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immense darkness ― ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』 [本]

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Virginia Woolf (1927)

ともすると 「意識の流れ」 (Stream of consciousness) という表現には、連想が連想を生み、心のたゆたうままに、時としてルーズに、草書体風に続いてゆくような印象がある。でも、そうだとすれば『灯台へ』は、よく言われているような 「意識の流れ」 的手法で書かれてはいない。そのように見せかけて、決して厳格ではないけれど、周到に構成された骨格を備えている。これは極めて技巧的な作品に他ならない。
シュルレアリスムの 「自動記述」 が言葉のあやであるように (と私は思っている)、「意識の流れ」 も、意識を意識の流れにまかせているのではなく、意識して意識の流れを作っている手法なのだ。

ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』(To the Lighthouse, 1927) は、彼女の幼年期/少女期の回想を反映させた作品と言われている。登場人物のラムジー夫妻と8人の子どもたちは、ウルフの家族と同じ構成である。
家族は毎夏、コーンウォルのセント・アイヴス湾にあるタランド・ハウスという別荘を借りて過ごした。何人か客人もいた。そこからはゴドレヴィ島の灯台が見えた。そうした両親との夏の記憶が、場所こそ変えられているが、物語のなかに色濃く投影されている。

ウルフの実際の両親であるレズリー・スティーヴンとジュリア・ダックワースは共に再婚で、それぞれに連れ子があり、そして2人の間に新たに子どもができて、合計8人となった。ウルフは夫妻の間にできた3番目の子どもである。
文芸評論家で哲学者であった父親と、ヴィクトリア朝的良妻賢母であった母親がラムジー夫妻のモデルであり、つまり翻訳者・御輿哲也の書くようにこの作品はその両親へのレクイエムなのである。

第1部 「窓」 は幼い頃の別荘の一日の出来事 (舞台設定はスコットランドのヘブリディーズ諸島という場所になっている) で、幼いジェイムズは明日、灯台に行きたいと思っているのだが天候が悪く果たせない。そして夜、家族と別荘に来ている客人たちが晩餐会をする様子が描かれる (ジェイムズはヴァージニアの1歳年下の弟、エイドリアンをモデルにしているといわれる)。
第3部 「灯台」 はそれから10年経った一日、成長したジェイムズが父や姉とともについに灯台に行くことが描かれている。目立って起こる事件はそれだけだ。ほとんど何も起こらないといってもよい。

その間にはさまれた第2部 「時はゆく」 (Time Passes) は interlude であり、第1部と第3部の間の10年間が詩的な文体で記述される。主人公は人がいなくなり荒れ果ててゆく別荘=家 (the house) である。
ラムジー夫人は突然のように死に、娘のひとり、プルーも結婚した後、早々に死ぬ。しかし最も劇的な事件であるはずのそうした死の情景はほとんど語られない。なぜなら、時は人々の上を過ぎてゆくのではなく、家の上を過ぎてゆくのだから。あるいは、主人公は、家にダメージを与えてゆく自然そのものでもある。
第2部は第1部、第3部と較べて最も短い。最も短い文章のなかで最も長い時が語られ、しかも事件として語られるべきことは語られず、そうすることによって前後 (第1部と第3部) の各一日の出来事を際立たせる構造になっている。それはいわば 「永遠」 と 「一日」 の対比のようにも思えるし、時間とは相対的なものであることの証しでもあるし、ウルフのアヴァンギャルドな手法でもある。

ウルフの描くラムジー夫人は、時に専横で押しつけがましいところがあるにせよ、いつも気づかいし、他人のために尽くすという性格の、当時 (ヴィクトリア朝) の典型的母親像である。すべてを尽くしてしまうため、自分に何も残らないことを夫人は知っている。学問的知識はないかもしれないが、存在論的な 「カン」 を夫人は持っている。編み物をする夫人の座っているその位置こそが、夫人の存在を主張していて、それは夫人の死後も、夫人がそこに在るべき位置として残存しているのだ。
ウルフの実際の母ジュリアは、ウルフが13歳の時に急逝する。ラムジー夫人にはウルフの、母に対する冷徹な観察眼と、その愛を渇望していた思慕とかないまぜとなって現出している。母を亡くした衝撃がその後のウルフの精神的な不安定さの最初の引き金となった。

ラムジー氏もまた、ウルフの実際の父親であるレズリー・スティーヴンの面影を映しているのであろう。気難しく、時に独善的であったが、学問に深く沈潜してゆくタイプのレズリーは、しかし不器用にだが子どもたちを愛していたのだと思う。
ウルフは学校には通わず、父からの教育を受けたが、彼女が若い頃から父はその文才を見抜いていた。

しかしこの小説のなかでは、娘たちの中の誰にもウルフらしき面影は反映されていない。ウルフの心象を代弁しているのはリリー・ブリスコウである。彼女は別荘の客のひとりであり、切れ上がった目 (chinese eyes) をしたあまり目立つことのない画家で、熱心に絵を描こうとしているが、ラムジー夫人はリリーの画才を認めていない。
しかし彼女の視点がこの作品のほとんどの骨格を成している。絵を描くという行為のなかに、ウルフは小説を書く苦悩や喜悦をアナロジカルに籠めようとした。ヘルマン・ヘッセの『ロスハルデ』(湖畔のアトリエ) は自立した画家を描いた作品だが、リリーはもっとちっぽけで無名の、試行錯誤を繰り返している画家に過ぎない。
そのリリーの心の移ろいに、ウルフの心象は時に近づき、時に離れて、一人称的であったり三人称的であったりするような、陽の輝きと翳りのような変化を宿している。

(つづく)


ヴァージニア・ウルフ/灯台へ (岩波書店)
灯台へ (岩波文庫)

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The European Tour 1961 ― ジョン・コルトレーン《So Many Things》 [音楽]

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Eric Dolphy (1928-1964)

「コルトレーンの Village Vanguard 1961」 (→2016年11月06日ブログ) の続きである。

エリック・ドルフィーを加えたコルトレーン・クインテットはヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴの後、ヨーロッパに出かける。
リストを辿ると、ヴィレッジ・ヴァンガードのセッションが11月01日~03日と05日。その次は2週間ほど空いて、11月18日のパリとなっている。この11月18日から始まるヨーロッパ・ツアーを収録していて、現在一番入手しやすいのが《So Many Things》というアルバムである。収録日と場所はCD記載によれば次の通りである。メディアはCD-Rで音質は最悪である。

1) 1961.11.18. L’Olympia, Paris, France (1st House)
2) 1961.11.18. L’Olympia, Paris, France (2nd House)
3) 1961.11.20. Falkonercentret, Copenhagen, Denmark
4) 1961.11.22. Kultturitano, Helsinki, Finland (2nd House)
5) 1961.11.23. Konserthuset, Stockholm, Sweden (1st House)
6) 1961.11.23. Konserthuset, Stockholm, Sweden (2nd House)

このうち、ヘルシンキでの1stセットというのは収録されていないが、セッション・リストを見てもこの日、2つのセットがあったという記載はない。真偽は不明である。しかしこの《So Many Things》は4枚組のセットだが、コンプリート盤ではないので、1stの録音があるのかもしれない。
音源としてはコペンハーゲンがDenmark Radio、ヘルシンキがYles Radioという表記があるが、いずれもエアチェックか、何かからのコピーなのか、ともかく劣化した音なので、放送音源そのものではないだろう。

内容はほとんど同じ曲の繰り返しである。〈Blue Train〉〈I Want to Talk About You〉〈Naima〉そして〈Impressions〉と〈My Favorite Things〉。この時期は、極端に言えば、来る日も来る日もマイ・フェイヴァリット・シングスだといってもよい。つまりコルトレーンの 「おはこ」 である。マイ・フェイヴァリット・シングスはリチャード・ロジャース作曲の《サウンド・オブ・ミュージック》で使われた曲というよりはJR東海の京都のCM曲といったほうがわかりやすい。

私のアプローチはエリック・ドルフィーからの視点であるので、ドルフィーのセッション・リストを見るとコルトレーンと同じで、11月5日の次は11月18日である。さらに遡ると、ヴィレッジ・ヴァンガードの前は、9月25日のストックホルムにおける、いわゆるストックホルム・セッションであり、10月に演奏した記録はない。

この1961年、ドルフィーには7月16日のファイヴ・スポットのセッションがあるが、その双頭ソロイストであったブッカー・リトルは10月05日に急逝している。といって、リトルが亡くなったから喪に服していたわけでもなくて、たぶん単純に仕事が無かったのだ。
ダウンビートでの人気投票にランクインしたとき、ドルフィーは 「ランクに入ると仕事が増えるのでしょうか?」 と聞いたとのことだ。そこそこに名前は売れてきたが、生活にはずっと不安がつきまとっていたのである。

そして《So Many Things》に収録されているヨーロッパ・ツアーの音であるが、なぜわざわざこんな音質のひどい録音を聴くのかといえば、それは前のブログに書いたように、ヴィレッジ・ヴァンガードのライヴで、ドルフィーはなぜ生気が無いのか、という疑問からである。
まず〈My Favorite Things〉ではドルフィーはいつもフルートを吹いている。おそらくこの曲ではコルトレーンがサックス、ドルフィーがフルートということに決めてあったのだと思われるが、フルートというのはいかにも弱い。
それで次のターゲットというと〈Impressions〉であるが、この曲でドルフィーはアルトを吹いている。上のリストの1、3、4、5で合計4回の〈Impressions〉が収録されている。いずれも比較的よいソロを吹いていて、それはヴィレッジ・ヴァンガードでの演奏とは異なる印象なのだけれど、出だしはよいけれど後半のアイデアが持続しないという傾向が見られる。4や5ではドルフィー特有の跳躍進行によるメロディラインが聞こえるが、それでもやはり後半が枯渇しがちである。コルトレーンがそのソロを引き継ぐと、ずっと流麗でいかにもコルトレーンという音になるのはさすがである。
私の好みでは3が一番良いソロなのではないかと思う。

〈Naima〉や〈Delilah〉といった曲ではドルフィーはバスクラを吹いていて、もっと吹けばいいのにと思うのだが、いまひとつ遠慮があるような気がする。

ひとつの仮説として私は、ドルフィーがコルトレーンに対して影が薄いのは、コルトレーンがイジワルをしてドルフィーに 「オレより目立つなよ」 とでも言ったのかと思っていたのだが、シモスコ&テッパーマンなどを読み返してみたところ、元凶はプロデューサーであるボブ・シールにあるらしいことがわかってきた。つまりコルトレーンはそんなことは言わなかったが、かわりにボブ・シールがドルフィーの良い演奏の部分を、けずってしまったのである。理由としてはおそらくドルフィーがコルトレーンより目立たないように、というので正解なのだと思う。
シモスコ&テッパーマンの翻訳者である間章も、その解説でドルフィーがコルトレーンに対して影が薄いことを書いていたので、やっぱりなあと改めて思った次第である。

ただ、単純にそれだけではなくて、つまりドルフィーは生涯、その音楽を完全に認められることがなかったのだ。それで常に経済的な不安を抱え、安いギャラの仕事に奔走し、そしてまたドルフィーの才能をかってはいたが同時にストレスを与えていたチャーリー・ミンガスのような人とも合わず、結果としてその音楽性を完全に残すことなく孤独なままに死んでしまったのだと思う。
ドルフィーは読譜力も理論にも強かったが、それゆえに器用貧乏となってうまく使われてしまった部分がある。だから逆に、オリヴァー・ネルソンのようなガッチリとしたオーケストレーションのなかで吹くとドルフィーのソロは際立つのである。

ドルフィーはパーカー直系のサックスであり、そんな言い方は以前にはトリッキーな意見として黙殺されていたのかもしれないが、歴史が積み重なるにつれ、だんだんとその流れが理解されつつあるように思う。それはバルトークがバッハに対抗して無伴奏ヴァイオリンを書いたのと同じで、最初はまるで違うもののように邪慳にされていたが、次第にそれが理解されてきたのと似ている。
1961年当時、下にリンクした動画〈My Favorite Things〉のような演奏はアヴァンギャルド過ぎて非ジャズであると非難を浴びた。イギリスでコルトレーンは受け入れられなかった。かつてのストラヴィンスキーのように、芸術とは常に非難のなかから生まれる。


Eric Dolphy/So Many Things (acrobatmusic)
So Many Things: The European Tour 1961




Charles Mingus Septet/Take the A Train
ドルフィーの吹くバス・クラリネット・ソロ
https://www.youtube.com/watch?v=cimpUKVAbY8

John Coltrane Quintet/My Favorite Things
https://www.youtube.com/watch?v=zH3JpqhpkXg
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ハンガリーの星の消失 — ゾルタン・コチシュ [音楽]

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Zoltán Kocsis

最初に聴いたコチシュはなんだったろう、と考えてみる。記憶の範囲内では、たぶんバルトークのピアノ・コンチェルトだったのではないかと思う。CDを探してみた。それは西独フィリップス盤の《The Works for Piano & Orchestra》で、3曲のコンチェルトとピアノと〈管弦楽のためのラプソディ〉〈ピアノと管弦楽のためのスケルツォ〉それに〈弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽〉が収録されている。コチシュとフィッシャー、そしてブダペスト・フェスティヴァル・オーケストラ (BFO) で1984~87年の録音である。
まずどれか1枚だけ買って、でもセットのほうが安いので買い直したような記憶があるが違っているかもしれない。ピアノ・コン系の有名曲が揃っているので、まだバルトークを聴き始めた頃の私には、バルトークのピアノはとりあえずこれで間に合っていた。何度も聴いたためなのか単に保管が悪かったのか、今開けてみたら、なぜか盤の表面が汚れたように劣化していた。でも音には支障がないようなのでホッとする。

フィリップス盤は、クリーム色の地で、上に茶色っぽい帯が通っているパッケージ・デザインに統一されていて、タイトル部分が押しつけがましいDG盤よりさりげなくて洒落ていて好きだった。ゾルタン・コチシュ (Zoltán Kocsis) は1984年のとき32歳で、ジャケット写真もロックスターみたいでまだ若い。その前年、イヴァン・フィッシャー (Iván Fischer) とBFOを立ち上げたので、これはその直後の録音である。
今聴いてみても、コチシュ/フィッシャーのコンチェルトはさらっとしていて、メカニックで、カッコイイ。バルトークへのしつこい思い入れみたいな粘着質なものはあまり感じられない。
特に弦チェレは、バルトークの作品のなかで最もポピュラーな曲のひとつであるし、わかりやすいし、キャッチーな音をしている。ちょっとだけオリエンタル、ちょっとだけコケシッシュ、印象的なチェレスタ、たたみかけるスピード、サウンドトラックのような色彩と音の重なり。高踏的に見えて時に通俗なバルトーク。
フィリップス盤のバルトークにはアンタール・ドラティ/コンセルトヘボウの《Concert for Orchestra》などもあり、スタンダードとしてずっと持続してきたように思える。

その後の私がだんだんとバルトークに取り憑かれることになったそのひとつの要因としてこのコチシュのディスクはあると思う。弦楽四重奏も、私が最初にハマッたのは比較的民族色とか感傷的な思い入れとは無縁に思えるパレナンであった。メカニックな音の流れとして聴いてもバルトークは聴けるし、民族性とか幾つものしがらみとか、その国の波乱の歴史を意識した流れで聴いてもバルトークは屹立している。

ハンガリーのフンガロトン盤の演奏は、少しスタイリッシュでなかったり素朴であり過ぎることもあったが、そうした香りも含めてのバルトークであったのだと私は思う。深緑色のボックスのバルトーク全集でその作品のほとんどを聴く。
やがてフンガロトンはBartók New Seriesという新しい録音をスタートさせ、その演奏のメインとなったのがコチシュであった。

しかもコチシュはレパートリーが広くて、ラフマニノフに関しても強いシンパシィを持っていた。彼にとってラフマニノフの複雑な混沌さはそんなに難度の高いものではなかったことが窺い知れる。今見ることのできる動画で確認できるのは、西ヨーロッパと異なる、無骨で時代遅れに見えるけれど、音楽の真実を言い当てているような内装を持ったホールでのハンガリーの音としての輝きである。コチシュのラフマニノフに対する音もバルトークと同じで、官能とか感傷とは無縁の音素材としてのシンプルな構築性を感じる。だがそこにメカニックなアプローチだけを見るのだとするのならば、それはあまりに浅い。

やがてコチシュは次第にピアニストとしてだけでなくコンダクターとしての道を歩み始める。フンガロトンのBartók New Seriesに収められている演奏もそうした成果のひとつであったはずだ。ピアノ・コンチェルトだけでなく、ヴァイオリン・コンチェルトまで手の内にしようとするコチシュの探究心は底知れない。
そしてまたコチシュはドホナーニに対してもシンパシィを持っていたとのことである。エルンスト・ドホナーニはバルトークと同時代のハンガリーの作曲家であり、その作品はまだ明確に評価されているとは言い難い。指揮者のクリストフ・フォン・ドホナーニはエルンストの孫である。
ハンガリーでバルトークの次に重要視される作曲家というとリゲッティだが、ドホナーニももっと評価されてよいはずだ。

まだやるべきことは限りなく残っていたはずなのに、コチシュがそれを完遂することはできなかった。そのことが大変に残念である。だがコチシュの残した音は彼が不在となってもおそらくずっと残り続けるだろう。


Zoltán Kocsis/Bartók: The Works for Piano & Orchestra (Polygram)
Bartok: The Works for Piano & Orchestra




Zoltán Kocsis/Bartók: Works for Solo Piano (1) (Hungaroton)
Works for Solo Piano (1)




Zoltán Kocsis/Rachmaninov: Piano Concerto No.3
https://www.youtube.com/watch?v=OVmgIIKBnWE
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