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カーネーションの《Multimodal Sentiment》 [音楽]

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最近のTVで一番楽しみにしている番組は、この前までは《関ジャム》だったのだが、今は《ゴロウ・デラックス》にゾッコン。毎週、課題図書が1冊あって稲垣吾郎がそれについてゲストと語るのだが、その本の作者のこともあるし、そうじゃなかったりもあるしだけれど、これがとても面白い。もう随分続いている番組らしいのだが、迂闊にもずっと知らなかった。

課題図書といってもそんなに堅苦しい本ではなくて、たとえば8月11日の放送だと『オレンジページ』のミルクセーキの特集で、ゲストはタモリ組の能町みね子。そのせいか、ややタモリ倶楽部っぽい展開になってしまったのだけれど、あっちの店こっちの店のミルクセーキがおいしいという話のなかで、稲垣のドタバタしない個性がそこはかとなく出て来ていて心地よい。
前の放送を探してみると3月には魔夜峰央先生の回もあって、話題はもちろん『翔んで埼玉』だったのだが、動いている魔夜先生のお姿を久しぶりに拝見できて満足。先生の奥様もゴローちゃん目当てに一緒にスタジオに来られたとのことで笑いました。
魔夜峰央のギャグには独特のノリがあって、ダメな人はダメなのかもしれないが、でもドテ医者とか、最初に読んだときは魔夜峰央の創出語だと思っていたらそうじゃないのにもっとびっくり。

ところで、たとえば山崎まさよしの〈One more time, One more chance〉という曲を私はSotte Bosseのカヴァーで知ったのだけれど (そのことは→2015年10月31日ブログ参照)、必ずしもオリジナルからじゃなくて曲を知るということはよくあります。
山崎まさよしのこの曲の場合は、桜木町というたったひとつの固有名詞から限りなく連想が広がって、過去の記憶がプルースト的に甦るという、私にとっての奇跡みたいな曲だったのだが、そこまででなくてもこうしたヒットチューンはその時点での身の回りの何かの記憶と常に結びついているような気がしてならない。

それとは少し違う事例もあって、たとえばカーネーションというグループは私の記憶のなかでは〈夜の煙突〉のオリジナル・シンガーという認識しかなかった。つまりそれをカヴァーした森高千里を聴いたほうが先で、その単純な歌詞がいかにも森高らしくて、アルバム《非実力派宣言》のなかでダントツに素晴らしい。森高と直枝政広 (当時は直枝政太郎) はその歌詞構造の類似から引き合ったのだろうと想像していた。
カーネーションのアルバム自体も気にはなっていたのだけれど、つい後回しにしていたのに、ついこの前、新譜の《Multimodal Sentiment》のPVを見たとき 「これだ!」 と思って、すぐにHMVのボタンをクリック。繰り返し聴いている。

音はムーンライダーズやはっぴいえんどなどを連想するし、日本のXTCなどとも言われたりするようだが、PVの〈いつかここで会いましょう〉を観ているとその佇まいがなんとなく大瀧詠一ふうに思えてしまう。
ノスタルジックに見せて、でも実は似非ノスタルジックだと思わせたいところがやっぱりノスタルジックなモードなのだと私は感じる。インチキ電子音楽みたいなイメージを醸し出してくるところはフランク・ザッパ的な屈折した表現だともとれるけれど、でもそのちょっと古めのストレートなロックのビートが心にズンと響く。
つまり最新鋭らしくて、同時に古風なところが魔夜峰央にも通じる (強引ですが)。だって魔夜峰央の原点って細川智栄子 (旧・千栄子、知栄子) のような気がするし。ですよね?

でも実は〈いつかここで会いましょう〉の歌詞のなかの 「風を切る雲が走ってゆく土手できみを思う」 なんて、まるで三枝夕夏の曲のタイトルみたいで、それが私の記憶のセンチメンタルな深層を揺り動かす懐かしさにつながっているのかもしれない。幾つもの過去の記憶は堆積して地層のように縞模様を作っていて、それこそが知らずに年齢を重ねているという具体的な証拠なのだ。


CARNATION/Multimodal Sentiment (日本クラウン)
Multimodal Sentiment




カーネーション/いつかここで会いましょう
https://www.youtube.com/watch?v=mX1tcHNq8t0

森高千里/夜の煙突
https://www.youtube.com/watch?v=b9ZMzQ3-ERk
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ガル・コスタ&カエターノ・ヴェローゾ《Domingo》を聴く [音楽]

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Caetano Veloso e Gal Costa

ユニバーサルミュージックの 「ブラジル1000 Best Collection」 という廉価盤のアンコール・プレスのことはすでにトゥーカのアルバムのときに触れたが、再発盤50枚のなかで多くの枚数が出ているのはもちろんカエターノ・ヴェローゾである (トゥーカについては→2016年07月20日ブログを参照)。
とりあえずヴェローゾ初期のアルバム《Domingo》《Tropicália》《in London》の3枚を聴いてみた。

《Domingo》は1967年にリリースされたガル・コスタとのアルバムで、2人にとってのファースト・アルバムでもある。録音時、ヴェローゾは25歳、ガル・コスタは22歳であった。
ヴェローゾの音楽はいわゆるムジカ・ポプラール・ブラジレイラ (MPB: Música Popular Brasileira) に分類されるが、この1stは、ヴェローゾのジョアン・ジルベルトへのリスペクトであり、基本的にはボサノヴァだとされている。しかしそのボサノヴァ風味はごく弱くて、つまりいかにもなイパネマの娘的ボサノヴァではなくて、もっと柔らかで内省的な雰囲気に偏っている。
村上玲の解説によるのならば、これは 「最後のボサノヴァ、ボサノヴァの最期」 であって、「ボサノヴァの歴史に思いを馳せることもない」 という。だからイージーリスニングのつもりで聴けばよいとのことで、それは私のようなリスナーの心を楽にしてくれる。

またこのアルバムは、その多くの曲をヴェローゾが作っているとはいえ、歌唱はガル・コスタの比重が大きく、まさに双頭アルバムであるといってよい。しかし最初のアルバムがこの完成度というのは、そのなにげない曲想とはうらはらにすごいことなのに違いない。
冒頭曲が〈コラサォン・ヴァガブンド〉(Coração Vagabundo) のような、いきなりほの暗いイメージから始まるのは普通のデビューアルバムのやりかたではない。

《Tropicália》(1968) は3枚目のアルバムであり、トロピカリズモを具現化したアルバムであるといわれる。まさにMPBの端緒となったプロジェクトであり、そしてジルベルト・ジルを始めとするブラジルのミュージシャンの集合により作り上げられた音楽である。
そしてMPBはアメリカ&西ヨーロッパのロックに感化された音楽であり、政治的なマニフェストも併せ持つが、このアルバムについて微視的に見ればビートルズの《サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド》の影響があるといわれている。

だが聴いてみて、確かに新しい音楽へのアプローチは見られるし、その熱い意志があるのだとは思うが、ヴェローゾの個性がジルベルト・ジルに負けてしまっていること、それと私の好みでいえば冒頭のジルベルト・ジルの表現する明るく突き抜けた曲の世界に入り込んでいくことができない。その後の曲もサージェント・ペパーズ的なギミックがところどころに見られるが、今聴くと、そうした仕掛けのアイデアにはやはり時代を感じてしまうし、やや古びた印象を持ってしまうのはしかたがないと思える。

《in London (A Little More Blue)》(1971) は6枚目のアルバムであり、当時のブラジルから過激な表現者として追放されたヴェローゾがロンドンで作った作品である (正確なアルバムタイトルは Caetano Veloso なのだが、わかりにくいので in London または第1曲目のタイトル A Little More Blue で呼ばれる)。《Tropicália》のハイテンションが報われず、一種の失意のなかで、しかし挫けずに行こうとする方向性は見られるが、でも全体的な音楽完成度は、まぁ普通かなというふうに私は感じてしまう。それに1曲目の〈A Little More Blue〉という曲名は、ジョニ・ジェイムスのアルバム《Little Girl Blue》のタイトル曲であるリチャード・ロジャースのスタンダードをどうしても連想させる (ジョニ・ジェイムスについてはすでに書いた →2014年12月26日ブログ)。

逆にいうと1stアルバムである《Domingo》がいかに素晴らしく特異なアルバムであるかということがいえると思う。ただそれはボサノヴァに対するレクイエムだったのかもしれなくて、それにトロピカリア/MPB的音楽に見られる攻撃的姿勢とは無縁だ。しかしたとえば6曲目の、ギターだけで歌われる〈ネニュマ・ドール〉のような黄昏のただなかの音のなかに最も引きつけられる音が在るように感じられる。
それゆえに私はこの《Domingo》を、イージーリスニングな心安まる音楽のひとつとしてこれからも聴いてくのかもしれない。


Gal Costa&Caetano Veloso/Domingo (ユニバーサルミュージック)
(amazonでは品切れの表示だがまだ在庫多数のはず)
ドミンゴ




Gal Costa&Caetano Veloso/Coração Vagabundo
https://www.youtube.com/watch?v=2e_4PpwU2K4

João Gilberto&Caetano Veloso/Coração Vagabundo
https://www.youtube.com/watch?v=FlQREMHx1LY
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清水玲子『秘密 Perfect Profile』を読む [コミック]

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清水玲子の『秘密 Perfect Profile』を読んでいる。公開の映画に合わせた企画ものなのだが、seson 0の4巻と並んで平積みされていた。

中に清水玲子/萩尾望都対談がある。清水玲子は中学生のとき、最初に読んだ萩尾作品が『トーマの心臓』だったのだという。エーリクがケルンのお母さんに会いに行くときに、列車内で車掌と会話を交わすシーンがあって、乗り越しになっているから料金を支払いなさいとかいうのだが、そんなのはストーリーと直接関係はなくて、でもそれを丹念に描くというのがすごいという。
そこを読んでいたら、エーリクが授業中に年寄りの先生にリルケをバカにしたり、ベートーヴェンをバカにしたりして、先生がカンカンに怒るシーンを突然思い出してしまい、そうした関係のないシーンが印象的に残っているのはやはり作家の力なのだと思ってしまった。
萩尾はヘルマン・ヘッセからの影響があるというが、それは単純にドイツの風景描写だけではなくて、そのテーマにまでかかわっているように感じる。

清水が、身近な日常の出来事を描くようなものは苦手だったので、SF的な作品にシフトしていったというのは、萩尾が同じようにSF的な作品にシフトしていったことと似ている。
2人の話題は萩尾の『11人いる!』になるが、フロルという設定がル=グィンの『闇の左手』からの影響であること、性的に未分化で、ある時期にオスメスどちらになるかが決まるというのは爬虫類などではよくあることらしくて、それが人間のかたちをした生物にあったっていいかも、というのがル=グィンの発想であり、性が最初からどちらかに決定されているのでなくて 「ニュートラルな感じ」 であることが面白いと清水はいう。

清水は面白かった映画としてギレルモ・デル・トロの《バンズ・ラビリンス》を挙げ、萩尾はティム・バートンの《アリス・イン・ワンダーランド》を選ぶ。どちらもダークな部分が似ているという。

この対談のなかで一番面白かったのは、清水玲子のネームの描き方である。清水はネーム段階からきちんと人物の表情を描くのだそうで、そうでないと感情移入できないというのだ。萩尾は、ネームのときは顔など描かず単なる 「てるてる坊主」 なのだというが、でもネームはあくまでネームであり、心のなかですでに構想はできているのだそうで、それは作家による方法論の違いということだ。

その清水のネームの一部が収録されているのだが、これはすごい。表情を描くというどころか、コマ割りまでほぼ完全に決定されていて、顔の向きとか手の位置とかまで描いてしまうのだが、それがそのまま完成作品になってしまっている。ネームと仕上がりが並列されているが、ほとんど同じである。つまりネームを描いている時点で、ほぼ全体像は完了しているのだ。
このパーフェクトプロファイル、映画のプロモーション用のムックみたいではあるのだけれど、このネームを見るだけでも価値があると思う。
清水の描くデヴィシルっぽい表情と較べて生田斗真ってどうよ? って感じもするのだが、まあ実写は実写で別物なので、どなたかの映画評をお待ちしてます。

萩尾は、清水の部屋がきれいであることを褒めていたが、清水は部屋がきれいでないと作品ができないと答えていて、そのあたりもその人の性格が作品にあらわれているのかもしれないと思ってしまう。
ちなみに私の部屋はぐちゃぐちゃです (どうでもいいけど)。


清水玲子/秘密 パーフェクトプロファイル (白泉社)
秘密 パーフェクトプロファイル (花とゆめCOMICSスペシャル)




清水玲子/秘密 新装版 1巻 (白泉社)
新装版 秘密 THE TOP SECRET 1 (花とゆめCOMICS)




大友啓史×清水玲子が語る 「秘密」
http://natalie.mu/comic/pp/himitsu_movie04
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