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ゼレンカの宗教曲に [音楽]

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Václav Luks

紙媒体とネット媒体とのデータについての差異、というような記事を先日何かで読んだのだが、たまたま久しぶりに『レコード芸術』を買ってみたら、レイアウトこそ旧態依然で見た目は博物館的様相を帯びている雑誌なのだけれど、情報量とその質はネットで探し当てるデータなどとは比較にならないくらい優れていて、まだ紙媒体は無くならないよ、と改めて思った。

ネットにある情報というのは必ずしも信用できるものではない。それは私のこの文章も含めてそうである。幾らでもあとから修正の効くデータというのは、つまり 「卑怯者のデータ」 であって、参考程度にしか信用できないということとイコールである。この仮モノ感が払拭できない限り、ネット上のデータの評価がAAAになることは決してないはずだ。
これは私がインターネット自体を否定しているのではなく、ネットとは現在のところその程度のポジションなのである、という冷静な評価に過ぎない。
何よりもまず、情報を閲覧するためのインターフェイスとしての機能が現在のパーソナル・コンピュータはまだ貧弱過ぎるのだ。究極のDynabookはまだこの世に存在しない。一冊のシンプルな雑誌に内包されているインターフェイスはそれほどすごいのである。

もちろん逆にネットの有用性は数限りなくあって、容易に他人の意見を (その良否はともかくとして) 参照できることもそのひとつだ。やはり何かの折にピリオド楽器の話題があって、楽器そのものへの依存度というか信仰度が強過ぎるのはどうしたものか、という意見に、ピリオド楽器に対して偏見のある私は深く同意したのである。
今、古楽の主流はピリオド楽器 (その時代に使われていた本来のかたちの楽器) での演奏であるが、それに対する不信感を私はずっと持ち続けていた。というのは、ものすごく音程の不安定なピリオド楽器による演奏のCDを聴いたことがあるからで、しかもそれが非常に高評価を得ていたので、こういうのはピリオド楽器信仰という名の一種の宗教なんじゃないかと思い切り拒否反応が起こってしまったのである。
モダーン楽器=ニセモノ、ピリオド楽器=ホンモノというような安易な認識が多過ぎる。音楽は楽器のオリジナル性ではなく、出てくる楽音そのものであるはずだ。

たとえばバッハの平均律をピアノで弾いた場合、オリジナルなチェンバロでなければだめだという意見があるだろうか? たぶん無いと思う。
それなのになぜ管弦楽になるとピリオド楽器でなくてはならない、という論理になるのだろう。
たとえばクラリネットにはベーム式とエーラー式という種類があって、これは微妙な差違であるが、エーラー式のほうが演奏をするのはやや難しいとされている。だからといってエーラー式クラリネットを使っているから演奏が稚拙でも仕方がない、という論理にはならない。ところが古楽になると、音がチープでも許容されるという変な寛容性が存在するのである。

バロック期にヤン・ディスマス・ゼレンカ Jan Dismas Zelenka というボヘミア生まれで、その生涯のほとんどをドレスデンで暮らした作曲家がいる。J・S・バッハと同時代人で、俗にボヘミアのバッハと呼ばれる。
昔から知られているゼレンカの演奏にはハインツ・ホリガー、カメラータ・ベルンによるアルヒーフ盤の管弦楽曲集/トリオソナタ集というのがあって、私はアナログ盤の頃からひそかに愛聴していた。現在はブリリアント・レーベルで廉価盤が出ているので最近はこれを聴いている。
かなり昔の録音だから、もちろんモダーン楽器で演奏されている。でもこれで別に問題はない。ところが残念ながらこれを完全に否定する意見もネットには存在するのである。まぁ読まなかったことにすればよいのであるが。
また、バッハと比較して 「ゼレンカなんてゴミ」 というような意見も見かけるが、超一流の作曲家だけを崇拝するなのならバッハとかベートーヴェンとかそれだけを聴いていればよいのである。だが私の嗜好はそうした意見とは異なっている。いつも高級レストランの料理だけでは絶対飽きる。
ゼレンカは、ちょっと突飛な比喩だけれど、シーンの中央 (=鎌倉幕府) に位置するバッハに対する奥州藤原氏みたいなイメージがあって、なんとなく暖かな親近性を感じるのである。

ところが秘められていたはずのゼレンカも最近は知名度が上がってきて、しかもピリオド楽器での演奏が多種類出てきているようだ。しかも宗教曲である。バッハでもゼレンカでも、この時代の作曲家の作品の根幹を成すのは宗教曲であって、なぜならそれを作ることが彼等の仕事だったからであるが、もちろんそれはキリスト教信仰をベースとしているはずであり、その精神的な深奥がどういうものか私にはわからない。ただ単純に音楽として聴いた場合でもプリミティヴに感じるところはある。

ネットで見つけたミサ・ヴォティヴァ Missa votiva (ルクス/コレギウム1704) は素晴らしい。ゼレンカ晩年の作品で、彼が病気になり、それから回復したときに書かれた作品だということだが、ちょっとローカルな響きの中に真摯な祈りの表情がある。
以前に聴いた不安定なピリオド楽器の不満は微塵もなく、そんなことを思い出させない音楽としての説得性に満ちている。
冒頭のキリエから聞こえてくる少しだけ俗っぽくて素朴なせつなさのようなもの、それはたぶんバッハより身近で、たぶん私にとっても親しいものなのかもしれない。

ゼレンカは1745年の今日、ドレスデンで亡くなった。オーストリア継承戦争の最中であり、ドレスデンはプロイセンに占領されていた。
彼の作品の全容はまだ明らかになっているとは言えず、光の当たらない部分を多く残しているし、肖像画が残されていないため、ゼレンカが本当はどんな顔をしていたのかさえも定かでない。


Václav Luks, Collegium 1704/Zelenka: Missa votiva (Zig Zag Territories)
Missa Votiva (Dig)




Camerata Bern/Zelenka: Orchestral Suites, Trio Sonatas (Brilliant Classics)
Orchestral Suites / Trio Sonatas




Zelenka: Missa votiva ZWV18/Václav Luks, Collegium 1704
http://www.youtube.com/watch?v=zI5Iaich-lI
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Loby

今年はお世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。

by Loby (2012-12-29 10:56) 

lequiche

>>Loby様

いつも楽しい日記とコメントをありがとうございます。
こちらこそよろしくお願いします。
来年がもっと良い年であるように期待したいですね。(^^)
by lequiche (2012-12-30 00:46) 

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