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エレジー — 穐吉敏子に [音楽]

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昨日、ショスタコーヴィチの〈エレジー〉について書いていて、エレジーという名前の曲はクラシックにもポピュラーにも、とても多くあるということに気がついた。そう言ったらワルツだってプレリュードだって数多いのだがそれは音楽の形式としての名称だけれど、エレジーというのはもっと抽象的で漠然としたイメージがある。ノクターンという名称も抽象的ということでは似ているが、エレジーの場合は悲しみの感情が入っているということで特殊だ。だから名前として付けやすいのかもしれない。

穐吉敏子 (秋吉敏子) にも〈エレジー〉という曲がある。穐吉敏子は日本のジャズの創生期の人であるが、満州で生まれ、戦後日本に引きあげたがその後アメリカに渡り、主にアメリカで音楽活動を続けていた。自身のビッグバンドを長く維持していたが2003年に惜しくも解散してしまった。しかし現在も彼女のプレイは尚健在である。

アルトサックス・プレイヤーであるチャーリー・マリアーノと結婚していた頃に《Toshiko Mariano Quartet》(1960) というアルバムがあって、この中に〈Toshiko’s Elegy〉という曲がある。まだ若き穐吉の、どちらかといえば飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃の録音だと思うのだが、そうした時の〈エレジー〉という名の曲である。

それから15年ほど経て、彼女がついにビッグバンドを結成した時の最初のアルバム《孤軍》(1974) の第1曲目もこの〈Elegy〉である。曲名からToshiko’sがとれているが同じ曲である。ビッグバンドを世に問うた最も活力のみなぎっていたはずのその時、彼女の心にはエレジーが響いていたのだろうか。

穐吉はアメリカにいながら日本人としてのアイデンティティにこだわった。それはいかにも和風な曲名にもその音作りにも現れている。それでいてその曲は決してオリエンタリズムに堕しているわけでなく、非常に精巧でエリントンにも似た正統的ジャズとしての香気を保っている。
海外にいるときのほうが自分が日本人であるということを思い知らされるし、自分が典型的日本人からは外れていると思っていても、日本人以外から見れば典型的な日本人であること、そしてそれによって自分が日本人であることのアイデンティティを発露しなければならない状態になってしまう、というようなことを山下洋輔が言っていたが、それは穐吉にも同様に言えるのであろう。むしろ穐吉のほうがより痛切にそうした世界の中で暮らしてきたはずだ。ビッグバンドを切り盛りするということは絶大な労力がいるはずだし、女性であり日本人である彼女が男性社会の典型のようなアメリカのジャズの世界の中で生きていくのには大変な努力が必要だったはずだ。そういう時に頼れるのは自分がなぜ音楽をするのか、これこそが自分の存在主張であるとする強固な信念なしにはあり得ない。

穐吉が《孤軍》を引っさげて日本で凱旋公演した時にオンエアされたFM録音があって (これはおそらくCD化されていないと思うが)、それは自己のバンドでなく日本のミュージシャン達によるリハーサルバンドだったが、その冒頭の挨拶の途中で、感極まって言葉につまったような穐吉の声を忘れることはできない。

穐吉の〈Elegy〉は決して悲しみに打ちひしがれているような弱々しい曲想ではない。むしろたくましくパワーを感じさせる強い印象の曲である。その曲をあえて〈Elegy〉と名付けたところに、彼女の音楽の、言葉には尽くせない影を見るような気がする。


画像:若き日のバークリーの穐吉敏子とアーサー・フィドラー
(バークリーのライブラリーより)

Toshiko Mariano Quartet/Toshiko’s Elegy
http://www.youtube.com/watch?v=iH4OP0wxEMA

孤軍/Elegy
http://www.youtube.com/watch?v=A1Qt8wTguJE


Toshiko Mariano Quartet
Toshiko & Mariano Quartet




Toshiko Akiyoshi Lew Tabackin Big Band/孤軍
孤軍




穐吉敏子『ジャズと生きる』(岩波新書)
ジャズと生きる (岩波新書)

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