
演劇とはそのように、ごく私的で孤独なものだ。人それぞれの記憶の沼にかすかに跡のある感動の残滓。劇評とかパンフレットとか戯曲ではそれは再現され得ない。それが最も再現され得ないのは寺山修司の演劇である。

柳瀬尚紀が『フィネガンズ・ウェイク』を翻訳し終わったときの講演も、池袋西武のどこかで拝聴した記憶がある。たぶん翻訳の経過を辿った苦労話のようなものだったのだろうが、その内容に関してはほとんど何の記憶もない。でも本ならば、なにはともあれ本として残るから、演劇よりはずっとましなのかもしれない。

この前、友人とメールで音楽の話になったとき、その友人は友人というより畏友と言ったほうがいいのかもしれないが、カエターノ・ヴェローゾを強く勧められた。ブラジル音楽におけるビッグネームであるが、私にとってはブラックホールのように欠けている部分であった。
彼には大量のアルバムがあって何から聴くべきなのか迷ったので、まずタイトルで《Livro》にしようと思った。ジャケ買いならぬタイトル買いである。livroはポルトガル語で本のこと。フランス語だとlivre、イタリア語やスペイン語だとlibro、つまり旧・西武ブックセンターのリブロという名称はここからきている。

カエターノ・ヴェローゾ (Caetano Veloso, 1942−) はブラジルのシンガーソングライターであり、《Livro》は彼の1997年の作品である。
1曲目の〈Os Passistas〉は比較的オーソドクスなギターとヴェローゾの歌で始まる。粘りのあるリズムがそれに絡む。CDの解説にはカリオカ流サンバとあるが、やや控えめなオーケストレーションの醸し出す空気感、ルーム感がたまらない。でもこれはどこかで聴いたことがある。そんな既視感、いや既聴感があるのは確かで、それはきっとヴェローゾのほうが元で既聴感のある記憶はそのパクリなのだ。

そして2曲目の〈Livros〉は、タイトル曲はA面の2曲目というセオリー通りのポジションに配置されている (A面というのはアナログレコードでの呼称だが)。アルバムタイトルは Livro だが、2曲目の曲目は Livros だ。リズムと歌と、それにオブリガートするオーケストレーション。伝統的なリズム楽器に重なるディストーションのギター。
なによりメロディから少しずつこぼれるその歌詞が美しい。ポルトガル語はわからないので訳詞に頼るしかないのだが、それはまさに本について書かれている歌詞である。その本は電子書籍などでない、紙でできた本以外のなにものでもない。

 星の間で 不吉にも君は躓いた
 僕らの家には ほとんど本がなかった
 しかも町には本屋が一つもなかった
 だが 僕らの人生に入り込んでいた書物は
 黒い肉体の発する光のように
 宇宙の膨張を指し示す
 なぜなら 文は 概念は あら筋は 詩句こそが
 (そして むろん とりわけ詩句こそが)
 幾多もの世界を この世に投じることができるものだからだ

書物は超常的なものであるにもかかわらず、これを愛したり、または燃やしたり投げ捨てたりもできるものだ、さらに自分で1冊書くこともできるかもしれない、と歌詞は続く。

 幾枚もの頁を 空虚な言葉で埋め
 本棚を さらなる混乱で埋める
 星の間で 君は不吉なことに躓いた
 だが 僕にとって その君は
 星々の中の星だった

歌詞を追う私の思考は、不吉にも躓いたのは私で、大量な本に書かれている言葉はすべて虚しく、だから本は最初からなかったのかもしれないというアイロニーに辿りつく。ヴェローゾは本の功罪を語っていて、そこからふと思い出すのは、まだ私が幼い頃、早くして亡くなった昔気質の職人だった祖父が、文学書などを読むことをまるで不良の行いのように言っていた記憶である。

アルバムの中間部にあるトリッキーな音使いの〈Doideca〉は、その音使いの傾向が難解なときのエグベルト・ジスモンチを連想させるが、ブラジル人に共通する音への感性があるのかもしれない。ファルセットを使う曲などを経て、切れ味の鋭いリズムと女声によるプリミティヴなリフレインの上にヴェローゾの語りが乗る〈O Navio Negreiro〉はカストロ・アルヴェスに拠るもの。
O Navio Negreiro は奴隷船と訳されているが 「〜船」 からどうしても連想してしまうのは、アルチュール・ランボーの《Le bateau ivre》(1871/青土社版全集・2006の訳では 「酔い痴れた船」) である。しかしアントニオ・ド・カストロ・アルヴェス (Antônio Frederico de Castro Alves, 1847−1871) はランボーより少し前の時代の夭折の詩人である。

アルバム後半の曲群は、またオーソドクスに戻りながらもどこかに新しさを備えていて、18年前の作品であるが、古さを感じさせることはない。
私の好みは管の合奏から始まる13曲目、アリ・バホーゾの〈Na Baixa do Sapateiro〉であるが、軟らかな管の前奏に重なるヴェローゾの声がこころよい。アリ・バホーゾ (Ary Barroso, 1903−1964) は20世紀前半のソングライター/ピアニストで、最も有名な曲は1939年に作曲された〈ブラジル〉(Aquarela do Brasil) である。
これらのカヴァー曲2曲が絶妙な位置にあり、アルバム全体の陰影を濃くしている。トラック11〜14までのアルバム終結部の連鎖は上質なポップスであり美しい。終曲の〈Pra Ninguém〉はゲンズブールの〈Ex-fan des sixties〉的な好きな曲の羅列ソング。

他にアルバム《Transa》(1972) や《Cores, Nomes》(1982) を聴いてみたがそれぞれにその時代と自己の音楽に対するポリシーがあり、その音に引き込まれる。だがまだ聴き始めたばかりなので理解できずにいる部分が多いように思う。
解説パンフレットの中で紹介されているヴェローゾの興味を引く言葉に 「ポルトガルが没落したためにポルトガル語を使う僕たちは優遇されない言語圏にいる。だからブラジルはラテンアメリカのなかで大きい国ではあるけれど孤独な国だ」 とする意見がある。でもその論調で考えるのなら日本はもっともっとずっと孤独な国だ。それは当たっているのかもしれないけれど。

ブログタイトルは〈Pra Ninguém〉中の歌詞:これよりいいものといったら沈黙しかない Melhor do que isso só mesmo o silêncio である)


Caetano Veloso/Livro (ユニバーサルミュージック)
リーヴロ




Caetano Veloso/Livros
https://www.youtube.com/watch?v=mXxkhJf-b4M
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lequiche

> desidesi 様

やはりサンバとかボサノバの影響が強いですけれど、
いろいろな音楽の要素が混じっている感じがしますね。

ブラジルは南米でも非スペイン語系ですから
ラテン音楽の中には括りにくいと思います。
でもボサノバも、あるいはラテンにおけるアルゼンチンタンゴも
元々が人工的なジャンルとして出現した経緯があり、
そして今、衰退しつつあるようです。

おー、ポルトガル語おわかりになるんですか。
やはり歌詞のある曲では少しでも理解できるかどうかは
意外にカギになるんじゃないかって感じがします。

ポルトガル系だとたとえばアマリア・ロドリゲスとか
聴いたこともあるんですが、結局私にはよくわからなくて、
やぱ、なんでも来い!ってわけにはいかないようです。(^^)
by lequiche (2015-07-20 15:49) 

majyo

コメント初めてのマジョです
池袋のLIBROですが、30年以上住んだ街に近いので
時々寄りました。
サイン本もらいに行ったこともあります。
閉店の話はブログで知りました。
音楽は疎いのですが、本は好きでした。
書物の無い家なのですが、なぜか父が母に日本文学全集を買ってあげて
私も読み、あとは図書館ばかりでした。
すべて忘れていますが、最近読み返したら今でも面白かったです。
この文章を読ませて頂き感じたことは
純文学を呼んでいるような感じです。
さて、純文学がなんたるかもうまく言えませんが・・・・・
いつも、ありがとうございます


by majyo (2015-07-20 22:20) 

lequiche

>> majyo 様

コメントありがとうございます。
LIBROをよくご存知なのですね。今回の閉店は残念です。
後には他の書店が入るとのことですが。

もう忘れてしまっていた本を読み返すというのは、
記憶の発掘のようで懐かしさのようなものを感じます。
家になにげなく置いてある文学全集とか百科事典とか、
昔はそのようにして意外に本があったような気がします。
つまり本を読む環境のハードルが低かったように思います。
今もあふれるように本はありますが、
実用書や経済書ばかりが目についてしまって、
そういう書店にはあまり足が向きません。

私のブログは備忘録のようなもので、
純文学のような高級なものではないので、
そのように評していただけると光栄ですが、
内実を省みればお恥ずかしい限りです。
ただブログは自分の興味を持つことに対して書いているうちに
頭のなかが整理されてくるというか、
次への興味が湧いてくるという効用はあると思います。
by lequiche (2015-07-21 10:07) 

gorgeanalogue

おっしゃるように、カエターノは詩が素晴らしいですよね。本の作る影、というコメントによって「リーヴロ」にも新しい陰影が与えられたような気がします。
by gorgeanalogue (2015-07-21 23:15) 

lequiche

>> desidesi 様

いえいえ、きっとご謙遜なのでは? と思ってます。(^^)
ポルトガル語の歌の響き、いいですね。
それは多分にボサノバの、あの歌い方にもあると思いますが、
なぜか夏の気分になりますね。冷たくはじける炭酸の味のような。
ブラジルに住みたいな〜、というのはサッカーがお好きだったとか?
(チャウチャウ ^^;)
by lequiche (2015-07-22 04:24) 

lequiche

>> gorgeanalogue 様

詩が素晴らしいですね。もちろん音楽も素晴らしいですが。
それに拮抗するだけの内容がなくて、結局また駄文を連ねるだけですが、
再聴するたびにその音楽の深さに驚かされます。
by lequiche (2015-07-22 04:24) 

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