So-net無料ブログ作成
検索選択
前の10件 | -

Passé — ミレーヌ・ファルメール・その2 [音楽]

20100424farmer.jpg

ミレーヌ・ファルメールの続き、というか動画の補遺である。

ファルメールはデビューから28年、比較的コンスタントに作品を出していて、現在もそのパワーは衰えていない。
だがコアとなる作品はその初期に出し尽くされていて、後はその変奏といえなくもない。最も重要なアルバムは2ndの《Ainsi soit je...》だろう。ここにファルメールの全てがあるとも言える。《Ainsi soit je...》はコンセプトアルバムとなっていて、その冒頭曲〈L’horloge〉はボードレールの詩を歌詞としたものである。

ファルメールは曲とともにヴィジュアルが必須なのだけれど、フランスは録画形式がPALであり、日本の再生機と合わないというのが日本で知名度の上がらない原因となっているかもしれない。

最近のコンサートではたとえばアルバム《Avant que l’ombre》を元にした同名のコンサートのベルシーでの2006年ライヴがある。ベルシーとは、パレ・オムニスポール・パリ・ベルシーという体育館であり、日本武道館と同じようにここがライヴ会場としても使われる。武道館というより代々木第一体育館的なイメージかもしれない。それらよりもやや広めで大体1万7千人くらいの収容能力のあるスペースである。であるので、ここを満員にできる歌手はごく限られる。

一昨日のブログにリンクしたPVは Désenchantée のオリジナルであったが、同曲のベルシーでのライヴ。
会場の中央がステージになっている。
Désenchantée は大ヒット曲なので、観客にはほとんど歌詞が入っているようだ。

01Désenchantée.jpg
http://www.youtube.com/watch?v=beCSgKBIQ_Q

そしてアルバムとしてのメインの曲でもあるラストソング Avant que l’ombre.
前に靄のように見えるのはウォーターカーテンで、水しぶきの中に Passé などの文字や絵が浮かび上がる。

02Avant que l’ombre.jpg
http://www.youtube.com/watch?v=knZ8nXutqSU

それからこれは2年前のフランス・ドゥー france 2 のTV番組のスタジオ・ライヴ。2010年4月24日とクレジットされている。
最初にライヴの様子の映像の紹介があり、その後、ピアノ伴奏による Ainsi soit je... となる。youtubeなのでよくわからないが、ナマ歌でなく、おそらくクチパクのような気がするけれど、でもその緻密な歌は健在である。

03Ainse soit je.jpg
http://www.youtube.com/watch?v=FyzYNvEdkwo



Mylène Farmer/Ainsi soit je... (Polydor)
Ainsi Soit Je




Mylène Farmer/Avant que l’ombre à Bercy (Polydor)
Avant Que L'Ombre a Bercy [DVD] [Import]




PALは一般のDVDプレーヤーでは視聴不可能です。PALの再生できるプレーヤーもあり。尚、パソコンでなら普通に再生できます。
nice!(4)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

失われた少年性 — ミレーヌ・ファルメール/Désenchantée [音楽]

farmer_desenchanteePV.jpg

かつて少女マンガ家が描いた世界のように、最近もまた 「少女のような少年」 がブームだったらしい。すでに過ぎてしまっている商業的ブームのように感じるので過去形で書いておく。そうしたトランスヴェスタイトなムーヴメントと美少年嗜好とは重なっているようでやや違う。
では逆に 「少年のような少女」 はどうなのだろうか。男性が女装することは倒錯的であり背徳であるとする世間的評価があるのならば、逆もまた真なりかというとそうではない。女性の男装は単に 「ファッション」 ということで済まされてきた。済まされてきたゆえに男性のファッションはどんどん女性のファッションとして取り込まれていくが、逆は成立しない。
それに女性の男装はファンタシィなのである。「ベルサイユのばら」 もそうだったし、NHKの大河ドラマ 「新選組!」 で吹石一恵が演じた八木源之丞の男装の娘も同様である。それは幻想の中でだけ成立しているトランスヴェスタイトなのだ。

ミレーヌ・ファルメール Mylène Farmer についてどこから書き出せばよいのかいつも迷うのであるが、私にとって最初のインパクトであるその少年性から語ろうと思う。

ファルメールは日本ではほとんど無名な歌手であるが、ごく一部でだけ知られていて熱狂的なファン (というよりコレクター?) がいるので、逆にいえばあまり白日の下に曝してはいけないのかもしれない。
ファルメールはそのデビュー時、暗く儚くデカダンで、そして無性的な雰囲気を持っていた。これもまた伝統的少女マンガの系譜にあるような 「女性っぽくなくてサエないカッコウをしていて、メガネをかけているけれど、メガネをとると実は超美人」 の類である。もっともファルメールはメガネはかけていないが。

私が彼女のフォロアーになったのはかなり遅くて、その時点からだんだんと遡っていって初期の動画を見た。私にファルメールを教えてくれた人にダビングしてもらったビデオなどでそのPVなどを知ったのであるが、お手軽なPVでなくほとんど映画のようなPVであることに驚いた。
彼女の少年性は、ごく初期のライヴ《En concert》における大柄なチェックのスーツ姿で歌われる Sans contrefaçon、そして Désenchantée のPVに見られる。
もちろんその少年性はわざと女性的なイメージを封印しようとする素振りを見せたファンタシィに過ぎなくて、フランスのポップス歌手の例に洩れなく、その後の彼女はごくセクシィな女性的ルックスで一貫している。
それは仕方のないことなのだが、あの、歌手としての無名性と同時に性的な無名性をも兼ね備えていた頃のパフォーマンスを懐かしく思うのも事実である。

Désenchantée のPVは政治的プロパガンダではなく、一種の美学のレアリゼに過ぎない。それは例えばヴィスコンティが《地獄に堕ちた勇者ども La Caduta degli dei》で描いた頽廃と同じだ。PVの唐突なラストシーンの荒涼感は希望でも絶望でもなく、アンゲロプロスの映画から感じとれるような虚無だと私は思う。

ファルメールは現在も大きな会場を一杯にする集客力を持っているが、そのセットの巨大さと日本での無名性のため、日本でコンサートが開かれることは絶対に不可能だろう。

《En concert》の最後は自曲でなく、フランシス・レイの作曲によるマリー・ラフォレの Je voudrais tant que tu comprennes のカヴァーだった。当時のコンサートは現在のファルメールのそれのような巨大セットではないが、むしろその初々しさと悲しみとシンプルさの中に、フランスの伝統的シャンソンの変奏を見るのである。


Mylène Farmer/En concert (Polydor)
En Concert




Mylène Farmer/Désenchantée
http://www.youtube.com/watch?v=XazOkXRTyR4

Sans contrefaçon (en concert 89)
http://www.youtube.com/watch?v=CPoxwRe-6gQ
Je voudrais tant que tu comprennes (en concert 89)
http://www.youtube.com/watch?v=5knWiHbUlMM
nice!(4)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

若きポゴレリチのショパン — ソナタ第2番 [音楽]

pogorelic_1980ChopinCompe.jpg

昨日の夕刊にポゴレリチのコンサート評が載っていて、「あぁ、また行き損なってしまった」 と一応は思うのだが、それは本当に残念なのか、それとも行かないで済んで出費が無くて助かったのか、微妙なところである。
イーヴォ・ポゴレリチ Ivo Pgorelić に対する毀誉褒貶、というか圧倒的な悪名高い評判は知っていて、今もネット上のブログを幾つか見てみると、数日前の彼のコンサートをボロボロに貶している評などもあるのだが、そういうのを読むとかえって是非聴いてみたいものだと思ってしまう私である。

ポゴレリチは、もちろんたくさんのCDが出ているけれど、やはり生音でないとその真実はわからないような気がする。これはポゴレリチに限らないが、CDなどの再生音で聴いてもそんなに実像と違わない人と、生音と再生音では明らかに異なる人とがいるように思う。
私は比較的初期のベートーヴェンの32番ソナタをはじめとして、CDでポゴレリチを何枚か聴いているのだが、これまで何となく漠然とした印象しか持ってこなかった。拒否反応もないかわりに、そんなにすごくてのめり込むというほどのピアニストでも無かったのである。というかそう言えるほどの数の録音さえ聴いていない。

ポゴレリチといえばショパン・コンクールの際、ポゴレリチを推す審査員と否定的な審査員とが争って、その時ポゴレリチを擁護して、結局審査員を下りてしまったマルタ・アルゲリッチの話で有名である。
それを考えていたらそのショパン・コンクールの際の録音を集めたセット物CDがあったことを思い出した。買ったままでまだ未開封だったのである。そこで30年前のポゴレリチを聴いてみた。

あらためて聴いてみると、確かにやっぱりこの当時から彼の演奏にはトリッキーな面があったかもしれない。それは標準的なピアニストでは聞こえてこない音が強調されて聞こえてきたり、あまりにも極端なテンポ設定など、口の悪い人に言わせれば 「ふざけてんのか?」 的な演奏だからである。
youtubeでもこの演奏の動画を幾つか見つけた (第1楽章と第4楽章)。ただ動画で見るとわかるのだけれど、とりあえず 「ふざけている」 ことはない (あたりまえだが)。むしろ彼なりの音楽への必然性が見えてくる。いわゆる正統的なショパン演奏からはかなり外れているかもしれないが、これはこれでアリ、と思わせる説得力は存在する。ただそれが好きな表現であるかどうかと問われると、すごくむずかしい。

このショパン・コンクールのソナタで最も私の興味を引くのは第4楽章で、まるで緻密な苔の絨毯でも見るような音の連なりで、音ひとつひとつがその粒立ちを喪い、リズム感を塗り込められたような緻密さであるため、従来のショパンというイメージから想起される第2番とは違った曲を聞かされているような気がする。たとえばホロビッツと較べてみてもその差は歴然である。というかホロビッツと比較する意味はもはやほとんどない。
この第4楽章は葬送行進曲に付随する、とってつけたような謎の終楽章であり、むしろこうした現代音楽的解釈のほうが正しいのではないか、というふうにもとれる。

chopin_sonata02_04finale.jpg

CDの最後に記録されているバラード2番 (これもyoutubeにある)。緩い箇所では止まりそうになるくらい流れないリズム。Prestoに入ってからの左手のパッセージの異常な強調。こうしたアプローチのため、曲全体の方向性が従来のショパン的カタストロフとは違う異様な印象を受ける。最後のAgitatoの、唐突で余韻をわざと持たせない終わりかた。ただバラードという曲種はワルツの儚さとかマズルカの民族性といった情緒的な嵐のような 「できあがった先入観」 をあまり持っていないので、従来のショパン的感動を得ようとさえしなければ——ポゴレリチは確信的にそう考えているはずで——こうした無機質とも思える構成もあり得る。
かつてショパンはロマンチックで情緒過剰なほどに飾り立てた演奏が主流だった時期もあり、しかしそうした過去の演奏を聴くと現代のリスナーの耳と感性にはすでに耐えられない部分も存在する。顰蹙をおそれずに言えばもはやホロビッツの演奏にさえ、そうした時代の風化を感じさせる部分はすでにあると思う。そしてこれはリスナーの耳の進歩であり、こうした流れこそが歴史なのだと思う。
といってこれはポゴレリチへの擁護ではない。コンサートの快い終わりかたとその後の美味しいワイン的な快楽をめざすのならばポゴレリチは適切なピアニストではない。ただ、そうした予定調和の 「美味しいワイン」 用演奏だけが音楽のすべてかと言われればそれは違うと私は思う。つまりハリウッド映画のキモチいいエンディングだけが映画のすべてではないのと同じだ。

もっともショパン・コンクールのポゴレリチは30年前の話であって、今のポゴレリチは異常なほど演奏時間のかかるパフォーマンスをしているようで (思わずパフォーマンスと形容してしまうほどに、その噂はネガティヴな意味で魅力的だ)、なんとか次の機会にはコンサートに接してみたいものである。私は他人の批評は究極的には信じないので頼るのは自分の耳だけである。そして実際に聴いてみたら、途中で寝てしまうのかもしれないが。


Great Chopin Performers (Capriccio)
グレート・ショパン・パフォーマンス ショパン・コンクールの覇者たち



Ivo Pgorelić/Chopin: Sonata No.2 mvt.1 (1980 Chopin competition)
http://www.youtube.com/watch?v=WL_I1z5OHe4
mvt.4
http://www.youtube.com/watch?v=EDU7lYJleb4

Ivo Pgorelić/Chopin: Ballade no.2 (1980 Chopin competition)
http://www.youtube.com/watch?v=wTpeMgEs0CU
nice!(4)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

ゲンズブールとの対話 — L’aquoiboniste [音楽]

gainsbourg_r.jpg

人間誰しも好き嫌いがあるもので、でも例えば 「あの人は嫌い」 とはっきり言える人は幸せだ。巡り巡ってそうした自分の発言がどこに伝わることがあるかを考えると、私はとても恐ろしくてそんな断定的なことを言えない。
ところがセルジュ・ゲンズブール Serge Gainsbourg について、あいつキライ! という人を私は何人も知っていて、万人に嫌われやすいタイプなのかもしれないなぁとあらためて思うのである。というより表面的にはスキャンダラスな伝説 (ロリコンでインセストでという部分では、もはや伝説だろう) があるからなのかもしれない。そういう点ではたとえばチャーリー・パーカーなどと同じで偶像的アイコンとなりつつある。

ゲンズブールにはすごくつまらない映画とか、すごく手抜きな曲とか、晩年のタバコの箱をずっとわしづかみにしつつの、あまり見た目の感心しないコンサートの様子とか、そうした減点対象の弱みが数々あるのは確かだ。でもそんなの些細なこと。と、あえて断定してしまう私がいる。肯定的な断定なら問題がないと思うので。

ゲンズブールは言葉なのだ、と私は思う。言葉遊びのような、語呂合わせのような、でもそれをいうのならルイス・キャロルだってジェイムズ・ジョイスだって言葉遊びなのだ。もちろん言葉遊びということがそのすべてではない。
そしてゲンズブールは私にとっては巨峰なので、以下はごく低次元の戯れ言を綴るだけに過ぎない。

以前、ゲンズブールの L’aqouiboniste をテーマ曲にしたTVドラマがあったのを覚えている。たしか田村正和の主演で、どんなストーリーだったかは忘れてしまった。というかあまりはっきりとした記憶がないので、ちゃんと見ていなかったのかもしれない。
L’aqouiboniste は邦題を 「無造作紳士」 と言って、à quoi bon という成句を単純に繋げただけの造語名詞だから仕方がないのだろうけど、もう少しまともなタイトルはないのだろうか。といってもすぐには思いつかないのだが。
ジェーン・バーキンの最も特徴の出たウィスパー・ヴォイスの歌で、ゲンズブールの有名曲のひとつだ。TVドラマの記憶はなくて、そのタイトルバックのイメージだけが記憶に残っている。

その歌詞は少しずつ違う歌詞部分とルフランが交互に配置されている。
[R]→[1]→[R]→[2]→[R]→[3]……というシンプルな構成である。


(refrain)
C’est un aquoiboniste
Un faiseur de plaisantristes
Qui dit toujours à quoi bon
A quoi bon

[1]
Un aquoiboniste
Un modeste guitariste
Qui n’est jamais dans le ton
A quoi bon

[2]
Un aquoiboniste
Un peu trop idéaliste
Qui répèt’ sur tous les tons
A quoi bon

[3]
Un aquoiboniste
Un drôl’ de je m’enfoutiste
Qui dit à tort à raison
A quoi bon

[4]
Un aquoiboniste
Qui s’fout de tout et persiste
A dire j’veux bien mais au fond
A quoi bon

[5]
Un aquoiboniste
Qu’a pas besoin d’oculiste
Pour voir la merde du monde
A quoi bon

[6]
Un aquoiboniste
Qui me dit le regard triste
Toi je t’aime, les autres ce sont
Tous des cons


ルフランではアクァボンという言葉と、アクァボニスト、プレザントリスト、という名詞形が繰り返される。ルフランと交互に出てくる1番から6番までの歌詞も、1行目と4行目はアクァボニスト、アクァボンの繰り返しで、つまり2行目と3行目だけのまるでミニマル・ミュージックのような微妙な差異の勝負である。

2行目はすべて 「〜iste」 で終わっていて韻を踏んでいるのだが、1〜5番まではギタリスト、イデアリストといった人間の職業形態の名詞にしておいて、最後で regard triste という言葉で韻を踏むという構造で、というより最後に regard triste に持って行くためにその前の職業名詞があるのだと思う。
同様に [1] の3行目の dans le ton、[2] の3行目の tous les tons も、[6] の最終行の tous des cons への布石である。

ルフランの3行目にトゥージュール toujours が出てくるが、この 「j」 の音は [1] 〜 [6] の歌詞でも3行目にしか出てこなくて ([1] jamais, [4] j’veux, [6] je)、唯一、[3] のみ2行目に je があるのが惜しい。
同様に 「p」 から始まる単語は、ルフランの2行目にある plaisantristes に呼応して、[2]のピデアリスト p-idéaliste (リエゾンにより出てくるp音)も [4] の persiste も2行目で韻を踏む (p〜iste)。[2] の peu や、[5] の pas も2行目にある。pour のみ3行目で使われているが、さすがにここまで揃えるのは無理だろう。

他にも、[2] の3行目が répèt でそれが [3] の3行目では同じ [r] から始まる語 raison、そして [3] のレゾン raison と [4] の3行目のメゾフォン mais au fond の語感は似ている。その次の [5] では [m] つながりで merde du monde と変わってゆく。

ずっとミニマル風に言葉をモザイクのようにつなぎ合わせてきて、最後の [6] だけ微妙に感触が違う。やや歌詞が際だつ感じ。triste, toi, t’aime, autre, tous と 「t」 音が比較的多いからだと思われる。最後だけは à quoi bon ではなく tous des cons だ。
こうして tous les tons は tous des cons に様変わりする。
ゲンズブールの歌詞はすべてこうした技巧的流れがあって、その最も有名なのが 「夢見るシャンソン人形 Poupée de cire, poupée de son」 である。この曲についてはwikiなどにある程度の詳しい解説が載っている。

ただ問題は技巧ではなくて、聴いた感じの音の連鎖が美しいだけでなく、ゲンズブールの言葉はそこはかとなく悲しい。当時のチープな伴奏がかえってその曲と詞を際だたせる。これにハマると、エロエロロリコンオヤジでも許せるのである。
デビュー作というものはその人を最も的確にあらわすが、ゲンズブールの場合もそれは同じで、リラの門の切符切り Le Poinçonneur des Lilas のはかなさと心許なさに、その原点があるような気がする。


Jane Birkin/L’aquoiboniste
http://www.youtube.com/watch?v=4yo9Y0WRUqc


the best of Jane Birkin (Universal)
ベスト

nice!(5)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

若きキーシンのショパン — ワルツ e-moll [音楽]

KissinfromVd_r.jpg

NHKの 「ららら♪クラシック」 という番組はどうなのだろう?
私はまともに全部を見る時間が無いのだが、時々ちらっと見てみると、いろいろな話題が幕の内弁当のように少しずつ出てくるところが、何となく同局の語学講座と同じ作り方のような気がしてならない。その語学講座を見ていて感じることだが、あの番組構成でその語学が習得できたらその人は相当優秀な頭脳なのだろうと思う。

たとえば深夜にCDTVというヒットチャート番組があるが、あれはもう音楽番組ではなくて単なるプロモーションとかカタログ番組に近い。聞くところによると、曲が長過ぎると飽きられてしまうのだという。だから、もうそれらは曲の体裁をしていなくてほとんど断片に近い。ポップスにしてそうなのだから、クラシックなんて冗長過ぎて全楽章をオンエアするのは無理ということなのだろうか。語学講座も音楽番組もすべてが同じ味付けのヴァラエティ番組みたいな均質感を目指しているのだとしたら悲しいことである。

でも、それはそれとして、「ららら♪クラシック」 では脈絡もなく色々なシーンが出てくるので、ちらっと見ているのにはいいのかもしれない。ひょっとしてそういう需要を狙っているようにも思える。

先日の放送では、若い頃のキーシン Evgeny Kissin の演奏を見ることができた。1986年の人見記念講堂でのライヴでショパンのe-mollのワルツ。まだ少年っぽさの残る細い身体と、上着も着ずに白いシャツだけの上半身に、思わず迫り来るヤオイの影を想像してしまった。
まぁそんな視覚はともかく、このショパンは素晴らしい。司会の石田衣良は 「自分の考え方でこういうふうに弾いていたんでしょうかねぇ?」 みたいなことを言っていたが、その素朴さに笑ってしまった。もしかするとわざと狙って言ったのかもしれない (というより台本なのかも)。としたら引っかかった私がバカなのである。

YouTubeを探していたら同じ映像がちゃんとupされていた [aの後半、3:50あたりから]。そして同じ曲の2010年の動画 [b] もあって、もちろん弾き方は洗練されているが基本は同じである。むしろ1986年の、あまり何も考えていない (ように見える) 演奏のほうがいいかもしれない。

ショパンは不思議な作曲家である。その曲は、語弊があるかもしれないが、極端に言えばどのように弾いてもいいが、弾いただけその人自身が出てしまう。一種の鏡だ。時によってそれはナルシスの鏡。

たとえばワルツの規範としてリパッティ Dinu Lipatti の演奏 [c] がある。今の耳で聴くと蒸留水に近くて味が無いかもしれない。でもそれゆえに色褪せないのかもしれなかった。
一方でたとえばルイサダ Jean-Marc Luisada の演奏がある [d]。ここまでやるか?と思ってしまうのだけれど、これはこれですごくルイサダである。

ただ番組でも言っていたけれど、ショパンは意外に男らしくて泥くさい面がある。あまり見た目の技巧を凝らさないほうが作曲家の本質が見えるような気もする。


[a] Evgeny Kissin
昭和女子大学人見記念講堂 1986.10.15
http://www.youtube.com/watch?v=Q1dLLuPq_OE

[b] Evgeny Kissin
ワルシャワ・フィルハーモニーホール 2010.02.27
http://www.youtube.com/watch?v=X4omKHunwkk

[c] Dinu LIpatti
http://www.youtube.com/watch?v=ZC7Kxh8FAsM

[d] Jean-Marc Luisada
http://www.youtube.com/watch?v=sh7B-O-nPYo
nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

肯定と否定 [雑記]

steinway_r.jpg

筑摩書房の宣伝誌に『ちくま』というのがあって、その今月号に載っている刈谷政則 「本好きの友への手紙」 というのを読んだ。それは丸谷才一の書評を集めた文庫本について書いてある文章で、それによれば丸谷は 「ぼくは、うんと気に入った本に出合った時は、読者を本屋さんに走らせなければいけないという覚悟で書評を書いています」 と発言していたとのことである。
よくあるパブリシティ的記事なのかもしれないし、私はその丸谷才一の本を読んでいないのではっきりしたことが言えないのだが、とても良い 「覚悟」 だし、そういう書評ならいいなと思うのである。

つい先日、書店で高名なロック雑誌系の某音楽評論家のレコード評 (CD評) を集めた増刊号のような雑誌が平積みされていたので、中身をぱらぱらと眺めてみたのである。この人の名前は知っているが意識して読んだことはまだなかったので、勉強のために買ってみようかと思ったからだ。
ところがその幾つかの評を読んでみたのだが、どれもこれも否定的な内容ばかり。私が読んだ個所がたまたまそうだっただけなのかもしれないが、これはちょっと無いんじゃないの? と感じて、購入するのはやめてしまった。

何だあれか! とカンのいい人ならすぐにわかる有名評論家のアンソロジーである。ワールドミュージックなどにも造詣が深くて、そういう点でも内容に興味があったのだけれど、そういう文章を見てみたらがっかりしてしまったことは確かである。
かつて淀川長治という映画評論家がいて、あの人はやたらに映画を褒めるだけという批判もあったそうだが、淀川長治本人はとても映画が好きで好きでたまらないので、つまらない映画でもどこか良いところを探して褒める、それも無いような映画だったら最初から取り上げない、と言っていたとのこと。
無理して褒めろとは言わないが、あれもダメこれもダメというのだったら、そんなジャンルの音楽をなぜ聴いているのだろうか? という素朴な疑問がどうしても起こってしまう。評論家なのだから仕方がないという言葉で片付く問題なのだろうか。また、それが 「芸風」 だったのだと言われればそれまでだが、いつも否定的なことを言っているとそれは顔に出るし、そういう顔は見ていてあまり気持ちのいいものではないし、本人だって面白くないのではないかと想像するのである。それに私は舞台に立つ職業でもない人に 「芸風」 なる言葉を使うセンスがあまり好きではない。

楽天的で全て絶賛のタイコ持ち的御用批評というのも困るけれど、基本的にはそれがいいと思う予感をもって私たちは本を読むのであり音楽CDを聴くのである。少なくとも私はそうである。
とりあえず 「いい」 と思う比率が 「わるい」 と思う比率より高いものを選択基準にしているはずだ。もしそれで失敗してしまったら途中で読んだり聴いたりするのをやめてしまえばいいのだろうし、それについてわざわざ語ることもないから忘れてしまおうとするのではないだろうか。

恨みとか悪意があるわけではないのだろうけれど、そう思われてしまってもしかたがないほどに彼の文章には棘があった。そういうのが面白いと感じる人もいるのだろうが、私は棘だらけの果実は避けて通りたいほうである。
よいと思った音楽や本をこっそりと自分のものだけにして独占しておきたい、と思うことだってあるけれど、やはり誰かに聴いてもらって共感を得たいということのほうが優先するし自然だと思う。これはすごくダメという否定的な批評は、たとえばすごく不味いレストランの批評などだったらありがたい情報だと思うけれど。

うまく言葉を飾る評論よりも、真実をありのまま直截に言ってしまったほうがいいのだ、という擁護もあるのかもしれない。でも問題は言い方だと思うのだ。わざと相手を不快にさせるような表現は自分自身にはね返ってきて自分も不快になると思うのである。

人間というものはいつも何かしら不満を持っているもので、それが完全に解消されることはないし、解消されると不思議なことに新たな不満とか不安が必ず起こってくる。
つい否定的なことを言ってしまうことは私にもあるので、他人のことをとやかく言うことはできないのかもしれない。でもある程度、世の中に広まる雑誌等に書く場合は、たとえその対象物が箸にも棒にもかからないものだとしても、あまり自分の感情をむき出しにしてしまうのはよくないような気がする。これは自分で文章を書く場合でも心しなければいけないことだと思うので。
いかにしてすんなりと自分の言いたいことを文章の中に織り込むか、というのはそういうことから考えるとかなりむずかしいことなのかもしれない。

天才的なひらめきのある人なら何を書いてもいいのかもしれない。でもそういう人は自分自身の創作を考え、批評なんかしないような気がする。批評とはオーディナリー・ピープルの代弁者なのだ。だからそこで、ひらめきがあると自認している人は、つい 「うさ」 を晴らしてしまうのかもしれないが、でも 「うさ晴らし」 した分だけクォリティは落ちると思うのである。
nice!(4)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

魔都から不夜城までの間 — 海野弘/久生十蘭―『魔都』『十字街』解読 [本]

佐伯祐三_r.jpg

04月24日のブログの後半からの続きです。

久生十蘭という作家はカテゴリーからすると大衆文学なのだが、『魔都』『十字街』といった小説には表面的なストーリーの下に現実の事件の暗喩が重なった重層的構造となっていて、それは 「政治的陰謀小説」 であり、当時の時代性からすれば奇跡の小説なのだ (=検閲に引っかかってもおかしくない)、とするのが海野弘の結論である。
十蘭のとった小説の構造があまりに複雑なので検閲ばかりか誰にもわからなかった、ということなのであるが、海野の考証は多方面に及び、次々に昔の著名人が出てくるし、よくこれだけ調べたと感嘆するばかりで、これは前ブログにも書いたことだが、その中にウソが挟まっていてもわからないし、それに欺されるのも手品と同じでまた一興と思えるほどで、ミステリーを読む感覚で楽しめる内容であった。
そしてこの本の主人公は函館、東京、パリという都市そのものであり、一種の都市論でもあるのかもしれない。

ただ海野の追及は、それぞれの小説の実在のモデルにこだわり過ぎているきらいがある。名前の付け方から誰々をモデルにしている、と類推することは通俗的楽しみなのかもしれないが、全てにモデルが存在するとする考え方はどこかに無理が生じる。なぜならそれはドキュメンタリーではなく 「小説」 だからだ。実話風の小説であっても、事実と事実の間にこっそりと虚構をすべり込ませるのこそ小説であり、全てが本当ではなく全てにモデルが存在するわけはないからである。それをわざとゲームのような感覚で追及しているのだという趣旨なのならば仕方がないのだけれど。

海野自身、あとがきに書いているように 「評伝でも作品論でもなくなってしまい、自分でもこれがなんなのかわからない」 というように、この本は十蘭からインスパイアされて展開された興味の断片の集成とも言える。だから前ブログに書いたように、それはところどころまるでゴシップ雑誌の記事のようでもあって、そういう読み方で読むことで正解なのだろう。
政治的陰謀も確かに興味深いのかもしれないが、ただそれは十蘭の周辺を飛び回るだけで、十蘭の小説の本質を読み解くこととはやや異なるような気もする。つまり散りばめられたビジューはラインストーンのようであって、惜しげがなく輝きも多面的であるが、うたかたの燦めきでしかないのかもしれない。
私がこの本から掠めとったのはそうしたラインストーンの幾つかの小片であった。

まず十蘭の文学的出発点は新聞記者であったと同時に演劇でもあったこと。そして演劇というのはその当時においては多分に政治的意味あいを持っていた。新劇は小山内薫の自由劇場→築地小劇場がその創生期だが、それに続く世代である岸田國士の文学座にも十蘭は参加していたという。
岸田國士/久生十蘭という師弟関係は、以前のブログ 「記号としての乱歩」 での紀田順一郎の言葉で引用されていたように 「大衆作家は時世に協力するものと位置づけられていた」 ということの証左でもあって、時代の流れとはいえ乱歩と同様、十蘭もまた戦争に協力的立場をとったのであろう (岸田國士は戦時中、大政翼賛会文化部長であった)。ただ、だからといって十蘭の本心は誰にもわからないが。

海野による『魔都』のモデル探しのエピソードの中で、川畑文子について書いてあるのが興味をそそった (p.159)。川畑文子というのは1930年代のアメリカのダンサー・歌手であり、1933年末の日劇の開場の際のレビューに主演した人である。その独特な歌唱法を真似たのがオンシアター自由劇場の 「上海バンスキング」 における吉田日出子であって、川畑文子の録音も最近CDで復刻されたようである。
私は 「上海バンスキング」 の公演DVDを手にいれたばかりで、関連することはどんどんつながるときがあると思うばかりである。

また十蘭は文学座設立より以前の1929〜32年にパリに行き演劇などを学んでいるがそのときロマンスがあり、その相手とは佐伯祐三の妹・杉邨ていであったという (p.237)。当時のパリの日本画壇では藤田嗣治がその筆頭であったが、佐伯はそうしたいわゆる 「オカネモチ系」 の画家集団とは隔絶したポジションにいたという。
十蘭がパリに行ったとき、すでに佐伯祐三は亡くなっていたが、その後、十蘭とていとのロマンスも実らず、ていもやがて亡くなってしまう。このあたりの詳細は不明らしいが佐伯兄妹の命のはかなさを感じてしまう話だ。

その昔、十蘭が 「魔都」 と呼んだ街は馳星周が 「不夜城」 と名付けたのと同じ街である。そして 「不夜城」 はまるで中国租界の話のようだ。とはいっても本家魔都である、かつての上海の日本租界のように下水のにおいがするわけではないけれど。
「上海バンスキング」 の時代はスイング・ジャズがビ・バップに置き換わろうとしている頃であった。生まれるべきものがあれば死すべきものがある。都市にはそれぞれの表情があって、東京は多彩な幾つもの顔を持っている。十蘭の描いた街と乱歩の描いた街は微妙に違うし、その休息の無い夜はきっと千の眼を持っているのに違いない。


海野弘/久生十蘭―『魔都』『十字街』解読 (右文書院)
 この本も残念ながら誤植がやや多い。それだけでなく後半、内容的に文
 章が重複している個所が散見される。そうした文章上の問題について整
 合性をとるのが編集者の仕事だと思われる。
久生十蘭―『魔都』『十字街』解読




『定本久生十蘭全集 1』(国書刊行会)
定本久生十蘭全集 1

nice!(4)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

Then, silence. — ポリーニのショパン/バラード [音楽]

Pollini.jpg

ふと、夜のしじまに、思いついたようにポリーニのバラードを聴いてみた。
ちょっと唖然とでもいえばいいのか、あぁなるほど、これがポリーニか、と思ってみる。

マウリツィオ・ポリーニ Maurizio Pollini は昔、私にとって神だった。初期のポリーニの演奏で、まず話題にされるのはショパンのエチュードであろう。完璧ともいえるフレージング、そのスピード。今は演奏家の全体のテクニックが上がっているからポリーニくらいに弾ける人も多くなっているだろうが、当時そのテクニックは超絶的といってもよかったかもしれない。逆にその機械のような正確さに音楽性を認めないという評もあったと思われる。
もっともそれは昔も今も常にある安直な評価のしかたである。テクニックのある人には音楽性が無いといい、テクニックの無い人には指が回らないという、いわば 「ないものねだり」 だ。私の知り合いにもそういうシロウト評論家はいたが、そうしたその場限りの無責任で幼稚な言い方には、だから私は与しない。

私がポリーニで名盤と思うのは、やはり現代曲か近代の曲で、シェーンベルクとブーレーズはよかったと思う。TVで、セミナーの会場のような場所で、何かの現代曲を手袋をした手で説明しながら弾いていた (というよりゲンコツ撃ちとヒジ撃ち) のも覚えている。
私がナマでポリーニを聴いたのは比較的初期の頃で、たしかシューマンだったと思うが、調律に時間がかかって開演が遅れたことだけが記憶にあり、演奏そのものについては圧倒的だとは思ったが、お恥ずかしい話だがあまりはっきりと覚えていない。つまり私はまだ精神的に子どもの域だったので、というよりシューマンがまだよくわかっていなかったのかもしれない。

しかしそんなに継続して聴いていたポリーニだったのに、いつからか熱心に聴かなくなってしまった。その熱の醒めてしまった様子は、いつからか村上春樹の新刊を読まなくなってしまったのに似ている。
ポリーニのバラードを最初に聴いたのは、もうあまり熱心にポリーニを聴かなくなってしまった時期で、だから、まあこんなものか、という印象で繰り返し聴くこともほとんどなかった。

バラードを聴くとき私がスタンダードにしているのは今のところクリスティアン・ツィマーマンである。さらに他の人の演奏との比較を入れるとややこしくなるので、ここではポリーニとツィマーマンとを比較してみる。
ポリーニとツィマーマンのバラードはどちらも全曲盤で、しかもどちらにもf-mollのファンタジー (「雪の降る町を〜♪」 である) が入っていて較べやすい。
ツィマーマンは正統派であって落ち着いて聴けるし、そのルバートも心地よい。それに対してポリーニはピアニシモが大雑把に感じるし、何よりルバートしない。いや、しているのだけれどそれを感じさせない。感じさせない原因は何よりもそのせかせかした刹那的なスピードだ。ポリーニにとってショパンとは限りなく速く駆け抜ける曲なのかもしれない。
でも音色だけが妙にかけ離れて美しい。ツィマーマンの音は普通のピアノの音だが、ポリーニのピアノはピアノじゃない音がする。

それでいて、ではどんどん弾き飛ばしているのかというとそうでもなくて、たとえば第2番の、前奏が終わり、速くなってからの部分 (Presto co fuoco) での、音が幾つかのかたまりになって、それぞれに投げ出されているさまはなんだろう。音は連続して流れていかず、それぞれが幾つかの断片というか、毬藻のように固まってうち捨てられていく。そのひとつひとつが妙にリアルだ。最後までそれは続く。
ポリーニは曲の終わりの大団円 (Agitato) でも予定調和的に盛り上がらず、ひたすら永久機関のように走っていってしまう。ときとしてショパンに求められるような帰結点での 「見得」 が無いのだ。それが彼の美学なのかもしれない、と突然気がついた。そしてこうしたショパン解釈の美学も当然ありうる。
逆に 「雪の降る町を〜♪」 ではその疾走感を内包したリズムがあって、ツィマーマンより快いと私は感じる。

ショパンのように、何人もの演奏家の弾いている有名曲だと、リスナーにとっては自分自身の理想の音としてのショパンがあり、それに近い人が上手いと感じるだけなのではないか、とも思う。だとすればそれはリスナーが自分に対してイエスマンな人を上手いと感じているだけなので、そうした評価は正当な演奏批評ではないとも思えてしまう。つまり先に述べた 「ないものねだりシロウト評論家」 と五十歩百歩ということだ。でも、では正当な批評とは何に基づくべきものなのだろうか。

ふりかえってみれば、ポリーニのショパンのエチュードだって実はそんなに正統派ではないのだ。このへんまでならアヴァンギャルドにならない、という境界線上で最初からポリーニは弾いていて、それが見事に成功して、だから大衆の喝采を勝ち得たと言えるのだろう。メカニック過ぎると否定したリスナーの中にはその仕掛けを見通していた人だっているのかもしれない。
だから彼のアヴァンギャルド風味がちょっと強くなるとこのバラードのようになってしまう。というか、だんだんとポリーニはそうした弾き方をするようになっていった。それはよく世評でいわれるように、雑に、下手になっていったというのとは少し違うのかもしれない、とあらためて思ってみる。こうしたアプローチを聴いているうちに突然、全く違う傾向の、ある奇矯なピアニストの名前を私は思い出す。

さよう、ポリーニは、たしかに、グールドだったのだ。


Maurizio Pollini/Chopin: 4 Ballades
ショパン: 4つのバラード/前奏曲第25番/幻想曲作品49




ショパン:4つのバラード




Maurizio Pollini/Chopin: Études op.10 & op.25
ショパン:12の練習曲 作品10/作品25




Krystian Zimerman/Chopin: 4 Balladen
ショパン:4つのバラード、幻想曲、舟歌



注)
最終行の 「さよう、ポリーニは、たしかに、グールドだったのだ。」 は、ルイス・キャロルの 「スナーク狩り」 の最終行、「さよう、スナークは、たしかに、ブージャムだったのだ。For the Snark was a Boojum, you see.」 (沢崎順之助訳) のパロディです。
nice!(6)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

通俗と高踏 — ナム・ジュン・パイク、そして海野弘の久生十蘭探求を読みながら [雑記]

byebye_NJP.jpg

ちょっとした雑談のような覚え書きです。

04月20日のブログ 「アイソレイテッド・ポーン — ジョン・ラフリー『別名S・S・ヴァン・ダイン』その2」 に書いたシンクロミズムのコンセプト —— 美術作品は色彩が全てであり、絵の具だけに頼らない手法、たとえば 「光」 による表現もあるのではないか、という模索 —— から私が連想したのはナム・ジュン・パイクのビデオ等による作品であった。
随分以前、NHK教育TV (当時) でナム・ジュン・パイク (Nam June Paik, 白南準 1932〜2006) が出演し自作を語った番組があって、あまり記憶が定かではないのだが、まだその頃は痩せていてすごく軽いノリで自作品について解説していて、あぁそういうやりかたもあるんだ、と思ったのを覚えている (もっとも後年になって、やや太ってしまってからは、若い頃と印象が違ってすごく落ち着いていて、同一人とは思えなかった)。もしスタントン・マクドナルド=ライトがパイクのインスタレーションを見たらどのような感想を持っただろうか。ウィラードもスタントンも、その頃発展途上であった映画から感じられる 「光」 を使った魅惑的表現ということだけではなくて、もっと純粋に光源等を使った方法はないかと模索していたようだからである。
ナム・ジュン・パイクは京城で生まれ香港で育ち、日本やドイツにも住んで、国籍はアメリカというグローバルな人であるが、坂本龍一の《音楽図鑑》にA Tribute to N.J.P.という洒落た小曲があって、これはナム・ジュン・パイクに捧げられたものである。曲としてはきれい過ぎるけれど、パイクの美学の本質はこうなのかもしれないと漠然と思う。

パイクはカールハインツ・シュトックハウゼン、そしてジョン・ケージの影響を受けているといわれるが、ケージというのはまだ私にとって未知な、というか不明な部分の多い作曲家である。水戸芸術館でローリーホーリーオーバーサーカスという展覧会があった時、お弁当を持って水戸まで各駅停車に乗って出かけたが、でもはっきりいってその時はその展示のコンセプト自体がよくわからなかった。あれから時を経て自分の理解力が少しは進んだのかどうか心許ない。銀色の金属の箱に入ったパンフレットがどこかにあるはずだけれど宝の持ち腐れである。

ケージは高踏的であるのかもしれないが同時に通俗であるのかもしれなくて、その兼ね合いというか許容範囲がどこまでなのかを摑みかねて戸惑うのである。
ブログを探索していると、すでに2007年にパイクとPerfumeを並列して論じている記事があったりするが、浜崎あゆみの最初のシングル、poker faceのPVだってパイクを意識したものだったかもしれなくて、つまり通俗とは最も時代に即応しているが劣化しやすいものである。パイクは、より俗化した消費されるべき芸術を目指したのだろうか。

十蘭_パリ1930.JPG

ここのところ、私の興味は1920〜30年代のことに集中してしまっている。それは意識して選び取ったのではなくて、結果としてそのへんに面白いと思えるものが多く存在するからなのである。
今、海野弘の『久生十蘭 —— 「魔都」 「十字街」 解読』という本を読んでいるのだが、何となく推理小説を読んでいるようで面白い。ところどころ、空振りの部分もあるけれど、まるで興味本位な部分を刺激される駅売りのゴシップ雑誌のようだったりする (これはホメ言葉である)。もしかすると真実と見える中に海野のウソや創作が混入しているのかもしれなくて、でもそれで欺されてもいいと思ってしまう。
久生十蘭 (1902〜1957) は多種の異なる傾向の作風を持つ作家で、その十蘭について書くことはすごくむずかしくて、単なるファンとして読んでいるだけでいたほうがお気楽で無難だ。現在、全集が刊行中なので、これが完結したら何か書いてみたいとは思っているのだが難易度が高くて無理かもしれない。

松岡正剛が 「千夜千冊」 で十蘭について書いているのを見つけたのだが (→第1006夜)、それによると十蘭は

 自分が生きている同時代の昭和の帝都を描きながら、それが必ずや 「遠
 い昭和」 になるだろうことを察知していたということ

であり、さらに

 十蘭も [江戸川] 乱歩も、もともと昭和が 「遠い昭和」 になることを承知
 して、そこに身の毛もよだつ犯罪事件と帝都光景をモザイクしておいた

とのことだが至言である。

海野弘は、この時代の建築や演劇は、今のそれらとは重要度が違うと書いている。彼の 「モダン建築」 とか 「モダン都市」 という表現に出会って最初は違和感を受けたのだが、モダニズムから派生したそういう表現があるのだと知ってそれだけでも勉強になった。演劇に関しても当時はその影響力が政治的一面を持っていて、芸術至上主義だけでは解決できない部分があるようだ。

久生十蘭_魔都表紙_r.jpg

「魔都」 が、海野の妄想するように政治的陰謀小説であるかどうかはさておき、十蘭の文体が当時のいかにも通俗的な技巧に満ちていることは確かである。江戸川乱歩などよりずっと当時の世相と大衆的欲求に即応していて、その分、風化しやすい文体であることも含めて、それこそが松岡のいうような 「遠い昭和」 というものなのだろう。むしろこうしたスタイルは、たとえば樋口一葉の擬古文と同じようにその時代へのノスタルジアをかきたてる鍵になっているのかもしれない。
中井英夫の『虚無への供物』も十蘭の描く帝都と同様に、推理小説的構造は見せかけであり地理的偏愛に満ちていて、それは東京という迷路としての街へのフェティシズムなのかもしれないと思う。その登場人物である奈々村久生というネーミングは、中井の久生十蘭へのオマージュである。


画像:(下記サイトからお借りしました)

ナム・ジュン・パイク 「さよならナム・ジュン・パイク展」
http://www.watarium.co.jp/exhibition/0606_paik.html

久生十蘭 (パリ・1930) 「久生十蘭オフィシャルサイト準備委員会」
http://blog.livedoor.jp/hisaojuran/

久生十蘭『魔都』表紙



海野弘/久生十蘭―『魔都』『十字街』解読 (右文書院)
久生十蘭―『魔都』『十字街』解読




『久生十蘭短編選』(岩波文庫)
久生十蘭短篇選 (岩波文庫)




『久生十蘭ジュラネスク』(河出文庫)
久生十蘭ジュラネスク---珠玉傑作集 (河出文庫)




『定本久生十蘭全集 1』(国書刊行会)
定本久生十蘭全集 1

nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

アイソレイテッド・ポーン — ジョン・ラフリー『別名S・S・ヴァン・ダイン』その2 [本]

TheCanary MurderCase_Louise Brooks.jpg

04月03日のブログ、色褪せたチェックメイト — ジョン・ラフリー『別名S・S・ヴァン・ダイン』の続きです。

この評伝の全体の論調はこうである。
ウィラード・ハンティントン・ライト Willard Huntington Wright (=ヴァン・ダインの本名) は The Smart Set (当時のアメリカの文芸誌) での書評を初めとして、文芸評論や美術評論などの評論家・文学者としての活動が自分の生きていく道だと定めていた。ウィラードの弟、スタントンは画家であり、シンクロミズム Synchromism というアート・ムーヴメントを作り美術で成功しようとしていた。ウィラードは美術評論においてその弟のかかわる運動を擁護した (シンクロミズムはアメリカで最初の抽象絵画ということで近年再評価されているようである)。
しかし時代はシンクロミズムに対しても、ライト兄弟のアヴァンギャルドな主張に対しても冷淡であった。

ウィラードは金を得るために志を曲げて、勃興期の映画に脚本等でかかわろうとする。さらに通俗文学の世界に入って行き、推理小説を書いた。これがウィラードの筆名 S・S・ヴァン・ダインによるファイロ・ヴァンスのシリーズである。
当時、推理小説といえばイギリス人の著作がそのジャンルで優勢だった頃、ヴァン・ダインの作品は熱狂的な支持を得て、ウィラードは非常に多くの富を得た。一種のアメリカンドリームの体現とも言えるかもしれない。しかしウィラードは、娘・ベヴァリーの証言によれば、ヴァン・ダインで得た収入を湯水のように使う。まるで汚れた金であるかのように。
それは自分だけ通俗的成功を得たことに対する弟・スタントンへの負い目もあっただろうし、死期を察知していたこともあるのかもしれない。
それだけでなくウィラードは、自分の過去を捏造した。会ったこともない有名人に会ったという作り話である。つまり自分の歴史を改竄したのである。そうして捏造しているうちに、

 当時の彼を知らない人には、どの話が本物でどれが作り物かわからなか
 ったが、やがてウィラード自身、実際にピカソやストラヴィンスキー、
 スタイン、ビアスらに会ったと思いこんでいるようにも見えた。(p.341)

こうしたウィラードの行動を現代の目から見てみると、当時のアメリカは非常に潔癖で純粋とも言える思考方法をしていたように思える。つまり正統派の文学者と通俗文学者とでは天と地ほどの違いがあるということを認めていたのである。ウィラードはそれを 「むかしは知識人、いまはこんな有様」 と自虐的に表現したらしい (p.299)。
後年、ウィラードはラジオなどの商品広告にも登場して金を稼いだのだが、こんなことは 「もってのほか」 だったのだという。広告に出るということは 「金銭的売春行為」 なのだそうだ (p.364)。今だったら作家がネスカフェ・ゴールドブレンドのCMに出るのは普通に見られるが、当時だったら唾棄すべきことなのである。プロテスタント的アメリカ思考とでもいえばいいのだろうか。

しかし私が読んでいて思ったのは、この評伝の筆者ジョン・ラフリーの中にそうした視点、もっといえば偏見が内在しているのではないかという疑問である。
筆者ラフリーは美術評論家だということだが、前半部の美術に関する、ウィラードがその分野でなかなか成功できない時期の記述は非常に詳細で、むしろ晦渋なほどだが、ヴァン・ダインとして成功しつつあるとき、そして成功した後の記述はそっけなく冷淡のように思える。つまり通俗文学を一段低い位置に見ている思想がラフリーの中にあるのではないかと穿ってしまうのである。
そして、そうしたそっけない記述は、あたかもウィラードが簡単にヴァン・ダインとしての成功を勝ち得たようにも見えてしまうわけであり、推理小説なんて書くのは簡単だよ、と読み取れてしまうことにもなりかねない。

つまりラフリーはウィラード・ハンティントン・ライトにとって不幸な伝記作家だといえなくもないのである。ラフリーの美術評論家的な目からすればシンクロミズムはエラくて推理小説はたいしたことがないのだろうか。
たとえばチャーリー・パーカーやビリー・ホリデイの伝記作家ならどうだろうか。パーカーやホリデイは音楽に関しては天才的な才能を持っていたが、同時にその生活がだらしなくメチャクチャな面も持ち合わせていた。しかし伝記作家はそうしたダメな面も含めて、それらを許して伝記を書いていたはずである。
翻ってこのジョン・ラフリーには、美術史的記述はすごいのだけれど、ヴァン・ダインとしての業績に対して辛辣であり、シンパシィや愛情が無く、もっといえば悪意があるようにさえ見える。本来なら清濁すべてを冷静に見通して書くのが伝記だと思うのだが、私にはやや偏りがあるように思えてならない。そういう意味で、あまり後味のよい評伝ではなかったと言ってよい。
ラフリーの中には、当時の世評と同じような暗黙のヒエラルキーがあって、つまり美術評論・文学評論こそエラいとする偏見がいまだに生き残っているように感じてしまう。
この評伝はMWA賞 (アメリカ探偵作家クラブ賞) を受賞しているのだそうだが、そうした評価をした探偵作家クラブの面々は、ちょっと感覚が鈍いのではないか、と私は思うのである。つまり自分たちに突きつけられた刃が見えていないという面において。あるいはそれを了解済みの上での賞なのだろうか。それともこれは私の考え過ぎなのだろうか。

ウィラードがヴァン・ダインとなってデビューする経緯として 「病気で医者からカタい本を読むのを止められて、推理小説ばかり読んで (2千冊とも) それでファイロ・ヴァンスものを書いた」 と伝えられていたが、それは文字通り伝説であって、本当はそんなに大量に読んでいないのかもしれない。でももしそうだとすれば、それは逆にウィラードの筆力がもっとすごかったということなのではないか。

つまりラフリーの辛辣さにお返しする表現で書くのならば、この本はシンクロミズムの歴史を辿った美術史的視点からの本としては素晴らしいのかもしれない。
ただ、ここで見られるのもシンクロミズムの対・音楽の方法論に対するコンプレックスである。私は宮田恭子『ルチア・ジョイスを求めて』に対するブログの中で、カンディンスキーやクレーが音楽に対する傾倒を見せ、ペイターが 「すべての芸術は絶えず音楽の状態に憧れる」 と言ったというような個所を引用したが、シビアに言うのなら自らの美術が音楽に従属すると考えている時点でだめである。
私はその頃の美術シーンをよく知らないが、シンクロミズムがその美学としての主張をしたときパブロ・ピカソの方法論をも糾弾したというが、ピカソは、美術が音楽に従属するというような観点を持ったことがあるのだろうか。

MacDonaldWright_AirplaneSynchYelOrng.jpg

ヒエラルキーは存在しない。通俗文学が高踏的文学より下にあるということには必ずしもならない。クラシック音楽がポピュラー音楽より上であるということはなく、純文学が大衆文学より上ということはなく、油絵の画家がインク描きのイラストレーターより上ということはない。もしそれがあるのだとするのならば、それらは人々が差別化のために作ったヒエラルキーでしかなく、そのヒエラルキーは奴隷制度とか人種差別と同じである。人がなぜヒエラルキーを作るのかといえば、そうして比較し自分のポジションを決めることに対しての安心感があるからかもしれないのである。
もちろん各論はあるかもしれないが (本当にしょーもない通俗小説は確かに存在するけれど)。

MacDonaldWright_SynchromyinGreenandOrange,1916.jpg

これは嫌な表現かもしれないが、カリスマ性というのはひとつの指針となる。今日、いわゆる本格推理小説といわれる分野においてヴァン・ダインより上手いテクニックの小説の書き手はいるかもしれない。でもそれは 「ビートルズって楽器の演奏、ヘタだよね?」 というのと似ている。歴史的な意味あいになってしまっているのかもしれないが、ヴァン・ダインやエラリー・クイーンには一種のカリスマ性が備わっていたと思う。そうしたカリスマ性について触れることをラフリーは巧妙に避けているように見える。
皮肉なことにヴァン・ダインの作風は 「推理小説とはパズル/ゲーム性/テクニックであって、普通の小説におけるような人間的機微などいらないのだ」 というコンセプトの作風だったはずなのに、クラシックな小説となった今、その作品から感じられるものは独特のこの時代の醸し出す雰囲気なのである。

たまたま近い時期に読んだので、またルチア・ジョイスのことを引き合いに出すのだが、ウィラード・ライトの娘であるベヴァリー・ライトとルチア・ジョイスは、父の存在が大き過ぎたという点において似ているような気がする。ジョイス親子のミニチュア版的なライト親子の葛藤がチラッと描かれている。
もっともライト親子の場合、通俗に堕した父と、マイナーでもより真摯なものを求めようとする娘というパターンであるが、父の娘に対する罪悪感は、ジョイスよりもよりはっきりとしている。親が子供に対して、自分の領分を守ろうとして冷酷な一面を見せる点でも同じだ。

大雑把な言い方をすれば、この時代、1900年代初頭から中頃までは甚だしく混沌の時代である。アメリカの禁酒法は1919年から33年まで。女性参政権が1920年から。そして第一次大戦が1914年〜18年で、アメリカは1917年から参戦した。ニーチェが好きでそれに対する著作もあったライトには肩身の狭い時代である。
そして映画は無声映画からトーキーが出始めた頃で、1929年には大恐慌が起こる。そうした時代の中でヴァン・ダインの本は飛ぶように売れたのである。
ウィラードは女性や黒人に対しての偏見の持ち主であったし、麻薬に溺れた時代もあった。つまりこうした破滅型の人生は、チャーリー・パーカーなどと同じである。さらにいえばスコット・フィッツジェラルドとも通底する。というより、ウィラード・ライトとフィッツジェラルドの担当の編集者は同じ人である。

アメリカ本国ではヴァン・ダインが現役の頃、その後半からすでに人気は下降し、そしてそのまま省みられることなく、ほとんど重要な作家ではないという認識だそうである。一方、日本では推理小説の基本的作品として比較的ずっと読まれ続けてきたのだという。これは国民性の違いなのだろうか。当時の浜尾四郎、小栗虫太郎などの作品はヴァン・ダインのフォロアーといってよいらしい。
しかし近年、アメリカで復刊され始めているのは著作権が切れたためもあるのだろうが、一種のノスタルジーもあるのかもしれない。つまりヴァン・ダインとはチャーリー・パーカーよりもっと前、コットン・クラブの時代のベストセラー作家なのだから。


画像:
映画《The Canary Murder Case》(1929) Louise Brooks
Stanton MacDonald-Wright/Airplane Synchromy in Yellow-Orange (1920)
Stanton MacDonald-Wright/Synchromy in Green and Orange (1916)


ジョン・ラフリー/別名S・S・ヴァン・ダイン (国書刊行会)
別名S・S・ヴァン・ダイン: ファイロ・ヴァンスを創造した男




The Actors: Rare Films Of Louise Brooks Vol.2
http://www.amazon.com/The-Actors-Films-Louise-Brooks/dp/B0031SG7UK/ref=sr_1_4?s=dvd&ie=UTF8&qid=1334860874&sr=1-4

The Canary Murder Case
http://www.youtube.com/watch?v=Teug54cvdJM
nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:
前の10件 | -