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Ce n’est rien (なんでもない) — Luc Ferrariについて思ったこと [音楽]

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近藤譲の初期のALMレコードに《ブルームフィールド氏の間化》というアルバムがあって、その中に〈夏の日々〉という曲がある。近藤譲は、勝手なことを言わせてもらえば現代音楽の中でも理論派の作曲家という印象があって、それなのにこの〈夏の日々〉はちょっと異質だ。

異質というのは、つまり一応 「曲」 と書いたけれど〈夏の日々〉は身の回りの生活感あふれる環境音を編集したテープミュージックであることだ (その頃だと録音機材はまだテープレコーダーなので)。
そんなものが曲として成立するのか。というよりそもそもそれは曲なのか、という疑問が出てくるだろうが、聴いていてとても心地よくなる音であることは確かだ。〈夏の日々〉と言われて、その通りだなぁと納得してしまう。ヒーリングなのだろうか。そうかもしれない。

このアルバムの解説には、〈夏の日々〉はリュク・フェラーリの〈Presque rien〉の影響で作られた云々と記されていた。そこでたまたまフェラーリの作品集があったので買ってみる。《Luc Ferrari/l’œuvre électronique》というタイトル。「電子音楽作品集」 とでも言えばいいのだろうか。電子音楽なんて最近では聞かなくなってしまった言葉だ。

聴いてみての最初の感想は…… 「同じじゃん!」
人間のたてるいくつもの物音。クギを打つ音とか、ものの触れあう音。にわとりの鳴き声、車の音、セミの声、小さな船のエンジン音、そして何よりも子供の遊ぶ声などの、人間のしゃべる声。
もちろん素材とする音の選択もその扱いかたも異なるのだけれど、全体から醸し出されてくるイメージはすごく似ている。国籍も年代も違っても、こうした音に対する感性というのはそんなに違わないということなのだろうか。心地よくて何度もリピートしてしまう。

実は〈Presque rien〉や〈夏の日々〉と似たような音を聴いた記憶はもうひとつあって、それはデヴィッド・シルヴィアンの《Naoshima》である。
デヴィッド・シルヴィアンはJapanというヴィジュアル系ロックバンドをやっていた人で、しかしJapanは次第にテクノポップ的な傾向となり、さらにソロとして独立してからは、内省的なネイチャー志向とでもいうような作品の作りかたになり現在に至っている。私はシルヴィアンのソロの傑作として《Brilliant Trees》が好きだが、ネイチャー志向のきっかけとなったのは《Secrets of the Beehive》あたりだと思う。

《Naoshima》は香川県の直島のアート・イヴェントのために制作されたものだとのことだが、直島は変わったかたちの美術館などを誘致し、芸術の伝播に対して積極的なところのようである。知り合いで近くに住んでいる人からの美術館リポートも聞いてみたのだが、答えは 「何かすごいけど、よくわからない」 であった。
この《Naoshima》はその地で録られた音を元に加工されたもののようで、解説には 「美しいサウンドスケープ」 とある。なるほど、サウンドスケープという言葉もあるんですね。

《Naoshima》も環境音を編集してある点では、前出2作と同様である。ただ《Naoshima》の場合は、これはあくまで私の体感に過ぎないのだが、なんとなく肌触りの異なっている部分が感じられて、(それが悪いというのではないけれども) それはきっと時代性の差なのではないかと思う。フェラーリ←→近藤譲と較べれば、シルヴィアンまでの距離はかなり広いのだろう。
フェラーリの作品集に収録されている他の電子音楽も聴いてみたのだが、今の耳で聴くとそれらは全然柔らかで、すごく聴きやすい。聴きやすいというのはあくまで私の基準に従ってのものであるので、普遍的な印象ではないかもしれないが。

たとえば佐々木敦の本で勧められて、高橋悠治+渋谷慶一郎+mariaのATAKというレーベルのCDを聴いてみたことがある。ここに聴くコンピューター関係のイニシアチヴをとっているのはおそらく渋谷であって、だから音はイマ風に斬新なのだがやはり何かしらの違和感があり、それは《Naoshima》に感じる肌触りの違和感と同様のものなのではないかと漠然と感じてしまう。違和感という表現をより正確に述べるならば 「何となく新しそうなんだけど自分にはまだよく摑めない」 とでも言うべきだろうか。

人間の耳とは進化するものである。昔、よくわからなかったプロコフィエフは今ではそんなにわからないというレヴェルではないし、ジョン・コルトレーンはめちゃくちゃ吹いているのではないかと思っていたが今聴くと全然そんなことはない。さらに時代を遡ればストラヴィンスキーだって最初はブーイングの嵐だったのだ。

それでいて〈Presque rien〉のような、音楽ともいえない日常性の充満した生活音に安らぎのようなものを感じてしまうのはなぜか。これはつまり音楽とは何か?という作曲者の問いかけでもあるのだと思う。


Luc Ferrari/L’œuvre électronique
http://tower.jp/item/2582313/Luc-Ferrari

David Sylvian/When Weather Buffeted Naoshima
http://tower.jp/item/2306790/When-Loud-Weather-Buffeted-Naoshima

近藤譲/ブルームフィールド氏の間化
は、アナログディスクは廃盤であり、CDは発売されていない。

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フェラーリの画像は
http://www.as-tetra.info/archives/2006/060429195617.html
からのものです。
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