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『あしながおじさん』を読む [本]

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Jean Webster (1876−1916)

新潮文庫のStar Classics名作新訳コレクションの6月新刊はジーン・ウェブスターの『あしながおじさん』。訳者は岩本正恵、カバーは作家自身のイラストをコラージュしたデザインで、カヴァー紙質も通常と違って洒落ている。
『あしながおじさん』(Jean Webster, Daddy-Long-Legs, 1912) は、ジャンル的に考えると微妙なポジションにいる。主人公の大学生活を描いているので児童文学 (少年少女向け) でもないし、一般小説とも少し違う。青春小説というのが適切な形容だろうか。これまで私は児童文学をジュヴナイルと言ってきたが、それはせいぜいローティーンまでを対象としていて、しかも最近ではジュヴナイルという言葉を使うことは一般的ではないのだそうだ。だったらこうした比較的若い読者向けの小説を何と呼ぶかというと、ヤング・アダルト・ノヴェルズとのこと。
しかし、日本ではアダルトという単語は特殊な意味を持ってしまっていて、たとえばレディース・コミックという言葉と同様で、使うのがためらわれる。こうした何でもない汎用的言葉を色づけしてしまったという点で、日本の出版業界の性向や品位がよくわかる。

まぁ、そんなDirty-Low-Levelsなことはさておいて、最近は古くからの名作の 「新訳」 が流行っているように見えるのだが、でも読み始めると、物語そのものの魅力によって、訳の違いなどどうでもよくなる。どうでもよいと感じられるのは良い翻訳ということだ。

物語の構造はとてもシンプルである。孤児院で暮らすジェルーシャ・アボットは、そこから出なければならない16歳という年齢を越えて、高校に通わせてもらっていたが、卒業間近となった頃——つまり孤児院にいることのできる期限が残り少なくなったとき、突然、彼女を大学に通わせてくれるという奇特な人があらわれる。その人はジョン・スミスという匿名しか名乗らず、ジェルーシャに姿も見せない。彼女に課せられた条件は、月に1回、ジョン・スミス氏宛に手紙を書くこと、そして作家になるべく努力をすることだというのだ。
それで物語はジェルーシャがジョン・スミス氏に綴る手紙文という形式になっている。

巻末の解説で畔柳和代は、

 受け身で弱い、古典的なヒロインに似た立場にいる彼女の言葉が、この
 物語を語っていく。(p.254)

と書く。シンデレラ・ストーリーであるのにもかかわらず、語り口が単純な1人称ではなく、手紙文というフィルターを通した叙述であることが、その視野に独特の陰影を与える。だからといってそれは、内省的で極私的な世界には下りて行かず、潑溂とした表現に終始し、ところどころで落ち込む憂鬱も一過性で閉鎖的ではない。ただそれは作者がジェルーシャに与えた性格であり、作者そのものの思考ではない。作者は重ねられたフィルターのさらに向こうにいる。

ジェルーシャは、ジョン・スミスといういかにもふざけた匿名らしい匿名を許さず、たぶんあの人かもしれないというかすかに見た足の長い人の影の連想から、彼を 「あしながおじさん」 と名づける。そして自分の名前ジェルーシャが大嫌いなので、ジュディと名乗ることにする。名前へのこだわりは『赤毛のアン』と同じだ。

 ジェルーシャはどこかのお墓に刻まれていた名前です。わたしはこの名
 前が昔から大嫌いでしたが、ジュディはかなり気にいっています。ちょ
 っとそそっかしい感じの名前ですよね。わたしとは違う女の子の名前で
 す。(p.30)

もっとも、ジェルーシャがアン・シャーリーと決定的に違うのは、ジェルーシャという名前も、アボットという苗字も、孤児院の院長がつけたもので、本当の名前は別にあったのかもしれないということである。しかし、あったのだとしても、親に捨てられたとき、その名前も同様に捨てられたのだと解釈するのなら、それは無いのと同じなのだ。だから、院長がつけたジェルーシャという名前を彼女が改変してジュディとすることは命名の手続きとして等価であり、そこに名前の持つ呪縛は存在しない。呪縛があるのだとすれば、それは孤児院という負の重荷からの呪縛である。ジェルーシャがジュディになることはメタモルフォーゼであり、ひとつの夢なのだ。

ジェルーシャは自分が孤児院で育ったことを誰にも言わずに大学での学業と寮生活を満喫する。だが彼女は、家庭での生活という過去を持たない。そして普通なら知っているはずの常識を持たない。
まず彼女は今まで知らなかった本を読んで、その空白を埋めようとする。マザー・グースや、デイビット・カッパーフィールドや、ロビンソン・クルーソーや、不思議の国のアリスや、シャーロック・ホームズを読む。
まごまごしていると、ラテン語や歴史や化学や生理学など、どんどんむずかしい大学の授業がのしかかってくるからだ。

それだけでなく、日々の生活のなかでの今まで知らなかったさまざまなこと、どのように遊ぶかとか、どのように服を選ぶかとか、そうした諸々のことに、そんなことは当然知っているという顔で対応していかなければならない。それは隠匿であり背伸びであるが、秘められた愉悦でもある。

孤児院という環境にずっと幽閉されていたジェルーシャが、町へ遊びに行くことの開放感と強烈な刺激を、そして誰にも言えないもどかしさを、彼女は手紙に書く。

 大学キャンパスの外に出るたびに、刑務所から逃げ出した囚人のような
 気分になります。この体験がわたしにとってどんなにすばらしいか、よ
 く考えずにだれかに話してしまいそうになります。猫がかばんから出そ
 うになって、あわててしっぽをつかんで引っぱり戻します。(p.48)

彼女は意欲的な努力によって、18年間の負債をどんどん返してゆく。そして、猫を隠したまま、屈託のない学生の日常に急速に溶け込んでゆく。ブロンテ姉妹を読み、その物語に夢中になりながらも、そうした閉鎖された環境へのシンパシィを持ちながらも、それを乗り越えてゆく。

ジェルーシャにとってうしなうものは何もなかった。だから過去に対する彼女の回想は直截で辛辣である。

 わたしの子ども時代は、不機嫌に延々と続く不快の連続でしたから、
 (p.126)

あるいはまた、

 大人になってどんなにたくさんの困難があったとしても、だれもが思い
 出に残るしあわせな子ども時代を過ごすべきだとわたしは思います。
 (p.132)

そして、日常の生活に慣れつつも彼女は初心を忘れない。それは決してくじけない強い精神である。

 とても大きなよろこびが、一番重要なのではありません。大切なのは、
 小さなよろこびを大いに重んじることです。おじさま、わたしはしあわ
 せの真の秘密を発見しました。それは、今を生きることです。いつまで
 も過去を後悔しつづけたり、未来に期待しつづけるのではなく、今のま
 さにこの瞬間を可能なかぎり活かすのです。(p.184)

さらに彼女は続けて、「たいていの人は、生きていません。競争しているだけです」 と書く。

ジェルーシャは、大学生活を続けていけるだけの援助を受けていることを負債だととらえ、それはいつか必ず返さなければならないのだと考える。経済的に自立することが恩義への返礼だととらえている。それは真摯で禁欲的であり、自分はあらかじめ何も与えられていなかったのだから、過剰に与えられるべき必然性はない、とする潔癖な結論に達する。決して現状に甘えてしまうことがない。
彼女は、友人たちと自分の立場の違いを、冷静に意識している。そして、「おじさま」 からの過大な援助や好意を断るのである。

 サリーとジュリアと一緒に暮らすのは、わたしのストイックな哲学には
 ひどく厳しいものがあります。ふたりとも、赤ちゃんのころからものを
 持っています。しあわせはあたりまえだと思って受け入れます。ふたり
 とも、欲しいものは世界が与えてくれて当然だと思っています。もしか
 したらほんとうにそうなのかもしれません——いずれにしても、世界は
 彼女たちに借りがあるのを知っていて、それを返しているように見えま
 す。けれども世界は、わたしには何の借りもないし、わたしは最初には
 っきりそう言われました。わたしは世界から後払いで借りることもでき
 ません。なぜなら、世界がわたしの申し入れを拒むときがいつか来るか
 らです。(p.198)

解説で畔柳が指摘するように 「ジェルーシャには戻りたい場所はなく、どこにも帰属していない」 (p.258) のだ。それはwanderer的な願望となって現れる。

 わたしには放浪に強くあこがれる心があります。地図を見ただけで、帽
 子をかぶり、傘を手に持って出発したくなります。テニソンの言うよう
 に 「死ぬ前に椰子の木と南の神殿を見ん」 です。 (p.146)

作者のジーン・ウェブスターは大学卒業後、フリーのライターをしながら何編かの小説を書いていた。大学生の頃から政治的・社会的な問題にも関心を持って行動していたが、当時のアメリカにはまだ婦人参政権はなかった。
『あしながおじさん』(1912) で有名になったが、続編の『続あしながおじさん』(Dear Enemy, 1915) の年に結婚し、しかしその翌年、産褥熱により39歳で亡くなる。そしてこの本の翻訳者である岩本正恵も、2014年に50歳で亡くなったとのことである。そのため、これは岩本の最後の訳書となった。
まだ先があったはずの死は悲しいことだが、すぐれた本はずっと読み継がれるに違いないことが唯一の救いである。

私はなぜ、この『あしながおじさん』という作品に過度な思い入れがあるのだろうか、ということを読みながらずっと考え続けていた。
それはきっと、シンデレラ・ストーリーの香りに酔いたいためでもなく、ノスタルジックな古いアメリカの描写に共感があるためでもない。それは前に引用したジェルーシャの言葉のなかにある。
「けれども世界は、わたしには何の借りもないし、わたしは最初にはっきりそう言われました」 という個所である。世界と自分との関係性のなかで、いかなる貸し借りもないこと、もし世界を神と言い換えるのならば、いかなる恩寵も存在しないこと、それが自らの現在に引き寄せて考えたとき、最も共感できる部分である。

世界と貸し借りが無いことというのは、何にも属していないということであり、それは組織にも縁故にも頼らず、孤独であることである。それは一種のアナーキーな状態である。
ジェルーシャ・アボットという名前が (家系とか伝統といった) 「現実のしがらみ」 的重さを持っていないのだとすれば、それは本来、無名であり記号に過ぎなかったのかもしれず、そうした構造も同様にアナーキーなのだ。

昨今の世界は虚偽や欺瞞ばかりだが、狡猾な甘い水の誘惑に慣れた堕落者たちは、誰もが自分たちと同じように甘い水を求めようとしていると錯覚するのである。そして狡猾さは持って生まれたもので、改心することはない。
ジェルーシャ・アボットの、元気で、くじけない、一見しなやかで無邪気かもしれない表情の影に、俗悪に屈しない、強い精神性を私は感じるのである。人は、必ずしも、朱に交わっても赤くなるわけではない。


ジーン・ウェブスター/あしながおじさん
岩本正恵・訳 (新潮社)
あしながおじさん (新潮文庫)

モグラネグラはドグラマグラではない [雑記]

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《相棒》の 「花の里」 店内

今日 (といってももう昨日になってしまったが)、テレビ朝日で《相棒》の再放送を見ていた。シーズン11#8の〈棋風〉という作品で、将棋名人とコンピューターとが対戦するという話である。おりしも 「ひふみん」 こと加藤九段がついに現役から引退することになり、その生まれかわりのようにして出現してきた中学生の藤井四段がデビューから負けなしで今日は歴代タイの28連勝になるかどうかという日、テレ朝がタイムリーな将棋ネタのドラマを持ってきたのは当然だろう。

この〈棋風〉の回は見た覚えがないので、楽しく視聴していた。
将棋名人と対決する将棋ソフトの開発者が死んでしまう。単なる事故死だと思っていたのに杉下右京がやってくると簡単に殺人に切り替わってしまうのはいつものこと (右京さんとコナン君の行くところに事件は起こる)。人工知能を研究するためには開発費が必要で、その開発費が欲しいソフトの開発者と、絶対に名人に負けて欲しくない将棋連盟の会長の思惑が一致して裏取引になりそうなとき、それを断固として止めようとした研究員・彩子 (高野志穂) は、実は過去に新進の女性棋士であったのに将棋のプロになるのを諦めて、ソフト開発の研究員となっていた。そして名人である時田 (竹財輝之助) のことを恨んでいるらしい、というふうに話が進展してゆく。

推理ドラマとしては比較的単純なストーリーなのだが、最後に時田名人と将棋ソフトが対決する場面で、コンピューターを操作して次の手を指示していた彩子は、肝心な一手をコンピューターに頼らず自分の手で指して、名人に負けてしまう。
そして彩子の過去の怨念は読み違いであり、時田は彩子の指す手が好きだったのだという結末となる。愛情が、彼女という人でなく、その棋風にあったところがほろ苦い。

事件が終わり、杉下は 「花の里」 で 「将棋には棋風というものがあり、棋譜を見れば誰が指していたのかが分かる。時田名人は彩子がその手を指したとき、それはコンピューターでなく彩子が指した手であることがわかったのだ」 というようなことを甲斐に言う。

人間と機械、アナログとデジタルの対比になっていて今っぽい話題だったのだが、その花の里の最終シーンのとき、画面の上にテロップが出て、「藤井四段が28連勝を達成しました」 というニュースが流れた。
あまりに絶妙なタイミング! その後、16時50分からの 「スーパーJチャンネル」 で、トップニュースとしてその28連勝が報道された。調べてみると相手の澤田六段が投了したのが16時47分なので、テレ朝はわざとニュースを抑えていたようなインチキはしていない。まさに最後の右京の言葉の個所で投了され、テロップが出されたのである。そういう偶然ってあるんだなぁと思ってしまう。

《相棒》の、この 「花の里」 のシーンはとてもなごむ。ヨルタモリの 「WHITE RAINBOW」 も魅力的な店だったが、「花の里」 のほうがずっと年季が入っている。この世には存在しない店に対して憧れを持ってしまうのは一種の幻想譚への希求であるのかもしれない。
そして鈴木杏樹の演じる月本幸子は、実は単なる小料理店の女将ではなく、過去のある人なので、その不幸な過去の末にたどりついた花の里という店が、とても存在感を持って目に映る。

鈴木杏樹はミュージックフェアの司会を長く続けていたが、彼女のキャリアの初期の頃に出演していたテレビ東京の番組《モグラネグラ》のことをふと思い出した。テレ東はいまでもちょっとユルい放送局だけれど、以前はもっと東京ローカルで、もっとずっとユルくて、そのユルいのがたまらなかった。
《モグラネグラ》は夜の音楽寄りのバラエティ番組みたいなもので、いろいろな司会者がいたのだが、鈴木慶一と鈴木杏樹の木曜日のときだけ、よく見ていた。この鈴木慶一と鈴木杏樹というW鈴木の司会は、調べてみたら1993年の半年くらいしか続かなかったらしくて、だから数回見ただけなのかもしれないが、いまでも印象に残っている。

といっても私は鈴木慶一のことはよく知らなくて、でもその数年前に出た高橋幸宏とのユニット The Beatniksの2枚目のアルバム《EXITENTIALIST A GO GO》(1987) を偶然聴いていたので、鈴木慶一はビートニクスの鈴木慶一でしかなかった。その後あたりだったと思うが、ムーンライダースのコンサートに誘われて1回行ったことがあるばかりである (もちろん、まだかしぶち哲郎は健在だった。かしぶちの曲はいつもせつない)。《センチメンタル通り》を聴いたのはさらに後で、それは70年代の憂愁に満ちていた。
《EXITENTIALIST A GO GO》はノスタルジックな名盤で、何度も何度も繰り返し聴いていた記憶がある。1987年には鈴木さえ子の《STUDIO ROMANTIC》もリリースされているが、その前の《緑の法則》(1985) のほうが私は断然好きだった。最初の自転車のベルの音が、子どもの頃の夏休みの楽しさの記憶に共鳴する。

鈴木慶一の、これらの鈴木さえ子アルバムを経て原田知世の《GARDEN》(1992) に連なる流れは、もっとも冴えていた時期、というか私にとってまさに心の微細な揺れにフィットする音が聞けた時期であったような気がする。
テレ東では1991年から98年まで、呆れるほどホントにしょーもない《ギルガメッシュないと》というバラエティがあって (イジリー岡田さん、最高です)、あれはやっぱり世紀末への退廃的な怒濤の流れだったのだ。
というふうに最初と最後で話題が変わってしまうのは、森茉莉的話題のずらしかたの手法で、現在私はその影響下にある。

     *

追記
木曜モグラネグラの1本目のリンクが間違っていましたので訂正しました。尚、夢野久作ではドグラマグラが一番有名ですが、私が好きなのはあやかしの鼓です。


THE BEATNIKS/EXITENTIALIST A GO GO (ポニーキャニオン)
EXITENTIALIST A GO GO




鈴木さえ子/緑の法則 (ミディ)
緑の法則(紙ジャケット仕様)




原田知世/GARDEN (フォーライフ)
GARDEN




木曜モグラネグラ
https://www.youtube.com/watch?v=EEFb9WUp8Ps
https://www.youtube.com/watch?v=XJ799Zu5xpI

THE BEATNIKS/ちょっとツラインダ
https://www.youtube.com/watch?v=NbRyV6vmixw

原田知世/さよならを言いに with鈴木慶一&佐野史郎
https://www.youtube.com/watch?v=0ayBqVMW50c

《横尾忠則 HANGA JUNGLE》展に行く [アート]

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横尾忠則《責場C》

町田市立国際版画美術館で開催されている《横尾忠則 HANGA JUNGLE》展に行った。町田にはたぶん今まで行った記憶がないので初めて訪れた町なのだと思うが、駅を降りると初夏の太陽が照りつけるどこにも逃げ場の無い白っぽい道が延々と続いていて、その照り返しにくらくらとしてしまい、ムルソーみたいな気持ちになる。いつか栃木県立美術館に行ったときも宇都宮の駅の前の道がこんなふうに白っぽかったという記憶がある。
でも町田駅前にはマルイも、ツインズという東急のビルも、そして109まであるのだけれど、109のビルの入口には生涯学習センター/中央公民館の看板も付けられていて、なんかちょっといい。

美術館サイトの地図をたよりになるべくわかりやすい道を選んで歩いて行ったら、とんでもない急坂の下りがあって、その途中になぜか警備員が立っていて、その坂が下りきり巻き終わったあたりに美術館があった。

版画っていうのは結局印刷物なのだから、画集などで見るのとそんなに違わないのでは、という〈反=期待〉は見事に裏切られた。この、肉厚に緻密に盛られたシルクスクリーンの質感は現物を見ないと絶対にわからない。有名なポスター群もすべてがシルクスクリーンであって、この時期の状況劇場や天井桟敷のポスターなど、とんでもなく贅沢な美術を用いていたのだということが納得できる。
比較の対象として適当ではないかもしれないが、それはロートレックのポスター以来の美術的な作品であり、横尾以後、比肩するものはあまりないのではないかと私は思う。

館内は入場者もまばらで、とてもゆっくり鑑賞することができた。おまけに写真撮影可とのこと。
最も見たかった作品はしかしポスターではなく、《責場A/B/C》(1969) という作品である (図録および出品リストでは1969年となっているが、『美術手帖』2013年11月号では1968年とある)。横尾が版画を制作するきっかけとなった作品であり、翌年の第6回パリ青年ビエンナーレでグランプリを受賞した。しかし今回の図録によれば、《責場A/B/C》は最初の作品ではなく、《生風景I~V》《写性I~III》(1968) がそれに先行する作品であるという。確かにこれらの作品には、どのようにすればどのような効果を得られるかということを試行している部分が見受けられる。

《写性》では画面の周囲に印刷トンボが存在し、それを含めての作品となっている。シルクスクリーンの各特色の分版のチャートもトンボと同様に存在するが、それは四角や丸のベタではなく、性格の悪そうなミッキーマウスの顔になっている。
この技法をさらに発展させたのが《責場A/B/C》である。これはA/B/Cという3つの画面に別れていて6種類の同様の絵のヴァリエーションなのだが、これらを一括して《責場A/B/C》という作品として提示しているのだ。
それぞれは版を刷り重ねていく途中の状態にあり、完成間近のようにみえるのがCの上部であるが、でも完成してはいない。横尾は、

 この作品ではプロセスがテーマになっているんです。ポスターの原稿は
 白黒で描いて、頭の中で色を想定して指示を書いていくんですが、その
 思考過程そのものを絵にしている作品です。ポスターの完成版はどこに
 もなく、4色の各版の層を重ねて見る人の脳の中にしかない。その意味
 ではこの作品も、「未完」 というテーマを持っていますね。(前出『美術
 手帖』p.23)

と述べている。
だから横に並べられている模様のような花札もカラーチャートのパロディなのだ。横尾はこの説明で4色プロセス的な表現をしているが、この作品はシルクスクリーンであるから、そんなに単純ではない。シルク原画の美しさと肌理の細かさ、グラデーションの美しさは4色プロセスの比ではなく、映画館で観る映画とブラウン管のTVで見る映画くらいの差があると私は思う。
それにシルクスクリーンでは、蛍光色やラメの入った色も使用するから、それが図録に4色プロセスで載ったとしても、まるで違った印象しか感じない。画面全体に水玉を敷き、その上に他の色を乗せていくと、色によって下の水玉が透けたり透けなかったり、微妙な陰翳を生む。
しかしオフセット印刷の写真は網点の集積でしかないから、版画の重さを表現することはできないのだ。

横尾は単なる4色プロセスのときにも指定を間違えてしまい、自分の意図したのと違った色が出てしまっても、それはそれで面白いんじゃない? と言っていたこともあったが、そうはいいながらもそれは韜晦であって、多色を重ねるときの効果に通暁していないとこのような作品は出て来ないはずである。

もちろんシルクスクリーンだけではなくて、木版やリトグラフ、エッチングなど、そしてオフセット印刷との併用などの作品があるが、どれもその特質をとらえていて、さらに技法的な意外性を追求していることもよくわかる。木版などの分版をわざとズレたようにしているのもあらかじめ考えて作っているのだと思われる。
ただ、やはり一番美しいと思われるのはシルクスクリーンによる作品であり、近寄って見ると、スクリーンの網目までわかり、まさに陶酔の極致であった。

横尾は、自分にとって絵を描くこととはまず模写をすることだったと言っているが、彼の子どもの頃の模写がすでに子どもの域を全く外れていたことはよく知られている。最初から描けてしまったという天才性は誰にでも備わっていることではない。

美術館の帰り道、あの急坂を上るのは嫌だと思って裏側からの道に行ったらわからず、一度行って戻って来た。美術館サイトのオシャレな地図のおかげである。


図録:横尾忠則全版画 (国書刊行会)
横尾忠則全版画 HANGA JUNGLE




横尾忠則 HANGA JUNGLE
町田市立国際版画美術館
2017年06月18日 (日) まで
http://hanga-museum.jp/exhibition/index/2017-333
最終日には横尾先生のサイン会があるそうです。
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